FC2ブログ
2020年08月 / 07月≪ 12345678910111213141516171819202122232425262728293031≫09月

2019.02.19 (Tue)

第226回 ひとことで言え、大河ドラマ

なめくじ艦隊
▲これを大河ドラマにすればよかったのに。古今亭志ん生『なめくじ艦隊』(ちくま文庫)


 NHK大河ドラマ『いだてん~東京オリムピック噺』が、凄まじい低視聴率である。
 第1回を観たとき、「ずいぶん、ややこしい話だな」とは思ったが、ツイッター上では絶賛の嵐だった。脚本の宮藤官九郎が大人気で、「さすが、クドカン」と、みな大喜びである。
 わたしのような初老には無理らしいが、今年の大河ドラマは幸先よさそうだ……と思った。

 ところが、ツイートの中に「史上最低視聴率は確実」といった主旨の投稿があって、ひときわ、異彩を放っていた。見れば、文芸評論家・作家の小谷野敦氏である。『大河ドラマ入門』(光文社新書)を著しているほどの専門家が、そこまでハッキリ言うとは……だが果たして、事態は、そのとおりとなった(同時に、ツイッター上の声は、世論大勢でないことがはっきりした)。

 低視聴率の原因は、あれこれと挙げられているが、二点だけ、わたしなりに気づいたことがある。
 まず、最初の数回を観て、「ドラマ」ではなく、「ひな壇バラエティ」に近い感覚を覚えたこと。
 民放では、ひな壇にタレントがならんで、ビデオ映像を観ながら、言いたいことを言うバラエティが大人気である。さまざまなタレントや、文化人(っぽいひと)があらわれて、勝手なことを言い、ひとの揚げ足をとって、からかう。
 『いだてん』を観ていると、ドラマ全体が、あのバラエティの空気でできているように感じる。人物の発言や行動の「原理」ではなく、「展開」が重要なようだ。昭和30年代から明治に飛び、すぐに、その逆になる……こういったドタバタした「展開」そのものが、主役になってしまっている。
 バラエティばかり観ている若者にはいいだろうが、シニア以上にはしんどい。

 もう一点は、ドラマの内容が「ひとこと」では言えないこと。
 日曜夜8時は、三世代がそろう時間帯である。しかも全国放送だ。小難しい説明なしで、子供も老人も、ひとことで説明されてわかる話でなければならない。
 『いだてん』の場合は、ひとことで言うと「金栗四三と田畑政治の生涯を、古今亭志ん生の回想で描く」となる。だがこれでは、何が何だかわからない。金栗四三も田畑政治も、ふつうのひとは、知らない。志ん生でさえ、いまの若者は、知らない。

 そこで、もう少し説明を増やすと「日本人として明治45年に初めてオリンピックに出場したマラソン選手・金栗四三と、昭和39年の東京五輪招致に尽力した元朝日新聞記者で水泳指導者の田畑政治――この2人の生涯を、昭和の落語名人・古今亭志ん生の回想で描く」となる。それでも、多くのひとにはピンとこないだろう。「なぜこの2人なのか?」「円谷幸吉や東洋の魔女ではダメなのか?」「志ん生は、彼らと知り合いだったのか?」といった疑問がわく。ファンなら「だってクドカンは志ん生の大ファンだから」と直感するだろうが、では脚本家が近衛秀麿のファンだったら、近衛の回想になるのか(きっとすごい昭和史ドラマになるはずだが)。
 志ん生を描くなら、『なめくじ艦隊』(ちくま文庫)のような抱腹絶倒の自伝があるのだから、これをそのままドラマ化したほうが、絶対に面白い。「志ん生の生涯を描くドラマ」と、ひとことで言える。「秀吉」「信長」「家康」(の生涯を描くドラマ)みたいに。

 ここ1~2年、中公新書で戦乱日本史ものが売れている。『応仁の乱』『観応の擾乱』『承久の乱』――だが、よほど歴史に詳しいひとでないと、知らない戦乱だと思う(わたしも、応仁の乱しか、聞いたことなかった)。では、なぜ、これらは売れたのか。ひとことで内容をあらわす、うまい副題が付いていたからだ。
 「戦国時代を生んだ大乱」(応仁の乱)
 「室町幕府を二つに裂いた足利尊氏・直義兄弟の戦い」(観応の擾乱)
 「真の『武者の世』を告げる大乱」(承久の乱)。
 これなら、わかる。

