2017.12.12 (Tue)
第190回 富岡八幡宮のガムラン

▲「事件」三日後の富岡八幡宮(筆者撮影)
ずいぶん前のことだが、深川の八幡さま(富岡八幡宮)へ行ったら、境内でガムランを演奏(練習)しているひとたちがいて、びっくりしたことがある。あの独特の金属音が、敷石の地面や周囲の建物、木々に反響して、すばらしい響きだった。
あとで聞いてみたら、「深川バロン俱楽部」なる、アマチュアのガムラン演奏団体で、毎年、富岡八幡宮の夏の例大祭では、奉納演奏をしているのだという。確か、楽器類の倉庫も境内にあり、八幡宮が全面的にバックアップしてくれているというような話だった。
後日、その奉納演奏に行ってみたら、想像をはるかに上回るレベルと迫力で、またまたびっくりしてしまった。「深川バロン俱楽部」は、各地のさまざまな行事に出演したり、ガムラン指導なども行なっている、日本でもトップレベルのガムラン演奏団体だったのだ。1990年代の初頭、東京藝術大学の学生を中心に発足したのだという。下町の地域活動にこれほど本格的なガムランが定着していることも驚きだった。
夏の深川八幡祭りといえば、江戸三大祭りのひとつで、「水かけ祭り」としておなじみだが、以後、イメージは変わってしまった。わたしの中で、「富岡八幡宮」は、「ガムラン神社」となった。
毎夏、新宿三井ビルの広場で、「芸能山城組ケチャ祭り」が開催されている(今年で第42回!)。そこへまた、新たなガムラン鑑賞の機会が加わったわけで、しばらく、夏は、新宿と深川の2か所のガムランで、忙しかった時期がある。
そして、ともに同じアジアの神様とはいえ、八幡さま(応神天皇)と、バリ・ヒンズー教とを同居させてしまう自由さに、富岡八幡宮とは、ずいぶん開けた神社なんだなあ、と感心したものだ。
わたしは若いころ、ガムラン好きが高じて、バリ島へ行ったことがある(いちばんの目的は竹筒アンサンブル「ジェゴグ」だったが)。その際に見たバロン・ダンスは、確か30分くらいのもので、かなりユーモラスな雰囲気があった。
ちなみに「バロン」とは、獅子のような外見をしたバリ島の聖獣のことで、魔女を退ける守護神である。「バロン・ダンス」は、一種の悪霊払いの踊りで、ガムランの勇壮な伴奏で展開する。
ところが、そのときのガイド氏の話だと、これは外国人向けにダイジェスト校訂されたもので、昔は2時間以上かかるのが普通だったという。しかも、本来はかなり激しい宗教儀礼舞踏で、踊り手は憑依状態になり、生きた鶏をしめたり、刃物で皮膚に傷をつけて血を流すなんてこともあったらしい。それが、オランダ植民地時代となって欧米人がさかんに訪れるようになると、野蛮な芸能であるとの批判が出て、いまのような、適度な長さの、ユーモラスな味付けを加えたダンスになったのだという。
富岡八幡宮殺人事件の発生から数日。
ラジオを聴いていたら、キャスターが「犯行に及んだ人物が《怨霊となり祟りつづける》なんて遺書を残して自殺した――そんな神社に初詣に行くのは、ちょっと気が引けてしまいますねえ」と言っていた。
まあ、確かにそう感じるひともいるだろう。
だが、もしほんとうに怨霊がいるとしても、何の心配もない。「深川バロン俱楽部」のバロンが、追い払ってくれるから。来年も、ぜひ、あの奉納演奏と「バロン・ダンス」を、真夏の夜の境内で披露していただきたい。
※「深川バロン俱楽部」の奉納演奏などは、同倶楽部のサイト内映像で一部を見ることができます。
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2017.12.07 (Thu)
第189回 キルギスの民族音楽

▲キルギス民族音楽アンサンブル「オルド・サフナ」(11月22日、東京音楽大学)
キルギス共和国の民族音楽を初めて実演で聴いた。
同国のアンサンブル「オルド・サフナ」の、東京音楽大学付属民族音楽研究所における公開講座である(11月22日、同大学にて)。同研究所のキルギス人講師、ウメトバエワ・カリマンさんの解説で進行した。
中央アジアに位置するキルギスのひとびとは、元来が遊牧民族で、自然の中で暮らしていた。そんな彼らが奏でる音楽だから、大音量の、野性的な音楽を予想したが、そうではなかったので、意外だった。同研究所はガムランの紹介や指導でも有名だし(これぞ大音響民族音楽の極み)、ショスタコーヴィチの《ロシアとキルギスの民謡の主題による変奏曲》などで得ていた先入観のせいもあった。
