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2021.09.21 (Tue)

第332回 マリヤ・ユージナとスターリン(4)

ユージナ4写真
▲(左)映画『スターリンの葬送狂詩曲』DVD、
 (右)同サントラCD(クリストファー・ウィリス作曲)


 英仏合作映画『スターリンの葬送狂騒曲』は、2017年に公開された(日本は翌年公開)。監督のアーマンド・イアヌッチは、もともとコメディを得意とするひとらしい。
 映画は、原作のユーロマンガ(BD=バンドデシネ)を、ほぼそのままなぞっている。まるでマンガがそのままシナリオになったようだ(実際に、当初のマンガ原作台本を参照して脚本化したらしい)。
 政治スリラーでありながら、全編に漂うコメディの香りは、演出の妙もあるが、原作のマンガ精神を再現することに徹した成果だと思う。
 ただ、映画そのものはブラック・パロディとして面白くできているが、ユーロマンガの映像化であることを理解していないと、ひとによってはバカバカしく感じるかもしれない。

 ここでユージナを演じているのは、ウクライナ出身のオルガ・キュリレンコである。映画『007 慰めの報酬』(2008)でボンド・ガールに抜擢され、一躍、世界に名を売った女優だ。
 さすがに本物のユージナのようなアクの強さはないが、気の強いピアニストをなかなかうまく演じていた。創作とはいえ、“スターリンを死に追いやった女”を演じるとは、ご本人も夢にも思わなかっただろう。

 そのキュリレンコが演じたマリヤ・ユージナによる“モーツァルトのレコード事件”も、映画では、原作マンガどおりに描かれている。そのためか、口うるさい評論家に「史実に誤りがある」と指摘され、ロシアでは一部で上映禁止になる騒ぎとなった。
 あらためて述べるが、“モーツァルトのレコード事件”は1947年の出来事で、スターリン逝去は1953年である。このユーロマンガ/映画は、2つの出来事を、1953年のある一夜に起きたことにして、ユージナの書いた手紙が、スターリンの脳内出血を引き起こしたことになっている。

 いうまでもないが、これは、ユーロマンガ作者(フェビアン・ニュリ作、ティエリ・ロバン画)による確信的な改変である。
 これについては、原作本に、ソ連史の専門家、ジャン=ジャック・マリーが〈解説〉を寄せている。
〈二人の作家は、(略)時には時系列的に事件の前後をずらしたり、展開の段階を縮めたり、あるいは、ある事件の出来事を別の事件に置き換えて、実際に起きた事件よりもより真実らしく見せている〉(小学館集英社プロダクション刊の同名原作本より、大西愛子訳)

 ユージナの手紙についても、
〈マリア・ユーディナの手紙は実在した。しかし、スターリンがその手紙を受け取ったのは1953年2月28日の深夜のことではない。この手紙がスターリンの致命的な発作を起こさせたわけではない〉

 ほかにも、いくつかの“改変”が指摘されているのだが、ストーリー作者フェビアン・ニュリは、同原作本のインタビューで、こう答えている。
〈私が加えたものはごくわずかです。例えば、時系列的に、ある場面をずらすこともしました。具体的な例で言うと、この作品の冒頭のコンサートのシーン、作品中では2人になっていますが、実際には彼らは3人の指揮者を使ったんです。2人目は酔っ払っていて使い物にならなかったんです。でも、3人入れるにはページが足りなかった。また彼らは1枚のレコードを作るために工場を一つ開けたのですが、これもカットしました。コンサートについての残りの部分は真実です。ただ、コンサートが行われたのはあの夜ではなかった。あの夜に行われるようにしたのは私の選択です〉

 そして、解説者のジャン=ジャック・マリーは、こう述べている。
〈バンド・デシネのカリカチュアは、真実について、並べれば何キロメートルにも及ぶ資料や記事、あるいは外交レポート、政治形態に左右されやすい歴史家たちの著作よりも、より正確な印象を与える〉
 この、マンガならではのカリカチュア精神が、映画では、なかなか面白く生かされている。
 