 いまはなき名コラムニスト、山本夏彦は、しばしば「ひとことで言え」「かいつまんで言え」と述べた。
「NHKは朝のニュースを八十分にすると自慢しているが心得ちがいである。むしろ短かくせよ。ひと口で言え。(略)それがジャーナリストの任務である」(「夏彦の写真コラム」週刊新潮 昭和63年4月7日号)
 この言葉を今年の大河ドラマに捧げたい。 
<敬称一部略>

◆「富樫鉄火のグル新」は、吹奏楽ウェブマガジン「BandPower」生まれです。第132回以前のバックナンバーは、こちら。

◆毎週(土)23時・FMカオン、毎週(日)正午・調布FMにて、「BPラジオ/吹奏楽の世界へようこそ」パーソナリティをやってます。
 パソコンやスマホで聴けます。 内容の詳細や聴き方は、上記「BandPower」で。

◆ミステリを中心とする面白本書評なら、西野智紀さんのブログを。 
 最近、書評サイト「HONZ」でもデビューしています。
スポンサーサイト



12:59  |  TV  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2019.01.04 (Fri)

第221回 平成なんてあったのか

サザン
▲ひさびさに大台を回復した紅白歌合戦。


 以前、本コラムの新年第一弾は「紅白雑感」と決まっていて、(ほんの数人だが)楽しみにしてくれている読者の方もいたのだが、結局、毎年、おなじことばかり書くハメになり(曲も歌手も大半は知らないとか、抱き合わせ企画ばかりで不愉快だとか)、しばらく、やめていた。
 だが、今回は、少しばかり思うところがあるので、ひさしぶりに、書きとめておくことにした。

 東京五輪の前年、1963(昭和38)年の紅白歌合戦で、白組のトリ(三波春夫)の前をつとめたのが植木等だった。
 曲は《どうしてこんなにもてるんだろう》《ホンダラ行進曲》のメドレーで、クレージーのメンバーとともに、ドンチャン騒ぎを繰り広げた。
 この年の平均視聴率は、89.8%(ニールセン)を記録した。まさに植木等は「昭和のお祭り男」であった。
 その植木が、1990(平成2)年、リバイバル・ヒットで20数年ぶりに紅白に出場し、《スーダラ伝説》をうたった。そして、個人別視聴率でトップの56.6%を獲得した。
 植木等は、昭和から平成に橋をかけた視聴率男でもあった。

 昨年末の紅白歌合戦は、「平成最後」が強調されていた。
 ところが、観終わって感じたのは「昭和の残響」だった。
 いうまでもなく、ラストで大暴れした桑田佳祐(62)、ユーミン(64)のせいである。
 そもそも、「大晦日はおせち料理をつくるので」を理由に、過去、紅白出場を辞退していたユーミンが、中継ではなく、NHKホールに来たことが驚きであった。
 あの桑田佳祐のパフォーマンスには賛否両論あるようで、「紅白対決に関係ない企画枠だったのに、桑田のおかげで、白組が最後を締めたように感じられ、一挙に白組有利に傾いた」というのである。
 だが、紅白歌合戦は、いまや、総合バラエティなのであって、紅白対決の票数に真剣さを見出しているものなど、いるわけがない。
 だから、そんなことはどうでもいいのだ。
 問題は、平成最後の紅白を、還暦を過ぎた昭和の2人が締めたことである(強いていえば、その横に82歳の北島三郎がいて、それなりの存在感を醸し出していた)。
 あそこには、平成を象徴する安室奈美恵も、浜崎あゆみも、倖田來未も、初期モーニング娘。も、小室哲哉も、宇多田ヒカルも、SMAPも、いなかった。
 わたしは、あの奇跡の2ショットを観ながら、かつての植木等を思い出し、それどころか、もしかしたら、後ろから井上陽水(70)が、中島みゆき(66)や、竹内まりや(63)を率いて出てくるのではないかと、一瞬、錯覚を覚えかけたほどだ。

 「平成」なんて時代が、あったのだろうか。
 よくいわれるように、やはり、平成は、「昭和の二次会」だったのではないか。
 5月以降、新元号になっても、もうしばらく「昭和の二次会」はつづくのではないか。
 桑田=ユーミンは、そんなことを、あらためて思い出させてくれた。
<敬称略>

