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2020.01.16 (Thu)

第264回 書評『劇場建築とイス』

劇場建築とイス
▲『劇場建築とイス』(ブックエンド刊、3,000円+税)


 本書は、日本の劇場建築を、「イス」(客席)の視点を取り入れながら振り返るユニークな写真集で、コンサート・ゴーアーには、たまらない一冊である。

 ところが、カバーにも中トビラにも、一切、著者名も監修者名もない珍しい本で、いったい、誰が書いた(まとめた)本なのかと、奥付を見ると「企画・監修/コトブキシーティング・アーカイブ」とある(著者名なしで、取次を通ったのだろうか?)。
 不勉強ながら初耳の会社だったので、「コトブキシーティング」社のHPを見ると、1914(大正3)年創業の老舗で、「ホール・劇場・学校・スタジアム・映画館など、公共施設のイスやカプセルベットの製造・販売」の会社だという。要するに、日本中の劇場のイスを開発・製作納入している「イス会社」なのだ。創業100年の際に、社内の記録写真をアーカイブ化したので、それらを集めたのが、本書らしい。「その多くは、客席イスの納品時に記録として撮影されたもの」とあるので、ここに紹介された約60の劇場・ホールのイスは、すべて、同社の製品なのだろう。

 収録劇場は、竣工順に4つのグループに分けて構成されている。
 冒頭は1961年竣工の、東京文化会館である。設計は前川國男(改修も同事務所)。約2300席だが「この規模であれだけ見やすい劇場をつくることはとても難しく、客席が六角形になっているところに秘密がある」という。
 この解説文は、伊東正示(株式会社シアターワークショップ代表取締役)によるものだが、たいへん面白い。
 たとえば、「イスの幅は広すぎず、どこか身体どうしが隣の人と接触しているくらいのほうが、適している」そうで、「ほぼ同じ時期に建設が進んでいたサントリー・ホールの幅が52センチに対し、銀座セゾン劇場は49センチで、3センチ狭くなっている。しかし、この劇場が狭くて居心地が悪いという声は聞いたことがない。一体感と演劇のもつ重要な要素とイスが大きく関わっているということを、この劇場づくりのなかで初めて学んだ」という。
 なるほど、演劇劇場のイスとは、そういうものなのだ。

 ちなみに東京文化会館大ホールのイスは、赤地だが、所々に黄・青・緑が混じっている。これは花畑をイメージしたそうで、空席を目立たなくする効果もあるという。先日竣工した新国立競技場がこのコンセプトを取り入れて、いつでも満席のように見えるのを売り物にしているが、先例はここにあったのだ(本年のビュッフェ・クランポンのカレンダーに、故・木之下晃撮影の東京文化会館客席の写真が使用されているが、「花畑」のイメージが見事にとらえられている)。

 本書では、そのあと、帝国劇場、大阪市中央公会堂、ロームシアター京都(旧京都会館)、日生劇場……とつづく。
 日生劇場の客席を舞台上から俯瞰した写真は、天井に埋め込まれた美しい2万枚のアコヤ貝が圧巻だ。1963年に村野藤吾の設計、ベルリン・ドイツ・オペラ《フィデリオ》(カール・ベーム指揮)で開場した名門劇場だが、2015~16年に全面改修した。そのコンセプトは「変えないリニューアル」だったそうで、小学生のころ、劇団四季こどもミュージカル《オズの魔法使い》で初めて入った、あのときのイメージがいまでも保たれている理由は、そこにあったのだ。

 そのほか、おなじみサントリー・ホールやオーチャード・ホール、東京芸術劇場、ミューザ川崎、横浜みなとみらいホールなども登場するが、後半になると、地方の劇場・ホールが続々登場する。
 「由利本荘市文化交流館カダーレ」(秋田県由利本荘市)の宇宙船をイメージした客席空間や、「島根県芸術文化センター/グラントワ」(島根県益田市)の美しい客席配置など、一度は座ってみたいと思わせる劇場ばかりだ。なかには座席が可動式の劇場も多く(コトブキシーティングの得意分野らしい)、多面的な使用に耐えうる新しい劇場は、いまや地方に多いこともよくわかる。

