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2024.04.12 (Fri)

第452回 映画『オッペンハイマー』と、〈ミズヲクダサイ〉

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▲「ニューズウィーク」も大特集を組んだ、映画『オッペンハイマー』

先の米アカデミー賞で7部門を受賞した、映画『オッペンハイマー』(クリストファー・ノーラン監督)が日本でも人気のようだ。全世界では10億ドルの大ヒットだという。

“原爆の父”ロバート・オッペンハイマー博士(1904~1967)を描いた映画だが、広島・長崎の惨劇が描かれていないとかで、かえって日本で話題となっていた。ユニバーサル・ピクチャーズ作品なのに、同社の日本配給権をもつ東宝東和が扱わなかったことも、業界で話題となった。

実際に観てみると、オッペンハイマーが原爆のあまりの威力に怯える姿が強調されている。後半は、戦後の水爆開発に消極的となり、“赤狩り”の対象となってソ連のスパイ呼ばわりされる姿が長く描かれる。

つまりこの映画は、東西冷戦下の政治に弄ばれた科学者の苦悩を描いているのだった。ならば、広島・長崎にかんする描写は、最初から入れる予定などなかったであろう。

しかも、この監督お得意の、独特の映像感覚と、時間軸が入り乱れる構成である。少しは予備知識がないと、(特に日本人には)なんともわかりにくい。

   *****

よくいわれるように、日米では、原水爆にかんする感覚は、あまりにちがう。

「ニューズウィーク日本版」4月16日号の特集「オッペンハイマー アメリカと原爆」で、コロムビア大学のキャロル・グラック名誉教授(歴史学)は、こう書いている。

〈アメリカでは今や人口の40%以上が、1981年以降に生まれたミレニアル世代とZ世代だ。彼らは第2次大戦に関する知識が驚くほど薄い。ヒロシマと原爆は知っているが、その開発や日本に投下するという決断については、ほとんど何も知らない。実際、この世代の大多数は、第2次大戦のアメリカの同盟国と敵国はどこかという質問にさえ答えられないのだ。〉

もちろん、日本の若者も、似たようなものだろう。それでもまだ日本人は、資料館や映像、文学などで原水爆の惨禍を知る機会が、少なくともアメリカ人よりは多いはずだ。たとえば、日本の中学高校の吹奏楽部員は、意外とビキニ水爆実験の悲劇を知っている。なぜなら、福島弘和作曲《ラッキードラゴン 第五福竜丸の記憶》がコンクールの人気曲だからだ。

ところがその一方で、グラック教授は、こうも書いている。

〈今や放射能の影響や被爆者の苦しみはアメリカの大衆にも知られており、映画の中でオッペンハイマーが、皮膚が垂れ下がった被爆者の姿や、黒焦げの死体を踏み付ける自分の姿を思い描くシーンの意味を理解できるだろう。〉

だが、一瞬しか映らない抽象的な「幻想」シーンを、〈アメリカの敵国を知らない〉アメリカ人が、ほんとうに理解できただろうか。

そもそも、トリニティ実験場における先住民の被ばくの実態にも、まったく触れられていない。そういう映画に広島・長崎の惨禍が登場しないことを論じても意味ないのかもしれない。

それでも、やはりあたしは、複雑な“何か”を感じざるを得なかった。なぜなら、おなじ人物と題材を描いた、オペラ《ドクター・アトミック》を、どうしても思い浮かべてしまうからだった。

   *****

ジョン・アダムズ(1947~)のオペラ《ドクター・アトミック》(原爆博士)は、2005年10月、サンフランシスコ歌劇場で初演された。

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▲アダムズ自身が指揮した、オペラ《ドクター・アトミック》CD。ジャケットには広島のキノコ雲、解説には当時の広島の地図も。

作曲者のアダムズはグラミー賞やピューリツァー賞を受賞している、アメリカ現代音楽の旗手である。ミニマル系だが、調性感のある音楽で、いわゆる、”ヒュ~、ドロドロ、パシャ!”の前衛音楽とは一線を画している。管弦楽曲《ショート・ライド・イン・ア・ファスト・マシーン》などは吹奏楽版に編曲されて人気がある。日本でもシエナ・ウインド・オーケストラが2019年の定期で、渡邊一正の指揮で演奏しており、あたしも解説を書いた。

彼のオペラでは、なんといっても《中国のニクソン》(1987年初演)がたいへんな話題となった。1972年の、ニクソン大統領の中国電撃訪問、毛沢東や周恩来との会談の模様を描いたオペラである。ヒューストンでの初演は、評論家には悪評だったが、一般聴衆には大受けだった。その後、世界中で再演され、レコーディングも複数出た。ついにはメトロポリタン歌劇場が上演するに至って、アメリカ現代オペラの名作として定着したのだった。

この《ドクター・アトミック》も、同系統の”現代史オペラ”だ。これも話題となり、メトロポリタン歌劇場で上演されている。「METライブ・ビューイング」でも上映されたので、ご覧になった方もいるだろう。

主な登場人物は3人。オッペンハイマー博士(バリトン)、その妻で元共産党員のキティ(ソプラノ)、原爆開発を推進するグローヴス将軍(バス)。ほかに”水爆の父”エドワード・テラー(バリトン)も登場する。

詞章の多くは、現実の発言や公文書から引用されており、さらに文学作品の詞章が加わる(オッペンハイマーはたいへんな文学好きで、サンスクリット語も理解していた)。台本はピーター・セラーズだ。

音楽は、アダムズ特有のミニマル(おなじモチーフやリズムを繰り返す)だ。そのため、全体は「オペラ」というよりは、「現代オラトリオ」とでもいうような無機質な雰囲気である。聴いていて、興趣を誘われる音楽ではない。原爆の是非を問うような内容でもないが、人間がとんでもないものを作り出してしまった事実は迫ってくる。また、全編を、なんとも異様な緊張が貫いていることも、まちがいない。いまでは、後述するオッペンハイマーのアリアなど、独立した歌曲として知られており、レコーディングしている歌手もいる。

また、アダムズ自身がオペラから抜粋構成した、3楽章構成の管弦楽曲《ドクター・アトミック・シンフォニー》も発表されている。

   *****

全体は2幕構成。

第1幕は1945年6月、ロスアラモス研究所。原爆開発(マンハッタン計画)が急がれているが、ドイツが降伏したいま、投下地を日本にすることの是非が討論される。

幕切れでオッペンハイマーが、アリア〈三位一体(トリニティ)の神よ、わたしを打ち砕いてください〉をうたう。詞章は、イギリスの詩人ジョン・ダン(1572~1631)の有名なソネットだ。ブリテンが歌曲にしていることでも知られている。

