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2023.03.09 (Thu)

第387回 究極のシネマ・コンサートだった『ブレードランナーLIVE』

ブレードランナーLIVE合体
▲『ブレードランナーLIVE』(3月5日、Bunkamuraオーチャードホールにて)

しばしば書いているのだが、シネマ・コンサート(オーケストラによるナマ演奏)であまり満足できた経験がない。

理由は2点で、
いくらオーケストラがナマ演奏しても、映画館特有の地響きのような大音響にはかなうべくもなく、かえってショボい印象になってしまう(『2001年宇宙の旅』など、前半で帰ってしまった)。
会場が映画館でなく、(東京国際フォーラムのような)巨大多目的ホールが多い。すると、小さなスクリーンがステージ奥にかかっており、よほど前方席でないと「遠くに何か映っているな……」と、これまたショボいことになってしまう。

というわけで、どうもシネマ・コンサートには、いい印象がなかった。
(ただ一回だけ、佐渡裕指揮の『ウエスト・サイド物語』は、サントラの「声」が主役なので、当然ながらスピーカー越しにガンガン響いてきて、これは感動的だった)

しかしシンセサイザーなどの「電子音」中心の映画音楽だったら、PAでパワーアップされた音響のはずだから、きっと見ごたえ(聴きごたえ)があるのでは……と前から思っていた。それに、ついにめぐり会えた。しかも、素晴らしい内容だった!
『ブレードランナーLIVE』である(3月5日、Bunkamuraオーチャードホールにて)。

これは、映画『ブレードランナー』ファイナルカット版(1982/2007年)の上映にあわせて、ステージ上のアンサンブルが、ヴァンゲリス(1943~2022)のサントラ音楽をナマ演奏するものである。
それがいかにスゴイことか。この音楽の大半は、ヴァンゲリス自身が映像を観ながら、その場でシンセサイザーを即興演奏して収録されたといわれている。だから、スコアもないし、即興だから、いい意味でフワフワした、“その場かぎり”のようなイメージの音楽が多いのである(それが、この映画全体に不思議な魅力を与えているわけだが)。

パンフ解説や事前プロモによると、この公演はイギリスで制作されたプロジェクトのようだが、スタッフは、映画サントラの音を1年がかりで聴きとってスコアに再現したという。
しかし、いくらスコアに書きとることができたとしても、“フワフワ音楽”を、映画本編通り、映像にあわせてナマ演奏することは、容易ではない。それこそ0.5秒ずれただけで、映像と音楽のシンクロは失敗してしまう。
以前、上記、『ウエスト・サイド物語』を指揮した佐渡裕さんにインタビューしたら、「まさに職人仕事です。イヤフォンのカウントや指揮台横のモニターを確認しながら、オケに的確に指示を出す。一瞬のズレも許されません」とのことだった。

今回の場合、それが、即興の“フワフワ音楽”なのだから、再現演奏もたいへんなことだったと察する。アンサンブルは、シンセサイザー3台を含む11人編成で、《愛のテーマ》などは、原曲通りサクソフォンが、ほかに中東風の不思議なヴォーカルも、ちゃんと「女声」で再現されていた。

1993年に、映画音楽作曲家の佐藤勝さん(1928~1999)のオーケストラ・コンサートがあった。そのとき佐藤さんにうかがったのだが「映画音楽は、最終的に映画館のスピーカーから流れたときにガーン!と聴こえるよう、特定の楽器だけを増幅したり、いろいろいじるんですよ。だけど、ナマの演奏会では、そういうわけにいかないから、最初からサントラっぽく聴こえるよう、スコアを作り直さなくちゃならない。これが大変なんだ」とおっしゃっていた。
『ブレードランナー』サントラの使用楽器や機材は、ヴァンゲリスの「ネモ・スタジオ」による解説サイトに詳細が載っているが、これによれば、大量の電子機器類に加えて、ティンパニやグロッケンシュピール、琴など、多くのアナログ楽器もあとからミックスされているようだ。それを「11人」がナマ演奏で再現するのだから、”作り直し”も大作業だったのではないだろうか。

