2023.03.14 (Tue)
第388回 【新刊紹介】「ニュータイプ文化人」の誕生を告げる、革命的な一書!

▲『千葉からほとんど出ない引きこもりの俺が、一度も海外に行ったことがないままルーマニア語の小説家になった話』(済東鉄腸著、左右社) ※版元リンクは文末に。
「ルーマニア」の作曲家といえば、やはりジョルジュ・エネスク(1881~1955)だろう(以前は「エネスコ」と綴られていた)。《ルーマニア狂詩曲》第1・2番などで知られる。ヴァイオリニストとしても有名だった。メニューヒン、グリュミオーは彼の弟子である。
むかし音楽の教科書に載っていたワルツ《ドナウ河のさざなみ》を作曲したヨシフ・イヴァノヴィチ(1845~1902)もルーマニア人だ。彼は歩兵連隊の軍楽隊長だった。
大ピアニストのクララ・ハスキル、ディヌ・リパッティ、ラドゥ・ルプ……これみんな、ルーマニア出身である。
文学で最大の存在は、作家・思想家のエミール・シオラン(1911~1995)か。あたしごときには、よくわからないのだが。
日本では、不条理劇『授業』で知られるウジェーヌ・イヨネスコ(1909~1994)のほうが有名かもしれない。中村伸郎が、10年余にわたって毎週金曜日に渋谷のジァン・ジァンで演じ続けた。
あと、ルーマニアといえばドラキュラ伝説(ブラム・ストーカーの創作だが)、そして独裁者チャウシェスク(1918~1989)。あるいはカンヌ映画祭でルーマニア初のパルムドール(最高賞)に輝いた映画『4ヶ月、3週と2日』(クリスティアン・ムンジウ監督、2007)か。
……と、思いつくままランダムにあげたが、あたしの場合、ルーマニアといえばこれくらいで、あとは、せいぜいEUフィルムデーズや東京アニメアワードフェステバルで、「そういえばルーマニアの映画やアニメを観たこともあったなあ……」といった程度だ。
それだけに、こういうひとがいて、こういう本が出たことには、心底から、驚いた。
内容は、この長い書名『千葉からほとんど出ない引きこもりの俺が、一度も海外に行ったことがないままルーマニア語の小説家になった話』が、すべてを物語っている。
著者の済東鉄腸氏は、1992年生まれの若さ。「キネマ旬報」などに寄稿する映画ライターだったそうだ。
いまでも、日本未公開映画を専門に紹介するオンライン・マガジン「鉄腸野郎Z-SQUAD!!!!!」を運営している。カメルーン映画やパナマ映画など、どれも驚愕の内容なので、ぜひご一読していただきたい(リンクは文末に)。
「引きこもり」というと、よくドラマや映画で描かれる、部屋から一歩も出ずにカーテンを閉め切り、食事はドアの前に置かれている、そんな状態を想像しかねないが、彼の場合は、少々ちがう。
俺は、そう引きこもりだ。昔からどこまでも内向的な、考えすぎ人間で、大学を卒業した二〇一五年からは色々あってマジの引きこもりになって今ここに至ってる。現在進行中だ。もう少し正確に書くんなら、二〇一五年から二〇二〇年までは週一でバイトして、映画観る金くらいは一応稼いでいたんだ。だが二〇二〇年以降にコロナが蔓延してバイトが消し飛んでからは、居るのは家か図書館か、図書館横のショッピングモールかって感じ。さらに二〇二一年からはクローン病って腸の病気にもかかっちゃって、安静を余儀なくされている……。で今現在って流れだ。
で、部屋にこもってネットなどで映画ばかりを観るようになる。その感想をツイッターやブログに投稿して〈映画批評家の猿真似〉をするようになった。
ここで著者は、たいへん重要な真理をズバリ述べる。
だが実際、真似事っていうのは重要だ。/批評にしろ創作にしろ、スポーツにしろ語学にしろ、そして生きることそれ自体にしろ、模倣というやつから全てが始まるからだ。
どうもこの著者は、単なる「引きこもり」ではないような予感をおぼえはじめる。
そんな〈猿真似〉をしているうち、日本の映画批評家に不満を覚えるようになる。
日本の映画批評家は、映画の語り方に関する美学が肥大するばかりで、語るものへの美学がないと感じたんだった。つまり日本で上映される、日本語字幕のついた作品しか論じないんだよ。それから金を払われなければ書かない、媒体に場を用意されなければ書かない。/(略)やつらは過去の映画史にしがみつくか、日本で公開される映画へ近視眼的に注目するばかりなんだ。今まさに築かれようとしている歴史を見ようとしない。俺にはそれがつまらなかった。
こうして、海外の最新日本未公開映画ばかりを観るようになり、あるルーマニア映画(邦訳なし)に出会い、衝撃を受けて、ルーマニア語に興味を持つようになり、独学をはじめるのだ。
いったい、日本語字幕もないこれらを観て、最初にどうやって理解したのか、それほど何でも配信で観られるのか、あまり詳しく書かれていないのだが、どうもこの著者は、尋常な才能の持ち主ではないらしいことが、次第にわかってくる。本書が“キワモノ本”でないことがはっきりするのは、このあたりからだ。
