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2024.01.22 (Mon)

第444回 【演劇/ジャズ/吹奏楽】《三文オペラ》~《マック・ザ・ナイフ》あれこれ

三文オペラ文学座
▲文学座附属演劇研究所の卒業発表会《三文オペラ》

文学座附属演劇研究所・61期卒業発表会で、《三文オペラ》を観た(西本由香演出、1月21日Bチーム、文学座アトリエにて)。

あたしは文学座や、俳優座、新国立劇場などの研究所(研修所)発表会に、時々行く。演目はソーントン・ワイルダー『わが町』、シェイクスピア、チェーホフなどが定番だが、時折、珍しい名作が上演されるからだ。たとえば近年だけでも、文学座研究所は『野田版・真夏の夜の夢』や、清水邦夫『雨の夏、三十人のジュリエットが還ってきた』などを、俳優座研究所は横山拓也作品をつづけて上演した。

もちろん出演者はプロ以前の若い研究生たちだが、演出などのスタッフはベテランのプロで、さすがに凡百の演劇サークルとはレベルがちがう。本格的な衣装や舞台美術、そして若者たちの熱演は、とても気持ちがよい。しかも、安い! どこも1000~2000円である(新国立劇場研修所は別格で、たとえば2月の終了公演はA席3850円!)。

《三文オペラ》はいうまでもなく「音楽劇」である。上演方法によっておもむきは変わるが、オペラでもありミュージカルでもあり、ストレート・プレイでもある。ジャズやダンス・ミュージックの感覚も必要で、本格的な歌唱力も要求される。これが舞台芸術学院の発表会ならわかるが、文学座の研究生が本作を上演できるとは、寡聞にして想像できなかった。かなりの不安を抱えてアトリエに向かった。

案の定、正直なところ、歌唱は、なんともいいようのないレベルであった。だが、「ブレヒト芝居」としてはちゃんとした形になっており、さすがは文学座と感心した。

西本由香氏の演出は、キチンと歌芝居の呼吸を心得ている。このひとの演出では、10年ほど前、シェイクスピア生誕450年記念、文学座連続公演のひとつ、『タイタス・アンドロニカス』を観て、仰天した覚えがある。だって、「リーディング」(朗読)だというので、そのつもりで行ったら、まったくの通常上演だったのである。全員、セリフはすべて入っており(よって台本は持たず)、メイクして衣裳と小道具も万全で、役者は舞台上を飛び回っている。特に、高橋克明・奥山美代子両氏の“怪演”は、いまでも忘れられない。どう観ても「リーディング」とはいえず、いままで観た『タイタス~』の最高傑作だと思っている。そうさせたのが(おそらく)演出の西本由香氏なのだと思う。

   *****

ところで《三文オペラ》である。終演後、近くの席で「聴いたことのある曲があった」といっているひとがいた。冒頭に歌われ、(そしてカーテン・コールでも演奏された)《メック・メッサ―のモリタート》である(モリタート=手回しオルガンでうたう大道歌)。後年、ジャズ・ナンバーとなり、《マック・ザ・ナイフ》の題でスタンダード名曲となった。日本では《匕首〔あいくち〕マック》の邦題もある。おそらくメロディを聴いて、知らないひとは、いないであろう。美空ひばりも歌っていた。紅白歌合戦にも3回、登場している(旗照夫、雪村いづみ、ジャニーズ)。

音楽劇《三文オペラ》は1928年8月に、ベルリンで初演された。作者ベルトルト・ブレヒト(1898~1956)、作曲者クルト・ヴァイル(1900~1950)にとっては、大急ぎで仕上げたやっつけ仕事だったが、大ヒットとなる。そもそもがオリジナルではなく、18世紀イングランドの詩人、ジョン・ゲイが構成案をつくった歌芝居《乞食オペラ》の翻案である。

内容は、ロンドン貧民街のギャングのボス、メッキ(マック)・メッサーが、乞食王の娘と結婚したために起きるドタバタ騒動である。ラストで、お笑いのような前衛のような左翼革命宣言のような、奇想天外な終幕を迎えることでも知られている。

アメリカでは1933年に英語版で上演されたが、これは当たらなかった。1954年になり、ミュージカル作曲・作詞家のマーク・ブリッツスタインが改作し、オフ・ブロードウェイで再演。これが大ヒットとなった。このときブリッツスタインは、《モリタート》の歌詞を変えた。マックとかかわりのある女たちの名前をズラリとならべ、「みんなそろってマックのお帰りをお出迎えだ」と結んだ。これを機にこの曲は《マック・ザ・ナイフ》となった。

翌1955年、さっそくこの曲を録音したのが、サッチモこと、ルイ・アームストロングだった。ところが、サッチモの歌は、ブリッツスタインの詞をさらに変えていた。ラストの女たちの名前のなかに、劇中に登場しない人物名が混じっていたのだ。

♪スーキー・トードリー、ジェニー・ダイヴァー、ロッテ・レーニャ、ルーシー・ブラウン——みんなそろってマックのお帰りをお出迎えだ。

このうちの「ロッテ・レーニャ」なんて人物は、《三文オペラ》には登場しない(当初は、ここにマックの花嫁「ポリー・ピーチャム」の名前が入っていた)。では、この「ロッテ・レーニャ」とはなにものか。

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▲ロッテ・レーニャとクルト・ヴァイル夫妻 【写真:Wikimedia Commons】

