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2020.08.07 (Fri)

第290回 「非常勤」はつらいよ

リモート写真
▲リモート体制のパソコン


 こんなわたしでも、もう20年近く、大学で非常勤講師なんてことをやっている。もちろん、今年度の前期は、他の多くの大学同様、登校禁止なので、リモート(遠隔)授業である。

 リモート授業には、ほぼ3種類ある。
【A】オンライン授業……Zoomなどで教員と学生をつなぐ、リアルタイム授業。
【B】オンデマンド授業……動画授業を、YOUTUBEなどで配信。学生は好きな時間に受講(視聴)する。
【C】課題送付授業……授業内容を、レジュメもしくはパワーポイント画像などで送信し、学生はそれを見る(読む)。

 どのシステムでも、毎回「課題」を提出し、双方向的な授業にするよう、大学側から強くいわれている。しかも、たとえば「事前学習30分」「オンライン/オンデマンド授業30分」「課題作成30分」などにして、90分の対面授業と同格にしろという(学生からの「学費減免」要求を退ける理由のひとつにするためもありそうだ)。

 課題などのやりとりは、Googleがクラウド上に公開している教育システム「Classroom」を使う。ここに、わたしの教室を開設し、出欠確認や資料配布、課題提出・返却・単純採点などをおこなう。アンケートや、リアクション(感想や質問)なども、自動的に整理してグラフ化してくれる。さすがは、機能優先のアメリカ産システムだと感心するが、肝心の“動画作成”は、一筋縄ではいかない。

 わたしの場合、上記【B】のオンデマンド授業なので、ワンテーマ15~20分の動画をZoomで3本作成し、YOUTUBEで限定配信している(パソコンで長時間動画を集中して観るのは苦行なうえ、収録後の編集がたいへんなので、3本に分けている)。
 わたしは、昼間は本業があるので、作業は、帰宅後、深夜におこなう。
 動画は、本来の時間割りに合わせ、(土)午前中に配信している。そのためには、まず(水)夜までに資料を収集整理し、PDFやパワーポイントなどに加工する(約2時間)。
 それらを事前学習用の資料にまとめ、(木)昼に学生に送付。夜に撮影収録と編集をおこなう。リハーサルというほど大げさなことはやらないが、それでも、ざっと一度通してから撮影し、出力して編集する(約2~3時間)。
 よく「休日にやればいいのに」といわれるが、私の授業では、直近のニュース解説があるので、(土)(日)に撮影収録したのでは、配信まで1週間空いてしまい、最新情報を盛り込めない。だから(木)深夜の収録がギリギリのリミットなのである。
 そして(金)昼にYOUTUBEへのアップ作業(約1時間)、リンクURLを学生に送付……要するに、3日がかりだ。
 これとは別に、毎日、上記「Classroom」で、課題の出題・提出やリアクション収集、質問への回答などをおこなう。

 最初のうちは、初めての体験で、それなりに新鮮だった(ひとりでブツブツ話しているので、家人が不審に思い、のぞきに来た)。だが、さすがにこの作業が10週を超えた頃には、目はショボショボ、腰はガクガク、悲鳴をあげはじめた。先述のように、わたしは専任教員ではないので、本業を終え、帰宅後に深夜作業でこなすしかない。もう、ヘトヘトだ。休日にウォーキングに出る気力もなくなった。

 出費も想像以上だった。パソコン内蔵のカメラやマイクでは、鮮明な映像・音声にならないので、Webカメラやピンマイク、動画編集ソフト、最新型のプリンタも購入した。
 さらに、部屋のエアコンが古くてガタついており、まさか汗だくハダカで動画に出演するわけにもいかないので、無理して買い替えた。
 世知辛いことをいえば、連日の深夜作業における電気代や通信代も、バカにならない。
 これで「1カ月の講師料」は、いままで同様、「東京~新大阪の新幹線指定席・往復代」とほぼ同額なのだから、泣けてくる。

 学生も、朝から晩まで、室内で黙々とパソコンに向かって動画を観たり、課題を送ったりで、これでは神経をすり減らして当然だ。しかも、学食も図書館も使えないのだ。
 わたしの授業は2年生以上の履修だからまだいいが、新入学の1年生は気の毒だ。彼らは、まだ一歩も大学構内へ入ったこともなく、同級生や教員の顔も、直接に見ていない。「学費を減免してほしい」といいたくなる気持ちもわかる。