まず、この著者は、語学に対する感度が、凡百とは決定的にちがう。苦労した様子は書かれているが、もともと「才能」があったとしか、思えない。小説や映画の「物語」の理解力も、たいへん深い。
文章は一見荒っぽいが、実はとても繊細で、このひとの本質は、通俗を超えた「純文学」にあることもわかってくる。物言いはやたらと自信たっぷりだが、明らかに裏打ちがあるので、嫌味は感じない。
そして、室内で「引きこもり」ながら、ネットを通じて、ものすごい発信力、行動力を爆発させる。ツイッター、ブログ、フェイスブックなど、あらゆるSNSを駆使して、ルーマニアの映画監督や作家、書評家、オンライン・マガジンなどと“交流”をはじめるのだ。ルーマニアにはAmazonがないので、彼の国の本を取り寄せるにあたっては、輸入代行サイトを紹介してもらった。
そのうち、さる女性作家と知り合いになり、彼女が来日した際には六本木で会い、一緒に蕎麦を食べたりする。実にすごい「引きこもり」である。
ここから先は一瀉千里だ。
映画批評を大量に書いていると〈物語をどう書けばいいかが自然と分かってくる。ある時期から、俺は誰に言われるでもなく小説を書き始めていた〉! そして、それを自分でルーマニア語に翻訳してルーマニアの”友人”に送ってみると、みんな興味を持ってくれて、ついにネット文芸誌に掲載されるようになる。
ここからあとも、さまざまな出会いや展開があり、著者は、あっという間にルーマニア文壇でかなり知られる存在になるのだが、これ以上は、実際にお読みいただきたい。その進撃ぶりは、サイレント映画で全力疾走するキートンかダグラス・フェアバンクスのようだ。
著者の独特な文章は冴えまくり、映画はもちろん、ルーマニア文学の解説に至っては、あいた口が塞がらない(冒頭で「よくわからない」と書いたシオランなども、ちゃんと解説してくれる)。
巻末には、ルーマニアを知るための本や映画のリストが付いており、これまた見事なガイドになっている。
どこかでルーマニアについて学んだわけでもなく(大学では日本文学を学んだようだ)、現地に一度も行ったことがなく、何かの賞を受賞したわけでもない。室内に「引きこもり」ながら、ひたすらパソコンを利用して、これだけの知見とコネクションを獲得した。そして、千葉にいながらにして、ルーマニア文壇で“活躍”している。
本書は、まったく新しい、21世紀ならではの「ニュータイプ文化人」の誕生を告げる、革命的な一書である。
今後、この著者は「ルーマニア」枠を超えた、たいへんな書き手になるだろう。
◇『千葉からほとんど出ない引きこもりの俺が、一度も海外に行ったことがないままルーマニア語の小説家になった話』(済東鉄腸著、左右社)版元サイトは、こちら。
◇著者が運営するオンライン・マガジン「鉄腸野郎Z-SQUAD!!!!!」は、こちら。
2023.03.06 (Mon)
第386回 【新刊紹介】抱腹絶倒にして深淵な「法廷文士劇」!

▲『作家の証言 四畳半襖の下張裁判 完全版』丸谷才一編 中央公論新社)
※リンクは文末に。
1970~80年代は、個性的な雑誌が山ほど出ており、書店の雑誌棚は縁日のような面白さだった。「ビックリハウス」「話の特集」「宝島」「奇想天外」「噂」「噂の真相」「モノンクル」……そして「面白半分」があった。
これは、作家が半年単位で編集長をつとめる「面白くてためにならない月刊誌」で、五木寛之編集長時代の「日本腰巻文学大賞」(オビに贈賞)、筒井康隆編集長時代のタモリの「ハナモゲラ語の思想」などが忘れられない。
だが、この雑誌が一躍その名を轟かせたのは、野坂昭如編集長時代の1972年7月号だった。永井荷風作と伝えられる春本小説『四畳半襖の下張』が伏字なしで全文掲載されたのだ。これに対し、警視庁がわいせつ文書販売罪(刑法175条)で野坂編集長と発行人を起訴したのである。

▲昭和29年、浅草を行く永井荷風(写真:木村伊兵衛) 【出典:Wikimedia Commons】
ふつう、この程度の罪であれば、始末書や罰金でおさまるのだが、野坂たちは、法廷で国家と争う決意を固めた。作家・丸谷才一を特別弁護人に指定し(もちろん、ほかにプロの弁護士もいた)、綺羅星のごとき弁護側証人を次々に出廷させた。
その顔ぶれを見て驚くなかれ、(出廷順に)五木寛之、井上ひさし、吉行淳之介、開高健、中村光夫、金井美恵子、石川淳、田村隆一、有吉佐和子。
あたしは、週刊誌記者時代に名誉棄損で何度か訴えられている(正確には、発行責任者=社長と編集長が被告)。多くは和解勧告が出たり、原告が取り下げたりして、うやむやに終わるのだが、時折、法廷闘争になることもあった。そうなると、取材・執筆者のあたしは弁護側証人として出廷することになる。
