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2020.06.18 (Thu)

第288回 書評『ベートーヴェンの愛弟子 フェルディナント・リースの数奇なる運命』

かげはら
▲かげはら史帆『ベートーヴェンの愛弟子 
  フェルディナント・リースの数奇なる運命』(春秋社)


 今年はベートーヴェンの生誕250年のアニバーサリーである。だが、残念ながら、新型コロナ禍のせいで、コンサートやイベントは、ほとんど中止になってしまった。こんなわたしでさえ、関係する仕事が2~3あったのだが、すべてキャンセルとなった。
 それでも、沈静化したために、かえって渋く脚光を浴びたコンテンツもある。ノンフィクション『ベートーヴェンの愛弟子 フェルディナント・リースの数奇なる運命』(かげはら史帆、春秋社)も、そのひとつだろう。

 著者は、2018年10月に刊行された『ベートーヴェン捏造 名プロデューサーは嘘をつく』(柏書房)で音楽ファンをアッといわせたライターである。難聴だったベートーヴェンの会話帳に、秘書のシンドラーが、後年、あることないことを書き加え、“伝説”をでっち上げていく様子を、見事に描いていた。
 もっとも、会話帳捏造の事実は、すでに国際学会などで発表されており、これ自体は著者のスクープではない。だがこの書き手のすごいところは、学会報告に頼ることなく、会話帳現物に触れ、現地へも行き、捏造の過程をあらためて再現した点にあった。しかも、つい研究論文的になりがちな話を、適度にドラマチックな筆致を織り交ぜ、本来は相反する「エンタメ」と「研究」を、バランスよくひとつにまとめていた。こういうことのできる書き手は、なかなかいない。

 そんな著者が、第2弾に選んだ題材は、「ベートーヴェンの弟子」、フェルディナント・リース(1784~1838)であった。
 おそらく、よほどのマニアか、あるいはリースのCDを続々リリースし、4コマ漫画までWeb連載していたNaxosのファンでないと、知らない名前だろう。そして、前著の主人公が強烈な個性だったので、今回のリースも、よほど変わった人物なのだろうと思うかもしれない。だがその期待は、いい意味で裏切られる。彼の個性は、オビのコピーでうまく述べられている――〈歴史に埋もれた「楽聖の弟子」は、優しく気丈で冒険心にあふれた音楽家だった〉。いわゆる“とてもいいやつ”なのである。ただし、彼の生きた時代は、古典派からロマン派に至る“変革期”であり、しかもフランス革命と重なっていたため、必然的に荒波を泳ぎ切るような人生となった。

 リースは、宮廷音楽家の息子としてボンに生まれ、ウィーンに出てベートーヴェンの弟子となった。楽聖は、難聴に悩み始めてから、2人だけ、内弟子を取った。ひとりがピアノ教則本でおなじみ、カール・チェルニーで、もうひとりが、本書の主人公、フェルディナント・リースだった。
 ベートーヴェンのもとでは、ピアノのレッスンを受けるほか、マネージャー的な仕事もこなした。その後はピアニストとしてヨーロッパ各地をまわる。その日々は、ちょっとした冒険小説のようでもあり、また、トルストイ『戦争と平和』外伝のようでもある。

 ロンドン時代のリースについては、特に念入りに描かれる。当時、ロンドンでは、ヨハン・ペーター・ザロモンが活躍していた。ハイドンのプロデュースや、モーツァルトの交響曲第41番《ジュピター》の命名者としても知られる興行師である。ロンドン時代のリースは、彼を後ろ盾として、師ベートーヴェンの作品を広めることに奔走していた。ところが、1815年にザロモンが亡くなると、リースは彼の後継者的な立場を自認し、大陸から音楽家を招聘するのである。
 そのひとりが、ドイツのヴァイオリニストで指揮者、ルイ・シュポア(1784~1859)だった。リースの熱心な呼びかけに応じて、1820年2月、シュポアはロンドンへやってくる。本書中では<トルコ風の真っ赤なチョッキを着て颯爽と街に現れ、道ゆく人びとをざわつかせた>とある。ここを読んで、わたしはうれしくなってしまった。

