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2023.02.02 (Thu)

第377回 【映画紹介】 ジョスカン・デ・プレが流れる「信長」映画!

レジェバタ
▲映画 『レジェンド&バタフライ』

現在公開中の映画『レジェンド&バタフライ』のなかに、西洋のミサ(らしき不思議な野外儀式)の場面がある。その隅で、4人の修道士と思われる南蛮人が、ミサ曲を朗唱しており、信長が「悲しい謡(うたい)じゃのう」などとつぶやいている。
この音楽は、ジョスカン・デ・プレ作曲のミサ曲《デ・ベアタ・ヴィルジネ》(祝福された聖母/別名「聖母のミサ」)の〈キリエ〉である。
日本の時代劇映画に、ジョスカンがここまではっきり流れるのは、おそらく初めてではないか。

ジョスカン・デ・プレ(1450頃?~1521)は、ルネサンス期に活躍した、フランドル(現在のベルギー~フランス北西部)出身の教会音楽家。日本では、バッハを「音楽の父」と呼んでいるが、西洋では、ジョスカンのほうが、そう呼ばれている。「美術界のミケランジェロに匹敵する」(コジモ・バルトリ)とか、「ジョスカンはすべての音符を操る主人である」(マルティン・ルター)とまで称された、音楽史上の巨人である。
ほかに、ミサ曲では《アヴェ・マリス・ステラ》(めでたし、海の星よ)《パンジェ・リングァ》(舌よ、讃えよ)《ロム・アルメ》(武装したひと)などが有名だ。

彼の音楽は、その構成形式も内容も旋律も、あまりに美しく、見事だった。それまでのミサ曲は、各章の冒頭部を同一旋律で統一する「循環ミサ」が主流だった(宗派によって違いはあるが、通常のミサ曲は全5章構成)。ときには、その旋律を一般大衆の世俗曲から引用することもあった。

ジョスカン 合体
▲(左)ジョスカン・デ・プレ (右)ルネサンス期のミサ曲合唱風景(1枚の楽譜を囲んで歌う) 【出典:Wikimedia Commons】

ジョスカンは、これをさらに進めて、統一旋律を、各声部が少し遅れて歌い始め、複雑に絡み合いながら壮大な音楽になる「通模倣様式」を完成させた。複数の声部が、統一感のある旋律を、異なったタイミングで歌っているのに、美しく響き、ひとつの音楽になっている——これは、いまでいえばノーベル賞どころではない大発明だった。
この手法が、後年、ソナタ形式のヒントとなり、カノンになり、フーガに発展し、対位法となって完成し、ベルリオーズやフランクの「循環形式」になり、果ては、ワーグナーの「ライトモティーフ手法」にまでつながるのである。

果たして、信長の時代にジョスカンの曲が日本に入っていたのかは、はっきりしないようだが、少なくとも、1591年に、(前年に帰国していた)天正遣欧少年使節団が、豊臣秀吉の御前で、「ジョスカン・デ・プレの曲」を演奏したことは確からしい。ということは、すでに1582年に亡くなっていた信長が、生前にジョスカンの曲を聴く機会があっても、おかしくはないかもしれない(ちなみに、ジョスカンは、信長が生まれる20年ほど前に亡くなっている)。

もしそうなら、信長は具体的にジョスカンのどの曲を聴いたのか。この映画のように《聖母のミサ》を聴いたのか。
これもよくわかっていないらしいが、この「信長が聴いた西洋音楽」を想像再現するCDやコンサートは意外と多く、そこでよく演奏されるジョスカン曲が《はかりしれぬ悲しさ》である。もともとは4声の世俗曲で、日本では《千々の悲しみ》《皇帝の歌》などの別題でも知られている。というのも、上述の「秀吉が聴いた西洋音楽」が、この《千々の悲しみ》だとむかしからいわれており、だったら、信長も聴いたのでは、と想像されているようなのである。