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▲実験地の先住民も登場する、メトロポリタン歌劇場版

第2幕は1945年7月16日の早朝、トリニティ実験場。ヒンズー教の叙事詩『マハーバーラタ』や、近隣の先住民「テワ族」の詩が合唱でうたわれる。オッペンハイマー夫妻の会話にはボードレールの詩も引用される。

前夜から悪天候だったが、間奏曲〈サングレ・デ・クリスト山脈に雨が降る〉が演奏されるうち、次第に晴れてくる。

ラストのカウントダウンは、時間の流れが変容し、えんえんとつづく。関係者が地面に伏せ、「ゼロマイナス45秒」……「ゼロマイナス・ワン」となった瞬間、沈黙が訪れる。

すると、突如、実験場のスピーカーから、「女性の声」で「日本語」の「朗読」が流れる。

ミズヲクダサイ
オネガイデス、ミズヲクダサイ
コドモタチガ、ミズヲホシガッテイマス
タニモトサン、タスケテクダサイ
オットガ、ミアタラナインデス
オネガイデス、ミズヲクダサイ

そのまま、幕。

   *****

このラストは、あたしたち日本人には、なんとも衝撃であり、かつ複雑である。原爆実験の爆発瞬間も、広島・長崎への投下もすっとばして、突然、このようなナレーションで終わるのだ。

〈ミズヲクダサイ〉は投下直後に被災者たちが口にした苦悶のことばだ。原民喜の詩集『原爆小景』の、よく知られる一節でもある。林光による合唱組曲も有名だ。

〈タニモトサン、タスケテクダサイ〉は、被災地で救護活動にあたった牧師・谷本清さんのことだと思われる。ジョン・ハーシーの名作ルポ『ヒロシマ』(邦訳・法政大学出版局刊)に登場した、おそらくアメリカでもっとも名前を知られた広島の被ばく者だ。同書の日本語訳も手がけ、1986年に亡くなるまで、日米両国で平和運動に従事した。

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▲ハーシーの名作ルポ『ヒロシマ』

問題は、そのナレーションの”口調”である。

いったい、どういうひとが朗読しているのか不明だが、レコーディングもライヴ映像も、なんとも無機質で、棒読みなのだ。日本人には、「嫌々に読まされている」ように聴こえてしまう。わざとそうした”演出”なのか、あるいは、たまたま読んだひとが、その程度の日本語力だったのかは、よくわからない。

なぜ、こんなナレーションが、ラストに流れるのか。爆発実験は成功したが、1か月後に、このような惨禍を招く……といいたいのだろうか。

ここであたしが感じたのは、高見順ではないが、「なんとも言えぬいやな感じ」だった。どこか、とって付けたような感じがしてならなかった。広島・長崎への、エクスキューズ(弁明、免責)のようにも思えた。

映画『オッペンハイマー』で感じたのも、似たような思いだった。爆発実験が成功したあとは、終戦後の挿話になる。そして、オッペンハイマーがソ連のスパイ疑惑で追及され、苦悩する姿が描かれる(アメリカのインテリは、赤狩りの話が好きだ)。

この後半は、「広島・長崎同様、”原爆の父”も十分苦しんだのだ」と言っているようだ。確かにそうだったのだろう。だからこそ、原爆の恐怖が伝わってくるとの意見もある。だがあたしは、うまくいえないのだが、なにか複雑な思いを禁じ得ず、素直に感動できなかった。つい、先述オペラのラスト〈ミズヲクダサイ〉を、思い出していた。

   *****

……と、勝手なことを述べたが、さほど聴きこんだり見返したわけではない(映画も1回しか観ていない)。だから、浅学の感想にすぎない。しかし「なんとも言えぬいやな感じ」を抱いたのは、たぶん、あたしだけではないと思うのだが。

◆カールスルーエ州立劇場版の《ドクター・アトミック》舞台映像
◆メトロポリタン歌劇場版、全編映像。ラスト〈ミズヲクダサイ〉は、第2幕の1時間20分すぎくらいから。

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2024.03.26 (Tue)

第451回 【映画/バレエ 先取り紹介】 マスネは1小節も書いていない、「マスネ作曲」のバレエ《マノン》

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▲4月5日公開、ロイヤル・バレエの《マノン》 ©2024 ROH 2 Photographed by Andrej Uspenski

本ブログで、しばしば「英国ロイヤル・オペラ・ハウス シネマシーズン 2023/24」の上映作品を、事前に紹介している。幸い好評なので、今回は、4月5日より公開される、ジュール・マスネ作曲のバレエ《マノン》について綴る。バレエ・ファンには釈迦に説法だろうが、本作にも、興趣あふれる背景エピソードがある。

   *****

むかしは、このバレエについて、「マスネのオペラ《マノン》をバレエ化した」みたいな解説が、時々あった(いまでも、たとえばNaxos Music Libraryでは、リチャード・ボニング指揮のDeccaのCD「バレエ《マノン》」は、「歌劇《マノン》」と誤記されている:3月26日現在)。

「マスネ作曲のバレエ《マノン》」は、「マスネ作曲の歌劇《マノン》」とは、まったく関係ない。それどころか、マスネは、バレエ《マノン》の音楽など、1小節も書いていないのだ。

いったい、どういうことか。

このバレエ《マノン》を生み出したのは、英国ロイヤル・バレエ団の振付家、ケネス・マクミラン(1929~1992)である。初演は1974年。

彼は、映画『情婦マノン』(1949)や、カトリーヌ・ドヌーヴの『恋のマノン』(1968)などのファンであった。いつか、原作小説である、プレヴォの『マノン・レスコー』(1731)をバレエ化したいと考えていた。魔性の美少女マノンと、彼女に魅せられた騎士デ・グリューの転落悲劇である。

しかし、バレエには「音楽」が必要だ。誰かに新曲を書いてもらうか、既成曲を使用するか……。

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それまでに、『マノン・レスコー』は、何度も“音楽”化されていた。すでに1830年に、アレヴィ作曲・オメール振付でバレエになっており、パリ・オペラ座で初演されている。

つづいて1856年には、やはりフランスの作曲家・オーベールによってオペラ化された。好評だったが、1884年、ジュール・マスネ(1842~1912)による再オペラ化が登場すると、その人気に押されてオーベール版は消えてしまった。

