FC2ブログ
2020年08月 / 07月≪ 12345678910111213141516171819202122232425262728293031≫09月

2020.07.27 (Mon)

第289回 市松模様

千駄ヶ谷駅前
▲静まり返る、千駄ヶ谷駅前の「東京体育館」。
  東京五輪で卓球の会場になるはずだった。


 7月21日、東京・千駄ヶ谷にある国立能楽堂へ行った。
 日本芸術文化振興会が運営する6つの国立劇場(国立劇場、新国立劇場、国立演芸場、国立能楽堂、国立文楽劇場、国立劇場おきなわ)のなかで、比較的早く、主催公演を再開させたようなので、どんなふうに上演しているのか、気になったのだ。
 ひさしぶりで、JRの千駄ヶ谷駅に降りて驚いた。少々薄暗かった駅舎が、ピカピカに改装されていた。
 ここは、国立競技場の最寄り駅なのだ。

 能楽堂に着くと、入り口で検温、手の消毒。
 場内スタッフは、全員、マスク、フェイスガード、手袋を着用。
 座席配置は映画館などと同様、市松模様で、最前列は売り出しナシ。
 謡は覆面を着用。
 公演中もドアは開け放し。庭に通じるガラスドアも全開放で、廊下には扇風機が置かれ、随所で蚊取り線香が炊かれている。外気や蚊取り線香の香りが微かに客席に流れ込んできて、なんとなく「薪能」の気分である。
 ふと見ると、前の座席の背もたれにある「字幕表示機」が、一新されていた。前は、たしかボタンで操作していたが、いまはタッチパネル式で、なんと「6か国語」が表示できるようになっている。
 終演後は「密」防止のため、正面→脇正面→中正面の順で、スタッフの指示に従って客席を出る。

 上演されたのは「国立能楽堂ショーケース」と題するもので、解説20分+狂言《萩大名》和泉流30分+休憩+能《猩々》金春流30分。計90分強で終了する、ミニ入門公演である。従来の普及公演ともちがう新しいスタイルで、明らかに外国人向けに構成されていた(口頭解説でも、ほぼ同じ内容の外国語字幕が出る)。
 チラシを見ると、7月20~26日にかけて、3種6公演の「ショーケース」がある。いうまでもなく、オリンピック開会に合わせた企画だったのだ。

 終演後、千駄ヶ谷駅に向かってトボトボと歩く。新型コロナ禍とあって、ひとの気配もまばらだ。
 駅の真向かいにある東京体育館は、本来、オリンピック/卓球の会場だった。おそらく、そのための一部改修が行われたようだが、それも中止になったのか、白壁に囲まれて立ち入り禁止となり、静まり返っていた。
 夜なので見えないが、その向こうに、国立競技場があるはずだ。
 本来なら、このあたりは、いまごろ、世界中から来た観光客や五輪関係者で、ごった返しているはずだった。もちろん、国立能楽堂で「ショーケース」を堪能する外国人もいただろう。
 そういえば、東京五輪2020のエンブレムマークも市松模様だったなあと思いながら、ガラ空きのJRに乗って帰った。

◆「富樫鉄火のグル新」は、吹奏楽ウェブマガジン「BandPower」生まれです。第132回以前のバックナンバーは、こちら。

◆毎週(土)23時・FMカオン、毎週(日)正午・調布FMにて、「BPラジオ/吹奏楽の世界へようこそ」パーソナリティをやってます。
 パソコンやスマホで聴けます。 内容の詳細や聴き方は、上記「BandPower」で。

◆ミステリを中心とする面白本書評なら、西野智紀さんのブログを。 
 最近、書評サイト「HONZ」でもデビューしています。
スポンサーサイト



12:56  |  演劇  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2020.05.18 (Mon)

第285回 無料配信でいいのか。

なんでも無料
▲いまや、なんでもかんでも「無料」です。

 今年度は中止になったが、毎年、春が過ぎ、吹奏楽コンクールの季節が迫ってくると、SNS上に、中高生たちの似たような投稿が増える。
「うちの学校は、今年のコンクール自由曲が〇〇〇〇という曲に決まったのですが、どこで聴けますか」
 これはYOUTUBEなどのネット上で、「無料」で聴ける音源がどこにあるか、教えてくれと言っているのである。「収録されたCDがあるか」「どこから発売されているのか」といった問いは、まずない。