Bladerunnner CD合体
▲(左)1994年の正式サントラCD、(右)Edgar Rothermichによる完全コピー再現CD

『ブレードランナー』のサントラ音盤は、不思議な経過をたどってきた。
これに関しては、あたしなどよりも、ずっと詳しい先達がおられるので、詳細はそちらに譲るが、要するに、完全版サントラは、いまだに商品化されていないようなのである。
あたしも、この映画を1982年に最初に観たとき、(前年の『炎のランナー』とともに)その音楽の素晴らしさに衝撃を受けて、すぐにサントラ音盤を探したのだが、なぜかリリースされなかった。

その後、オーケストラが再現演奏した音盤が出たり、明らかな海賊盤が出たりと、しばらく混乱がつづいたが、ようやく1994年になって正式なサントラ音盤がリリースされた。ただ、これはセリフなども入った、一種の“再編集”盤で、収録曲は12曲だった(今回の『LIVE』では33曲がクレジットされている)。
やがて、2007年になると、25周年記念とかで、「3枚組」が出たのだが、これも1994年盤プラスアルファといった内容で、やはり完全版ではなかった(しかも3枚目は『ブレードランナー』とは無関係)。

ところが、2012年に、驚くべき音盤が出た。ドイツの電子音楽ミュージシャン、Edgar Rothermichなるひとが、15曲を(おそらく耳コピーで)再現したアルバムである。あたしは不勉強なのだが、このひとは、公式HPによれば、ドイツの電子音楽グループ「タンジェリン・ドリーム」の元メンバーと組んでいたアーティストだという。
このアルバムで驚いたのは、映画冒頭、製作会社「Ladd Company」のロゴ音楽(ジョン・ウィリアムズ作曲)から、キチンと再現されていることだった(今回の『LIVE』でも演奏された)。
歌唱曲にかんしては、さすがにオリジナルどおりは無理だったようだが、全体的によくぞここまで再現できたといいたくなる出来で、あたしなど、こればかり聴いていた時期がある。

このようなマニアックな音盤が出るほど、『ブレードランナー』の音楽は多くのひとたちの心をとらえてきたのだが、今回の『LIVE』で、音楽のヴァージョンがさらに増えたような気がした。できればこの『LIVE』のスコア演奏を音盤化していただけませんか。プロローグの強烈なティンパニ、エンドタイトルの疾走感など、明らかにサントラを上回っている。
先日も、映画ラスト、レイチェルを連れたデッカードがドアを閉める瞬間、次に流れる《エンドタイトル》のためにオーチャードホールの聴衆全員が身構えている空気が伝わってきた。これなども「ライヴ」ならではの体験だった(あたしは、ここは1982年オリジナル公開版が好きなんですが)。
すべての音はレベルアップされ、スピーカーからガンガン響いてくる。これなら、ナマ演奏で映画を鑑賞する意義も十二分にある。スクリーンの小ささはもう仕方ないとして(だからあたしは、ほぼ最前列の席にした)、これは「究極のシネマ・コンサート」だった。

ただひとつの心配は、オーチャードホールのような通常のコンサート会場で、1回かぎりの公演だったことだ。これで果たして、主催者側はペイできているのだろうか。これに懲りず、ぜひ次回につなげていただきたいと、切に願うものでありました。
〈一部敬称略〉

◇『ブレードランナーLIVE』公演HPは、こちら(『LIVE』予告映像あり)
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2023.02.02 (Thu)

第377回 【映画紹介】 ジョスカン・デ・プレが流れる「信長」映画!