ところで、映画で流れるミサ曲の吹き替えヴォーカルを聴いていて、あたしは、一瞬で、うたっている人たちがわかった。「ヴォーカル・アンサンブル カペラ」(VEC)のみなさんである。
実は、あたしは、VECの定期演奏会にずっと通っており、スーペリウス(高音部)の花井尚美さんの声の大ファンなのである。この世のものとは思えない、それこそ天上から降り注ぐような美しさで、すこし鼻にかかった甘い歌声は、まさに世界で唯一無二の声である。一度聴いたら、絶対に忘れられない。だから、映画を観て(聴いて)、すぐにわかった(実際、エンドロールにも名前が出ていた)。

VECは、ルネサンス宗教音楽を専門とするヴォーカル・グループで、ジョスカンのミサ曲全曲録音プロジェクトを進行させており、全9枚でそろそろ完結のはずだ。
彼らの演奏会は、音楽監督・花井哲郎さんの「ミサ曲は、教会のなかで、”典礼”として再現されなければならない」との考え方に基づいて開催される。だから会場は必ず「教会」であり(東京公演の場合は、多くが、目白台の東京カテドラル教会聖マリア大聖堂)、各章の前後に入祭唱や昇階唱などの「固有文」(いわば”お経”)が唱えられる。

もし機会があったら、ぜひ、「教会」で、VECの演奏会を経験していただきたい。
最初は慣れないかもしれないが、すぐに、ジョスカンの、そしてルネサンス期の作曲家たちの宝石のような輝きに、「もしかしたら重大な何かを聴き忘れていたのではないか」との思いを抱くはずだ。

なお、映画『レジェンド&バタフライ』本編や出演俳優については、特になにも言うことはない。

▢映画『レジェンド&バタフライ』公式サイト
▢VEC音楽監督・花井哲郎さんのブログ(映画撮影の裏話のほか、映画に流れたミサ曲が聴けます)  
▢ヴォーカル・アンサンブル・カペラ(VEC) 公式サイト
▢本コラムの第206回でも、VECの話題に触れています。

*1月28日に開催された、東京佼成ウインドオーケストラ第160回定期演奏会のプログラム解説を書きました。ここでPDFが公開されているので、お時間あれば、ご笑覧ください。
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2023.01.27 (Fri)

第376回 【新刊紹介】 家康も「どうする」なんて言ってられなかった、漫画のような秀吉の「能狂い」ぶり!

能楽史
▲『教養としての能楽史』(中村雅之) ちくま新書

あたしは、能・狂言は、せいぜい年に1~2公演くらしか行かないので、とても見巧者とはいえない。
ただ、仕事柄、入門書やガイドブックの類には興味があるので、その種の本には、時折目を通してきた。
最近面白かったのは、第286回でご紹介した、『教養として学んでおきたい能・狂言』(葛西聖司著、マイナビ新書)だった。
この葛西本の特徴は、本文でも述べたが、「能の歴史」のような章が一切なく、いきなり具体的な演目解説に入る点だった。
これに対し、本書は、全編が「能の歴史」である。しかも、書名に、葛西本とおなじ「教養として」が付されている。著者は横浜能楽堂の芸術監督だが、コンパクトな新書とはいえ、一冊まるごとを「能の歴史」で費やして、面白いのだろうかと、半信半疑で手にとってみた。

案の定、第一章「能の成立と世阿弥」は、若干”お勉強”調で、少々、退屈した。以後もこの調子なら、読むのをやめようと思った。
ところが、第二章「太閤の能狂い」に入るや、曇り空が一瞬にして晴れわたったような、抜群の面白さを醸し出し始めた。このまま、漫画化できるのではないかとさえ、思った。

いうまでもなく、太閤とは、秀吉のことである。秀吉が、茶道はもちろん、能が好きだったのは有名だが、では、その”実力”のほどは、どうだったのか。本書は、見事にその”実態”を暴いて見せる。

