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2023.12.21 (Thu)

第439回 【本】陳舜臣『弥縫録 中国名言集』のススメ~「弥縫策」のほんとうの意味

弥縫録 写真
▲「備忘録」に引っ掛けて、『弥縫録』と名付けたという。

日本大学フェニックス(アメリカン・フットボール部)の廃部が決まった。だが、報道によれば「再建を前提」で、さっそく次年度にはじまるらしい。結局「廃部」とは名ばかりで、事実上、一時的に活動をしないだけのようである。そして、学長と副学長が辞任した(させられた)。

宝塚歌劇団の劇団員(正確には“生徒”というらしい)自殺は、調査の結果、「いじめ/ハラスメント」はなかったそうで、「長時間/過重労働」が原因だったという。そしてあわただしく公演中止、公演数減、日程見直しが発表され、理事長が辞任した。

安倍派の裏金づくり騒動は、東京地検特捜部が乗り出す刑事事件に発展し、二階派も含めて家宅捜索を受けた。そして、安倍派の閣僚や副大臣など計10人が辞任・更迭となった。ただし、二階派の閣僚は首がつながっている(21日現在)。

以上3件、すべて、ひとを辞任(更迭)させることで、組織を維持させようとしているようである。

もしこれを三題噺にしたら、共通キイワードは〈弥縫策〉〔びほうさく〕だろう。辞書には「一時のがれにとりつくろって間に合わせるための方策」とある。おそらく今回も、どこかのマスコミが皮肉たっぷりに使っているのではないか。

   *****

あたしは、1974年4月、高校に入学した。中学時代からひきつづき、吹奏楽部に入るつもりだった。入学案内には、カッコいいコスチュームでパレードしている写真が載っていた。

ところが、入学してみたら、吹奏楽部は、なかった。「廃部」になったという。前年の文化祭終了後、学外の飲食店で宴会をひらき、酒やタバコをやっていたことが発覚した(当時、未成年の酒やタバコを黙認してくれる店は、けっこうあった)。そこで、即「廃部」となった。当事者たちも短期間だが停学になったらしい。いまでこそ吹奏楽部は女子ばかりだが、このころはまだ“男の世界”で、むかしのバンカラ気質が色濃く残っていた時代である。

あたしは愕然となった。部室は閉鎖されていた。楽器や楽譜、コスチューム類は、屋上近くの倉庫に移され、鍵がかけられていた。吹奏楽だけが楽しみで入ったような高校だった。おなじ思いの仲間を数人見つけて、なんとか「復活」「再開」してほしいと、学校側に交渉した。生活指導主任は、こういった。

「復活? 再開? なにいってるんだ。休部じゃないんだ、〈廃部〉だぞ。〈廃部〉ってのは、もうナイってことだ。ナイものが、復活も再開もするわけないだろう。それだけのことを、あいつらは、やったんだからな」

あたしたちは、問題をおこした上級生の元部員を探し出し、なんとかならないのかと相談した。そのなかの一人は、こういった。

「無理だと思うよ。酔っぱらってタバコ吸って、鳥の真似して店の中を飛び回ったんだからな。俺たちが卒業して、問題を起こした代が全員いなくなったら、学校側も、考えてくれるんじゃないか」

まるで、他人事のような態度だった。なぜ鳥の真似をしたのか聞き忘れたが、どうやら、あたしたちが3年生になるまでは、どうにもならないらしい。

それでも上級生は、気の毒に思ってくれたのか、大学の吹奏楽部を紹介してくれた(その高校は、大学の付属だった)。2年間、しばしば大学吹奏楽部の片隅に加えてもらい、行事のときにエキストラで出演させてもらった。もちろんその間も、一刻もはやく再開させてほしいと、学校側に訴えつづけてきた。

そして3年生になった。ついに、新吹奏楽部が発足した。秋には付属高校内の大学受験が迫っていたが、そんなことおかまいなしに、数人で第1期生として入部した。

たしかに「復活」でも「再開」でもなかった。顧問もかわり、文化部あつかいではなく、生活指導部の直属となった。学校側の“監視”のもとでの船出である。新任のコーチが招かれ、楽器の大半は、新たに購入された(2年以上、湿っぽい倉庫で眠っていた楽器は、多くが傷んでいた)。ピカピカのティンパニやテューバ、コントラバスが、続々と届いた。

「再開」だと思って、ときおり、旧部員OBがやってきた。だが、彼らは一歩も音楽室に入れてもらえなかった。生活指導主任が「再開じゃない。新たなクラブが発足したんだ。だから、お前たちは、もう関係ないんだ。生徒には接触しないでくれ」と、かなりきつく断っていた。

ゼロからクラブをはじめることは、想像以上にたいへんだった。だが、かえって、学校側の苛烈なまでの「復活でも再開でもない。新たなクラブを発足させるのだ」との考え方のおかげで、荒っぽいながら、新鮮なスタートとなった記憶がある。

ここまで徹底すれば、“一時のがれ”とはいえない。つまり〈弥縫策〉ではない。あたしも、ずっとそう思っていた。ところが、そうではなかった。これこそ〈弥縫策〉だったのである。

   *****

後年、陳舜臣さん(1924〜2015)の『弥縫録 中国名言集』(読売新聞社、1980年刊/のち中公文庫など)を読んだ。「週刊読売」に連載された名コラムである。その第一話「弥縫」〔びほう〕で驚いた。

《弥縫の出典は『春秋左伝』である。この書には弥縫ということばがなんども使われている》

『春秋左(氏)伝』とは、孔子の歴史書『春秋』を、弟子の左丘明が注釈した解説書である。そのなかの、ある戦闘場面で、鄭の荘公が、〈魚麗の陣〉で敵を破ったと書かれているという。そして、陳舜臣さんは、こう解説する。

