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2023.10.30 (Mon)

第428回 【コンサート告知】 ロシアとウクライナの幸福な関係~パシフィル名曲コンサート

ストールンプリンセス
▲日本で初めて公開されたウクライナのアニメーション映画

9月22日に公開され、小規模ながらいまでもロングランをつづけている(10月30日現在)アニメーション映画がある。『ストールンプリンセス キーウの王女とルスラン』(オレ・マラムシュ監督/2018年、ウクライナ)。日本で初めて公開されたウクライナのアニメーション作品である。

制作はウクライナのアニメーション・スタジオ「アニマグラード」で、ここはもともとTVアニメの製作会社だった。2018年製作の本作が、初めての劇場用長編アニメーションだという。

本作が日本公開に至る過程は、すでに報道などでご存じの方も多いと思う。都内の映画配給会社に勤務していた女性、粉川なつみさん(27)が本作に惚れこみ、ウクライナの支援になればと一念発起して退職し、自ら配給会社を設立。全財産を注ぎ込み、クラウドファウンディングの助けも得て、1年をかけて買いつけた。幸いKADOKAWAが共同配給に乗り出してくれて、日本での一般公開となった。

もともとウクライナは世界的な映画人を多く輩出してきたエリアである。長年、ソ連の構成国だったので、一般には「ロシア/ソ連映画」として認識されてきたものの、実際には「ウクライナ映画」ともいうべき作品も多い。たとえば名作『誓いの休暇』(1959)や、『女狙撃兵マリュートカ』(1956)、『君たちのことはわすれない』(1977)などのグリゴーリ・チュフライ監督(1921~2001)はウクライナ生まれである。

エイゼンシュテイン、プドフキンとともに「ソ連映画界3大巨匠」の1人と称されたオレクサンドル・ドヴジェンコ監督(1894~1956)もウクライナ人だ。彼の名作無声映画『大地』(1930)は、『ズヴェニゴーラ』(1928)、『武器庫』(1929)とともに「ウクライナ三部作」と称されている。

上述のアニメ『ストールンプリンセス』は、プーシキンの物語詩『ルスランとリュドミラ』が原作である。魔術師によって拉致されたキエフ大公国(現在のウクライナ一帯)のリュドミラ姫を、騎士ルスランが救出して結ばれるまでの冒険ファンタジーだ。絵柄や全体構成はディズニーの影響が感じられるが、意外とプーシキンの原作に忠実で、登場キャラクターも独特な面白さがあった。この物語はグリンカ作曲のオペラ化のほうが有名だろう。全編にロシア特有の民族音楽的な旋律が使われており、グリンカは、前作《皇帝に捧げし命》と本作とで、“ロシア近代音楽の父”として名声を確立した。

かようにロシアとウクライナは、少なくとも芸術のうえでは、たいへん幸福な関係にあったのである。ボロディンの歌劇《イーゴリ公》もキエフ大公国が舞台である。そのほか、ピアニストでいうとホロヴィッツ、ギレリス、リヒテル。ヴァイオリニストではミルシテイン、オイストラフ、スターン、コーガン、シトコヴェツキ。これみんな、むかしは「ソ連/ロシアの音楽家」で一括りにされていたが、実は「ウクライナ出身」である。

だが、「ロシアとウクライナの幸福な関係」といえば、なんといっても、チャイコフスキーにとどめを刺す。彼は祖父の代まで姓は「チャイカ」だった。ウクライナでは一般的な名前で(日本の「佐藤」「鈴木」のような感じ?)、いまでも「チャイカ空港」「チャイカ航空」などがある。ロシアの時計やカメラにも同名製品がある。高田馬場にある老舗ロシア料理店の名前も「チャイカ」だ。意味は「かもめ」。女性初の宇宙飛行士テレシコワのコール・サイン「ヤー・チャイカ」(私はかもめ)は、チェーホフの戯曲『かもめ』からの引用だった。

チャイコフスキーの先祖「チャイカ」家はウクライナのコサック兵士の一族で、戦功で貴族っぽい名前「チャイコフスキー」への改姓を許された。彼の交響曲第2番ハ短調には《小ロシア》なる副題が付いている。この「小ロシア」とはウクライナのことである(ただし、これは「上から目線」の呼び方で、当のウクライナの人たちにすれば「侮蔑的な呼称」である)。全編にウクライナ民謡が使用されており、ほとんど「ウクライナ賛歌」のような曲である。

