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2020.03.18 (Wed)

第276回 東京佼成WO、中止公演のプログラム解説

飯森佼成
▲中止になった、東京佼成WOの第148回定期演奏会


はじめに
 4月29日に予定されていた、東京佼成ウインドオーケストラの第148回定期演奏会(東京芸術劇場)が中止になりました。
 たまたま、わたしは、当日のプログラム解説の執筆を依頼されており、第一稿を同団事務局へ送った直後の中止決定でした。

 この日の演奏会は、人気指揮者・飯森範親さんの「首席客演指揮者」就任記念、かつ、同団の創立60年にあたる新シーズン幕開けの、2つのお祝いをかねていました。
 よって、開巻の祝典曲以下、吹奏楽オリジナルの名曲で統一された、たいへん意欲的な内容です。
 飯森さんはもちろん、団員諸氏もスタッフも、なみなみならぬ力の入れようでした。
 そのような記念すべき場を飾る原稿を書けたことは、音楽ライター冥利につきる思いでした。

 残念ながら演奏会は中止になりましたが、ここに、同団事務局の許可を得て、当日、会場で配布される予定だったプログラムの、楽曲解説全文を掲載いたします。
 なにぶん、校閲以前の荒っぽい第一稿につき(初校ゲラで、もう少し削る予定でした)、間違いがあるかもしれません。
 しかし、開催されていれば、どのような演奏会になっていたかを感じていただく、せめてもの縁(よすが)になれば幸いです。

 あらためて、飯森範親さんの首席客演指揮者就任、および、東京佼成ウインドオーケストラ創立60年に、衷心よりお祝いを申し上げるとともに、一刻もはやい活動再開を願ってやみません。
                                                               富樫鉄火(音楽ライター)
*****************************
東京佼成ウインドオーケストラ 第148回定期演奏会
指揮:飯森範親 〈首席客演指揮者〉就任記念

(4月29日、東京芸術劇場にて)

楽曲解説
富樫鉄火(音楽ライター)


献呈序曲  C.ウィリアムズ作曲
 1962年、米インディアナ州にあるエヴァンズヴィル大学内に音楽棟が落成したのを記念して委嘱・作曲され、同大のバンドによって初演された。東京佼成WO創立60年を告げるシリーズの幕開け、さらに、マエストロ飯森範親の首席客演指揮者就任を寿ぐような、祝典序曲の名作である。
 曲は、ウィリアムズお得意の、金管群を中心とするファンファーレのリピートではじまる。やがてエヴァンズヴィル大学の学生歌がコラールとなってゆったりと流れる。後半はフーガ風となり、学生歌と冒頭ファンファーレが交錯して華やかに曲を終える。
 クリフトン・ウィリアムズ(1923~1976)は、もとはオーケストラのホルン奏者。作曲は、主にイーストマン音楽院でハワード・ハンソンに学んだ。吹奏楽といえば、まだ戦時中の軍楽マーチの印象が残っていた1950年代に、斬新で知的なサウンドで登場し、アメリカ音楽界に刺激を与えた。優秀な吹奏楽曲におくられるオストワルド賞の第1回を《ファンファーレとアレグロ》で、第2回を《交響組曲》で、2回連続で受賞している。後年はテキサス大学やマイアミ大学で教鞭をとり、マクベスやチャンスといった人気作曲家を育てた。 近年、未出版の楽曲が発掘され、再評価が高まっている。【約7分】

