2023.02.10 (Fri)
第380回 ある洋食店の閉店【補遺】

▲「イコブ」三崎町店、閉店直前、1月最後のランチ・メニュー。
(火曜日から休業となったので、このメニューはすべて実現しなかった)
前回、書ききれなかった余話を。
「イコブ」の前身は、のちの三崎町店マスターMさんと、天神町店マスターNさんの2人が、昭和40年代に、紀尾井町の文藝春秋そばで開業したレストランだった。
そこから「イコブ」に発展・新規開業し、三崎町店をはじめ、系列店を増やしていった。
なにぶん、40年以上通ってきたので、その間、お二人からは、いろんな話を聞いた。
なかでも忘れられないのは、「飲食店が成功する出店エリア」の条件だった。
お二人の話をまとめると——
(いうまでもなく、世の中の景気がよかったころの話です)
*****
飲食店は、もちろん味や値段も重要だが、まわりに「警察」「大学」「病院」「出版社」があることが大切。
「警察」があれば、出前弁当がよく出る。特に制服の警官は、あの格好で外食はできないから、揚げたてのフライや肉ものが多い洋食弁当が歓迎される。
また、警察署には、意外と地方から臨時で来ている若い警察官が多い。たぶん、大きな事件や警備の応援だと思う。彼らは、東京の飲食店はよくわからないから、所轄の先輩に教えられた店の出前弁当を単純に注文するしかない。
「病院」「大学」は、一年中、学会や研究会をやっている。これが「大学病院」だったら、なお確実。昼をまたいでいる場合は、出前弁当100個なんて注文はざらにあった。
夜は、地方から来た先生たちと懇親会をひらくことも多い。その席で、情報交換しながら、他大学や病院の先生をスカウトする密談が、よくおこなわれていた。学部長クラスだったら銀座とか赤坂へ行けるんだろうが、ふつうの先生たちは、そんな贅沢はできない。うちあたりがちょうどいい。
「大学」の場合は、入試になると、試験官の昼食用に大量の出前弁当の注文が入る。また、大学が近くにあると、学生バイト集めに苦労しない。
「出版社」の編集者は、とにかく夜遅くまで仕事をしている。打ち合わせや作家の接待も多い。景気がいいころは、みんな経費で落としてくれた。電話や出校待ちで机を離れられない編集者も多いから、出前弁当もよく出る。しかも、酒呑みや食い道楽が多い。文藝春秋のそばで開業していた時に、つくづく感じた。
会社の経費で飲食する際は、ほとんどが「ツケ」だった。それを月に一度まとめて会社に請求すると、むかしは「現金」で支払ってくれた。支払いがあった夜は、閉店後に寿司をとって「さあ、来月も頑張ろう」と従業員みんなで祝杯をあげた。
このように、「警察」「大学」「病院」「出版社」のうち、せめて3つくらいそろっていて、ちゃんとした味と適度な価格を維持できれば、飲食店はまずうまくいく。
*****
ところが、この4つが、すべてそろっているエリアがあった。
水道橋の、「イコブ」三崎町店である。
2023.02.09 (Thu)
第379回 ある洋食店の閉店

▲閉店した「イコブ」三崎町店
あたしが会社に入社したのは、1981(昭和56)年4月のことだった。入社してすぐ、先輩から「夕食に行くぞ」と誘われ、近所の洋食屋に連れていかれた。
それが、レストラン「IKOBU」(イコブ)天神町店だった(地下鉄東西線「神楽坂」駅のすぐそば)。安くてうまいだけあり、毎晩、「夜の社員食堂」と化していた。
会社で打ち合せ後、作家とここで食事をする編集者も多かった。
あたしが担当していた演出家の故・和田勉さんも大のお気に入りで、よく夕刻に来社されていたが、実は、そのあとの「イコブ」のほうが目的だったフシがある。焼酎のお湯割りと「カレー味の洋風揚げ餃子」が大好きで、「ガハハおじさん」だけあって、酔うにつれて大音声となり、さすがに店長に「もう少し、お声を低く…」と諭されたことがある(一緒に新幹線に乗ったときも、車掌に同じことをいわれた)。
また、あえて名前はあげないが、ある大ベストセラー作家が、「イコブのビーフカツがおいしかった」とエッセイに書いて、一時、女性客が押しかけたこともあった。

▲最大6支店あったころのマッチ
実は、初めてその店へ行ったとき、妙な「既視感」を感じたことを、いまでも覚えている。店内のつくりや、店名ロゴデザイン、料理の味(特にカツカレー)……前から知っているような気がした。
そこで、マッチの函を裏返してみると、いくつかの支店名が書かれていて、いちばん上に「三崎町店」とあるではないか!