さらに1893年、若きプッチーニが、またもこの小説をオペラ化した。すでにマスネのヒット作があるので、周囲は反対した。だが、このプッチーニは変わったひとで、徹底した「初もの嫌い」なのである。すでに他人が手を付けた題材ばかりに、興味を示すのだ。「俺だったら、おなじ原作で、もっといいオペラにできる」と自信たっぷりだった。よって彼のオペラには、同一原作による先行作が多い。

(実はオペラだけでなく、女性の好みも同様で、彼は人妻にしか興味を示していない)

このプッチーニによるオペラ《マノン・レスコー》は、彼の第3作目。若書きとはいえ見事な出来で、出世作となった。

プッチーニ版のうまいところは、マスネ版でカットされた、ラストのアメリカ編を、原作どおりにきちんと描いたことだった。マスネ版は、マノンが流刑地アメリカで息絶えるラストを、フランスでの出来事に変更していた。そのために悲劇度が弱まっていることを、彼はズバリ見抜いていた。そこで台本作家に、ルイジアナとニューオリンズの荒野の場を書かせた。

このときの台本作家、イッリカとジャコーザともウマが合い、このトリオは、以後、《ラ・ボエーム》《トスカ》《蝶々夫人》などの名作を生み出すのである。

ただし、プッチーニ版は、マスネ版を駆逐するまでには至らなかった。美しく魅力的なマスネのオペラ《マノン》も消えることなく、いまでも上演されつづけている。

   *****

ケネス・マクミランが『マノン・レスコー』のバレエ化を考えたとき、最初に音楽の候補としてあがったのが、このプッチーニよるオペラ版だった。だが、既成曲をバレエに使用する場合、「編曲」が必要となる。特にオペラだと、かなり“いじる”ことになる。

だが、プッチーニは1924年没。よって1970年代には、まだ著作権が生きていた。

そこでプッチーニ版は断念し、マスネ版にあらためて注目したものの、こちらは、上述のように原作を改変している。マクミランも、プッチーニ同様、ラストの流刑地アメリカのシーンを重視していた。だがマスネ版は、ル・アーヴルの港から出港する前に、あっさり衰弱死する設定になっていた。しかもその音楽は、マクミランが考えていた劇的なラストには、合わない。

しかしマクミランは、マスネの音楽性がバレエに向いていることは理解していた。そこで彼は、マスネの全作品から、バレエ《マノン》向きの曲を新たに探し出し、編曲することにした。

この作業に、2人の人物が協力した。

1人は、ロイヤル・バレエ団のアコンパニスト(バレエ・ピアニスト)、ヒルダ・ゴーント。

もう1人が、作編曲家で指揮者のレイトン・ルーカス(1903~1982)。このひと、なんと、元バレエ・ダンサーである。

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レイトンルーカス
▲元バレエ・ダンサー、レイトン・ルーカス 【写真:Wikimedia Commons】

おそらく、バレエ・ダンサー出身で作編曲家・指揮者なんてひとは、そうはいないだろう。このレイトン・ルーカスは、最初はディアギレフのバレエ・リュスで踊っていたが、若くして指揮者に転向。マルコヴァ・ドーリン・バレエ団や、バレエ・ギルド団などでバレエ指揮者として活躍した。この時期、既成のクラシック名曲をもとにした新作バレエを多く生み出している。作編曲も、まったくの独学。現場叩き上げである。

ルーカスは、映画音楽家としても大活躍していた。代表作に、ヒッチコックの『舞台恐怖症』(1950)、『暁の出撃』(1955)、『揚子江死の脱走』(1957)などがある。

舞台恐怖症
▲レイトン・ルーカスが音楽を書いた、ヒッチコックの『舞台恐怖症』 【写真:Wikimedia Commons】

特に、マレーネ・ディートリヒの『舞台恐怖症』など、実に甘美なムード音楽で、のちに《イヴのラプソディ》と題した管弦楽曲になっている。バレエのパ・ド・ドゥにピッタリの曲だ(もう、やってるかも?)。

【注】『暁の出撃』の有名なメイン・テーマ《ダム・バスターズ行進曲》は、ルーカスではなく、エリック・コーツの作曲。

さらにいえば、ルーカスは、全英ブラスバンド選手権大会の課題曲や自由曲も書いている。イギリスでは、吹奏楽やブラスバンド関係者の間でも知られた存在である。

かように、このレイトン・ルーカスは、徹底した“音楽職人”だったのだ。

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彼らは、“新作バレエ”《マノン》のために、マスネの全作品から、40数曲を選び出した(もちろん、歌劇《マノン》からは1曲も選ばれていない)。

出典元は、オペラやオラトリオなど、多岐にわたっている。たとえば、〈マノンとデ・グリューの出会いのパ・ド・ドゥ〉ほかで何度も登場し、いちばん印象に残るメロディは、劇音楽《復讐の女神たち》~〈祈り〉である(俗に《エレジー》の題で知られる)。〈沼地のパ・ド・ドゥ〉は、オラトリオ《聖処女》~第4幕前奏曲〈聖処女の永眠〉。ほかに、管弦楽組曲第3番《劇的風景》などという、まるで最初からバレエのために書かれたかのような曲もあり、これも何度も登場する(あらためて、マスネは、実にドラマティックで美しい音楽を多く書いていたことがわかる。日本で、なぜあまり人気がないのか不思議だ)。

それら40数曲を台本に合わせて並べなおし、ルーカスが編曲したのが、バレエ《マノン》の音楽なのだ。これが既成曲だけでできていると、誰が信じるだろうか。どう聴いたって、マスネが「バレエ《マノン》のために書いた」オリジナル音楽としか思えない。マクミランの感覚は、正しかったのだ(なお、現在のスコアは、マーティン・イェーツがさらに改訂編曲したもの)。

442443回でも述べたように、たとえばミンクス作曲の《ドン・キホーテ》には、後年、ミンクス以外の複数の作曲家の音楽が、続々と追加された。だが《マノン》は、ひとりの作曲家の曲だけで構成された、新作バレエなのである。

実は、似た例は、ほかにないでもない。たとえば、シュトゥットガルト・バレエ団が1978年に初演した新作バレエ《椿姫》(ジョン・ノイマイヤー振付)は、全編がショパンの楽曲で構成されている。あくまで小デュマの小説のバレエ化であり、ヴェルディのオペラとは無関係なのだ。