◆「富樫鉄火のグル新」は、吹奏楽ウェブマガジン「BandPower」生まれです。第132回以前のバックナンバーは、こちら。

◆毎週(土)23時・FMカオン、毎週(日)正午・調布FMにて、「BPラジオ/吹奏楽の世界へようこそ」パーソナリティをやってます。
 パソコンやスマホで聴けます。 内容の詳細や聴き方は、上記「BandPower」で。

◆ミステリを中心とする面白本書評なら、西野智紀さんのブログを。 
 最近、書評サイト「HONZ」でもデビューしています。
15:48  |  TV  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2018.04.10 (Tue)

第196回 TVアニメ『赤毛のアン』

赤毛のアン
▲アニメブック『赤毛のアン』(演出:高畑勲、1992年、新潮社刊)


 1980年代末から90年代前半にかけて、アニメ関係の仕事に携わっていた時期がある。その中に、TVアニメ『赤毛のアン』(1979年放映)のアニメブック編集があった。アニメの画面をコマの中にはめこんでネーム(フキダシ)を加え、マンガとして楽しむ本である。フィルムコミックなどとも呼ばれた。
 いまのようなパソコンやデジタル技術のない時代だったから、たいへんな作業だった。製作会社に全回のプリントを焼いてもらい、VHSビデオと台本と原作本を照らし合わせながら、コマ割り構成を組み立て、必要なカットをハサミで切り出し、版下に指定し、ネーム(セリフ)を写植で貼りつけていった(この煩雑な現場を見事に統括してくださったのが、ホラー漫画の巨匠、日野日出志さんだった)。
 わたしは、このとき、初めて、アニメ『赤毛のアン』を観たのだが、その構成や演出に、驚いてしまった(初回放映時は、わたしは大学生で、さすがに観ていなかった)。
 脚本・演出は、さきごろ逝去された、高畑勲監督である。回によっては、共同脚本・演出だが、ほぼすべての回に高畑監督がかかわっていた。ちなみにシリーズ前半の場面設定は宮崎駿監督である。

 ご存知のかたも多いと思うが、モンゴメリの『赤毛のアン』は、全部で38章だての連作風の小説である。それを、TVアニメは、1年間、全50回(1回が正味25分弱)をかけて、ストーリーもセリフも、ほぼ原作どおりに描いている。しかもいくつかの箇所は、原作以上にじっくりと描かれており、この「じっくり」が素晴らしかった。
 たとえば、第1回で、アンが、馬車でグリーンゲイブルズへ向かいながら、途中、「りんごの並木道」で、その美しさに感動する有名なシーンがある。原作でわずか十数行のこのシーンを、アニメでは、ものすごい枚数を使って、絢爛豪華なファンタジー・シーンに仕立てていた。初回放映時、TVの前の少女たちは、このシーンに心を奪われたことだろう(この第1回は、製作会社の日本アニメーションが公式にYOUTUBEで公開しているので、ぜひご覧いただきたい)。
 また、第3回のラスト、アンがマリラに連れられ、(孤児院へ送り返されるために)馬車でスペンサー夫人のもとへ出発するシーン。アンは、もうこれで二度と戻ってこられないと思い、泣きながら「さようなら、ボニー!」「さようなら、雪の女王様!」「さようなら、おじさん!」と叫ぶ。残されたマシューは、言葉もなく、あとを追おうとして駆け出し、つまずく。早くも第3回で視聴者を泣かせた名シーンである。
 だが、原作に、こんなシーンは、ない。ただ、マリラが振り返ると「しゃくにさわるマシュウが門によりかかって、うらさびしげに二人を見送っているのが目に映った」(村岡花子訳=新潮文庫版)とあるだけで、マシューは追いかけないし、アンも泣き叫んだりしていない。これは「創作」なのだ。