 当時のヨーロッパではトルコ文化が大人気で、トルコ国旗を模したパン「クロワッサン」(三日月)や、トルコ原産の金属打楽器(シンバルやトライアングル)があふれていた。誰もが作曲したトルコ行進曲、モーツァルトの歌芝居《後宮からの逃走》、ベートーヴェンの《第9》第4楽章などがその典型だ。
 実はシュポアもトルコ風音楽を書いており、特に《ノットゥルノ》作品34は、おそらく現代では、“吹奏楽曲”の古典として知られている(東京では、2019年4月、東京佼成ウインドオーケストラが、第143回定期で、クラリネット奏者・指揮者、ポール・メイエの“吹き振り”で演奏している)。モーツァルトの《13管楽器》を思わせる管楽アンサンブル曲だが、副題に〈トルコ風軍楽〉と記されている。

 そんなシュポアがトルコ・ファッションでロンドンへやってきたという。実は彼は「棒」で指揮することを創始したひとでもある。このとき、初めて「棒」の下で演奏したオケ団員たちの様子も、本書では描かれている。
 シュポアの“棒さばき”はリースにも衝撃を与えた。1か月後の演奏会で、リースは「指揮者」としてデビューし、師匠の《運命》を指揮したのだが、このとき初めて、シュポアに倣って「指揮棒」を使ってみた。その結果がどうなったかは……本書をお読みいただきたい。
 なお、このときリースは、もうひとりの音楽家を、なんとしてもロンドンへ招聘したかった。師ベートーヴェンである。しかし、種々の事情で頓挫する。しかし、その結果、生まれたのが《第9》だった。

 そのほか、ロマン派誕生前夜が、真摯な筆致で、生き生きと描かれる。前著のシンドラーのような強烈個性こそないが、まじめに、一生懸命、師匠を信じて生きた生涯は、読んでいて、とても快い。そのうえで、あらためて彼の大量の作品群を聴くとき(ほとんどは、ナクソス・ミュージック・ライブラリーで聴取可能)、いままでよく知らなかったこの作曲家が、友人のように思えてくるだろう。
 リースは1838年1月に53歳で亡くなった。その5か月後に、彼の遺稿文が刊行された。『ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンに関する伝記的覚書』で、楽聖が難聴で悩む姿や、ナポレオン即位の報を聞いて激怒したとの有名挿話は、このなかで初めて描かれたという。没後、おそらく今日まで、リースの名は、この本の著者として有名だった。だがこれからは、そうではない。本書は「作曲家」リースの存在に光をあてた、「世界で最初」の伝記なのだから。

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2020.05.26 (Tue)

第287回 書評『まんが訳 酒呑童子絵巻』

まんが訳 写真


 前回の能・狂言の解説書のなかで、《道成寺》が紹介されていた。その「道成寺」伝説を驚くべきスタイルで取り上げる新書が出た。『まんが訳 酒呑童子絵巻』大塚英志監修/山本忠宏編(ちくま新書)である。

 詳しい方なら、書名や著者名から想像がつくだろう。これは、日文研(国際日本文化研究センター)が所蔵する「絵巻」を、場面ごとに拡大抜粋してコマ割りし、吹き出しを付け、「まんが」風に再構成したものである。素材は、書名でもある「酒呑童子絵巻」のほか、「道成寺縁起」、「土蜘蛛草子」の3本。
 これらのオリジナル絵巻は、日文研のサイトで無料公開されており、自由に閲覧できる。しかも、素晴らしい使い勝手の良さと精度である。だから、いまさら、鮮明度ではるかに落ちる、小さな新書判に印刷された「紙」で観る必要など、ないはずである。

