fc2ブログ
2023年12月 / 11月≪ 12345678910111213141516171819202122232425262728293031≫01月

2018.04.10 (Tue)

第196回 TVアニメ『赤毛のアン』

赤毛のアン
▲アニメブック『赤毛のアン』(演出:高畑勲、1992年、新潮社刊)


 1980年代末から90年代前半にかけて、アニメ関係の仕事に携わっていた時期がある。その中に、TVアニメ『赤毛のアン』(1979年放映)のアニメブック編集があった。アニメの画面をコマの中にはめこんでネーム(フキダシ)を加え、マンガとして楽しむ本である。フィルムコミックなどとも呼ばれた。
 いまのようなパソコンやデジタル技術のない時代だったから、たいへんな作業だった。製作会社に全回のプリントを焼いてもらい、VHSビデオと台本と原作本を照らし合わせながら、コマ割り構成を組み立て、必要なカットをハサミで切り出し、版下に指定し、ネーム(セリフ)を写植で貼りつけていった(この煩雑な現場を見事に統括してくださったのが、ホラー漫画の巨匠、日野日出志さんだった)。
 わたしは、このとき、初めて、アニメ『赤毛のアン』を観たのだが、その構成や演出に、驚いてしまった(初回放映時は、わたしは大学生で、さすがに観ていなかった)。
 脚本・演出は、さきごろ逝去された、高畑勲監督である。回によっては、共同脚本・演出だが、ほぼすべての回に高畑監督がかかわっていた。ちなみにシリーズ前半の場面設定は宮崎駿監督である。

 ご存知のかたも多いと思うが、モンゴメリの『赤毛のアン』は、全部で38章だての連作風の小説である。それを、TVアニメは、1年間、全50回(1回が正味25分弱)をかけて、ストーリーもセリフも、ほぼ原作どおりに描いている。しかもいくつかの箇所は、原作以上にじっくりと描かれており、この「じっくり」が素晴らしかった。
 たとえば、第1回で、アンが、馬車でグリーンゲイブルズへ向かいながら、途中、「りんごの並木道」で、その美しさに感動する有名なシーンがある。原作でわずか十数行のこのシーンを、アニメでは、ものすごい枚数を使って、絢爛豪華なファンタジー・シーンに仕立てていた。初回放映時、TVの前の少女たちは、このシーンに心を奪われたことだろう(この第1回は、製作会社の日本アニメーションが公式にYOUTUBEで公開しているので、ぜひご覧いただきたい)。
 また、第3回のラスト、アンがマリラに連れられ、(孤児院へ送り返されるために)馬車でスペンサー夫人のもとへ出発するシーン。アンは、もうこれで二度と戻ってこられないと思い、泣きながら「さようなら、ボニー!」「さようなら、雪の女王様!」「さようなら、おじさん!」と叫ぶ。残されたマシューは、言葉もなく、あとを追おうとして駆け出し、つまずく。早くも第3回で視聴者を泣かせた名シーンである。
 だが、原作に、こんなシーンは、ない。ただ、マリラが振り返ると「しゃくにさわるマシュウが門によりかかって、うらさびしげに二人を見送っているのが目に映った」(村岡花子訳=新潮文庫版)とあるだけで、マシューは追いかけないし、アンも泣き叫んだりしていない。これは「創作」なのだ。

 実は、小説『赤毛のアン』は、少女が主人公なので、ジュニア向け小説だと思われているが、かなりの部分が、育ての親であるマシューとマリラ兄妹を中心とした、おとなの視点で描かれている。また、集英社文庫版(松本侑子訳)で強調されているように、全編に、聖書や、あらゆる西洋文学の名文、詩文がちりばめられている。『赤毛のアン』は、「おとなの文学」でもあるのだ。
 この点は、高畑監督も見抜いていて、「もし女の子の立場から書いたら、それは少女マンガの原作になったか、いわゆる少女小説にしかならなかったと思うんですね。ところがモンゴメリという人はですね、そこに終わらせていない。批判に耐え得る人物を創っているということでしょう」と述べている(高畑勲著『映画を作りながら考えたこと』文春文庫より)
 そんな「おとなの文学」を、毎週日曜日の19時半にアニメにして全国放映するとなれば、視聴者はこども(少女)が多いだろうから、それなりに脚色しなければならない。そのため、原作では少ない、「アンの視点」が多く盛り込まれることになった。先に挙げた2つの例は、まさに、「アンの視点」である。
 わたしは、アニメブックを編集しながら、なるほど、「脚色」とは、こういうことなのかと、感動したものだった。
 