 実は、小説『赤毛のアン』は、少女が主人公なので、ジュニア向け小説だと思われているが、かなりの部分が、育ての親であるマシューとマリラ兄妹を中心とした、おとなの視点で描かれている。また、集英社文庫版(松本侑子訳)で強調されているように、全編に、聖書や、あらゆる西洋文学の名文、詩文がちりばめられている。『赤毛のアン』は、「おとなの文学」でもあるのだ。
 この点は、高畑監督も見抜いていて、「もし女の子の立場から書いたら、それは少女マンガの原作になったか、いわゆる少女小説にしかならなかったと思うんですね。ところがモンゴメリという人はですね、そこに終わらせていない。批判に耐え得る人物を創っているということでしょう」と述べている(高畑勲著『映画を作りながら考えたこと』文春文庫より)
 そんな「おとなの文学」を、毎週日曜日の19時半にアニメにして全国放映するとなれば、視聴者はこども(少女)が多いだろうから、それなりに脚色しなければならない。そのため、原作では少ない、「アンの視点」が多く盛り込まれることになった。先に挙げた2つの例は、まさに、「アンの視点」である。
 わたしは、アニメブックを編集しながら、なるほど、「脚色」とは、こういうことなのかと、感動したものだった。
 
 TVアニメ『赤毛のアン』で、もうひとつ驚いたのは、主題歌である。
 オープニング曲《きこえるかしら》、エンディング曲《さめない夢》、さらに、劇中に時折ながれるうた……あまりにレベルが高く、唖然となった。普通、アニメ主題歌といえば、みんなで一緒に口ずさめる曲調が多いものだが、これはとても無理だった。ほとんど「歌曲」であった。旋律の途中で、バックの「管弦楽」が主役になる部分もあった。よく聴くと、たいへん込み入ったスコアリングだ。公式アップされた映像でご確認いただきたい。
 作曲は、三善晃(1933~2013)である(岸田衿子作詞、大和田りつこ歌)。たしかこれが、三善晃唯一のTVアニメ主題歌だったのではないか(ちなみに作詞の岸田衿子=1921~2011=は、詩人・童話作家。劇作家・岸田國士の長女、女優の故・岸田今日子の姉で、戦後の2大詩人、谷川俊太郎・田村隆一の、それぞれ妻だった時期がある。ほかに『アルプスの少女ハイジ』『フランダースの犬』『あらいぐまラスカル』などの主題歌も彼女の作詞)。

 アニメブック編集のころ、高畑監督にお会いして、「よく、あんな難しい曲を主題歌にされましたね」と、うっかり聞いてしまったことがある。
 高畑監督は、「ことば」に対する解釈や認識が厳格で、生半可な物言いによる会話を拒むようなところがあった。だから、何回かお会いしているが、おっかなくて、突っ込んだ会話ができなかった。
 このときも、具体的な口調は忘れたが、半ば困惑した表情で、「なにをもって《難しい》というんだか、わかりませんが……」といった意味の返答をされた。
 ただ、そのあと、「あのころ、『翼は心につけて』という教育映画があって、その主題歌が三善晃さんだったんですよ。それがとてもよかったので、お願いしたんです」と教えてくれた(吉原幸子作詞、横井久美子歌)。
 高畑監督については、ほかに直接・間接の思い出がいくつかあり、綴り出せばきりがないが、わたしごときが明かすことでもないので、この程度にしておく。
 
 TVアニメ『赤毛のアン』最終回のラストは、アンが手紙を書くシーンだ。
「わたしはいま、何の後悔もなく、安らぎに満ちて、この世の素晴らしさをほめたたえることができます。ブラウニングのあの一節のように……《神は天にいまし、すべて世はこともなし》」
 原作のファンだったら、ご存知だろう。この最後の詩文が「ブラウニング」の一節だなんて、訳注にはあっても、モンゴメリは原作のどこにも書いていない。
 高畑勲演出の『赤毛のアン』とは、そういう作品だった。
<敬称略>

◆「富樫鉄火のグル新」は、吹奏楽ウェブマガジン「BandPower」生まれです。第132回以前のバックナンバーは、こちら。

◆毎週(土)23時・FMカオン、毎週(日)正午・調布FMにて、「BPラジオ/吹奏楽の世界へようこそ」パーソナリティをやってます。
 パソコンやスマホで聴けます。 内容の詳細や聴き方は、上記「BandPower」で。

◆ミステリを中心とする面白本書評なら、西野智紀さんのブログを。 
 最近、書評サイト「HONZ」でもデビューしています。

17:13  |  TV  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2017.03.08 (Wed)