 監修者・大塚英志は、巻末解説で、こう述べる。
<美術館や博物館で絵巻の展示を見ても専門家でない限り簡単に「読む」ことはできない>
 大塚は、従来からある「まんが・アニメの起源=絵巻」説に異議を唱えている(たいへん説得力ある論説だが、あまりに微に入り細に入るので、省略)。だが、現在のまんがは「映画的」手法が使用されており、この手法で絵巻を再現して、現代人に絵巻が「読める」ようにすることには意義がある。つまり、
<このような形式に置き換えると絵巻の、特に「絵」の情報として組み込まれた物語の機微を読み取ることができるはずだ>
 だから、書名には「まんが訳」とあるが、精神は「映画化」なのである。特に、「道成寺縁起」における清姫の微妙な指先、「土蜘蛛草子」での空を飛ぶドクロや、土蜘蛛の体内から出てくる1,990個の死人の首など、たしかに「映画」的にクローズアップされたことで、はっきり伝わってくるものがある(シャレコウベが可愛らしく描かれていて意外だった。むかしの日本人が、死者に対してどのような意識で接していたかがうかがえる)。

 さらに、このように再構成されたことで、絵=物語に、勢いが生まれているような気がした。
 わたしは、若いころ、劇画家のさいとう・たかを氏に、こんな話をうかがって、目からウロコが落ちた経験がある。
「コミックは、見開き2頁が、いっぺんに視野に入ってきます。だから、見開き2頁を基本にしてコマ割り構成をします。特に重要なのは、左頁下の最後のコマ。ここをどういう絵にするかで、頁をめくってもらえるかどうかが決まる」
「さらに、見開き2頁全体が、ノドから小口へ、つまり、真ん中から両外側へ広がるような絵柄、擬音配置を中心にします」
 ノドとは、見開き2頁の真ん中の部分。小口とは、頁の外側方向のことである。
 たしかに、『ゴルゴ13』の任意の箇所を見開き2頁で開くと、ゴルゴの銃口は、ほとんどが、小口に向かっている。右頁だったら右外側に向かって、左頁だったら左外側に向かっており、「ドキューーーーーーン」や「シュッ」などの擬音も、多くはノド(真ん中)から小口(外側)へ向かって描かれているのだ。車や飛行機も、ノドから小口の方向へ走ったり飛んだりしている絵柄が多い。
「これによって、コミックは、小さなコマの連続にもかかわらず、常に、外へ外へと大きく広がるような感覚を生むことができるんです。もちろん、こういうことを最初に考え出したのは、手塚治虫先生ですがね」

 わたしは、後年、アメコミの日本語版を編集したことがあるが、アメリカのコミックには、このような感覚は皆無だった。それどころか、リーフ(連載)では見開き2頁で1枚絵だった大柄の構図を、コミックス(単行本)化の際に、頁調整なのか、平気で真ん中で切って、P.3(左開きなので右頁になる)と、P.4(P.3をめくった左頁)に分割して掲載する、恐るべき編集を見たことがあり、さすがに呆然となった。

 実は、今回の「まんが訳」のコマ割り構成も、上述の”さいとう解説”に、かなり即している。ただし、絵巻は、すべて、右→左の一方通行である。物語は、常に右から左へ動いて行く。だから人物も、顔の多くは左向きに描かれ、安珍を追う清姫も右→左へ走るのである。日本の本は(活字でもまんがでも)縦組みならば、必ず右開きだ。右開きの本では、文章もまんがのコマも右→左へ流れる。だから、絵巻をコマ割りで再構成すると、自然と、コマ内の絵柄も、右→左の流れとなり、絵巻よりも、さらに方向が強調され、勢いのようなものが感じられるのである。
 試しに、上述、清姫の追跡シーンを、日文研サイトのオリジナル絵巻と、「まんが訳」再構成で見比べてほしい。クローズアップが多用されているせいもあるが、明らかに、後者に、現代的な勢いがあることがわかるはずだ。

 往時の絵巻作者は、もしかしたら、まだ当時はなかった「まんが」「映画」的なコマ割り手法の前兆を、自分でも気づかないうちに感じていたのではないか。そんな気にもなる、たいへん楽しい、知的な一冊だった。
<一部敬称略>

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2020.05.20 (Wed)