レジェバタ
▲映画 『レジェンド&バタフライ』

現在公開中の映画『レジェンド&バタフライ』のなかに、西洋のミサ(らしき不思議な野外儀式)の場面がある。その隅で、4人の修道士と思われる南蛮人が、ミサ曲を朗唱しており、信長が「悲しい謡(うたい)じゃのう」などとつぶやいている。
この音楽は、ジョスカン・デ・プレ作曲のミサ曲《デ・ベアタ・ヴィルジネ》(祝福された聖母/別名「聖母のミサ」)の〈キリエ〉である。
日本の時代劇映画に、ジョスカンがここまではっきり流れるのは、おそらく初めてではないか。

ジョスカン・デ・プレ(1450頃?~1521)は、ルネサンス期に活躍した、フランドル(現在のベルギー~フランス北西部)出身の教会音楽家。日本では、バッハを「音楽の父」と呼んでいるが、西洋では、ジョスカンのほうが、そう呼ばれている。「美術界のミケランジェロに匹敵する」(コジモ・バルトリ)とか、「ジョスカンはすべての音符を操る主人である」(マルティン・ルター)とまで称された、音楽史上の巨人である。
ほかに、ミサ曲では《アヴェ・マリス・ステラ》(めでたし、海の星よ)《パンジェ・リングァ》(舌よ、讃えよ)《ロム・アルメ》(武装したひと)などが有名だ。

彼の音楽は、その構成形式も内容も旋律も、あまりに美しく、見事だった。それまでのミサ曲は、各章の冒頭部を同一旋律で統一する「循環ミサ」が主流だった(宗派によって違いはあるが、通常のミサ曲は全5章構成)。ときには、その旋律を一般大衆の世俗曲から引用することもあった。

ジョスカン 合体
▲(左)ジョスカン・デ・プレ (右)ルネサンス期のミサ曲合唱風景(1枚の楽譜を囲んで歌う) 【出典:Wikimedia Commons】

ジョスカンは、これをさらに進めて、統一旋律を、各声部が少し遅れて歌い始め、複雑に絡み合いながら壮大な音楽になる「通模倣様式」を完成させた。複数の声部が、統一感のある旋律を、異なったタイミングで歌っているのに、美しく響き、ひとつの音楽になっている——これは、いまでいえばノーベル賞どころではない大発明だった。
この手法が、後年、ソナタ形式のヒントとなり、カノンになり、フーガに発展し、対位法となって完成し、ベルリオーズやフランクの「循環形式」になり、果ては、ワーグナーの「ライトモティーフ手法」にまでつながるのである。

果たして、信長の時代にジョスカンの曲が日本に入っていたのかは、はっきりしないようだが、少なくとも、1591年に、(前年に帰国していた)天正遣欧少年使節団が、豊臣秀吉の御前で、「ジョスカン・デ・プレの曲」を演奏したことは確からしい。ということは、すでに1582年に亡くなっていた信長が、生前にジョスカンの曲を聴く機会があっても、おかしくはないかもしれない(ちなみに、ジョスカンは、信長が生まれる20年ほど前に亡くなっている)。

もしそうなら、信長は具体的にジョスカンのどの曲を聴いたのか。この映画のように《聖母のミサ》を聴いたのか。
これもよくわかっていないらしいが、この「信長が聴いた西洋音楽」を想像再現するCDやコンサートは意外と多く、そこでよく演奏されるジョスカン曲が《はかりしれぬ悲しさ》である。もともとは4声の世俗曲で、日本では《千々の悲しみ》《皇帝の歌》などの別題でも知られている。というのも、上述の「秀吉が聴いた西洋音楽」が、この《千々の悲しみ》だとむかしからいわれており、だったら、信長も聴いたのでは、と想像されているようなのである。

ところで、映画で流れるミサ曲の吹き替えヴォーカルを聴いていて、あたしは、一瞬で、うたっている人たちがわかった。「ヴォーカル・アンサンブル カペラ」(VEC)のみなさんである。
実は、あたしは、VECの定期演奏会にずっと通っており、スーペリウス(高音部)の花井尚美さんの声の大ファンなのである。この世のものとは思えない、それこそ天上から降り注ぐような美しさで、すこし鼻にかかった甘い歌声は、まさに世界で唯一無二の声である。一度聴いたら、絶対に忘れられない。だから、映画を観て(聴いて)、すぐにわかった(実際、エンドロールにも名前が出ていた)。