ロッテ・レーニャ(1898~1981)とは、《三文オペラ》作曲者クルト・ヴァイルの妻であり、初演、および最初の映画化(1931年)でジェニー・ダイヴァーを演じた女優・歌手である。上述、オフ・ブロードウェイ版でも同役を演じ、トニー賞を受賞している(オフ作品で初のトニー賞受賞)。

実は、サッチモがこの曲をレコーディングするとき、彼女がスタジオに来ていた。そこでサッチモが、(思わず?)サービスで名前を読み込んだといわれている。この曲は、のちにボビー・ダーリンがカバーして大ヒットするのだが、サッチモの詞で録音したため、以後、誰が歌っても歌詞に「ロッテ・レーニャ」が入るようになった。

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▲サッチモの録音を見学に来た、ロッテ・レーニャ 【写真:Wikimedia Commons】

ロッテが見学にいったときのものと思われる写真がある(上掲)。また、このとき2人一緒にうたった録音も残っている。このころクルト・ヴァイルはすでに逝去しており、ロッテは別人と再婚していた。だが、のちにヴァイル財団を設立するなど、生涯をヴァイル作品の普及につとめた。

そんなロッテ・レーニャだが、おそらく、いま本稿をお読みの方で、彼女を知らない方は、ほとんどいないと思う。あの007映画に出演していたのだから。

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▲『007 ロシアより愛をこめて』~左から2人目、短髪のソ連軍人が、ロッテ・レーニャ

それは、映画『007 ロシアより愛をこめて』(1963)の、ローザ・クレップ大佐役——といえば、映画に詳しくない方でも、「ああ、そういえば」と思い出すのではないか。

ソ連の秘密諜報組織「スメルシュ」の女大佐、しかしてその実態は、国際犯罪組織「スペクター」の№3。冷酷非情な性格で、ジェームズ・ボンド抹殺に命をかける“老鬼女”。自らの計画がことごとく失敗に終わるや、ついにラストで、自らがホテルの清掃係に化けてボンドの室内に潜入。靴先に毒針を仕込み、ボンドに襲いかかる。

なにしろ、もしこの暗殺に失敗すれば、自分の命が危ない。もう若くはないのに、なりふりかまわず暴れまわる老女の形相に、さすがのボンドも青筋を立てざるを得ない。一瞬、ボンドは完全に追い詰められる。

007シリーズには、毎回、個性的な敵役が登場するが、おそらく最高齢で、これほど印象に残る相手はいない(このころ、ロッテ・レーニャは65歳)。その凄絶な演技は、世界中の観客を震撼させた。なんて恐ろしい婆さんだ。あのボンドを、ここまで追い詰め、焦らせるとは。あの女優、なにものだ。

ロッテは基本的に舞台女優だ。それまで映画には2本しか出ていない。だから、ほとんどの観客は、銀幕で初めて彼女を観たのだ。ちなみにその2本とは、上述、戦前の《三文オペラ》と、1961年の『ローマの哀愁』(ホセ・キンテーロ監督)だ。後者はテネシー・ウィリアムズの小説が原作で、ヴィヴィアン・リー主演。ロッテは伯爵夫人を演じ、アカデミー助演女優賞にノミネートされている。このときの役が、なかなかの悪女役であった。もしかしたら、この名演がきっかけで007に起用されたのかもしれない。

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エラ
▲名盤、エラ・フィッツジェラルドのベルリン・ライヴ

《マック・ザ・ナイフ》は、その後も多くの歌手にうたわれてきた。そのなかで、特に有名なのは、エラ・フィッツジェラルドの名唱だ。1960年2月13日、当時の西ベルリンで開催したコンサートである。このライヴ録音は『Mack The Knife-Ella In Berlin』と題され、ジャズ・ヴォーカル史上にのこる名盤として知られている。これをきっかけに、本曲は彼女の人気レパートリーとなった。

ところが彼女は、ここで“大失敗”を演じる。あまりに長い曲のせいか、途中で歌詞を忘れてしまうのだ。しかしそこは、さすがエラ、一瞬にして「ドゥビドゥビ」スキャットでごまかし(それでもすごい名唱)、本来の歌詞にもどってキチンと歌い終えるのである。

ちなみに、この3年後、スウェーデン・ストックホルムのTV出演で、同曲をうたった映像がYOUTUBEにアップされている。これまたすごい名唱なのだが、ここでエラは、ラストで歌詞を変えている。サッチモの真似(ドゥビドゥビ)をしながら、「ルイ・アームストロングもボビー・ダーリンも、この曲を歌って、メチャクチャにしたわよね。お次はこのエラよ」。
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話があれこれ飛んで恐縮だが、あたしが忘れられない《マック・ザ・ナイフ》は、岩城宏之さんの指揮した“吹奏楽版”である。岩城さんは生涯で2回、東京佼成ウインドオーケストラ定期演奏会に登壇している。その2回目、2004年12月、紀尾井ホールにおける第83回定期演奏会。この日は、プーランク、メシアン、武満徹、ストラヴィンスキー、ショスタコーヴィチといった近現代作曲家の管楽アンサンブル曲の特集だったのだが、トリが、クルト・ヴァイル作曲《小さな三文音楽》組曲だった。

これは、《三文オペラ》の大ファンとなった、あの“御大”オットー・クレンペラーの指示で生み出された組曲である。苦虫をかみつぶしたような顔しか見せない、あのクレンペラー先生が夢中になったほど、この音楽劇は大人気だったのだ。

ヴァイルは劇中から8曲を抜粋し、管楽オーケストラ(吹奏楽)編成にアレンジした。クレンペラー自身の指揮で、1929年に初演されている。2曲目が《メッキ・メッサーのモリタート》、《マック・ザ・ナイフ》の原曲である。