 TVアニメ『赤毛のアン』で、もうひとつ驚いたのは、主題歌である。
 オープニング曲《きこえるかしら》、エンディング曲《さめない夢》、さらに、劇中に時折ながれるうた……あまりにレベルが高く、唖然となった。普通、アニメ主題歌といえば、みんなで一緒に口ずさめる曲調が多いものだが、これはとても無理だった。ほとんど「歌曲」であった。旋律の途中で、バックの「管弦楽」が主役になる部分もあった。よく聴くと、たいへん込み入ったスコアリングだ。公式アップされた映像でご確認いただきたい。
 作曲は、三善晃(1933~2013)である(岸田衿子作詞、大和田りつこ歌)。たしかこれが、三善晃唯一のTVアニメ主題歌だったのではないか(ちなみに作詞の岸田衿子=1921~2011=は、詩人・童話作家。劇作家・岸田國士の長女、女優の故・岸田今日子の姉で、戦後の2大詩人、谷川俊太郎・田村隆一の、それぞれ妻だった時期がある。ほかに『アルプスの少女ハイジ』『フランダースの犬』『あらいぐまラスカル』などの主題歌も彼女の作詞)。

 アニメブック編集のころ、高畑監督にお会いして、「よく、あんな難しい曲を主題歌にされましたね」と、うっかり聞いてしまったことがある。
 高畑監督は、「ことば」に対する解釈や認識が厳格で、生半可な物言いによる会話を拒むようなところがあった。だから、何回かお会いしているが、おっかなくて、突っ込んだ会話ができなかった。
 このときも、具体的な口調は忘れたが、半ば困惑した表情で、「なにをもって《難しい》というんだか、わかりませんが……」といった意味の返答をされた。
 ただ、そのあと、「あのころ、『翼は心につけて』という教育映画があって、その主題歌が三善晃さんだったんですよ。それがとてもよかったので、お願いしたんです」と教えてくれた(吉原幸子作詞、横井久美子歌)。
 高畑監督については、ほかに直接・間接の思い出がいくつかあり、綴り出せばきりがないが、わたしごときが明かすことでもないので、この程度にしておく。
 
 TVアニメ『赤毛のアン』最終回のラストは、アンが手紙を書くシーンだ。
「わたしはいま、何の後悔もなく、安らぎに満ちて、この世の素晴らしさをほめたたえることができます。ブラウニングのあの一節のように……《神は天にいまし、すべて世はこともなし》」
 原作のファンだったら、ご存知だろう。この最後の詩文が「ブラウニング」の一節だなんて、訳注にはあっても、モンゴメリは原作のどこにも書いていない。
 高畑勲演出の『赤毛のアン』とは、そういう作品だった。
<敬称略>

◆「富樫鉄火のグル新」は、吹奏楽ウェブマガジン「BandPower」生まれです。第132回以前のバックナンバーは、こちら。

◆毎週(土)23時・FMカオン、毎週(日)正午・調布FMにて、「BPラジオ/吹奏楽の世界へようこそ」パーソナリティをやってます。
 パソコンやスマホで聴けます。 内容の詳細や聴き方は、上記「BandPower」で。

◆ミステリを中心とする面白本書評なら、西野智紀さんのブログを。 
 最近、書評サイト「HONZ」でもデビューしています。

17:13  |  TV  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2017.03.08 (Wed)

第182回 「教育勅語のすすめ」

 いま話題の森友学園が運営する幼稚園では、「教育勅語」を園児に朗読だか暗誦だかさせるそうである。
 「教育勅語」と聞くと、忘れられない思い出がある。

 わたしは、1970年代からの約10年間(中学~高校~大学の時期)、テレビ番組「題名のない音楽会」の定期会員となって、公開録画の8~9割がたに通った(隔週金曜日夜、渋谷公会堂にて)。
 もちろん、作曲家の黛敏郎(1929~1997)が企画・司会をつとめていた時期である。

