2022.10.17 (Mon)
第365回 大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の音楽

▲エバンコール音楽《鎌倉殿の13人》サントラCD
日刊ゲンダイDIGITALに、作曲家の三枝成彰氏が、気になるコラムを寄稿していた(10月8日配信)。タイトルは、「NHK大河『鎌倉殿の13人』“劇伴”への違和感…音楽にもウソが通る社会が反映される」と、挑発的である。
内容を一部抜粋でご紹介する。
〈NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」を見ていると、たびたび驚かされる。その音楽に、聞き覚えのあるメロディーが出てくるからだ。ドボルザークやビバルディなど、クラシックの名曲のメロディーである。〉
〈視聴者の受けも悪くないようで、「感動した」「大河にクラシックは素晴らしい」といった声も多いようだ。〉
〈私はどうにも違和感を禁じ得ない。これだけ引用が多いと意識的にやっていることは明らかで、「たまたま既成の曲と似てしまった」というレベルではない。もとより悪意があるはずもないのだろうが、私などは「剽窃(ひょうせつ)」だと考えてしまう。〉
この文章は、紙幅の関係か、あるいは作曲家のエバン・コール氏に気を使っているのか、少々隔靴掻痒なので、補足しよう。
要するに、あのドラマでは、しばしば、クラシックの有名旋律が、すこしばかり形を変えて流れるのだ(ほぼそのまま流れることもある)。ドヴォルザーク《新世界より》、バッハ《無伴奏チェロ組曲》、ヴィヴァルディ《四季》、オルフ《カルミナ・ブラーナ》……。
原曲を知らなければ「カッコいい音楽だなあ」と感じるかもしれないが、原曲を知っていると、たしかにちょっとビックリするような”変容”が施された曲もあるのだ。
三枝氏は、それらを「剽窃」と感じるという。そして、こう綴るのだ。
〈ここまでくると、劇伴の概念が変わったというより、社会が変わったのだと考えるしかない。ドラマ音楽のひとつにも、変質した社会の影響は必ず反映される。その変化はどこから来たのか? やはり安倍さんが総理大臣に就任して以来のことに思える。〉
〈この国のリーダーたる総理大臣が公の場で平然とウソをつき、閣僚も官僚も、臆面もなくウソをつく。文書を改ざんし、事実を隠蔽し、白を黒、黒を白だと言い張り、事実にしてしまう。/彼らは「ウソが通る社会」をつくり上げ、まがいものを本物だと堂々と言える社会にしてしまった。〉
なんと、『鎌倉殿の13人』の音楽でクラシックが”剽窃”されているのは、安倍総理の誕生が原因だといわんばかりである。わたしは決して安倍政権時代を礼賛する気はないが、それにしたってこれは、あまりに極端な”風が吹けば桶屋が儲かる”論理ではないだろうか。
わたしは、あまり熱心な大河ファンではなかったのだが、歌舞伎・文楽ファンとしては、ここまで「鎌倉」「頼朝」「義経」「北条」「曽我兄弟」といったキイワードを並べられては、さすがに観ないわけにはいかない。むかしから『炎環』『北条政子』など永井路子作品のファンだったせいもあり、今年は、ひさびさにNHKプラスで、全回を視聴している。
そうしたところ、わたしも三枝氏同様、第1回でちょっと驚いた。クライマックス、女装した頼朝が馬で脱出するシーンに、ドヴォルザーク《新世界より》が流れたのだ。しかも、なぜか原曲ではなく、少しばかりいじってある。
わたしは、エバン・コール氏なる作曲家をまったく知らなかったが、オープニング・テーマ(下野竜也指揮、NHK交響楽団)は、なかなかよかった。バークリー音楽院で映像音楽を学び、日本でドラマやアニメの音楽で活躍しているひとだという。