実はあたしの通った大学は三崎町(水道橋)にあり、学生時代、「イコブ」三崎町店には、何度か行ったことがあった(ただし、学生には贅沢な店だったので、そう何度も行けたわけではない)。
「イコブ」天神町店は、そことおなじ系列の店だったのだ(正確には暖簾分けのような別経営)。
かくしてあたしは、学生時代からひきつづき、今度は「イコブ」天神町店で呑み、食べ、出前の弁当をとり、大晦日には「イコブ謹製洋食おせち」を受け取りに行く、そんな食生活が続いた。
だが残念ながら、天神町店は2011年夏に閉店してしまった。しかし、その間、三崎町店にもふたたび通い出していたので、結局、その後は三崎町店で、ほぼおなじ味の食事をいただきつづけることになった。
たまたまその三崎町店マスターのご自宅が、あたしの家のすぐそばだとわかると、娘も親近感をおぼえて一緒に行くようになり、なんだか家族食堂のような気になっていた。

▲名酒「田酒」と、トマトのカルパッチョ
マスターの親族に青森の方がおり、そのルートで、青森のいい日本酒が恒常的に入るとあって、あたしのような呑兵衛にもたまらない店だった。お燗はちゃんと「湯灌」で人肌につけてくれるし、いまではどこでも手に入る屋久島の焼酎「三岳」など、東京では珍しかったころから置いていた。
そのほか、サントリーの「角」ハイボールはもちろん、「白州」「山崎」などもあって、洋食屋なのか居酒屋なのかバーなのか、わからなくなることも、しばしばだった。
冬には、わがままをいって、メニューにない「洋風ねぎま鍋」をやってもらった。かつて天神町店で人気があった「カレー鍋」を再現してもらったこともある。あたしは、これまたメニューにない、「おつまみ風豚バラ肉の生姜焼き」をよくやってもらった。酒の最高のツマミだった。
おそらく、水道橋周辺に長くいる方だったら、このお店のランチ(特にスタミナサラダ定食)や、マスターが原付バイクで配達してくれる「洋食弁当」「イコブ弁当」を知らないひとは、いないだろう。
そんな「イコブ」三崎町店が、1月半ば、予告もなく突如閉店してしまった。
シェフのUさんが突然の病で急死されたのだった。小さな店なので、シェフはUさんひとりで、フロアと弁当配達をマスターとアルバイト数名でこなしていた。そのシェフが急死してしまったのだ。
Uさんは、あたしと同年の65歳。以前より腰を痛めたり、胃を病んだりしてはいたが、それにしても、いつも陽気で、まだまだ大丈夫だと思っていたのだが。
Uさんは、天神町店にもいたことがあるので、あたしは、彼の料理を40年以上にわたって、食べてきたことになる。しっかりした味つけなのに、決してしつこくなく、いかにも「昭和の洋食」だった。
だがマスターはいつも「デミグラスソースの焦がし方が足りないんだよね。もっと焦がして苦みを出せと言ってるのに」と文句を言っていた。
普通、デミグラスソースのレシピでは「焦がしすぎると苦みが強くなってまずくなる」と書かれている。なのに「もっと焦がせ」という。おそらくマスターは、むかしの「昭和の味」を求めていたのだろう。
だがUさんは、その中庸をうまく切り抜けて、おいしい料理をつくってくれていた。

▲(左)カツカレー(これは小ライス)、(右)スタミナサラダ定食(たっぷりの生野菜+豚バラ焼きで、女性に大人気だった)
外見に似合わず(失礼!)、Uさんはイージー・リスニングの巨匠、マントヴァーニ・オーケストラの大ファンだった。おそらく国内盤CDは、すべて持っていたのではないか。一度、「マントヴァーニ・ベスト10」を挙げてもらったことがあるが、あれなど、キチンとメモをとっておくべきだったと、音楽ライターとしては後悔しきりである。