その経験から知ったのだが、裁判とは、ほとんど演劇的な“儀式”だった。おおよその筋やセリフが決められており、台本のような調書のとおりに進行し、裁判官はつまらなそうな表情で、それらを聞いている。それこそ、アガサ・クリスティの『検察側の証人』のような、驚天動地の展開でもないかぎり、裁判とは、生気のない、型どおりの”儀式”にすぎないのだ。
(あたしは、田中角栄被告のロッキード裁判もずいぶん傍聴したが、あれですら、ある時期からはダラダラとした”儀式”になっていた)
ところが、この「四畳半襖の下張裁判」は、並みの“儀式”には、ならなかった。弁護側証人たちは、東京地方裁判所の法廷で、文学論はもちろん、わいせつとは何か、出版業はどうあるべきかを、丸谷才一特別弁護人の質問に答える形で、えんえんと、しかも、ものすごい熱量で語りつづけたのだ。
本書は、この裁判における、作家の証言部分を収録したものである。
なにしろ、その顔ぶれが戦後文壇史を彩る大作家ばかりなので、発言(証言)内容も、一筋縄ではいかない。それでいて、“儀式”の再現でもあるので、もう誰でも知っているようなことでも、速記録に残し、検察官と裁判官にアピールするために、あらためて口にしなければならない。弁護人も証人も、それがわかっていて、本心ではバカバカしいと思っていながら、お互い、必死になって“儀式”を演じている。読んでいると、それがはっきりわかって、捧腹絶倒を通り越し、これはもう深淵な「法廷文士劇」ではないかと、妙な感動がこみ上げてくる。
そんなわけで、証言はどれも驚愕の面白さで、いったいどこを引用しようか困ってしまうのだが、ここは年の功で、一人だけ19世紀生まれの最長老、石川淳(1899~1987)の証言を紹介しよう(このとき石川淳は76歳)。
(若いころの石川淳の経歴を確認したあと)
【富樫注】『狂風記』は、この時点でまだ連載中で、単行本化されていない。丸谷才一特別弁護人 で、代表的な作品としては、小説では何、批評では何というふうにあげればよろしいでしょうか。
石川淳証人 ……。
丸谷 証人がもしおあげになるとすれば、どういうものを。二つ三つ……。
石川 さあ、私は自分のものをあまり読みませんから、自分のものをあげるということはしません。考えていません。
丸谷 それでは、小説では『片しぐれ』『喜寿童女』『至福千年』、批評では『森鷗外』『文学大概』『夷斎筆談』というふうにいってもいいわけですね。
石川 よろしくどうぞ。
丸谷 これまで、文学賞を受賞なさったことはおありですか。
石川 昔、芥川賞というものをね、あれはだれでももらうものですから。
丸谷 私ももらいました。
石川 ……。
このような珍妙なやりとりのあと、「森鷗外研究者」でもある石川が、森鷗外をどう評価しているか、どこがすごいかの「鷗外論」に移り、その鷗外を永井荷風が非常に尊敬していたとの論法になり、今度はその荷風が亡くなったときに、石川が随筆『敗荷落日』を書いている話となって、ここから「荷風論」となり、荷風のものの見方や文体などの解説がつづき、いよいよ核心――『四畳半襖の下張』に移るのだ。
その展開は、あまりに見事で、下手な戯曲もかなわない。丸谷才一の誘導尋問ともいうべき“台本”には、頭が下がる。
そして石川は『四畳半』の掲載について「いいものが出たな」と感じたが、ただし、「文学作品として見るだけのものではない」と断じる。
丸谷 文学作品として見るだけのものではないということになりますと、そうしますと、これはどういうものでしょうか。
石川 記録ですね。記録といっただけじゃおわかりになりにくいだろうと思いますが、記録として読んでいます。
丸谷 記録といいますと、普通、たとえばチャーチルの『第二次大戦回顧録』が記録である。そして同じ第二次世界大戦という材料を使っても、それはノーマン・メイラーが『裸者と死者』という小説を書けば、これは記録ではない。(略)この『四畳半襖の下張』には、想像力というものが確かにはいっていると思いますが。
そしてこのあと、石川は、記録と文学のちがいについて、『四畳半』のなかの一語「わらひ」に注目し、それが『古事記』から来ていると言い出し、えんえんと、本書でいうと足かけ「6頁」にわたって、丸谷にことばを挟ませず、休みなしで『古事記』論を展開するのである。いったい、何の裁判をやっているのか、不思議な状況が繰り広げられる。
ここは、本書の白眉のひとつであり、圧倒的迫力で読ませる。この間、呆気にとられる(あるいは、呆れかえっている)検察官や裁判官の表情が、目に浮かぶようである。
たまたま石川淳の証言部分を紹介したが、ほかの証言者も、“儀式”を演じる制約のなかで、迫力満点の文学論を展開する。もちろん、基本的に被告を弁護する立場なのだが、時折、危なっかしいというか、あんた誰の味方なのよと言いたくなる証人もいて、そこがまた面白い。
この間、検察側はほとんど反論をしない。証人も出さない。ひたすら作家たちの文学論がえんえんとつづくが、なにしろ“儀式”だから、結論は決まっている。第一審は有罪。
弁護側はもちろん控訴する。しかし第二審も有罪。だって“儀式”だから。