秀吉は、天正20(1592)年4月、朝鮮出兵の拠点となる肥前名護屋城に、茶室のほか、能舞台をつくらせる。そこで突然、お抱え役者を指南役に、能の稽古をはじめるのだ。
その様子を、側近が記録に残していた。あるものは、〈御年も漸耳順にちかからん。願は止め給ひなば、目出事になん侍らんと云もあり。又笑を含でさみ侍るも過半せり〉(お年も60歳近いというのに、できればやめていただきたく、ロクなことにならないと言うものもいる。また、つい笑って軽視するものも多い)と記しているそうだ。

その年、大坂へもどった秀吉は、徳川家康や前田利家を引っ張り出し、一緒に能を演じて、後陽成天皇に見せようと言い出す。〈素人が大々的に天皇の前で能を演じる(略)ということは前代未聞、驚天動地のことだった〉と著者は書く。

しかしとにかく、同年10月、御所の紫宸殿前庭に能舞台が設置され、「前代未聞、驚天動地」の、素人による「禁中能」が数日にわたって開催された。
秀吉は〈弓八幡〉などを、利家は〈源氏供養〉〈江口〉などを、家康は〈野宮〉〈雲林院〉などを、細川忠興は〈遊行柳〉などを演じ(させられ)た。

彼らは、狂言も演じ(させられ)た。秀吉・家康・利家の3名共演による〈耳引〉(みみひき)が上演された。この〈耳引〉とは、

〈いまはなく、どのような曲であったかは定かではないが、曲名からすると互いに耳を引っ張り合ったと想像できる。癇癪持ちの秀吉相手であったから家康と利家は、さぞかし戦々恐々だったことだろう。(略)/秀吉が演じた曲を見ると、神にまつわる「脇能」が多く、その他も皇帝や天狗、勝ち戦さの武将の霊が登場する曲が並ぶ。(略)天皇の前で、みずからの超人的な姿を誇示しようとしたのだろう。〉

なんと、家康と利家が、能舞台のうえで、(おそらく)「やるまいぞ、やるまいぞ」と、耳を引っ張り合ったようなのだ。すでに家康も「どうする」などと逡巡していられる状況ではなかったのだ。

ところで、秀吉の能役者としての出来栄えは、どうだったのか。
これがまた、すさまじく面白い記録が紹介される。当時のある鑑賞記によると、秀吉の名前の横に「ソエ声」(添え声)との注記があるという。

〈これは、謡が出てこなくなったときに教える役で、師匠の暮松の役目だった。役者でも年をとれば謡が出てこなくなることは珍しくはない。そのときは、舞台に向かって左手奥に座っている「後見」が教える。(略)あらかじめ「添え声」を用意しておかなければならなかったということは、秀吉がきちっと覚えていなかったということになる。〉

要するに、秀吉は、プロンプター付きで演じていたのだ。
また、ある批評記には、秀吉の〈弓八幡〉について〈仰太閤御能神変奇特也〉と書かれているらしい。直訳すれば「太閤殿下の能は、人智もおよばぬ不思議な状態である」との意味で、要するにどう評していいのかわからない出来栄えだったようだ。
その後、秀吉は、自らの生涯を謡曲化、つまり能にさせ、これまた天皇の前で上演しようとする。これらは「太閤能」と呼ばれ、〈明智討〉〈柴田〉〈北条〉など、全部で10曲ほどが生まれたという。こうなると、ほとんど、自らを英雄ジークフリートに仕立てた、ワーグナーの超大作《ニーベルングの指環》といい勝負である。

かように本書は、「能の歴史」の”実態”を、資料をもとに、実に面白く描いていく。このあと、武家式楽として成立する過程、明治維新で能を襲った事態などが描かれる。
そして著者は、むすびで、こう記す。

〈(能の)演者は観客を意識せずに演じ、観客は、それをただ受け止めるだけ。けして演者のほうからは寄ってくることはないから、「不親切な芸能」とも言える。(略)しかし現在、能は、ふたたび厳しい状況に置かれている。市民社会のなかで構築された「素人弟子=観客=プチパトロン」という構造が、崩壊しようとしているからだ。(略)では、いったい、どうしたらよいのか。/もし、能が、歌舞伎のように興行で命脈を保とうとし、観客である不特定多数の大衆の志向に合わせる道を歩んだとしたら、本質的な魅力は失われ、自己崩壊することは必至だ。〉

では、どうあるべきなのか。この先は、本書をお読みいただきたい。おそらく、これが本質ではないかと思われる、決めのひとことが、述べられている。

※本稿は、書評サイト「本が好き!」への投稿を改稿したものです。

◇『教養としての能楽史』(中村 雅之/ちくま新書)HPは、こちら
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2023.01.24 (Tue)

第375回 【新刊紹介】書評するには「全編引用」しかない、昭和初期の「快著」復刻!