この組曲を最後にもってきた岩城さんの指揮は、実に楽しそうだった。全曲終了後、鳴りやまぬ拍手に、気を良くした岩城さんは、2曲目のみをアンコールで再度演奏した。おそらく岩城さんのなかでは、この曲は、音楽劇の《モリタート》ではなく、ジャズ・ナンバーの《マック・ザ・ナイフ》、いや《匕首マック》だったのではないだろうか。岩城さんが没したのは、この2年後だった。


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2023.12.27 (Wed)

第440回 【舞台/本】 「糸あやつり人形芝居」で観る『高丘親王航海記』

高丘親王航海記 写真
▲ITOプロジェクトによる、『高丘親王航海記』

本好きには、「何度も読みかえす愛好小説」がある。あたしの場合、「シャーロック・ホームズ」や舟橋聖一『悉皆屋康吉』などとならんで、澁澤龍彦『高丘親王航海記』も、そのひとつ。おそらく、拙稿読者のなかにもファンがいるのではないか。

その『高丘親王航海記』が、糸あやつり人形芝居で上演されたので、行ってみた(12月24日、名古屋:メニコンシアターAoiにて)。初演以来、今回で再々演(会場でいうと5回目)となる人気舞台である。初演は2018年、東京・下北沢のザ・スズナリだった。だが当時、そのような公演があったことに、まったく気づかなかった。以後も、すべて地方公演で、再演も名古屋だった。よってなかなか観られなかった(中心が関西・名古屋のひとたちなので)。

今回、偶然に、SNSでこの再々演を知った。次の公演があったとしても、また名古屋での可能性が高い。何年先かわからず、次に観られるか否か、心もとない。そこで思い切って、名古屋まで行ってきた。

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『高丘親王航海記』(以後『航海記』と略す)は、まことに不思議な小説である。

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▲高丘親王の肖像 【出典:Wikimedia Commons】

高丘親王は平安時代のひとで、平城天皇の第三皇子。父が病気で退位して上皇となり、弟君(嵯峨天皇)に譲位した際、皇太子となった。だが、平城上皇と嵯峨天皇が対立して政変が勃発。高丘親王は廃太子となって出家し、空海の弟子となる。

そして貞観3(861)年、67歳にして、唐(中国)から天竺(インド)を目指す旅に出て、そのまま行方不明に。いつ、どこで、どのようにして薨去されたのか、まったくわかっていない。ただ、最後の地が羅越国(現マレー半島の一部)だったとの説があり、そのせいかマレーシアの日本人墓地に供養塔があるという。

その旅を、澁澤龍彦(1928~1987)が、史料と独特の想像力と知識を組み合わせて、特異な内容に仕立てたファンタジー小説が『航海記』である。旅の途中で出会う、奇々怪々にして魅力的な生きものたちや、ユニークなひとびと、風習、また、常識を逸脱した設定やセリフも実におもしろい。

たとえば、占城(現在のベトナム)で、奇妙な生きものに出会う。生きものは「おれは大蟻食いというものだ」という。すると物知りの従者・円覚が、こういうのだ。

《「わたしもあえてアナクロニズムの非を犯す覚悟で申しあげますがそもそも大蟻食いという生きものは、いまから約六百年後、コロンブスの船が行きついた新大陸とやらで初めて発見されるべき生きものです。そんな生きものが、どうして現在ここにいるのですか。いまここに存在していること自体が時間的にも空間的にも背理ではありませぬか。」》

まるで手塚治虫の漫画のセリフのようである。意外とユーモアあふれる小説なのだ。

高丘親王航海記 菊池信義
▲名デザインとして知られる初刊単行本の装幀

『航海記』は、澁澤龍彦の遺作である。1985年から87年にかけて「文學界」に断続的に連載され、澁澤の死から2ヶ月後の1987年10月に単行本化、読売文学賞を受賞した(現・文春文庫)。ちなみに初刊単行本は、昨年逝去した菊地信義の装幀。講談社出版文化賞:ブックデザイン賞の受賞理由のひとつとなった、名デザインである。

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今回の上演は、「ITOプロジェクト」によるもの。奈良の「人形劇団ココン」を主宰する山田俊彦を中心に、さまざまな人形劇団に所属するメンバーが集まったグループのようだ。脚本・演出は、名古屋を拠点にする「劇団少年王者舘」の天野天街。

あたしは「あやつり人形劇」というと、江戸時代からつづく「結城座」と、イギリスのTV番組『サンダーバード』くらいしか知らない。NHKの『ひょっこりひょうたん島』や『新八犬伝』は、「棒遣い人形劇」だったと思う。

それだけに、今回は、とにかく新鮮だった。まるでCGかと見紛うような不思議なヴィジュアルが展開して、「あやつり人形劇」のイメージが変わった。人形のお腹から突如、大きな玉があらわれたり、ジュゴンが肛門から脱糞したり、巨大なラフレシアの花が人形を吞み込んで宙に舞うなど、驚きの仕掛けが続出した。犬頭人の陰茎に付いた鈴もキチンと動いて鳴っていた。背景が一瞬にして変わるのにも驚かされた。

ラスト、半人半鳥の迦陵頻伽〔かりょうびんが〕が客席上を宙づりで飛ぶ仕掛けが途中で止まってしまったが、さほど気にならなかった(アフタートークによれば、この種のトラブルが皆無の上演は、一度もないそうだ)。