 なお、この映画は、音楽が抜群の面白さなので、特筆しておきたい。
 わたしは、映画を観ている間中、随所に流れる音楽が、まちがいなく、ショスタコーヴィチやプロコフィエフなど、スターリン体制に翻弄させられたソ連時代の音楽だと、思い込んでいた。ただ、どうも聴きなれない曲ばかりだったので、サントラCDを取り寄せてみた。
 すると、すべてがイギリスの若い作曲家、クリストファー・ウィリス(1978~)によるオリジナル音楽だったことがわかり、びっくりした。初めて聞く名前だった。
 いったい、なにものなのか、調べてみると、ディズニー・チャンネルの番組で活躍しているひとで、劇場用映画の音楽はこれが初めてだという。イギリスの王立音楽院を経てケンブリッジ大学に学び、スカルラッティの研究で博士号を取得したらしい。

 さすがにこの映画の音楽は注目を浴びたようで、小さな賞をいくつか受賞しており、海外のサイトではインタビューも多く受けている。
 そのなかで、こんなことを言っていた。
〈わたしは、この映画の音楽を、実際に1950年代に書かれた音楽であるかのようにしたかったのです。あの時代には、スターリンと非常に興味深い関係を持っていたショスタコーヴィチ、そして、あまり知られていませんが、ミェチスワフ・ヴァインベルクがいました〉(映画情報サイト「The Credits」2018年3月6日付インタビューより)
 なんと、この映画の音楽の元ネタの一つは、ヴァインベルクだったのだ!
(この項、つづく/敬称略)

□映画『スターリンの葬送狂詩曲』公式サイトは、こちら(予告編あり)。

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2021.09.12 (Sun)

第331回 マリヤ・ユージナとスターリン(3)

スターリンの死カバー
▲(左)ユーロマンガ『スターリンの死』原著、(右)その日本語版


 フランスのダルゴー出版社は1936年設立の老舗で、主に女性読者を対象とする出版社だった。その後、多角化を目指して変貌をとげ、いまではヨーロッパ有数の「バンドデシネ」(BD)グループとして成功している。
 BD(ベデ=バンドデシネ)とは、主としてフランス・ベルギーを中心とするユーロマンガ(ヨーロッパ産の漫画)の呼称で、文字要素が多くストーリー性の強い、絵物語に近いマンガをそう呼ぶ。英語圏では「グラフィック・ノヴェル」などとも呼ばれる。アメコミ(バットマン、アイアンマンなどのヒーロー物)とは一線を画し、文学的要素のある作品が多い。

 そのダルゴー社が2014年に刊行したBDが、Fabien Nury 作、Thierry Robin画による『La Mort de Staline』(スターリンの死)である。
 タイトルから想像できるように、これは、ソ連の独裁者・スターリン書記長の死と、その後継をめぐるドタバタぶりを描いた政治サスペンスである。絵も構成も真摯だが、マンガならではのカリカチュア精神もあり、コメディすれすれの内容になっている。
 日本語版は、2018年7月に、小学館集英社プロダクションから、大西愛子の訳で刊行された。ただし邦題は、(のちに述べる)映画邦題に合わせ、『スターリンの葬送狂騒曲』となった(以下、ネームの引用は、日本語版の大西訳による)。

 物語は、〈1953年2月28日 モスクワ・人民ラジオ局〉のスタジオからはじまる。
 スタジオでは、オーケストラとピアノによる演奏を生放送中だ。〈演目:ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト ピアノコンチェルト23番 ピアノソリスト:マリア・ユーディナ〉である。
(この曲では使用されない楽器が多数描かれているが、これは完全な誤り。編集・校閲のチェック・ミスだ)

 演奏終了後、ラジオ局長のもとへ電話が入る。
〈こちら書記長同志秘書室。今からきっかり17分後に56-719番に電話を入れるように。これは書記長同志の命令だ〉
 17分後、電話をしてみると〈スターリンだ。今夜のコンチェルトは非常にいい出来だった。録音が欲しい 明日、取りに行かせる〉
 ビックリ仰天した局長が、ディレクターに〈さっきのコンチェルトだ。録音はしたのか?〉
 だが返事は〈いいや、いつものように生放送だったからな〉
 局長〈おしまいだ。みんな死ぬぞ〉。そして、〈演奏家たちを押さえろ! 警備に連絡だ。誰も外に出すな!〉
 かくして、スターリンのために再演奏し、たった1組のレコードをつくることになるのである。