 なお、わたしもヴィジュアル本はずいぶんつくってきたが、見開き2頁で1枚の写真をドーンと見せる際、ノド(見開きの中央、綴じの部分)の処理には、何度も悩まされてきた。通常の製本では、ノド部分を完全に見開きにすることは不可能で(無理に開くと、背が割れる)、よって、写真の中央部分が、どうしてもキチンと見えない。ノドの左右に各3㎜程度の白味を入れたり、あるいは、ノドの中央部分をダブらせたりしてみたが、いずれもピッタリこなかった。
 本書も同様で、特に東京文化会館や帝国劇場、日生劇場、愛知県芸術劇場などの見開きの美しい写真は、ノドに邪魔されずに見たかった(PUR製本など、特殊な製本にするしかないのだが)。
 それほど、特定企業のアーカイブ(記録)にしては豪華で美しい写真が連続して登場する本である。

 余談だが、わたしは、文京シビックホールの、あの不思議なイスについて、知りたくてたまらない(本書に掲載されていないので、コトブキシーティングの製品ではないようだ)。あの形状が人間工学的に優れていると聞いたこともあるのだが、それでも、日本管楽合奏コンテストで半日座っていたら、「尻」の尾てい骨のあたりがひどく痛くなった(ふつうは、長く座っていると、「腰」が痛くなるものだが)。
 もし本書に続編があったら、他社製品だとしても、少しでいいから言及解説を期待したい。
<敬称略>

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2020.01.10 (Fri)

第263回 ピーター・ブレイナーの仕事

ビートルズゴーバロック
▲「ビートルズ・ゴー・バロック2」(ピーター・ブレイナー指揮)ナクソス

 ビートルズをクラシック風に演奏する企画は、いままでにいくつかあった。
 わたしが忘れられないのは、ベルギーのピアニスト、フランソワ・グロリュー(1932~)によるもので、1976年に出た『ビートルズ・アルバム』は、いまでもカタログ上は生きているようだ。

 もうひとつ、驚いたのは1993年にNaxosから出て大ヒットした『ビートルズ・ゴー・バロック』で、ピーター・ブレイナー(1957~)なる才人が編曲・指揮したものだった。ビートルズの有名曲を、ヘンデル風、バッハ風、ヴィヴァルディ風に編曲してあるのだが、実によくできていた。なるほど、バッハやヘンデルがいま生きていて、これらの曲を編曲したら、こういうふうになるのかと、微笑ましくて楽しいアルバムだった。

 あれからかなりの年月がたったが、昨秋、突如として、同じピーター・ブレイナーによる第2弾『ビートルズ・ゴー・バロック2』が出た。なぜいまごろ……と不思議な気がしたのだが、聴いてビックリ、これは「2019年最高のクラシック・アルバム」ではないのか。
 その理由は、収録トラック一覧を見ればわかる。
 たとえば前作では、《ビートルズ 合奏協奏曲第1番》(ヘンデル風)とあって、そのなかが、第1楽章《She Loves You》 A tempo giusto、第2楽章《Lady Madonna》Allegro……となっていた。
 つまり、まずビートルズの曲ありきで、それらを、バロック大家のスタイルで編曲・演奏したアルバムというわけだった。

 ところが今回はまったく逆で、まずバロック名曲があり、そのなかに、ビートルズが「埋め込まれ」ているのである。だから、「曲名」は以下のように表記されている。

バッハ/ピアノ協奏曲 ニ短調 BWV 1052
バッハ/ヴァイオリン協奏曲 イ短調 BWV 1041
バッハ/ブランデンブルク協奏曲第2番 ヘ長調 BWV 1047
ヴィヴァルディ/四季 Op. 8
バッハ/ミサ曲 ロ短調 BWV 232
(以下略)

 で、1曲目、BWV1052のピアノ(チェンバロ)協奏曲などは、第1楽章《Come Together》、第2楽章《Blackbird》、第3楽章《Drive My Car》と表記されており、楽章ごと、バッハ原曲に、上記のビートルズ曲が「埋め込まれて」いるのである。
 昨年は、名盤『アビイ・ロード』の発売50周年だった。冒頭が《Come Together》で始まっているのは、それを意識しての配置だと思う。