第286回 書評『教養として学んでおきたい能・狂言』

能狂言

 仕事柄、エンタメ系の入門書やガイドブックには興味があるほうだが、なかなか、これといった本には、お目にかかれない。
 特に代わり映えしないのが、歌舞伎、文楽、能・狂言といった邦楽舞台に関する入門書で、ヴィジュアルが写真かイラストか漫画かのちがい程度で、内容は、ほとんど同じだ。
 ……と思っていたところ、コンパクトながら、まことにユニークな能・狂言のガイドブックが出た。『教養として学んでおきたい能・狂言』(葛西聖司著、マイナビ新書)である。

 著者は元NHKアナウンサーで、現役時代から邦楽番組の名司会者として知られていた。定年退職後は、大学やカルチャーセンターで教鞭をとる「古典芸能解説者」として大活躍だ。わたしも、国立劇場などのトークに何度か接しているが、たいへんな詳しさとわかりやすさに加え、さすがの美しい滑舌・口跡で、これほど聴いて心地よい解説者は、まずいない。

 そんな葛西さんだが、すでに歌舞伎や文楽、能・狂言の解説書は何冊か上梓している。だが今回は「教養として学んでおきたい」と付いているところがミソである。読者層は社会に出て活躍している“大人”だ。若者や初心者に媚びるような筆致は一切ない。「本書を手に取る方なら、ある程度の基礎教養はおありでしょう」と言いたげである。しかし、その筆致に品格があるので、読んでいて嫌味を感じない。こういう文章で入門書を書けるひとは少ない。さすがに、全国放送で不特定多数の視聴者を相手にしてきただけのことはある。

 本書は、まず冒頭で、一般人が触れやすいと思われている「薪能」や「ホール能」(一般ホール公演)にダメ出しする。とにかく「能楽堂へ行け」と説く。
 いまの能楽堂は、室内にあるが、どこも木の香りであふれている。これについては、
<毎日の手入れ、掃除に水や油は厳禁、化学雑巾も使わない。からぶきや糠袋(ぬかぶくろ)などが原則で、日々使い込まれた美しさを保っている>
 わたしが知らなかっただけだと思うが、これには感動した。

 そして<第二章 能が始まります>は、驚くべき文章ではじまる。
<通常の入門書は第二章が「能の歴史」だったり「能の専門用語」だろうが、本書はいきなり鑑賞に入る>
 しかも、
<専門用語の説明は注釈をつけず、本文の中で軽く触れ、それを時折、繰り返すので、まずは実際の舞台や見どころを文字で味わっていただきたい>
 なんと、いきなり、具体的な演目をあげて解説するというのである。
 なるほど、するとおそらく、初心者向きの名作《安宅》《葵上》《道成寺》《土蜘蛛》、あるいは《鞍馬天狗》あたりが挙げられるのだろう……と思いきや、なんと、葛西さんが挙げたのは《国栖》(くず)である。しかも、ほかの演目はナシ。第二章は、《国栖》一本で行くのである。
 わたしは、60余年の人生で、能・狂言は、せいぜい十数回しか観たことがない。歌舞伎と文楽は、すでに生活の一部といっても過言ではないが、能・狂言は、そこまではいかない。よって《国栖》といわれても、なんとなく、そんな演目があったなあと感じる程度で、もちろん観たことはない。

 国立劇場(日本芸術文化振興会)のデータベースで検索してみると、2000年代に入ってから、国立能楽堂での《国栖》の上演回数は「5回」である。ほぼ4年に1回だ(もちろん、民間能楽堂での上演も入れればもっとあるだろうが)。
 著者自身も、こう書いている。
<《国栖》は、どの能楽入門書にも必ず載っているような有名曲ではない。なぜ解説する最初の作品に、あえてこの作品を選んだのか。この作品には能を楽しむ要素が満載だと思うからだ>
 こういうところが、並みの入門書とはちがい、あえて基礎教養のある“大人”を対象にしている所以だろう。わたしが編集者だったら「葛西さん、《国栖》なんて、めったに観られないでしょう。もっとポピュラーな作品にしてくださいよ」と文句をつけたと思う。だが、そうしなかった著者もすごいし、これを通した編集者もえらいと思う。
 もちろん、後段で、《国栖》以外の名作も、ちゃんと紹介される。ただし、その紹介の仕方が、これまた尋常ではない。特に《安宅》と《道成寺》の項を読んで、いますぐ観に行きたくならないひとは、まずいないだろう。いままでの入門書は、なんだったのかと、呆然となる。

