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2022.02.03 (Thu)

第345回 森田童子をめぐって(1)

血の歌カット
▲(左)なかにし礼『血の歌』、
(右)森田童子『東京カテドラル聖マリア大聖堂録音盤』
・・・ジャケットにタイトルも歌手名もなかった。当時としては新鮮なデザインだった。


 昨年暮れ、驚くべき本が出た。
 なかにし礼『血の歌』(毎日新聞出版)である。
 なにが「驚くべき」かというと、森田童子(1952~2018)が、作詞家・作家、なかにし礼(1938~2020)の姪だった……正確には、なかにし礼の兄の娘だったと書かれているのだ。
       *
 森田童子は、1970年代初頭からライヴ・ハウスなどで活動をはじめたシンガー・ソング・ライターである。
 モジャモジャのカーリーヘアに、黒丸のサングラス、黒い革ジャン。素顔は絶対に見せない。本名も年齢も明かさない。メディアにも登場しない。
 一度、野外でテント公演を行う様子が、TVドキュメントで放送されたことがあったが、本格的露出は、これくらいではなかろうか。

 曲は、内気な若者の心情や、不器用な恋愛関係をうたうものがほとんどだ。囁くような声質で、決してうまくはないのだが(高音になるとピッチが上がりきらず、苦しそうだった)、不思議な味わいがあり、一度聴いたら忘れられなくなる。
 メジャー・デビューは、1975年10月リリースのシングル《さよならぼくのともだち》。以後、シングル4枚、アルバム7枚(ライヴ含む)のみをリリース。1984年に新宿ロフトでライヴ開催後、活動はなし。そのまま、事実上の引退となった(原節子と似ている)。
 以後、2018年4月に訃報が伝わるまで、一切、表には出なかった。2003年に、ベスト・アルバムのために1曲だけ、新規レコーディングをおこなっているが、このときも、インタビューなどは一切なかった。

 引退後の1993年、TBSのドラマ『高校教師』(真田広之、桜井幸子主演)で、森田の《ぼくたちの失敗》(1976)が主題歌に使用され、大ヒット。最終的に100万枚近いCDが売れ、旧盤のCD化再発などがつづき、リバイバル人気となった。

 わたしは、高校~大学時代、よく森田童子を聴いていたが、いまでも忘れられないのは、1978年にリリースされた『東京カテドラル聖マリア大聖堂録音盤』と題するLPだ(現在、CDあり)。
 江戸川橋のそば、椿山荘の向かいに、丹下健三の設計による「カトリック関口教会・東京カテドラル聖マリア大聖堂」なる巨大な教会があり、そこでのライヴだという。そんな建築物、このとき初めて知ったし、教会のなかでフォークのライヴなんかやっていいのかと驚いた。
(実は、あとで知ったのだが、1976年リリース、荒井由実の《翳りゆく部屋》の冒頭で鳴り響くオルガンが、この教会の初代オルガンだった。ユーミンは森田より早い時期に、この教会を使っていたのだ)

 この教会には、大人になってからは、コンサートや結婚式、葬儀ミサなどでしょっちゅう行くようになったが、そのころ、テント小屋やロフトでうたっていた森田童子が、こういう「スゴイ場所」でライヴをやるなんて、ちょっと不似合いだなと感じたのを覚えている。

 というのも、このライヴでは、曲間で、森田がナレーションともつぶやきともつかない口調で近況を話しているのだが、それが、あまりにうまくできているのだ。とても体験談とは思えない、いや、それどころか、どれも、絶対に森田(もしくは背後にいる誰か)の創作だろうといいたくなるような、見事な一編の「詩」「掌編小説」なのだ。

 たとえば、
 「わたしが高校生だったころ……松本さんという教育大の先輩がいました。学園闘争の激しいころで……彼女は、単位が取れず、中退してしまったわけです。しかし……お父さんが教育者だったため、故郷にも帰れず……男のひとと、久我山で暮らし始めました。その部屋に行くと……(略)1年前に国電の駅で、松本さんに会ったわけです。松本さんは、男のひとと別れて、図書館で働いていました……(略)」

