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2021.08.15 (Sun)

第326回 本多劇場で歌舞伎!――松也自主公演『赤胴鈴之助』

松也の会チラシ
▲尾上松也自主公演 新作歌舞伎『赤胴鈴之助』

 昨年8月から歌舞伎座公演が再開しているが、まだ本来の興行形態にはもどれていない。再開当初は4部制で、各部、1時間前後の一幕興行だった。その後、3部制になったが、どれも見取り(抜粋公演)ばかりだ。たまたま今月の第一部が『加賀見山再岩藤』一本で、ひさびさに通し上演かと思ったが、これとて、「岩藤怪異篇」と題した見取りである。

 そんななか、とうとう、「長編スペクタクル」の「通し上演」が登場した。それは、尾上松也の「自主公演」「新作初演」で、会場はなんと、“小演劇の聖地”下北沢の「本多劇場」である。
 これが、たいへん面白い内容だったので、大急ぎでご紹介しておきたい。

 演目は『赤胴鈴之助』(戸部和久:脚本/尾上菊之丞:振付・演出)。往年の漫画・TV・映画で一世を風靡した作品の歌舞伎化である。松也の父・六代目尾上松助は、かつてTVで赤胴鈴之助を演じていたので、父子二代にわたる鈴之助役者となった。

 ものがたりは、原作どおり、少年剣士・金野鈴之助が、ライバルで親友の竜巻雷之進とともに、千葉周作の道場で修業しながら、幕府転覆を目論む鬼面党と闘う話である。
 だが今回は、魔界からよみがえった平将門が、娘の瀧夜叉姫や銀髪鬼とともに、背後から鬼面党を操っている設定になっており、いかにも伝奇歌舞伎らしくスケール・アップしていた。
 途中、チャリ場や、だんまり、舞踏、立ち回りなど、歌舞伎ならではの見せ場が次々と登場する。なかったのは、宙乗りと本水くらいではないか。
 なかでも、鈴之助vs将門の対決シーンは、松也の一人二役で圧巻である。定番の早替わり演出で、もうさんざん見てきた仕掛けなのだが、今回はあまりに見事で、いったいどうなっているのか、ちょっと驚いた。この演出を初めて観たひとは、何が何だか、わからなかったのではないか。

 ――こう書くと、澤瀉屋の芝居(いわゆる“猿之助歌舞伎”)を想像するかたもいると思う。実は、脚本の戸部和久は、近年話題となった、新作歌舞伎『風の谷のナウシカ』の脚本家のひとりで、ベテラン脚本・演出家、戸部銀作(1920~2006)の息子さんである。戸部銀作といえば、先代猿之助の「3S歌舞伎」(ストーリー、スピード、スペクタクル)を支えてきたひとだ。松也同様、脚本も父子二代の仕事だったのだ。

 役者も、松也を支えているひとたちばかりで、安定していた。
 市川蔦之助の瀧夜叉姫も若々しい艶と妖怪変化ぶりで、休憩時間に、(おそらく歌舞伎初心者の)女性観客がいっせいにチラシをひらいて「あれ、なんて役者なの?」と話題にしていた。
 賛助出演の中村莟玉は、千葉周作の娘・さゆりを演じた(吉永小百合は、12歳の時、ラジオドラマ版のこの役で芸能界デビューした)。いつもどおりの可憐さだが、意外や、達者なコメディエンヌぶりで笑わせてくれる。できれば初登場シーンのあと、薙刀で鈴之助たちを負かすところを見せてほしかった!
 鈴之助の親友、竜巻雷之進役に、生田斗真が客演している(わたしはよく知らないのだが、ジャニーズの人気俳優)。松也とは高校同級以来の親友だという。その芝居も発声も、完全に歌舞伎とは異質なのだが、なんとか見栄を切ったり、飛び六法を見せたり、懸命に演じていた。ちなみに、満席となった客席を埋めていた女性客は、大半がこのひとのファンだったと思われる。