あたしは、かなり前方の席だったので、上方から操る人形遣いの仕事ぶりが、よく見えた(そのかわり、舞台上にもう一段高い舞台があるので、その床面でなにが起きているのかは、まったく見えなかった)。よく、あんな複雑なことを、暗闇のなかでできるものだと感動した。舞台上、左右はしに立つ2体の人形が、次第に中央に寄ってきて、すれちがうシーンでは、操作器(というのだろうか)を受け渡して、人形遣いも入れ替わっていた。あれだけのことを休みなしで2時間つづけるために、いったい、どれだけの段取りがあるのか、考えただけでもゾッとした。そのほか、物語の展開とは直接関係のない、協奏曲でいったら〈カデンツァ〉にあたるような自由な見せ場もある。糸だけが生きているように“舞う”場面も美しかった。

内容も、もちろんカットされた挿話は多いが、それでも、おおむね原作の流れ全体を包括した脚本構成で、とてもよくできていた。原作小説からの大きな改変は、〈みこ〉(親王)の従者僧が、原作では2人だったのを1人にしたのと、〈みこ〉が奏する楽器が笛ではなく、ハーモニカになっていたことくらいではないか。

幼少時代の〈みこ〉に、女官・藤原薬子〔ふじわらのくすこ〕が天竺の幻想譚を吹き込む回想シーンがしばしば登場する。彼女は平城帝の愛妾で、その息子の〈みこ〉に性の手ほどきみたいなことも施す(人形劇では、そこまではっきり描かれない)。いわゆる“魔性の女”で、彼女が政変の原因だとの説もある。海音寺潮五郎『悪人列伝』に登場するほか、芝居好きだったら、斎藤憐の戯曲『クスコ 愛の叛乱』でおなじみだろう(1982年の初演で、吉田日出子がクスコを演じた)。だが、原作をしらないひとは、彼女がなにものか、また、〈みこ〉との関係が十分理解できたか、その点がちょっと気になった。

   *****

澁澤龍彦は、本作執筆中、咽頭ガンが見つかり、声帯除去手術を受けて声を失った。物語の後半で、呑み込んだ真珠が喉にひっかかり、〈みこ〉は声がまともに出なくなる。そして、〈みこ〉は死を意識するようになる。これは、当時の澁澤龍彦の心境をそのまま描写したものだといわれている。

とうてい天竺まで行けそうもないと悟った〈みこ〉は、パタリヤ・パタタ姫の進言にしたがい、虎に喰われることにする。羅越国と天竺の間を、わたり鳥のように往復している虎たちがいるので、やつらに喰ってもらい、魂となって、天竺まで運んでもらえばよいというのだ。この案に感動した〈みこ〉は、従者たちの反対も聞かず、自ら森へ入って、虎に喰われるのである。これもおそらく、当時の澁澤龍彦の想いを反映しているのだろう。最後、〈みこ〉の人形が天に昇っていく(と思われる)シーンは、圧倒的な迫力であった。

こういう、途方もない設定の幻想小説なので、なかなかリアルな実写というわけにもいかず、今回のような「あやつり人形劇」は、ピッタリだと感じた。

実はあたしは、初めてこの小説を読んだ時、これは「文楽」になると感じたことがある。孤高の生き方を貫く〈みこ〉の姿は、俊寛や松王丸、熊谷直実を思わせる。海や航海のシーンは、《毛剃》や、《組討》の“遠見の敦盛”である。虎と中国といえば《国性爺合戦》。これら名作の設定、舞台装置を流用できる。虎以外にも、文楽には、狐、鷲、馬、猪、鼠、牛、蝦蟇、蜘蛛など、いろんな動物が登場するので、それらを改訂して、不思議な生き物を人形化することもさほど困難ではないはずだ(桐竹勘十郎さんに監修してほしい!)。人形なら、省略やデフォルメなども、客席と舞台の“暗黙の了解”ですすめられる。

というわけで、この大好きな小説を、人形劇で観られたのは、とても楽しかった。同時に、「糸あやつり人形芝居」の面白さを、もっと多くのひとに知ってもらいたい、できればまた東京で上演してほしいと願わずにはいられなかった。もし原作小説がお好きで、次回公演があったら、絶対に観逃がさないでほしい。
(敬称略)


※近年、近藤ようこの漫画版『高丘親王航海記』全4巻(KADKAWA:ビームコミックス刊)が人気だ(たしかに面白い)。そのため、この人形劇版も漫画版の影響を受けているように思っているひとがいるようだ。アフタートークでもそんな質問があった。ITOプロジェクトと天野天街氏の名誉のために書いておくが、人形劇版のほうがずっと先で、漫画版とはまったく関係ないので、念のため。

◇ITOプロジェクト『高丘親王航海記』関連のYOUTUBE映像は、以下。主要場面や人形の仕掛けなどもご覧になれます。
予告編は、こちら。
PV稽古編は、こちら。
PV対話編は、こちら。


15:21  |  演劇  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2023.10.24 (Tue)

第427回 【演劇】なぜ国立劇場を建て替えるのか

校倉造り
▲正倉院の校倉造を模した、国立劇場の独特な外観(筆者撮影)

国立劇場が今月いっぱいで閉場する。

あたしは、文楽(小劇場)が多かったが、それでも歌舞伎(大劇場)、女流義太夫(演芸場)、さらには小さいながらも充実していた伝統芸能情報館(記録映像の上映室は、実に面白かった!)などに40数年通ったことになる。取材や見学で、研修所や事務所などの“舞台裏”にも、何度かおじゃました。