◆アルメニアン・ダンス〈全曲〉 A.リード作曲
誕生の経緯
 吹奏楽史に大きな足跡を残した作曲家・指揮者、アルフレッド・リード(1921~2005)の代表作で、アルメニア系の名バンド指導者、ハリー・ベギアン(1921~2010)の委嘱によって書かれた。パート1(第1楽章)が1973年1月に、パート2(第2~4楽章)が1976年4月に、それぞれ同氏が指揮するイリノイ大学バンドによって初演されている。
 諸事情で、第1楽章と第2~4楽章で、別々の出版社から刊行されたので、「パート1」「パート2」の2部に分かれているかのように思われているが、当初から4楽章構成の交響曲的な組曲として計画されており、本日のように全4楽章を連続して演奏するのが本来の姿である。
 曲のモチーフは、トルコに隣接し、アジアとヨーロッパの中継点でもある「アルメニア共和国」の民謡や舞曲。特に、近代アルメニア音楽の始祖コミタス(1869~1935)が収集・作編曲した旋律が使用されている。
 ちなみにコミタスとは、アルメニアで初めて西洋音楽教育を受けた僧侶・声楽家・合唱指導者で、20世紀初頭、オスマン帝国(トルコ)によるアルメニア人大虐殺の混乱で逮捕、心身を病んで母国を追われ、パリで客死した悲劇の音楽家である(この時期、多くのアルメニア人が国外を脱出した。大虐殺の犠牲者数は、最大150万人と見られているが、トルコ政府は、計画的虐殺の事実を否定している。トルコのEU加盟がいまでも認められない理由のひとつが、これである)。
 本曲は、大虐殺の悲劇を描いたものではないが、委嘱者ベギアンの両親はアルメニアからアメリカにわたった移民である。よって祖国への関心を促したいとの思いがあったことは十分考えられる。
 作曲された時期は、リード黄金時代の幕開けで、直前には《ハムレットへの音楽》(1971)や、《アレルヤ! ラウダムス・テ》(1973)が、またパート1と2の中間には《オセロ》の原曲(金管アンサンブルの劇音楽、1974)が、そして以後は《春の猟犬》(1980)と、綺羅星のごとき名曲が並んでいる。
 吹奏楽表現を完全に取り込んだリードが、その才能と技術のすべてを注ぎ込んで完成させた、吹奏楽オリジナル曲の極北と呼ぶべき傑作中の傑作である。

楽曲について
第1楽章 [パート1]
アルメニア民謡《あんずの木》《ヤマウズラの歌》《ホイ、僕のナザン》《アラギャス山》《ゆけゆけ》の5曲によって構成された、一種の狂詩曲。このうち、《ヤマウズラの歌》はコミタスの創作歌である。
壮大な幕開け《あんずの木》は、隣国トルコとの国境にそびえるアララト山(5,137m)を描写しているかのよう(旧約聖書で、ノアの方舟が漂着した山)。「あんず」はアルメニアを象徴する果物。同国の民族楽器ドゥドゥークも、あんずの木で作られている。
つづいてヤマウズラがヨチヨチと歩きまわる様子が描写され、舞曲を経て、アラギャス山(4,090m)を讃える曲想となる。ラストはスピーディーな疾走。途中に登場する同音スタッカートの連続は、民衆の笑い声を描写した部分である。クライマックスは、数多いリード作品の中でも群れを抜く見事なスコアリングだ。
この楽章だけがほかに比べて極端に長いので、独立して演奏されることが多い。過去、全日本吹奏楽コンクール(全国大会)に22回登場の人気を誇っている。

第2楽章〈風よ、吹け〉(農民の訴え) [パート2:第1楽章]
若者が山に向かって「風よ、吹け」と祈りを捧げ、貧しい暮らしからの解放を願う。主要メロディをイングリッシュホーンが奏でる、叙情的にして感動的な楽章。なお以下の原典も、すべてコミタスが蒐集・編曲した民謡である。

第3楽章〈クーマー〉(結婚の舞曲) [パート2:第2楽章]
「クーマー」とはアルメニア女性の名前。田舎での素朴な結婚式の祝いの光景が描写される。原曲は、コミタスが採譜してソプラノ独唱+混声合唱用に編曲したもの。

第4楽章〈ロリ地方の農民歌〉 [パート2:第3楽章]
第1楽章に準ずる長大な楽章。ロリ地方はアルメニア最北部、ジョージア(旧名グルジア)に接した地域。ここで働く農民たちの労働歌がもとになっている。後半で何度となく登場する、跳ねるようなリズムの部分は、農民たちのかけ声を描写している。暗く悲痛な叫びと、時折差し込む明るさが見事に交錯し、やがて第1楽章同様、アップテンポで華やかに幕を閉じる。 
【計約30分】