だがこの《マノン》は、マスネのオペラがあるのに、それを使わず、マスネのほかの楽曲で、おなじ原作小説をバレエ化したところらが、ユニークだ。いわば、ボーマルシェの戯曲『フィガロの結婚』を、モーツァルトの有名なオペラは使わず、彼のピアノ協奏曲や交響曲などだけで、新作バレエ《フィガロの結婚》にしたようなものなのである。

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だが(ここから先は憶測だが)、おそらく、マクミランには、「マスネ作曲」と銘打つことで、マスネ版オペラのファンをも引き込みたいとの、よい意味での“商売っ気”もあったのではないか。

現に、1990年、このバレエ《マノン》が、パリ・オペラ座で上演される際、マスネの子孫から訴訟を起こされている。「従来のオペラ・ファンが誤解するではないか」と。そこで、フランスで上演される際は、タイトルを《Manon》から《L'Histoire de Manon》(マノンの物語)と改題することになっている。

今回の映像は、2月7日上演の収録。マノン役は、ボリショイなどのロシア・バレエ界から移籍したナターリヤ・オシポワ。デ・グリュー役はリース・クラーク。2人が最果てのアメリカの荒野で行き詰まり、マノンが野垂れ死にするラストは、万人の涙をさそう(ちなみに、この2人は、昨夏のロイヤル・バレエ来日公演《ロミオとジュリエット》でも共演していた。そのときの指揮が、今回の映像でも的確なタクトを振っている、クーン・ケッセルズである)。

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▲主役2名は、ナターリヤ・オシポワとリース・クラーク ©2024 ROH 2 Photographed by Andrej Uspenski

せっかく名作オペラがあるのに、それをまったく使わず、別の既成曲だけで原作精神をバレエで見事に表現する——ケネス・マクミランとは、やはり、たいへんな振付家、かつ“選曲家”だったと思う。今回の映像《マノン》は、そのことが十二分にわかる、いわば“マクミラン入門”編ともいえる名作バレエである。

◆「英国ロイヤル・オペラ・ハウス シネマシーズン 2023/24」〜バレエ《マノン》は、4月5日(金)~11日(木)の1週間限定で公開されます。上映時間は3時間11分(休憩2回あり)。上映劇場などは、公式HPでご確認ください。

20:02  |  映画  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2024.02.14 (Wed)

第447回 【映画/バレエ 先取り紹介】 ROHシネマ~《くるみ割り人形》は、なぜせつないのか。

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▲ROHシネマより~ドラジェ菓子(金平糖)の精(アナ・ローズ・オサリヴァン)と、
お菓子の国の王子(マルセリーノ・サンベ) © 2023 ROH. Photographed by Andrej Uspenski.


しばしば本ブログで紹介している「英国ロイヤル・オペラ・ハウス シネマシーズン2023/24」で、16日より、おなじみの人気舞台《くるみ割り人形》が公開される(日時、劇場などは文末リンク参照)。

振付け・演出家によってちがいがあるが、このロイヤル・バレエのピーター・ライト版は、かなり広く親しまれているヴァージョンのひとつだと思う。

本作は、たいへん不思議なバレエである。チャイコフスキー3大バレエのほか2作《白鳥の湖》《眠りの森の美女》のような、激情ドラマではない。ストーリーも、あるようなないような、半分がガラ・コンサートのようなバレエである。そもそも全2幕しかない(最初からミニ・オペラとの2本立て興行用に作曲されたので)。しかも主役が前半と後半で入れ替わる。肝心のプリマドンナは第2幕にならないと出てこないうえ、出番も多くない。

なのに、このバレエを観るたびに、誰もが、不思議な郷愁をおぼえ、どこか懐かしい気持ちになる。

大きく分けて2種類の演出がある。少女クララが、第2幕でお菓子の国に行き、ドラジェ菓子の精(日本では「金平糖の精」とされる)に出会い、大人の世界へ誘われる(ような雰囲気の)ヴァージョン。もうひとつは、クララが第2幕でドラジェ菓子の精に変身する(大人に成長する)ヴァージョン。どちらにしても、クララが少女時代に別れを告げ、大人への第一歩を踏み出す設定だ(ROHのピーター・ライト版は前者だが、さらにそこに「初恋」や「青年の成長」もからむので、さらにロマンチックになっている)。

その姿を、クララと同年世代が観れば自分のことのように感じ、大人が観れば「自分にもあんな頃があった」と懐かしく感じる。そこが、このバレエが長く愛される理由のひとつだと思う。

しかし、なぜ《くるみ割り人形》には、そんなテイストがあるのだろうか。実はこの音楽は、チャイコフスキーが大好きだった、亡き妹への「追悼曲」だったのである。

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ホフマンの童話を、デュマ父子がフランス語で翻案改訂した『はしばみ(ヘーゼルナッツ)割り物語』をバレエにしようと考えたのは、マリインスキー劇場だった。スタッフは、大ヒット舞台《眠りの森の美女》とおなじ、プティパ台本・振付、チャイコフスキー作曲という座組みとなった。

ところが、出来上ったプティパの台本は、フランス革命を象徴的に盛り込んだ、壮大な革命物語となっていた。劇場側はすぐに却下。本来の童話調に改訂された(ただし、行進曲やギャロップ、タランテラ、ネズミ軍との戦いの音楽などに原案のニュアンスが残っている)。

プティパの作曲指定は、いつも、微に入り細を穿っている。楽曲の調性、小節数、転調の位置、テンポ、リズムなど、すべてが指定されている。チャイコフスキーは、ちょうどカーネギー・ホール開場記念でアメリカへ行くところだった。指定と台本を受け取り、うんざりしながら、1891年3月に出発。旅の合間に、しぶしぶ筆を進めていた。

ところが4月、妹アレクサンドラの訃報がとどく。チャイコフスキーは、この2歳下の妹を愛し、慕ってきた。幼いころに母を亡くしたチャイコフスキーにとって、この妹は母親がわりでもあった。彼女が嫁いだあとも頻繁に会いに行き、甥や姪たちを可愛がった。そもそも、《白鳥の湖》や《眠りの森の美女》も、原型は、この妹一家の家庭内音楽として構想されていたのである。作曲中の《くるみ割り人形》にも、当然ながら、彼女の面影が刻まれた。