欧米の隅々
▲『欧米の隅々 市河晴子紀行文集』(高遠弘美編/素粒社)


まず、これほどの「快著」が、戦前の昭和初期に出て、その後、ずっと忘れられていたことに、驚く。
さらに、それを、令和のいまになって発見し、復刻させたひとと版元が存在することにも、驚く。
本書は、渋沢栄一の孫にして、英語学者・市河三喜(1886~1970)の妻、市河晴子(1896~1943)が、1931(昭和6)年、夫の欧米視察旅行に同行した際の「旅行記」である。
(市河晴子については、文末=版元HPの略歴を参照)

だがその前に、本書を「復刻させたひと」(編者)=「高遠弘美」氏について。
この名前を見て、気づいた方も多いと思う。高遠弘美氏(1952~)は高名な仏文学者である。プルースト『失われた時を求めて』の個人全訳に挑んでいる(光文社古典新訳文庫)。
その仏文学者が、2013年に『七世竹本住大夫 限りなき藝の道』(講談社)を刊行した時も、驚いた。『失われた時を求めて』の刊行がはじまったころで、まさかおなじ著者が、文楽太夫の本を出すとは! 住太夫はあたしも大ファンだったので、さっそく読んだら、徹底的な正攻法ファンによる「追っかけ本」だった。プルーストと文楽が「同居」しているなんて、面白い書き手だなあと、感動してしまった。

本書は、そんな好奇心旺盛な仏文学者が、おなじく好奇心だけで成立しているような古書を神保町で発見し、たちまち魅了され(おそらく自分に通じるなにかも感じ)、そのほかの著書も渉猟・取材し、解説も加えて抜粋再構成したものである。

たしか小林秀雄だったと思うが、「書評」とは、その本の本質をもっともあらわしている「一文」を見つけることができれば、そこを掲げるだけで書評になる——といった主旨のことを述べていた記憶がある。
だとしたら、本書の「本質」は、全編だとしか、いいようがない。つまり、どこでもいいから目を閉じて、いい加減な頁を開いて指をさした部分を、そのまま抜き出せば、それだけで「書評」になってしまうだろう。
そこで、最初に偶然開いた頁から、ご紹介する。晴子は、パリで芝居を観た。

芝居は、最初見たテアトル・フランセの新派劇みたようなものは、お定りの愛人持った女が父のために成金に嫁いで、情夫が大金を損して、宝石を売って貢いで、大詰が、その愛人が室に入る、女が続こうとする、鍵がかかっている。中でドン。ヒロインがドアを叩いて泣く。幕。といったような紋切型な、日本で云えば今「浪子」をする位の中古るらしい物だが大入満員。切符売場に長蛇の列を作って睫毛をそくり反らして糊着けにした娘などが立ったままパクパクパンを食べていた。

「浪子」には編者注があって、「徳富蘆花『不如帰』のヒロイン」である。ちなみに上記引用部のあとには、抱腹絶倒の観客描写がつづく。
そのあとの頁も目に入ったので、ご紹介。

コメディ・フランセーズで見たカルメンは面白かった。熟んだ柿のように甘くベタベタしたカルメンだったが、これからスペインに行こうとしている私たちには、ふさわしい芝居で、これは二番目物の味。また次にテアトル・フランセで見たル・シッドは、同じくスペイン入りの下読みの感がありながら時代物、熊谷陣屋とか、実盛程度の古金襴の上下風な、中古的な重みや巾で、とりあわせが良くうれしかった。/ただオペラの男の嘆き方はあまり紋切型で、掌を上向きに拡げた両手と顎を前に突き出し、ヨタヨタと二三歩出て、その手をぐっと曲げて頭の髪をつかむ勢で、またヨタヨタと退る。そればかりで芸がないような気がする。