 なかには、さすがに「バロックにビートルズを埋め込む」ことは困難だったのか、最初から、むき出しでビートルズが流れ出すトラックもある。たとえばブランデンブルク協奏曲第2番の第3楽章だ。最初から、あまりにも堂々と《Ob-La-Di, Ob-La-Da》が始まるのだ。ところが、すぐに原曲の響きに戻って、あの冒頭がフェイントだったことを知らされる。後半、バッハとビートルズが「合体」する様子は、実に感動的だ(ポール・マッカートニーは、この第2番に想を得て、《Penny Lane》に、ピッコロ・トランペットを起用したのである)。
 なお、ラストのたった49秒のトラック(ブランデンブルク協奏曲第3番)は、『アビイ・ロード』のファンだったら、ニヤリとなること必定。

 かように本ディスクは、知的な音楽遊び精神に満ちているのだが、いったい、こんなことを平然とやっているピーター・ブレイナーとは、なにものなのか。
 このひとは、指揮者で作編曲家でピアニストなのだが、やはり「編曲」に抜群の才能を見せてくれる。
 なにぶん膨大なアルバムをリリースしているので、わたしも全部聴いているわけではないのだが、たとえば、ムソルグスキー《展覧会の絵》などは、エンタメとしてはラヴェルもストコフスキーも上回る面白さで、これを聴いてしまうと、ほかの編曲を生ぬるく感じてしまう。ぜひ、このタッチで、吹奏楽版を編曲してくれないだろうか。

 ほかに、近年では、ヤナーチェクの歌劇を、管弦楽組曲にダイジェスト編曲しているシリーズ()があり、これは超おすすめである。ヤナーチェクの歌劇はどれも独特の味わいがあって素晴らしいのだが、なかなかとっつきにくいと感じているひとが多いと思う。まず、このブレイナー版で主要部分をじっくり味わっておくと、DVDなどですぐに本編に入ることができる。また、歌劇原曲を知っているひとなら、オリジナルの盛り上がり部分を、ブレイナーがいかにうまくオーケストレーションしているかがわかって、ここでもニヤリとしてしまうはずだ。
 (このなかのいくつかのトラックを、そのまま吹奏楽にトランスすれば、コンクール自由曲になりますよ)

 こういう、ブレイナーの編曲仕事を邪道だと感じるひとが、いるかもしれない。
 だが、そもそも「ダイジェスト」「変容/編曲」は、わたしたちの周囲にいくらでもある。たとえば、今月、新春浅草歌舞伎で上演されている「祇園一力茶屋」は、長編『仮名手本忠臣蔵』全十一段のなかの、途中の一話(七段目)である。この前後に、関連挿話が山ほどあるのに、一部だけ抜粋上演して、みんなちゃんと楽しんでいる。
 また、同じく今月、国立劇場で上演されている『菊一座令和仇討』に至っては、題名から想像できるように、こんな芝居、もともとなかったのを、音羽屋が、鶴屋南北の別の芝居を持ってきて、自由自在に再構成した「新作」である。
 あるいは、日本の古典文学を、うまくダイジェストして解説や現代語訳などを付している「角川ソフィア文庫」。樋口一葉のような、いまでは「読みにくい」古典に、改行やカギカッコ、漢字のひらきなどを大量に加えて読みやすくしている「集英社文庫」。
 ブレイナーの仕事は、これらと同じ、彼こそは21世紀の山本直純である。
<敬称略>

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2020.01.04 (Sat)

第262回 ベートーヴェンと紅白歌合戦

be-to-ven
▲ベートーヴェン弦楽四重奏曲【9曲】演奏会(12月31日、東京文化会館小ホールにて)

 大晦日に、ベートーヴェン弦楽四重奏曲【9曲】演奏会に行った。今回で14年連続の名物コンサートで、以前から行きたかったのだが、毎年、紅白歌合戦のボヤキ感想を書いている身なので、どちらを選ぶか迷った末、きりがないので、思い切って行ってみた(紅白の顔ぶれと曲目を知った段階で、もうボヤく気もなくなっていたし)。
 演奏団体と曲目は、以下の通り。

【古典四重奏団】第7、8、9番(ラズモフスキー1、2、3番)
【ストリング・クヮルテット ARCO】第12、13番、大フーガ
【クァルテット・エクセルシオ】第14、15、16番