正倉院の校倉造〔あぜくらづくり〕を模した、あの独特な建物に近づくと、少しばかり凛とした心持になったものだ。

音羽屋公演では、いつもロビー隅に富司純子さんが見事な着物姿でおられて、映画マニアのあたしなど思わず「お竜さん!」と“大向こう”したくなった。

閉場にあたっての「思い出エッセイ」に応募したら採用され、大劇場ロビーに掲出されたのも、いい思い出だ。初代玉男、文雀、蓑助、住太夫……名人たちの舞台も脳裏に浮かぶ。

   *****

閉場の理由は、老朽化だそうである。1966年11月開場なので、満57年になる。このような立派な建築物が「50年超」で「老朽化」するものなのか、あたしはよくわからない(建て替え構想の発表は2014年で、この時点では「築47年」だった)。

だが、ちょっと気になることがある。国立劇場より古いのに、そのまま(もちろん一部修復などで)使用されている公共建築物は、いくらでもある。たとえば、東京国立博物館本館(1938年開館/重要文化財)と表慶館(1909年開館/重要文化財)、国立西洋美術館(1959年開館/世界文化遺産)、東京文化会館(1961年開館)……京都と奈良の国立博物館も明治時代の建築物のはずだ。

文化庁では、築50年以上を経た建築物を「登録有形文化財」として保護する事業を進めている。登録されれば、相続税や固定資産税なども軽減される。要するに「50年以上経った建築物はなるべく残し、地域の文化資産として生かせ」というわけだ。あたしの身近では、神楽坂の「矢来能楽堂」や、日本最古のビヤホール「銀座ライオンビル」などが「登録有形文化財」である。

国立劇場は巨大演劇施設なのだから、それら文化財と同列に論じられないことは、わかる。しかし、こんなに多くの、50年超の建築物ががんばっているのに、ほんとうに国立劇場は、たった「57年」で建て替えなければならないほどボロボロなのだろうか。

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あたしは素人なりに、建て替えには2つの、別の理由があるような気がしている。一つは、国立劇場の「使命」の終焉である(ほかに育成・研修所の使命があるが、もちろんこれは今後も続けるべき事業であり、いまは詳述しない)。

国立劇場は開場にあたって「通し上演」「復活狂言」をモットーに掲げた(10月最終公演のプログラムに、作家で国立劇場評議員もつとめた竹田真砂子さんが、詳細な回想随筆を寄稿している)。

歌舞伎は、松竹の興行となってから、名場面だけをダイジェスト上演する「見取り」が中心となった。だが本来、歌舞伎は(特に院本物となれば)長時間演劇である。そこで国立劇場は、オリジナルに返って、可能な限り全編を上演する「通し上演」で松竹に“対抗”した。いわば江戸時代の歌舞伎に近い姿を伝えてきたのである。たとえば今回の歌舞伎のさよなら公演は『妹背山女庭訓』全五段の通し上演だったし、文楽は『菅原伝授手習鑑』の通しだった。

だが、「通し上演」で復活・復元するべき、それでいて現代に通じる狂言は、ほぼ出尽くしたのではないだろうか。毎年正月は、菊五郎劇団による楽しい復活狂言で、「こんな芝居があったのか」と驚かされてきた。だが、これとて現代向けに大幅改訂された、ほぼ新作といっていい内容である。

しかし「通し上演の復活は終わった」としても、そもそも名作であれば、何度おなじ演目を繰り返したっていいはずだ。あるいは、新しい興行形式を探ってもいいのではないか。菊五郎劇団をさらに進めて、いっそ新作中心にしてもいいし、もっと安い値段と短時間で、松竹よりも徹底した見取り興行にしたっていいと思うのである。

そして建物が「老朽化」したというのであれば、ほかの歴史的建造物とおなじように、修復しながら使えばいいのである。東日本大震災後、多くの建物が耐震構造の不備を指摘され、大規模修繕や閉鎖に至った。だが国立劇場は、そのまま開いているのだから、その点は大丈夫なはずだ。

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国立劇場を運営する日本芸術文化振興会が発表している資料に、《国立劇場本館の建築史的評価》がある。東京工業大学の藤岡洋保・名誉教授がまとめたものだが、こんなに面白くて感動的な学術レポートは、まずない。PDFでネット公開されているので、ぜひお読みいただきたい。この建物が、いかに「建築史」的に重要であったかが、わかりやすく綴られている。【リンクは文末に】

特に、設計中心者・岩本博行氏(竹中工務店大阪本店設計部)が、奈良の正倉院に何度も通い、校倉造を研究したとの記述には心を打たれる。さらに外壁にサンドブラスト(吹付け)をかけて黒褐色にし、古木の味わいを出したのは、いま見ても「なるほど!」と相槌を打ちたくなるアイディアだ。

国立劇場全景
▲全体に黒褐色のサンドブラストが(筆者撮影)

岩本氏の談話「(現代建築に対し)古典の様式のほうが勝つと思うのです。校倉という様式にはモダンがあると思うのです。だからそのまま現代建築に再現していってもモダンが表現できると思いました」も採録されている。

これを読んでいると、「そんなに重要で素晴らしい建物なら、なぜ残そうとしないのか」といいたくなること必定である。

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だがそれでも、国立劇場はなんとしても建て替えなければならないらしい。しかも二代目国立劇場は、ホテルやレストランと一緒になるという。実は、これこそが第二の、そして最大の建て替え理由だとしか思えないのだ。

振興会が発表した《国立劇場再整備基本計画》や報道などによると、建て替え後は最高74mのビルになる。現在、日比谷シャンテが72m、朝日新聞東京本社が71mなので、おおむねあんな感じのビルが、皇居をのぞむ半蔵門の斜め前、最高裁判所の真横に建つのである。そのなかはレストラン、カフェ、ショッピング・モールとなり、PFI(民間資金活用事業)の導入でホテルも併設、低層階に二代目国立劇場が入る。正面入り口前は「賑わいスペース」と称する広場になる。【基本計画リンクは文末に】