そこで、さっそくサントラCDをじっくり聴いてみた(現在、Vol.1とVo1.2がリリース中)。そうしたところ、”変容クラシック”のオンパレードではないかと、妙な心配もあったのだが、それほどではなく、どれも魅力的な曲ばかりだった。おそらく、ドラマでは、すべてが流れていないだろう。もったいないと思わされる曲も多い。
※演奏は、ブダペスト・スコアリング交響楽団。ここは、ハンガリーの国営レーベル「HUNGAROTON」スタジオを買収したブダペスト・スコアリング社が運営するオーケストラである。指揮のペーテル・イレーニは、映像音楽の人気指揮者で、同交響楽団を指揮して、イギリスの作曲家、オリヴァー・デイヴィスの作品集などもリリースしている。
楽曲イメージの背景には、品のいいアイリッシュやケルトの香りがある。もしかしたら、エバン・コール氏のルーツかもしれない。そこに、時折、エキゾチックな要素がからみ、西洋人の視点によるアジア(日本も中国も一緒)のムードも漂うが、決して安っぽくない。ジョン・バリーの名サントラ《ダンス・ウィズ・ウルヴズ》(米アカデミー作曲賞受賞)を思わせる響きも感じられたが、少なくとも”剽窃”とまでは思えなかった。
そして、ほんの少しだが、たしかに”変容クラシック”もあった。先述のドヴォルザークや、オルフ、ヴィヴァルディなど。だが、これは、明らかに確信犯だ。原曲を熟知したうえで、音楽のお遊びをやっている。剽窃というよりはパロディではないか。過去、さんざん、ドラマやヴァラエティで手垢にまみれた泰西名曲をわざと”変容”して、おおむかしの出来事であっても、結局は、同じことが繰り返される歴史の必然性みたいなことを表現しているような気がした(時折、変えるなら、もっと大掛かりに変容してほしい曲もあるが)。
三枝氏の文章だと、毎回、”変容クラシック”が流れているようにも読めるが、それほどではない。この程度の使用で”剽窃”といっていたら、ジョン・ウィリアムズ《スター・ウォーズ》や、ビル・コンティ《ライトスタッフ》(米アカデミー作曲賞受賞)などは、どうなってしまうのか(前者はホルストが、後者はチャイコフスキーやグラズノフが基調)。
三枝氏には、エバン・コール氏の『鎌倉殿の13人』サントラCDも、ちゃんと聴いてほしかった。
◇エバン・コール作曲《鎌倉殿の13人》メイン・テーマ(下野竜也指揮、NHK交響楽団)
※オープニング映像ですが、クレジットなし。ここでしか観られない珍しいヴァージョンです。
◇日刊ゲンダイDIGITAL/三枝成彰の中高年革命【全文】
◆『東京佼成ウインドオーケストラ60年史』(定価:本体2,800円+税)発売中。ドキュメント部分を執筆しました。全国大型書店、ネット書店などのほか、TKWOのウェブサイトや、バンドパワー・ショップなどでも購入できます。限定出版につき、部数が限られているので、早めの購入をお薦めします。
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◆毎週(木)21時・FMたちかわ/毎週(土)23時・FMカオン(厚木・海老名)/毎週(日)正午・調布FM/毎週(日)・FMはなび(秋田県大仙市)にて、「BPラジオ/吹奏楽の世界へようこそ」パーソナリティをやってます。パソコンやスマホで聴けます。 内容の詳細や聴き方は、上記「BandPower」で。
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2021.03.04 (Thu)
第301回 「五十代には責任がある」~ドラマ『男たちの旅路』

▲ドラマ『男たちの旅路』DVD全5巻

▲サントラLP(音楽:ミッキー吉野)
最近のNHKは見逃し配信をやってくれるので、朝ドラや大河ドラマを、時々、ネット配信で観る。
それで、いまさら思うのだが、昨今のドラマは、どこかつくりがおかしいのではないか。なにやら、こうつくれば盛り上がるとか、こんなふうにすれば話題になるといった、マニュアルみたいなものがあり、それに従ってつくっているとしか思えない。