 1977年、この番組で「教育勅語のすすめ」と題する公開録画があった。
 ステージ上には、いつものように東京交響楽団が控えており、さてどんな曲が始まるのかと思いきや、登場したのは10歳くらいの、ひとりの少年であった。
 少年は舞台中央に立ち、客席に向かって、大きな声で朗誦をはじめた。
「ちんおもうにわがこうそこうそう、くにをはじむることこうえんに……」
(朕󠄁惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇󠄁ムルコト宏遠󠄁ニ……)
 「教育勅語」である。
 少年は、カンペを見ることもなく、最後まで見事に朗誦しきった。
 最後に「ぎょめいぎょじ!」(御名御璽)で終わると、客席からいっせいに拍手がおこった。
(会場の大半を占めていた、戦前生まれのシニアにとっては、懐かしかったようである)

 さっそく司会の黛敏郎が登場し、おおむね、こんなことを述べた。
「いまのは、いうまでもなく『教育勅語』です。朗読したのは劇団の子役で、今日のために、わざわざ暗誦してもらいました。しかしお聴きいただいておわかりのように、小学生でも、あのようにすぐに暗誦できる文章なのです」
 そのあと、舞台上には「教育勅語」全文の巨大パネルが登場し、黛が、その由来や、いかに重要なことが述べられているか、そして、いま一般に流布していないことの無念さをえんえんと述べた。
 後半では、オーケストラが何か演奏したはずなのだが、あまりに意表を突くオープニングだったせいか、あとのことはよく覚えていない。
 戦時中の軍歌か愛国歌のような音楽が演奏されたような気がする。

 わたしは当時大学生で、もちろん戦後生まれだが、「教育勅語」は知っていた。
 昭和2年生れの父が、酔った時など、時折、朗誦していたからだ。
「明治天皇がつくらせたんだ。親を大切にして、天皇家を守って、国を発展させろ、というような意味だ。あまり面白くない文章だよな。戦後、占領軍が禁止しちゃったよ」
 最初は、突然「朕」(ちん)なんて言葉が出てくるので面白がったものであるが、さすがに大学生くらいになると、微妙に「危険な文章」であるらしいこともわかっていた。
 それを主題にした番組が、渋谷公会堂で堂々と制作収録されたのだから、驚いてしまった。
 しかし、結局、この番組は放映されなかった。

 その数年後だったと思う。
 今度は「憲法記念日を考える」なる収録があった。
 このときは、ゲストが小説家の井上ひさしだった。
 当時、本好きの大学生にとって、井上ひさしといえば、いまの村上春樹に近い存在だった。
 もしかしたら、護憲派の井上ひさしと、改憲派の黛敏郎が口角泡を飛ばして議論するのではないかと期待して行ったのだが、そうはならなかった。

 冒頭、井上ひさしが、戦争を放棄した戦後憲法の重要さを述べた。
 その間、黛敏郎はいっさい、口をはさまなかった(と思う)。
 そのあと、驚くべき曲が演奏された。
 黛敏郎の作詞・構成・作曲による、カンタータ《憲法はなぜ改正されなければならないか》である。
 どんな曲だったか、もう記憶もおぼろげだが、オーケストラと合唱団による演奏で、芦田伸介のナレーションを中心に進行したことを覚えている。
 果たして以前よりあった曲なのか、この日のために作曲されたのか、よく知らないが、とにかくこのような楽曲が存在していることに、度肝を抜かれてしまった。
 これまた、すさまじい番組だと思った。
 このような曲を演奏する以上、番組としてのバランスが必要となり、護憲派の井上ひさしが呼ばれたわけで、何だか気の毒に思った。
 そして、この回も放送中止になった。

 この2つの放送中止番組を公開録画で観て、どちらも「無理をしているな」と感じた。
 黛敏郎が改憲思想の持ち主であることは有名で、「題名のない音楽会」でも、しばしば思想色の出る回はあったが、それでもこの2回は、会場内の空気が、いつもの収録時とはちがっており、特に無理をしてつくられていると感じたのを、いまでも覚えている。
 黛敏郎の暴走を止められず、内心忸怩たる思いを抱きながら収録にあたったスタッフの思いが、客席に伝播したのではないだろうか。

 幼稚園児に教育勅語を朗誦させることの意義が奈辺にあるのか、わたしごときには何とも言えないが、森友学園のニュースに接していると、この学校法人は「無理をしているな」と強く感じる。
 40年前に渋谷公会堂で感じた空気と、どこか似ているのである。
<敬称略>