第182回 「教育勅語のすすめ」

 いま話題の森友学園が運営する幼稚園では、「教育勅語」を園児に朗読だか暗誦だかさせるそうである。
 「教育勅語」と聞くと、忘れられない思い出がある。

 わたしは、1970年代からの約10年間(中学~高校~大学の時期)、テレビ番組「題名のない音楽会」の定期会員となって、公開録画の8~9割がたに通った(隔週金曜日夜、渋谷公会堂にて)。
 もちろん、作曲家の黛敏郎(1929~1997)が企画・司会をつとめていた時期である。

 1977年、この番組で「教育勅語のすすめ」と題する公開録画があった。
 ステージ上には、いつものように東京交響楽団が控えており、さてどんな曲が始まるのかと思いきや、登場したのは10歳くらいの、ひとりの少年であった。
 少年は舞台中央に立ち、客席に向かって、大きな声で朗誦をはじめた。
「ちんおもうにわがこうそこうそう、くにをはじむることこうえんに……」
(朕󠄁惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇󠄁ムルコト宏遠󠄁ニ……)
 「教育勅語」である。
 少年は、カンペを見ることもなく、最後まで見事に朗誦しきった。
 最後に「ぎょめいぎょじ!」(御名御璽)で終わると、客席からいっせいに拍手がおこった。
(会場の大半を占めていた、戦前生まれのシニアにとっては、懐かしかったようである)

 さっそく司会の黛敏郎が登場し、おおむね、こんなことを述べた。
「いまのは、いうまでもなく『教育勅語』です。朗読したのは劇団の子役で、今日のために、わざわざ暗誦してもらいました。しかしお聴きいただいておわかりのように、小学生でも、あのようにすぐに暗誦できる文章なのです」
 そのあと、舞台上には「教育勅語」全文の巨大パネルが登場し、黛が、その由来や、いかに重要なことが述べられているか、そして、いま一般に流布していないことの無念さをえんえんと述べた。
 後半では、オーケストラが何か演奏したはずなのだが、あまりに意表を突くオープニングだったせいか、あとのことはよく覚えていない。
 戦時中の軍歌か愛国歌のような音楽が演奏されたような気がする。

 わたしは当時大学生で、もちろん戦後生まれだが、「教育勅語」は知っていた。
 昭和2年生れの父が、酔った時など、時折、朗誦していたからだ。
「明治天皇がつくらせたんだ。親を大切にして、天皇家を守って、国を発展させろ、というような意味だ。あまり面白くない文章だよな。戦後、占領軍が禁止しちゃったよ」
 最初は、突然「朕」(ちん)なんて言葉が出てくるので面白がったものであるが、さすがに大学生くらいになると、微妙に「危険な文章」であるらしいこともわかっていた。
 それを主題にした番組が、渋谷公会堂で堂々と制作収録されたのだから、驚いてしまった。
 しかし、結局、この番組は放映されなかった。

 その数年後だったと思う。
 今度は「憲法記念日を考える」なる収録があった。
 このときは、ゲストが小説家の井上ひさしだった。
 当時、本好きの大学生にとって、井上ひさしといえば、いまの村上春樹に近い存在だった。
 もしかしたら、護憲派の井上ひさしと、改憲派の黛敏郎が口角泡を飛ばして議論するのではないかと期待して行ったのだが、そうはならなかった。

 冒頭、井上ひさしが、戦争を放棄した戦後憲法の重要さを述べた。
 その間、黛敏郎はいっさい、口をはさまなかった(と思う)。
 そのあと、驚くべき曲が演奏された。
 黛敏郎の作詞・構成・作曲による、カンタータ《憲法はなぜ改正されなければならないか》である。
 どんな曲だったか、もう記憶もおぼろげだが、オーケストラと合唱団による演奏で、芦田伸介のナレーションを中心に進行したことを覚えている。
 果たして以前よりあった曲なのか、この日のために作曲されたのか、よく知らないが、とにかくこのような楽曲が存在していることに、度肝を抜かれてしまった。
 これまた、すさまじい番組だと思った。
 このような曲を演奏する以上、番組としてのバランスが必要となり、護憲派の井上ひさしが呼ばれたわけで、何だか気の毒に思った。
 そして、この回も放送中止になった。

 この2つの放送中止番組を公開録画で観て、どちらも「無理をしているな」と感じた。
 黛敏郎が改憲思想の持ち主であることは有名で、「題名のない音楽会」でも、しばしば思想色の出る回はあったが、それでもこの2回は、会場内の空気が、いつもの収録時とはちがっており、特に無理をしてつくられていると感じたのを、いまでも覚えている。
 黛敏郎の暴走を止められず、内心忸怩たる思いを抱きながら収録にあたったスタッフの思いが、客席に伝播したのではないだろうか。