<休憩>

青い水平線(ブルー・ホライズン) F.チェザリーニ作曲
 正式曲名は、「3つの交響的素描《ブルー・ホライズン》作品23b」という。原曲は、ファンファーレ・オルケスト(金管群+サクソフォン群+打楽器群)のために書かれた《アビス》作品23aで、これを2003年に、吹奏楽版に改訂したもの。
 原曲同様、アビス(深遠/深海)がモチーフとなっており、チェザリーニ特有の「音楽によるストーリー・テリング」が展開する。曲名に「ブルー」と付いていたり、クライマックスにクジラの声が登場したりすることから、自然回帰や、環境破壊を憂えるメッセージを読み取ることもできそうだ。
 全体は3部構成だが、アタッカ(切れ目なし)で演奏される。

1)発光生物
深海を静かに流れてゆく発光生物を描く。オーボエが重要な響きを奏でるが、管打楽器だけでこれほどの静謐さを表現できたことに驚きを覚える。
2)リヴァイアサン対クラーケン
旧約聖書に登場する海獣「リヴァイアサン」(クジラのイメージ)と、北欧の海獣「クラーケン」(巨大タコのイメージ)の戦いを描く。いわば西洋に伝わる2大海獣の決戦を描いたもの。戦いが終息すると、ふたたび深海へと降りてゆく。
3)ブルー・ホエール
The Blue Whaleは、地球最大の生物「シロナガスクジラ」(体長30m)の英語名。大海原を悠々と泳ぐ姿が描かれる。途中、本物のクジラの声が「効果音」として流れるので、耳を澄ませていただきたい。終曲部分では、クジラが深海へ静かに消えてゆく様子が、美しく描かれる。

 フランコ・チェザリーニ(1961~)は、スイス南部、ベリンツォーナの出身(ここは地図上はスイスだが、完全なイタリア語文化圏)。その後、ルガーノやバーゼル、ミラノなどでフルートや指揮、作曲などを学んだ。日本では、1990年代後半から《ビザンティンのモザイク画》《アルプスの詩》、そして本曲などが知られるようになった。《トム・ソーヤー組曲》《ハックルベリ・フィン組曲》《闇を這うもの》など、文学を題材にした曲も多い。大の親日家で、いまや、フィリップ・スパークや、ヨハン・デメイ、ヤン・ヴァン=デル=ローストなどとならぶ、ヨーロッパの大人気作曲家である。【約15分】

◆交響曲 第1番《アークエンジェルズ》 F.チェザリーニ作曲
 前曲につづく、チェザリーニ作品。
 「作曲」とは、委嘱元、つまりスポンサーがあってはじめて成立することが多いものだが、本曲はまったくちがう。チェザリーニ本人が、自分の意志で、密かに書き進めていた“自主作品”である(構想は、1990年代からあったらしい)。
 それだけに、2016年2月、スペインのビルバオ市吹奏楽団によって、チェザリーニ本人の指揮で初演された際には、たいへんな話題となった。なにしろ、全4楽章、40分近い交響曲が、突如、吹奏楽界に登場したのだ(日本初演は、同年6月、鈴木孝佳指揮のタッド・ウインドシンフォニー)。
 曲は、西洋で親しまれている大天使(アークエンジェルズ)がモチーフとなっており、キリスト教における3大天使+ウリエル(もしくはユダヤ教における4大天使)が取り上げられている。

第1楽章《ガブリエル~光のメッセンジャー》
よく「受胎告知」などの絵画で、聖母マリアの前で跪き、イエスを身ごもったことを知らせている天使が描かれている。あれが、ガブリエルである。シンボルは「百合の花」。神のメッセージを伝えるのが仕事だ。絵画では優しい女性風に描かれるが、戦士でもあり、最後の審判で、ラッパを吹いて死者を蘇生させるのが、この天使である。
冒頭は、ティンパニと全奏の激しい交錯で開幕する。まず、ガブリエルの戦士としての性格が描かれる。その後、穏やかな曲想となり、神のメッセンジャーとしての優しさが描かれる。この2面性が交互に登場し、壮大なクライマックスを形成する。

第2楽章《ラファエル~魂をみちびくもの》
ラファエルは、病人の守護天使。「癒しを司る天使」としても知られる。魚の内臓から処方した秘薬で盲人を治したこともある。シンボルは「魚を持つ姿」。
曲は、そんなラファエルの性格を美しく描く。敬虔な曲想がつづき、次第に高まったあと、静かに終わる。