《——偏を先にし、伍を後にし、伍承〔う〕けて弥縫す。/と、春秋左伝にしるされている。/偏とは二十五乗の戦車隊で、伍とは歩兵一分隊にあたる。戦車と戦車のすきまを、歩兵で埋めた、ということである。》

核心は、ここからだ。

《魚麗の陣とは、魚屋の店頭に、大小の魚がぎっしり詰ってならんでいる状態であるらしい。ことばをかえていえば、蟻の葡〔は〕い出るすきまもない陣構えである。》

つまり、

《これが「弥縫」だとすれば、けっして一時的なごまかしではない。きわめて計画的で、遺漏のない、慎重きわまる、みごとな布陣だといわねばならない。》

なんと! 〈弥縫策〉とは、「一時のがれにとりつくろう」ことではなく、まったく逆の意味、つまり《計画的で、遺漏のない、慎重きわまる》徹底策のことだったのである。

では、なぜそれが、日本では「一時のがれにとりつくろう」との、正反対の意味になってしまったのだろうか。陳舜臣さんは、こう書いている。

《「弥」も「縫」も、「ぬい合わせる」という意味なのだ。二字あわせて、「とりつくろう」だが、この弥縫の語感はあまりよろしくない。一時しのぎのごまかし、というかんじがする。議会の発言なら、このことばはたいてい野党議員に愛用される。政府のおざなり施政を攻撃する用語である。》

どうも、縫って「とりつくろう」イメージや語感が、ほころびの緊急手当てに重なり、「一時しのぎ」の意味あいが強くなったようである。

   *****

だとしたら、日本大学も宝塚歌劇団も安倍派も、やってることは〈弥縫策〉ではないことになる。かえって、あたしの高校のほうが、徹底的な〈廃部〉〈新生〉を貫いただけに、これこそ真の〈弥縫策〉ではないか。

ちなみに、その高校は、日本大学の正付属高校である。特別付属でも準付属でもない、学校法人日本大学の直営校である。大学と高校のちがいがあるとはいえ、50年も前に完璧な、そして本来の〈弥縫策〉を貫いていた、そのおなじ学校法人が、なぜ、いま、こんなことになっているのだろうか。

要するに、ひとをかえる程度ではダメなのだ。身も蓋もない云い方だが、その高校のように、問題を起こした組織は、すべてをいったんナシにして、「システム」をかえなければダメなのだ。それが本来の〈弥縫策〉なのだ。

日本大学も宝塚歌劇団も安倍派も、もういちど、『春秋左(氏)伝』を読む……のがたいへんだったら、せめて陳舜臣さんの『弥縫録 中国名言集』を読み直した方がよいのではないか。

◇陳舜臣『弥縫録 中国名言集』は、現在、新刊入手は不可能ですが、安価な古書で、すぐに見つかります。


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2023.11.29 (Wed)

第435回【新刊紹介】 汽車にひかれて足の指を失った93歳による、『鉄道愛唱歌事典』

鉄道書影
▲長田暁二『鉄道愛唱歌事典』

書き出しが有名な作品といえば、川端康成『雪国』や、夏目漱石『吾輩は猫である』、カミュ『異邦人』などがよくあがる。しかし、これらはすべて「小説」である。ノンフィクションや実用書、研究書で有名な書き出しは、あまり聞いたことがない。

だが、どうにも忘れられない書き出しの音楽本がある。仕事でお世話になり、あたしが勝手に“音楽解説の師匠”と呼んでいた、オペラ研究家、故・永竹由幸さんの『オペラと歌舞伎』だ(1993年、丸善ライブラリー刊/2012年、新版=水曜社刊)。この本が、

《第二次世界大戦は、オペラと歌舞伎を持つ国民国家と持たざる国民国家の戦いであった》

ではじまるのだ。つまり、オペラ/歌舞伎を持つイタリア・ドイツ・日本に対し、《オペラを持たない鬼畜米英》は、《これ以上大きな文化的格差をつけられることは国民的屈辱である》として、《オペラを持たぬオランダ、オペラを半分しか持たぬフランス、ソ連等とかたらって、日独伊の三国同盟に対し、戦争を起こさせ、それを叩こうという陰謀を抱いた》というのである。

もちろんこれは永竹さんお得意のパロディというか、お遊び文章なのだが、それにしても、これほど「目からウロコが落ちた」書き出しは、後にも先にもなかった(この本は、その後も驚天動地の解説がつづくのだが、今回の主旨ではないので省く)。

   *****

先日、これに匹敵する驚愕の書き出しに出会った。しかも、これまた音楽本だ。『鉄道愛唱歌事典』(長田暁二、ヤマハミュージックエンタテインメントホールディングス刊)である。その書き出し(まえがき)は——

《筆者は3歳のとき、汽車にひかれて左足指3本を切断、右足はズタズタになって歩くことができませんでした。今まで出版された本の奥付の著者紹介では、岡山県笹岡市生まれと記されています。でもこれは違います。》

いきなり1行目から、おどろくべき2つの“告白”が、何の脈絡もなく登場する。少々、妙な文章だ。だが、このあと、この2つを見事につなげる説明につづくのだ。

長田暁二さんは音楽文化研究家。日本コロムビア、キング、ポリドール、徳間音工、テイチクなどでディレクターとして活躍。多くのヒット曲や、童謡・唱歌の名盤を生んできた。NHKラジオの歌番組の解説でもおなじみだ。1930(昭和5)年生まれで、執筆時93歳! 膝が悪いそうだが、それでも《家から303歩にある家庭料理の店「円満」には日曜祭日をのぞいて〔毎日通い?〕、夕食とビール一本を飲んで済ませています。》とのことだ。

そんな93歳の長田さんが、かつて自分の足指を奪った「鉄道」にまつわる歌謡曲、童謡、唱歌など71曲について、その成立過程や時代背景、裏話を、興趣あふれるタッチでつづったのが、本書である。