最初の数回で主人公の幼少時代が描かれる。不遇の環境に負けず、明るく成長する。誰もがハイテンションで、始終、叫んだり怒鳴ったりしている。
人間の自己形成(成長)を描く小説を「ビルドゥングスロマン」と呼ぶが、昨今の大河や朝ドラがそれだと誤解されているのではないかと、不安になる。
放送翌日には、昨夜の回が日本中で話題になっているような、宣伝ともヤラセともとれるネット・ニュースが必ず流れるのも、気持ち悪い(特に、子役をやたらと賞賛するのだが、正直いって、どのドラマでも、それほどうまいとは思えない)。
NHKがそんな体たらくなのだから、民放ドラマなどは、語るに及ばないだろう。
むかしのドラマは、もっとバラエティに富んでいた。
わたしがNHKで忘れられないのは『男たちの旅路』(山田太一・脚本/1976~82年)で、全4部(計12話)+長編1話が放映された。
あまりにも名作なので、ご存じのかたも多いだろうが、これは、太平洋戦争における特攻隊の生き残り(鶴田浩二)が、戦後社会になじめないまま、若者と衝突しながら、生真面目かつ不器用に、警備会社の管理職として生きていく物語である。
共演者やゲストがすごかった。
「シルバー・シート」には、志村喬、笠智衆、殿山泰司、加藤嘉、藤原鎌足、佐々木孝丸が登場する。往年の日本映画でも、これだけの老・名脇役が勢ぞろいすることはなかっただろう。
「影の領域」では、池部良、梅宮辰夫、鶴田浩二の3人が同一画面のなかで共演する。東映ヤクザ映画ファンにはたまらない奇跡的な場面だった。
身障者の生き方に踏み込んだ名作「車輪の一歩」では、車椅子の若者たちを、斉藤とも子、京本政樹、斎藤洋介(昨年逝去)、古尾谷雅人(2003年に自殺)らが演じていた。
ドラマ全体が成長物語(ビルドゥングスロマン)の正反対で、後半はカタブツの鶴田浩二が若い部下(桃井かおり)に溺れてしまう。そして彼女が病死すると半ば自暴自棄になって退社、根室へ流れ、居酒屋の皿洗いに身を転じる。
あまりの意外な展開に、この先、どうやって物語をまとめるつもりなのか、不安を覚えながら観た記憶がある。
だが、さすがは山田太一で、ちゃんと「成長」を見せてくれる。
その役は、部下の一人で、鶴田浩二に反発しながらも惹かれていた水谷豊が、見事に演じた。社長の命令で、わずかな手がかりをもとに、苦労の末、根室にいた鶴田浩二を探し当てた水谷豊。「ほっといてくれ」という鶴田に対し、えんえんと説教をはじめる。
「気に入らないね」「あの頃は純粋だった(略)とか、いい事ばっかり並べて、いなくなっちまっていいんですか?」「戦争にはもっと嫌な事があったと思うね」「戦争に反対だなんて、とても言える空気じゃなかったって言ったね」「いつ頃からそういう風になって行ったか、俺はとっても聞きたいね」「そういう事、司令補まだ、なんにも言わねえじゃねえか」「そうじゃないとよ(略)、戦争ってェのは(略)案外、勇ましくて、いい事いっぱいあるのかもしれないなんて、思っちゃうよ」「それでもいいんですか? 俺は五十代の人間には責任があると思うね」
いままで、説教はすべて鶴田浩二の役目だったが、ここではついに、部下の水谷豊が説教するまでに「成長」したのだ。かくして、鶴田ありきでつくられたドラマのはずが、歴史にのこる名場面は、水谷豊がさらってしまった。
いま、観なおしたり、シナリオを読み返すと、「五十代の人間には責任があると思うね」のセリフに胸を衝かれる。このころ、たしかに鶴田浩二は、まだ50歳代半ばだった。
ここでいう「責任」とは、戦争を語り継ぐことの重要さみたいなことをいっているのだが、戦争の有無にかかわらず、五十代には、社会に対してある種の「責任」があるのだといっているようにも聞こえる。だから、とっくに五十代を超えてしまったわたしなどは、このドラマに戦慄すら覚える。戦争体験を題材にしていながら、いまでも通用する時代を超越したドラマだと思う。昨今のTVドラマでこんな思いに至ることは絶対にない。