第3楽章《ミカエル~神の御前のプリンス》
カトリックでは「大天使ミカエル」と呼ばれ、「長」のイメージがある。天上の軍団のリーダーであり、現代では、警官・兵士・消防士などの守護天使である。シンボルでは「右手に剣、左手に魂を測る秤」を持っていることが多い。
戦闘リーダーだけあり、曲も激しい展開がつづく。現代的な響きのなか、時折、古風で落ち着いた曲想が交錯する。これがチェザリーニの個性のひとつでもある。
余談だが、大天使ミカエルは、日本の作曲家、藤田玄播(1937~2013)も《天使ミカエルの嘆き》(1978)で取り上げている。聴き比べてみるのも一興だろう。

第4楽章《ウリエル~時を守るもの》
ウリエルは、キリスト教の聖書正典では、大天使には含まれない。だがユダヤ教では上述3人とともに「4大天使」とされており、重要な存在である。シンボルでは「書物と炎の剣」を持っていることが多く、作家や詩人の守護天使といわれている。同時に星の運行(時間)の守り役でもある。
曲はゆっくりとはじまり、様々な楽器を従えるように加えてゆき、やがて壮大なクライマックスへ登ってゆく。おそらく吹奏楽によって表現された、もっとも巨大なスケールと思われる壮大な響きが展開する。

 なお、チェザリーニは、2018年12月に、歌川広重の浮世絵シリーズ「名所江戸百景」を題材にした、交響曲第2番《江戸の情景》を発表している。
【計約35分】
<敬称略>

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2020.01.19 (Sun)

第265回 イングランドの”隠れ切支丹”

バード
▲ヴォーカル・アンサンブル・カペラの定期公演(1月15日、東京カテドラル教会聖マリア大聖堂にて)

 吹奏楽に長く携わっている方なら、ゴードン・ジェイコブ(1895~1984)の名をご存じだと思う。イギリスの作編曲家で、王立音楽院の教授を長くつとめた教育者でもあった。
 彼の名が広まったのは、学生時代に作曲(編曲)した、《ウィリアム・バード組曲》だった。当初は管弦楽用に書かれたが、のちに吹奏楽版となり、世界中で演奏されるようになった。(うろ覚えだが、フレデリック・フェネル指揮のマーキュリー盤が初の商業録音だったのでは?)
 これは、ルネサンス期のイギリスの作曲家、ウィリアム・バード(1543?~1623)がヴァージナル(当時のイングランドで流行した、小型チェンバロ)のために書いた曲を6曲抜粋し、編曲したものだ。たいへんうまくまとめられており(特に、管打楽器=吹奏楽の魅力が十二分に引き出されている)、編曲というよりは、再創造と呼ぶにふさわしい。ホルストの組曲などと並んで、教育テキスト的な楽曲としても知られている。
 そしてもうひとつ、本作の功績は、ウィリアム・バードの名を、世界中に、特に吹奏楽に携わる若い人たちに知らしめたことである。

 ウィリアム・バードは、“ブリタニア音楽の父”などと呼ばれた大作曲家である。
 特に有名なのは、3つのカトリック・ミサ曲(ラテン語)なのだが、謎の多い曲として知られている。紙幅もあるので、要点だけ述べると、

①なぜ3曲とも題名がないのか(仕方なく、通称で《3声の/4声の/5声のミサ》と呼ばれている)。
②なぜ3曲とも、表紙がない小冊子として出版されたのか。
③どこで歌うために書かれたのか(国教会=プロテスタント全盛期、カトリック弾圧の治世に、ラテン語のカトリック・ミサ曲など書いても、演奏する場がなかったはず)。

 これに関しては、さまざまな説があるのだが、先日、ある演奏会で、面白い解説を見聞した。それは「ヴォーカル・アンサンブル・カペラ」(VEC)の定期公演のことで、この日、バードの《4声のミサ》が演奏されたのだ(1月15日、東京カテドラル教会聖マリア大聖堂にて)。
 このVECとは、古楽演奏家の花井哲郎が主宰する、古楽専門の声楽グループである。インターネットのクラシックFM「OTTAVA」を聴く方なら、番組の合間に、この世のものとも思われぬ、美しい声のジングル(ギョーム・デュファイ作曲《花の中の花》)が流れるのをご記憶と思う。あれを歌っているグループである。
 わたしはこのVECのファンで、ここ数年、定期会員になっている。彼らの特徴は、ミサ曲を、きちんと「ミサ」の形態で演奏する点にある。たとえば今回だったら、バードの《4声のミサ》に、彼のほかの宗教曲を「入祭唱」「昇階唱」「拝領唱」として加え、さらには祈祷文の朗読も交え、“宗教行事”として再現するのである(よって、ミサ曲だけなら20分強だが、全体で倍以上の時間を要した)。
 さらに、主宰・花井哲郎による開演前トーク、および、プログラム解説が、あまりに面白い。これだけにチケット代を費やしてもいいくらいだ。