そう聞いて、「《鉄道唱歌》など、むかしの唱歌の解説集だろう」と思うのは早計。たしかに、それらもある。だが、たとえば本書中でもっとも紙幅が割かれている曲が(6頁!)、イルカの《なごり雪》だと聞けば、すこしイメージが変わるだろう。

三階建の詩
▲《なごり雪》が収録された名盤『三階建の詩』(かぐや姫)。右端が伊勢正三。

《なごり雪》は、伊勢正三が作詞作曲し、1974年に「かぐや姫」の名アルバム『三階建の詩』に収録された名曲だ。〈汽車を待つ君の横で僕は〉〈君が去ったホームに残り〉とは、どこの駅なのか。そしてこの曲が、どのような過程を経てイルカの持ち歌となったのか。なぜイルカで大ヒットしたのか——まるで ドラマのような物語が紹介される。

池上線
▲当初は東急電鉄に拒否された《池上線》

1976年、西島三重子の名曲《池上線》の作詞者・佐藤順英は、なぜ池上線を選んだのか。発売後、東急電鉄にプロモーション協力を呼びかけたら、〈古い電車〉〈すきま風に震えて〉などの歌詞がイメージアップにつながらないと、断られた。それが、2017年「池上線全線開通80周年」イベントでは、西島三重子自身が車内コンサートに呼ばれて《池上線》をうたったという。

もちろん、井沢八郎《あゝ上野駅》、春日八郎《赤いランプの終列車》、三橋美智也《哀愁列車》、狩人《あずさ2号》、野口五郎《私鉄沿線》、中島みゆき《ホームにて》なども出てくる。

1918(大正7)年、添田啞蟬坊の大衆演歌《あゝ踏切番》なんて曲、本書で初めて知った。だが、その歌詞と、素材となった鉄道事故の実話は、衝撃以外のなにものでもない。

二葉あきこ
▲なみのクラシック歌曲よりむずかしい、《夜のプラットホーム》

また、これはすでに有名だが、1947(昭和22)年発売、二葉あき子の名曲《夜のプラットホーム》の逸話にも、あらためて胸を打たれる。服部良一作曲の、ほとんどクラシック歌曲のような高度な楽曲である。

この曲は、すでに1939(昭和14)年に完成していた。〈プラットホームの 別れのベルよ/さよなら さよなら/君 いつ帰る〉。これは、作詞家・奥野椰子夫が、《東京駅頭で秋風が身に沁む夜更けに中国戦線に出征して行く兵士を見おくる人波の影で、ひとりの若妻が涙をこらえている悲痛な表情を見て、胸を搔きむしられるみたいに心を打たれ》て書いた詞だった。

さっそくコロムビアの服部良一が作曲して淡谷のり子がうたうが、厭戦的だと発売中止に。楽曲に絶対の自信をもっていた服部良一は、歌詞を英訳し、コロムビアの外国人スタッフに歌わせて洋盤に見せかけて売り出す。終戦後は、淡谷がテイチクに移籍していたので、二葉あき子に大急ぎで再録音させた。そして戦後は、戦争で身内を亡くしたひとたちの慰めの歌となって、長く聴かれる名曲になった。

   *****

歌詞に「鉄道」がまったく出てこない曲も登場する。

たとえば山下達郎の《クリスマス・イブ》。これはもう誰もがご存じだろう。JR東海の新幹線、クリスマス・エクスプレスのCMに使用されたことでロングセラーとなったが、曲自体は鉄道とは無関係である。

だが、小学唱歌《紅葉》が載っているのは、なぜだろう。〈秋の夕日に 照る山もみじ〉……これまた、線路の「せ」の字も出てこない。実はこの詞の舞台は、《碓氷峠のあった信越本線熊ノ平駅(昭和41年廃駅)周辺の錦繍風景》だそうで、《この付近は列車が軽井沢に向かってのんびり上り、なすこともなく車窓から風景を見れば、燃えるような紅葉が秋の日に照らされて、その見事さは飽きることがありません》。作詞者・高野辰之は、《郷里の長野県下水内豊田村(現・中野市)に墓参などで帰郷するたび、この場所を通っています》とのことで、なんとこの曲も「鉄道愛唱歌」だったのだ。

   *****

この調子で、実にバラエティに富んだ71曲が次々と解説される。原則として、すべての曲には、コード付きの楽譜と歌詞が載っている(JASRACへ支払う使用料はたいへんな額になっただろう。そのせいか、240頁で税込3,520円と、高めの価格である)。

「全歌詞収録」につき、《鉄道唱歌》(東海道篇)は、〈汽笛一声 新橋を〉から〈明けなば 更に乗り換えて/山陽道を 進ままし〉の66連まで、すべて載っている。

東京に市電(東京電車鉄道=のちの都電)が走り始めたのは1903(明治36)年で、すぐに東京市街鉄道(街鉄)、東京電気鉄道(電鉄)の3社線になった。《電車唱歌》は、その3社線界隈を歌詞に織り込んだ“東京名所案内”曲だ。〈玉の宮居は 丸の内〉と皇居前からはじまり、〈靖国神社に 詣ずれば〉で終わる52連の歌詞も、全部載っている。31連に〈新宿行は 更になお/衛戍病院 前をすぎ/半蔵門の 前よりぞ/左に折れて 麹町〉とある。「衛戍」〔えいじゅ〕とは軍用地のことで、「衛戍病院」は陸軍病院。いまの国立劇場のあたりにあった。現在、新宿区戸山にある「国立国際医療センター」の前身である。