◆「富樫鉄火のグル新」は、吹奏楽ウェブマガジン「BandPower」生まれです。第132回以前のバックナンバーは、こちら。

◆毎週(土)23時・FMカオン、毎週(月)23時・調布FMにて、「BPラジオ/吹奏楽の世界へようこそ」案内係をやってます。3月は、「スティーヴ・ライヒ来日記念! ミニマル・ミュージックを聴こう」と、「没後100年、生誕150年! 夏目漱石と吹奏楽?」の2本です。

◆ミステリを中心とする面白本書評なら、西野智紀さんのブログを。 
18:58  |  TV  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2017.02.19 (Sun)

第179回 テレビをほとんど観ないので

無題
▲日刊スポーツのスクープだったらしい。

 例の「出家騒動」で、わたしは、清水富美加なるタレントを初めて知った。
 そのことを周囲に話すと、2~3人、「わたしも知らなかった」と言うひとがいた(すべてわたしと同年配の中高年だが)。
 わたしと彼らに共通しているのは「テレビをほとんど観ない」点である。
 だから清水富美加なんて、知りようがないのである。
 では、「テレビを観ない」で、何を観て(聴いて)いるのか。

 朝は、TBSラジオ「森本毅郎・スタンバイ!」(6:30~8:30)を聴く。
 森本毅郎氏には、週刊誌のデスクを思わせる雰囲気がある。
 誰もが妙に感じている話題を、担当記者に質問しながら、うまく解きほぐしてくれるようなイメージがある。
 そのバランス感覚は、池上彰氏ほど説明しすぎず、佐藤優氏ほど本格的すぎず、見事に中庸を行っている。
 朝、蒲団の中で聴いていると、この「中庸」感覚が心地よく、次第に頭脳が覚醒していく。
 若いころは、朝、テレビのワイドショーを観ていたが、あれは「中庸」ではなく、「押しつけ」である。
 毎朝、やかましい話題を無理やり押しつけられると、思考停止して疲れてしまう。
 そもそも、朝、目覚めてすぐに、目と耳の両方をフル回転させるのは無理がある。

 「森本毅郎・スタンバイ!」は、数年前まで、本の情報に力を入れており、書評家の岡崎武志氏、目黒孝二氏、詩人の荒川洋治氏などがレギュラーだったのだが、すべてなくなってしまったのが残念だ。
 わたしがかかわった本も、ずいぶんと紹介していただいたものだ。

 この番組が終わると、電車で新聞を読みながら、仕事場に向かう。
 昨年3月までは、8時半からのTBSラジオ「大沢悠里のゆうゆうワイド」の冒頭部を聴いてから家を出たのだが、残念ながら終了してしまった。
 後継番組はどうもわたしには合わないので、聴かなくなった。

 仕事場に着いてパソコンを起動させたら、クラシック専門のインターネット・ラジオ局「OTTAVA」を流しっぱなしにする。
 午前中は、ゲレン大嶋氏(三線奏者)の、男でも嫉妬したくなるような爽やかな声の案内でクラシックが流れている。
 午後は、林田直樹、斉藤茂、本田聖嗣各氏の、なかなか突っ込んだ解説でクラシックが流れる。
 本田聖嗣氏はピアニストだがたいへんな博識で、音楽よりも、話のほうが長いんじゃないかと思うくらい、いつまでもしゃべっている。
 時々、息が切れて、ハアハア言っている感じが伝わってくる。
 わたしも素人ながらラジオでしゃべっているので、他人事とは思えない。

 OTTAVAで、聴いたことのない作曲家や楽曲が登場すると、あわてて、NML(ナクソス・ミュージック・ライブラリー)に飛んで、再確認する。
 NMLは、ストリーミングの、会員制CD聴き放題サイトである(現在、786レーベル、約10万枚のCDがストックされている)。
 OTTAVAはナクソスが運営しているので、使用CDの大半は、ナクソス盤である。
 
 NMLに行くと、時折、泥沼にはまり込んで、出られなくなる。
 以前、ショスタコーヴィチの交響曲第10番を聴こうとしたら、30数枚の同曲異演CDがあって(いまはもっと増えている)、最初の2枚で第2楽章を聴き比べてみたら、あまりに面白くて、結局、全部のCDの第2楽章を聴き通してしまったことがある。
 その日は妙に興奮して、仕事が手につかなかったものだ。
 最近では「祝!直木賞受賞! 著者・恩田陸さん監修『蜜蜂と遠雷』登場楽曲プレイリスト」なる企画も展開されている。