VECは、ルネサンス宗教音楽を専門とするヴォーカル・グループで、ジョスカンのミサ曲全曲録音プロジェクトを進行させており、全9枚でそろそろ完結のはずだ。
彼らの演奏会は、音楽監督・花井哲郎さんの「ミサ曲は、教会のなかで、”典礼”として再現されなければならない」との考え方に基づいて開催される。だから会場は必ず「教会」であり(東京公演の場合は、多くが、目白台の東京カテドラル教会聖マリア大聖堂)、各章の前後に入祭唱や昇階唱などの「固有文」(いわば”お経”)が唱えられる。

もし機会があったら、ぜひ、「教会」で、VECの演奏会を経験していただきたい。
最初は慣れないかもしれないが、すぐに、ジョスカンの、そしてルネサンス期の作曲家たちの宝石のような輝きに、「もしかしたら重大な何かを聴き忘れていたのではないか」との思いを抱くはずだ。

なお、映画『レジェンド&バタフライ』本編や出演俳優については、特になにも言うことはない。

▢映画『レジェンド&バタフライ』公式サイト
▢VEC音楽監督・花井哲郎さんのブログ(映画撮影の裏話のほか、映画に流れたミサ曲が聴けます)  
▢ヴォーカル・アンサンブル・カペラ(VEC) 公式サイト
▢本コラムの第206回でも、VECの話題に触れています。

*1月28日に開催された、東京佼成ウインドオーケストラ第160回定期演奏会のプログラム解説を書きました。ここでPDFが公開されているので、お時間あれば、ご笑覧ください。
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2023.01.19 (Thu)

第374回 【映画紹介】「映像の先を音楽化する」エンニオ・モリコーネの世界

モリコーネ
▲映画『『モリコーネ 映画が恋した音楽家』(ジュゼッペ・トルナトーレ監督)


年が明けて、まだ一か月も経っていないというのに、映画音楽ファンにとってメガトン級のプレゼントがやってきた。早くも、今年のベスト級ではないかと思われる映画だ。

これは、タイトル通り、映画音楽作曲家、エンニオ・モリコーネ(1928~2020)のドキュメンタリである。
生前におこなわれた長時間インタビューが中心で、自身が生涯と作品について回想するのだが、そこに、大量の映画本編、コンサート映像、楽譜、関係者・演奏者の解説などが、ほぼ「同時に」重なる。その編集が見事で、まるで戦後映画史を「音楽」の視点で見せられているようだ。並みの娯楽映画など吹き飛ぶ迫力である。

あたしの子供のころ、『荒野の用心棒』『夕陽のガンマン』などがよくTV放映されており、その不思議な音楽に、「面白い曲だなあ」と、おぼろげに感じたことを覚えている。
その後、『ウエスタン』『シシリアン』『わが青春のフロレンス』『死刑台のメロディ』『夕陽のギャングたち』『ペイネ 愛の世界旅行』『1900年』などで、モリコーネは稀代のメロディ・メーカーだと知った。

だがやがて、単なる映画音楽作曲家ではないことに気づく。きっかけは、1985年から翌年にかけて、毎月一回、NHK総合で放映された番組『NHK特集/ルーブル美術館』全13回だった。
これは、NHKがフランスのTV局と共同制作した大型番組で、ルーブル美術館の名品の数々を、館内を貸し切って(おそらく閉館後の深夜に)、解説付きで、つぶさに見せてくれるものだった。
しかも、ナビゲーターが、ジャンヌ・モロー、デボラ・カー、シャーロット・ランプリング、ダーク・ボガートといった、世界的名優だった(日本からは、中村敦夫と島田陽子だった)。

で、この番組の音楽が、なんと「エンニオ・モリコーネ」だったのだ。しかも、あまりに素晴らしくて、美術品と音楽の、どちらが主役かわからないほどだった。毎月、その音楽を「聴く」のが待ちきれなかった。いまでも、あんな重厚で上品で知的な音楽が日本のTV地上波で流れていたなんて、信じられない思いだ。

ルーブル美術館
▲サントラ『NHK特集/ルーブル美術館』(SLC)