《僕は特急の機関士で》も、〈東海道の巻〉から〈九州巡りの巻〉〈東北巡りの巻〉〈北海道巡りの巻〉と全歌詞を読める。三木鶏郎の天才的な博識ダジャレは、捧腹絶倒、唖然呆然である。〈岩木山から 見下ろせば/春は桜の 弘前に/チリリンチリリンと 自転車で/石中先生と 若い人〉——この歌詞の意味と奥深さが、わかるだろうか。楽譜のおかげで、本曲は、歌詞だけでなく音楽面でも《鉄道唱歌》のパロディになっていることがわかる(《鉄道唱歌》のフシで替え歌になる)。

   *****

フランク永井
▲いかすじゃないか、《西銀座駅前》

本書中、あたしがもっとも感慨を覚えた曲は、1958(昭和33)年発売、フランク永井の《西銀座駅前》である。地下鉄丸ノ内線の西銀座~霞ヶ関間の開業にあわせてつくられた曲だ。歌詞の最後が〈いかすじゃないか 西銀座駅前〉で、「いかす」は流行語となった(いまは「いかす」なんて、誰もいわないだろうが)。1965年公開、エルビス・プレスリー主演の映画『Tickle Me』(ムズムズさせて)の邦題が『いかすぜ! この恋』になったのは、本曲の影響だろう。

いまの若い方はご存じないかもしれないが、丸ノ内線「銀座」駅は、かつて「西銀座」駅だったのだ。いまでも真上に「西銀座デパート」「西銀座チャンスセンター」(宝くじ売場)などの名称があるのは、その名残りである。東京オリンピック直前、1964(昭和39)年8月に日比谷線「銀座」駅が開業したので、それにあわせて、丸ノ内線「西銀座」駅は、銀座線・日比谷線「銀座」駅に統合された。

だがこれはかなり無茶な統合で、いまでも銀座線~丸ノ内線の乗り換え時、中途半端な階段を上り下りさせられ、「なんでこんなに遠いんだ。これがおなじ駅とはインチキじゃないか」とぼやいている老人は、あたしだけではないはずだ。

   *****

で、さすがにこの話は長田さんも書いていないが、実はこの曲が映画になっているのである。

西銀座駅前
▲監督・脚本は、のちに世界的巨匠となる今村昌平!

それが同年公開の日活映画『西銀座駅前』で、当時はじまったばかりの2本立て興行用のSP映画(シスター・ピクチャー=2本立ての添え物で、1時間弱の小編)である。もちろん主題歌はフランク永井。ご本人が随所に登場して、不思議なナビゲーター役をつとめている。西銀座の薬局の主人(柳澤真一)が浮気に走るドタバタ・コメディだが、なんともゆるい、眠気を誘う映画である。

ところが、監督・脚本は、驚くなかれ、今村昌平!(そういわれると、なるほどと思える内容なのだが)。日活に入社直後の2作目で、若きイマヘイは、まだ会社指定の企画しか手がけられなかった。どう観てもイマヘイ向きの題材ではない。不貞腐れて演出している様子が目に見えるようだ。

だが、これをこなしたおかげで、直後にブラック・コメディの佳作『果しなき欲望』をつくり、続いて『にあんちゃん』『豚と軍艦』『にっぽん昆虫記』『赤い殺意』といった映画史に残る名作が連続して生まれるのである。後年、カンヌ映画祭最高賞を2回受賞して世界的巨匠になるイマヘイだが、その第一歩に『西銀座駅前』があったのだ。

長田暁二さんが足指3本を切断してから幾星霜、93歳にしてこのような労作を上梓したのと、どこか似たような——人間、若いうちは、そう好きなことばかりはできないのだと、本書と《西銀座駅前》が教えてくれたような、そんな気がした一書でありました。
(一部敬称略)

◇『鉄道愛唱歌事典』HPは、こちら
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2023.11.20 (Mon)

第433回 【新刊紹介】芥川龍之介、自殺の原因? 菊池寛との共訳”わけあり本”『アリス物語』(後編)

アリス物語書影
▲芥川龍之介・菊池寛共訳『完全版 アリス物語』(グラフィック社)

【前回よりのつづき】
芥川龍之介・菊池寛共訳の『アリス物語』を読んでの感想は、「これは、江戸落語ではないのか?」だった。

現在、『不思議の国のアリス』をなるべく新しい訳で読もうとすると、ジュニア向きを別にすれば、矢川澄子訳(新潮文庫)か、河合祥一郎訳(角川文庫)のどちらかで接するひとが多いと思う。両者それぞれに“翻訳精神”のちがいがあって興味深いのだが、それに触れているとまた遠回りになるので、いまはやめておく。まずは冒頭部分を、この2人がどう訳しているか。

   *****

【矢川訳】
アリスはそのとき土手の上で、姉さんのそばにすわっていたけれど、何もすることはないし、たいくつでたまらなくなってきてね。姉さんの読んでる本を一、二度のぞいてみたけれど、挿絵もなければせりふも出てこない。「挿絵もせりふもない本なんて、どこがいいんだろう」と思ってさ。

【河合訳】
アリスは、なんだかとってもつまらなくなってきました。土手の上でお姉さんと並んですわっていても、なにもすることがないからです。お姉さんが読んでいる本を一、二度のぞいてみたけれど、さし絵もなければ会話もありません。「さし絵も会話もない本なんて、なんの役に立つのかしら?」とアリスは思いました。

*****

と、両者とも、少なくとも冒頭部については、語り口調以外に大きなちがいはない。では、“文豪”お二人のほうは、どんな具合だろう。

【芥川・菊池共訳】
アリスは姉様といっしょに、土手に登っていましたが、何もすることがないので、すっかり厭き厭きして来ました。一、二度姉様の読んで居た本を覗いて見ましたけれど、それには絵も、お話もありませんでした。「こんな御本、何になるのだろう。絵もお話もないなんて。」と、アリスは考えました。


いきなり「姉様」である。「姉様」——少なくとも市井の下町娘は、姉のことを「あねさま」なんて呼ばない。普通は「ねえちゃん」か、せいぜい「ねえさん」だろう。さらに、単なる「本」ではなく「御本」と口にしている点も、見逃せない。