ここまで書けば、おわかりだろう。少女クララは、チャイコフスキーの妹アレクサンドラなのである。ネズミ軍との戦いでクララが窮地を救う、くるみ割り人形は、兄チャイコフスキーである。人間に変身したくるみ割り人形は、お礼にクララをお菓子の国へ案内する。つまり、チャイコフスキー自ら、妹を天国へ導いてあげるのだ。劇中、しばしば聴かれる、あまりに美しい旋律やオーケストレーションは、アレクサンドラの追悼であり、鎮魂曲だ。チャイコフスキーは、妹への感謝とお別れを、ことばではなく、音楽で表現した。だから、誰が観ても(聴いても)せつなくなるのである。

バレエ・ファンなら、モーリス・ベジャール演出の《くるみ割り人形》をご存じだろう。幼いころに母親を亡くした少年が体験する、幻想物語の設定になっていた。ベジャール自身がモデルといわれているが、本作の本来のニュアンスを生かした演出でもあった。
 
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日本を代表するバレエ指揮者・研究家の福田一雄さん(1931~)によると、《眠りの森の美女》と《くるみ割り人形》には、打楽器に「ドラ」が指定されているという(『バレエの情景』音楽之友社、1984年)。ところが、どちらも、全曲中、「2回」しか使用され(鳴らされ)ないのだとか。あんな大きな打楽器を用意させて、2回しか鳴らさないのだから、コスパが低いこと、このうえない(もっとも、ドヴォルザーク《新世界より》のように、かすかに1回鳴らすだけのためにシンバルが指定された例もあるが)。

《美女》では、リラの精がオーロラ姫たちを眠りにつかせるところと、目覚めさせるところで鳴る。どちらも重要な場面である。

《くるみ割り》では、ネズミ軍と人形軍との戦いのシーンで鳴る。ここでは、大きな戦闘が2回、ある。それぞれの戦闘開始の合図で、ドラが鳴る。スコアを見ると、たしかに「La bataille」(戦闘)、「La seconde bataille」(第2戦闘)と書いてある。ところが、ここのドラの強弱指定は「mf」(メゾフォルテ)なのだ。それほど大きな音で鳴らすわけではない。バックで太鼓が「ff」(フォルティッシモ)で鳴っているので、そちらのほうが大きく響いて、あまり聴こえない。

福田さんは、『バレエの情景』のなかで、こう書いている。

〈現在、「くるみ割り人形」で、このドラが強くなるアクセントを、ほとんどの振付師が、無視しているように思われるのは残念である。〉

あたしは《くるみ割り人形》を観る(聴く)たびに、このドラの箇所が気になる。たしかに福田さんがいうように、あまり強調されていたことはない。今回のROHシネマでも、よほど耳を澄ましても、わからないだろう。だが、このドラが、クリスマスの晩、チャイコフスキーが、最愛の妹アレクサンドラを天上へ連れていく、ささやかな合図なのだと思うと、「mf」なのも理解できて、またもやせつない気分になるのである。

くるみサブ
▲ROHシネマより~クララ(ソフィー・アルナット)と、くるみ割り人形(レオ・ディクソン) © 2023 ROH. Photographed by Andrej Uspenski.


◆英国ロイヤル・オペラ・ハウス シネマシーズン2023/24~《くるみ割り人形》は、2月16日~22日の限定上映です。2時間36分(途中休憩1回あり)。劇場や上映時間、出演者詳細などは、公式HPを参照してください。




19:11  |  映画  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2024.01.16 (Tue)

第443回 【映画/バレエ 先取り紹介】 ROHシネマ~《ドン・キホーテ》の作曲者は誰?(後編)

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▲ROHシネマ第2弾《ドン・キホーテ》~キトリを踊るマヤラ・マグリ ©2019 ROH. Photographed by Andrej Uspenski

◆前回(第442回)よりのつづき
20世紀に入った1900年12月、プティパの弟子でボリショイ劇場のバレエ・マスター、アレクサンドル・ゴルスキー(1871~1924)が、《ドン・キホーテ》をさらに大改訂して〈全3幕〉に再構成し、三演版を上演した。これがまたも大好評で、以後、現代にいたるまで、本作は、この「原振付け:プティパ+改訂振付け:ゴルスキー〈全3幕〉版」がもとになっているのである。

では、ゴルスキーは、どこを“大改訂”したのか。彼は、ロシアの演出家スタニスラフスキーを信奉していた。そのため、舞台上で立っているだけだったコール・ド・バレエ(群舞ダンサー)にも、各人に細かい演技を要求した。また、それまで若い2人の結婚に反対するのは、キトリの母親だったが、この版から「父親」になった。いわば、リアルな演劇に近い舞台になったのである。

だが、ゴルスキーは、それ以上の“大改訂”もおこなっていた。なんとミンクス以外の作曲家の楽曲を多く挿入し、入れ替えたのである。

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いったい、誰の曲をどこへ挿入したのか。いまそれを個々に挙げていては紙幅がいくらあっても足りないので省略するが(そもそも、いまではあまり知られていない作曲家が大半)、全部で8〜9人の別人曲が加えられたようだ。なかにはミンクスの旧作バレエ曲や、前述プーニの曲もある。特に「ジプシーの野営地」「夢の森」の場の音楽は、多くが他人の曲になっている。

このゴルスキー三演版は、さらに改訂を重ね、1906年に確定したらしいのだが、1940年になって、またも“大改訂”が加えられた。今度は、ゴルスキーの影響を受けた振付家、カシヤン・ゴレイゾフスキー(1892~1970)ほかによって、さらに別人の曲が加わったのだ。たとえば、〈闘牛士の踊り〉はレインゴリト・グリエールの作曲である(日本では吹奏楽コンクールの人気曲《赤いけしの花》《青銅の騎士》で有名)。さらに、ガラ公演でもしばしば単独で上演される〈ジプシーの踊り〉は、ヴァレリー・ジェロビンスキーの作曲である。

これでは、いったい、現在、我々が観る(聴く)《ドン・キホーテ》は、どこまでがミンクス作曲なのか、わからなくなってくる。しかも、劇場やバレエ団、振付け・演出家によって、さらに改訂したり削除したり、はたまたプティパの原版にもどしたりしている部分もあったりするらしいので、世にひとつとして、おなじ《ドン・キホーテ》はないといっても過言ではないのである。

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カプリッチョ
▲「全曲版世界初録音」のCapriccio盤(これは新装盤ジャケット)