弁護側は最高裁へ上告するが、もちろん棄却。“儀式”だから。
野坂昭如は罰金10万円、発行人は15万円。
いったい、この騒動は何だったのか。
金井美恵子証人の、このひとことが、すべてを語っている。
〈敬称略〉三宅陽弁護人 で、この『四畳半襖の下張』について、今の青年層にとって特に刺激的な面があるとお考えでしょうか。
金井美恵子証人 ないと思いますね。読めないんだから。読めないものに刺激を受けるわけがないんで。
【書誌情報】
本書は、正確にいうと、今回で3回目の単行本化です。
①『四畳半襖の下張 裁判・全記録』上下 丸谷才一編(1976年、朝日新聞社)……裁判のすべての証言や記録を収録。
②『作家の証言 四畳半襖の下張裁判』丸谷才一編 (1979年、朝日選書)……上記①から、作家の証言部分のみを抜き出した。
③『作家の証言 四畳半襖の下張裁判 完全版』丸谷才一編 (2023年、中央公論新社)【本書】……上記②に、『四畳半』原文と、栗原裕一郎氏の解説を加えた。それ以外は②とおなじ(判決文や裁判日程記録なども収録)。
※現在、『四畳半襖の下張』原文は、ネット上などで容易に読めます。よって、①②を読んだ方は、無理に③を手に取るまでもないと思われます。もちろん、初めてこの裁判を知る方には、③が最適です。なお、上記のほかに「面白半分」が増刊などで、何度か裁判記録集を出していました。
2023.02.26 (Sun)
第384回 音楽本大賞、創設!(2)

▲「音楽本大賞』のロゴ(デザイン:重実生哉/クラファンHPより)
※クラファンHPリンク先は文末に。
前回につづいて、思いついた「音楽本」のお薦め本のつづきです。今回はノンフィクション系。
文字通り「思いついた」本ですので、いわゆる精選リストではありません。
【国内ノンフィクション】
◆小澤征爾『ボクの音楽武者修行』(新潮文庫) 1962年初出。昭和30年代、26歳のオザワがスクーターでヨーロッパ一人旅に出て、コンクールなどに挑戦した3年間の記録。後年の『深夜特急』などに先駆けた海外放浪エッセイの名作。
◆志鳥栄八郎『冬の旅 一音楽評論家のスモン闘病記』(徳間文庫ほか) 1976年初出。レコード・コンサートでおなじみだったベテラン音楽評論家が、薬害スモン病で次第に視力を失っていく。それでも音楽を愛し、レコードを聴きまくる前向きな生き方に背筋がのびる。あたしの座右の書。
◆西村雄一郎『黒澤明 音と映像』(立風書房) 1990年初刊(1998年、増補版刊)。黒澤映画における音楽の意味、特徴、つくられ方などを本人へのインタビューも交えて徹底検証。映画音楽研究に新たな道を切り開いた名著。
◆永竹由幸『新版 オペラと歌舞伎』(アルス選書) 1993年初出。あたしの“師匠”の代表作。「第2次世界大戦は“オペラと歌舞伎”を持つ国と待たざる国の争いだった」の冒頭一文で目からウロコが落ちすぎて呆気にとられる、驚愕の音楽文明論。
◆今谷和徳『ルネサンスの音楽家たち』 I・Ⅱ(東京書籍) 1993年刊。デュファイやジョスカンなど、名前だけは有名だが、どういう“人間”だったのかを教えてくれる本はなかった。本書のおかげで、一挙にバッハ以前が身近になった。
◆最相葉月『絶対音感』(新潮文庫) 1998年初出。「絶対音感」とは何なのか。先天的なものか後天的なものか。音楽家にとってほんとうに必要なのか。膨大な証言と資料で迫る”音楽科学ノンフィクション”の金字塔。
◆千住文子『千住家にストラディヴァリウスが来た日』(新潮文庫) 2005年初出。あたしの担当編集なので手前味噌になるが、超高額楽器(不動産より高い!)を“買う”とは、どういうことなのか、他人の家の内幕を見せてくれるようなスリルがある。スイスの富豪の所有物が、いかにして海をわたって千住家に来たか。
◆佐藤実『サイモン&ガーファンクル 全曲解説』(アルテスパブリッシング) 2009年刊。全294曲をコンパクトに、しかも的確に解説した画期的ガイド。S&Gコンビのみならず、ポール初期のソロ『ソング・ブック』などもちゃんとおさめている、本当の意味での永久保存版。
◆ひのまどか『戦火のシンフォニー レニングラード封鎖345日目の真実』 (新潮社) 2014年刊。これもあたしの担当編集なのだが、たいへんな労作。ナチスドイツによる封鎖で飢餓の状況下、ショスタコーヴィチの交響曲第7番《レニングラード》を演奏しようとする人々。自らロシア語を学んで現地取材、生存者に直接インタビューまでして描いた戦争音楽ノンフィクションの傑作。日本製鉄音楽賞特別賞受賞。
◆東京エンニオ・モリコーネ研究所編著『エンニオ・モリコーネ映画大全』(洋泉社) 2016年刊。熱狂的ファンが400作以上のモリコーネ全作品(映画以外も!)を徹底分析した、3段組、400頁超の、同業編集者として背筋が寒くなる本。版元解散のため、その後入手困難なのが惜しまれる。