都内の老舗洋食店では、近年、有楽町「レバンテ」が閉店している。松本清張『点と線』に登場したレストランである。
神保町では、餃子の老舗「スヰートポーヅ」や、映画・ドラマのロケで有名な居酒屋「酔の助」も閉店した。
神楽坂では、巨人・松井ファンで有名な居酒屋「もー吉」、終戦直後からつづく甘味処「紀の善」が閉店した。
飲食店だけではない。東急百貨店本店の閉店で「MARUZEN&ジュンク堂書店 渋谷店」も閉店し、3月には「八重洲ブックセンター本店」も閉店する。
日本最古の週刊誌「週刊朝日」は5月で休刊となる。
理由は、みなそれぞれだが、「昭和」がどんどん遠くなる。むかしを懐かしがってばかりいてもどうしようもないのだが、江戸・東京で代々暮らしてきた家の人間としては、正直いって、哀しくて、つらい。
あたしにとって、「イコブ」三崎町店は、その最後の砦だったのだが。
52年間、ありがとうございました。
Uさんのご冥福をお祈りします。
※「イコブ」は、現在、飯田橋店が、最後の一店として営業しています。
ここも、とてもおいしい人気店ですので、ぜひ行ってください。
(メニューやお味は三崎町店とおなじではありませんが、共通する「何か」は十分感じられます)。
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冒頭(第1回)約15分が無料視聴できますので、よろしかったら、ご笑覧ください。
2021.07.11 (Sun)
第319回 酒にウイルスが入っているとでもいうのか。

▲3種類ある「虹アーチ型」ステッカー。
左から【A】(対策徹底)、【B】(王冠マーク)、【C】(点検済)
※本文参照
現在、東京都内の飲食店は、ほとんどが入口に「虹アーチ型」のステッカーを掲げている。
これが、いままで3段階にわたって変化していることを、ご存じだろうか。
最初が上記【A】タイプで、東京都が開設したウェブサイトにアクセスして自分の店を登録する。そして、ウェブ上でいくつかのアンケートのような質問に答え、「合格」すると、感染症対策に対する「宣誓書」と、店名入りのステッカーをダウンロードできる。
質問は「席の間隔を十分にとっているか」「換気を十分におこなっているか」といった常識的なもので、子どもでも「合格」できる。
小池都知事が、このステッカーを掲げながら「外での飲食は、このステッカーのお店を選んでいただきたい」と説明していた記者会見をご記憶の方も多いだろう。
かくして都内のあらゆるお店が「宣誓書」と「ステッカー」を入手し、十分な対策に取り組んだはずなのだが、感染拡大は、おさまらなかった。
その間、飲食店が感染拡大の温床なのか否か、その種の本格的な検証は、まったくおこなわれなかったはずだ。
すると東京都は「コロナ対策リーダー研修」なる制度を提唱し始めた。
今度は、飲食店に、最低1人、「コロナ対策リーダー」を置けと言い出した。
そして、そのリーダーは、感染対策の研修を受けろというのだ。
ただし、まさか東京中の飲食店を対象にした研修会など開催できるわけないので、ウェブサイト上で「研修動画」を公開した。
あまり聞いたことのない(若いひとは知っているのだろうが)お笑い芸人のようなコンビが登場し、店内の対策について、寸劇(ほとんど茶番劇)のような芝居を演じる。
そして、見終わったあと、またもアンケートのような質問があり、それに答える。
もちろんこれまた、子どもでもわかるような常識的な質問である。
それらに「合格」すると、再び、宣誓書のような書類と、今度は【B】のステッカーをダウンロードできるのである。