 いまや、音楽も映像もニュースも会話も、すべてはデジタルで済むようになり、しかも、かなりのものが(違法も含めて)無料でネット上にあふれかえっている。よって人々は(特に若い子たちが)「著作物」に対価を支払う感覚を失いつつある。本も、たとえ半年待ちでもいいから、絶対に書店では購入せず、図書館で借りようとするひとがいる。
 その傾向は、昨今のコロナによる自粛在宅で、一挙に強まったような気がする。

 いま(特にGW期間中は)、ネット上は無料配信の天国である。検索で「無料配信」と入力すると、いかに多いか、わかると思う。映画、ドラマ、アニメ、スポーツ、舞台、能、落語、クラシック音楽、ポップス、オペラ、バレエ、美術展、小説、漫画……およそ、わたしたちの周囲にあるエンタテインメントの大半に、いま、「無料」で接することができる。
 これが、自粛で在宅している人々へのサービスであり、かつ、在宅解除後もファンになってもらうための下地づくりだったことはわかる。しかし、わたしは、やりすぎだと思う。

 特に多いのは、楽団やアンサンブル、劇団が、本来ならステージ上に集まってやるような公演を、個々人の自宅からの中継を合体させる“テレワーク公演”だ。
 たまたま、自粛初期のころ、わたしは、フランス放送フィルハーモニー管弦楽団のテレワーク合奏(UNICEF基金の募集)を観た。曲はチャップリンの《スマイル》(映画『モダンタイムス』より)だったが、これはほんとうに素晴らしい映像で、編曲、演奏、パフォーマンス、画面編集などすべてに、考え抜かれた演出とユーモアが施されていた(かなりの手間と時間をかけてつくられたように思う)。後半、わたしは、半ば泣きながら観た。

 このレベルのテレワーク映像なら何度鑑賞しても感動するが、なかなかこれほどのものにはお目にかかれていない(たまたま、わたしが知らないだけだとは思うが)。
 特に日本のものもいくつか観たが、「仏の顔も三度まで」で、最初は興味を引くが、できることに限界があるので、どれも大差なく、次第に「またか」と感じるようになる。これが、自粛解除後に定期会員の増加につながるとは、とても思えない。意義はわかるのだが、やはり“思い”だけで何かを伝え、貫くことは難しいのだと思う。

 これが演劇となると、さらにしんどかった。画面上が8つほど、出演者の数に分割され、ただこちらに向かってセリフを話すだけで、それ以上の動きはない。役者が、自宅の室内で、1人で、固定されたWebカメラに向かって話すだけだ。つまり、ほとんどは“朗読”なのだが、音質に限界があるので、耳に心地よくない。役者たちは、相手の息吹や気配を感じることができないまま演じるので、微妙にテンポがずれて、ナマ舞台特有の“流れ”が、なかなか生まれない。
 さる人気劇作家の有名作品がテレワークで上演、無料配信され、たいへんなアクセス数を獲得しているという。さっそく観たのだが、あまり面白くなく、途中でやめてしまった。
 もしかしたら、台本をキチンと読む芝居より、アドリブが多いほうが、面白いかもしれないと思い、別の若手劇団のテレワーク公演も観てみた。ところが、これはさらにひどくて、カメラに向かって怒鳴ったり珍妙な表情を見せつけるばかりで、TVの“ひな壇ヴァラエティ”と大差なかった。やってる本人たちはユニークな体験で楽しそうだったが、観ているほうは、少々つらかった。
 こういう時こそ、プロ役者は、ほんものを見せるチャンスだと思う。ぜひ、“仕掛け”ではなく、セリフのみで勝負できるシェイクスピアやチェーホフの“Webリーディング”を見せてほしかった(これも、すでにどこかがやったかもしれないが)。