 だが、ユージナは、そうはいかない。
〈スターリンのためになんか弾かない (略)じゃあ、告発しなさいよ。むりやり弾かせようたって、そうはいかないわ!〉
 スタッフたちは、仕方なく、2万ルーブルのギャラを呈示し、ようやくユージナは応じる(高額で応じた理由は、あの「手紙」でわかる)。
 さっそく演奏・収録がはじまったが、緊張のあまり、指揮者が卒倒してしまう。
 急きょ、代理の指揮者が連れてこられて、なんとか無事に収録は終わり、レコードができあがる。

(この絵では、レコードは「1枚」なので、LPと思われる。複数枚の「SP」のはずでは、とも思ったが、「1953年」であれば、すでに米コロムビアがLPを開発していたし、ロシアでも1951年にはLPが出ていたそうだから「1枚」のLPでもおかしくない。ただし、前回書いたように、「1947年」のことだったとすれば、重いシェラック材のSP3枚ほどのセットでなければ、おかしい。ちなみに、複数あったソ連国内のレコード会社が、国営レーベル「メロディア」に統合されるのは1964年である)

 さっそくNKVD(内部人民委員部=KGBの前身)が、レコードを受け取りに来るが、ユージナは、このレコードの袋に、スターリンあての手紙を挟みこむ。
 局長〈なんてことを……お前のせいで全員殺される! 全員だぞ!〉

 レコードは、別荘のスターリンのもとへ。
 秘書が、〈中に手紙が入っていまして……ソリストの女からです。手紙の内容は誹謗中傷で、反革命的です。書いた者を逮捕しますか?〉と聞くと、〈いや、自分で処理する〉
 さっそくスターリンは、自室で、レコードをかける。
 そして、ユージナの手紙を読みはじめる。
〈親愛なるスターリン同志。これから昼も夜もあなたのために祈りを捧げます。人民と国家に対しあなたが行った重い罪を主が赦してくださるように。(略)演奏のやりなおしのためにいただいたお金は私の教区に寄付して教会の修復にあててもらおうと思います。〉
 前回までにご紹介した、あの手紙だ。
 スターリンは、脳内出血をおこし、床に崩れ落ちる。

 ここまでが約20頁。いわば「序章」である。
 さっそく、側近たちが集まって、物語が本格的に転がりはじめる。ベリヤ、マレンコフ、フルシチョフ、ミコヤン、カガノーヴィチ、ブルガーニン……いま60歳代以上の日本人にとっては、なつかしい名前だろう。この連中が、後継をめぐって、ドタバタを演じはじめる。
 ベリヤが外出する際に運転手を呼び出す〈フルスタリョフ、車を!〉のセリフは、映画ファンならばニヤリとするところだ。
(アレクセイ・ゲルマン監督の1999年の映画に『フルスタリョフ、車を!』がある)

 スターリンは、一時は意識を取り戻すものの、4日後に死去する。
 つまりこのユーロマンガは、「1947年」の”モーツァルトのレコード事件”を、「1953年」に起きたことにして合体させ、ユージナのあの手紙を読んだために、スターリンがショックを受けて脳内出血を起こした設定にしているのだ。
 バカバカしいと笑うなかれ、マンガだからこそできた”脚色”ではないだろうか。スターリンが、自ら許した”反逆者”に殺されてしまう……そんな皮肉な設定を考え出した、作者の構成術に感心させられた。
 そして、このユーロマンガ『スターリンの葬送狂詩曲』が、映画になった。
〈この項、つづく/敬称略〉

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2021.09.09 (Thu)

第330回 マリヤ・ユージナとスターリン(2)