しばらくして、そのサントラCDが、いまはなき日本のサントラ専門レーベル「SLC」(サンドトラック・リスナーズ・コミュニケーションズ)から発売された。
もちろん、すぐに購入して、聴いた。そして、付属のライナー解説を読んで、飛び上がってしまった。
なんと『NHK特集/ルーブル美術館』の音楽は、「使いまわし」だったのだ!
つまり、あの素晴らしい音楽は、過去の映画のために書かれた複数の既成曲を持ってきて、あてはめたものだったのだ。
たとえば、背筋をなにかが走るような名テーマ曲《永遠のモナ・リザ》は、1970年の映画『La Califfa』の音楽だというのだ。
日本未公開なので、どんな映画なのかよくわからないが、ネット情報によれば、工場閉鎖をめぐって展開する社会派メロドラマだという。しかも、主演はロミー・シュナイダー!
もうこれだけで、映画ファンならば、どんなテイストの作品か、想像がつくだろう。
そんな「メロドラマ」の音楽が、「ルーブル美術館」のテーマ音楽に使われて、まったく違和感がないどころか、映像をしのぐ効果をあげているのだ。

どうやらエンニオ・モリコーネとは、「映像に合った音楽を書く」のではなく、それを通り越した、なにか、映像のずっと先にあるものを見出して、それを音楽にしているのではないか、だから、使いまわしにも耐えられる普遍性のある音楽を書けるのではないか、そんな気がしたのだ。

で、今回の映画だが、まさにモリコーネが「映像の先にあるものを見出して音楽化する」作曲家であることが、よくわかる。
紹介されるエピソードも興味津々で、たとえば・・・・・・
*ジャンニ・モランディやミーナといったカンツォーネ名曲の数々は、モリコーネの編曲だった。
*ダルムシュタット現代音楽講習会に参加していた(ジョン・ケージも登場する)。
*セルジオ・レオーネは『荒野の用心棒』に、ジョン・ウェインの『リオ・ブラボー』の音楽をあてはめるつもりだった(結局、モリコーネが、「似ている」が、それをしのぐ音楽を書いてみせる)。
*黛敏郎が音楽を書いた『天地創造』は、その前にモリコーネがテスト音楽を書いていた。
*スタンリー・キューブリックから、『時計じかけのオレンジ』のオファーが来ていた。
*犯罪映画『シシリアン』の音楽には、BACH(シ♭・ラ・ド・シ♮)の4音が隠されていた!
『死刑台のメロディ』の主題歌《勝利への讃歌》は、メロディ先行で、ジョーン・バエズが即興的に詩をつけた。
・・・・・・といった垂涎の逸話が(マニアはご存じだろうが)、すべて「実例」付きで紹介される。

モリコーネは、途中、何度も映画音楽をやめて純粋クラシック音楽に専念しようとした。作曲家として「映画音楽」は一段下に見られる仕事だったのだ。
(ちなみに、『太陽がいっぱい』『ゴッドファーザー』のニノ・ロータは「映画音楽家」と呼ばれるのをすごく嫌っていた)
だが結局、モリコーネは「映画音楽」と称する新しい、20世紀の音楽ジャンルを確立したのだ。

上映時間2時間40分。『ニュー・シネマ・パラダイス』『海の上のピアニスト』あたりからモリコーネ・ファンになった方には、少々ヘビーな内容かもしれないが、音楽好きなら、長く感じないはずだ。
あたしは、『ウエスタン』や『ミッション』の部分で、恥ずかしながら、泣いてしまった。
哀しい内容でもないのに涙が流れる――これは、そういう音楽ドキュメンタリである。

映画『モリコーネ 映画が恋した音楽家』公式サイトは、こちら。
『NHK特集/ルーブル美術館』 第10回「バロックの峰 ルーベンスとレンブラント」が、ここで観られ(聴け)ます。

◆『東京佼成ウインドオーケストラ60年史』(定価:本体2,800円+税)発売中。ドキュメント部分を執筆しました。全国大型書店、ネット書店などのほか、TKWOのウェブサイトや、バンドパワー・ショップなどでも購入できます。限定出版につき、部数が限られているので、早めの購入をお薦めします。