いま国会で、接待されただの忘れていただのと騒がれている50~60代の連中など、恥ずかしくて、このドラマは観られないのではないか。
なお、このドラマの音楽は、元「ザ・ゴールデン・カップス」で、バークリー音楽院に留学~卒業・帰国直後のミッキー吉野が担当した。演奏は「ミッキー吉野グループ」となっているが、これは、実質、結成したばかりの「ゴダイゴ」である。
アメリカ仕込みの乾いた楽想に、時折、浪花節のような抒情が混じる。そのさじ加減が絶妙で、これまたTVドラマ音楽史にのこる名スコアとなっている。
<敬称略>
※ドラマ『男たちの旅路』は、U-NEXTの配信で観ることができます。
※文中のセリフは、『山田太一セレクション 男たちの旅路』(山田太一著、里山社)より。
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2019.02.19 (Tue)
第226回 ひとことで言え、大河ドラマ

▲これを大河ドラマにすればよかったのに。古今亭志ん生『なめくじ艦隊』(ちくま文庫)
NHK大河ドラマ『いだてん~東京オリムピック噺』が、凄まじい低視聴率である。
第1回を観たとき、「ずいぶん、ややこしい話だな」とは思ったが、ツイッター上では絶賛の嵐だった。脚本の宮藤官九郎が大人気で、「さすが、クドカン」と、みな大喜びである。
わたしのような初老には無理らしいが、今年の大河ドラマは幸先よさそうだ……と思った。
ところが、ツイートの中に「史上最低視聴率は確実」といった主旨の投稿があって、ひときわ、異彩を放っていた。見れば、文芸評論家・作家の小谷野敦氏である。『大河ドラマ入門』(光文社新書)を著しているほどの専門家が、そこまでハッキリ言うとは……だが果たして、事態は、そのとおりとなった(同時に、ツイッター上の声は、世論大勢でないことがはっきりした)。
低視聴率の原因は、あれこれと挙げられているが、二点だけ、わたしなりに気づいたことがある。
まず、最初の数回を観て、「ドラマ」ではなく、「ひな壇バラエティ」に近い感覚を覚えたこと。
民放では、ひな壇にタレントがならんで、ビデオ映像を観ながら、言いたいことを言うバラエティが大人気である。さまざまなタレントや、文化人(っぽいひと)があらわれて、勝手なことを言い、ひとの揚げ足をとって、からかう。
『いだてん』を観ていると、ドラマ全体が、あのバラエティの空気でできているように感じる。人物の発言や行動の「原理」ではなく、「展開」が重要なようだ。昭和30年代から明治に飛び、すぐに、その逆になる……こういったドタバタした「展開」そのものが、主役になってしまっている。
バラエティばかり観ている若者にはいいだろうが、シニア以上にはしんどい。
もう一点は、ドラマの内容が「ひとこと」では言えないこと。
日曜夜8時は、三世代がそろう時間帯である。しかも全国放送だ。小難しい説明なしで、子供も老人も、ひとことで説明されてわかる話でなければならない。
『いだてん』の場合は、ひとことで言うと「金栗四三と田畑政治の生涯を、古今亭志ん生の回想で描く」となる。だがこれでは、何が何だかわからない。金栗四三も田畑政治も、ふつうのひとは、知らない。志ん生でさえ、いまの若者は、知らない。
そこで、もう少し説明を増やすと「日本人として明治45年に初めてオリンピックに出場したマラソン選手・金栗四三と、昭和39年の東京五輪招致に尽力した元朝日新聞記者で水泳指導者の田畑政治――この2人の生涯を、昭和の落語名人・古今亭志ん生の回想で描く」となる。それでも、多くのひとにはピンとこないだろう。「なぜこの2人なのか?」「円谷幸吉や東洋の魔女ではダメなのか?」「志ん生は、彼らと知り合いだったのか?」といった疑問がわく。ファンなら「だってクドカンは志ん生の大ファンだから」と直感するだろうが、では脚本家が近衛秀麿のファンだったら、近衛の回想になるのか(きっとすごい昭和史ドラマになるはずだが)。