 東京文化会館の小ホールは、定員649席だが、見た感じ、後方に少し空席がある程度だったので、おそらく600席近くが売れたのではないか。
 開演は14時。終演はほぼ22時近く。つまり8時間近くを要するコンサートだったのだが、1曲ごとに10~15分の休憩が入り、最後の休憩まで売店が営業してくれていた。また、《大フーガ》のあと(19時頃)には30分の休憩が入り、上野精養軒のカレー、ハヤシライスの出張販売があった。ロビーにも大量の簡易椅子やテーブルが置かれていた。
 そもそもベートーヴェンの中~後期SQは多くが40分前後である。《大フーガ》も、第13番の中に組み入れる(アルバン・ベルクSQのような)こともなく、独立して演奏された。
 よって、たしかに滞在は8時間近かったが、それほどつらいものではなかった。隣の大ホールで同時開催されていた、ベートーヴェンの交響曲9曲全曲演奏会よりは、肉体的にラクなのではないか。

 しかし、精神的なしんどさ(というか、深淵さ)は、交響曲を上回るような気がする。わたしごときの筆力で、また、この程度の紙幅で表現することは無理だが、いったい、なぜ、このようなものすごい音楽が連続して生まれたのか、呆然となる。
 3団体の演奏も手の内に入ったもので、全身全霊を傾けての名演だった(先日、ショスタコーヴィチのSQ全集でレコード・アカデミー賞大賞を受賞した古典四重奏団は、いうまでもなく全曲暗譜演奏である)。

 ベートーヴェンの後期SQは、順を追って“自由”な曲想に支配されるようになった。(作曲順に)第12番が4楽章構成、第15番が5楽章、第13番が6楽章と1楽章ずつ増えつづけ、第14番ではついに7楽章となった(しかも切れ目なしの連続演奏)。このままいったら、どうなるのかと思いきや、次の第16番では古典的な4楽章にもどり、作曲の5か月後、ベートーヴェンは56歳の生涯を閉じる。
 この最後の第16番は、楽譜に「こうあらねばならないのか?」「こうあるべし」「やっと決心がついた」などの、謎めいた走り書きがあることでも有名なのだが、構成はシンプルな4楽章で、演奏時間も25分ほどのコンパクトな曲である。
 当日は、トリをつとめるクァルテット・エクセルシオの演奏で、大曲の第14、15番がつづき、大トリがこの第16番だったのだが、時刻も21時過ぎ、あと3時間で年がかわる、そんなときに、どこかホッとさせられる曲だった。第3楽章など、まるで後期ロマン派のような濃厚な響きがある。前の曲で沸点に達した熱気を冷ましてから帰宅の途につかせてくれるような、そんな気もした(終演後、舞台裏から演奏者たちの歓声が聴こえてきた。その気持ちは、よくわかる)。

 帰宅し、残り1時間弱ほど紅白歌合戦を観たら、ラグビー選手が勢ぞろいし、陸上選手のウサイン・ボルトのインタビューがあり、新国立競技場の紹介があり、何人かはNHKホール以外の場所で歌い、目が疲れる合成画面があり、口パクが堂々とまかり通っていた。どう見ても「歌合戦」ではなく、コンセプト皆無のバラエティ番組だと思った。
 こんなものに、何時間も付き合わないで、ほんとうによかったと安堵した。案の定、視聴率は史上最低だったという。

 ベートーヴェンのSQは、ひたすら巨大化し、複雑化したが、最後は基本にかえった。初演時に「難解だ」と不評だった第13番の最終楽章など、後年、出版時に全面カットして「難解でない」楽章に書き換えたほどだった(当初の不評だった楽章が、《大フーガ》)。
 余計なことをせず、音楽をキチンとこしらえて、ひとびとに伝える――たった600人のために開催されたコンサートは、国民番組に対して音楽番組のあり方を示しているようだった。
<敬称略>

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2019.12.16 (Mon)

第261回 バリトン・サクソフォンによる《冬の旅》

冬の旅
CD シューベルト《冬の旅》全曲(バリトン・サクソフォン:栃尾克樹、ピアノ:高橋悠治

 2017年夏に聴いたユニークなコンサートが、いまでも忘れられない。シューベルトの歌曲集《冬の旅》全曲が「バリトン・サクソフォン」で演奏されたのである(バリトン・サクソフォン:栃尾克樹、ピアノ:高橋悠治/代々木上原ムジカーザにて)。
 通常、歌曲のコンサートであれば、聴衆には「ことば」(詩)、「旋律」(声)、「ピアノ」の3つの情報が届けられる。
 ところが、そのうちの「ことば」(詩)が、なかったのだ。