 と、なかなかドラマティックな物語が、よどみなく語られるのだ。この「~なわけです」の文末が、特徴的だった(この種のエッセイのような話が、よくLP中のライナーにも載っていた)。
 そのほか、このライヴは、冒頭からして、カリヨンが鳴り、雷鳴が轟くなど、なかなかすごい演出なのだ。

 もしかしたら、森田童子とは、人前に出たくない、素顔を見せたくないようでいて、実態は、ちがうのではないか。実は稀代のパフォーマーで、アングラ演劇よろしく、暗くて寂しげな外見を「演じている」のではないか。
 ついては、彼女の背後には、プロの「演出家」がいるのではないか。ゆえに、テント小屋やライヴ・ハウスで控えめにうたう一方、丹下建築の大舞台で「詩」を堂々と”暗唱”するようなことも、できたのではないか。
 学生時代、LP 『東京カテドラル聖マリア大聖堂録音盤』を聴きながら、おぼろげだが、わたしは、そんな違和感を抱いていた。
 それが、当たらずとも遠からずだったことを教えてくれたのが、暮れに刊行された、なかにし礼の『血の歌』だったのだ。
 あれから、もう40年以上がたっていた。
〈敬称略/この項、つづく〉

□ユニバーサル・ミュージック、森田童子CDは、こちら
□毎日新聞出版、なかにし礼『血の歌』は、こちら

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2020.12.25 (Fri)

第292回 筒美京平、半歩立ち止まる。

筒美京平
▲めったに表に出なかった、筒美京平(和田誠・装画のデータブック)


 初秋に、さほど深刻ではなかったものの、少々、体調を崩した。
 わたしは、10余年前に受けた食道(噴門)癌手術の後遺症のようなものを抱えている。普段はクスリでおさえており、何ということもないのだが、数年に一度、調子が悪くなる。そのたびに、短期入院もした(今回は、そこまでには、至らなかったが)。
 昨年秋には、再発と思われる腎臓腫瘍の切除手術も受けた(悪性ではなかったが)。

 そんなせいで、力が入らない日々を過ごしていると、ただでさえコロナ禍で、多くの仕事がうまく進まないところへ、著名人の逝去のニュースがつづき、気が滅入ってきた。
 その後、体調もほぼ回復したので、当コラムを再開しようと考えていた矢先でもあったので、出鼻をくじかれたような気分だった。

桑田二郎(漫画家)、エンニオ・モリコーネ(映画音楽作曲家)、弘田三枝子(歌手)、外山滋比古(言語学者)、濱野彰親(挿絵画家)、須藤甚一郎(目黒区議、元芸能レポーター)、渡哲也(俳優)、豊竹嶋太夫(義太夫)、かぜ耕士(作詞家)、井出孫六(作家)、近藤等則(ジャズ・トランぺッター)、大城立裕(作家)……かつて仕事でお世話になったり、敬愛してきたひとの訃報は、つらい。

 なかでも、作曲家・筒美京平の逝去には、特にガックリ来た。
 (その後、中村泰士、なかにし礼の訃報までがつづいた)

 筒美作品の魅力は「半歩立ち止まる旋律」にあると、わたしは、むかしから思っていた。
 具体的にいうと、ほとんどの有名作品の、旋律の冒頭やサビの部分で、8分休符、もしくは4分休符が入るのだ。
 とりあえず、1980年代までの、主だった曲だけ、挙げてみよう(以下、✔印の部分が、休符)。

✔バラ色の雲と/✔思い出をだいて 
(ヴィレッジ・シンガーズ《バラ色の雲》、橋本淳・作詞/1967年)

✔君のすてきな/✔ブラック・コート
(オックス《スワンの涙》、橋本淳・作詞/1968年)

✔街の灯りが/✔とてもきれいねヨコハマ
(いしだあゆみ《ブルー・ライト・ヨコハマ》、橋本淳・作詞/1968年)

✔嫌われてしまったの/✔愛する人に・・・・・・✔あなたならどうする/✔あなたならどうする
(いしだあゆみ《あなたならどうする》、なかにし礼・作詞/1970年)

✔誰もいない海/✔二人の愛を確かめたくて
(南沙織《17才》、有馬三恵子・作詞/1971年)