どうやら共訳のアリスは、旧武士階級に近い、“お嬢様”のようだ。大正~昭和初期の、華族とまではいかないが、中流よりすこし上くらいの家の娘だろう。「姉上」(華族)と「ねえちゃん」(下町娘)の中間だ(ネタ本の楠山訳は「お姉さま」)。

となると、住まいは、麹町や番町ではない。おそらく、外濠のすぐ北側、たとえば花街・神楽坂近くか、離れていても小石川・伝通院あたりのような気がする。そして、こんな口調だ。

「いいえ、わたし決心しちまった」
「お前さん、ディナーを見た日にゃ、きっと猫が好きになるにきまってるわ」
「お前たち、そんなことをしない方が身のためだよ」
「でもまあ、なんて可愛らしい犬ころだったろう!」
「これからは二階から落っこちることなんか、平気の平左だわ」


「決心しちまった」「お前さん」「お前たち」「犬ころ」「平気の平左」……伝法で、なかなか気が強い。不思議の国の、わけのわからん連中を、すこし下に見ている。それがつい口に出るところが、痛快だ。

今回の復刻では、マーガレット・タラントの、古いけれど品のある挿絵が採用されている。解説によると、北原白秋訳『まざあ・ぐうす』にも彼女の挿絵が使用されていたという。また、『アリス物語』原本にも、このタラントを参考にした挿絵が載っていたらしい。それらや、有名なテニエルの挿絵を見ると(角川文庫版に収録)、アリスのファッションは、典型的な当時のイギリス中産階級のお嬢様だ。

だが、芥川が最初にイメージしたアリスは、羽織袴の女学生にちがいない。漫画『はいからさんが通る』や『鬼滅の刃』のファッションだ。華族ではないから、通っているのは女子学習院ではなく、跡見女学校か香蘭女学校あたりではないだろうか。

当時の女学校では「割烹」の授業があった。日本料理である。“芥川アリス”も習ったはずだ。だから(?)共訳では、こうなっている。

チェリー・タルト → 桜桃〔さくらんぼ〕の饅頭
オレンジ・マーマレード → 〔だいだい〕の砂糖漬
カップ・オブ・ティー → 茶呑茶碗
ティー・ポット → 急須
リフレッシュメンツ → お茶うけ

   *****

当時の小学生(読者)の、教養の豊かさを彷彿とさせる訳もある。

「先生は年をとった海亀でした。——わたし達は先生のことを正覚坊先生、といつもいっていました——。」
「何故正覚坊先生というんです。」とアリスは尋ねました。
「なぜって小学本(正覚坊)を教えますからさ。」


ここは、「正覚坊」が「アオウミガメ」の異名で、かつ「大酒呑み」の隠語であることを知っていないと、読んでも意味は分からない。今回の共訳には注釈があるからいいが、当時は、そんなものはなかったはずだ。ということは、むかしの小学生は、これを読んで楽しめたのである(あるいは訊かれた親は、答えられたのである)。

しかも、ここは、原語の英語の響きをうまく使ったダジャレになっているそうで、そのうえ、「小学本」(この全集のこと)と「正覚坊」(大酒呑み)をひっかけた、二重のダジャレになっているのである。

ちなみにこの部分、現在では、

【矢川訳】
「先生は年とったウミガメだったけど、ぼくたちゼニガメってよんでた」
「どうしてゼニガメなんてよんだの、ほんとうはそうじゃないのに」アリスが口をだす。
「だってぜにかねとって、勉強教えるじゃないか」

【河合訳】
「先生は年寄りの海ガメだったけど、茶々と呼ばれていた——」
「どうして海ガメなのに茶々と呼ばれていたの?」アリスはたずねました。
「先生はティーチャだろ。ティーとは茶のことだ。だから茶々じゃないか。」

となっている(楠山訳は、さらにわかりにくいので、いまは略す)。

かように、この芥川・菊池共訳は、知的で、ちょっとモダンで伝法で威勢がいい、大正ガールズの世界として描かれているのである。まさに江戸落語を聴いているようだ。芥川は現在の京橋付近で生まれ、両国で育った江戸っ子。菊池は、香川・高松の生まれ育ちである。訳の全体基調は、芥川によるものだと思いたい。

   *****

そして、最後の段落——ここは、夢から目覚めたアリスを、姉が微笑ましく見守る、全編の白眉ともいえる部分である。

【芥川・菊池共訳】
最後に姉様は、この小さい同じ妹が、やがては大人になっていくこと、それからアリスが年をとる間に、子供時代の無邪気な可愛らしい心を、何んな風に持ち続けるだろうという事や、
——(以下略)

共訳では、なんと、この段落まるごと(今回の復刻で8行におよぶ)を、「1文」にしている。つまり、8行もの間、最後まで「。」がなくて、長文がダラダラとつづくのだ。ちなみに矢川訳も河合訳も「。」を5回使って5文に分けている。楠山訳でさえ、一ヶ所「。」を入れている。

芥川も菊池も、自作でこんなに長い文章は、めったに書かない。特に菊池寛などは、短い文章でキビキビと運ぶ書き手だ。それだけに、ここは、ちょっと不思議な印象をおぼえる。

しかし、なかなかの名文なのだ。かなり長いうえ、8行全部を引用するのではグラフィック社に失礼なので上記にとどめたが、「ああ、この訳で読んでよかったなあ、楽しかったなあ」と、心の底から思えた。解説者も、ここにかなり詳しい補注をあてて「物語を愛するすべての人に届けたい見事な訳」と賞賛している。

実は——この部分、原文でも「1文」なのだ。途中に「.」(ピリオド)はなく、「,」の切れ目だけで、ダラダラとつづいている(原文すべてを確認したわけではないが、この作品は、全体的に「.」はすくないようだ)。