パシフィル

11月1日に開催される、パシフィックフィルハーモニア東京(旧「東京ニューシティ管弦楽団」)の第2回名曲シリーズはロシア名曲特集だが、期せずして、この「ロシアとウクライナの幸福な関係」を考えさせられる名曲が多く取り上げられる。先述のグリンカ:歌劇《ルスランとリュドミラ》序曲、ボロディン:交響詩《中央アジアの草原にて》、歌劇《イーゴリ公》~〈ポロヴェツ人の踊り〉。そして、ウクライナ系のチャイコフスキー:交響曲第4番ヘ短調。ちなみにこの第4番は、同性愛者だったチャイコフスキーが無理に女性と結婚してしまったため、苦悩に襲われる、そこからの脱却を音楽にした作品である。

指揮はベテラン、汐澤安彦。東京佼成ウインドオーケストラ初代常任指揮者として、日本の吹奏楽界を開拓してきた大功労者でもある。機会があればぜひお聴きいただきたい。ウクライナ戦争はいまだ終息を見出せないようだが、せめてこのひとときだけは、本来の「ロシアとウクライナの幸福な関係」に思いを馳せたいものだ。
(敬称略)

◇パシフィックフィルハーモニア東京:第2回名曲シリーズ(指揮:汐澤安彦)は、こちら
2023年11月1日(水)19:00/東京芸術劇場 コンサートホール
※プログラムの楽曲解説を執筆しました。

◇『ストールンプリンセス キーウの王女とルスラン』は、こちら


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2023.10.19 (Thu)

第425回 【コンサート】カーチュン・ウォンの《夏の朝の夢》

サントリー入口
▲カーチュン・ウォン&日フィル(10月13日、サントリーホールにて)。

カーチュン・ウォンは、2018年11月に東京佼成ウインドオーケストラ(TKWO)第141回定期演奏会に登壇している(大阪でも)。それ以前に、日本のオーケストラを指揮したことは何度かあったようだが、あたしが彼の指揮姿を見たのは、そのときが初めてだった。

曲は、バーンズの《呪文とトッカータ》、ヴァンデルローストの交響詩《スパルタクス》、アーノルドの《ピータールー序曲》(近藤久敦編)、ムソルグスキーの組曲《展覧会の絵》(高橋徹編)。

ここで面白いなあと思ったのは、《展覧会の絵》に、高橋徹(大阪音楽大学教授)編曲のスコアを起用したことだった。この曲の吹奏楽ヴァージョンはいくつかあるが、高橋版は、鍵盤打楽器で開始する新発想の編曲である(ヴィブラフォン+チャイム+グロッケンシュピール+チェレスタ)。大阪音大短期大学部吹奏楽コースの教材として編曲され、たまたまヤン・ヴァンデルローストが興味をもち、ベルギー・レメンス音楽院で彼の指揮により全曲初演・録音~出版に至った。

吹奏楽でも、ラヴェル版に即した編曲を好む指揮者が多いのに、なぜカーチュンは、このヴァージョンを選んだのか。事務方に聞いたら、「吹奏楽でやる以上、従来のラヴェル版から離れた、吹奏楽らしい編曲で演奏したい」との希望があり、高橋版になったとのことだった。

実はカーチュンは、“吹奏楽少年”だった。シンガポール生まれの彼は、小学校1年からブラスバンド部でコルネットを吹いてきた。中学~高校時代は吹奏楽部でトランペットを吹き、TKWOのディスクを聴きながら、その響きに憧れていたという。だが、兵役で軍楽隊勤務中に唇を傷め、作曲・指揮の道に進んだ。クルト・マズアに師事し、2016年にグスタフ・マーラー国際指揮者コンクールで優勝して世界の檜舞台に登場した。

このコンクールは3年に1回、バンベルク交響楽団の主催で開催される。マーラーの孫娘マリーナ・マーラーが名誉審査員。2004年の第1回でグスタヴォ・ドゥダメルが優勝したことで最初から注目を浴びる催しとなった(ちなみにこの第1回で第3位に入賞したのが、のちにシエナWOやTKWOを指揮する松沼俊彦氏である)。