 落語もいくつか観たが、『圓生百席』じゃあるまいし、無観客の落語は無理があるように感じた。
 松竹や国立劇場が、歌舞伎の“無観客”公演映像を無料公開したが、これは、「記録」であると同時に、(払い戻しがあったとはいえ)高額な切符を購入した見物への“お詫び”の意味もあったと思う。
 しかし、これ以上の「無料配信」は、冒頭で紹介したような、「コンテンツにお金を払いたくない」傾向に、ますます拍車をかけるような気がしてならない。
 いま、ネット上の「支払い」は、驚くほど簡単になっている。「投げ銭アプリ」もあるし、複雑な手続きなしでネット・ショップを開業し、そこでデジタル・コンテンツを売るシステムもある。安くてもいいから(この状況下では、安くせざるをえないだろう)、ネット上のコンテンツに「対価」を支払う習慣を、この機会に育ててほしかった。
 でないと、そのうち「無料(タダ)ならいいけど、カネ払うんじゃ、ちょっとなあ……」が、さらに定着してしまう。そして、やるほうも「どうせタダなんだから、このレベルで勘弁してよ」となり、エンタテインメント界は、先細りするだろう。

◆「富樫鉄火のグル新」は、吹奏楽ウェブマガジン「BandPower」生まれです。第132回以前のバックナンバーは、こちら。

◆毎週(土)23時・FMカオン、毎週(日)正午・調布FMにて、「BPラジオ/吹奏楽の世界へようこそ」パーソナリティをやってます。
 パソコンやスマホで聴けます。 内容の詳細や聴き方は、上記「BandPower」で。

◆ミステリを中心とする面白本書評なら、西野智紀さんのブログを。 
 最近、書評サイト「HONZ」でもデビューしています。

17:59  |  演劇  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2020.04.17 (Fri)

第281回 小説の中の「無観客」歌舞伎

團十郎切腹事件
▲創元推理文庫版、戸板康二「中村雅楽探偵全集」第1巻


 前回、国立劇場における歌舞伎公演の、無観客映像について述べた。
 実は「無観客の歌舞伎」を題材にしたユニークな短編ミステリ小説があるので、ご紹介しよう。
 戸板康二による、『尊像紛失事件』である。

 戸板康二(1915~93)は、歌舞伎評論家にして随筆家。「ちょっといい話」シリーズなどは、かつてエッセイのお手本のように読まれたものである。
 その戸板が、江戸川乱歩の薦めで書き出し、本業顔負けのワザを見せたのが、老優探偵・中村雅楽シリーズである。1970~80年代にかけて、十七世中村勘三郎主演でTVドラマ化されたので、それでご記憶のご年輩の方も多いだろう(江川刑事=山城新伍、竹野記者=近藤正臣)。

 高松屋こと中村雅楽は77歳の大ベテラン歌舞伎俳優。リュウマチで身体が少々不自由なので、いまでは時折、老け脇役で出る程度だが、むかしの芝居の型をよく知っているため、若手役者たちからも慕われ、大切にされている。
 だが、この雅楽には、もっとすごい才能があった。プロ探偵をも上回る推理力である。なぜかこのシリーズ世界では、劇場内や歌舞伎界で、奇々怪々な事件が毎日のように発生しており、それらを雅楽が、過去の経験と見事な推理で、バシバシ解決していくのである。
 それを書きとめるのが大手新聞社の演劇記者「わたし」こと竹野で、要するに、この2人は、シャーロック・ホームズとワトソンなのである。
 第1作『車引殺人事件』(「宝石」1958年7月号)以来、1991年までの間に、全部で87本の短編が書かれた。第7作『團十郎切腹事件』(1959年)などは、なんと直木賞を受賞している。

 さて、本題の『尊像紛失事件』である。
 これはシリーズ第2作で、第1作からわずか4か月後、「宝石」1958年11月号に掲載された。よほど、第1作の評判がよかったのだろう。

 某劇場に座頭で出演している芳沢小半次が今回の主役である(役者と劇場はすべて架空)。
 ある月、新作芝居『小松殿』に平重盛で出演していた。このなかの居室の場に、身の丈三寸の阿弥陀如来像を小道具として出すのだが、なにしろ彼は病的な骨董マニアで、作り物では満足できない。そこで、元大名華族のパトロンが、国宝指定の阿弥陀如来像を持っているというので、よせばいいのに、頼み込んで借り出し、毎日、舞台に出していたのである。
 もちろん小道具係まかせにはせず、はねた後は、自分で丁重にあつかい、楽屋内でキチンと保管していた。
 その尊像が、盗まれた。