志ん生を描くなら、『なめくじ艦隊』(ちくま文庫)のような抱腹絶倒の自伝があるのだから、これをそのままドラマ化したほうが、絶対に面白い。「志ん生の生涯を描くドラマ」と、ひとことで言える。「秀吉」「信長」「家康」(の生涯を描くドラマ)みたいに。
ここ1~2年、中公新書で戦乱日本史ものが売れている。『応仁の乱』『観応の擾乱』『承久の乱』――だが、よほど歴史に詳しいひとでないと、知らない戦乱だと思う(わたしも、応仁の乱しか、聞いたことなかった)。では、なぜ、これらは売れたのか。ひとことで内容をあらわす、うまい副題が付いていたからだ。
「戦国時代を生んだ大乱」(応仁の乱)
「室町幕府を二つに裂いた足利尊氏・直義兄弟の戦い」(観応の擾乱)
「真の『武者の世』を告げる大乱」(承久の乱)。
これなら、わかる。
いまはなき名コラムニスト、山本夏彦は、しばしば「ひとことで言え」「かいつまんで言え」と述べた。
「NHKは朝のニュースを八十分にすると自慢しているが心得ちがいである。むしろ短かくせよ。ひと口で言え。(略)それがジャーナリストの任務である」(「夏彦の写真コラム」週刊新潮 昭和63年4月7日号)。
この言葉を今年の大河ドラマに捧げたい。
<敬称一部略>
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2019.01.04 (Fri)
第221回 平成なんてあったのか

▲ひさびさに大台を回復した紅白歌合戦。
以前、本コラムの新年第一弾は「紅白雑感」と決まっていて、(ほんの数人だが)楽しみにしてくれている読者の方もいたのだが、結局、毎年、おなじことばかり書くハメになり(曲も歌手も大半は知らないとか、抱き合わせ企画ばかりで不愉快だとか)、しばらく、やめていた。
だが、今回は、少しばかり思うところがあるので、ひさしぶりに、書きとめておくことにした。
東京五輪の前年、1963(昭和38)年の紅白歌合戦で、白組のトリ(三波春夫)の前をつとめたのが植木等だった。
曲は《どうしてこんなにもてるんだろう》《ホンダラ行進曲》のメドレーで、クレージーのメンバーとともに、ドンチャン騒ぎを繰り広げた。
この年の平均視聴率は、89.8%(ニールセン)を記録した。まさに植木等は「昭和のお祭り男」であった。
その植木が、1990(平成2)年、リバイバル・ヒットで20数年ぶりに紅白に出場し、《スーダラ伝説》をうたった。そして、個人別視聴率でトップの56.6%を獲得した。
植木等は、昭和から平成に橋をかけた視聴率男でもあった。
昨年末の紅白歌合戦は、「平成最後」が強調されていた。
ところが、観終わって感じたのは「昭和の残響」だった。
いうまでもなく、ラストで大暴れした桑田佳祐(62)、ユーミン(64)のせいである。
そもそも、「大晦日はおせち料理をつくるので」を理由に、過去、紅白出場を辞退していたユーミンが、中継ではなく、NHKホールに来たことが驚きであった。
あの桑田佳祐のパフォーマンスには賛否両論あるようで、「紅白対決に関係ない企画枠だったのに、桑田のおかげで、白組が最後を締めたように感じられ、一挙に白組有利に傾いた」というのである。
だが、紅白歌合戦は、いまや、総合バラエティなのであって、紅白対決の票数に真剣さを見出しているものなど、いるわけがない。
だから、そんなことはどうでもいいのだ。
問題は、平成最後の紅白を、還暦を過ぎた昭和の2人が締めたことである(強いていえば、その横に82歳の北島三郎がいて、それなりの存在感を醸し出していた)。