素人考えだが、ここは芥川が原文に忠実に訳したような気がする。もし後半が未完で、そこを菊池が訳したのなら、最終段落はもっと短い文に区切って、読みやすくしたような気がするのだ。芥川が、最終部分の原文をそのまま生かして「。」を入れずに訳した、その遺稿を見た菊池が、感動して、あえて手を入れず、そのままにした——そんな気がして、仕方ないのである。

なぜなら、芥川は、自殺の4カ月前、雑誌「改造」1927(昭和2)年3月号に『河童』を発表した。遺作ではないが、創作小説としては、ほぼ最後の作品である。脱稿日は「2月11日」と記されている。

この最初の方に、こんな描写がある。「僕」が、地底の河童の国へ落ちていく場面である。

河童はこの牡牛を見ると、何か悲鳴を挙げながら、一きは高い熊笹の中へもんどりを打つやうに飛び込みました。僕は、――僕も「しめた」と思ひましたから、いきなりそのあとへ追ひすがりました。するとそこには僕の知らない穴でもあいてゐたのでせう。僕は滑かな河童の背中にやつと指先がさはつたと思ふと、忽ち深い闇の中へまつ逆さまに転げ落ちました。が、我々人間の心はかう云ふ危機一髪の際にも途方もないことを考へるものです。僕は「あつ」と思ふ拍子にあの上高地の温泉宿の側に「河童橋」と云ふ橋があるのを思ひ出しました。それから、――それから先のことは覚えてゐません。僕は唯目の前に稲妻に似たものを感じたぎり、いつの間にか正気を失つてゐました。

アリスのイラスト
▲奥から、姉様、アリス、ウサギ(アリス・B・ウッドワードによるイラスト。1905年ごろ) 出典:WikimediaCommons

河童を追って穴に落ちていく「僕」は、ウサギを追って穴に落ちるアリスそのものだ。芥川は『河童』と『アリス物語』翻訳を、同時期に執筆していたのではないだろうか。アリスを訳しているうちに、河童の国と一緒になり、まぼろしを見るようになった。だとしたら、巷説にあるように、芥川は本書をめぐって北原白秋と菊池寛の板挟みになったから死を選んだのではなく、『アリス物語』そのものに魅せられるあまり、自ら望んで別の世界へ行ってしまったのではないか——そんな気もして、仕方がないのである。

◇グラフィック社『完全版アリス物語』HPは、こちら(一部立ち読みあり)。
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2023.11.16 (Thu)

第432回【新刊紹介】芥川龍之介、自殺の原因? 菊池寛との共訳”わけあり本”『アリス物語』(前編)

アリス物語書影
▲グラフィック社が復刻した『完全版 アリス物語』

本ブログ第426回で紹介した文学座公演『逃げろ! 芥川』が、地方公演も含めて盛況好評のうちに終わったようだ。芥川龍之介と、親友・菊池寛の長崎への旅をモチーフにしたユニークな芝居だった。

実は、そのときに話題にしたかったのだが、あまりにも長くなりそうだったのでカットした本がある。芥川龍之介・菊池寛共訳『完全版 アリス物語』(ルイス・キャロル著、澤西祐典訳補・注解/グラフィック社)である。今年の2月に刊行され、その後、増刷がつづいているヒット本だ。

これは、むかしから芥川龍之介の自殺の原因ではないかとも囁かれている、ある意味、“わけあり本”なのである。

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あたしは浅学もかえりみず、大学や市民講座などで、出版や作文についての授業をもっている。そのなかで、昭和初期に発生した、ある出版スキャンダルの解説をすることがある。それは——。

1926(大正15)年、改造社が〈現代日本文学全集〉(全63巻)の刊行を開始した。400頁前後の本が1巻1円とあって、30万部近い大ヒットとなった(物価指数で換算すると、当時の1円=現在の650円くらいの感覚)。いわゆる「円本ブーム」の到来である。

これを見た出版各社が、次々と「1巻1円」の全集を刊行した。最初に便乗したのが新潮社で、〈世界文学全集〉は60万部近くに達した(全38巻で開始したものの、あまりに売れるので全57巻までつづけた)。さらに平凡社の〈現代大衆文学全集〉(全60巻)も大ヒット。書店は「円本」であふれかえった。一説には、大小あわせて約300種もの「円本全集」が出たといわれている(なぜ、そんな低価格本で商売になったのかは大河噺になるので、またいつか)。

そのなかで異彩を放つのが、1927(昭和2)年5月刊行開始、アルス社の〈日本児童文庫〉(全76巻)である。これは子供向け円本だが、価格は半額の「1巻50銭」に設定されていた。

アルス社とは、現在、写真・イラスト関係書出版で知られる「玄光社」の系列ルーツともいえる版元だ。創設者が北原白秋の弟・北原鐵雄なので、実質、“北原白秋の版元”のイメージがあった。もちろん、白秋本も出している。前身は「阿蘭陀書房」。芥川龍之介の最初の短編集『羅生門』を出版してくれた版元である。よって芥川は、北原白秋やアルス社に足を向けて寝られない。白秋は憧れの作家でもあった。そこから、〈日本児童文庫〉の第13巻『支那童話集』を担当してくれといわれ、当然、引き受けた。

ところが、同じ時期に、菊池寛が、自社(文藝春秋)と興文社との共同で〈小學生全集〉を刊行すると発表した。菊池は、こう書いている。

《新聞の広告でも御承知のことと、思ふが、今度自分は芥川の援助をも乞うて、「小學生全集」なるものを編輯することになつた。(略)定価は三十五銭である。菊判三百頁で、三十五銭であるから、廉い廉いと云はれる如何なる全集も、到底比べものにはならないだらう。》(「文藝春秋」1927年5月号~「小學生全集」について)