◆かげはら史帆『ベートーヴェン捏造 名プロデューサーは嘘をつく』(春秋社) 2018年刊。難聴のベートーヴェン会話帳は、秘書のシンドラーによって改ざんされていた。《運命》はこのようにドアなんか叩かなかった! 原史料を駆使して暴かれる楽聖伝説の真実。
◆上原彩子『指先から、世界とつながる ~ピアノと私、これまでの歩み』 (ヤマハミュージックエンタテインメントホールディングス)2021年刊。第349回参照。
◆中村雅之『教養としての能楽史』(ちくま新書) 2022年刊。第376回参照。
◆中丸美繪『鍵盤の天皇 井口基成とその血族』(中央公論新社) 2022年刊。「井口一門にあらざれば、ピアニストにあらず」とまでいわれ、桐朋学園大学学長にまで上り詰めたピアノ界の天皇。その陰陽入り混じる怪人物ぶりを活写。600頁超の大作。
◆吉原真里『親愛なるレニー レナード・バーンスタインと戦後日本の物語』(アルテスパブリッシング) 2022年刊。第371回参照。
◆藤田彩歌『カーザ・ヴェルディ 世界一ユニークな音楽家のための高齢者施設』 (ヤマハミュージックエンタテインメントホールディングス) 2022年刊。第364回参照。
【海外ノンフィクション】
◆ハロルド・ショーンバーグ/野水瑞穂訳『ショーンバーグ音楽批評』(みすず書房) 1984年刊。音楽評論家として初めてピューリッツァー賞を受賞したNYタイムズのジャーナリスト。初期バーンスタイン批判で有名だったが、「私はMETプレミア初日、終演後のレセプションには出ない。すぐに社に戻って、翌朝刊のための批評を書く」には感動。
◆ティエリー・ジュフロタン/岡田朋子訳『100語でわかるクラシック音楽』 (文庫クセジュ) 2015年邦訳刊。フランス人向けの独特なシリーズなので万人向けではないが、「文庫クセジュ」は音楽本の宝庫。本書はユーモアたっぷりの解説で、「悪魔の辞典」すれすれの面白さ。
◆ジョン・カルショー/山崎浩太郎訳『ニーベルングの指環 リング・リザウンディング』(学研プラス) 2007年刊。DECCAの名プロデューサーによる、レコード史上初、《指環》全曲スタジオ録音の記録。彼の自伝的記録『レコードはまっすぐに』も面白い。
◆ケルスティン・デッカー/小山田豊訳『愛犬たちが見たリヒャルト・ワーグナー』(白水社) 2016年刊。超愛犬家としての視点でワーグナーの生涯をたどるユニークな評伝。《さまよえるオランダ人》など、犬がいなかったら生まれなかったみたいですよ。
◆マリア・ノリエガ・ラクウォル/藤村奈緒美訳『キッチンからカーネギー・ホールへ~エセル・スタークとモントリオール女性交響楽団』(ヤマハミュージックエンタテイメントホールディングス) 2022年刊。第370回参照。
◆ヴァンサン・ダンディ/佐藤浩訳『セザール・フランク』(アルファベータブックス) 2022年刊(昭和28年邦訳初出を復刻)。フランクの一番弟子による、評伝と作品研究。全編が「フランク先生」で統一され、尊敬と愛情に満ち溢れた筆致。それが嫌味でも盲従でもない、素直な師への思いが伝わってくる感動的な一書。
このほか、ジュニア向けのため、おとなの目にあまり触れていない可能性のある、ユニークな「音楽本」シリーズを最後にご紹介しておく。
上記でも紹介した、音楽作家、ひのまどか氏による「音楽家の伝記 はじめに読む1冊」シリーズ(ヤマハミュージックエンタテインメントホールディングス) で、現在、バッハからはじまって9冊が刊行されている(ほかに、萩谷由喜子著で「クララ・シューマン」もあり)。
これは、以前、リブリオ出版から刊行されていた「作曲家の物語」シリーズ(児童福祉文化賞を二度受賞)の改訂版なのだが、ジュニア向きと侮ることなかれ、すべて、ひの氏自身が現地取材して書かれた優れた伝記である(遺族がいる場合は、直接インタビューなども)。主要曲がQRコードですぐに聴けるようになっている点も便利だ。
なお、この改訂版では、旧版にはなかった「小泉文夫」が描き下ろしで加わっている。これは驚くべき企画で、民俗音楽研究家の稀有な存在に光をあてた、これまた労作である。ひの氏自身が小泉研究室の生徒だったこともあり、上述のダンディによるフランク本にもどこか通じる、師への敬愛にあふれた伝記である。こういうユニークなひとがいたことをいまに伝える、貴重な音楽本といえる。
というわけで、「音楽本」は、実に広範で数も多いことがおわかりいただけたと思う。
5月中旬に発表されるという第1回「音楽本大賞」が、どのように迎えられるか興味津々だが、ひとつだけ、”贅沢なる困惑”を。
規定によると、第1回にかぎり、実行委員が携わった本は大賞の対象としないらしい。しかし、実行委員の方々は、日本を代表する音楽本編集者であり(前回・今回で紹介した本のなかにも多くが並んでいる)、彼らが関与した本を外して、果たして公正な「音楽本大賞」が成立するのであろうか。音楽本は「広範で数も多い」のだから大丈夫といわれればそれまでなのだが、いささか、心配になるのであります。