【A】とのちがいは「王冠」マークが付いていることで、下に「感染防止マナーお声かけ店 対策リーダー研修〇月修了」などと書いてある。
つまり「この店には研修を受けたリーダーがいて、お客様に対して『大声で話さないでください』『もっと席を離してください』などと声をかけますよ」というわけだ。
かくして都内の多くの店が、この【B】の「王冠ステッカー」を入手し、さらに十分な対策に取り組んだはずなのだが、感染拡大は、おさまらなかった。
その間、飲食店が感染拡大の温床なのか否か、その種の本格的な検証は、まったくおこなわれなかったはずだ。
すると今度は、「感染防止徹底点検」をはじめた。
すでに【B】までのステッカーを入手している店にメールをおくり、東京都が派遣する専門員の点検を受けろというのだ。
かくして多くの店が専門員(アルバイトと思われる)に店に来てもらい、「席の間隔は十分ありますか」「アクリル板は設置してますか」「換気は十分ですか」などをチェックしてもらった(【A】【B】段階での質問事項とほとんど同じ)。
すると「点検済証」と、【C】のステッカーがダウンロードできる。
どうやら、この【C】に至っていないと、今後、時短・休業の協力金なども申請できないようである。
かくして都内の多くの店が点検を受け、【C】のステッカーを入手し、さらに十分な対策に取り組んだはずなのだが、感染拡大は、おさまらなかった。
その間、飲食店が感染拡大の温床なのか否か、その種の本格的な検証は、まったくおこなわれなかったはずだ。
これほどまでに手間と経費をかけて、東京都は「感染拡大」対策をおこなってきたのだが、それでもおさまらず、この間、「緊急事態宣言」が4回も発出された。
後段の2回に至っては「酒類販売停止」「休業要請」、さらに4回目に至っては「卸売店から飲食店への酒類提供停止」などという、ほとんど社会主義独裁国家のような強権発動に至った。
わたしはこういうことは不勉強なのだが、これは、憲法で保証された経済活動の自由を妨げているのではないか。
いったい、いままでの【A】【B】【C】3段階の「対策」「研修」「点検」は、何の意味があったのだろうか。
これらをきちんとやれば、感染は拡大しないはずじゃなかったのか。
なのに、拡大がおさまらないのだから、理由は以下3つのどれかしかない。
①感染拡大の原因は、飲食店とは関係ない。
②飲食店のほとんどが【A】【B】【C】を守っていない。
③酒のなかにウイルスが入っているので、どうにもならない。
上記のどれかであろうことは、誰でもわかる。
いったい、いつまでこんなことが繰り返されるのだろうか。
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2018.09.19 (Wed)
第209回 他人に見せちゃいけない顔

▲表情を変えない、文楽の人形づかい/桐竹勘十郎・吉田玉女(現・玉男)『文楽へようこそ』(小学館)
文楽へ行くたびに、人形づかいは、よくあれだけの肉体労働をしていながら、無表情でいられるものだと感心する。
作詞家の阿久悠さん(1937~2007)は、かつてウェブサイトで「ニュース詩」を発表していた。その中に『金の年』と題する詩がある。こんな冒頭部だ。
「あるとき 父親に云われた/人間には/他人に見せちゃいけない顔が/五つある
飯をかっ喰う顔/便所で力みかえる顔/嫉妬で鬼になった顔/性に我を忘れる顔
そして もう一つ/金の亡者になった顔」
(『ただ時の過ぎゆかぬように 僕のニュース詩』より/岩波書店、2003年)
これは、2000年暮れ、「今年を表す漢字一字」として《金》が選出されたとのニュースを題材に書かれた詩である。