 昼間は、そんなふうにOTTAVAやNMLを聴きながら仕事をしているが、時折、YAHOOニュースやツイッターを覗く。
 インターネットTV局「AbemaTV」のニュースを観ることもある。
 火災などが発生すると、ヘリコプターからのライブ中継をえんえんと流しており、不謹慎ながら、つい見入ってしまう。

 時々、全国各地のコミュニティFMを聴く(パソコンやスマホで、「サイマルラジオ」「リッスンラジオ」経由で聴ける)。
 自分の番組が放送されている「FMカオン」「調布FM」はもちろん、選曲センスがいい「FM軽井沢」や「FMうるま」、あるいは、地元CMが楽しい「FMいしがきサンサンラジオ」などを聴く。

 夜は、仕事柄、映画か芝居かコンサートか書店めぐりが多い。
 そして、安酒場で夕食をかねてイッパイやる。
 呑みながら、複数の全国紙夕刊を読む。
 いまの全国紙夕刊は、事実上、カルチャー情報紙なので、わたしのような職業のものには、ネタの宝庫である。
 あまり酔いがまわっていなければ、呑みながら本を読む。
 すると時折、近くの客から「よく酒を呑みながら、本が読めますね。頭に入りますか」と訊かれる。
 酒場で本を読んでいるひとなど、いくらでもいる。
 ただし、「呑み読み」に向いている本と、向いてない本がある。
 『酒場のカウンターでイッパイやりながら読んでもちゃんと頭に入る本ベスト50』なんてガイドブックがあったらいいのに――なんて、ときどき考える。

 スマホ+イヤフォンで音楽を聴きながら呑むこともある。
 わたしの場合、デュファイやフォン・ビンゲン、ジョスカン・デ・プレといった「思い切り古い音楽」か、ライヒ、グラス、クセナキスなどの「思い切り新しい(なるべくミニマルの)音楽」が、「呑み聴き」に合う。
 こういうときもNMLの出番で、酒場に10万枚のプライベートCD棚があるようなものである。
 
 帰宅したら、TBSラジオ「荻上チキ・Session-22」(22:00~23:55)か、NHKラジオ第1「ラジオ深夜便」(23:15~)を聴きながら寝る。
 もう疲れているので、朝とは別の意味で、「目と耳の両方を使う」のはシンドイのである。
 余談だが、昨年、妻子のいる荻上チキ氏に愛人がおり、まるで「一夫多妻」状態だったことを週刊文春が報じた。
 ところが、テレビのワイドショーは、ほとんど取り上げなかった(と、知人が言っていた)。
 もしやこの荻上チキ氏は、例のB系事務所なのかと思いきや、なんと、ワイドショーのスタッフたちは「荻上チキなんて、知らない」「ラジオのひとだから、ニュースにならない」と判断したというのである(と、知人が言っていた)。
 ラジオとは、それほど狭い世界らしいのだ。

 しかしとにかく、こんな生活をしているので、テレビを観ている余裕は、あまりないのである。
 だから清水富美加なんて、知りようがないのである。
<一部敬称略>


 ◆「富樫鉄火のグル新」は、吹奏楽ウェブマガジン「BandPower」生まれです。第132回以前のバックナンバーは、こちら。

◆毎週(土)23時・FMカオン、毎週(月)23時・調布FMにて、「BPラジオ/吹奏楽の世界へようこそ」案内係をやってます。2月は「葛飾北斎を吹奏楽で聴く」と「ありがとう、ナット・ヘントフ」です。

◆ミステリを中心とする面白本書評なら、西野智紀さんのブログを。

 
14:49  |  TV  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2017.01.03 (Tue)