さて、次に開いた頁は、ウィーン滞在記だった。

ウィーンは老衰した都だ。(略)/オペラの立派さ、音楽家のモニュメント、ピヤノの製造場の広告、お寺、お寺、病院。だがその全てをうっすらと蔽っている憔悴の影が淋しい。もし都会の脇の下へ体温器が挟めるものなら、ウィーンは五度何分しかなかろう、何だか気魄の薄い都だ。

そして次は、スペインにおける闘牛観戦記だった。

ここで私に、思い切り牛を讃美させてくれ。何とまあ、ブルの力強さよ。終始、ただ満身の力もて真向に突っかかり、息絶えて事終る。寸分の恐れはおろか、迷いも疑いもなく、堂々たるその生き方、一万五千の観衆、外見的には牛を翻弄しつつある闘牛者をも含めて、この場内のすべての生き物の中で、彼の牛こそは最も尊いものに感じられた。むしろ、なまじの猿智恵に溺まれて、命の足取りしどろなる私たちへの面当てに、神の見せつけ給う直路邁進のお手本かとさえ疑われた。

枚挙に暇がない。これが、昭和初期に、三十歳代半ばの、(一応は)一介の主婦・母が書いた文章だと、信じられるだろうか。むかし風の芝居ッ気のある言い回しと、21世紀のいまでも通じるような現代的な感覚が、見事に一体化しており、それでいて、どこか突き放したような、クールなユーモアさえ漂っている。
あたしは、むかし、森茉莉の「ドッキリチャンネル」(週刊新潮連載)を初めて読んだ時の感動に近いものを感じた。

編者・高遠弘美氏は、巻末解説で、こう書いている。抄録作業は……

当初考えていたよりたいへんな作業であることが、始めてすぐにわかりました。晴子の文章にはムラがほとんどなく、採用したいところは次々に現れても、落としてもいいと思われる文章が見当たらないのです。(略)たいていが◎かせいぜい△で、積極的に×をつけたものはありませんでした。

あたしの今回の書評が、ほぼ引用で終わった理由が、おわかりいただけたと思う。そして、どういう本で、なにが書いてあるのか、これも、おわかりいただけたと思う。
さすがに「一文」とはいかなかったが、小林秀雄は正しかったのだ。
〈一部敬称略〉
※本稿は、書評サイト「本が好き!」への投稿を、一部改訂したものです。

◇『欧米の隅々 市河晴子紀行文集』 素粒社のHP

◆『東京佼成ウインドオーケストラ60年史』(定価:本体2,800円+税)発売中。ドキュメント部分を執筆しました。全国大型書店、ネット書店などのほか、TKWOのウェブサイトや、バンドパワー・ショップなどでも購入できます。限定出版につき、部数が限られているので、早めの購入をお薦めします。

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◆毎週(木)21時・FMたちかわ/毎週(土)23時・FMカオン(厚木・海老名)/毎週(日)正午・調布FM/毎週(日)・FMはなび(秋田県大仙市)にて、「BPラジオ/吹奏楽の世界へようこそ」パーソナリティをやってます。パソコンやスマホで聴けます。 内容の詳細や聴き方は、上記「BandPower」で。

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2023.01.19 (Thu)

第374回 【映画紹介】「映像の先を音楽化する」エンニオ・モリコーネの世界

モリコーネ
▲映画『『モリコーネ 映画が恋した音楽家』(ジュゼッペ・トルナトーレ監督)