 ところが、新聞などでは、このリモート授業がコロナ禍で定着し、しかも、なかなかいいものであるかのような論調が、チラホラと目につく(特に小中高の先生の多くは、リモート授業を賞賛している)。これからの時代は、対面授業とリモート授業を組み合わせることが重要らしいのだ。
 だが、喜ばしく思っているのは、「専任教員」である。彼らは、これが「本業」だ。しかし「非常勤」は、本業の合間にこなしているのである。たとえば、わたしの勤務校には、約400人の非常勤講師がいる。わたしは1校のみだからいいが、多くの講師は、複数の大学をかけもちしているはずだ。彼らの労苦は、想像するだにゾッとする。

 小中高は、どこも学校ぐるみでリモート・システムに取り組んでいる。だが、(少なくともわたしの勤務する)大学では、そうではない。春に、簡単な説明レジュメが送られてきただけだ。しかも、その中身は、YOUTUBEで山ほど公開されている「動画の作り方」「Zoomを使った授業方法」といったガイド動画の存在を示唆し、あとはそれを見て自由にやれといわんばかりである。
 そういえば、いま、この非常時に、事務局は夏休みで閉まるという。前期授業は、(GW明けから始まったので)8月末までつづいているというのに、なんとも浮世離れしたありさまだ。

 昨年度までは、毎週、教員控え室で、語学カセットテープ&ラジカセの準備をしている外国人の老婦人講師と一緒だった。彼女は、果たして、このリモート授業をこなせているのだろうか。
 そんなことを考えていたら、昨日、大学から「Classroom」経由で通知が来た。
 後期も、このままリモート授業で通す旨が、サラリと、当然のことであるかのように書かれていた。
 妙な表現だと思っていたコトバ「心が折れる」を、初めて実感した。

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2020.07.27 (Mon)

第289回 市松模様

千駄ヶ谷駅前
▲静まり返る、千駄ヶ谷駅前の「東京体育館」。
  東京五輪で卓球の会場になるはずだった。


 7月21日、東京・千駄ヶ谷にある国立能楽堂へ行った。
 日本芸術文化振興会が運営する6つの国立劇場(国立劇場、新国立劇場、国立演芸場、国立能楽堂、国立文楽劇場、国立劇場おきなわ)のなかで、比較的早く、主催公演を再開させたようなので、どんなふうに上演しているのか、気になったのだ。
 ひさしぶりで、JRの千駄ヶ谷駅に降りて驚いた。少々薄暗かった駅舎が、ピカピカに改装されていた。
 ここは、国立競技場の最寄り駅なのだ。

 能楽堂に着くと、入り口で検温、手の消毒。
 場内スタッフは、全員、マスク、フェイスガード、手袋を着用。
 座席配置は映画館などと同様、市松模様で、最前列は売り出しナシ。
 謡は覆面を着用。
 公演中もドアは開け放し。庭に通じるガラスドアも全開放で、廊下には扇風機が置かれ、随所で蚊取り線香が炊かれている。外気や蚊取り線香の香りが微かに客席に流れ込んできて、なんとなく「薪能」の気分である。
 ふと見ると、前の座席の背もたれにある「字幕表示機」が、一新されていた。前は、たしかボタンで操作していたが、いまはタッチパネル式で、なんと「6か国語」が表示できるようになっている。
 終演後は「密」防止のため、正面→脇正面→中正面の順で、スタッフの指示に従って客席を出る。

 上演されたのは「国立能楽堂ショーケース」と題するもので、解説20分+狂言《萩大名》和泉流30分+休憩+能《猩々》金春流30分。計90分強で終了する、ミニ入門公演である。従来の普及公演ともちがう新しいスタイルで、明らかに外国人向けに構成されていた(口頭解説でも、ほぼ同じ内容の外国語字幕が出る)。
 チラシを見ると、7月20~26日にかけて、3種6公演の「ショーケース」がある。いうまでもなく、オリンピック開会に合わせた企画だったのだ。

 終演後、千駄ヶ谷駅に向かってトボトボと歩く。新型コロナ禍とあって、ひとの気配もまばらだ。
 駅の真向かいにある東京体育館は、本来、オリンピック/卓球の会場だった。おそらく、そのための一部改修が行われたようだが、それも中止になったのか、白壁に囲まれて立ち入り禁止となり、静まり返っていた。
 夜なので見えないが、その向こうに、国立競技場があるはずだ。
 本来なら、このあたりは、いまごろ、世界中から来た観光客や五輪関係者で、ごった返しているはずだった。もちろん、国立能楽堂で「ショーケース」を堪能する外国人もいただろう。
 そういえば、東京五輪2020のエンブレムマークも市松模様だったなあと思いながら、ガラ空きのJRに乗って帰った。