第176回 紅白雑感

「そんなに面白くないなら、観なけりゃいいじゃないか」といわれそうだが、書くこと自体は面白いので、今年も、紅白歌合戦の雑感を書く。

 いまや紅白は「歌合戦」ではなく、低級なヴァラエティ番組に堕している事はいうまでもないが、それにしても、なぜ、ああまで「組み合わせ」にこだわるのだろうか。

◆三山ひろし+けん玉ダンサー(これは、本人が「けん玉人間」だそうなのだが、あれでは、落ち着いて歌が聴けないではないか。今後、彼のことは「歌手」ではなく、「けん玉」でしか記憶に残らない)。
◆天童よしみ+子供のフィギュア・スケート(天童よしみは、笑っても泣いても怒っても表情が変化しない顔面なので、よくわからないのだが、「何であたしが歌っている後ろで子供が躍っているのよ」と言っているような気がした)。
◆香西かおり+橋本マナミの踊り(らしき妙な動作だったが、あれを「セクシー・ダンス」というのは、あまりにも無理があるのではないか)。
◆郷ひろみ+土屋太鳳の踊り(らしき動作だが、少しクラシック・ダンスの雰囲気はあった。あまり気持ちいいものではなかったが、二人で見つめ合ったり抱き合ったりして、少しは「組み合わせ」た意味はあったかもしれない)。
◆五木ひろし+少女歌手たちの場違いなバック(五木は《九頭竜川》なる曲を歌ったが、昔「九頭竜ダム汚職事件」という大スキャンダルがあって、死人まで出ている。石川達三の小説で、映画にもなった『金環蝕』は、この事件がモデルである)。
◆坂本冬美+ダンサー(有名らしいが、私は初めて知った。そもそも、作詞作曲者名の表記が間違っていた。それより、坂本冬美は、昨年、「毎日芸術賞」を受賞しているのだから、そのことをちゃんと告知し、受賞対象アルバム「ENKA~情歌~」中の《女は抱かれて鮎になる》を歌うべきではなかったか)。
 
 かように、とにかく歌に、何か別のものを組み合わせようという魂胆が強すぎて、落ち着いて観ていられない。
 以前、背後で裸踊りを展開されて、あきれ果てた細川たかしが、紅白「卒業」宣言をしたが、もっともである。
 他の歌手も、彼につづいてほしい。
 
 そのほか、レコード大賞を「1億円で買った」ことが(B印の請求書写真付きで)暴かれた、三代目某(フルネームはよくわからない)が、平然と出ているのは、どういうことなのか。
 あんなスキャンダルが発覚したのだから、NHKとしては、落選させるか、そうでなくとも、当人から出場辞退して当然ではないか。
 昨年末にレコード大賞を受賞した西野カナが、B印押しのタレントであることは知られているが、そのせいか、「レコード大賞」の「レ」の字も紹介されなかったのを見ると、どうやら、NHKは、レコード大賞の胡散臭さをはっきり理解しており、かといって、郷ひろみ他の出場を見るまでもなく、B印を無視するわけにもいかず、なんとも紅白も難しい時代になったものだと思わずにいられない。

 AKB48は、連続テレビ小説「あさが来た」の主題歌《365日の紙飛行機》を歌わなかったが、さすがに、往年の名曲、三輪車の《水色の街》とあまりにもそっくりな曲調で(最初聴いたとき、さすがに私も驚いた)、これ以上、そのことを騒がれるのを嫌ったものと思われる。
 NHKドラマの主題歌を歌った歌手が出場しながら、その曲を歌わなかったなんて、初めてじゃないか。
 同じように、「あまちゃん」関連の中継があったが、能年玲奈(のん)の「の」の字でもなく、まあ、事情がわからないでもないが、『シン・ゴジラ』『君の名は。』を出した以上、『この世界の片隅で』も出すべきで、せめて、そちら方面で、あの娘を出してあげるべきではなかったのか。
 NHKは、彼女のおかげで、どれだけ数字を獲得できたか、わかっているはずだ。

 ゆずが、永六輔追悼で《見上げてごらん夜の星を》を歌ったが、なにやら似て非なる歌詞と曲調が挿入されており、いったい、誰が、ああいうひどい企画を許諾したのか、はっきりさせてほしい。
 ベートーヴェンの《第九》第4楽章の途中で、ブラームス1番の第4楽章、あるいは、映画『赤ひげ』のテーマを挿入したら、みんな仰天するだろう、それと同じことだ(そもそも、ゆずは、永六輔と、なにか縁があったのか)。

 miwaなる歌手は、Nコン課題曲を歌ったが、バックの高校生の方が、歌がうまかった。彼女たちだけの歌で聴きたかった。
 松田聖子は、なぜ、ああいう曲を歌わなければならないのか、よくわからなかった。
 渡辺直美とピコ太郎は、たいへん見苦しかった。
 タモリとマツコの扱いもひどかった(タモリには、もっとパイプオルガンを弾いてほしかった)。