◆「富樫鉄火のグル新」は、吹奏楽ウェブマガジン「Band Power」生まれです。第132回以前のバックナンバーは、こちら。

◆毎週(木)21時・FMたちかわ/毎週(土)23時・FMカオン(厚木・海老名)/毎週(日)正午・調布FM/毎週(日)・FMはなび(秋田県大仙市)にて、「BPラジオ/吹奏楽の世界へようこそ」パーソナリティをやってます。パソコンやスマホで聴けます。 内容の詳細や聴き方は、上記「BandPower」で。

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2022.11.29 (Tue)

第368回 ギンレイホール、閉館

20221127ギンレイホール最終上映
▲11月27日夜、最終上映中のギンレイホール(前に立っているのは、館主の加藤忠さん)。

東京・神楽坂下(飯田橋)の老舗名画座「ギンレイホール」が、11月27日夜に閉館した。今後は別の場所での再開を目指すという。
あたしは、2016年に、ここで「新潮社で生まれた名作映画たち」という特集上映を開催していただいた際に、たいへんお世話になった、忘れられない映画館である。

かつて、神楽坂下には、ギンレイホールの他、佳作座(洋画系)、飯田橋くらら(ピンク系)などの映画館もあり、特に佳作座は、総武線のホームや車内から、強烈な看板が見えて、壮観だった。『大脱走』と『レマゲン鉄橋』、『ナバロンの要塞』と『マッケンナの黄金』など、大作2本立てが多かった(うろ覚えだが、イメージとしては、そんな番組構成だった)。

今回のギンレイの閉館理由は建物の老朽化にともなうもので、決して不入りが理由ではなさそうなのだが、それにしても、いま、名画座は、特にコロナ禍以降、冬の時代を迎えている。
(ちなみに、ギンレイホールは、正確には「名画座」というよりは、数か月前の封切り作品を2本立てで上映する「二番館」のおもむきが強かった。番組は、女性向けの洋画ドラマが多く、年間1万円で見放題のパスポート制度で知られていた)

あたしが行っていた名画座では、近年だけでも、「浅草名画座」ほか浅草の計5館、「三軒茶屋中央」「三軒茶屋シネマ」「銀座シネパトス」「新橋文化」「新橋ロマン」「シアターN」(渋谷)、「吉祥寺バウスシアター」「アップリンク渋谷」などが続々と閉館した。
正月には、浅草で「寅さん」や藤純子を観るのが楽しみだった。「銀座シネパトス」での、天地真理主演『虹をわたって』のニュープリント復活上映も忘れられない。「新橋文化」の最終上映は『タクシードライバー』だった。

こういった名画座の衰退を、映画文化の衰退であるかのように報じる向きもある。
だが、映画そのものは、シネコンやサブスクの隆盛、ネットフリックスなど配信会社のオリジナル製作などを見るにつけ、決して、衰退していないと思う。
では、なぜ、名画座は、消えていくのか。
理由はいろいろあるだろうが、そのひとつに「ひとと触れあいたくない」ことがあると思う。

かつて映画館は、公共の場での過ごし方を学ぶ、恰好の場所だった。
作家の山口瞳は、”映画館では、座席に沈み込むようにして頭を引っ込めて座るのが礼儀だ”と書いていた。
あたしは、幼稚園のころから、両親に映画館に連れていかれ(当時は、自宅から歩いて行ける距離に、いくらでも映画館があった)、子供なので背伸びしてスクリーンを見上げると、「後ろのひとが見えないから、もっと低く座れ」と、よく怒られた。
映画館で、背筋を伸ばして座ると、頭が背もたれから飛び出して、後方客のじゃまになる。
これは、映画館での常識なのである。

だから、「新宿武蔵野館」のように、天井が低いせいでスクリーンも低く、客席もフラットな劇場だと、大柄な客が背筋を伸ばして前に座った場合、ほとんど観えなくなる。
最近、芝居に行くと「前かがみでのご観劇は、後ろのお客様のご迷惑になるので、お控えください」とアナウンスがある。
映画館では「前の座席の背もたれを蹴らないでください」と流れる。
あれは、この種の礼儀を知らずにおとなになった客が多くなった証左だと思う。