 そのほか、本書の魅力を挙げだすときりがないが、もう一点だけ。
 この種の本には、「他人の言に頼らず、自分の目と耳でいいと感じることが重要だ」みたいなことが、よく書かれている。だが葛西さんは、ある意味で逆の主張を述べる。人間国宝、文化功労者、文化勲章などの「栄誉報道」に関心を持つことを薦めるのだ。そして記事中の「贈賞理由」に注意せよと説く。そのほか、評論家による能評を読むことも薦めている。
<なぜ、この人を能楽評論家や識者が褒めるのかを、みなさんは自分の目で、耳で確かめられる幸いを、味わってほしい>
 「自分の目と耳」の意味が、いままでの解説書とは、ちがうのである。


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2020.02.05 (Wed)

第269回 『カサンドラ・クロス』と『ペスト』

かさぺすと
▲ともに「病原菌」とたたかう、映画と本


 まったくの雑談であります。
 昨今の新型肺炎の騒ぎで、ある世代より上に、映画『カサンドラ・クロス』(ジョルジ・パン・コスマトス監督、1976年)を思い出したひとも多いと思う。1970年代に大流行したパニック映画のひとつで、欧米の大スターが大挙出演、世界中で大ヒットした。
 ジェリー・ゴールドスミス(1929~2004)の音楽も素晴らしく、彼の代表作のひとつといっても過言ではないと思う。

 ジュネーヴのWHO本部に、3人のテロリストが侵入し、ガードマンと銃撃戦になる。2人は射殺されるが、残る1人が、実験用にアメリカが保存していた強力な細菌兵器の容器を破壊してしまい、感染したまま逃走する。その男が、ストックホルム行きの大陸横断鉄道へ乗り込んだことから、事態は深刻化する。
 列車には1,000人もの乗客がいた。やがて犯人に症状があらわれ、あっという間に死亡する。おそろしい感染力と威力だった。乗客にも、次々と症状があらわれる。
 焦ったアメリカ政府は、列車を密閉封鎖し、ポーランドの廃線に追い込む。その先にはすでに朽ちかけた「カサンドラ・クロッシング橋梁」がある。事故に見せかけて、列車もろとも渓谷に落下させて闇に葬ろうというのだ。
 それを察知した乗客たちは、結束して、なんとか「カサンドラ・クロッシング」を回避しようと奮闘するのだが……。

 途中、ニュルンベルク駅で、深夜に止められた列車が、完全防護の兵士たちによってすべての窓やドアを密閉、完全封鎖されるシーンがある。CGのない時代、手づくりの実写で撮影された画面は、まさに最近、ニュース映像で見る中国や、足止めクルーズ船の風景にそっくりで、映画の予言性に驚かされた。

 ほかにも、エボラ出血熱をモデルにした映画『アウトブレイク』(ウォルフガング・ペーターゼン監督、1995年)があった。そのヒントとなった(当初は、これを映画化する予定だった)ノンフィクション『ホット・ゾーン』(リチャード・プレストン著、1994年刊)も、昨年、アメリカでTVミニ・シリーズ化されたばかりだ。

 “病原菌と闘うひとびと”を描いたものは、小説にも多い、
 たとえば、のちに『ジュラシック・パーク』を書くマイクル・クライトン(1942~2008)の出世作が、『アンドロメダ病原体』(1969年)だった。
 砂漠のなかの小さな町に、宇宙から謎の病原体が飛来。住民は全滅する。だが、なぜか、酒呑みの老人と、生後2か月の赤ん坊の2人だけが、平然と生きていた。
 物語は、いかにも科学小説家クライトンらしく、この2人が生き残った仕組みを、医学レポートさながらの筆致で解いてゆく。1971年に、名匠ロバート・ワイズによって『アンドロメダ...』として映画化されている。
 医学小説の大ベテラン、ロビン・クック(1940~)にも『アウトブレイク 感染』(1987年)や、『コンテイジョン 伝染』(1995年)などがある。