これによって、“混乱”も生じている。たとえば、《ドン・キホーテ》の音楽を全曲収録したCDはあまり多くないのだが、そのひとつ、Capriccio盤の、ボリス・スパソフ指揮/ソフィア国立歌劇場管弦楽団によるCD(1994年録音)は、「Complete Recording/World Premiere Recording」(全曲版世界初録音)と銘打たれている。トラックを見ると、「序曲+プロローグ+全4幕」構成である。「全4幕」ということは、1896年プティパ初演版のはずだ。なのに、トラック表を見ると、曲によって別人の作曲者名が入っている。ならばゴルスキーによる三演版以降のヴァージョンだと思うのだが、なぜかジェロビンスキー作曲のはずの〈ジプシーの踊り〉には、誰の名前も入っていない(ゆえに、ミンクス作曲と勘ちがいしてしまう)。

以前、このCDを聴いた、あるバレエ・ファンの女性から「いままで知っていた《ドン・キホーテ》とかなりちがうのですが、これは何でしょうか?」と聞かれたことがある。

要するに《ドン・キホーテ》の音楽には「完全版」とか「全曲録音」とかは、ないのである。振付け・演出家によって、まったくちがうのだから。

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▲「1869年3幕版」?のNaxos盤

余談だが、もうひとつ、Naxos盤にも「全曲版」がある。ナイデン・トドロフ指揮/ソフィア国立歌劇場管弦楽団で2002年録音だ。こちらは「Ballet in Three Acts, 1869 original version」(1869年オリジナル版、3幕のバレエ)とバック・インレイでうたっている。これは妙な話で、1869年ならプティパ/ミンクスの初演版のはずだが、このときは〈全4幕〉だったのだから、これは誤記ではないだろうか。しかも、1940年に追加されたはずのジェロビンスキーの〈ジプシーの踊り〉が入っている。よってこのNaxos盤もゴルスキー三演版以降のヴァージョンのような気がするのだ。

こうやって書いていると、筆者自身、なにか大きな勘ちがいをおかしているような不安に襲われてくる。CDでさえこの混乱ぶりなのだから、上演のたびに、どの曲を使うか削除するかの「編纂」(Arranged)が必要となるのは無理もない。さらに振付けが変わるたびに、リピートを追加・削除したり、長さや響き、旋律楽器を変えたりする「管弦楽編曲」(Orchestrated)も必要となる。冒頭で述べたマーティン・イェーツは、これらを担当しているのである。

ヌレエフ
▲かつての定番、ブレエフによる映画版(DVD)

《ドン・キホーテ》の映像といえば、かつてはルドルフ・ヌレエフ(1938~1993)振付けのオーストラリア・バレエ団の映画(1972年)が有名だった。この音楽は、イギリスのバレエ指揮者、ジョン・ランチベリー(1923~2003)が編曲・指揮をしているのだが、まるで一大交響詩のような壮大な響きに変貌している(映画なので、全編を100分程度に短縮したせいもある)。〈ジプシーの踊り〉など、よくぞここまで面白く編曲するものだと感心させられる。音楽だけを聴く分には、これ以上に楽しい《ドン・キホーテ》は、ない。

しかし、この行為は、純音楽の立場からすると、乱暴に感じる方もいるだろう。モーツァルトの交響曲の一楽章をハイドンに入れ替えるとか、シューベルト《未完成》冒頭のオーボエ+クラリネットの旋律をフルートに替えるとか、そんなことを平然とやったら、失笑どころか大問題になるだろう。だがバレエでは、《ドン・キホーテ》にかぎらず、そういうことが当たり前のようにおこなわれているのである。

これはいうまでもなく、バレエが、音楽よりも踊りを優先するからである。特にプティパが、さまざまな舞踏形式を確立完成させたため、音楽をそれに合わせる必要が生じ、慣習化した。あの《白鳥の湖》にしてからが、初演時にはすでにプーニほかの別曲が加えられていたとの説もある(そのせいか初演が失敗だったのは有名な話だ。後年、プティパたちが改訂して評価が改まる)。

   *****

よって、今回の「ROHシネマ」の《ドン・キホーテ》も、それなりに“大改訂”されている。だが、そこが面白い。振付け・演出はキューバ出身のカルロス・アコスタ。2015/16シーズンで上映されたバレエ版《カルメン》のドン・ホセが、クラシック・バレエの現役最後の舞台だった。演出にまわってからの《ドン・キホーテ》も以前に「ROHシネマ」で上映されている(2018/19シーズンで、高田茜がキトリだった)。

後編2
▲ROHシネマ第2弾《ドン・キホーテ》~バジルを踊るマシュー・ボール ©2019 ROH. Photographed by Andrej Uspenski

今回はキトリがマヤラ・マグリ、バジルがマシュー・ボール。すでにおなじみの顔ぶれである。2人とも軽々と、それでいて力強い踊りを見せてくれる。マグリの32回転フェッテ・アン・トゥールナンには、思わず歓声をおくりたくなる。ボールの“狂言自殺”のシーンなども、なかなかの芸達者ぶりである。

ドン・キホーテを演じたのはイギリスの国民的ダンサーだった、ギャリー・エイヴィス。かつてKバレエでも活躍していた親日派だ。2012年ロンドン五輪閉会式で、火の鳥とともに踊っていた4人の男性ダンサーがいたが、あのなかの一人が、このひとである。昨シーズンのROHシネマ《シンデレラ》では、シンデレラのイジワルな義姉を見事に演じて、捧腹絶倒の名演技を見せてくれた。

アコスタの振付け・演出は、まさに自由奔放で、口頭で合いの手を叫ばせたり、それこそゴルスキーばりに、隅々のコール・ド・バレエ全員に、細かい演技をさせている。幕開け、ドン・キホーテが旅立つ決心をする場面に、早くもドゥルシネア姫が登場する。金持ち貴族ガマーシュにも、きちんと“幸せ”が訪れるのでご安心を。

音楽は先述のように、マーティン・イェーツがかなり手を入れている。ひと昔前の《ドン・キホーテ》の音楽に慣れている方には、驚くような部分があるかもしれないが、アコスタの演出には、これくらいやらないと釣り合わないかもしれない。しかしとにかく、舞台を美しく楽しく見せるために、あらゆるひとたちが結集している様子が如実に伝わってくる(幕間のインタビューや特別映像で、特にそのことがわかる)。