 知らせを聞いた「わたし」と、仲のいい江川刑事は、さっそく劇場に駆けつけて調査を開始する。すると、盗難時刻からいままで、劇場から外へ出たものはいないことがはっきりした。つまり、尊像も犯人も、この劇場のなかに、いるのである。
 これ以上は省略するが、尊像は、あっけなく、劇場内の別の楽屋内で発見される。だが、誰が盗み出して、そんな場所に置いたのか、動機は何だったのか、これがどうしてもわからない。
 よって、この小説は、中間から、尊像探しではなく、「どうやって犯人をあぶり出すか」にポイントが移るのだ。
 そこで、老優探偵・中村雅楽の登場である。

 すぐに芸術祭の季節となり、「わたし」の新聞社で、歌舞伎公演を映画フィルムで記録することになった。ついては、観客のいる本興行では、カメラや照明が場所を取って見物の迷惑になるから、千秋楽の終演後に、無観客で収録することになった。
 演目をどうするか。座頭の藤川与七は『熊谷陣屋』か『寺子屋』を提案する。ところが、なぜか雅楽が『盛綱陣屋』にしたい、しかも自分が、芝居道三婆に含まれる大役・微妙を付き合うから、と言い出した。雅楽の微妙が観られるなら、誰も文句は言えない。演目は『盛綱陣屋』に決まった。
 ところが、雅楽は、さらに、奇妙な提案をする。無観客でも構わないのだが、花道の周辺にだけは、見物を置きたい、よって、劇場内のスタッフやその家族、出番のない役者などを集め、花道の外と桟敷だけにエキストラとして座らせるのだ。しかも、かなり具体的に、座席表までつくって、誰がどこに座れと指定するのである。

 なぜ演目は『盛綱陣屋』になったのか?
 なぜ無観客収録なのに、花道の周囲だけに劇場関係者を座らせたのか?
 ここから先はネタバレになるので書けないが、結果、雅楽の策によって、見事に犯人が判明するのである。よほど芝居に詳しい方でも、まさかこんな方法で犯人を見つけ出すとは、想像もできないであろう(少々劇画的ではあるが)。歌舞伎を隅から隅まで知り尽くした戸板康二ならではの、見事な展開である。
 この短編は、尊像探し→犯人捜しと、2段階で楽しませてくれるが、さらに幕切れに、名ラストが待っている。歌舞伎を映像収録すると、こういう面白い事態もあるのかと、唸ってしまうだろう。

 創元推理文庫版「中村雅楽探偵全集」全5巻は、現在、巻によっては新刊入手は困難だが、『尊像紛失事件』収録の第1巻は版元在庫があるようだ。古書店や、アマゾン・マーケットプレイスでも、比較的、入手しやすいと思う。
 緊急事態宣言下、芝居はしばらく観られないが、これがあれば、歌舞伎ファンは十分楽しめるはずだ。
<敬称略>

◆「富樫鉄火のグル新」は、吹奏楽ウェブマガジン「BandPower」生まれです。第132回以前のバックナンバーは、こちら。

◆毎週(土)23時・FMカオン、毎週(日)正午・調布FMにて、「BPラジオ/吹奏楽の世界へようこそ」パーソナリティをやってます。
 パソコンやスマホで聴けます。 内容の詳細や聴き方は、上記「BandPower」で。

◆ミステリを中心とする面白本書評なら、西野智紀さんのブログを。 
 最近、書評サイト「HONZ」でもデビューしています。
15:05  |  演劇  |  CM(1)  |  EDIT  |  Top↑

2020.04.14 (Tue)