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2020.06.18 (Thu)

第288回 書評『ベートーヴェンの愛弟子 フェルディナント・リースの数奇なる運命』

かげはら
▲かげはら史帆『ベートーヴェンの愛弟子 
  フェルディナント・リースの数奇なる運命』(春秋社)


 今年はベートーヴェンの生誕250年のアニバーサリーである。だが、残念ながら、新型コロナ禍のせいで、コンサートやイベントは、ほとんど中止になってしまった。こんなわたしでさえ、関係する仕事が2~3あったのだが、すべてキャンセルとなった。
 それでも、沈静化したために、かえって渋く脚光を浴びたコンテンツもある。ノンフィクション『ベートーヴェンの愛弟子 フェルディナント・リースの数奇なる運命』(かげはら史帆、春秋社)も、そのひとつだろう。

 著者は、2018年10月に刊行された『ベートーヴェン捏造 名プロデューサーは嘘をつく』(柏書房)で音楽ファンをアッといわせたライターである。難聴だったベートーヴェンの会話帳に、秘書のシンドラーが、後年、あることないことを書き加え、“伝説”をでっち上げていく様子を、見事に描いていた。
 もっとも、会話帳捏造の事実は、すでに国際学会などで発表されており、これ自体は著者のスクープではない。だがこの書き手のすごいところは、学会報告に頼ることなく、会話帳現物に触れ、現地へも行き、捏造の過程をあらためて再現した点にあった。しかも、つい研究論文的になりがちな話を、適度にドラマチックな筆致を織り交ぜ、本来は相反する「エンタメ」と「研究」を、バランスよくひとつにまとめていた。こういうことのできる書き手は、なかなかいない。

 そんな著者が、第2弾に選んだ題材は、「ベートーヴェンの弟子」、フェルディナント・リース(1784~1838)であった。
 おそらく、よほどのマニアか、あるいはリースのCDを続々リリースし、4コマ漫画までWeb連載していたNaxosのファンでないと、知らない名前だろう。そして、前著の主人公が強烈な個性だったので、今回のリースも、よほど変わった人物なのだろうと思うかもしれない。だがその期待は、いい意味で裏切られる。彼の個性は、オビのコピーでうまく述べられている――〈歴史に埋もれた「楽聖の弟子」は、優しく気丈で冒険心にあふれた音楽家だった〉。いわゆる“とてもいいやつ”なのである。ただし、彼の生きた時代は、古典派からロマン派に至る“変革期”であり、しかもフランス革命と重なっていたため、必然的に荒波を泳ぎ切るような人生となった。

 リースは、宮廷音楽家の息子としてボンに生まれ、ウィーンに出てベートーヴェンの弟子となった。楽聖は、難聴に悩み始めてから、2人だけ、内弟子を取った。ひとりがピアノ教則本でおなじみ、カール・チェルニーで、もうひとりが、本書の主人公、フェルディナント・リースだった。
 ベートーヴェンのもとでは、ピアノのレッスンを受けるほか、マネージャー的な仕事もこなした。その後はピアニストとしてヨーロッパ各地をまわる。その日々は、ちょっとした冒険小説のようでもあり、また、トルストイ『戦争と平和』外伝のようでもある。

 ロンドン時代のリースについては、特に念入りに描かれる。当時、ロンドンでは、ヨハン・ペーター・ザロモンが活躍していた。ハイドンのプロデュースや、モーツァルトの交響曲第41番《ジュピター》の命名者としても知られる興行師である。ロンドン時代のリースは、彼を後ろ盾として、師ベートーヴェンの作品を広めることに奔走していた。ところが、1815年にザロモンが亡くなると、リースは彼の後継者的な立場を自認し、大陸から音楽家を招聘するのである。
 そのひとりが、ドイツのヴァイオリニストで指揮者、ルイ・シュポア(1784~1859)だった。リースの熱心な呼びかけに応じて、1820年2月、シュポアはロンドンへやってくる。本書中では<トルコ風の真っ赤なチョッキを着て颯爽と街に現れ、道ゆく人びとをざわつかせた>とある。ここを読んで、わたしはうれしくなってしまった。