 しかしとにかく、このような本格的な新作歌舞伎を、下北沢の「本多劇場」で観るとは、夢にも思わなかった。当然ながら、舞台機構には限界があるが、それを逆手に取った、アイディア満載の舞台美術や演出も楽しかった。
 たとえば、鈴之助が、奥義・真空切りを会得するシーンは、菊之丞の振り付けによる舞踏+プロジェクション・マッピング映像で迫力満点。松也最大の見せ場である。そもそも「真空切り」なんて、漫画ならではの設定なのだが、ちゃんと説得力ある表現になっていた。
 下座やBGMなどは、ほとんどが録音だと思うが、クライマックスで、和太鼓の生演奏が登場したのは効果的だった。短いが、床(義太夫)の実演もある。

 松也自主公演は、過去9回、ほとんどが名作芝居・名作舞踏で、このような大型新作は、今回が初めてのようだ。残念ながら自主公演は、これで最後らしいが、皮肉にも、最終回で松也は、レパートリーに定着できる芝居を生んでしまったような気がする。
 この舞台を、歌舞伎座の本興行に持ってくることは、無理だろう。新橋演舞場でも難しいか。だが、明治座あたりだったら……もしや、いけるのではないか。
 そのときは、ぜひ、宙乗りや本水もくわえて、新しい「3S」歌舞伎に育ててほしい。
〈敬称略〉

※尾上松也自主公演『赤胴鈴之助』は8月22日まで(詳細、こちら)
 舞台映像は、今後、Netflixで配信されるそうです。

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2021.03.18 (Thu)

第305回 ほんとうだった「名作の誕生」~文学座公演『昭和虞美人草』

昭和虞美人草
▲文学座公演『昭和虞美人草』(マキノノゾミ作、西川信廣演出)


 わたしは、一応”音楽ライター”なんて名乗っているが、芝居も好きだ。だが、たいした数は観ていないし、見巧者でもないので、劇評みたいなことは、あまり書かないようにしている。
 しかし、先日の文学座公演『昭和虞美人草』(マキノノゾミ作、西川信廣演出/文学座アトリエにて)は、ぜひ多くの方に知っていただきたく(29日まで、配信で鑑賞可能)、以下、ご紹介したい。
 特に、現在60歳代以上の方には、たまらないものがあるはずだ。

 これは、夏目漱石『虞美人草』の昭和版である。
 この小説は、漱石が朝日新聞社に入社して(つまりプロ作家となって)最初に書いた連載小説だ。漢文調が混じる、いまとなっては実に読みにくい小説である。一般の本好きで、本作を最後まで読み通したひとに、わたしは会ったことがない。これ以前の最初期2作が『吾輩は猫である』『坊っちゃん』だったことを思うと、なぜこんな小説を書いたのか、不思議ですらある。やはり連載媒体が「朝日新聞」だったからか。
 内容は――明治時代、漱石お得意のモラトリアム男たちと、(当時としては)異例なまでに活発な女性などが入り乱れ、グズグズいいながら恋愛関係になったり離れたりする物語である。明治維新後、旧時代を脱し、変わり始めた若者たちの姿を描いている――そんな小説だと思う。

 この青春群像劇を、マキノノゾミが、1973(昭和48)年に舞台を移して翻案した。
 4人の大学生がつくっているロック音楽のミニコミ誌が、書店で一般販売されることになった場面からはじまる。いうまでもなく、「rockin'on」と「ぴあ」がモデルである。
 原作の舞台は、東京と京都がほぼ交互に登場するが、ここでは、東京の雑誌編集部(主宰者の自宅の書斎)のなかだけで進行する。

 この4人に、気の強いお嬢様と、対照的なおとなしい娘がからみ、原作通り、結ばれたり離れたりしながら「おとな」になっていく姿が描かれる。
 この「おとな」になる過程が、重要なモチーフとなる。未熟な若者は、いつ、どういう経験を経て「おとな」になるのか。マキノは、6人の若者に様々な試練を与える。それらを乗り越えたとき、彼らの前に予想外の人生が開かれていく。