ところが、音量はたいへん控えめで、音楽内容も極めて上品だったのだ。
編成は8人。コムズ(3弦の撥弦楽器)、クルクヤック(2弦の擦弦楽器)、口琴(鉄製、木製)、縦笛、横笛、土笛(オカリナ)、太鼓などで構成されており、曲によって歌唱が加わる。
最初、この控えめな上品さは、わざと洗練した「演出」かと思った。すでに2回目の来日で、CDも製作しており、海外公演も多いという。日本でも、外国人観光客向けに、舞妓や芸者のお座敷芸のエッセンスを見せるツアーがあるが、あれに近いのではないか、と。
だが、解説などによれば、そうでもないらしい。
遊牧民の生活は大草原を「水平」に移動するが、キルギスは国土の半分近くが標高3,000m以上の山岳国であり、中国国境には有名な天山山脈がある。そこで、キルギスの遊牧民は、「水平」だけでなく、山岳地帯を「垂直」に移動することも多いという。よって、楽器も小ぶりで軽く、携帯に適したサイズとなった。となると、必然的に音量も小さくなり、移動が多いせいもあって、音楽は、大会場で不特定多数の聴衆に聴かせるものではなく、親族内のプライベートな楽しみとなったらしいのだ。
もちろんそれは、小編成の音楽アンサンブルの話であって、たとえば、日本銀行からキルギス中央銀行に派遣された日々の回想記『キルギス大統領顧問日記』(田中哲二著、中公新書、2001年初版)などによれば、「特に目立つのが舞台芸術の質の高さであり、素人の私がみていてもすばらしいものがある」そうで、特に、「ロシア・バレエ、キルギス民族舞踊のダイナミズムに圧倒されてしまう」という。今回の公演では舞踏はなかったのだが、おそらくそこでは、相応の音量で野性的な光景が展開されるのだろう。
ちなみに同書によれば、市民小劇場では、木下順二『夕鶴』がキルギス語で上演されていたほか、民族音楽もよく演奏されていた。著者は、ティルコムズ(鉄口琴)を覚え、宴席で演奏したという。「アイヌに伝わるムックリのような音色である。キルギスの音楽は、歌唱、楽器ともかなり哀調を帯びている」と記されている。
ともあれ、わたしが聴いた「オルド・サフナ」の演奏も、適度な音量の、確かにどこか哀愁や、懐かしさを感じさせるアンサンブルであった。
中心となる弦楽器コムズは、ギターや三味線のような奏法だが、一種の曲弾きもあって、楽器をさかさまにしたり、肩の上に乗せて弾いたり、見た目にも楽しいものであった。
曲は、自然や馬を題材に描くものが多く、ターライ作曲《ジュルクチュ》(馬飼い)などは、見事な疾走感にあふれており、途中に入る掛け声や口笛なども実に心地よかった。
たまたまこのアンサンブルだけの特徴かもしれないが、いわゆる全体を支える「低音楽器」はないようで、それが落ち着いた上品さを高めているような気もした。
アンコールで《上を向いて歩こう》が日本語歌唱入りで演奏されたのだが、これまでもがキルギス的な和音進行の、清浄感あふれる演奏だった(キルギス人と日本人は、先祖が同一民族だとの伝説があるせいか、たいへんな親日国である)。
中央アジアには「アラ・カチュー」(誘拐婚)と呼ばれる習慣があるという。いくつかの報道や書物で知っている程度なのだが、要するに男性側が、女性を承諾なしに誘拐し、無理やり花嫁にしてしまうことである。西洋社会からは、女性の人権を無視した野蛮な行為だと指摘されている(現在、どれほど行なわれているのかまでは、わたしは把握していない)。そんな予備知識と、彼らの演奏とのメージのちがいに、新鮮な驚きもあった。
できれば最後に、短時間でいいので質疑応答の時間をもうけてほしかった。
たとえばキルギスでは国民の7~8割がイスラム教徒のはずなのだが、娯楽音楽が敬遠されがちなイスラム教の環境で、民族音楽がどのような位置にあるのか。あるいは、同国の大昔の王の事績をあつかう口承叙事詩《マナスエポス》(前掲書によれば、全編口演に3~4日かかる、世界最長の叙事詩だという)についてなども、簡単でいいので、知りたかった。
同研究所の公開講座は、毎回、興趣に満ちた世界を紹介してくれる。入場無料なので、ぜひ多くの方々にもっと知られてほしい。
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