これが外国人観光客目当てであることは、いうまでもない。宿泊・食事・買い物・カブキをワンセットで、国が売り出すのだ。《基本計画》のなかでも「文化観光拠点としての機能強化」「インバウンド層の観光需要を取り込み」とはっきり記されている。つまり建て替えの理由は、「使命の終焉」「老朽化」もさることながら、実は、新たな観光拠点を都心の一等地につくることにあったのである。

あたしは不勉強で知らないのだが「ナショナル・シアター」がホテルやレストランなどの“雑居ビル”の一部に入っている国が、世界のどこかにあるのだろうか。

もっとも、再開発業者の選定は、いままで二度の落札でも成立していない。再開場は「遅くとも2029年度を目指す」とされているが、これも遅れるであろう。

余談だが、これらを推進しているのは、近年、芸術祭賞・映画賞、メディア芸術祭などを続々と廃止して京都に移転していった文化庁である。現在の長官は、ピンク・レディーで一世を風靡した作曲家の都倉俊一だ。

   *****

先のレポートの最終部分に、こんな文章がある。

《岩本は景観に配慮する建築家で、国立劇場では、モノトーンで統一していることや、高さを抑えているあたりにそれが見てとれる。人目を惹くものではなく、景観に参加する建築というのが、彼が目指した建物のあり方だった。》

岩本博行氏は、竹中工務店常務をつとめ、1991年に77歳で逝去している。国立劇場が74mの“雑居ビル”になった姿を見ずに逝ったわけだ。それを知ってホッとするのは、あたしだけだろうか。
(一部敬称略)

地下道
▲永田町駅から行くと必ず通る「地下道」(筆者撮影)

◇《国立劇場本館の建築史的評価》は、こちら
◇《国立劇場再整備基本計画》は、こちら
17:14  |  演劇  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2023.10.21 (Sat)

第426回 【演劇】長崎の敵を「文藝春秋」で討った? 文学座『逃げろ! 芥川』

文学座チラシ
▲文学座公演『逃げろ! 芥川』(詳細、文末に)

映画のジャンルに「ロード・ムービー」がある。「旅」は、途中でなにが起きるか予想がつかず、しかもその大半が未体験トラブルだ。ゆえにドラマにしやすいせいか、傑作が多い。『オズの魔法使い』『道』『イージー・ライダー』『俺たちに明日はない』『パリ、テキサス』『スタンド・バイ・ミー』『2001年宇宙の旅』……。

あたしの好きな3大ロード・ムービーは、『有りがたうさん』(清水宏監督/1936年)、『少年、機関車に乗る』(フドイナザーロフ監督/タジキスタン、1991年)、『長い旅』(フェルーキ監督/フランス=モロッコほか、2004年)。機会があれば、ぜひご覧いただきたい。

10月27日から上演される、文学座公演『逃げろ!芥川』(畑澤聖悟作、西川信廣演出)も、一種の「旅」もので、強いていうと「鉄道旅行芝居」である。あたしは、公演パンフレットに解説エッセイを寄稿した関係で、事前に台本を拝読したのだが、これがなかなか面白い芝居なので、ご紹介しておきたい。

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1919(大正8)年5月、芥川龍之介と菊池寛は、親友同士、取材と遊びをかねて長崎へ旅行に出かける。大流行したスペイン風邪の余波から逃れる意味もあった。すでに芥川は『羅生門』『地獄変』などを、菊池は『父帰る』『恩讐の彼方に』などを書いており、相応の人気作家である(ただし菊池はまだ「文藝春秋」は始めていない)。

いまなら羽田~長崎は航空便で2時間だ。だが大正時代は、そうはいかない。この長い鉄道旅行中、車中にさまざまな「女性」が乗り込んでくる。彼女たちは、みな、芥川に関係のある実在女性のようで、かつ、彼の作中人物のようでもある。芥川は、彼女たちから「逃れる」ために、この旅に出たはずだった。果たして彼は、夢とも幻影ともつかない彼女たちから、逃れることができるのか。

作者・畑澤聖悟は、青森県立青森中央高校の演劇部顧問。全国高等学校演劇大会(夏の大会)で最優秀賞を何度も受賞しているほか、春季全国高等学校演劇研究大会にも出場している “演劇強豪校”の指導者である(高校演劇にも、甲子園なみに春夏の全国大会があるのだ!)。その一方、青森で劇団「渡辺源四郎商店」を主宰するほか、プロ劇団のための書下ろしも多い。あたしも劇団民藝や劇団昴で、同氏の作品をいくつか観てきた。今回は、初の文学座への書下ろしだという。

ところで、この旅は、人気作家2人による当時としては珍しい大旅行だったので、マスコミでも話題となった。よって、いくつかの余話がある。そのひとつを……。

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菊池寛と芥川龍之介は親友同士だったが、久米正雄も、彼らと一高時代からの“文学仲間”である。いまではほとんど読まれない作家だが、芥川とおなじ漱石門下で、菊池たちと「新思潮」を創刊した仲だった。最近よく使われる言葉「微苦笑」を創始したひとである。