 今回は、上記の謎について、トークと解説文で、おおよそ、以下のような解説がなされた。

<バードの時代のイングランドは、国教会(プロテスタント)を推進するエリザベス一世によるカトリック弾圧が激しかった。バードは、王室聖歌隊で教育を受け、エリザベス一世を讃える音楽や、国教会のための英語の典礼音楽も書く、“政府公認の国教会作曲家”だった。ところが内実は、正真正銘のカトリック信者であった。そのため、こっそりカトリック貴族の保護を受け、地下活動用にカトリックのミサ曲を書いた。だから曲名も表紙もない、雑多な小冊子に見せかけて出版した。
 おそらく彼のミサ曲は、反逆貴族の屋敷の隠し部屋のようなところで、こっそり演奏された。実際、わたし(花井)がかつて指揮活動をしていたオランダにも、その種の“隠れ教会”がいくつも残っていた。外側は典型的な運河沿いの住居だったが、中に入ると、3~4階はぶち抜いた壮麗なバロック様式の聖堂になっていて、立派な祭壇やパイプオルガンまであった>

 こういった説は、いままでにも専門書やCDライナーノーツなどで述べられてきたが、花井哲郎の場合は、自らが演奏家であり、ヨーロッパで、当時の弾圧の痕跡に触れているだけあって、説得力があった。
 要するに、バードは、筋金入りの“隠れ切支丹”、面従腹背作曲家だったのだ。

 実は、この時期、バードのような“隠れ切支丹”作曲家は、ほかにもいた。彼らの曲をあつめたCDまであるほどで、そのタイトルは、『In a Strange Land/Elizabethan Composers in Exile』(異郷にて/亡命したエリザベス朝の作曲家たち)という。バードはもちろん、ジョン・ダウランドやロバート・ホワイトを中心に、数名の“隠れ切支丹”曲が収録されている(バードは亡命こそしなかったが、ロンドンを避けて田舎に移住した)。わたしの愛聴盤のひとつで、イギリスの合唱グループ「スティレ・アンティコ」の素晴らしいハーモニーがたのしめる。

 ジェイコブの吹奏楽曲《ウィリアム・バード組曲》は、バードの鍵盤曲を編曲したものだが、そんなことも少し念頭に置きながら、聴いたり演奏したりするのも、また一興だと思う。
<敬称略>

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2020.01.04 (Sat)

第262回 ベートーヴェンと紅白歌合戦

be-to-ven
▲ベートーヴェン弦楽四重奏曲【9曲】演奏会(12月31日、東京文化会館小ホールにて)

 大晦日に、ベートーヴェン弦楽四重奏曲【9曲】演奏会に行った。今回で14年連続の名物コンサートで、以前から行きたかったのだが、毎年、紅白歌合戦のボヤキ感想を書いている身なので、どちらを選ぶか迷った末、きりがないので、思い切って行ってみた(紅白の顔ぶれと曲目を知った段階で、もうボヤく気もなくなっていたし)。
 演奏団体と曲目は、以下の通り。

【古典四重奏団】第7、8、9番(ラズモフスキー1、2、3番)
【ストリング・クヮルテット ARCO】第12、13番、大フーガ
【クァルテット・エクセルシオ】第14、15、16番

 東京文化会館の小ホールは、定員649席だが、見た感じ、後方に少し空席がある程度だったので、おそらく600席近くが売れたのではないか。
 開演は14時。終演はほぼ22時近く。つまり8時間近くを要するコンサートだったのだが、1曲ごとに10~15分の休憩が入り、最後の休憩まで売店が営業してくれていた。また、《大フーガ》のあと(19時頃)には30分の休憩が入り、上野精養軒のカレー、ハヤシライスの出張販売があった。ロビーにも大量の簡易椅子やテーブルが置かれていた。
 そもそもベートーヴェンの中~後期SQは多くが40分前後である。《大フーガ》も、第13番の中に組み入れる(アルバン・ベルクSQのような)こともなく、独立して演奏された。
 よって、たしかに滞在は8時間近かったが、それほどつらいものではなかった。隣の大ホールで同時開催されていた、ベートーヴェンの交響曲9曲全曲演奏会よりは、肉体的にラクなのではないか。