※今回紹介した本も、すべて「音楽本大賞」にはまったく無関係です。また、絶版でも「古書」で入手容易だったり、「電子出版」などもあるので、検索でご確認ください。
◇日本音楽本大賞ウェブサイトは、こちら。クラウドファウンディング呼びかけ中です。
2023.02.24 (Fri)
第383回 音楽本大賞、創設!(1)

▲「音楽本大賞』のロゴ(デザイン:重実生哉/クラファンHPより)
※クラファンHPリンク先は文末に。
いまや出版界は「大賞」だらけである。
「本屋大賞」を嚆矢に、「新書大賞」「ノンフィクション本大賞」「日本翻訳大賞」「料理レシピ本大賞」「サッカー本大賞」「マンガ大賞」「手塚治虫文化賞~マンガ大賞」「ITエンジニア本大賞」「ビジネス書大賞」……さらには書店主催(紀伊国屋じんぶん大賞、キミ本大賞、啓文堂大賞、八重洲本大賞、未来屋小説大賞など)、地方別(宮崎本大賞、神奈川本大賞、広島本大賞、京都本大賞など)もある。
このまま増えていったら、書店の棚は、すべて「大賞別」に構成しなければならないのではと、妙な心配をしたくなる。
そこへまた、新たな大賞が加わった。「音楽本大賞」である。一瞬「またか」と思ったが、同時に「そういえば、なぜ、いままでなかったのだろう」とも感じた。
あたし自身が、編集・ライターとして音楽本にかかわってきながら、あまり考えたこともなかったが、これは、ぜひとも定着していただきたい大賞である。
実は、このニュースが流れた直後、仕事先で会った女性3人に、このことを話してみた。すると、ニュアンスこそちがうものの、誰もが「音楽本って、選ぶほど数が出てるんですか」との主旨の返事だった。
Aさんは嵐のファン。Bさんは中島みゆきのファン。Cさんは日本のシティ・ポップス好き。
(残念ながら、その場には、あたしの好きな吹奏楽やクラシックや映画音楽に感度のあるひとは、いなかった。もっとも、そんなひとは、どこへ行っても、まずいないのだが)
つまり、「音楽本」といっても、あまりにジャンルが広いわけで、そのなかのある特定の分野のファンにとっては、多くの「音楽本」が出ていることなど、視野に入っていないのである。
実は、音楽本は、数もジャンルも、実に膨大であり、ひとつの「世界」を形成しているといっても過言ではない。そういう意味では、この賞は(具体的にどういう部門があるのか不明だが)多くのジャンルの「音楽本」が出ていることを知ってもらう、いいチャンスのような気もする。
現に、どれだけあるか、たまたまあたしが読んできた中から、いま、なんとなく思い出したお薦め本の、ほんの一部をあげてみる。
(ただし、どれも今回の「音楽本大賞」にはまったく無関係です)
【国内小説】
◆内田百閒『サラサーテの盤』(ちくま文庫など) 1948年初出。「ひとの声」が録音されているらしきサラサーテのレコードをめぐる奇妙な物語。鈴木清順監督の映画『ツィゴイネルワイゼン』の原案。
◆宇神幸男『消えたオーケストラ』(講談社文庫) 1991年初出。ホールから突如、オーケストラ全員が消えた。重厚な音楽ミステリひと筋の著者による第二作。『ニーベルンクの城』も濃い。著者はエリック・ハイドシェックのカムバックを仕掛けたひと。
◆中沢けい『楽隊のうさぎ』(新潮文庫) 2000年初出。引っ込み思案な中学生が吹奏楽部に入って全国大会を目指す。その後山ほど出現した“吹奏楽小説”の最高傑作。中高の国語入試や模試でさかんに使われたことでも有名になった。
◆奥泉光『シューマンの指』(講談社文庫) 2010年初出。指を切断したはずなのに演奏している? 全編がシューマン愛に満ち溢れた、幻想ミステリ文学。
◆丸谷才一『持ち重りする薔薇の花』(新潮文庫) 2011年初出。どう読んでも東京クヮルテットがモデル(としか思えない)の弦楽四重奏団の、愛憎入り混じる30年間の物語。
◆恩田陸『蜜蜂と遠雷』(幻冬舎文庫) 2016年初出。浜松国際ピアノコンクールをモデルにした、ピアノ・コンペティション・ストーリー。直木賞・本屋大賞W受賞のベストセラー。
◆佐藤亜紀 『スウィングしなけりゃ意味がない』(角川文庫) 2017年初出。戦時中のドイツで、敵性音楽のアメリカ・スウィング・ジャズに熱狂する若者の青春ストーリー。
◆安壇美緒『ラブカは静かに弓を持つ』(集英社) 2022年初出。JASRAC(日本音楽著作権協会)とヤマハ音楽教室の著作権使用料請求攻防戦をモデルにした“潜入”ストーリー。大藪晴彦賞、未来屋小説大賞受賞。
【海外小説】
◆メーリケ/宮下健三ほか訳『旅の日のモーツァルト』(岩波文庫) 1856年原著初出。《ドン・ジョバンニ》初演のため、プラハへ向かうモーツァルト夫妻が途中で立ち寄った貴族宅での2日間を描く。どこか『アマデウス』に低通しながら、見事な芸術家小説になっている。みんなでサリエリやダ・ポンテをからかってアドリブでうたうシーンは傑作!