その久米が、大正8年5月18日付の大阪毎日新聞に、こんな文を寄稿している。

《親愛なる菊池君。君が長崎へ発つ時、呉々も病後の夜の外出を警〔いまし〕めて呉れたに係わらず、僕は帝劇の梅芳蘭〔メイ・ランファン〕を、替り目毎に五回見て了〔しま〕った。初日の晩などは帰ってから、熱を測って見たら三四分上っていた。》(『麗人梅蘭芳』)

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▲1957年、北京にて。左から毛沢東、ヴォロシーロフ国防大臣(ソ連)。右が梅蘭芳。【出典:Wikimedia Commons】

梅蘭芳(1894~1961)は、京劇の女形大スターで、このときが初来日だった。その人気はたいへんなもので、久米自身も《近来にない佳いものだった。》《云いようのない芸術的美感を私に與〔あた〕えた。》と、えんえんと絶賛を書き連ねている。楽屋で当人にも会ったようだ。そして、

《返す返すも君や芥川君の是を見なかったのが惜い。長崎なぞは何時でも行って見られるではないか。》

とまで述べている。よほどこの美貌の女形に感動したようだが、行間からは「なぜ、俺も長崎へ連れて行ってくれなかったのか」との悔し紛れも若干伝わってくるようだ。

だがこの時点で、久米は、長崎には行けなかったが、京劇に関しては芥川より自分のほうがずっと詳しい“通”になったと思っただろう。実際、この2人は一高時代から、一緒に連日の劇場通いをするほどの芝居好きだった。

ところが、後の大正10年、芥川は大阪毎日新聞の特派員として、中国に約3か月間、派遣される。そこで60余の京劇舞台を観て、役者や関係者と接するのである。そして見事にその特色をつかみ、「派手な鳴物」「質素な舞台装置」「豊富な隈取り」などを挙げ、「背景は無地のほうがいい」などいくつかの改良案まで提示するのである(『上海游記』ほか)。

それどころか、大正13年、梅蘭芳の二度目の来日公演に駆けつけ、本人との座談会にも出席し、その感想を、菊池が創刊した「文藝春秋」誌上で、こう述べるのだ。

《男の女を猟するのではない。女の男を猟するのである。――ショウは「人と超人と」の中にこの事実を戯曲化した。しかしこれを戯曲化したものは必しもショウにはじまるのではない。わたくしは梅蘭芳の「虹霓関」を見、支那にも既にこの事実に注目した戯曲家のあるのを知った。》(『侏儒の言葉』より/大正14年2月号)

要するにバーナード・ショーが『人と超人』で描いた「女が男を追いつめる」話など、とっくのむかしに京劇で描かれていたというのである。これは、大衆芸能としか見られていなかった京劇を、日本人が文学戯曲として考察した最初の論考だといわれている。

久米は、随筆『芥川龍之介氏の印象』で、こう書いている。

《昔は僕も、ちょくちょく演劇や絵画の点で彼を啓発してやっていた。そして彼の知らぬものの名ぐらいは教えてやりもしたことがある。が、しばらくすると彼はいつの間にかそれらをマスタアして、僕のほうへ逆輸入をするほどにエラくなっている。これが僕等を追い越す彼の不断の勉強である。》(「新潮」大正6年10月号)

芥川は、梅蘭芳の初来日を観られなかった、いわば「長崎の“敵”〔かたき〕」を、「文藝春秋」で討って、たしかに久米を追い越したのである。
(敬称略)

◆文学座公演 『 逃げろ!芥川 』(畑澤聖悟作、西川信廣演出)   
2023年10月27日(金)~11月4日(土)、紀伊國屋サザンシアターTAKASHIMAYA
詳細は、こちら。
※不詳、公演パンフレットに解説エッセイを寄稿したので、ご笑覧ください。



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2023.03.30 (Thu)

第392回 76年ぶりに再演、早世の劇作家・加藤道夫が「いま」に伝えるもの

挿話チラシ
▲文学座アトリエの会『挿話〔エピソオド〕~A Tropical Fantasy~』(リンクは文末に)


劇団四季のファンならば、『思い出を売る男』をご存じだろう。
また、歌舞伎ファンだったら、『なよたけ』をご覧になっているかもしれない。竹取物語を原案とした芝居で、先代市川團十郎や、当代中村芝翫らも、若いころに演じている。坂東玉三郎演出の公演もあった。市川雷蔵が映画化を切望していた作品でもあった。

これらを書いた劇作家が、加藤道夫(1918~1953)だ。
戦前から芥川比呂志らと演劇グループを結成し、戦後、文学座に合流。夫人は、女優の加藤治子(1922~2015)である。
だが、戦争中に陸軍省の通訳官として南方に赴任し、重いマラリアに罹患する。戦後も再発し、闘病と入院を繰り返しながらの演劇活動だった。
そのため厭世的になったのか、昭和28(1953)年に自殺。35歳の若さだった。

そんな加藤道夫が、終戦後間もない昭和23(1948)年に発表した戯曲が『挿話〔エピソオド〕 A Tropical Fantasy』だ。翌年に、文学座が初演した。
だが、以後、この作品は一度も上演されることなく、一般の演劇ファンにとって加藤道夫はほぼ『思い出を売る男』『なよたけ』のみで知られる作家となって今日に至っている。

その『挿話』が「76年」ぶりに、文学座アトリエの会によって再演された(的早孝起演出/3月14~26日、文学座アトリエにて)。
なぜ、いまの時期に再演されたのだろうか。

時は「一九四五年八月二十日と推定される日」、所は「南海の果のヤペロ島と称するパプア族の住む島」
この島に残っていた、日本兵たちの物語である。
冒頭、日本軍の通訳・守山(作者の分身)の「声」がスピーカーから響く。