 しかし、精神的なしんどさ(というか、深淵さ)は、交響曲を上回るような気がする。わたしごときの筆力で、また、この程度の紙幅で表現することは無理だが、いったい、なぜ、このようなものすごい音楽が連続して生まれたのか、呆然となる。
 3団体の演奏も手の内に入ったもので、全身全霊を傾けての名演だった(先日、ショスタコーヴィチのSQ全集でレコード・アカデミー賞大賞を受賞した古典四重奏団は、いうまでもなく全曲暗譜演奏である)。

 ベートーヴェンの後期SQは、順を追って“自由”な曲想に支配されるようになった。(作曲順に)第12番が4楽章構成、第15番が5楽章、第13番が6楽章と1楽章ずつ増えつづけ、第14番ではついに7楽章となった(しかも切れ目なしの連続演奏)。このままいったら、どうなるのかと思いきや、次の第16番では古典的な4楽章にもどり、作曲の5か月後、ベートーヴェンは56歳の生涯を閉じる。
 この最後の第16番は、楽譜に「こうあらねばならないのか?」「こうあるべし」「やっと決心がついた」などの、謎めいた走り書きがあることでも有名なのだが、構成はシンプルな4楽章で、演奏時間も25分ほどのコンパクトな曲である。
 当日は、トリをつとめるクァルテット・エクセルシオの演奏で、大曲の第14、15番がつづき、大トリがこの第16番だったのだが、時刻も21時過ぎ、あと3時間で年がかわる、そんなときに、どこかホッとさせられる曲だった。第3楽章など、まるで後期ロマン派のような濃厚な響きがある。前の曲で沸点に達した熱気を冷ましてから帰宅の途につかせてくれるような、そんな気もした(終演後、舞台裏から演奏者たちの歓声が聴こえてきた。その気持ちは、よくわかる)。

 帰宅し、残り1時間弱ほど紅白歌合戦を観たら、ラグビー選手が勢ぞろいし、陸上選手のウサイン・ボルトのインタビューがあり、新国立競技場の紹介があり、何人かはNHKホール以外の場所で歌い、目が疲れる合成画面があり、口パクが堂々とまかり通っていた。どう見ても「歌合戦」ではなく、コンセプト皆無のバラエティ番組だと思った。
 こんなものに、何時間も付き合わないで、ほんとうによかったと安堵した。案の定、視聴率は史上最低だったという。

 ベートーヴェンのSQは、ひたすら巨大化し、複雑化したが、最後は基本にかえった。初演時に「難解だ」と不評だった第13番の最終楽章など、後年、出版時に全面カットして「難解でない」楽章に書き換えたほどだった(当初の不評だった楽章が、《大フーガ》)。
 余計なことをせず、音楽をキチンとこしらえて、ひとびとに伝える――たった600人のために開催されたコンサートは、国民番組に対して音楽番組のあり方を示しているようだった。
<敬称略>

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2019.05.20 (Mon)

第240回 《4分33秒》

433.jpg
▲アマディンダ・パーカッション・グループが演奏した《4分33秒》

 わたしは、ジョン・ケージ(1912~92)の名曲《4分33秒》(1952年初演)の実演を、2回、聴いたことがある。
 どちらも、黛敏郎時代の「題名のない音楽会」だった(何度か書いているが、わたしは、中学以来、20歳代までの十数年間、渋谷公会堂での公開録画のほとんどに、通っていた)。
 1回目は、ピアノ独奏版、2回目はオーケストラ版だった。
 ピアノ版のときは、たしか、ジョン・ケージの特集で、ピアニストが何の前触れもなく登場し、演奏を開始した。
 やがて渋谷公会堂の客席は、次第にざわつきはじめ、低い笑い声が聴こえはじめた。
 演奏終了後、まばらな拍手がおき、ピアニストが下がると、司会の黛敏郎が登場し、「ただいまの4分33秒の間、みなさんは、様々な笑い声やざわめき、雑音を聴いたことでしょう。それこそが、ケージが聴かせたかった、偶然の音楽なのです」といったような主旨の解説をした(2回目のオーケストラ版のときは、もうかなり有名になっていて、客席はお笑い状態だった)。