 感心したことも多い。
 V6は、意外と歌唱がまともなので、驚いた(まったくピッチが合わないSMAPが出場しなかったのは慶賀の極みだった)。
 絢香の《三日月》、THE YELLOW MONKYの《JAM》なども、たいへん素晴らしい曲で、感動した(確か、どちらも、背後の「組み合わせ」は、なかったと思う)。
 KinKi Kids《硝子の少年》は、歌詞も曲も(松本隆/山下達郎)、日本ポップス史上に残る名曲だが、これが初出場だというので驚いた。

 しかし、概してレベルの低い、落ち着きのないヴァラエティ番組だった。
 ラストの集計結果にも、空いた口が塞がらなかった。
<敬称略>
 
13:14  |  TV  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2016.01.15 (Fri)

第142回 SMAP解散

無題

 SMAP解散騒動は、1月13日(水)の「日刊スポーツ」「スポーツニッポン」のスクープでおおやけになった。
 ここに至る経緯を整理すると、以下のような流れである。 

 きっかけは、昨年の、「週刊文春」2015年1月29日号のインタビュー記事「ジャニーズ女帝 メリー喜多川 怒りの独白5時間」だった。
 ジャニーズ事務所内には、SMAPの「育ての親」飯島三智氏と、嵐やTOKIOを擁する藤島ジュリー景子副社長の2大派閥があり、次期社長を争っているのだという。
 ジュリー副社長は、ジャニーズ事務所を実質的に取り仕切るメリー喜多川副社長の実娘である。

 この記事は、衝撃だった。
 ジャニーズ批判の急先鋒である「週刊文春」のインタビューに、メリー副社長が応じたことだけでも驚きなのに、その発言内容がすごかった。
 
「私の娘が(会社を)継いで何がおかしいの? “次期社長候補”って失礼な。“次期社長”ですよ」
「うちの事務所に派閥があるなら、それは私の管理不足です。(略)飯島を注意します。今日、(飯島氏を)辞めさせますよ」
「もしジュリーと飯島が問題になっているなら、私はジュリーを残します。自分の子だから。飯島は辞めさせます。それしかない」


 SMAPと嵐が共演しないのは、
「だって(共演しようにも)SMAPは踊れないじゃないですか。あなた、タレント見ていて踊りの違いってわからないんですか? それで、そういうことをお書きになったら失礼よ。(SMAPは)踊れる子たちから見れば、踊れません」

 それどころか、インタビューの場に、飯島氏を呼びつけ、「SMAPをつれていっても今日から出て行ってもらう。あなたは辞めなさい」などと叱りつけているのだ。

 この記事を読む限り「関係修復は不可能」「飯島氏はもうジャニーズ事務所にはいられないのでは」と誰もが思った。

 その後、後述「週刊新潮」などによれば、飯島氏が、NHKに対し、昨年の紅白歌合戦の司会に、SMAPを推薦した、ところがそれを知ったメリー副社長が激怒し、「SMAPを司会にするのなら(=飯島氏の言うことを聞くのなら)、ほかのジャニーズのタレントを全部下ろす」と言い出したという。
 NHKは大慌てとなり、謝罪し、(メリー副社長が育てた)近藤真彦がトリに入ったのだという。

 これらの動きを水面下で追っていたのは、「週刊文春」のライバル誌「週刊新潮」だった。
 1月14日(木)発売の号(1月21日号)で、「『SMAP』解散への全内幕」としてスクープ掲載された。

 (木)発売の週刊誌の最終校了は、(火)夕刻である。
 ということは、遅くとも12日(火)早朝には原稿を印刷所へ入れていなければならない。
 記事には、ジャニーズ事務所側の「飯島氏の退職とSMAPの独立問題を協議していますが、現在、交渉中ですから内容に関する回答は差し控えさせていただきます」とのコメントが載っている。

 取材・執筆の追い込みは、おそらく、10日(日)~11日(月・祝)あたりだったろう。
 そのころには「週刊新潮」が何を取材し、どんな記事が載るのか、漏れ伝わっていたはずだ。
 あるいは、ジャニーズ事務所が、一週刊誌にスクープされることを嫌い、リークしたかもしれない。

 かくして、「週刊新潮」発売より1日早く、13日(水)の「日刊スポーツ」「スポーツニッポン」などが先行スクープすることになったのである。
 つまり、今回の件は、世間的にはスポーツ紙のスクープだが、実際は、2つの週刊誌によって火をつけられ、先行していたのである。
 たまたま世に出たタイミングが、スポーツ紙の方が早かっただけなのだ。