 だが、“病原菌小説”の白眉は、やはり、ノーベル賞作家、カミュの『ペスト』(1947年)だろう。
 フランス領アルジェリアのオラン市でペストが発生する。町は完全封鎖され、医師リウーを中心に、ペストと格闘するひとびとの群像ドラマが展開する。
 ――と書くと、ヒューマニティあふれる熱い小説のように思われるかもしれないが、一筋縄でいく作品ではない。筆致はおそろしく冷静で、内省的な描写が多いので、重苦しく、少なくとも次々と頁をめくれるような「面白い」小説ではない。
 わたしは文芸評論家ではないので、これは孫引きなのだが、ここでのペスト禍は、ナチス・ドイツによるユダヤ人迫害・虐殺の隠喩だと、よく解説される。そして、小説全体が、「不条理」に抗う一般市民の姿を描いているのだ、とも。

 実は、冒頭で述べた映画『カサンドラ・クロス』にも、ナチスによるユダヤ人迫害のイメージが登場する。
 感染列車が送り込まれたポーランドの廃線は、第2次世界大戦中に、ユダヤ人を強制収容所へとどける路線だった。それに気づいたユダヤ人の老人乗客が、戦時中の悪夢を思い出して錯乱状態になる。つまりこの映画は、病原菌に襲われ、抗う現代人の姿に、ユダヤ人迫害の歴史を重ね合わせているのだ。そのあたりが、数多くつくられたパニック映画とひと味ちがう点であった。

 ノーベル賞作家の純文学作品と、娯楽パニック映画を同列に論じることはできないが、見えない敵=病原菌とたたかう姿は、どこか、ジェノサイド(集団殺害)への抵抗を想起させるのかもしれない。今回は、発生源が“管理国家”中国だったため、どこか不気味というか、発表されるデータや状況に信用しきれない部分があり、なおさら、そんなイメージをもたされた。
 アマゾンで、『ペスト』が、突如、フランス文学で売れ行き第1位になったのも(2月5日現在)、そのせいかもしれない。
<敬称略>

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2020.01.16 (Thu)

第264回 書評『劇場建築とイス』

劇場建築とイス
▲『劇場建築とイス』(ブックエンド刊、3,000円+税)


 本書は、日本の劇場建築を、「イス」(客席)の視点を取り入れながら振り返るユニークな写真集で、コンサート・ゴーアーには、たまらない一冊である。

 ところが、カバーにも中トビラにも、一切、著者名も監修者名もない珍しい本で、いったい、誰が書いた(まとめた)本なのかと、奥付を見ると「企画・監修/コトブキシーティング・アーカイブ」とある(著者名なしで、取次を通ったのだろうか?)。
 不勉強ながら初耳の会社だったので、「コトブキシーティング」社のHPを見ると、1914(大正3)年創業の老舗で、「ホール・劇場・学校・スタジアム・映画館など、公共施設のイスやカプセルベットの製造・販売」の会社だという。要するに、日本中の劇場のイスを開発・製作納入している「イス会社」なのだ。創業100年の際に、社内の記録写真をアーカイブ化したので、それらを集めたのが、本書らしい。「その多くは、客席イスの納品時に記録として撮影されたもの」とあるので、ここに紹介された約60の劇場・ホールのイスは、すべて、同社の製品なのだろう。