 《冬の旅》は、ヴィルヘルム・ミュラー(1794~1827)の詩集に曲をつけたもので、失恋した主人公の、さすらいの旅を描いている。失恋の経緯は詳細には説明されないが、2曲目〈風見の旗〉で、彼女は金持ちの男のもとへ走ったらしいことが示唆される。それだけに主人公の恨みや絶望感は格別で、ほとんどノイローゼ状態である。
 その後、第5曲〈ボダイジュ〉や、第11曲〈春の夢〉、第13曲〈郵便〉あたりで、若干、回復傾向も見られるものの、ショックは癒されることはない。〈カラス〉につきまとわれたり(第15曲)、イヌに吠えられたりして(第17曲〈村で〉)、最終的に、老いた辻音楽師の姿に共感し、「いっしょに行こうか」と自己を投影して終わる(第24曲〈ハーディ・ガーディ弾き〉。
 まるで彼岸をわたってあの世に旅立つかのようなラストである。

 この主人公の姿は、どこか、組織や社会に入り込めない現代人を思わせるところがある。そのせいか、《冬の旅》は、近代以降も常に演奏され、聴かれてきた。これほど隠喩に満ちた文学的興趣を誘う音楽作品は、めったにない。
 それだけに、「詩」を捨てて「旋律」のみで演奏することに、どれほどの意味があるのか、少々、不安を覚えながら会場へ向かった記憶がある。

 ところが、そんな心配は杞憂だった。高橋悠治による対訳が配布され、これがコンパクトながら、正鵠を射た訳だったのだ。

 たとえば、第8曲〈Rückblick〉は、よく〈回想〉〈かえりみ〉などと訳されるが、高橋は〈振り返る〉としている。第1連の4行は、次のように訳される。
「足裏がやける/雪と氷を踏んで/息もつけない/塔が見えるうちは」

 第14曲〈Der greise Kopf〉(霜雪の頭、霜おく頭)は〈白髪頭〉。
「霜が白い光を/髪に散らした/老人になったかと/よろこんだのに」「たちまち消えると/また黒い髪/この若さがこわい―/棺桶まで まだ道は遠い」

 通常、この数倍もの文字数を使って訳されるミュラーの詩が、これほどコンパクトに提示されることに、驚いた。高橋悠治のHPに、ドイツ語原詩との対訳で全編が掲載されているので、ご覧いただきたい。

 この演奏が、あらためてセッション録音され、先日、CD化された。もちろん、訳詞もライナノーツに収録されている。わたしたちは、その「ことば」(訳詩)を目で追いながら、「ピアノ」と「旋律」を聴くことになる。
 これは、なかなか知的な音楽体験になる。耳と目から、まったく別の情報を得て、脳内で一体化して「世界」が完成される、不思議な感動をおぼえるはずだ。

 もちろん、「ことば」を捨てた以上、演奏者たちは、あくまで「音」のみで勝負しているのであって、「詩」を理解する必要はないと提案しているのかもしれない。
 仮にそうだとすると、面白い発見もある。
 たとえば、ある一節を、おなじ音の連続で「うたう」箇所が、ときどきある。
 典型的なのは、第20曲〈道しるべ〉で、最後の第4連の一部は、ほとんど、同じ音の連続である。(原調版で)GとB♭が、8分音符を中心に、いつまでも繰り返される。これに「詩」が付いていればおかしくないのだが、「音」のみだと、どうしても変化に乏しくなる。しかし奏者の栃尾は、微妙なタンギングと息の変化で、ちゃんと「語りかける」のである。「詩」がなくとも、なにかを聴き手に伝えようとする演奏者たちの思いが、伝わってくる。《冬の旅》を「ことば」なしで演奏した理由が、なんとなくわかってくる。

 高橋悠治のピアノは硬質で無機質な美しさがあり、スコアを一歩下がって透視しているようなクールな感じがある。
 東京佼成ウインドオーケストラの団員でもある栃尾克樹のバリトン・サクソフォンは、一瞬、バスーンかと思わされる美しさである(タンギングや、キイ、タンポなどのノイズもほとんどない)。
 バリトン・サクソフォンは、ふだん、吹奏楽やジャズ・ビッグ・バンドで低音部を支えることが多い楽器である(ジェリー・マリガンのようなソロ奏者もいたが)。それが、これほどの表現力があることに、驚く。まさに現代人の疎外感をあらわすのにふさわしい楽器だったのだ。
 サクソフォンに携わっている方々はもちろん、原曲のファンにも、ぜひ聴いていただきたいディスクである。
<敬称略>