 当時のヨーロッパではトルコ文化が大人気で、トルコ国旗を模したパン「クロワッサン」(三日月)や、トルコ原産の金属打楽器(シンバルやトライアングル)があふれていた。誰もが作曲したトルコ行進曲、モーツァルトの歌芝居《後宮からの逃走》、ベートーヴェンの《第9》第4楽章などがその典型だ。
 実はシュポアもトルコ風音楽を書いており、特に《ノットゥルノ》作品34は、おそらく現代では、“吹奏楽曲”の古典として知られている(東京では、2019年4月、東京佼成ウインドオーケストラが、第143回定期で、クラリネット奏者・指揮者、ポール・メイエの“吹き振り”で演奏している)。モーツァルトの《13管楽器》を思わせる管楽アンサンブル曲だが、副題に〈トルコ風軍楽〉と記されている。

 そんなシュポアがトルコ・ファッションでロンドンへやってきたという。実は彼は「棒」で指揮することを創始したひとでもある。このとき、初めて「棒」の下で演奏したオケ団員たちの様子も、本書では描かれている。
 シュポアの“棒さばき”はリースにも衝撃を与えた。1か月後の演奏会で、リースは「指揮者」としてデビューし、師匠の《運命》を指揮したのだが、このとき初めて、シュポアに倣って「指揮棒」を使ってみた。その結果がどうなったかは……本書をお読みいただきたい。
 なお、このときリースは、もうひとりの音楽家を、なんとしてもロンドンへ招聘したかった。師ベートーヴェンである。しかし、種々の事情で頓挫する。しかし、その結果、生まれたのが《第9》だった。

 そのほか、ロマン派誕生前夜が、真摯な筆致で、生き生きと描かれる。前著のシンドラーのような強烈個性こそないが、まじめに、一生懸命、師匠を信じて生きた生涯は、読んでいて、とても快い。そのうえで、あらためて彼の大量の作品群を聴くとき(ほとんどは、ナクソス・ミュージック・ライブラリーで聴取可能)、いままでよく知らなかったこの作曲家が、友人のように思えてくるだろう。
 リースは1838年1月に53歳で亡くなった。その5か月後に、彼の遺稿文が刊行された。『ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンに関する伝記的覚書』で、楽聖が難聴で悩む姿や、ナポレオン即位の報を聞いて激怒したとの有名挿話は、このなかで初めて描かれたという。没後、おそらく今日まで、リースの名は、この本の著者として有名だった。だがこれからは、そうではない。本書は「作曲家」リースの存在に光をあてた、「世界で最初」の伝記なのだから。

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2020.05.26 (Tue)

第287回 書評『まんが訳 酒呑童子絵巻』

まんが訳 写真


 前回の能・狂言の解説書のなかで、《道成寺》が紹介されていた。その「道成寺」伝説を驚くべきスタイルで取り上げる新書が出た。『まんが訳 酒呑童子絵巻』大塚英志監修/山本忠宏編(ちくま新書)である。

 詳しい方なら、書名や著者名から想像がつくだろう。これは、日文研(国際日本文化研究センター)が所蔵する「絵巻」を、場面ごとに拡大抜粋してコマ割りし、吹き出しを付け、「まんが」風に再構成したものである。素材は、書名でもある「酒呑童子絵巻」のほか、「道成寺縁起」、「土蜘蛛草子」の3本。
 これらのオリジナル絵巻は、日文研のサイトで無料公開されており、自由に閲覧できる。しかも、素晴らしい使い勝手の良さと精度である。だから、いまさら、鮮明度ではるかに落ちる、小さな新書判に印刷された「紙」で観る必要など、ないはずである。

 監修者・大塚英志は、巻末解説で、こう述べる。
<美術館や博物館で絵巻の展示を見ても専門家でない限り簡単に「読む」ことはできない>
 大塚は、従来からある「まんが・アニメの起源=絵巻」説に異議を唱えている(たいへん説得力ある論説だが、あまりに微に入り細に入るので、省略)。だが、現在のまんがは「映画的」手法が使用されており、この手法で絵巻を再現して、現代人に絵巻が「読める」ようにすることには意義がある。つまり、
<このような形式に置き換えると絵巻の、特に「絵」の情報として組み込まれた物語の機微を読み取ることができるはずだ>
 だから、書名には「まんが訳」とあるが、精神は「映画化」なのである。特に、「道成寺縁起」における清姫の微妙な指先、「土蜘蛛草子」での空を飛ぶドクロや、土蜘蛛の体内から出てくる1,990個の死人の首など、たしかに「映画」的にクローズアップされたことで、はっきり伝わってくるものがある(シャレコウベが可愛らしく描かれていて意外だった。むかしの日本人が、死者に対してどのような意識で接していたかがうかがえる)。