 収録劇場は、竣工順に4つのグループに分けて構成されている。
 冒頭は1961年竣工の、東京文化会館である。設計は前川國男(改修も同事務所)。約2300席だが「この規模であれだけ見やすい劇場をつくることはとても難しく、客席が六角形になっているところに秘密がある」という。
 この解説文は、伊東正示(株式会社シアターワークショップ代表取締役)によるものだが、たいへん面白い。
 たとえば、「イスの幅は広すぎず、どこか身体どうしが隣の人と接触しているくらいのほうが、適している」そうで、「ほぼ同じ時期に建設が進んでいたサントリー・ホールの幅が52センチに対し、銀座セゾン劇場は49センチで、3センチ狭くなっている。しかし、この劇場が狭くて居心地が悪いという声は聞いたことがない。一体感と演劇のもつ重要な要素とイスが大きく関わっているということを、この劇場づくりのなかで初めて学んだ」という。
 なるほど、演劇劇場のイスとは、そういうものなのだ。

 ちなみに東京文化会館大ホールのイスは、赤地だが、所々に黄・青・緑が混じっている。これは花畑をイメージしたそうで、空席を目立たなくする効果もあるという。先日竣工した新国立競技場がこのコンセプトを取り入れて、いつでも満席のように見えるのを売り物にしているが、先例はここにあったのだ(本年のビュッフェ・クランポンのカレンダーに、故・木之下晃撮影の東京文化会館客席の写真が使用されているが、「花畑」のイメージが見事にとらえられている)。

 本書では、そのあと、帝国劇場、大阪市中央公会堂、ロームシアター京都(旧京都会館)、日生劇場……とつづく。
 日生劇場の客席を舞台上から俯瞰した写真は、天井に埋め込まれた美しい2万枚のアコヤ貝が圧巻だ。1963年に村野藤吾の設計、ベルリン・ドイツ・オペラ《フィデリオ》(カール・ベーム指揮)で開場した名門劇場だが、2015~16年に全面改修した。そのコンセプトは「変えないリニューアル」だったそうで、小学生のころ、劇団四季こどもミュージカル《オズの魔法使い》で初めて入った、あのときのイメージがいまでも保たれている理由は、そこにあったのだ。

 そのほか、おなじみサントリー・ホールやオーチャード・ホール、東京芸術劇場、ミューザ川崎、横浜みなとみらいホールなども登場するが、後半になると、地方の劇場・ホールが続々登場する。
 「由利本荘市文化交流館カダーレ」(秋田県由利本荘市)の宇宙船をイメージした客席空間や、「島根県芸術文化センター/グラントワ」(島根県益田市)の美しい客席配置など、一度は座ってみたいと思わせる劇場ばかりだ。なかには座席が可動式の劇場も多く(コトブキシーティングの得意分野らしい)、多面的な使用に耐えうる新しい劇場は、いまや地方に多いこともよくわかる。

 なお、わたしもヴィジュアル本はずいぶんつくってきたが、見開き2頁で1枚の写真をドーンと見せる際、ノド(見開きの中央、綴じの部分)の処理には、何度も悩まされてきた。通常の製本では、ノド部分を完全に見開きにすることは不可能で(無理に開くと、背が割れる)、よって、写真の中央部分が、どうしてもキチンと見えない。ノドの左右に各3㎜程度の白味を入れたり、あるいは、ノドの中央部分をダブらせたりしてみたが、いずれもピッタリこなかった。
 本書も同様で、特に東京文化会館や帝国劇場、日生劇場、愛知県芸術劇場などの見開きの美しい写真は、ノドに邪魔されずに見たかった(PUR製本など、特殊な製本にするしかないのだが)。
 それほど、特定企業のアーカイブ(記録)にしては豪華で美しい写真が連続して登場する本である。

 余談だが、わたしは、文京シビックホールの、あの不思議なイスについて、知りたくてたまらない(本書に掲載されていないので、コトブキシーティングの製品ではないようだ)。あの形状が人間工学的に優れていると聞いたこともあるのだが、それでも、日本管楽合奏コンテストで半日座っていたら、「尻」の尾てい骨のあたりがひどく痛くなった(ふつうは、長く座っていると、「腰」が痛くなるものだが)。
 もし本書に続編があったら、他社製品だとしても、少しでいいから言及解説を期待したい。
<敬称略>

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