また、今回の映像は、昨年11月7日収録のものだが、この日は、国王チャールズ三世とカミラ王妃が臨席した。戴冠式以来、初めてのROH来場だそうである。到着から着席までを、ちゃんとカメラが追ってくれるが、こういう光景をじっくり見る機会は、そうはない。着席の際は国歌《ゴッド・セイヴ・ザ・キング》が演奏され、客席はスマホ撮影大会になる。

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▲年末~年始に来日した、ウクライナ国立バレエ(旧キエフ・バレエ)

昨年暮れから年明けにかけて、恒例のウクライナ国立バレエ団(旧キエフ・バレエ)が来日し、東京を中心に全国で17公演をこなした(《第九》などを除く)。そのうちの8公演が《ドン・キホーテ》であった。筆者も東京公演に行って、偶然、ペトロ・チュプリーナ総裁や、寺田宜弘芸術監督(大晦日、紅白歌合戦の審査員だった)のすぐ後ろで鑑賞したが、とても楽しい舞台だった。あの舞台をご覧になった方であれば、もう一度、ROHシネマで観て、いろいろ比較するのも楽しいと思う。

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さて——1900~06年にかけて、ゴルスキーが大改訂した《ドン・キホーテ》を観た師匠プティパは、こう叫んだという——「誰か、この俺がまだ生きていることを、あの若造に教えてやってくれ!」。

だが、そのころ、プティパはすでに“失脚”していた。1903年初演、『白雪姫』の翻案バレエ《魔法の鏡》(アルセニー・コレシチェンコ作曲)が大失敗し、引責辞任のような形でマリインスキー劇場のバレエ・マスターを辞任する。その後、リッカルド・ドリゴ作曲で新作《バラと蝶のロマンス》を準備していたが中止となる。理由は日露戦争で、バレエどころではなかったようである。プティパはこのころ、すでに85歳前後である。さすがにこれを機にバレエ界から完全引退を決意する。十分な年金を得て気候の穏やかなクリミアに隠棲し、1910年、92歳の長寿をまっとうして没した。

一方、作曲家のミンクスは、はやくも1886年には、マリインスキー劇場を解雇されていた。劇場が「座付き」制度を廃止したのである。このころ60歳。しばらくはフリーの立場で作曲していたが、結局、1891年にロシアを去り、故郷ウィーンにもどった。だがロシア皇帝からの年金は少額で生活は苦しく、ミンクス夫妻は賃貸アパートの3階に住んだ。伝手をたよって、ウィーン宮廷歌劇場のために新作バレエを書いたが、当時の音楽監督、グスタフ・マーラーによって「こんな古臭い音楽はダメだ」とボツにされた。やがて妻に先立たれ、ロシアからの年金も打ち切られた。そのころ、ロシアでは、ゴルスキー改訂の《ドン・キホーテ》が大人気だったが、いまのような著作権制度のある時代ではない。ミンクスは、極貧生活のなか、1917年に肺炎で亡くなった。享年91。子供もいなかった。

華やかな《ドン・キホーテ》の舞台だが、彼らの長い人生を、ほんの少し思い浮かべながら観ると、また新たな感慨もわくのではないだろうか。

◆英国ロイヤル・オペラ・ハウス シネマシーズン 2023/24
《ドン・キホーテ》は、1月26日(金)~2月1日(木)の限定上映。上映時間は約3時間20分(休憩2回あり)。上映館等については、公式HPでご確認ください。


【主な参考資料】
『バレエ音楽百科』(小倉重夫、音楽之友社、1998)、『バレエの情景』(福田一雄、音楽之友社、1984)、『マリウス・プティパ自伝』(石井洋二郎訳、新書館、1993)、『バレエの見方』(長野由紀、2012、新書館)、『ダンス・ハンドブック』(ダンスマガジン編、1999、新書館)、「ダンスマガジン」2020年7月号(新書館)、THE MARIUS PETIPA SOCIETY(ウェブサイト)

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2024.01.15 (Mon)

第442回 【映画/バレエ 先取り紹介】 ROHシネマ~《ドン・キホーテ》の作曲者は誰?(前編)

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▲ROHシネマ第2弾《ドン・キホーテ》~キトリを踊るマヤラ・マグリ ©2019 ROH. Photographed by Andrej Uspenski

第434回で、「英国ロイヤル・オペラ・ハウス シネマシーズン 2023/24」(以下「ROHシネマ」)の第1弾《ラインの黄金》を紹介した。すると、知己のオペラ・ファンからメールをもらった。

「いままで『METライブビューイング』専門だったので、こういう情報はうれしいです。オペラは長時間なので、前後の交通も合わせると、半日がかりになります。上映期間も短いので、スケジュールのやりくりにも決心がいります。見どころを解説してくれると、後押しになって助かります」

との主旨だった(ありがとうございます)。

たしかに、通常の映画以上の金額を払い、4時間前後を拘束され、期待外れだったら残念だ。特に《ラインの黄金》のような凝った新演出だと、気軽に行きにくいかもしれない。

今期「ROHシネマ」第2弾(1月26日~)は、おなじみ、バレエ《ドン・キホーテ》である(ROHは名門ロイヤル・バレエを擁しているだけあり、「ROHシネマ」は毎年、半分ほどがバレエ作品なのだ)。ROH自家薬籠中の出し物なので、何の心配もない。

今回も事前に試写で観せていただく機会があった。とても楽しい映像である。あたしは、バレエはあまり詳しくないので、主に音楽面で楽しむための話題を2回にわたって解説しておこう(といっても、バレエ・ファンの方には、釈迦に説法のはずなので、その点はご容赦を)。

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今回の映像のラスト、スタッフ・クレジットに、こう出る。

Music:Ludwig Minkus  
Arranged and Orchestrated by:Martin Yates

音楽:ルートヴィヒ・ミンクス  
アレンジ&オーケストレーション:マーティン・イェーツ

これは、どういうことだろうか。バレエ《ドン・キホーテ》が、ルートヴィヒ・ミンクス(別名:レオン・ミンクス)作曲というのは、これは誰でも知っている。だが、「アレンジ&オーケストレーション」として、もう一人、名前が出る。バレエ音楽になじみのない方は、不思議に感じるのではないだろうか。

このマーティン・イェーツとは、舞台音楽を得意とする、イギリスの指揮者である。ROHではおなじみの名前だ。新国立劇場バレエで《マノン》や《シンデレラ》なども指揮している(今回の指揮は、マリインスキーなどでも活躍しているヴァレリー・オヴシャニコフ)。