 さらに、このように再構成されたことで、絵=物語に、勢いが生まれているような気がした。
 わたしは、若いころ、劇画家のさいとう・たかを氏に、こんな話をうかがって、目からウロコが落ちた経験がある。
「コミックは、見開き2頁が、いっぺんに視野に入ってきます。だから、見開き2頁を基本にしてコマ割り構成をします。特に重要なのは、左頁下の最後のコマ。ここをどういう絵にするかで、頁をめくってもらえるかどうかが決まる」
「さらに、見開き2頁全体が、ノドから小口へ、つまり、真ん中から両外側へ広がるような絵柄、擬音配置を中心にします」
 ノドとは、見開き2頁の真ん中の部分。小口とは、頁の外側方向のことである。
 たしかに、『ゴルゴ13』の任意の箇所を見開き2頁で開くと、ゴルゴの銃口は、ほとんどが、小口に向かっている。右頁だったら右外側に向かって、左頁だったら左外側に向かっており、「ドキューーーーーーン」や「シュッ」などの擬音も、多くはノド(真ん中)から小口(外側)へ向かって描かれているのだ。車や飛行機も、ノドから小口の方向へ走ったり飛んだりしている絵柄が多い。
「これによって、コミックは、小さなコマの連続にもかかわらず、常に、外へ外へと大きく広がるような感覚を生むことができるんです。もちろん、こういうことを最初に考え出したのは、手塚治虫先生ですがね」

 わたしは、後年、アメコミの日本語版を編集したことがあるが、アメリカのコミックには、このような感覚は皆無だった。それどころか、リーフ(連載)では見開き2頁で1枚絵だった大柄の構図を、コミックス(単行本)化の際に、頁調整なのか、平気で真ん中で切って、P.3(左開きなので右頁になる)と、P.4(P.3をめくった左頁)に分割して掲載する、恐るべき編集を見たことがあり、さすがに呆然となった。

 実は、今回の「まんが訳」のコマ割り構成も、上述の”さいとう解説”に、かなり即している。ただし、絵巻は、すべて、右→左の一方通行である。物語は、常に右から左へ動いて行く。だから人物も、顔の多くは左向きに描かれ、安珍を追う清姫も右→左へ走るのである。日本の本は(活字でもまんがでも)縦組みならば、必ず右開きだ。右開きの本では、文章もまんがのコマも右→左へ流れる。だから、絵巻をコマ割りで再構成すると、自然と、コマ内の絵柄も、右→左の流れとなり、絵巻よりも、さらに方向が強調され、勢いのようなものが感じられるのである。
 試しに、上述、清姫の追跡シーンを、日文研サイトのオリジナル絵巻と、「まんが訳」再構成で見比べてほしい。クローズアップが多用されているせいもあるが、明らかに、後者に、現代的な勢いがあることがわかるはずだ。

 往時の絵巻作者は、もしかしたら、まだ当時はなかった「まんが」「映画」的なコマ割り手法の前兆を、自分でも気づかないうちに感じていたのではないか。そんな気にもなる、たいへん楽しい、知的な一冊だった。
<一部敬称略>

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2020.05.20 (Wed)

第286回 書評『教養として学んでおきたい能・狂言』

能狂言

 仕事柄、エンタメ系の入門書やガイドブックには興味があるほうだが、なかなか、これといった本には、お目にかかれない。
 特に代わり映えしないのが、歌舞伎、文楽、能・狂言といった邦楽舞台に関する入門書で、ヴィジュアルが写真かイラストか漫画かのちがい程度で、内容は、ほとんど同じだ。
 ……と思っていたところ、コンパクトながら、まことにユニークな能・狂言のガイドブックが出た。『教養として学んでおきたい能・狂言』(葛西聖司著、マイナビ新書)である。

 著者は元NHKアナウンサーで、現役時代から邦楽番組の名司会者として知られていた。定年退職後は、大学やカルチャーセンターで教鞭をとる「古典芸能解説者」として大活躍だ。わたしも、国立劇場などのトークに何度か接しているが、たいへんな詳しさとわかりやすさに加え、さすがの美しい滑舌・口跡で、これほど聴いて心地よい解説者は、まずいない。