 4月20日に、神奈川フィルハーモニー管弦楽団が、定期演奏会で、この曲を取り上げた(指揮・太田弦)【公式ライヴ映像あり】。よほど行こうかと思ったのだが、仕事の都合で時間が空かず、てっきり忘れていた。
 すると、5月9日付の朝日新聞夕刊に、記者氏の“鑑賞記”が載っていた。
 それによると、事前に司会者が登場し、「演奏者に注目してください。何も音を出さないんです」と、ネタバレをさせたらしい。記者氏も落胆していたが、上述の「題名~」のように、事前解説なしで演奏されてこそ、様々な雑音が生まれて、曲本来の姿が現出したはずなのだが(もっとも、すでに有名な曲なので、ネタバレの有無にかかわらず、ほとんどの聴衆は、どういう曲か、知っていたと思う)。

 この曲は、ちゃんと「レコーディング」もされている。
 わたしもいくつかを聴いているが、好きなのは、ハンガリーの「アマディンダ・パーカッション・グループ」(APG)による「打楽器四重奏」版だ。
 APGは、ケージやライヒなどの現代曲を積極的に取り上げるカルテットで、特にジョン・ケージの打楽器作品を全曲CD化したことでも知られている。
 彼らの演奏を聴くと、冒頭、教会の鐘の音と思われる響きが、遠くで、かすかに鳴っているのが聴こえる。その後も、小さく、鳥の鳴き声も聴こえる。おそらく、野外か、あるいは、窓を開け放した室内で録音されたものと思われる。
 スザンネ・ケッセルのピアノ独奏版だと、フクロウの声が聴こえる。
 この曲は、前衛音楽のピアニスト、デヴィッド・チューダーによって、1952年にウッドストックで初演された(昭和27年! 占領解除の年だ)。その際も、ホールの扉は開け放たれ、野外の響きが聴こえてきたと伝えられている(チューダーは、ブーレーズのピアノ・ソナタ第2番を初演したひとだ)。

 教会の鐘や鳥の鳴き声といえば、朝比奈隆による「聖フローリアンのブルックナー」が有名だ。1975年、朝比奈隆率いる大阪フィルハーモニー交響楽団が、ヨーロッパ・ツアー中、オーストリアの聖フローリアン修道院で、ブルックナーの7番(ハース版)を演奏した。そのライブなのだが、第1楽章のあと、かすかに鳥の声が聴こえる(ALTUSの完全盤では、ここでの拍手も)。そして、第2楽章後、絶妙のタイミングで、修道院の午後5時の鐘の音が鳴り響くのである。いうまでもないが、この修道院の地下には、ブルックナーが眠っている。こういう奇跡みたいなことがあるのだなあと、若いころに聴いて感動した記憶がある。

 作曲家の中田喜直(1923~2000)は、極端なBGM嫌いだった。かつて東横線が車内BGMを流していた時代、車掌室に抗議に行き、無理やりドアを開けて入り込み、音楽テープを“奪取”したことがある。飛行機の機内で、着陸間近に流れるBGMに抗議してやめさせるなど、日常茶飯事だった。
 中田の童謡《しずかにしてね》は、「しずかにしてね/ふうりんさん/ならないでね/いま/あかちゃんが ねんねしました」と歌われる(こわせたまみ詩)。
 中田喜直が《4分33秒》をどう聴いたか、うかがってみたかった。
<敬称略>
※参考資料/牛山剛『夏がくれば思い出す―評伝中田喜直』(新潮社、2009)


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2019.04.30 (Tue)

第238回 平成の終わりの、干刈あがた

風ぐるま
〈風ぐるま〉コンサート(4月26日、代々木上原のムジカーザにて)