カーチュンがTKWOを指揮する姿は、いまでも脳裏に焼き付いている。スックと立って(それこそ軍楽隊の楽長のように)、その振りは、拍をとるというよりは、楽譜に書かれた指示や表情を、各楽器に細かく身振り手振りで伝えているようだった。しかも全曲、暗譜。スコアが隅々まで頭に入っていることは明らかで、とてもいい演奏だった。あとで楽団員諸氏に感想を聞いたら、みなさん、大絶賛であった。ぜひ、これからも時々でいいから、吹奏楽を指揮してほしいと願わずにはいられなかった。【演奏ライヴ映像あり→文末】

   *****

そのカーチュン・ウォンが、日本フィルハーモニー交響楽団の首席指揮者に就任し、この10月13・14日、第754回東京定期演奏会(首席指揮者就任披露演奏会)に登壇した(サントリーホール)。いままでに同団には何度か客演しており、あたしは日フィルの定期会員なので聴いていたが、この日は、いよいよ正式な「首席」就任披露である。しかも曲は、演奏時間100分超におよぶ超大作、マーラーの交響曲第3番ニ短調(山下牧子=メゾ・ソプラノほか)。実はこの第3番は、カーチュンが優勝した年のマーラー・コンクールの、課題曲の1つだった(おそろしいコンクールだ!)。

会場はほぼ満席(13日)。このような形で、ふたたびカーチュンの指揮姿を見るとは予想していなかったので、とてもうれしかった。しかも2階R席なので、今回は彼の表情を見ながら聴くことになった。もともと童顔とはいえ(1986年生まれなので、まだ37歳である)、こんなに楽しそうに、うれしそうに、幸福の表情で指揮しているとは驚いた。今回も暗譜である。この大曲を暗譜で振る指揮者は珍しくないが、とにかくマーラーのスコアは指示や記号が多い。それらがすべて脳裏に刻まれており、今回もまた、ひとつひとつていねいに、身振り手振りで表現して音を引き出すかのようだった。

日フィルもまさに入魂の演奏で、冒頭のホルン(9本!)から見事なそろい方。第4楽章、女声ソロ(ニーチェ『ツァラトゥストラはかく語りき』)とホルンの“かけ合い”も、美しかった。第6楽章では7人(対)のシンバル奏者が同時炸裂し、まるで首席就任を寿ぐ大讃歌のようですらあった。終演後も拍手は鳴りやまず、聴衆は帰ろうとしない。楽団員が下がったステージに一人呼び出され、いつまでも笑顔で拍手に応えていた。

カーチュン

この曲をマーラー自身は、当初、一種の“自然讃歌”として計画していた。だから、むかしのLPには、本来付く予定だった副題《夏の朝の夢》が冠せられた盤がよくあった。それを考えると、いささか大スペクタクルになりすぎたような気もしたが、ただ、やはりカーチュンは、本来の姿を追っていたのだとわかる瞬間があった。それは最終楽章の最後のフェルマータの和音である。スコアには「伸ばせ」「ディミヌエンド(次第に弱く)するな」などと書かれているが、よく見ると強弱記号はせいぜい「ff」である。それどころか金管群は単なる「f」だ。「力ずくではなく、高貴な音で満たせ」なんて指示もある。

しかし、あたしなど、マーラー3番といえばバーンスタインとNYフィルの旧盤で知った世代である(そもそも1961年の録音時からしばらくは、いまほど有名な曲ではなかった)。それだけにバーンスタインの熱すぎる演奏が刷り込まれてしまっており、ついクライマックスは「fff」くらいが書かれているような気になっていた。だが、そうではないのだ。

当然カーチュンは、それをわかっていた。最後の音が切れる瞬間を、「フワッ…」と終わらせた。「バシッ‼」とは切らなかった(ところが、「フワッ…」の瞬間に拍手をしてしまう聴衆が数人いたので、ご本人は一瞬、悔しそうな表情を浮かべていた/13日)。

やはり《夏の朝の夢》で終わらせたかったのではないだろうか。
(一部敬称略)

当日(10月14日収録)のライヴ映像配信(冒頭1分は無料視聴可能。1,000円で3か月間、全編視聴可能)。

カーチュン・ウォン指揮/東京佼成ウインドオーケストラ YOUTUBE無料配信
ムソルグスキー《展覧会の絵》(高橋徹編曲)全曲ライヴ映像(2018年11月23日収録)

17:13  |  コンサート  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2023.08.27 (Sun)