第280回 無観客/平知盛 vs コロナ

義経千本桜
▲中止となった、国立劇場3月公演


 新型コロナ禍で、演奏会や芝居、スポーツなどの「無観客」実施が増えた(その後の「緊急事態宣言」で、それさえもなくなったが)。

 先日、この3月に上演予定ながら中止となった、国立劇場『義経千本桜』通しの、無観客映像がネットで公開され、あっという間に10万回再生を突破したという。
 これは、菊之助が、知盛・権太・狐忠信の3役を完役する、たいへん挑戦的な舞台として話題になっていた(権太のみ初役)。ほかに、道行の静御前を時蔵、義経を鴈治郎など。

 全体を3部に分け(二段目=Aプロ、三段目=Bプロ、四段目=Cプロ)、一か月の間、1日に2プロずつ、日によって入れ替えながら上演する。しかも会場が、通常は文楽などを上演する小劇場(522席)なので、大劇場や歌舞伎座とはちがい、役者の息吹を目の前で感じられるとあって、芝居好きにはたまらない公演となるはずだった。
 もちろんわたしも、3プロ通し券を買って、楽しみにしていた。

 結局、公演は中止となったのだが、その間、ゲネプロのように無観客で完全上演され、国立劇場は、その模様を映像におさめていた。それも「記録」用収録ではなく、最初から配信公開を前提とした、複数カメラによる収録だった。実際、菊之助自身、国立劇場のサイトでこう述べている。

「公演中止期間中、中村時蔵のお兄様、中村鴈治郎のお兄様はじめ、出演者一同、スタッフ一同は上演に望みをつなぎ、稽古に励んで参りました。そして、その舞台の映像を収録することとなりました。お客様が全くいらっしゃらない客席を前に、しかし、カメラの向こうにお客様がいらっしゃることを思い描きながら、精一杯演じましたので、インターネットでお楽しみいただけましたら幸いです」

 わたしも、さっそく拝見した。
 誰もいない客席、拍手も大向うの声もない、静まり返った場内で、役者たちが熱演を繰り広げている。下座や浄瑠璃、柝やツケ打ちが、通常よりも強く響くような気がする。各プロが1時間40分前後にまとめて編集されており、全部観ると5時間ほどかかる。それだけに、歌舞伎に興味のない方には無理にお薦めしにくいのだが、それでも、ぜひ、一か所だけでも、観ていただきたいシーンがある。
 Aプロ(二段目)のクライマックス「大物浦」、1時間30分あたりからラストまでの、約10分間だ。ここだけでも、観ていただきたい。

 突然映る血まみれの武将は、平知盛(菊之助)である。この武将は、史実では壇ノ浦合戦で敗れ、入水して死んだはずなのだが、芝居では生きていたことになっている。そして平家復興をかけて源義経一行を襲うのだが、うまく行かず、反撃を喰らって全身ボロボロ、ここ大物浦(いまの尼崎にあった大型港湾)に逃れてきた。
 上手(右側)にいる子供が、これまた壇ノ浦で入水したはずの幼帝・安徳天皇である(実は姫君なのだが、ややこしいので説明省略。演じるのは、菊之助の長男・丑之助)。

 万策尽きた瀕死の知盛は、ついに義経追討をあきらめ、今度こそほんとうに入水を決意する。港の高台に登り、巨大な碇を全身に巻き付ける(伝承でも、遺体を敵方に渡さないよう、壇ノ浦で碇とともに入水したことになっている)。
 ここで最後の力を振り絞って碇を持ち上げるところが見せ場で、菊之助が凄絶な芝居を見せる。もし観客がいたら、場内は騒然となったであろう。
 そして、どうしても、時期的に、その姿に、新型コロナ・ウイルスと闘い、打ち勝とうとする人々の姿が重なってくる。菊之助の知盛は、「自分の命を捧げるから、なんとか終息してくれ、そして、また芝居ができるようにしてくれ」と訴えながら、海に身を投げたように見えてしまうのである。
 国立劇場の無人の客席は、衝撃である。花道の周囲にも誰もいない。しかし、菊之助をはじめとする役者の思いは、圧倒的な熱量で伝わってくる。
 こういう映像を無料で公開してくれた国立劇場に、最大限の賞賛をおくりたい。
(この項、つづく)
<敬称略>