年が明けて、まだ一か月も経っていないというのに、映画音楽ファンにとってメガトン級のプレゼントがやってきた。早くも、今年のベスト級ではないかと思われる映画だ。

これは、タイトル通り、映画音楽作曲家、エンニオ・モリコーネ(1928~2020)のドキュメンタリである。
生前におこなわれた長時間インタビューが中心で、自身が生涯と作品について回想するのだが、そこに、大量の映画本編、コンサート映像、楽譜、関係者・演奏者の解説などが、ほぼ「同時に」重なる。その編集が見事で、まるで戦後映画史を「音楽」の視点で見せられているようだ。並みの娯楽映画など吹き飛ぶ迫力である。

あたしの子供のころ、『荒野の用心棒』『夕陽のガンマン』などがよくTV放映されており、その不思議な音楽に、「面白い曲だなあ」と、おぼろげに感じたことを覚えている。
その後、『ウエスタン』『シシリアン』『わが青春のフロレンス』『死刑台のメロディ』『夕陽のギャングたち』『ペイネ 愛の世界旅行』『1900年』などで、モリコーネは稀代のメロディ・メーカーだと知った。

だがやがて、単なる映画音楽作曲家ではないことに気づく。きっかけは、1985年から翌年にかけて、毎月一回、NHK総合で放映された番組『NHK特集/ルーブル美術館』全13回だった。
これは、NHKがフランスのTV局と共同制作した大型番組で、ルーブル美術館の名品の数々を、館内を貸し切って(おそらく閉館後の深夜に)、解説付きで、つぶさに見せてくれるものだった。
しかも、ナビゲーターが、ジャンヌ・モロー、デボラ・カー、シャーロット・ランプリング、ダーク・ボガートといった、世界的名優だった(日本からは、中村敦夫と島田陽子だった)。

で、この番組の音楽が、なんと「エンニオ・モリコーネ」だったのだ。しかも、あまりに素晴らしくて、美術品と音楽の、どちらが主役かわからないほどだった。毎月、その音楽を「聴く」のが待ちきれなかった。いまでも、あんな重厚で上品で知的な音楽が日本のTV地上波で流れていたなんて、信じられない思いだ。

ルーブル美術館
▲サントラ『NHK特集/ルーブル美術館』(SLC)

しばらくして、そのサントラCDが、いまはなき日本のサントラ専門レーベル「SLC」(サンドトラック・リスナーズ・コミュニケーションズ)から発売された。
もちろん、すぐに購入して、聴いた。そして、付属のライナー解説を読んで、飛び上がってしまった。
なんと『NHK特集/ルーブル美術館』の音楽は、「使いまわし」だったのだ!
つまり、あの素晴らしい音楽は、過去の映画のために書かれた複数の既成曲を持ってきて、あてはめたものだったのだ。
たとえば、背筋をなにかが走るような名テーマ曲《永遠のモナ・リザ》は、1970年の映画『La Califfa』の音楽だというのだ。
日本未公開なので、どんな映画なのかよくわからないが、ネット情報によれば、工場閉鎖をめぐって展開する社会派メロドラマだという。しかも、主演はロミー・シュナイダー!
もうこれだけで、映画ファンならば、どんなテイストの作品か、想像がつくだろう。
そんな「メロドラマ」の音楽が、「ルーブル美術館」のテーマ音楽に使われて、まったく違和感がないどころか、映像をしのぐ効果をあげているのだ。

どうやらエンニオ・モリコーネとは、「映像に合った音楽を書く」のではなく、それを通り越した、なにか、映像のずっと先にあるものを見出して、それを音楽にしているのではないか、だから、使いまわしにも耐えられる普遍性のある音楽を書けるのではないか、そんな気がしたのだ。