第421回 文楽とバレエが同居した、前代未聞の合同公演

舞台芸術のあしたへ
▲国立劇場6館研修終了者合同公演

独立行政法人日本芸術文化振興会は、6館の国立劇場を運営し、それぞれが研修事業を実施している。歌舞伎、大衆芸能(太神楽、寄席囃子)、組踊(琉球音楽劇)、能楽、文楽、オペラ、バレエ、演劇……と多岐にわたっている。

あたしが国立劇場の研修制度を強く認識したのは、1986年、スーパー歌舞伎の第1弾、『ヤマトタケル』初演だった。かなり重要な脇役「みやず姫」を、名題下の市川笑也が見事に演じたのだ。三代目猿之助の門下で、それまで澤瀉屋一座では腰元などを演じていただけに、異例の大抜擢だった。

このとき笑也が一般家庭の出身で、国立劇場研修所の修了生(第5期)であることが話題となった。このあと、笑也は同演目の再演で兄橘姫役などに“昇進”、澤瀉屋の人気女形に成長する。同時に門閥を重視しない三代目猿之助の方針も明白になった。市川春猿(現・河合雪之丞)、市川段治郎(現・喜多村緑郎)といった研修所修了生が続々起用された。

そんな国立劇場研修所の修了生による合同公演『舞台芸術のあしたへ』に行ってみた(8月20日、国立劇場大劇場にて/昼夜2回公演のうち、夜の部を鑑賞)。初代国立劇場が10月で閉場されるにあたっての「さよなら特別公演」だという。

チラシを見ると(上写真)、歌舞伎からはじまって演劇、能楽、大衆芸能、組踊、バレエ、文楽、オペラ……など計9演目が上演されるようだ。いままで、こんな催しがあったのか寡聞にして知らなかったが、あたしは初めての見物である。

しかし、これだけのものをやるのだから、3~4時間を要すると思いきや、上演時間は休憩なしで1時間45分となっている。ということは、おそらく1演目10~15分程度。吹奏楽コンクールの規定演奏時間とおなじだ。いったい、こんな短時間で、歌舞伎から文楽、バレエ、オペラまでを、どうやって見せるというのか……。たぶん、演目ごとに幕を上げ下げし、なにもない舞台上でシンプルに、それこそ学校の体育館における合唱コンクールのように展開するものだと思っていた。

ところが、そうではなかった。最初、たしかに緞帳は下りていた。しかし開演して上がったら、最後まで緞帳は下りず、幕も引かれなかった。シンプルながら、ちゃんと舞台美術もある。あたしたちは9つの演目を観たのではなく、105分間の一幕出し物を見せられたのである。

ではどうやって舞台転換をしたのか。ほとんどの演目は、廻り舞台を使っていた。たとえば冒頭は中村又之助(第8期)、市川新十郎(第10期)による歌舞伎舞踊『二人三番叟』だった。正面に、人間国宝・竹本葵太夫(第3期)を中心に、三味線・鳴物。後方に松羽目板。終わると暗転して羽目板が上がり、舞台が廻り始める。

すると後方から廻ってきたのは、沖縄「ひめゆり学園」の女生徒たちである。新国立劇場の演劇ファンにはおなじみ、朗読劇『ひめゆり』だ(脚本:瀬戸口郁、演出:西川信廣)。全部で10数名、半分はつい1週間ほど前に本公演を演じた第17期の現役生たちである。もちろんダイジェストだが、さっきまで歌舞伎舞踊が展開していたおなじ板の上で、真っ赤な照明を浴びながら沖縄戦を題材にした現代劇が展開することに、まったく不自然さを感じなかった。

このようにして、次々と舞台を廻しながら、狂言『盆山』(昼の部は居囃子『高砂』)、太神楽(いわゆる曲芸)、そして国立劇場おきなわの組踊『手水の縁』と間断なくつづく。あたしは組踊を見たのは初めてで、それまで琉球芸能といえば民謡くらいしか知らなかったのだが、歌三味線による地謡がこんなに美しいとは思わなかった。

唯一、セットも道具もない舞台上で、むき身の肉体のみで展開した演目が、バレエ『ロマンス』である。新国立劇場バレエ団の貝川鐵夫が振り付け、ショパンのP協第1番の第2楽章で、5人の女性ダンサー(第15、17期)が踊った。2016年初演の人気演目だそうで、静謐で美しい舞台だった。