※12月22日(日)に、渋谷タワー・レコードで、発売記念のイベントがあるようです。詳細は、こちら。

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2019.12.11 (Wed)

第260回 佐渡&シエナの《エル・カミーノ・レアル》

佐渡シエナ文京
▲佐渡&シエナのコンサート・ツアー(上記写真は、12/24、文京シビックでのもの)


(前回よりつづく)
 今回の佐渡裕&シエナ・ウインド・オーケストラのコンサート・ツアーの曲目で驚いたのは、最終曲、アルフレッド・リード作曲の《エル・カミーノ・レアル》だった。
 実は、意外だったのだが、佐渡&シエナによる同曲演奏は、実演でも録音でも、今回が初めてなのである(他指揮者による演奏・録音はある)。
 
 《エル・カミーノ・レアル》とは、直訳すると「王の道」を意味する。かつてのスペインやポルトガルが、世界中に進出していった、そのルートのことだ。曲は、そんな怒涛の世界進出のイメージを幻想的に描いている。
 ただ、「世界進出」といえば聞こえはいいが、実態は「侵略」だったとも、よくいわれる。現に、『インディアスの破壊についての簡潔な報告』(岩波文庫)などを読むと、あまりの残虐ぶりに、吐き気を催しかねない(そもそもこの本は、南米現地に赴いた聖職者ラス・カサスが、これ以上、先住民を虐殺しないよう、母国スペインの皇太子に直訴した報告書である)。

 だが、「王の道」は、至福ももたらしてくれている。カリフォルニア・ワインなども、そのひとつだ。
 1542年、ポルトガル人のホアン・ロドリゲス・カブリヨが、現在のカリフォルニア州の最南西端、サンディエゴのあたりに漂着し、「王の道」のスタート地点を切り拓いた。
 1769年には、すでにスペインに支配されていた、お隣のメキシコから修道士たちが入り込み、道沿いに修道院を建設しながら、北へ北へと進んでいった。彼らは、土地土地でブドウを栽培し、キリストの血=ワインを生産することも忘れなかった。
 現在のカリフォルニアでワイン生産が盛んなのは、これがルーツなのである。
 
 この「北へ北へ」と伸びて行った道……これが「エル・カミーノ・レアル」と名付けられた道、つまり「王の道」である。現在では国道101号線となっているが、エリアによっていくつかの別名があり、その一部に、今でも「エル・カミーノ・レアル」の名が残っているのだ。
 作曲者リードは、おそらく、この国道名をヒントに、曲を書いたような気がする。

 「エル・カミーノ・レアル」は、日本にもある。神奈川・横浜の地に。ただし、それは「道」ではなくて「鐘」なのだが。
 サンディエゴと横浜は姉妹都市提携を結んでいる。そのサンディエゴから「エル・カミーノ・レアルの鐘」(ミッション・ベル)のレプリカが送られ、現在、山下公園内の噴水前に設置されている(「王の道」沿いに設置された修道院の鐘がモデルと思われる)。

 本稿の読者であれば、リードの《エル・カミーノ・レアル》がどんな曲かは、ご存じだと思う。1985年初演の名曲だ。特にフラメンコや闘牛を思わせるイントロ部分が有名で、2小節目でいきなりフェルマータとなり、それを乗り越えると3小節目から「4拍子」と「3拍子」が交互に登場する“乱舞”となる。
 冒頭のたった3小節で聴き手を取り込んでしまう手腕は、まことに見事だ。この出だしは「ホタ」という、スペイン東北部に伝わる3拍子の舞曲である(ファリャの《三角帽子》にも、ホタが登場する)。
 副題に「ラテン・ファンタジー」とあり、全編、徹底的に熱い、派手な楽曲である。

 これに、佐渡&シエナが初めて取り組むという。きっとスゴイ演奏になるだろう。
 前回もつづったように、今回のコンサート・ツアーは、CDシリーズ『ブラスの祭典』の発売開始20年の記念でもある。この人気シリーズに、新たな里程標が加わる、そんな1曲になりそうな気もする。
<敬称略>

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