で、今回の映画だが、まさにモリコーネが「映像の先にあるものを見出して音楽化する」作曲家であることが、よくわかる。
紹介されるエピソードも興味津々で、たとえば・・・・・・
*ジャンニ・モランディやミーナといったカンツォーネ名曲の数々は、モリコーネの編曲だった。
*ダルムシュタット現代音楽講習会に参加していた(ジョン・ケージも登場する)。
*セルジオ・レオーネは『荒野の用心棒』に、ジョン・ウェインの『リオ・ブラボー』の音楽をあてはめるつもりだった(結局、モリコーネが、「似ている」が、それをしのぐ音楽を書いてみせる)。
*黛敏郎が音楽を書いた『天地創造』は、その前にモリコーネがテスト音楽を書いていた。
*スタンリー・キューブリックから、『時計じかけのオレンジ』のオファーが来ていた。
*犯罪映画『シシリアン』の音楽には、BACH(シ♭・ラ・ド・シ♮)の4音が隠されていた!
『死刑台のメロディ』の主題歌《勝利への讃歌》は、メロディ先行で、ジョーン・バエズが即興的に詩をつけた。
・・・・・・といった垂涎の逸話が(マニアはご存じだろうが)、すべて「実例」付きで紹介される。

モリコーネは、途中、何度も映画音楽をやめて純粋クラシック音楽に専念しようとした。作曲家として「映画音楽」は一段下に見られる仕事だったのだ。
(ちなみに、『太陽がいっぱい』『ゴッドファーザー』のニノ・ロータは「映画音楽家」と呼ばれるのをすごく嫌っていた)
だが結局、モリコーネは「映画音楽」と称する新しい、20世紀の音楽ジャンルを確立したのだ。

上映時間2時間40分。『ニュー・シネマ・パラダイス』『海の上のピアニスト』あたりからモリコーネ・ファンになった方には、少々ヘビーな内容かもしれないが、音楽好きなら、長く感じないはずだ。
あたしは、『ウエスタン』や『ミッション』の部分で、恥ずかしながら、泣いてしまった。
哀しい内容でもないのに涙が流れる――これは、そういう音楽ドキュメンタリである。

映画『モリコーネ 映画が恋した音楽家』公式サイトは、こちら。
『NHK特集/ルーブル美術館』 第10回「バロックの峰 ルーベンスとレンブラント」が、ここで観られ(聴け)ます。

◆『東京佼成ウインドオーケストラ60年史』(定価:本体2,800円+税)発売中。ドキュメント部分を執筆しました。全国大型書店、ネット書店などのほか、TKWOのウェブサイトや、バンドパワー・ショップなどでも購入できます。限定出版につき、部数が限られているので、早めの購入をお薦めします。

◆「富樫鉄火のグル新」は、吹奏楽ウェブマガジン「Band Power」生まれです。第132回以前のバックナンバーは、こちら。

◆毎週(木)21時・FMたちかわ/毎週(土)23時・FMカオン(厚木・海老名)/毎週(日)正午・調布FM/毎週(日)・FMはなび(秋田県大仙市)にて、「BPラジオ/吹奏楽の世界へようこそ」パーソナリティをやってます。パソコンやスマホで聴けます。 内容の詳細や聴き方は、上記「BandPower」で。

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2023.01.04 (Wed)

第373回 【新刊紹介】 太平洋戦争下のハワイと東京で展開する、「一大犯罪叙事詩」!

真珠湾の冬
▲ジェイムズ・ケストレル/山中朝晶訳『真珠湾の冬』(ハヤカワ・ミステリ)


超ヘビー級の警察ミステリ、登場であります!
新書判で正味470頁余。ただし、ハヤカワのポケミスなので、新書判とはいえ2段組、1頁が800字強ある。通常の1段組み文芸書の体裁だったら、500頁を超えているだろう。

「超ヘビー級」なのは、その分量だけではない。舞台は、1941年のハワイからはじまり、太平洋を横断し、香港、東京に至る。最後は1945年だ。
つまり、日米開戦から太平洋戦争、終戦、占領までが、まるごと、470頁のなかに詰まっている、一種の「近現代史ミステリ」なのである。

しかも、この著者は(ハワイ在住の弁護士だという)、偏執質ではないかと言いたくなるほど、描写が細かい。いったいこれが本筋とどう関係があるのか、イライラする場面すらある。
ところが、次第に、その執拗な描写が面白くなってくる。どこか純文学のような香りさえ、かすかに漂い、いわゆる「読書の快感」を覚えるようになる。
そうなると、もう、本書を手放すことはできなくなる。