つづく文楽は、吉田勘彌(第2期)、吉田蓑二郎(第3期)の人形を中心にした『万才』。文楽特有の舞台機構「船底」「手摺」なども即席で設けられていた。さすがに「床」は設置できないので、太夫・三味線は舞台正面、長唄風の山台上で演奏された。

ちなみに文楽の研修所は、今年度、入所者がゼロだったことが話題となった。あたしは、その件で吉田勘彌さんに取材して「デイリー新潮」に寄稿したばかりだったので、他人事とは思えずに見入ってしまった(準備の都合上困難だったろうが、文楽を知らないひとにアピールするいい機会だったので、できれば八百屋お七の「火の見櫓」か「金閣寺」の木登りシーンなどを演ってほしかった)。

オペラは《椿姫》~〈乾杯の歌〉の場。ピアノ伴奏と簡素なセットだが、ちゃんとヴィオレッタ邸の大宴会を、衣裳・小道具付きで見せてくれる。しかも第1幕冒頭部から〈乾杯の歌〉終了までを字幕付きで全部聴かせてくれた。

最後に歌舞伎の景事《元禄花見踊》がにぎやかに演じられ、出演者全員が舞台上に並ぶフィナーレで終了。当日は両花道が付いており、歌舞伎陣は下手花道から、バレエやオペラ陣は上手花道から登場した。来月が『妹背山女庭訓』の通しなので、すでに両花道が設置されていたのだろう。おなじ舞台上に文楽の人形遣いとバレリーナが一緒にならぶ、前代未聞のヴィジュアルが展開したのであった。

これは、中学高校の芸術鑑賞会にぴったりの公演だと思った。一演目がせいぜい十数分。次から次へと瞬きする間もなく、まったくちがうタイプの演目が飛び出してくる。おそらく生徒たちは、終演後「どれが一番よかったか」で盛り上がるだろう。

仕込みや演者の確保で、そう簡単にはできないことは十二分にわかる。だが、これほど広範な舞台芸術があり、それを国が維持している姿を若いひとに見せることはとても重要だと思う。そして、これらの演目すべてに(ほぼ無償、もしくは奨励金まで出る)「研修制度」があり、安定企業への就職ばかりが未来ではないことを知ってもらう、いい機会だとも思うのだが。
(敬称略)

国立劇場タクシー突っ込んだあと
▲8月11日に、タクシーが突っ込んだ跡(国立劇場)

19:40  |  コンサート  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2023.07.19 (Wed)

第416回 【追悼】「拍手をしないでください」と”説教”した、外山雄三さん

外山雄三パシフィル
▲これが外山雄三さん、最後のステージだった

作曲家・指揮者の外山雄三さん(1931〜2023)が、7月11日に亡くなられた。享年92。いうまでもなく、日本で現役最長老のマエストロだった。

最後のステージは、5月27日、パシフィックフィルハーモニア東京(PPT)の第156回定期演奏会だった(東京芸術劇場)。プログラムはシューベルトの交響曲第5番と第9番《ザ・グレイト》。

あたしは、最近、縁あってPPTの定期に行っているのだが、この日は都合でどうしても行けなかった。そこで、知人(60歳代、男性)が行っていたので話を聞いたら、ある意味、壮絶なステージだったようだ。

「開演前に楽団長のあいさつがあり、“外山さんがゲネプロで体調を崩した、よって前半の5番は指揮者なしで演奏し、後半の9番で登壇していただく”——とのことでした。

5番は小編成で、コンサート・マスターを中心に、とてもきれいな演奏でした。後半の9番になり、いよいよ外山さんが登壇しました。しかし、スタッフに支えられてようやく指揮台に上がったような感じで、ほんとうに大丈夫かなと不安を覚えました。

演奏は始まりましたが、後ろ姿を見ているかぎり、なんとなくつらそうで、私は音楽にあまり集中できませんでした。

それでもなんとか第3楽章が終わり、最終楽章に入る直前、なにやらコンサート・マスターに話しかけていました。『(自分は)これから何をやればいいのか』と訊ねているような感じでした。

いよいよ最終楽章がはじまりましたが、しばらくすると、嘔吐されたのか、あるいは咽〔むせ〕たのか、口をおさえて指揮できなくなりました。すぐにスタッフが車椅子で外山さんを下がらせました。たいへん素早い対応で、おそらく舞台裏では、この事態を想定していたような気がします。