ユージナCD2
▲(左)モスクワ音楽院レーベルのCD、(右)ドクロを愛したユージナ


 ユージナがスターリンのために弾いたモーツァルトの協奏曲第23番は、CD26枚組ボックス・セット『The Art of Maria Yudina』(SCRIBENDUM)のCD4に収録されていた。アレクサンドル・ガウク指揮、モスクワ放送交響楽団の演奏で、「1948年」収録とクレジットされている。
 「あれ?」と思った。
 いままでのレコードやCD、ネット上の記述では、「1943年」「1944年」など、さまざまに書かれてきた。ユージナは、そうたくさんのレコードを残したひとではない。おなじ顔ぶれで、おなじ曲を、そう何回も録音はしなかっただろう。

 わたしが持っている、2019年にリリースされた「モスクワ音楽院」レーベル(Moscow Conservatory Records)のCD(上掲左)も、おなじ顔ぶれで、音源としてもおなじだと思うのだが、こちらは「1947年6月9日、モスクワにてスタジオ録音」と細かくクレジットされている。このレーベルは、モスクワ音楽院の自主製作盤で、同院ホールでのライヴや、同院に縁のあったアーティストの音源を発掘リリースしている(ユージナは同院の教授だった)。
 よって、情報も信頼できるはずなのだが、ライナーノーツではなぜかこの音源についてだけ、詳しく触れられていない。単に「CD2の最後は、ユージナの代表作、ピアノ協奏曲第23番イ長調KV488の伝説的な録音である」としか書かれていない。
 まあ「代表作」「伝説的録音」とあるのだから、たぶん、「事件」の該当音源なのだろうが。

 指揮のアレクサンドル・ガウク(1893~1963)は、ムラヴィンスキーらとともにソ連楽壇の指導的役割を果たしたひとで、戦前にはレニングラード・フィルの常任指揮者もつとめていた。ショスタコーヴィチの交響曲第3番《メーデー》の初演指揮者でもある。ラフマニノフの交響曲第1番の楽譜を発見して蘇演したのも、このひとだ。
 そんな重鎮が、深夜に「三人目の指揮者」としてスタジオに呼び出されて、無理やり指揮させられたなんて話も、どうも妙な気がする(いや、「スターリンの指示」だったら、それくらい、ありうるか)。

 この演奏は、いかにもユージナらしい「質実剛健」な響きである。とにかく彼女の演奏はメリハリがはっきりしていて、パワフルなのだ。
 ロシア・ピアノ音楽の研究家でもあった佐藤泰一は、『ロシアピアニズム』(ヤングトゥリー・プレス、2006年初版→2012年新装第一刷)のなかで、こう書いている。
〈ユーディナは不思議なくらい聴衆の人気を保ち続けたアーティストだった。その秘密はまず、当時においては空前の、速くて確実で、十本のいずれの指もが鳴らす音色を独立に、かつ自在にコントロールできた、という彼女の技巧にあるに違いない〉
 23番の第2楽章のように、ゆっくりとしたテンポで、まるで敬虔な祈りを捧げるように弾いたかと思うと、第3楽章では(ピアノが先に演奏をはじめる)スピード感あふれる演奏で、オーケストラを引き連れて凱旋している軍楽隊のような迫力もある。
 このあたりが面白く感じられると、もう、おなじ曲をユージナ以外で聴いてもつまらなく感じてしまうのだ。

 スヴャトスラフ・リヒテルも、こう語っている。
〈モーツァルトの協奏曲イ長調(第二三番)とシューベルトの即興曲変ロ長調は、ユージナが弾いている。彼女のあとに弾く気にはなれない。ブラームスの間奏曲イ長調(作品一一八第二)もそうだ。弾いたらみっともないことになる〉(ユーリー・ボリソフ『リヒテルは語る』宮澤淳一訳、ちくま学芸文庫)
 ほかにも、リヒテルが回想するユージナ像はまことに面白い。ショスタコーヴィチの『証言』同様、この回想記でも、とにかくユージナの思い出話ばかりが出てくる。どちらも、時折「ユージナの評伝」を読んでいるような錯覚を覚えるほどだ。よほど強烈な女性だったのだろう。
 たとえば、バッハの《平均律クラヴィ―ア曲集》第2巻、第22番について。
〈この前奏曲は、マリヤ・ユージナが前代未聞の速さで弾いたのを覚えている。それもマルカートで、あらゆる規則に逆らってね。あれに較べたら、グールドなんてかわいいものだよ〉
 そして、
〈いちばん印象的だったのは、リストが書いたバッハの主題による変奏曲だ。カンタータ第一二番の《泣き、嘆き、悲しみ、おののき》から主題が取られている巨大な作品で、天才的な演奏だった。とどろきわたるのではなく、心に染みいるような演奏で、ピアノ曲というよりは、ミサ曲を聴いているようだった。ユージナは、まるで儀式を執り行なっているようにピアノを弾いた。祝福するように作品を弾くのだ>
 この曲は、BOXセットにも収録されている。たしかに名演で、なるほど、リヒテルはうまいことを言うなあと、感心する。