 そんな葛西さんだが、すでに歌舞伎や文楽、能・狂言の解説書は何冊か上梓している。だが今回は「教養として学んでおきたい」と付いているところがミソである。読者層は社会に出て活躍している“大人”だ。若者や初心者に媚びるような筆致は一切ない。「本書を手に取る方なら、ある程度の基礎教養はおありでしょう」と言いたげである。しかし、その筆致に品格があるので、読んでいて嫌味を感じない。こういう文章で入門書を書けるひとは少ない。さすがに、全国放送で不特定多数の視聴者を相手にしてきただけのことはある。

 本書は、まず冒頭で、一般人が触れやすいと思われている「薪能」や「ホール能」(一般ホール公演)にダメ出しする。とにかく「能楽堂へ行け」と説く。
 いまの能楽堂は、室内にあるが、どこも木の香りであふれている。これについては、
<毎日の手入れ、掃除に水や油は厳禁、化学雑巾も使わない。からぶきや糠袋(ぬかぶくろ)などが原則で、日々使い込まれた美しさを保っている>
 わたしが知らなかっただけだと思うが、これには感動した。

 そして<第二章 能が始まります>は、驚くべき文章ではじまる。
<通常の入門書は第二章が「能の歴史」だったり「能の専門用語」だろうが、本書はいきなり鑑賞に入る>
 しかも、
<専門用語の説明は注釈をつけず、本文の中で軽く触れ、それを時折、繰り返すので、まずは実際の舞台や見どころを文字で味わっていただきたい>
 なんと、いきなり、具体的な演目をあげて解説するというのである。
 なるほど、するとおそらく、初心者向きの名作《安宅》《葵上》《道成寺》《土蜘蛛》、あるいは《鞍馬天狗》あたりが挙げられるのだろう……と思いきや、なんと、葛西さんが挙げたのは《国栖》(くず)である。しかも、ほかの演目はナシ。第二章は、《国栖》一本で行くのである。
 わたしは、60余年の人生で、能・狂言は、せいぜい十数回しか観たことがない。歌舞伎と文楽は、すでに生活の一部といっても過言ではないが、能・狂言は、そこまではいかない。よって《国栖》といわれても、なんとなく、そんな演目があったなあと感じる程度で、もちろん観たことはない。

 国立劇場(日本芸術文化振興会)のデータベースで検索してみると、2000年代に入ってから、国立能楽堂での《国栖》の上演回数は「5回」である。ほぼ4年に1回だ(もちろん、民間能楽堂での上演も入れればもっとあるだろうが)。
 著者自身も、こう書いている。
<《国栖》は、どの能楽入門書にも必ず載っているような有名曲ではない。なぜ解説する最初の作品に、あえてこの作品を選んだのか。この作品には能を楽しむ要素が満載だと思うからだ>
 こういうところが、並みの入門書とはちがい、あえて基礎教養のある“大人”を対象にしている所以だろう。わたしが編集者だったら「葛西さん、《国栖》なんて、めったに観られないでしょう。もっとポピュラーな作品にしてくださいよ」と文句をつけたと思う。だが、そうしなかった著者もすごいし、これを通した編集者もえらいと思う。
 もちろん、後段で、《国栖》以外の名作も、ちゃんと紹介される。ただし、その紹介の仕方が、これまた尋常ではない。特に《安宅》と《道成寺》の項を読んで、いますぐ観に行きたくならないひとは、まずいないだろう。いままでの入門書は、なんだったのかと、呆然となる。

 そのほか、本書の魅力を挙げだすときりがないが、もう一点だけ。
 この種の本には、「他人の言に頼らず、自分の目と耳でいいと感じることが重要だ」みたいなことが、よく書かれている。だが葛西さんは、ある意味で逆の主張を述べる。人間国宝、文化功労者、文化勲章などの「栄誉報道」に関心を持つことを薦めるのだ。そして記事中の「贈賞理由」に注意せよと説く。そのほか、評論家による能評を読むことも薦めている。
<なぜ、この人を能楽評論家や識者が褒めるのかを、みなさんは自分の目で、耳で確かめられる幸いを、味わってほしい>
 「自分の目と耳」の意味が、いままでの解説書とは、ちがうのである。


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