 こうして書くと、いかにも70年代を思わせる、泥臭い青春ドラマを連想するかもしれないが、そうならなかったところが、マキノ台本のうまさだ。
 なぜなら、70年代を象徴する多くの小道具や音楽、エピソードに、物語全体があまり入れ込まないのだ。どちらかというと、冷めて接しているような印象すらある。そのため、時代設定は1973年だが、いつの時代にも通用する普遍性が生まれた。

 たとえば若者のひとり・宗近(上川路啓志)が、”まちがった結婚”に進もうとしている友人を、えんえんと諭す長台詞の場面がある。ここで宗近はひたすら「まじめになれ」と説く。いまさら「まじめ」とは、いかにも70年代的で面映ゆい気もするが、実はこれが、現代の我々へのメッセージであることに気づく。
 なにごとも付け焼刃的な対応でごまかすひとたち。ネットやSNSばかりに頼って人間本来の温もりをわすれてしまったひとたち。「まじめになれ」は、そんな2000年代のわたしたちに対する、1973年からのメッセージなのだ。

 役者は、さすがにアンサンブル抜群の劇団だけあり、全員、素晴らしい演技を見せる。特に上述の上川路啓志は往時のロック青年を見事に再現し、忘れがたい名演技。「まじめになれ」説教の場は、近年の演劇史上にのこる名場面だと思う。
 わがままお嬢様を演じた鹿野真央もすごい迫力だった。
 登場人物10人、そのうち2人だけが年輩者で、あとはすべて若者である。全2幕、正味2時間半の長い芝居だが、学生演劇や、若手アマチュア劇団でもチャンレジしがいのある戯曲だと思う。

 新聞の劇評に「長く上演されるべき名作の誕生を見た思いだ」(読売新聞、3月16日付夕刊)とあったが、決して大げさではない、多くのひとに観てもらいたい舞台である。
<敬称略>


※公演は、東京・信濃町の文学座アトリエにて、3月23日(火)まで。
 その後、岐阜・可児市文化創造センターで27日(土)~29日(月)。
 詳細はこちらで。

※「ライブ映像配信」は、3月19日(金)23:59まで/20日(土)0:00~26日(金)23:59(税込3,000円+手数料/文学座支持会員の一部は無料)。
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2021.03.11 (Thu)

第303回 石巻の「ベテランにして新人」ジャーナリスト

石巻
▲本庄雅之さんが寄稿した、東京中日スポーツ新聞の紙面(3月11日付)。
「壁新聞」風にレイアウトされている理由は、下記本文で。


 本日は3月11日。
 どのメディアも「東日本大震災10年」で一色だが、本コラムでは、あるジャーナリストをご紹介したい。
 すでにYAHOOニュースにも転載されたので、ご存じの方も多いと思うが、東京中日スポーツ新聞の芸能デスクだった、本庄雅之さん(61)である。

 本庄さんは、長年つとめた同社を昨年末に定年退職し、故郷の宮城県石巻市にもどった。そして、この1月、地元紙「石巻日日(ひび)新聞」に再就職。第二の人生を歩みはじめた。
 本庄さんは、本日(3月11日付)、古巣「東京中日スポーツ」の文化芸能面に寄稿し、次のように書いている。

「10年前のあの日、実家も被災。丸4日、両親の生死が分からなかった。避難所での生存が確認できたのもつかの間、父親は避難先の秋田で難病を発症。6月に旅立った。極度のストレスが原因ではないかと関連死の申請をしたが、認められなかった。1年半後、リフォームした実家に戻った母親も4年前に他界。以来、家のメンテナンスなどで行き来しながら、石巻を見つめてきた」

 彼が再就職した「石巻日日新聞」は、前身まで含めれば1912年創刊の老舗新聞。石巻市、東松島市、女川町で発行されている夕刊紙だ。
 災害発生時、社屋が被災し、印刷が不能となった。だが、その間、「手書きの壁新聞」や「市販プリンタによる印刷」で「発行」しつづけ、結局、1日も休刊しなかったことで一躍注目を浴びた。その年の菊池寛賞を受賞している。