 だが、この回想には誰もがおどろくだろう。
〈髑髏をかたわらに置いて、ハムレットのようなポーズを取っているユージナの姿が目に浮かぶ。そういう写真が残っている〉
 実際、ユージナは、ドクロが好きだったらしい。まあ、ドクロを愛好したピアニストなんて、彼女ただひとりだろう。
 冒頭に掲げたCDジャケットの写真(右)が、それだ。

 そんなユージナの、「モーツァルトのレコード事件」を題材とするバンドデシネ(フランス・ベルギーを中心とするユーロマンガ)が2014年にフランスで刊行され、すぐに映画化された。 ご覧になったかたも多いだろう、『スターリンの葬送狂騒曲』である。
 なんとこのバンドデシネ/映画では、スターリンの死因が、あの、ユージナが書いた「手紙」のせいになっているのだ。
〈この項、つづく/敬称略〉

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2021.09.07 (Tue)

第329回 マリヤ・ユージナとスターリン(1)

ユージナCD1
▲マリヤ・ユージナのCD26枚組BOX-SET


 銀座の山野楽器本店は、現在、3階以上のみにスペース縮小され、表通りからは店の様子がわからなくなってしまった。そして今度は、西武池袋店も、8月いっぱいで閉店した。
 寂しくなるなと思って、閉店前のワゴンセールを覗いていたら、マリヤ・ユージナのCD26枚組ボックス・セット『The Art of Maria Yudina』(SCRIBENDUM)が6,000円で売られていた。以前から欲しかったのだが、店によっては10,000円近かったので(ヤフオクでは、一時、なぜか27,000円!)、迷っていたのだ。もちろん、思い切って買ってしまった。

 マリヤ・ユージナ(1899~1970)は、ソ連の大ピアニストである(表記によっては「ユーディナ」もあり)。「女傑」とか「反体制ピアニスト」などと呼ばれたが、いちばん知られているのは「スターリンのお気に入りピアニスト」だろう。終生、ほとんどソ連を出なかったため、西側社会で認識されたのは、ずいぶんあとになってからだった。

 彼女の名を一躍有名にしたのが、のちに偽書とされた、ヴォルコフ編『ショスタコーヴィチの証言』(英訳原著=1979年刊、邦訳=中央公論社1980年刊→中公文庫/絶版)だった。
 ユージナとショスタコーヴィチは、ペトログラード音楽院での同級生だった。そのユージナが、この本では準主役級の存在感で登場するのだ。
 読んでいると、ショスタコーヴィチは、ユージナに対し、ピアニストとしては尊敬していたものの、人間的には複雑な印象を抱いていたようだ。しかしとにかく、あまりにも強烈なエピソードがえんえんとつづくので、一躍、音楽ファン以外にも知られる存在となった。