【参考】
上記『義経千本桜』映像の公開は4月30日(木)15:00までの期間限定です。
上演中止となった上記『義経千本桜』プログラムが通信販売で購入できます。
そのほか、松竹チャンネル(YOUTUBE)でも、「三月花形歌舞伎」(東京・明治座)出演者座談会や、スーパー歌舞伎Ⅱ『新版オグリ』(京都・南座)、「三月大歌舞伎」(歌舞伎座/17日から)などの映像が期間限定で無料公開されています。
5月の国立劇場、文楽『義経千本桜』は、中止となりました。

◆「富樫鉄火のグル新」は、吹奏楽ウェブマガジン「BandPower」生まれです。第132回以前のバックナンバーは、こちら。

◆毎週(土)23時・FMカオン、毎週(日)正午・調布FMにて、「BPラジオ/吹奏楽の世界へようこそ」パーソナリティをやってます。
 パソコンやスマホで聴けます。 内容の詳細や聴き方は、上記「BandPower」で。

◆ミステリを中心とする面白本書評なら、西野智紀さんのブログを。 
 最近、書評サイト「HONZ」でもデビューしています。
17:05  |  演劇  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2020.03.16 (Mon)

第275回 映像に頼らなかった『ナウシカ』

ナウシカ
▲昨年12月、新橋演舞場で、昼夜通しで上演された。


 新型コロナ禍で、のきなみコンサートや芝居が中止になっているが、映画館は、なんとか開館しているところが多い。そこで、METライブビューイングで、ベルクのオペラ《ヴォツェック》を観てきた。
 《ヴォツェック》といえば、1989年のウイーン国立歌劇場の来日公演が、忘れられない(クラウディオ・アバド指揮、アドルフ・ドレーゼン演出)。舞台セットもリアルで、「現代演劇」を思わせる、素晴らしい上演だった。
 今回のMET版は、“ヴィジュアル・アートの巨匠”ウィリアム・ケントリッジの演出。このひとは、METでは、ショスタコーヴィチ《鼻》、ベルク《ルル》につづく3回目の登場である。毎回、抽象的なセットを組み、不思議なドローイング・アニメを舞台全体に投影する。ああいうのを「プロジェクション・マッピング」と呼ぶのだと思う。
 しかし、わたしのような素人にはどれも同じに見え、過去2作と、大きなちがいを感じなかった。常に舞台全体になにかゴチャゴチャしたリアル映像が投影されているので、演技や歌唱にも没入できなかった(主演歌手2人は素晴らしかった)。

 最近の芝居は、舞台上にリアルな映像を投影する演出が多い。この手法を使えば、巨大なセットを組んだり、転換したりする必要がない。澤瀉屋のスーパー歌舞伎Ⅱなども、プロジェクション演出が多く、花吹雪、松明の炎、巨大な城塞、川など、多くが映像である。これなら舞台転換が一瞬でできる。そのかわり、映画のように、次々と「場」や「景」を変えることが可能なので、芝居ならではの落ち着いた雰囲気が失われることもある。

 ところが、その直後、プロジェクション演出に頼らない大型舞台を、同じ松竹の製作で観た。歌舞伎版『風の谷のナウシカ』の全編映像である。昨年12月の上演だが、瞬殺でチケットが完売したので(もちろん、わたしも買えなかった)、映像収録され、この2~3月、前後編(計7時間近く)に分けて上映されたのだ。
 なにぶん、アニメの印象が強いので、プロジェクション演出が活躍するものだと思っていた。ところが、意外や、中身は昔ながらの「歌舞伎」であった。

 たとえば、昼の部、序幕のラスト(=映画のラスト。原作漫画の第2巻半ば)で、ナウシカが王蟲(オーム)と心を通わせ、「その者青き衣をまといて金色の野に降り立つべし」の名セリフが述べられる場面。ここが舞台で再現されるなら、まちがいなくプロジェクション演出だと思っていた。だが、菊之助とG2(演出)は、そうしなかった。「金色の野」は、大勢の黒衣が操作する、昔ながらの「浪布」(ただし金色)で表現されたのだ。

 ナウシカがはるか彼方に飛んで去る様子は「遠見」が使われた(ナウシカと同じ衣裳の子役が舞台奥に登場し、遠くに小さく見えるような演出。『一谷嫩軍記』で有名。ただし今回の映像では、その子役をアップで映してしまったので、「遠見」の意味が皆無だった)。