 いまでは地元紙で活躍する本庄さんだが、もともとは、演劇ジャーナリストである。
 大学卒業後、日刊スポーツを経て、東京中日スポーツの芸能記者となり、主に演劇、歌舞伎、宝塚歌劇などを取材、健筆をふるってきた。
 実は本庄さんは、わたしの大学ゼミの1年後輩で、学生時代からいまに至るまで、親しくしている。劇場や歌舞伎座でばったり会うことも多く、仕事で情報交換したり、陰で助け合ったことも何回もあった。

 そんな本庄さんが、若いころ、特に情熱を注いで取材していたのが、先代(三代目)市川猿之助(現・ニ代目市川猿翁)一座の歌舞伎だった。
 三代目は「歌舞伎の革命児」などと呼ばれ、血筋や門閥を重視しない自由な若手起用を推進した。また、「3S歌舞伎」(ストーリー、スピード、スペクタクル)を主張し、「スーパー歌舞伎」なる新ジャンルを創出した。宙乗り、早変わり、本水など、驚くべき舞台が続出した。
 だが、こういった新機軸に、眉をひそめる筋も多かった。二代目尾上松緑などは、「喜熨斗(きのし)サーカス」と呼んだ(「木下大サーカス」と三代目の本名「喜熨斗」をひっかけたダジャレ)。評論家のなかには、絶対に猿之助歌舞伎を評価しないひともいた。

 だが本庄さんは、ちがった。三代目の「お客様が来てくれなければ、いくら立派な芝居をやっても意味はない」との考え方に共鳴し、積極的に紙面で猿之助歌舞伎を紹介した。
 さらには作家の大下英治さんを起用し、猿之助歌舞伎の世界をドキュメントで描く連載も企画。えんえんと続いた。
 また、三代目が主宰する若手の歌舞伎集団「21世紀歌舞伎組」公演では、本庄さんがプログラムの大半を執筆し、応援しつづけた。

 現在、三代目はパーキンソン病で完全に舞台を降りているが、「猿之助」は甥が四代目を継いで大人気なのはご存じの通り。漫画『ワンピース』までもがスーパー歌舞伎となって続いているのも、三代目あってこそだが、その陰には、旧態依然たる演劇ジャーナリズムを脱した、本庄さんのような応援団がいたことも、忘れてはいけない(近年、尾上菊之助が『風の谷のナウシカ』を歌舞伎化して大成功したが、これも、三代目の影響があるように思う)。

 ところで。
 わたしはコミュニティFM(FMカオン/厚木、調布FM)で吹奏楽の音楽番組をもっているせいもあって、地方のミニFM局に興味があり、ときどき聴いている(ほとんどがネット経由で、どこでも聴ける)。特に震災直後は、開局認可の条件が緩和されたため、東北に次々と、ユニークなミニFM局が誕生した。

 そのなかのひとつ、宮城県牡鹿郡女川町のコミュニティFM「おながわさいがいFM」(現「オナガワエフエム」)が2016年3月に閉局することになり、同月26日夜、女川駅舎で閉局記念イベントが開催された。会場には50名前後の女川町民が招かれ、同局で生中継されていた。
 わたしも自宅のパソコンで聴いていたのだが、突然、そのイベントに桑田佳祐が登場し、歌い始めたので驚いてしまった。いわゆる「シークレット・ライヴ」である。

 実は本庄さんは、桑田佳祐も重要な取材対象で、ずっと追いつづけている。おそらく日本でもっとも多く、彼のステージを観ているジャーナリストではないか。それを知っていたので、わたしは大急ぎでスマホで本庄さんにメッセージを送った。
「女川FMに、桑田さんが生出演してるぞ!」
 すぐに、こんな返事が来た。
「いま、その会場にいます」

 石巻の「ベテランにして新人」ジャーナリスト、本庄雅之さんの今後の活躍を祈ります。
<一部敬称略>

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2020.08.18 (Tue)