 いちばん有名なのは「モーツァルトのレコード事件」だが、上記『証言』がインチキ本だとの説も強いので、同じエピソードを、あえて、ほかの本からの引用で紹介しよう。『ミハイール・バフチーンの世界』(カテリーナ・クラークほか著、川端香男里ほか訳/せりか書房、原著1984年、邦訳1990年刊)のなかの一節だ(ユージナは、哲学者バフチーンと親しく、一種の”文学仲間”だった)。
 あるとき、スターリンがラジオを聴いていると、ユージナのピアノ独奏による、モーツァルトのピアノ協奏曲第23番K.488が流れていた。もともとユージナのファンだったスターリンは、
〈すっかり気に入って放送局に電話し、そのレコードを送ってくれと頼んだ。放送局では上を下への大騒ぎとなった。というのも、それはレコードではなく生演奏だったのだ。即刻スターリンのために一枚制作することになった。ユージナとオーケストラの団員全員がスタジオに召集された。指揮者はすっかりあがってしまい、降されたが、交替した指揮者も似たようなもので、三人目の指揮者でようやく録音することができた。その間じゅう、ユージナは落ち着き払っていた〉

 翌日、徹夜で制作された、たった1組のSPレコードがスターリンのもとへ届けられ、ユージナは多額の謝礼をもらった。するとユージナは、スターリンに、こんな礼状をおくった。
〈「お金は私が所属している教会に寄付してしまいました。私は昼も夜も貴方のために祈り、貴方がこの国と国民にたいして犯した大いなる罪を許して下さるよう神に乞いましょう」と書いた。すぐに逮捕されるに違いないと誰もが思ったが、スターリンは、神学校時代からの名残りで教会関係者には弱かったからであろう、ユージナには手出しをしなかった〉(『ミハイール・バフチーンの世界』より)

 ユージナはユダヤ人だったが、はやくからロシア正教に改宗し、熱心な信者だった。いうまでもなく、スターリンの時代、宗教は弾圧され、教会は財産没収されたり、破壊されたりしていた。それだけに、ユージナの態度は本来ならば即逮捕、銃殺のはずだが、スターリンは無視していたという。
 あまりにおもしろおかしい作り話に思えるが、どうも、真実らしい。ロシア文学の大家、武藤洋二の『天職の運命 スターリンの夜を生きた芸術家たち』(みすず書房、2011年刊)のなかに、こんな一節があるのだ。
〈ユージナの甥ヤーコフ・ナザーロフは、手紙の内容についてマリーヤおばさんから直接きいている。彼の証言では、ユージナは、心くばりと音楽への関心に感謝したうえで、スターリンが国民にもたらした全ての悪の赦しを神に祈ってもらうために謝礼の一部を修道院に送った、と書いたのである〉
 
 もっとも、たとえば、ショスタコ―ヴィチも『証言』のなかで、
〈ユージナは立派な人で、善良な人ではあったが、その善良さにはこれ見よがしなところがあり、そのヒステリー症は宗教的なヒステリーであった〉
 と書いているし(もちろん、この部分も編者の創作かもしれないが)、前出『バフチーンの世界』でも、
〈ちゃんとした身なりをしないことも、周囲の人びとの怒りを買った。一九二〇年代のある演奏会の折、いつも家で履いている大きな毛皮の室内履きのまま会場に来てしまった。切符売場の係員がコンサート用の靴を貸してくれたのだが、あまりに履き心地が悪いので、ピアノの下に放り出してしまった。聴衆は、ユージナが裸足でペダルを踏むのを見て仰天した。(略)父親譲りの古いレインコートを着てベレー帽をかぶり、テニス靴を履いていた。いつでも何か考えごとをしていたので、誰かの家を訪れるとかならず身につけていた物を何かひとつ忘れるのだった〉
 などと書かれている。

 前出『天職の運命』でも、
〈後年ライプツィヒを訪れたさい、バッハがオルガン奏者として働いていた聖トーマス教会の入口で、彼女は、バッハへの深い敬意から靴をぬぎ裸足で中に入った〉
 とある。どうも裸足がお好きだったらしいが、おそらく周囲は、ユージナを「奇人変人」と見ていただろう。そういう点を、スターリンも承知していて、「どうせ変人だから」と、すこしくらい逆らっても、気にしなかったのかもしれない。
 それどころか、こんな話まであるのだ。
〈噂では、スターリンが死んだとき、彼の別荘にあった電蓄のターンテーブルにはユージナが録音したモーツァルトのレコードが載っていたという。この話が実話かどうかはかなり怪しいが、少なくとも、ユージナが当時のインテリゲンツィアの想像力の中でどのような地位を占めていたかを雄弁に物語ってはいる〉(『ミハイール・バフチーンの世界』より)