その間、演奏は、コンサート・マスターを中心にストップすることなく、つづいていました。ひとの生死にかかわる事態が起きているのに、それでも演奏しなければならないのか……と少々複雑な思いでした。仮に途中終演になっても、誰も払い戻しせよなんて、いわなかったと思います。

しかし、これもきっと想定内だったのでしょう。おそらく外山さんの希望でもあったと思います。ボロボロになっても指揮台に立った外山さんと、あんな状態でも最後まで見事に演奏をつづけたPPTの姿に、演奏家の宿命みたいなものを感じ、最後には感動を覚えました」

終演後、鳴りやまぬ拍手のなか、車椅子で外山さんがカーテン・コールに登場し、客席に頭を下げたという。ちゃんと意識もあって、意外としっかりした様子に、みんな安堵していたそうだ。

伝聞なので正確ではないかもしれないが、以上が外山雄三さんの生涯最後のステージ姿である。引退を口にすることもなく、最後まで現役だったのだ。

   *****

あたしの高校時代、親がNHK交響楽団の定期会員だという同級生がいた。2席持っているのだが、しばしば親が行けなくなると誘ってくれて、よく2人でオープン間もないNHKホールへ行った。するとかなりの確率で、指揮が外山雄三さんだった(定期だけでなく、いわゆる名曲コンサートも多かった)。

その外山さんが指揮すると、これまたかなりの確率で、アンコールが《管弦楽のためのラプソディ》だった(聴衆は、そっちを期待しているフシが感じられた)。

この曲は、1960年、N響世界一周ツアーのアンコール用に外山さんが作曲した、約7分の小品だ。本来、20分ほどの曲だったが、リハーサルで岩城宏之さんが「長すぎる」とカットした。ところが、それが吉と出てアンコール・ピースとして定着した。《あんたがたどこさ》《ソーラン節》《炭坑節》《串本節》《信濃追分》《八木節》などが次々登場する、熱狂の狂詩曲(ラプソディ)である(もしかしたら、この数年前に朝比奈隆がウィーン・トーンキュンストラーとベルリン・フィルで初演した、大栗裕《大阪俗謡による幻想曲》が脳裏にあったかもしれない)。

N響世界一周
▲聴くたびに、感動で涙が出る。

このときの世界ツアーのライヴ録音がCD8枚組セットになっている。《ラプソディ》は、ワルシャワ、ローマ、ロンドンでの演奏が収録されている。指揮の岩城さんは当時28歳。ローマでは当時29歳の外山さん自身が指揮しており、聴衆が熱狂興奮している様子がおさめられている。

この世界ツアーには18歳の堤剛vc、16歳(高校生!)の中村紘子pも同行した。最年長が32歳の園田高弘p、31歳の松浦豊明pである。

戦後15年、復興なった敗戦国日本の姿を世界に発信するべく、外山さんと岩城さんをはじめとする青年たちと少年少女が、かつて自分たちを「イエロー・モンキー」と嘲笑した国へ乗り込み、全身全霊で演奏している。若き日の外山さんの大仕事だ。この感動的な録音を聴くたびに、あたしは涙を禁じえない。

ちなみに《ラプソディ》は、のちに藤田玄播氏の編曲で吹奏楽版になっており、いまでは《吹奏楽のためのラプソディ》として、日本吹奏楽界の重要レパートリーになっている。

   *****

あたしは、外山さんとは、何度か立ち話で雑談した程度の面識だが、なんとなく、町内会長の江戸っ子オヤジのような印象があった。その印象を生前の岩城宏之さんに話したら、「そりゃそうですよ、あのひとは指揮者としては、徹底的な現場たたき上げだもん」といっていた。

外山さんは東京藝術大学の作曲科を卒業後、1952年にNHK交響楽団に「打楽器練習員」として入団する。それから「指揮研究員」となり、現場でアシスタントや副指揮者として、実地で勉強しながら指揮を身につけていったのだ。岩城さんが「現場たたき上げ」と称した所以である。

   *****

外山さんでは、わすれられない“説教”がある。外山さんは、歴史ある東京国際音楽コンクール〈指揮〉の審査委員長を長くつとめていた(3年ごと開催)。その第18回(2018年)の「入賞者デビュー・コンサート」(2019年5月、東京オペラシティ)で、外山さんが、開演前にあいさつに立った。てっきり、選評を話されるのかと思ったら、意外なことをいい出した。録音していたわけではないので、正確ではないが、おおむね、こんなスピーチだった。