小学生全集
▲菊池寛の企画による〈小學生全集〉(ヤフオクの出品写真)

アルス社の50銭よりもさらに安い。巻数は全88巻! しかもアルス社と同時に刊行を開始し、新聞広告もアルス社とおなじ頁に出稿する挑戦的出版だった。

親友の企画だけに、芥川は、これにも協力せざるをえない。現に編者として、はっきり「菊池寛・芥川龍之介編」と明記されてしまっている。仕方なく、第28巻『アリス物語と、第34巻『ピーターパンを引き受けた。

アルス社=北原ブラザーズは怒り狂った。企画の剽窃であると、非難の声明文を出す。だが菊池はいっこうに動じない。中傷の新聞広告合戦となり、事態は泥試合の様相を呈する。ついにアルス社は菊池側を「信用棄損業務妨害」で告訴した。児童出版が、たいへん醜い一大スキャンダルと化したのだ。

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両社とも引かないまま、刊行は1927(昭和2)年5月にはじまった。芥川は、この板挟みになった。恩人をとるか親友をとるか。アルス社側の非難は芥川自身にも向けられていた。

そして芥川は約2ヶ月後の7月24日に服毒自殺する。遺書には、有名な「僕の将来に対する唯ぼんやりした不安」と書かれているだけで、正確な原因は不明だ。だが、この一件が引き金のひとつになったのでは……との噂は絶えなかった。

芥川は、アルス社の『支那童話集』には、まだ手をつけていなかった。これは佐藤春夫著となって、1929(昭和4)年1月に出た。

だが、文藝春秋・興文社の『アリス物語』『ピーターパン』については、芥川はかなりの部分を書き(訳し)あげていたようだ。その遺稿をもとに菊池寛が補筆し、「芥川龍之介・菊池寛共訳」として、第28巻『アリス物語』は芥川の死後4か月後の1927(昭和2)年11月に、第34巻『ピーターパン』は1929(昭和4) 年11月に出た。

菊池は、『アリス物語』の注意書きで、こう書いている。

《この「アリス物語」と「ピーターパン」とは、芥川龍之介氏の担任のもので、生前多少手をつけてゐてくれたものを、僕が後を引き受けて、完成したものです。故人の記念のため、これと「ピーターパン」とは共訳と云ふことにして置きました。》

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▲芥川の死後4か月後に出た『アリス物語』(ヤフオク出品写真)

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今回ご紹介するグラフィック社の『完全版 アリス物語』は、その第28巻の復刻である。「完全版」とあるのは、この共訳には、原文から削除された部分や、明らかな誤植、誤訳があるそうで、作家で研究者の澤西祐典氏が補綴修正し、詳細な注釈をほどこしたことを指している。

刊行当時、この2点はよほど売れたと見えて、いまでも古書市場でラクに見つかる。状態さえ気にしなければ、せいぜい数千円である。よって、さほど珍しいものではない。だが、どこが通常の「アリス」とちがうのか、どこに芥川ならではの個性があるのかは、かねてより議論百出で、定まっていないようだ。

というのも菊池が《(芥川が)生前多少手をつけてゐた》と書いた、その《多少》が、どの程度のものなのか、いまだによくわかっていないからだ。ある部分までを芥川が訳し、残りを菊池が訳したのか。芥川が大雑把に全体を訳したものを菊池がブラッシュアップしたのか。下訳があって、そこに芥川が手を入れかけたのを、菊池が仕上げたのか。

ここから先は、多くの研究書があるので(たとえば紀田順一郎『内容見本にみる出版昭和史』本の雑誌社、楠本君恵『翻訳の国のアリス』未知谷など)、それらに頼るが、実はこの「共訳」には、明確な“ネタ本”があった。演劇評論家で、児童文学者の楠山正雄が訳して1920(大正9)年に刊行されていた『不思議の國 第一部アリスの夢、第二部鏡のうら』(家庭読物刊行会/〈世界少年文学名作集〉所収)である(ちなみにこの楠山正雄は成島柳北の縁戚。ということは森繁久彌の遠縁にあたる)。

芥川・菊池共訳は、この楠山訳からそのまま持ってきた部分が多いという。楠山の誤訳までもおなじように誤訳しているそうだから、言い訳はできない。いまだったら無断引用・盗作の指摘を受けて、絶版回収だろう。

ところが、それでは楠山訳の全面パクリかというと、そうともいいきれないところが、事態をややこしくしている。いかにも“文豪”ならではの訳文箇所もあるのだ。明らかに、英語原文を読み込んで理解していなければ生まれないような訳語もある。

しかし程度の多寡はあれど、とにかく、芥川龍之介と菊池寛の筆が入った『不思議の国のアリス』が「完全版」となって、この令和の世によみがえったわけだ。

あたしは一読して、いままで読んだアリスのなかで、もっともしっくりとした読後感をおぼえた。そして、なんともいえない幸福感をおぼえた。いったい、どこがよかったのか——以下は後編で。
(後編につづく)

◇グラフィック社『完全版アリス物語』HPは、こちら(一部立ち読みあり)。

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2023.11.01 (Wed)

第429回 【新刊紹介】”マンガ亡命”から生まれたロシアのグラフィック・ノヴェル『サバキスタン」の魅力

サバキスタン書影
▲『サバキスタン』全3巻

読んでいるときは、それほどの感興はおぼえない。なのに、しばらくすると、なんとなく気になりだす。そこであらためて頁を繰ると「なかなかいいなあ」と気づく。そんなマンガをご紹介したい。
 
8月から3カ月かけて刊行された“マンガ”『サバキスタン』全3巻(ビタリー・テルレツキー作、カティア画/鈴木佑也訳/トゥーヴァージンズ刊)は、まさにそんな、不思議な味わいのある書物だった。