◆アンソニー・パージェス/乾信一郎訳『時計じかけのオレンジ』完全版(ハヤカワepi文庫)1962年原著(削除版)初出。ベートーヴェン《第九》を愛する超暴力少年の抵抗。映画をしのぐすさまじい描写(映画は削除版が原作だったので、ラストが原作とは異なる)。著者は作曲家でもある。
◆バーバラ・ポール/中川法江訳『気ままなプリマドンナ』(扶桑社ミステリー文庫) 1986年邦訳初出、91年再刊。メトロポリタン歌劇場で起きたアンモニア混入事件に、実在の名歌手ジェラルディン・ファーラーが(一人称で!)挑む。愛人だったトスカニーニやカルーソーも登場。なぜ日本にはこういう洒落た音楽小説がないのか。
◆エシュノーズ/関口涼子訳『ラヴェル』(みすず書房) 2007年邦訳初出。栄光と悲劇が入り混じったラヴェル最期の10年を描く。関口さんはのちに日本翻訳大賞を受賞。
◆ティツィアーノ・スカルパ/中山エツコ訳『スターバト・マーテル』(河出書房新社) 2011年邦訳初出。教え子(養育院の孤児)の視点で、司祭でもあった師ヴィヴァルディを描く純文学小説。ストレーガ賞受賞作。
◆フレドゥン・キアンプール/酒寄進一訳『幽霊ピアニスト事件』 (創元推理文庫) 2011年旧題邦訳初出。ナチスドイツの時代に死んだピアニストが現代に蘇って、音大生たちと数々の謎に挑む。ありがちなコミカル小説かと思いきや、意外な感動が。熱心なファンがいたせいか、改題して復刊した(初出邦題『この世の涯てまで、よろしく』)。
◆ポール・アダム/青木悦子訳『ヴァイオリン職人の探求と推理』 (創元推理文庫) 2014年邦訳初出。ヴァイオリン職人の周囲で起きる怪事件。かなり本格的な音楽ミステリ小説で、特に弦楽四重奏好きにはたまらない設定。海外ではシリーズ2作で売れ止まったものの、日本のファンのために第3作目が書かれた。
◆フェデリーコ・マリア・サルデッリ/関口英子・栗原俊秀訳『失われた手稿譜~ヴィヴァルディをめぐる物語』(東京創元社) 2018年邦訳初刊。実話をもとにしたノンフィクション・ノヴェル。借金まみれで死んだヴィヴァルディの幻の手稿譜が20世紀になって出現するミステリ。
かように「音楽本」は芳醇な世界なのですが、あまりにきりがないので、今回は、これぎり。
次回は「ノンフィクション編」を。
※紹介した本は「絶版」でも「古書」で入手容易だったり、「電子出版」などもあるので、検索でご確認ください。
◇日本音楽本大賞ウェブサイトは、こちら。クラウドファウンディング呼びかけ中です。
2023.02.22 (Wed)
第382回 松本零士さんの閉じなかった「指環」

▲松本さんがジャケットを描いた吹奏楽CD『IN 吹奏楽』(TVドラマ音楽集)
(松沼俊彦指揮、東京佼成ウインドオーケストラ/解説:富樫鉄火 )
※すでに廃盤ですが、アマゾン・ミュージックなどの配信DLあり。
松本零士さん(1938~2023)は、福岡の久留米で生まれた。父親が陸軍航空隊のテスト・パイロットだった関係で、戦時中は各地を転々としていたが、終戦時(小学校3年)に小倉(現在の北九州市)に移り、以後、高校を卒業して上京するまで、小倉で育った。
終戦直後、道端に、いまでいう粗大ゴミの山がよく積まれていた。戦死したひとの遺品だった。
あるとき、松本さんは、そのゴミの山のなかから、大量のSPレコードを拾ってくる。家で蓄音機にかけると、地の底からうめくようなオーケストラの音が響いてきた。ワーグナーの〈ジークフリートの葬送行進曲〉だった。超大作《ニーベルングの指環》四部作の最終曲《神々の黄昏》の音楽だ。
これがきっかけで、松本さんは、クラシック、特にワーグナーに魅せられるようになるのだった。
1990年ころのことだったと思う。
上記の体験談を、すでに何かで読んで知っていたあたしは、松本さんに、「《ニーベルングの指環》をSF漫画にしてみませんか」と提案してみた(すでに何回かお会いして、ワーグナー話などで意気投合していた)。
このとき、松本さんが視線を合わせて目がキラリと真剣に光ったのを、いまでも覚えている。松本さんはサービス精神満点の方なので、リップサービスも多い。どんな話でも、笑顔で、いかにも乗り気のように応じてくれる。だがそれらはほとんどが”サービス”で、そう簡単には実現するものではない。しかし、”本気”になったときは、視線を合わせて目がキラリと光るのだ。
さっそく、話は進んだ。
「宇宙を統一できる指環の所有権をめぐって、神々の一族と、人間たちが争奪戦を繰り広げる話にしましょう」
お互い、ワーグナー・マニア、特に《ニーベルングの指環》好きとあって、話はいつまでも終わらなかった。あんなに楽しかった打合せは、あとにも先にもない。
「人間側は、ハーロック、トチロー、エメラルダス、メーテルたちのオールスターでいきましょう。彼らの幼少時代も描いてみましょうか」
これは夢のような漫画になると思い、当時30歳代そこそこのあたしは、興奮しっぱなしだった。だが、あたしの勤務する出版社には、当時、漫画連載ができる媒体がなかった。
すると松本さんは、「描き下ろしでやりますよ」なんて平然と言う。当時、松本さんは、佼成出版社から250頁余の描き下ろし『平賀源内 明日から来た影』を出していたので、「もしかしたら、描き下ろしでいけるかも……」と期待したが、やはり無理だった。