✔小雨にぬれているわエアポート
(欧陽菲菲《雨のエアポート》、橋本淳・作詞/1971年)

✔いまもあなたが好き/✔まぶしいおもいでなの
(南沙織《色づく街》、有馬三恵子・作詞/1973年)

私の私の彼は/✔✔左きき
(麻丘めぐみ《わたしの彼は左きき》、千家和也・作詞/1973年)

✔もっと素直に僕の/✔愛を信じて欲しい
(郷ひろみ《よろしく哀愁》、安井かずみ・作詞/1974年)

✔あなたお願いよ/✔席を立たないで
(岩崎宏美《ロマンス》、阿久悠・作詞/1975年)

ねえ涙拭く木綿の/✔ハンカチーフください/✔ハンカチーフください
(太田裕美《木綿のハンカチーフ》、松本隆・作詞/1975年)

✔午前三時の東京ベイは/✔港の店のライトで揺れる
(中原理恵《東京ララバイ》、松本隆・作詞/1978年)

✔いつか忘れていった/✔こんなジタンの空箱……✔飛んでイスタンブール/✔光る砂漠でロール
(庄野真代《飛んでイスタンブール》、ちあき哲也・作詞/1978年)

✔南に向いてる窓を開け/✔一人で見ている海の色……✔Wind is blowing from the Aegean/✔女は海
(ジュディ・オング《魅せられて》、阿木燿子・作詞/1979年)

✔ペアでそろえたスニーカー/✔春夏秋と駆け抜け
(近藤真彦《スニーカーぶる~す》、松本隆・作詞/1980年)

✔覚めたしぐさで熱く見ろ/✔涙残して笑いなよ
(近藤真彦《ギンギラギンにさりげなく》、伊達歩・作詞/1981年)

✔読み捨てられる/✔雑誌のように/✔私のページが/✔めくれるたびに
(松本伊代《センチメンタル・ジャーニー》、湯川れい子・作詞/1981年)

✔ベルが鳴る/✔あなたの部屋で
(薬師丸ひろ子《あなたを・もっと・知りたくて》、松本隆・作詞/1985年)

 このように、ことごとく、筒美作品は、1拍目の頭からスムーズに始まらないのである。
 多くが、半拍か1拍、休んで(グッと詰めて)から、始まるのだ。
 有名作品で、この種の「冒頭休符」がない曲は、《また遭う日まで》や《さらば恋人》《真夏の出来事》くらいではないだろうか。

 わたしは、むかしから、筒美作品を聴いたり口ずさんだりするたびに、この「冒頭休符」がなんとなく気になり、「半歩立ち止まる旋律」のように感じていた。
 あらためて口ずさんでみると、世の中が好景気で浮かれている時期にもかかわらず、そんな世相に溺れようとせず、冷静に見ているような曲調が多い。
 筒美作品は、絶対に世相に溺れない。
 どこか冷めた、せつない曲調が大半である。
 だから、ピンク・レディー(阿久悠・詞、都倉俊一・曲)のような、時代を陽性に体現している歌手には、向かなかった。
 その作曲姿勢は、どこか司馬遼太郎を思わせた。
 司馬作品は、戦国時代や幕末などの熱い時代を描いても、どこか冷めていた。
 改行の多い、シンプルな文章で、坦々とものがたりを進めた。
 筒美作品も、似ている。

 だが、常に大ヒットを求められる歌謡ポップスで、そうそう「冷静」「坦々」で通すわけにはいかない。
 そこで登場したのが「休符」だった。
 半歩(8分休符)、あるいは一歩(4分休符)、立ち止まって、一瞬、周囲を眺めてから、本題(主旋律)に入っていった。
 以上は、わたしの勝手な解釈だが、どうも、そんな気がしてならない。
 コロナ禍や桜の会で政府が右往左往しているこの時代に、筒美京平が全盛だったら、どんな曲を書いただろう。
 もしかしたら、立ち止まったまま、主旋律に入る気にもなれなかったのではないか。
 それこそ、ジョン・ケージ《4分33秒》のような、全編「Tacet」(休み)の曲になったかもしれない。
<敬称略>

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