そのイェーツが、「アレンジ」のみならず「オーケストレーション」も担当している。なぜ《ドン・キホーテ》に「アレンジ」が必要なのだろうか。そもそも「アレンジ」(編纂)と「オーケストレーション」(管弦楽編曲)は、どこがちがうのだろうか。

実は、バレエ《ドン・キホーテ》は、正確には「ミンクス作曲」では、ないのである。強いていうと、「ミンクスほか作曲」で、ミンクス以外に、多くの別人の曲が入り混じっているのだ(通常は8~9人前後。過去の他劇場の版も含めると、のべ人数は20人ほどになるという)。

   *****

プティパ
▲「近代クラシック・バレエの父」マリウス・プティパ 【写真:Wikimedia Commons】

セルバンテスの小説『ドン・キホーテ』をバレエ化しようと考えたのは、チャイコフスキーの3大バレエなどに携わったモスクワ帝室劇場(現ボリショイ劇場)のバレエ・マスター、マリウス・プティパ(1818~1910)だった。「近代クラシック・バレエの父」である。

そして音楽は、ルートヴィヒ(別名レオン)・ミンクス(1826~1917)に託された。

ミンクス
▲《ドン・キホーテ》の「作曲者」ルートヴィヒ(レオン)・ミンクス 【写真:Wikimedia Commons】

ミンクスは、もともとウィーンで活躍するヴァイオリン奏者だったが、ある時期からロシアに招かれ、コンマスや指揮をこなしながら、合間にバレエ曲を作曲していた。

(《アンダンテ・カンタービレ》で知られる、チャイコフスキーの弦楽四重奏曲第1番を初演した〈ロシア音楽協会弦楽四重奏団〉の第2ヴァイオリン奏者が、このミンクスである)

プーニ
▲本来、《ドン・キホーテ》を作曲するはずだった、チェーザレ・プーニ 【写真:Wikimedia Commons】

そのミンクスに《ドン・キホーテ》を書かせたのがプティパだったわけだが、実はこれは偶然だった。当初は、サンクトペテルブルク帝室劇場(現マリインスキー劇場)の座付きで、生涯に300曲以上のバレエ曲を書いたといわれるイタリア人作曲家、チェーザレ・プーニ(1802~1870)に委嘱する予定だった。だが、当時のプーニはアルコール依存症でまともな仕事はもう無理だった(現に、その後すぐに死去してしまう)。そこで、ミンクスに声がかかったのである。プティパ&ミンクスの黄金コンビの誕生だ。

プティパは、長大な原作小説のなかから、バルセロナの宿屋の娘キトリと、床屋の青年バジル(バジリオ)との駆け落ち騒動の章を採用した(ドン・キホーテは、バレエでは脇役の狂言回しで、踊らない)。というのもプティパは、若いころ、スペイン・マドリッドの劇場で踊っていた時期がある。スペイン舞踊のオリジナル作品も多く振り付けていた。だからスペイン噺は、お手のものだった。

だが、彼が《ドン・キホーテ》に興味を持った理由は、それだけではなかったはずだ。スペイン時代、プティパは原作小説そっくりの駆け落ち騒動を起こしていたのである。

   *****

マドリッドでプティパは、バレエの弟子、23歳の娘カルメン・メンドーサ・イ・カストロと恋に落ちる。だが彼女は貴族の娘であり、母親はダンサーとの結婚を許さなかった。そこで、母親の愛人で、フランス大使館に勤務するある伯爵が登場し、金を積んでスペインから出ていくように説得する(自分の愛人を寝取られたと勘ちがいした?)。もちろんプティパは応じない。伯爵はプティパに暴行脅迫をくわえ、怒ったプティパは伯爵に決闘を申し込む。だが銃の誤射によって決着がつかず、伯爵は大けがを負った。当時のスペインでは決闘は法律で禁止されていた。プティパは指名手配となり、カルメンと手を取り合ってスペインを出国。フランスやイギリスを逃げ回った。だがやがて警察に見つかり、プティパは母国フランスへ追放となる。

(……上記はマリウス・プティパ協会HPほかからの記述。自伝によると少々事情がちがうのだが、彼の自伝は自己礼賛や誤認が多いので、おそらく上記が正確と思われる)

この経験が、バレエ《ドン・キホーテ》を生んだ……かどうかは、なんともいえないが、少なくとも、脳裏のどこかにはあっただろう。ミンクス作曲、プティパ振付・演出によるバレエ《ドン・キホーテ》は、1869年12月、ボリショイ劇場で初演された。構成は〈全4幕〉。公演は大成功だった。

気を良くしたプティパは、2年後の1871年11月、大改訂して、マリインスキー劇場で再演する。今度は〈全5幕〉に拡大し、初演版以上に、ダンスそのものを見せる作品となった。いくつかの場面も新たにつくられ、ストーリーとは無関係な踊りが多く加えられた。キトリとドゥルシネア姫が1人2役になったのも、この再演版からである。そして、ラストに有名な、キトリとバジルの〈グラン・パ・ド・ドゥ〉が置かれた(ただし、現行の構成とは少々ちがっていたようである)。

プティパはクラシック・バレエ界の超大物だが、その功績のひとつに、〈グラン・パ・ド・ドゥ〉形式を完成させた点があった。これは、主役の男女2人が、原則として、①アントレ(入場)~②アダジオ(男女2人)~③第1ヴァリアシオン(男)~④第2ヴァリアシオン(女)~⑤コーダ(男女)を展開する5部形式の踊りである。音楽のソナタ形式に匹敵する、もっとも美しい見せ場のスタイルといわれている。

現在、コーダでは、キトリが32回転のフェッテ・アン・トゥールナンを披露する。客席から拍手と歓声が飛び交う最大の見せ場である。こういった、いまに見る“定番”演出の基本が、この再演版で確定した。

ここまでは、音楽は、すべてミンクス作曲である。ところが、バレエ《ドン・キホーテ》は、これで完成ではなかった。このあと、驚くべき大変貌をとげるのである。
【後編へつづく】

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▲ROHシネマ第2弾《ドン・キホーテ》~バジルを踊るマシュー・ボール ©2019 ROH. Photographed by Andrej Uspenski

◆英国ロイヤル・オペラ・ハウス シネマシーズン 2023/24
《ドン・キホーテ》は、1月26日(金)~2月1日(木)の限定上映。上映時間は約3時間20分(休憩2回あり)。上映館等については、公式HPでご確認ください。



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