声(守山)「之は実際にあつたことであります。作者が実際に経験した事実の記憶から作り上げられたものであります。/それは昔々と言ふにはあまりにも真新しい記憶。――丁度、今から八年前。あの長かつた太平洋戦争が突如終焉した日のことであります。」
「これは、今次戦争の終戦が齎〔もたら〕した、ほんの小さなエピソオドであります。」


島に取り残されていた日本兵らは、米軍の伝単(宣伝謀略ビラ)で、終戦を知る。最初は本気にしない師団長だったが、先住民たちがお祭りをはじめたのを知り、敗戦の事実を受け入れる。
だが師団長は、新たな恐怖に襲われる。彼は、かつて、この島に上陸するや、先住民たちを自慢の日本刀で斬殺していたのだ。

やがて師団長は、彼らが生きていて、復讐に来るとの幻惑にとりつかれる。実際、先住民たちが亡霊となって師団長の前にあらわれる。だが復讐に来たわけでもなさそうで、なにかを訴えているようでもある。師団長は次第に衰弱し、錯乱状態に陥っていく。

終幕近く。彼方から、先住民たちの祭りの歌が聴こえてくる。

倉田(師団長)「……何の歌ぢや? あれは……」
守山「あれは、土人達が死者の霊を祝福するトラモワの祭りの歌であります。彼等は、ミタロと言ふ木彫の像を立てゝ、その廻りを踊り狂ってゐるのです。」(略)
倉田「(うはごとの様に)……む。さうぢや。……儂は行かにやならん。(略)儂は、これまでに、一度として、奴等のところに行つてやつたことがなかつた。……一度として、奴等の村を訪れてやつたことがなかつた。」(略)
藤野「閣下! 未開の土人どもの邪教であります。文明人であられる閣下が、あの様なものに心を奪はれるとは……」


師団長は、うつろな状態のまま、先住民の村へ向かって舞台から去る。

ここで幕が下りていたら、この戯曲は、戦争犯罪の愚かさを、演劇ならではの象徴性をもって表現した、反戦劇の一種で終わっていただろう。占領軍の検閲を受けているとしたら、”優良作品”として歓迎されていたかもしれない。

ところが、このあと、ふたたび守山の「声」が流れる(今回の再演では、本人が舞台上に登場した)――半年後、オランダ軍が進駐してきて、我々は帰国できることになった。師団長と参謀長は戦犯として逮捕されたが、師団長は精神異常を理由に放免された。
しかし、

声(守山)「彼は我々と共に復員船に乗ることをどうしても肯〔がえ〕んじませんでした。……閣下は、ミタロの神に取り憑かれてしまつたのであります。〈土〉の神が彼の全精神を占めてしまったのであります。(略)故国は彼の脳裏から全く消え去つてしまつたのであります」

※ここで思い出されるのは、竹山道夫の小説『ビルマの竪琴』だ。ちょうどこの『挿話』発表直前に連載が終了し、単行本化されている。『挿話』は、加藤の実体験が素材だが、この小説も脳裏の片隅にあったかもしれない。

そして、ほかの日本兵たちの“現況”が述べられる。戦犯の参謀長が異国の地で強制労働に従事しているらしきほかは、みんな、商売で成功したり、労働組合で闘争活動をやっていたりと、ふつうの戦後をおくっているという。
守山は、ヤペロ島に行って、もう一度先住民たちと会い、「倉田閣下の思ひ出話に時を過してみたい」と願う(「倉田本人に会いたい」とは、言わない)。

ここにきて、物語は、副題にある“ファンタジー”であることが明確になる。わたしたち観客は、2時間弱の“まぼろし”を見せられたのである。
おそらく初演当時は、つい「8年前」の物語だけに、リアルに受け取られただろうが、さすがに76年もたつと、どこか諧謔的というか、コミカルな空気さえ漂う。だが、それでこそ、作者が目指したものは、ようやく76年目にしてファンタジーとして“完成”したともいえるのである。

作者の分身である「声」は、こう締めくくる。

声「……私は、愚かなるが故に人間を憎むものではありません。……併し、愚かなる人間達が不知不識〔しらずしらず〕の裡に犯してしまふ恐ろしい〈過誤〉〔あやまち〕だけはどうしても憎まないでは居られないのです」


今回の『挿話』再演は、2021年秋に決まったという。「グレート・リセット~危機を抱きしめて~」のテーマで、文学座内で公募され、選ばれたらしい。コロナ禍の下、東京オリンピック・パラリンピックが開催された直後だ。

このような作品を復活させる文学座の“発掘力”には感心させられる。ところが、“死者の声”に耳をかたむけるファンタジーのはずが、現実をなぞることになってしまった。
2022年2月、ロシアがウクライナ侵攻を開始した。「知らず知らずのうちに犯してしまう恐ろしい過誤」がふたたび地球上を覆いはじめる、その恐怖を、あらためて感じさせてくれた、加藤道夫の『挿話』とは、そんな“未来を見越した芝居”だったと思う。

新劇の公演期間は短い。こうやって紹介したり、口コミが広がるころには、公演は終わっていることがほとんどだ。
諸権利の関係で容易でないことはわかっているが、できれば、動画配信でもいいから、もっと多くのひとに観てもらいたい作品だった。
〈敬称略〉

※本文中の『挿話』台本は、『加藤道夫全集』全一巻(昭和30/1955年9月、新潮社刊)より引用しました(漢字は新表記にあらためました)。また、本稿執筆に際して文学座文芸編集室にご協力いただきました。御礼申し上げます。

◇文学座『挿話』サイトは、こちら
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