 幼稚園児に教育勅語を朗誦させることの意義が奈辺にあるのか、わたしごときには何とも言えないが、森友学園のニュースに接していると、この学校法人は「無理をしているな」と強く感じる。
 40年前に渋谷公会堂で感じた空気と、どこか似ているのである。
<敬称略>


◆「富樫鉄火のグル新」は、吹奏楽ウェブマガジン「BandPower」生まれです。第132回以前のバックナンバーは、こちら。

◆毎週(土)23時・FMカオン、毎週(月)23時・調布FMにて、「BPラジオ/吹奏楽の世界へようこそ」案内係をやってます。3月は、「スティーヴ・ライヒ来日記念! ミニマル・ミュージックを聴こう」と、「没後100年、生誕150年! 夏目漱石と吹奏楽?」の2本です。

◆ミステリを中心とする面白本書評なら、西野智紀さんのブログを。 
18:58  |  TV  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2017.02.19 (Sun)

第179回 テレビをほとんど観ないので

無題
▲日刊スポーツのスクープだったらしい。

 例の「出家騒動」で、わたしは、清水富美加なるタレントを初めて知った。
 そのことを周囲に話すと、2~3人、「わたしも知らなかった」と言うひとがいた(すべてわたしと同年配の中高年だが)。
 わたしと彼らに共通しているのは「テレビをほとんど観ない」点である。
 だから清水富美加なんて、知りようがないのである。
 では、「テレビを観ない」で、何を観て(聴いて)いるのか。

 朝は、TBSラジオ「森本毅郎・スタンバイ!」(6:30~8:30)を聴く。
 森本毅郎氏には、週刊誌のデスクを思わせる雰囲気がある。
 誰もが妙に感じている話題を、担当記者に質問しながら、うまく解きほぐしてくれるようなイメージがある。
 そのバランス感覚は、池上彰氏ほど説明しすぎず、佐藤優氏ほど本格的すぎず、見事に中庸を行っている。
 朝、蒲団の中で聴いていると、この「中庸」感覚が心地よく、次第に頭脳が覚醒していく。
 若いころは、朝、テレビのワイドショーを観ていたが、あれは「中庸」ではなく、「押しつけ」である。
 毎朝、やかましい話題を無理やり押しつけられると、思考停止して疲れてしまう。
 そもそも、朝、目覚めてすぐに、目と耳の両方をフル回転させるのは無理がある。

 「森本毅郎・スタンバイ!」は、数年前まで、本の情報に力を入れており、書評家の岡崎武志氏、目黒孝二氏、詩人の荒川洋治氏などがレギュラーだったのだが、すべてなくなってしまったのが残念だ。
 わたしがかかわった本も、ずいぶんと紹介していただいたものだ。

 この番組が終わると、電車で新聞を読みながら、仕事場に向かう。
 昨年3月までは、8時半からのTBSラジオ「大沢悠里のゆうゆうワイド」の冒頭部を聴いてから家を出たのだが、残念ながら終了してしまった。
 後継番組はどうもわたしには合わないので、聴かなくなった。

 仕事場に着いてパソコンを起動させたら、クラシック専門のインターネット・ラジオ局「OTTAVA」を流しっぱなしにする。
 午前中は、ゲレン大嶋氏(三線奏者)の、男でも嫉妬したくなるような爽やかな声の案内でクラシックが流れている。
 午後は、林田直樹、斉藤茂、本田聖嗣各氏の、なかなか突っ込んだ解説でクラシックが流れる。
 本田聖嗣氏はピアニストだがたいへんな博識で、音楽よりも、話のほうが長いんじゃないかと思うくらい、いつまでもしゃべっている。
 時々、息が切れて、ハアハア言っている感じが伝わってくる。
 わたしも素人ながらラジオでしゃべっているので、他人事とは思えない。

 OTTAVAで、聴いたことのない作曲家や楽曲が登場すると、あわてて、NML(ナクソス・ミュージック・ライブラリー)に飛んで、再確認する。
 NMLは、ストリーミングの、会員制CD聴き放題サイトである(現在、786レーベル、約10万枚のCDがストックされている)。
 OTTAVAはナクソスが運営しているので、使用CDの大半は、ナクソス盤である。
 