 そのほか、時折、効果的な映像が投影されることはあるが、多くは、描き割りやセットで進行した。《娘道成寺》や《連獅子》から持ってきた演出や、宙乗り、本水での立ち回りも登場し、たしかにわたしたちは、スーパー歌舞伎ではなく、「歌舞伎」を観たのであった(七之助の演じるトルメキア皇女クシャナなどは、女形の魅力満載で、原作漫画を超越していた。あまりのカッコよさに、もっと出番を増やしてほしかった)。

 わたしが、芝居におけるプロジェクション効果に最初に驚いたのは、2012年2月、サンシャイン劇場で観たミュージカル『ロッキー・ホラー・ショー』であった。道路上を疾走するリアル映像が運転手の主観で投影され、どこかのアトラクションに紛れ込んだようであった。
 その後、帝国劇場での大型ミュージカルなどにも、プロジェクション演出が増えた。たとえば『ミス・サイゴン』などは、あまりの巨大セットが必要で、1992年の日本初演時、帝国劇場を大改修したことが話題となった。そのため、当初は、帝国劇場と博多座でしか上演できなかった。しかしその後、プロジェクション技術が発達し、かなりの場面を「映像」で表現できるようになった。そこで2012年から、全国ツアーが可能になった。ただし、初演時の、あの生々しいスペクタクル感は失われたように感じる(こうしてみると、2012年あたりが、「映像舞台」元年だったのだろうか。そういえば、『レ・ミゼラブル』も、2013年から映像を多用した演出に変更されている)。

 かようにいまの演劇界には、プロジェクション効果があふれている(開催されるかどうか微妙だが、今度の東京五輪の開会式など、映像だらけになるような気がしている)。
 それだけに、菊之助の『ナウシカ』は、かえって新鮮で、舞台劇本来の面白さを、あらためて気づかせてくれた。やはり舞台とは、リアルさもさることながら、作り物の面白さ、いい意味での安っぽさを、いかに本物に感じさせるかも魅力のひとつだと思う。
 大詰めにおけるセリフの応酬も、原作漫画では、一種の環境哲学論のように展開するのだが、たいへんうまく、芝居ならではのセリフに書き換えられていた。これも、同じ考え方だろう。

 時代小説作家で、歌舞伎の見巧者としても知られる竹田真砂子さんは、先日、ある会で、こんな主旨のことを述べておられた。

「今回の『ナウシカ』は、戦後の歌舞伎の歴史における2度目の革命です。1度目は、昭和26年の『源氏物語』でした(舟橋聖一台本、九世市川海老蔵=のちの十一世市川團十郎主演)。新築開場3か月目の歌舞伎座での上演でした。このときはじめて、平安時代が歌舞伎で描かれました。しかし歌舞伎は、基本的に江戸時代のお芝居で、セリフも江戸ことばです。さすがに光源氏が七五調で話すのは、おかしい。そこで、現代語で上演されました。これは明らかに革命でした。今回の『ナウシカ』は、異世界を描く漫画を題材にしながら、ちゃんと歌舞伎になっている。これもすごいことで、革命だと思いました」
 
 竹田さんほど長く歌舞伎を観ている方が、そういうのだから、やはり『ナウシカ』は革命的舞台だったのだ。もし再演された場合、くれぐれもプロジェクションを多用した“映像版”にならないことを、切に願う。
<一部敬称略>

◆「富樫鉄火のグル新」は、吹奏楽ウェブマガジン「BandPower」生まれです。第132回以前のバックナンバーは、こちら。

◆毎週(土)23時・FMカオン、毎週(日)正午・調布FMにて、「BPラジオ/吹奏楽の世界へようこそ」パーソナリティをやってます。
 パソコンやスマホで聴けます。 内容の詳細や聴き方は、上記「BandPower」で。

◆ミステリを中心とする面白本書評なら、西野智紀さんのブログを。 
 最近、書評サイト「HONZ」でもデビューしています。
17:13  |  演劇  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑
 | BLOGTOP |  NEXT