「海外のコンクールの聴衆は、日本よりずっと厳しい。聴いてよくなければ、平気で席を立ち、出て行ってしまいます。本日、これから、上位入賞した若者たちが指揮をします。しかしどうかみなさん、お聴きになって、よくなければ、無理に拍手などしないでください。気に入らなかったら、音を立てて出て行ってかまいません。それがかえって、彼らを育てることになるのです」

客席からは笑いがもれたが、いかにも外山さんらしい、ユーモアと厳しさが同居したスピーチだった。おそらく外山さんは、何でも拍手してほめる日本の聴衆のアマちゃんぶりに、イライラしていたのではないだろうか(岩城宏之さんも、むかし、本番中に似たようなことを客席に向かって話して物議を醸したことがある)。

なお、このとき外山さんが「無理に拍手をしないでください」とまでいった入賞者は誰だったか、みなさんご存知ですか。1位が、いまや日本クラシック界で人気絶頂の、沖浦のどかさん。2位が、この4月に東京佼成ウインドオーケストラ定期で《コッツウォルド・シンフォニー》の名演を披露した、横山奏さんですよ。

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▲ロストロポーヴィチ(チェロ)と共演する外山さん。おそらく、彼の委嘱で作曲した《チェロ協奏曲 第1番》の演奏風景。
(出典:WikimediaCommons)

□パシフィックフィルハーモニア東京のお悔やみメッセージ
外山さん指揮、N響による《管弦楽のためのラプソディ》(1983年の映像)
※オールドファンにはたまらない、懐かしい顔ぶれが勢ぞろいしています。

□《管弦楽のためのラプソディ》1960年N響世界ツアー、ワルシャワでの録音(岩城宏之指揮)は、こちら
※ナクソス・ミュージック・ライブラリー(非会員は冒頭30秒のみ)

16:40  |  コンサート  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2023.03.24 (Fri)

第391回 名曲喫茶で聴く《レニングラード》(下)

NBC.jpg
▲1942年7月19日のライヴ(CD化は数種類あるが、これはもっとも音質がいいといわれている「オーパス蔵」盤)。

前回からのつづき)

ショスタコーヴィチの交響曲第7番《レニングラード》は、誰もが、クーセヴィツキーがアメリカ初演をすると思っていた。

しかし、実はNBC放送局が、昨年1月、クイビシェフにおける初演時、リハーサルでも一音も耳にせず、どんな曲かもわからないうちに、モスクワ支局を通じて、西半球初演権の交渉を始めていたのだ。そして、すでに4月に、NBCは、アメリカ初演権を手中にしていたのである。


だが、問題は「誰に指揮をさせるか」だった。
NBC交響楽団といえば、トスカニーニのラジオ放送用に設立されたオーケストラだから、当然ながらトスカニーニが指揮するのがふつうである。ところがこの時期、トスカニーニは、NBC側と意見が合わず、同団を一時辞任し、離れていた(そもそも、もうトスカニーニは「定期演奏会」活動は引退していたのである。それを、NBCは、新しい交響楽団をつくって、「ラジオ放送だけですから」と、老体をむりやり引っ張り出させていたのだ)。
もう一人、ストコフスキーもNBC響と縁が深いとあって候補にあがったが、彼もトスカニーニも、ともに、来シーズンから、W常任指揮者としてカムバックすることになっており、この時期は、NBC響とは“無縁”状態だったのだ。

NBCは、交響曲第7番そのものと、演奏するオーケストラは手中にしたが、指揮者については、確定できなかった。トスカニーニもストコフスキーも、NBCとの共演は来年の契約であり、まだ先である。しかし、マエストロ・トスカニーニだったら、このスコアを見て気に入れば、この夏、指揮すると言い出すかもしれない(4年前に、彼はショスタコーヴィチ第5番の初演をオファーされ、断っていたのだが)。そこで、スコアがトスカニーニのもとへ届けられた。NBC側は息を呑んで反応を見守った。スコアを見るや、彼はこう言った。「非常に興味深い、これは効果抜群だ」。彼はもう一度スコアを見て、こう言った。「Magnificent!」(素晴らしいぞ!)。