 わたしより上の世代にとって、「干刈あがた」(1943~1992)は、忘れがたい作家である。
 1980年代初頭に、女性たちが突き当りはじめたシングル・マザーや、離婚、自立などの問題を、さりげない形で小説にして「応援」をおくってくれた。男のわたしでも、新鮮に感じた。
 たとえば、芥川賞候補になった代表作『ウホッホ探検隊』(1983年)は、離婚し、小学生の男子2人を抱え、シングル・マザーとして生きる女性の物語だが、全編、長男への「呼びかけ」で書かれている。
 たとえば冒頭は、
「太郎、君は白いスニーカーの紐をキリリと結ぶと、私の方を振り返って言った。『それじゃ行ってくるよ』」
 通常、「太郎は白いスニーカーの紐をキリリと結ぶと」と書かれそうなものだが、本作は母親の一人称で書かれており、しかも息子に「君」と呼びかける。それは、父親がいなくなった家庭で、小学生の息子と対等な関係を築き、これから新たに生きていこうとする、決意表明のようにも読めた。
 いまから40年近くも前に、こういう小説を書いていたのが、干刈あがただった。

 私事ながら、平成最後のコンサートは、この干刈あがたとの再会だった。「時代を超えて音楽の輪を回す」がキャッチフレーズの〈風ぐるま〉のコンサートである(4月26日、代々木上原のムジカーザにて)。
 〈風ぐるま〉は、波多野睦美(歌)、栃尾克樹(バリトン・サクソフォン)、高橋悠治(ピアノ、作編曲)の3人組である。バロックの古典曲から、近現代曲、オリジナル新作、果てはポップスまで、さまざまな曲を、独特のアレンジや奏法で聴かせてくれる、ちょっと不思議なグループである(〈風ぐるま〉公演ではないが、一昨年には、栃尾・高橋で、シューベルト《冬の旅》全曲が演奏された。もちろんB.Sax.なので、歌詞はない、インスト演奏だ。ちなみに波多野・高橋で歌詞のある《冬の旅》もCD化されている)。

 当日のメインのひとつが、《ふりむん経文集》であった。これは、干刈あがたが、作家として本格デビューする以前、本名の「浅井和枝」名で1981年に自費出版した本におさめられた詩編だ。そこから抜粋し、高橋悠治により、声楽+B.Sax.+ピアノ版に作曲された。
 高橋の歌曲は、「朗誦」と「歌」の中間をいくものだ。つまり、詞章を、抑揚をすこし強めにして朗読する。すると、日本語のアクセントやリズムが、次第に、メロディらしきものに変容しかける。しかし、完全なメロディにまではなりきらない、その直前の状態をスコアにとどめたかのようだ。そのため、耳に残るメロディはないのだが、「ことば」は確実に、きれいに伝わる。B.Sax.は、声とピアノの間をたゆたうように揺れ動いて、独特な空気を醸し出す。
 干刈あがたの詩は、はやくも家庭崩壊の不安を漂わせていた。
「男つかまえ裂いてみたら/それはわが身の鬼になる」(般若の経)
「夏のたいくつ髪洗って流そ 女の香り失せるまで」(四季障子巡礼ごえいか)
「思い出は/いつも留守番一人ぼっち(略)/声もかすれてつぶやく子供/「お家(うち)の中が 一番こわい」(因果はめぐる紙芝居)

 干刈あがたは、胃ガンにより、49歳の若さで、平成4(1992)年に逝去した。晩年は入退院を繰り返していたので、平成というよりは、ほぼ昭和の作家だった。存命だったら、いま76歳。作家としては現役でもおかしくない年齢だ。
 〈風ぐるま〉が奏でる干刈あがたの世界は、40年前といまとで、女性をめぐる状況が、あまり変わっていないことを伝えているような気もした。平成の終わりにそれを聴いて、あらためて、平成とは昭和の二次会だった、結局、昭和の残滓を引きずり続けた時代だったんだなあ、としみじみ思った。
 ちなみに、〈風ぐるま〉コンサートの、最後の1曲は、ドアーズの《ジ・エンド》であった。
<敬称略>

ウホッホ探検隊
干刈あがた『ウホッホ探検隊』は、2017年に、河出文庫で復刊されました(上記はWカバー)。

【ご案内】
 3月23日(土)19:00~19:55、文化放送の特別番組「普門館からありがとう~東京佼成ウインドオーケストラとコンクール課題曲」に、解説ゲストとして出演しました。
 現在、アーカイブで聴けます。※4月30日(火)23:59まで
 お時間あれば、お聴きください。
(富樫鉄火)


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