あそこには、平成を象徴する安室奈美恵も、浜崎あゆみも、倖田來未も、初期モーニング娘。も、小室哲哉も、宇多田ヒカルも、SMAPも、いなかった。
わたしは、あの奇跡の2ショットを観ながら、かつての植木等を思い出し、それどころか、もしかしたら、後ろから井上陽水(70)が、中島みゆき(66)や、竹内まりや(63)を率いて出てくるのではないかと、一瞬、錯覚を覚えかけたほどだ。
「平成」なんて時代が、あったのだろうか。
よくいわれるように、やはり、平成は、「昭和の二次会」だったのではないか。
5月以降、新元号になっても、もうしばらく「昭和の二次会」はつづくのではないか。
桑田=ユーミンは、そんなことを、あらためて思い出させてくれた。
<敬称略>
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2018.04.10 (Tue)
第196回 TVアニメ『赤毛のアン』

▲アニメブック『赤毛のアン』(演出:高畑勲、1992年、新潮社刊)
1980年代末から90年代前半にかけて、アニメ関係の仕事に携わっていた時期がある。その中に、TVアニメ『赤毛のアン』(1979年放映)のアニメブック編集があった。アニメの画面をコマの中にはめこんでネーム(フキダシ)を加え、マンガとして楽しむ本である。フィルムコミックなどとも呼ばれた。
いまのようなパソコンやデジタル技術のない時代だったから、たいへんな作業だった。製作会社に全回のプリントを焼いてもらい、VHSビデオと台本と原作本を照らし合わせながら、コマ割り構成を組み立て、必要なカットをハサミで切り出し、版下に指定し、ネーム(セリフ)を写植で貼りつけていった(この煩雑な現場を見事に統括してくださったのが、ホラー漫画の巨匠、日野日出志さんだった)。
わたしは、このとき、初めて、アニメ『赤毛のアン』を観たのだが、その構成や演出に、驚いてしまった(初回放映時は、わたしは大学生で、さすがに観ていなかった)。
脚本・演出は、さきごろ逝去された、高畑勲監督である。回によっては、共同脚本・演出だが、ほぼすべての回に高畑監督がかかわっていた。ちなみにシリーズ前半の場面設定は宮崎駿監督である。
ご存知のかたも多いと思うが、モンゴメリの『赤毛のアン』は、全部で38章だての連作風の小説である。それを、TVアニメは、1年間、全50回(1回が正味25分弱)をかけて、ストーリーもセリフも、ほぼ原作どおりに描いている。しかもいくつかの箇所は、原作以上にじっくりと描かれており、この「じっくり」が素晴らしかった。
たとえば、第1回で、アンが、馬車でグリーンゲイブルズへ向かいながら、途中、「りんごの並木道」で、その美しさに感動する有名なシーンがある。原作でわずか十数行のこのシーンを、アニメでは、ものすごい枚数を使って、絢爛豪華なファンタジー・シーンに仕立てていた。初回放映時、TVの前の少女たちは、このシーンに心を奪われたことだろう(この第1回は、製作会社の日本アニメーションが公式にYOUTUBEで公開しているので、ぜひご覧いただきたい)。
また、第3回のラスト、アンがマリラに連れられ、(孤児院へ送り返されるために)馬車でスペンサー夫人のもとへ出発するシーン。アンは、もうこれで二度と戻ってこられないと思い、泣きながら「さようなら、ボニー!」「さようなら、雪の女王様!」「さようなら、おじさん!」と叫ぶ。残されたマシューは、言葉もなく、あとを追おうとして駆け出し、つまずく。早くも第3回で視聴者を泣かせた名シーンである。
だが、原作に、こんなシーンは、ない。ただ、マリラが振り返ると「しゃくにさわるマシュウが門によりかかって、うらさびしげに二人を見送っているのが目に映った」(村岡花子訳=新潮文庫版)とあるだけで、マシューは追いかけないし、アンも泣き叫んだりしていない。これは「創作」なのだ。