このときトスカニーニは、15歳年下で還暦のストコフスキーに「わたしのような反ファシズムの老人が指揮してこそ、効果がある。キミはまだ若いのだから、ショスタコーヴィチを初演する機会は、いくらでもある」との手紙をおくったそうだ。
かくして、クーセヴィツキーもストコフスキーも、

実際は、ライバルである75歳のトスカニーニに先を越されていたのである。トスカニーニは、クーセヴィツキーより1カ月前の7月19日に第7番を指揮すると発表した。/(略)ストコフスキーはがっかりして西海岸に戻り、ロジンスキーは見向きもしなかった。NBCは、オーケストラの奏者を、この曲が必要とする大型編成に増員した。近視のマエストロ、トスカニーニは、毎晩、スコアに鼻を突っ込むようにして暗譜に励んでいた。

※トスカニーニは、基本的に暗譜で指揮した。極度の近眼で、スコアが見えにくかったためといわれている。

このころのクラシック指揮者たちの動向は、よくいえば“個性的”、悪くいえば“エゴのかたまり”で、昨今とのあまりにちがうド迫力に、驚くばかりである。

しかしとにかく、1942年7月19日、ニューヨークのNBCスタジオで、トスカニーニ指揮、NBC交響楽団によるアメリカ初演がおこなわれ、全米にナマ中継された(録音を聴くと、拍手が入っているので、スタジオ内に聴衆を入れたようだ)。

後年、この録音を聴いたショスタコーヴィチは「腹が立った。すべて間違っている。やっつけ仕事である」と語ったそうだ(ただし、偽書といわれているヴォルコフ編『ショスタコーヴィチの証言』内の記述)。たしかに、特に弦楽器の奏法が、現在とはちがっていたりして、違和感をおぼえるひとがいるだろう。
それにしたって、「初演」で、1時間強、ぶっつづけで圧倒的な演奏を繰り広げるトスカニーニは、まことに恐るべき老人だとしかいいようがない(何度も述べるが、このとき「75歳」である)。
この時期、問題のレニングラード包囲戦はまだつづいていた。そんな、いま現在起きている戦火のなかから生まれた抵抗の音楽を、同時進行のように演奏したのだから、熱が入ったことだろう。

そのラジオ放送録音を、約80年後の2023年2月、渋谷の名曲喫茶「ライオン」で聴いたわけだが、考えてみれば、《レニングラード》が初演された日も、「ライオン」は渋谷で営業していたはずである。
その日は、すでに太平洋戦争に入っており、1か月前のミッドウェイ海戦で、日本海軍の空母機動部隊は全滅していた。
また、ほぼ同じ日には、フランスで、ナチスドイツによる「ヴェル・ディヴ事件」が発生している。一挙に1万人以上のユダヤ人が検挙され、絶滅収容所へ送られたホロコーストだ。アラン・ドロン主演の映画『パリの灯は遠く』(1976)で描かれた事件である。
そして「ライオン」は、1945(昭和20)年の東京大空襲で、全焼する。戦後、1950(昭和25)年、往時とおなじ形で再建復活し、いまに至る。

ショスタコーヴィチは、この曲で、ナチスドイツへの抵抗だけでなく、ソ連当局の全体主義も批判しているとの解釈もあるらしい。
そんな音楽に、ウクライナ侵攻がつづく2023年2月、名曲喫茶「ライオン」でじっと耳を傾けているひとたちがいた。
ビリビリ震える「ライオン」のスピーカーに向かいながら、薄暗い店内で、あたしは、「名曲喫茶に消えないでほしい」と、心から願っていた。


【余談①】
前回冒頭で述べた中野の名曲喫茶「クラシック」は、創業店主の美作七朗氏が1989年に逝去、以後は娘さんが継いでいましたが、2005年に逝去され、閉店となりました。
しかし、”遺伝子”は残っています。阿佐ヶ谷「ヴィオロン」、高円寺「ルネッサンス」、国分寺「でんえん」の3店は、いずれも、中野「クラシック」の流れを汲む、正統派「名曲喫茶」です。

【余談②】
3月18日、東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団の定期で、本曲が演奏されました(高関健・指揮)。真摯で素晴らしい演奏でした。
4月15日にも、神奈川フィルハーモニー管弦楽団が演奏します(沼尻竜典・指揮)。

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