第291回 薄氷を踏む歌舞伎座

歌舞伎座
▲歌舞伎座、第3部の開幕15分前。


 8月に入って、歌舞伎座が公演を再開させた。
 日本を代表する大劇場が、定例公演を再開させるとあって、演劇界・興行界は、固唾をのんで見守っている。
 わたしも、お盆の最中、2日にわけて、行ってきた。
 
 本来は、3幕ワンセット(ほぼ3~4時間)で、昼夜2公演おこなっていた。
 今回は、1幕1時間で、入れ替え4部制になった(第2部《棒しばり》は、45分)。観客はもちろん、役者も裏方も、幕ごとに入れ替えとなった。
 入り口で検温、手の消毒。切符は自分でもぎって、半券を箱に入れる。
 席は市松模様(1席おき)で、幕見席や桟敷席、花道の両側(3~4席)は販売されない。よって1,808席ある劇場だが、売られるのは半分以下の823席しかない。
 客席は各部ごとに完全入れ替えで、そのたびに、外へ出なければならない。幕間によっては、2時間近く空くこともあり、つづけての見物は、その間の過ごし方が難しい(近隣の喫茶店などは、のきなみ満席になる)。

 上演中、客席後方ドアや、桟敷席のドア・カーテンは「全開」である。上演中、晴海通りの車の音が、かすかに聞こえてくる。桟敷席の後ろは、ロビーの壁が丸見えだ。
 大向こう、掛け声は禁止。客席の飲食や会話もお控えくださいといわれる。
 イヤホンガイド、字幕器などのレンタルも、ない。
 筋書きも売っておらず、簡単なあらすじを書いたペーパーが置いてある。
 舞台写真(ブロマイド)も、場内では売っていない。
 食堂や売店はすべて休止。ペットボトル飲料のみ、売っている。
 1階の喫茶店と手前の土産売場は営業していたが、劇場内部から直接入れず、いったん外に出てから入る。とにかく劇場内に、ひとが滞留しないことが優先されている様子だった。
 (ただし、東銀座駅から直結している地下の「木挽町広場」は全面営業中で、呼び込みなどで、すごい賑わいだった。舞台写真は、ここで売っており、長蛇の列である)

 かくして、どういう観劇になるか。
 開演前、客席は、完全静寂である。誰も、ひとことも、話していない。そもそも、会話は抑制されているうえ、一席おきで離れているので、同行者とおしゃべりしようにも、簡単にできないのだ。あれほどの静寂に包まれた歌舞伎座は、初めて経験した。
 大向こうの声もかからず、場内は、拍手だけが鳴り響く。
 清元や長唄連中、義太夫は、全員が覆面姿。
 開演前に、公演再開についてのお礼と決意表明が、出演役者による録音で流れる。それを聞いたときの感慨は一入であったが、やはり、なんとも寂しい観劇だった。

 それよりも気にかかったのは、「空席が多い」ことだ。
 ただでさえ、販売席数が少ないのに、それすら完売できていない。おおむね、販売数の3分の2くらいの入りに見えた。たとえば、わたしが行った休日の昼間、2階席は、全部で10名余しかいなかった。明らかに、年輩客がいない。このご時世で、外出を控えているのか、あるいは家族から止められているのか。または、今月は「花形歌舞伎」で、大幹部が出ていないからか(あまりの酷暑のせいもあるかもしれない)。
 いずれにせよ、歌舞伎が、いかに高年齢層に支えられているかを、あらためて痛感した。

 いったい、このような“不完全”な公演が、いつまでつづくのだろうか。
 主催者側は、シンプルな1幕公演になったので、「ふだん、歌舞伎を観たことのない若い方々に、ぜひ来ていただきたい」と言っていたが、ここまで我慢の見物では、楽しい思い出の観劇には、ほど遠い(そもそも、「1時間」の芝居が一等「8,000円」では、若者でなくても、つらい)。
 このスタイルがつづくかぎり、歌舞伎ファンは、かえって離れてしまうような気がしてならない。だからといって、すぐに通常公演には戻せないところが、なんとももどかしく、悔しい。