実は、小説『赤毛のアン』は、少女が主人公なので、ジュニア向け小説だと思われているが、かなりの部分が、育ての親であるマシューとマリラ兄妹を中心とした、おとなの視点で描かれている。また、集英社文庫版(松本侑子訳)で強調されているように、全編に、聖書や、あらゆる西洋文学の名文、詩文がちりばめられている。『赤毛のアン』は、「おとなの文学」でもあるのだ。
この点は、高畑監督も見抜いていて、「もし女の子の立場から書いたら、それは少女マンガの原作になったか、いわゆる少女小説にしかならなかったと思うんですね。ところがモンゴメリという人はですね、そこに終わらせていない。批判に耐え得る人物を創っているということでしょう」と述べている(高畑勲著『映画を作りながら考えたこと』文春文庫より)
そんな「おとなの文学」を、毎週日曜日の19時半にアニメにして全国放映するとなれば、視聴者はこども(少女)が多いだろうから、それなりに脚色しなければならない。そのため、原作では少ない、「アンの視点」が多く盛り込まれることになった。先に挙げた2つの例は、まさに、「アンの視点」である。
わたしは、アニメブックを編集しながら、なるほど、「脚色」とは、こういうことなのかと、感動したものだった。
TVアニメ『赤毛のアン』で、もうひとつ驚いたのは、主題歌である。
オープニング曲《きこえるかしら》、エンディング曲《さめない夢》、さらに、劇中に時折ながれるうた……あまりにレベルが高く、唖然となった。普通、アニメ主題歌といえば、みんなで一緒に口ずさめる曲調が多いものだが、これはとても無理だった。ほとんど「歌曲」であった。旋律の途中で、バックの「管弦楽」が主役になる部分もあった。よく聴くと、たいへん込み入ったスコアリングだ。公式アップされた映像でご確認いただきたい。
作曲は、三善晃(1933~2013)である(岸田衿子作詞、大和田りつこ歌)。たしかこれが、三善晃唯一のTVアニメ主題歌だったのではないか(ちなみに作詞の岸田衿子=1921~2011=は、詩人・童話作家。劇作家・岸田國士の長女、女優の故・岸田今日子の姉で、戦後の2大詩人、谷川俊太郎・田村隆一の、それぞれ妻だった時期がある。ほかに『アルプスの少女ハイジ』『フランダースの犬』『あらいぐまラスカル』などの主題歌も彼女の作詞)。
アニメブック編集のころ、高畑監督にお会いして、「よく、あんな難しい曲を主題歌にされましたね」と、うっかり聞いてしまったことがある。
高畑監督は、「ことば」に対する解釈や認識が厳格で、生半可な物言いによる会話を拒むようなところがあった。だから、何回かお会いしているが、おっかなくて、突っ込んだ会話ができなかった。
このときも、具体的な口調は忘れたが、半ば困惑した表情で、「なにをもって《難しい》というんだか、わかりませんが……」といった意味の返答をされた。
ただ、そのあと、「あのころ、『翼は心につけて』という教育映画があって、その主題歌が三善晃さんだったんですよ。それがとてもよかったので、お願いしたんです」と教えてくれた(吉原幸子作詞、横井久美子歌)。
高畑監督については、ほかに直接・間接の思い出がいくつかあり、綴り出せばきりがないが、わたしごときが明かすことでもないので、この程度にしておく。
TVアニメ『赤毛のアン』最終回のラストは、アンが手紙を書くシーンだ。
「わたしはいま、何の後悔もなく、安らぎに満ちて、この世の素晴らしさをほめたたえることができます。ブラウニングのあの一節のように……《神は天にいまし、すべて世はこともなし》」
原作のファンだったら、ご存知だろう。この最後の詩文が「ブラウニング」の一節だなんて、訳注にはあっても、モンゴメリは原作のどこにも書いていない。
高畑勲演出の『赤毛のアン』とは、そういう作品だった。
<敬称略>
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