冒頭は、ハワイで発生した陰惨な殺人事件である。被害者はハワイ海軍幹部の甥。横には、日系女性の死体もあったが、これがどこの誰だか、まったくわからない。
さっそくホノルル警察のマグレディ刑事が捜査に乗り出すが、ある偶然から追い詰めた犯人を射殺してしまう。これによって捜査は難航が予想されるが、単独犯とは思えない犯行だったので、マグレディは、犯行仲間を探すことになる。

丹念な捜査の結果、もうひとりの犯人は、太平洋横断空路を乗り継いで、アジア方面へ飛んだことがわかる(当時、直行航空便は、なかったようだ)。しかも、途中の島で、似たような犯行を繰り返していた。
マグレディ刑事も、あとを追う。
ここまでで正味150頁余。ちょっとした中編1作分の分量だ。
だが、この第1部は、事実上のプロローグだった。

犯人を追い詰め、なんとか香港まで渡ったところで、予想外の事態が発生する。真珠湾攻撃、日米開戦である。香港は日本軍に占領され、マグレディは捕虜となって、東京へおくられる。ここからの舞台は、太平洋戦争下の東京である。
よくぞこんな物語を考え出したものだと、感心する。

本書が本格的に動き出すのは、そして、どうも凡百の警察ミステリではなさそうだと気づくのは、ここからである。
それが220頁あたり。まだ全体の半分にも至っていない。

こうやって紹介すると、ずいぶんのんびりしたミステリだと感じるだろう。
だが、まったくそうではない。
先述した、執拗なまでの詳細描写のおかげで、ひとつ間違えれば安っぽくなる設定やシーンが、強烈な説得力をもって迫ってくるのだ。

よって、たしかに物語の進行度はゆっくりだが、決して飽きることはない。
戦時下の東京で、ハワイからやってきた白人刑事が、なぜ、生き延びられるのか。はっきりいって、三文劇画のような設定が登場するが、ちゃんと読める。もちろん、あたしは当時の東京なんて知らないが、おそらく、こういうことだったのだろうと、納得できた。

とにかくこの著者は、精細描写が売りだけあって、すごい取材力だ。
略歴を見ると、「刑事事件調査員」の経験もあるという。
ハワイで、もうひとりの犯人を捜す際、マグレディが、過去10万件分もの車両登録証を、1枚1枚めくりながら、長時間をかけて調べる場面がある。
いまだったらデジタルで瞬時に判明するだろうが、当時は、人間の手で、こんな非効率な方法で調べるしかなかった。
読んでいて、イライラしながらも妙に感動してしまうシーンである。

実は、これとほぼ同じ場面が、映画『警視庁物語 一〇八号車』(村山新治ほか監督、1959)にある。容疑者のアリバイを崩すために、刑事が、膨大な分量の交通違反調書を、1枚ずつめくって調べるのである。映画は、そのシーンを、えんえんと、いつまでも長回しで映す。途中、一息入れてカツ丼を食べるシーンがあるが、そこまでを、カメラはじっととらえる。
これこそが、刑事捜査の原典の姿であることを、映画は伝えているのである。そして、不思議と感動してしまう。
本書にも、まさに、そんな感動を伝えてくれるシーンが、けっこうある。

事件の背景に、日米開戦と、第二次世界大戦そのものにまつわる壮大な問題があることが示されるにおよんで、オビの惹句「一大犯罪叙事詩」が、決して大げさではないことが、わかる。ラストは「ハードボイルド」を絵に描いたような美しさ。
原題は『Five Decembers』(5回の12月)だが、邦題『真珠湾の冬』のほうが、ずっと本書の真髄をあらわしている。
寒い時期にピッタリの、大盛り濃厚グルメ料理のような、おとなのエンタテインメントである。

※本稿は、書評サイト「本が好き!」への投稿をもとに、改稿したものです。

◇ジェイムズ・ケストレル/山中朝晶訳『真珠湾の冬』(ハヤカワ・ミステリ)は、こちら

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