そんなとき、同僚が、「知り合いの雑誌『中古車ファン』が、漫画連載を検討しているよ」と教えてくれ、相談にいったところ、トントン拍子で話が決まった。松本さんもクラシック・カー好きだったので、快諾していただけた。
こうして、同誌で『ニーベルングの指環:第1部/ラインの黄金』の連載をはじめてもらった。最初のほうで、トチローがクラシック・カーで宇宙空間を移動している場面があるが、それは、掲載誌の読者サービスであった。
単行本はB5判の大判で、1992年1月に刊行されると着実に売れて、これは社にとっても新規路線になりそうだと期待した。だが、第1部が終わった時点で『中古車ファン』は休刊になってしまった。
すると、同時に、インターネットなる不思議なものが登場した。あたしの会社でもウェブサイトを立ち上げることになったが、最初のうちは、いったい何を載せればいいのか、暗中模索していた。
そこで”松本リング”の続編を連載させてほしい旨を担当部署に相談したところ、即OKが出た。日本初の、「インターネットで読む連載漫画」のスタートだった。だが、当時のサイトには、課金システムも広告収入もまだ十分に確立していなかった。しかし、松本さんに原稿料をお支払いしないわけにはいかない。幸い会社側が「原稿料はサイトの宣伝料」と解釈してくれて、無料公開でいけることになった。
かくして今度はネット上で、”松本リング”第2部『ワルキューレ』、第3部『ジークフリート』とつづいた。原則として毎週更新で、1回が10頁(後半は隔週になった)。具体的な数字は忘れたが、毎週、すごいアクセス数だった。
原稿受け取りは、詳述は避けるが、毎回、壮絶にして凄まじい苦労だった。高精度スキャンのPDFでネット送信できる時代ではない。とにかく直接に大泉学園のお宅までうかがって「原画」現物をいただかないことには、形にならない。いま思い出しても、よくぞ、あのような日々を生き抜いてきたものだと、自分で自分を褒めてやりたくなる(そのほか、時間を間違えるとか、大遅刻とか、ダブルブッキングとかも日常だったが、そんな話はほかでもよく出ているので、省略する)。
だが、毎回、いただいた原画を袋から出して拝見するとき、苦労は一瞬で吹き飛んだ。とにかく言葉では説明できないほど、松本さんの原画は美しい。”零士メーター”と呼ばれる計器盤、漆黒ベタの大宇宙に散らばる点(ホワイト)の星々、見開き2頁にわたって眼前に迫ってくるアルカディア号……。
松本さんのペンは、乗りに乗っていた。ご本人が劇中に登場してトチローたちと酒を酌み交わす面白さ! 少女時代のメーテルとエメラルダスの可愛いこと! 宇宙空間でアルカディア号と銀河鉄道999がすれちがう興奮! 彼方を行く宇宙戦艦ヤマトに敬意を表するトチローたち!
また、パソコン画面でスクロールして閲覧することを配慮した構図にも、毎回、挑戦してくれた。美女の上半身が登場、下へスクロールすると、見事なプロポーションの下半身が登場する。彼方からやってくる宇宙船が次第に近づくコマわりで、下へスクロールすると、今度は向こうへ遠ざかっていくコマが。松本さんは”映像”を、平面の紙とパソコンのスクロール画面で実現させていたのだ。
これほどのサービス精神に満ちた”松本リング”だったが、第3部終了後、あまりにもお仕事が立て込んで、しばらく休載することになり、結局、そのままになってしまった。
お会いするたびに「最終部の《神々の黄昏》まで描かないことには、死んでも死にきれませんよ」とおっしゃって下さっていたのだが、残念でならない。
松本さんとは、ほかにもいろんな話をしたが、視線が合って目がキラリと光ったことが、もう一回あった。『宇宙戦艦ヤマト:プリクエル』の企画だった。あれこれ雑談しているうちに、「ヤマトがイスカンダルへ向けて旅立つまでの前日譚(プリクエル)を描いたら、面白いのではないか」と盛り上がった。
人類は、どうやって南方沖に眠る戦艦大和を引き上げたのか。そして、それをどのようにして宇宙戦艦に改造したのか。その間、ガミラスからの攻撃にどのように耐えていたのか。登場人物は、古代進たちの親の世代が中心になる……。
「ぜひやってみたいですね。もっと早くに思いつくべきでした」
このころ、ヤマトの著作権をめぐって、故西崎義展氏(1934~2010)と”論争”になってはいたが、まだ、正式な訴訟騒ぎにまでは至っていなかったと思う。
なお、この騒動については、松本さんから、何度も、長時間にわたってあれこれと聞いた。だがあたし自身、自信をもって外部に言えるほどの材料はもっていない。ただ、松本さんがかなり早くから、真剣な表情で(それこそ視線を合わせて)「西崎はクスリをやってるんです。たいへん危険です。これが事件になったら、ヤマトそのものが吹っ飛んでしまう。子供たち相手の作品をやってるんですから、クスリは絶対にいけません」と言っていたのが忘れられない。
最初のうちは半信半疑だったが、たしかに後年、彼は覚せい剤取締法違反で二度、逮捕されるのだ(ほかに銃砲刀剣類所持等取締法・火薬類取締法・関税法違反なども)。
松本さんが好きだったフレーズに「遠い時の輪が接するところで、また巡りあえる」がある。実は”松本リング”こそ、それがテーマで、「指環」(リング)をめぐる争いの果て、ラストが、第1作の冒頭につながって、時の輪(指環)が閉じる……そんな予定だった。
いまとなってはかなわないが、ぜひ天上で、完成させてください。楽しい、そしてすばらしい作品をありがとうございました。ゆっくりお休みください。