つまり、映画館には自分以外の人間がたくさんいて、自分は、そのなかのひとりだとの意識がない、好きな姿勢で観たいし、ひとのことは考えたくない——そんな人間が増えたのだと思う。
だから、狭くて周囲に気をつかわなければならない名画座は、敬遠されるようになった。
だがゆったりしたシネコンでは、そんな心配はない。
それどころか、最近のシネコンは、半ば個人ブースのような座席や、寝っ転がって観られる座席まである。ましてや自室でスマホで観る映画なら、なにをかいわんやだ。

映画とは、2時間、呑まず食わずで、座席に深く沈み込んで、じっと動かずスクリーンに対峙する娯楽なのである。
ポップコーンだのコーラだのを抱えて、ラクな姿勢で楽しむなんてのは、ほんとうの映画好きではない。

あたしの知人に、「国立映画アーカイブ(旧フィルムセンター)は、説教する老人客が多いので、怖い」と言っているひとがいた。
たしかに、あそこには、まるで自分の住まいのような意識で陣取っている常連がいる。そのため、しょっちゅう口論が発生しているが(だから、制服の警備員がいる)、それもせんじ詰めれば、公共の場での過ごし方にまつわるトラブルが大半である。
正直、説教したくなる気持ちも、わからないでもないのだ。

とりあえず、ギンレイホールには、48年間(前身まで含めれば、戦前から)、ありがとうございました。
ただし、再開しても、豪華座席や、飲食可などは、絶対にやめてください。

◇ギンレイホールHPは、こちら

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◆「富樫鉄火のグル新」は、吹奏楽ウェブマガジン「Band Power」生まれです。第132回以前のバックナンバーは、こちら。

◆毎週(木)21時・FMたちかわ/毎週(土)23時・FMカオン(厚木・海老名)/毎週(日)正午・調布FM/毎週(日)・FMはなび(秋田県大仙市)にて、「BPラジオ/吹奏楽の世界へようこそ」パーソナリティをやってます。パソコンやスマホで聴けます。 内容の詳細や聴き方は、上記「BandPower」で。

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2022.11.08 (Tue)

第367回 東京国際映画祭の「成熟」度

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▲第35回東京国際映画祭(有楽町駅前広場のディスプレイ)


 第35回東京国際映画祭(TIFF)が終わった(10月24日~11月2日)。
 TIFFといっても、よほどの映画好きでなければ「それがどうした」で終わりだろうが、国際映画製作者連盟(FIAPF)が日本で唯一公認しているオフィシャルな映画祭である。だから、俗にいう「世界三大映画祭」(カンヌ、ベルリン、ヴェネツィア)と、一応は同格(のはず)なのである。よって、映画好きには、見逃せないイベントなのだ。
 本年は、10日間で110本が出品され、上映動員数は約6万人だったという。コンペティション部門には、107国・地域から1,695本の応募があり、15本が選出・上映された(世界初上映8本、製作国外での初上映1本、アジア初上映6本)。

 あたしは、平日昼間は仕事があるので、夜しか行けない。せいぜいコンペ部門6本を含む10本しか観られなかった(しかもグランプリ受賞作には当たらなかった)。よって、とても映画祭の全容を理解しているとはいえないのだが、それでも、毎年数本ずつではあるが、もう30年近く通っているので、簡単に、印象を記しておきたい。

 映画祭は文字通り「お祭り」である。単に上映するだけではなく、海外セールス、関係者の交流、新規作品・才能の発掘、映画産業の隆盛などの目的もある。
 あたしは素人だし、それほどの数を観ていないので、各賞の受賞作品が、それにふさわしいのか、また、海外の映画祭と比べてどの程度のレベルにあるのか、自信をもって述べることはできない。
 だが、会場が、日比谷・有楽町・銀座などでの分散会場となったせいか、どこで何をやっているのかまったくわからず、少なくとも、「お祭り」を実感することはできなかった。東京駅前の丸ビル(イベント会場)と、TOHOシネマズ日比谷と、シネスイッチ銀座の3か所を同一映画祭の会場として認識しろというのは、かなり無理がある。