 実は私は、これら一連の話は、ずいぶん前に、知人の芸能関係者から、かなり詳しく聞いていた。 
 「そのうち、飯島さんは独立すると思いますよ。どこかの週刊誌がハッキリ書いてくれれば、すぐにスポーツ紙が追随するでしょう。その際、最大の焦点は、SMAPが飯島さんについていくのか、ですね」などと。
 私のような芸能界に無縁の人間が知るくらいだから、芸能マスコミの間では、この話は以前から「常識」だったのだ。
 
 かつて、こんなことがあった。
 月刊「文藝春秋」1974年11月号に、ジャーナリスト・立花隆氏によるレポート「田中角栄研究~その金脈と人脈」が載った。
 立志伝中の大人物と見られていた田中角栄首相が、いかに卑劣な土地転がしでカネを生み出し、そのカネをばらまいて総理の座に登りつめたかが、詳細に描かれていた。
 田中首相は、十分な説明を避けたまま退陣し、その後、アメリカでロッキード事件が発覚、逮捕される。

 当時、上記・立花レポートを読んだ大新聞の政治部記者たちは、口をそろえて「こんなことは、百も承知だ」と言ったという。
 つまり知っていたが書かなかった(書けなかった)というのだ。
 それを、一介の雑誌が書いて、首相を辞任にまで追い込んでしまった。
 大新聞は、一斉に「百も承知だった」ことを、初めて知ったかのように書いて、立花レポートに追随した。
 今回も、何となく、それに似ているような気がする。

 偶然だが、スポーツ紙が「SMAP解散」を報じた13日(水)の産経新聞のコラムで、作家・曽野綾子さんが、こんなことを書いている。

「かつて朝日新聞を代表とする3大全国紙と、大手通信社のうちの1社は、文革以後の中国に関して、私たち作家の書く内容を中国に成り代わって検閲した」
「当時今よりさらにひどい恐怖政治を敷いていた中国のことを、一言でも批判的に書こうとしようものなら、これらの新聞社はその原稿を書き直すようわれわれに命じ、書き手がそれに応じなければ以後その作家には書かせなかった」

 これは、ドイツで、ヒトラーの『わが闘争』が注釈入りで再出版されることに批判的な声があり、それに関しての記述で、曽野さんは、
「悪は善と同じように、真っ向から突きつけ、見せて、学ばせなければならない。戦後の日本は、子供に理想と善だけを教え、悪とは何かを教える機会をほとんどなくしてしまった」
 と綴り、最後に、こう結んでいる。

「中国におべっかを使う波に乗らずに大新聞の卑怯さと闘ったのは、産経新聞社と時事通信社、ならびにかなり多数の雑誌社系の週刊誌であったことは忘れられない」

 いうまでもなく、SMAPが解散するかどうかは、私やBandPowerにとってはどうでもいいことである(もっとも、ミュージックエイトやウィンズスコア、ニュー・サウンズ・イン・ブラスなど、Jポップ吹奏楽の関係者には、少々気にかかる問題かもしれない)。

 だが、これだけ国民に注視される出来事を、最初に報じたのが週刊誌で、そこに他メディアが追随したことを、私たちは、少しばかり覚えておいたほうが、いいと思う。
 今は、漫然と生活していれば勝手に入ってくる、テレビとネットの情報だけで暮らしている人間があまりに多い。
 時々は、そこから脱しないと、曽野さんが述べているように、いつかまた、文革のときと同じような時代が来るような気がする。
 何を大げさなことを、と言われれば返す言葉もないが、人間は、こういうことの繰り返しで、戦争だのテロだのから逃れられなくなっているようにも思えるのだ。
 SMAP解散報道を見ていて、なんとなくだが、そんなことが気になった。


◆「富樫鉄火のグル新」は、吹奏楽ウェブマガジン「BandPower」生まれです。第132回以前のバックナンバーは、こちら。

◆毎週(土)23時、FMカオンにて「BPラジオ/吹奏楽の世界へようこそ」案内係をやってます。パソコンやスマホで聴けます。1月は、カリンニコフ特集と、イスラム特集です。

◆ミステリを中心とする面白本書評なら、西野智紀さんのブログを。


11:48  |  TV  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑
PREV  | BLOGTOP |  NEXT