 役者たちは、たいへんな力の入れようだった。どの幕にも、「そーしゃる・ですたんす」「距離」「直接触れない」などをちりばめたユーモア演出が盛り込まれており、楽しかった。《棒しばり》での勘九郎・巳之助の奮闘ぶりには、涙が出た。《吉野山》の猿之助は先代を彷彿とさせて懐かしかったし、児太郎初役だという《源氏店》のお富など、意外な貫禄だった(幸四郎の与三郎とは、いっさい「触れ合わない」)。
 役者の意気込みをよそに、まだしばらく、歌舞伎座は、薄氷を踏む日々がつづきそうだ。
 <敬称略>

【余談】9月からは、いよいよ、文楽が再開する。客席の狭さ、人形遣いの密着度、太夫から飛び散る飛沫や汗は、歌舞伎とは桁違いのスゴさだ。果たして、どういう上演になるのか。

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2020.07.27 (Mon)

第289回 市松模様

千駄ヶ谷駅前
▲静まり返る、千駄ヶ谷駅前の「東京体育館」。
  東京五輪で卓球の会場になるはずだった。


 7月21日、東京・千駄ヶ谷にある国立能楽堂へ行った。
 日本芸術文化振興会が運営する6つの国立劇場(国立劇場、新国立劇場、国立演芸場、国立能楽堂、国立文楽劇場、国立劇場おきなわ)のなかで、比較的早く、主催公演を再開させたようなので、どんなふうに上演しているのか、気になったのだ。
 ひさしぶりで、JRの千駄ヶ谷駅に降りて驚いた。少々薄暗かった駅舎が、ピカピカに改装されていた。
 ここは、国立競技場の最寄り駅なのだ。

 能楽堂に着くと、入り口で検温、手の消毒。
 場内スタッフは、全員、マスク、フェイスガード、手袋を着用。
 座席配置は映画館などと同様、市松模様で、最前列は売り出しナシ。
 謡は覆面を着用。
 公演中もドアは開け放し。庭に通じるガラスドアも全開放で、廊下には扇風機が置かれ、随所で蚊取り線香が炊かれている。外気や蚊取り線香の香りが微かに客席に流れ込んできて、なんとなく「薪能」の気分である。
 ふと見ると、前の座席の背もたれにある「字幕表示機」が、一新されていた。前は、たしかボタンで操作していたが、いまはタッチパネル式で、なんと「6か国語」が表示できるようになっている。
 終演後は「密」防止のため、正面→脇正面→中正面の順で、スタッフの指示に従って客席を出る。

 上演されたのは「国立能楽堂ショーケース」と題するもので、解説20分+狂言《萩大名》和泉流30分+休憩+能《猩々》金春流30分。計90分強で終了する、ミニ入門公演である。従来の普及公演ともちがう新しいスタイルで、明らかに外国人向けに構成されていた(口頭解説でも、ほぼ同じ内容の外国語字幕が出る)。
 チラシを見ると、7月20~26日にかけて、3種6公演の「ショーケース」がある。いうまでもなく、オリンピック開会に合わせた企画だったのだ。

 終演後、千駄ヶ谷駅に向かってトボトボと歩く。新型コロナ禍とあって、ひとの気配もまばらだ。
 駅の真向かいにある東京体育館は、本来、オリンピック/卓球の会場だった。おそらく、そのための一部改修が行われたようだが、それも中止になったのか、白壁に囲まれて立ち入り禁止となり、静まり返っていた。
 夜なので見えないが、その向こうに、国立競技場があるはずだ。
 本来なら、このあたりは、いまごろ、世界中から来た観光客や五輪関係者で、ごった返しているはずだった。もちろん、国立能楽堂で「ショーケース」を堪能する外国人もいただろう。
 そういえば、東京五輪2020のエンブレムマークも市松模様だったなあと思いながら、ガラ空きのJRに乗って帰った。

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