 当初は渋谷ではじまったTIFFだが、その後、かなり長いこと、メイン会場を六本木(六本木ヒルズ)としてきた。ここは、いい意味で閉鎖的な会場で、いかにも「お祭り」に来たような興奮を覚えたものだ。大半の作品が、TOHOシネマズ六本木を全館貸し切りで上映されていたので、移動も楽だったし、出入口が一か所だから、知り合いにもよく会った。一度、知己の某名画座スタッフと、まったくの隣席になって驚いたことがある。会場前の「ヒルズカフェ/SPACE」が一種の交流場所になっていて、(あたしは無関係だが)海外マスコミや映画関係者らしきひとたちが楽しそうに過ごしている光景も、印象に残っている。いかにも「お祭り」のような楽しさがあった。

 だが、日比谷・有楽町・銀座での分散会場になってからは、「映画祭」ではなく、単に「珍しい海外作品を、普通の映画館に観に来た」としか感じられない。今日はTOHOシネマズシャンテ、明日は丸の内ピカデリーと、作品によって、あちこちをまわらなければならない。映画館によっては、その前後に、通常の封切り作品を上映しているところもあって、終映後、早々と退出を促される場面もあった。
 
 また、国際映画祭(特にコンペ部門)は、製作関係者が同行し、トークやQ&A、記者会見などに登壇するのが慣例である。TIFFコンペでも、ほぼ全作品でゲストが登壇した。あたしが観た作品のうち、印象に残ったゲストは――
 乳児養子売買の実態を描くスリランカ映画『孔雀の嘆き』(最優秀芸術貢献賞受賞)では、サンジーワ・プシュパクマーラ監督が登壇。その真摯な態度、また、妹さんが早世した事実をモデルにしたとのエピソードに、一瞬、会場は厳粛な空気に包まれた。
 イランのブラック・コメディ『第三次世界大戦』(審査員特別賞受賞)では、監督代理として助演女優のマーサ・ヘジャズィさんが登壇、そのあまりの美しさと知的な対応に、撮影タイムでは場内が騒然となった。
 これらも、国際映画祭ならではの光景である。

TIFF4.png
▲(左)スリランカのプシュパクマーラ監督(左。ほかはプロデューサー)
 (右)場内を騒然とさせたイランのヘジャズィさん。


 しかし、その後のQ&Aとなると……英語の逐次通訳が入るので、それだけでも時間がかかるというのに、どうも客席からの質問内容があいまいで、「質問」ではなく、(いかにも自分が発見したと言いたげな独自の)「感想」を述べるひとがいて、そのために30分のトークタイムが、実質、短くなってしまうのが残念だった(英語圏以外の場合は、その国の通訳も入って、3か国語が飛び交うので、さらに時間がかかる)。
 しかも、かなりレベルの高い通訳がいるのだから、普通に日本語で質問すればいいのに(客席の9割以上は日本人なのだし)、わざわざ、たどたどしい英語で質問し、先方にうまく伝わらず、隔靴掻痒のやり取りになることも、しばしばだった(これは、毎年GWに開催されるイタリア映画祭ではさらに顕著。イタリア文化会館の会話教室じゃあるまいし、イタリア語でえんえんと「感想」を述べる日本人が時々いる)。

 余談だが、どこの会場でも、上映前には、コロナ対策への注意喚起と、上映後にゲスト・トークがあることなどを「英語」でアナウンスするのだが、あれ、通じていたのだろうか。おそらく学生ボランティアだと思うが、英語がダメなあたしでさえ、聴いていて「この英語アナウンスで大丈夫か」と心配になることが、しばしばだった。

 TIFFは、たしかに大きなイベントに育ち、公式プログラムには総理大臣や都知事の挨拶文も載るが、真の意味での「国際」映画祭には、まだ成熟していないような気がした。

第35回東京国際映画祭受賞作品(公式サイト)。
  ※各作品の予告編も観られます。

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