 スターリンは筋金入りのユージナ・ファンだった。
 そのモーツァルトの23番が、冒頭で紹介したBOXセットのCD4に収録されているのだが……。
〈この項、つづく/敬称略〉

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2021.08.30 (Mon)

第328回 ”タリバン映画”『神に誓って』

神に誓って
▲パキスタン映画『神に誓って』国際版ポスター


 アフガニスタンで、タリバン政権が復活した。アメリカ軍の撤退開始後のことで、世界中が「だから言わんこっちゃない」と呆れた。当初は無血開城だったので、タリバンも変容したかと思われたが、やはり、自爆テロや爆弾攻撃が発生し、ふたたびアフガニスタンは血に染まっている。

 過去、タリバンを題材にした映画は、いくつかあった。
 少女が男装してタリバン少年キャンプで生き抜く『アフガン零年』(セルディ・バルマク監督、アフガニスタン=日本ほか合作、2003年)。
 タリバン政権崩壊後もつづく女性差別の下、ロンドン五輪女子ボクシング出場を目指す女性を追ったドキュメント『ボクシング・フォー・フリーダム』(ホアン・アントニオ・モレノほか監督、アフガニスタン=スペイン合作、2015年)。
 タリバンに逮捕された父を探しに、髪を切って男に化ける少女を描くアニメーション『ブレッドウィナー』(ノラ・トゥーミー監督、アイルランドほか合作、2017年)。
 どれも、人間性どころか女性であることも否定するタリバンの恐ろしさと、それに抵抗する姿を描いて感動的だった。

※『ブレッドウィナー』は、いまや世界を席巻しつつあるアイルランドのアニメ制作会社「カートゥーン・サルーン」の作品。

 だが、わたしが寡聞ながら観てきたタリバンにまつわる映画で、次に紹介する以上の作品は、ないと思う。
 いや、“タリバン映画”であるなしにかかわらず、ここ20年ほどの間に観た海外映画のなかで、何本かの指に入る衝撃を受けた作品。
 それが、パキスタン映画『神に誓って』(ショエーブ・マンスール監督、2007年)である。原題は『Khuda kay Liye』(お願いだから)、海外では『In The Name of God』のタイトルで公開された。製作国パキスタンのほかインドでも公開され、社会現象なみの大ヒットとなった傑作である。
     *****
 パキスタン北部の町に住む、仲のよい兄弟、兄マンスールと、弟サルマド。西洋のポップ・ミュージックを愛好し、デュオを組んでいた。やがて兄は正式に音楽を学ぶため、アメリカのシカゴへ留学する。
 ところが、弟は、ひょんなことから極端なイスラム原理主義に傾倒するようになり、西洋音楽を否定しはじめる。挙句、タリバンに加入し、アフガニスタンへ・・・。
 シカゴに行った兄は、充実した留学生活をおくっていた。アメリカ人のガールフレンドもできた。そこに「9・11」が発生。過激派の弟をもつマンスールはアルカイダとの関与を疑われ、FBIに拘束されてしまう。そして、悪名高いグアンタナモ収容所へおくられ、拷問にあう。

 この兄弟の物語と並行して、彼らの従妹でロンドン在住、パキスタン人女性、マリヤムのドラマが描かれる。
 女子大生のマリヤムには、結婚の約束をしたイギリス人青年の恋人もいる。だが、カフェを経営する父親は、実はバリバリのイスラム原理主義者。自分はかつてイギリス人女性と結婚していたのに、娘が西洋人と結婚することは絶対に許せない。
 すると、なんとこの父親は、パキスタンへ里帰り旅行に行くと見せかけて娘を連れだし、国境を越え、アフガニスタンのタリバン支配の村へ連行、拉致監禁してしまうのだ。それどころか、従弟の青年(上述兄弟の弟サルマド)と、強制結婚させる。何度か脱出を試みるマリヤムだが、うまくいかない。そのうち、無理やり妊娠させられ、女子を産む。
 やがて、マリヤムの安否を憂える周囲のひとたちが、イギリス政府を動かし、マリヤムは救出される――普通の映画だったら、ここで終わりだろう。イスラム社会と、西洋(キリスト教)社会との共存がいかに難しいか、十二分に描かれている。