わたしは子供のころ、似たようなことを、明治生まれの祖母に言われた記憶がある。
「食事しているところと、用を足しているところは、ひとに見せるもんじゃないよ。“入り”と“出”は、同じようなもんだからね」
トイレはわからないでもないが、食事は、ひとと向かい合って会話しながらすることもある。それを見せるなとは無理な話だが、要は、ひとまえで大口をあけて飲み食いするのは失礼だとの戒めであろう。
ところがいまや、飲食店は、ガラス張りで内部丸見えの店ばかりである。中には、わざわざ表通り沿いにガラス張りのカウンターをもうけて、道行くひとたちに見られながら食事する店もある。
たとえば、神保町の老舗、東京堂書店の1階カフェがそうだ。カウンター下に「今週のベストセラー」が並んでいるので、往来からそれを眺めていると、食事中の女性客など、スカートの中をのぞかれていると思うのか、ときどき睨まれたりする。
我が家の近所にも、道に面した、本来「壁」のはずの部分が全面ガラス張りで、店内全容がまる見えの飲食店が、いくつかある。誰が、何人連れで、なにを食べているか、すべてまる見えである。ちなみに昨夜は、ご近所のA氏が、ガラス張り丸見えの居酒屋で、ひとりで本を読みながらウーロンハイを片手にシイタケの串焼きを食べていた。
むかしは、飲食店の店内は、外からチラリと覗くものであった。だから入口には「のれん」がかかっていた。入口ガラス戸は、下が曇りガラスで、上部が透き通っていた。のれんをちょいと上げれば、店内の様子を見わたせた。
だがいまは、客が店内を見るのではなく、店側が、無理やり店内全容を外部に見せている。繁盛ぶりを見せたいのか、あるいは「店内=エンタテインメント」と主張しているのか知らないが、よくああいう環境で、ひとに見られながら呑み食いができるものだと思う。電車内で平気で化粧をする、あの精神に通ずるものがあるような気がしてならない。
昨今のニュースは、「他人に見せちゃいけない顔」であふれかえっている。激昂するテニス選手、品のない政治家、データ改ざんする企業トップ、媚びる女子アナ――こうなると、もはやガラス張りの店で「飯をかっ喰う顔」くらい、どうってことないというわけか。少しは文楽の人形づかいを見習うわけには、いかんのか。
◆「富樫鉄火のグル新」は、吹奏楽ウェブマガジン「BandPower」生まれです。第132回以前のバックナンバーは、こちら。
◆毎週(土)23時・FMカオン、毎週(日)正午・調布FMにて、「BPラジオ/吹奏楽の世界へようこそ」パーソナリティをやってます。
パソコンやスマホで聴けます。 内容の詳細や聴き方は、上記「BandPower」で。
◆ミステリを中心とする面白本書評なら、西野智紀さんのブログを。
最近、書評サイト「HONZ」でもデビューしています。
2018.09.07 (Fri)
第207回 2003年、北米大停電

▲ロングセラー、ジュンパ・ラヒリ『停電の夜に』(新潮文庫)は、ロウソクが頼り(本文とは何の関係もありません)。
2003年8月14日、わたしは、出張で、エージェントのY氏とともに、ニューヨークの出版社「MARVEL」本社にいた。夕方の16時過ぎ、打ち合わせしていると、突如「バチン!」と音がして、ビル内の電気がすべて消えた。同時に「全員、退出」を促すサイレンが鳴った。2年前の「9・11テロ」の経験からか、ひとびとの対応は素早かった。我々も、階段で外へ出て、ホテルへもどることにした。
マンハッタンは、たいへんなことになっていた。信号が消え、ひとの流れは四方八方メチャクチャとなり、ときどき、タクシー同士がぶつかったりしている。