これはロシアのマンガである(正確には“マンガ”ではないのだが、これに関しては後述する)。

サンクトペテルブルクのテルレツキー氏(原作)とカティア嬢(画)による本作は、3年かけて制作され、「コミコン・ロシア2019」で販売すると、たちまち完売。以後、増刷がつづく人気作となった。しかし、折悪しくロシアのウクライナ侵攻が始まる。同時に言論表現の締め付けも強化されるようになった。そこで2022年3月にロシアを出国。マンガ大国・日本へ逃れてきた。いわば“マンガ亡命”である。同年暮れの「東京コミコン」に出展したところ、関係者の目にとまる。最終部分は、日本で制作されたという。

そして、日本の出版社「トゥーヴァージンズ」のコミック・レーベル「路草」から配信で発表され、評判となり、ついに紙で書籍化されたというわけだ。

余談だが、同社はたいへんユニークな出版社で、興味のある方は文末リンクからHPを参照あれ。ジョン・レノンとオノ・ヨーコによる社名と同じ超問題アルバムがあるが、特に“ああいう傾向”はないようなので、ご安心を。

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で、その『サバキスタン』だが、まずタイトルが不思議である。あたしなど、つい“鯖の味噌煮”を想像してしまったのだが、もちろんそうではなく、ロシア語の「犬」(サバーカ)と、「国」(スタン)の合成語で、「犬の国」。「スタン」はペルシャ語が原典だそうで、「パキスタン」「カザフスタン」などと同じ。 

つまりこのマンガは、“犬の国”の物語なのだ。近隣にはカメレオンの国もあるほか、迫害されている少数民族「ヴォルク(狼)族」も登場する。

問題はここからで、このサバキスタン国では独裁者「同志相棒」がすべてを統治しており、すでに50年以上、鎖国状態である。どうやら、かつてのソ連や北朝鮮あたりをモデルにした反独裁マンガのようである。この国で、突然、国家イベントである「同志相棒」の葬儀リハーサルを国外に向けて公開することになった。世界中からジャーナリストや国家元首が招かれる——物語はこんな状況から始まる。

意表を突く出だしであり、凡百の反独裁マンガではないことが、すぐにわかる。オールカラーのポップな絵柄も見事だ。いかにも女性らしい、繊細で愛らしいタッチは何度見ても飽きない。各コマが1枚のイラストとして完成している。キャラクターが「犬」なので、人間ほど喜怒哀楽の表情をしない。性別もすぐにはわかりにくい。そこがまた、本心を明かさずに生活しているサバキスタン国民の空気を醸し出すことに、成功している。

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だが本作のほんとうの面白さは、全3巻の「構成」にある。

第1巻は、上述したように「同志相棒」の葬儀リハーサル公開をめぐって発生した「事件」が描かれる。後半で「最高司令官」の素性が判明し、ある“行為”に走るシーンでは、背筋を何かが走る。第1巻ラストは、サバキスタン国の命運にかかわる衝撃的なシーンで終わる。もう我慢できない。すぐに第2巻を読まずにはいられなくなる。実にうまい構成である。

ところが! 第2巻は、その続きではないのだ。数十年後、民主国家になったサバキスタンが舞台で、次の世代の話になっているのである。登場人物(犬)も、ガラリと変わる。あの第1巻ラストのあとは、どうなったのか、何の説明もない。にもかかわらず、読んでいるうちに、次第に、この数十年の間に何があったのか、そして、いまの民主国家体制は本物なのかが、ジワジワとわかってくる(というよりは、読者が想像をめぐらして判断するのだが)。そして第2巻の最後は……さらに第3巻は……。

先に、本作は「正確には“マンガ”ではない」と書いた理由が、ここにある。本作は、“グラフィック・ノヴェル”なのである。無理に訳すと“小説風マンガ”とでもなるか。我々日本人が読みなれている“マンガ”とちがって、“絵物語”に近い。細かい描写や字幕・セリフなどの文字要素も最低限である。よって慣れていない読者には、あまりに変化がないので、つまらないであろう。だが、小説好きなら、活字で描かれたシーンを脳内でヴィジュアル再生するクセがついているはずだ。コマとコマの間で起きているはずの出来事や、省略されているキャラクターの動きや音を想像しながら読めると思う。

その「コマ間」を読む面白さが、本作では抜群の効果を生んでいる。翻訳も最低限の直訳なので、あたしたちは行間=コマ間を探るような知的な読書を体験することになる(翻訳の鈴木佑也氏は、新潟国際情報大学准教授。ロシア・ソ連の建築・美術史、表象文化論が専門)。

結局、3巻を通読すると、ソ連~ロシア近現代史を再現しているような感覚を覚える。そしてそれが、現在のロシアの状況を奇しくも先取りしていたことに驚く。

動物世界に仮託した反独裁ストーリーといえば、ジョージ・オーウェルの『動物農場』が有名だ(石ノ森章太郎による見事なマンガ化がある。リンク文末)。スターリン時代のウクライナ搾取をモデルにしたリアルな設定だったが、こちらはもっと壮大な視点で描かれている。ある意味、オーウェルよりも文学的かもしれない。

オールカラー3巻なので、書籍だと相応の価格になる(税別1,800円×3巻)。だがそれでも、カラーインクの独特な匂いがあふれてくるとてもいい本で、名作を「紙で所有」する良さを体感できる。ブックデザイン(森啓太)も素晴らしい。

版元は、かなりの部分をネット上で無料公開してくれている。ぜひ多くの方に読んでほしい。そして、“マンガ亡命”から誕生した、この知的な“グラフィック・ノヴェル”の面白さに触れていただきたい。
(一部敬称略)

◇版元「トゥーヴァージンズ」の『サバキスタン』HPは、こちら。かなりの分量を試し読みできます。
◇「トゥーヴァージンズ」オンライン・ショップは、こちら
◇以前に『動物農場』について、書きました。こちら

15:23  |   |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑
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