 NMLに行くと、時折、泥沼にはまり込んで、出られなくなる。
 以前、ショスタコーヴィチの交響曲第10番を聴こうとしたら、30数枚の同曲異演CDがあって(いまはもっと増えている)、最初の2枚で第2楽章を聴き比べてみたら、あまりに面白くて、結局、全部のCDの第2楽章を聴き通してしまったことがある。
 その日は妙に興奮して、仕事が手につかなかったものだ。
 最近では「祝!直木賞受賞! 著者・恩田陸さん監修『蜜蜂と遠雷』登場楽曲プレイリスト」なる企画も展開されている。

 昼間は、そんなふうにOTTAVAやNMLを聴きながら仕事をしているが、時折、YAHOOニュースやツイッターを覗く。
 インターネットTV局「AbemaTV」のニュースを観ることもある。
 火災などが発生すると、ヘリコプターからのライブ中継をえんえんと流しており、不謹慎ながら、つい見入ってしまう。

 時々、全国各地のコミュニティFMを聴く(パソコンやスマホで、「サイマルラジオ」「リッスンラジオ」経由で聴ける)。
 自分の番組が放送されている「FMカオン」「調布FM」はもちろん、選曲センスがいい「FM軽井沢」や「FMうるま」、あるいは、地元CMが楽しい「FMいしがきサンサンラジオ」などを聴く。

 夜は、仕事柄、映画か芝居かコンサートか書店めぐりが多い。
 そして、安酒場で夕食をかねてイッパイやる。
 呑みながら、複数の全国紙夕刊を読む。
 いまの全国紙夕刊は、事実上、カルチャー情報紙なので、わたしのような職業のものには、ネタの宝庫である。
 あまり酔いがまわっていなければ、呑みながら本を読む。
 すると時折、近くの客から「よく酒を呑みながら、本が読めますね。頭に入りますか」と訊かれる。
 酒場で本を読んでいるひとなど、いくらでもいる。
 ただし、「呑み読み」に向いている本と、向いてない本がある。
 『酒場のカウンターでイッパイやりながら読んでもちゃんと頭に入る本ベスト50』なんてガイドブックがあったらいいのに――なんて、ときどき考える。

 スマホ+イヤフォンで音楽を聴きながら呑むこともある。
 わたしの場合、デュファイやフォン・ビンゲン、ジョスカン・デ・プレといった「思い切り古い音楽」か、ライヒ、グラス、クセナキスなどの「思い切り新しい(なるべくミニマルの)音楽」が、「呑み聴き」に合う。
 こういうときもNMLの出番で、酒場に10万枚のプライベートCD棚があるようなものである。
 
 帰宅したら、TBSラジオ「荻上チキ・Session-22」(22:00~23:55)か、NHKラジオ第1「ラジオ深夜便」(23:15~)を聴きながら寝る。
 もう疲れているので、朝とは別の意味で、「目と耳の両方を使う」のはシンドイのである。
 余談だが、昨年、妻子のいる荻上チキ氏に愛人がおり、まるで「一夫多妻」状態だったことを週刊文春が報じた。
 ところが、テレビのワイドショーは、ほとんど取り上げなかった(と、知人が言っていた)。
 もしやこの荻上チキ氏は、例のB系事務所なのかと思いきや、なんと、ワイドショーのスタッフたちは「荻上チキなんて、知らない」「ラジオのひとだから、ニュースにならない」と判断したというのである(と、知人が言っていた)。
 ラジオとは、それほど狭い世界らしいのだ。

 しかしとにかく、こんな生活をしているので、テレビを観ている余裕は、あまりないのである。
 だから清水富美加なんて、知りようがないのである。
<一部敬称略>


 ◆「富樫鉄火のグル新」は、吹奏楽ウェブマガジン「BandPower」生まれです。第132回以前のバックナンバーは、こちら。

◆毎週(土)23時・FMカオン、毎週(月)23時・調布FMにて、「BPラジオ/吹奏楽の世界へようこそ」案内係をやってます。2月は「葛飾北斎を吹奏楽で聴く」と「ありがとう、ナット・ヘントフ」です。

◆ミステリを中心とする面白本書評なら、西野智紀さんのブログを。

 
14:49  |  TV  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑
 | BLOGTOP |  NEXT