タイムズ・スクエア近くのホテルに着くと、すさまじい状況だった。エレベータが動かないため、身動きのとれない宿泊客が、ロビーどころか、表の道路にまであふれかえって座り込んでいた。
やがて、ホテルのスタッフがロビー中央にあらわれ、説明をはじめた。
「この停電は、カナダを含む、北米大陸ほぼ全域で発生した大規模なものです。復旧の見込みは、立っておりません。コンピュータが動かないので、チェックアウトも、チェックインもできません。エレベータも動きません。非常階段をつかってください。洗面室の水道は、屋上のタンクから供給されているので、しばらくは使えます。ただし、汲み上げポンプが動かないので、やがて水も出なくなります。なお、各部屋のドアのキーは、電池式ですので、ルーム・カードで自由に出入りできます」
我々の部屋は24階だった。決死の覚悟で階段を登った。非常階段は完全な暗闇だったが、Zippoのオイル・ライタを点すと、意外な火力で広い範囲を照らせた(当時、わたしは喫煙者だった)。充電できないので、スマホはなるべく使わないようにしていた。室内は窓からさす月明りで、まあまあ明るかった。深夜になると、トイレの水が流れないせいで、排泄物の匂いが漂いはじめた(そのほか、実にさまざまな出来事があったのだが、紙幅の都合で略す)。
翌日は、昼に、『バットマン』などの原作ライター、アンドリュー・ヘルファー氏とランチの予定だった。だが、もちろん店はどこも営業していない。スマホで連絡を取り、中間のワシントン・スクエア公園で会うことにした。
昼になっても電力は回復しなかったが、町中はのんびしていた。エアコンが止まっているので、サラリーマンもショップ店員も、みんな、ビルの外に椅子を出して、呆然と座っていた。
昼過ぎ、ヘルファー氏は、キックボードに乗って陽気にあらわれた。
「きみたちも、たいへんなときに来たもんだね。ボクも、昨夜から、スナック菓子しか食べてないよ」
……と、そのとき。芝生の向こうで、熱そうなピザをハフハフ食べながら歩いているひとたちがいるではないか! ヘルファー氏は、すぐに飛んで行って「そのピザ、どこで売ってるんですか?」と聞いていた。近くだというので、さっそく我ら3人も、駆けつけた。確かに小さなピザ屋があり、行列ができている。そこは、薪(マキ)の窯で焼く、昔ながらのピザ屋だった(ガス管も併設されていたが、そのときは薪で焼いていた。停電の影響でガスもダメだったのか)。中東系とおぼしき店員が3人がかりで、次々と粉をこねてピザ生地をつくり、焼いていく。「いまこそ稼ぎ時だ」と察したのか、あるいは「心底から温かい食べ物を提供したかった」のか、何かに憑かれたように、汗みどろで焼いている。
ほぼ24時間ぶりに口に入った、温かい食べ物――うまかった! やがて夕方になり、スマホの充電もついに切れたころ、マンハッタンのネオンが、再び灯りはじめた。
北米大停電の足かけ2日間、ほんとうに役に立ったのは、Zippoのオイル・ライタと、薪で焼いたピザだった。
(前回のつづきは、次回掲載予定)
◆「富樫鉄火のグル新」は、吹奏楽ウェブマガジン「BandPower」生まれです。第132回以前のバックナンバーは、こちら。
◆毎週(土)23時・FMカオン、毎週(日)正午・調布FMにて、「BPラジオ/吹奏楽の世界へようこそ」パーソナリティをやってます。
パソコンやスマホで聴けます。 内容の詳細や聴き方は、上記「BandPower」で。
◆ミステリを中心とする面白本書評なら、西野智紀さんのブログを。
最近、書評サイト「HONZ」でもデビューしています。