 だが、この映画がすごいのはここからで、(この点が大ヒットした理由でもあり、わたしが推すポイントでもあるのだが)、救出されたマリヤムは、父親と夫(強制結婚させられた従弟)を告訴するのだ。それも、西洋ではなく、母国パキスタンの法廷に引きずり出すのである。男尊女卑のイスラム社会では考えられない行為である。
 ここは、ほとんど「宗教裁判」。今回の事態は「アラーの教え」どおりなのか、音楽はイスラム教にとって悪なのか。穏健派と原理派(弟サルマドをタリバンに引き入れた宗教家)が、すさまじい論争を展開する。
 いままでに法廷を舞台とした映画は数多くあったが、これほど異色、かつ迫力満点の裁判シーンはない。

 果たして、法廷はどのような裁きを与えるのか、マリヤムはタリバンから解放されるのか。FBIに拘束された兄マンスールは救出されるのか。
 自国にいれば過激な原理主義に取り込まれ、欧米では犯罪者あつかい。愛するひとと普通に結婚もできず、女性は父親の独断で人生を左右される。地球上で行き場のないムスリムの窮状を、この映画はエンタテインメントの形で見事に描き出している。出演俳優たちも美男美女ばかりで、見栄えも十分だ。

 劇中、シカゴの音楽学校に留学した兄マンスールが、実習発表で、母国の音楽をピアノで弾くシーンがある。聴きなれない音楽に戸惑うクラスメートたち。だが次第に、なにかを感じ始めて、一人二人と演奏に参加し、やがて教室中で大合奏になる。
 ここは(少々劇画風ではあるが)なかなか感動的で、忘れられない名場面である。
     *****
 というわけで、ぜひ多くの方々に観ていただきたい――といいたいのだが、残念ながら、そう簡単に観られる映画ではない。
 わたしは、渋谷のユーロスペースで毎年開催されている「イスラーム映画祭」や、国立映画アーカイブなどで2回観ているが、それ以外は、特別な上映会や映画祭でもないかぎり、まず、機会はない。

 わたしの記憶ちがいかもしれないが、上映可能なプリントは(オリジナル・ネガも?)もはや製作国にもどこにもなく、日本の「福岡市総合図書館フィルムアーカイヴ」所蔵の1本しかないような話を聞いたことがある(この映画は、「アジアフォーカス・福岡国際映画祭」が初めて日本に紹介した)。
 わたしが観たのもそのプリントだと思うが、褪色がすすみ、かなり傷んでいた。以前にイスラーム映画祭で解説してくれた麻田豊氏(元東京外国語大学准教授、この映画の字幕監修)によれば、本来、もっと美しい色彩の映画だそうだ。

 海外版DVDはあるが、版権の関係で、劇場上映には使用できないという(合法的なアップロードなのか不明だが、このDVDは、全編をYOUTUBEで観ることができる=下記。もちろん日本語字幕も、英語字幕もないが)。
 欧米の製作・配給会社がかかわらない映画には、このような扱いを受けるケースが多い。

 わたしは、せいぜい数十本しか観ていないが、イスラム圏の映画の面白さ、深さを知ると、欧米のマーケティング戦略とマニュアルでつくられたような映画は、バカバカしくて観る気がなくなる。
 誰か、パキスタン映画『神に誓って』を、“救出”してくれないだろうか。

『神に誓って』予告編は、こちら
『神に誓って』全編映像、こちら(約2時間50分。字幕なし)
  ※非合法なアップロードだった場合、途中で閲覧不能になる可能性があります。
   本文で紹介した合奏の場面は54分過ぎから。

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 全国大型書店、ネット書店などのほか、TKWOのウェブサイトや、バンドパワー・ショップなどでも購入できます。
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◆「富樫鉄火のグル新」は、吹奏楽ウェブマガジン「Band Power」生まれです。第132回以前のバックナンバーは、こちら。

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