fc2ブログ
2023年03月 / 02月≪ 12345678910111213141516171819202122232425262728293031≫04月

2023.03.02 (Thu)

第385回 【新刊紹介】古代ギリシャ人の「ワインダーク・シー」を説く、画期的論考!

ホメロスと色彩
▲西塔由貴子『ホメロスと色彩』(京都大学学術出版会) ※リンクは文末に。

近年の吹奏楽の人気曲に、ジョン・マッキー(1970~)作曲、吹奏楽のための交響詩《ワインダーク・シー》がある。2014年にテキサス大学ウインド・アンサンブルが初演し、翌年、ウィリアム・レベル作曲賞を受賞している。
日本では、2015年度の全日本吹奏楽コンクールで、名取交響吹奏楽団(宮城)が全国大会初演し、金賞を受賞したことで注目を集めた。以後、全国大会だけで計9回登場の人気曲となっているほか、東京佼成ウインドオーケストラやシエナ・ウインド・オーケストラなども定期で取り上げた。CDも、現在、国内外あわせて十種以上が出ている。

ワインダーク・シー
▲CDも多い。これは、シズオ・Z・クワハラ指揮、フィルハーモニック・ウインズ 大阪(オオサカン)のもの(Osakan Recordings)。

曲は、ホメロスの叙事詩『オデュッセイア』を3楽章(Ⅰ傲慢/Ⅱ不滅の糸、とても脆く/Ⅲ霊魂たちの公現)、40分近くをかけてドラマティックに描く、最高難度の大曲である。

で、これほどの人気曲だけあって、あたしもコンサート・プログラムやCDライナーで、何度となく本曲の解説を書き、FM番組でも語ってきた。
そのたびに頭を悩ませたのが、この叙事詩に枕詞のように何度も登場し、かつ曲名にもなっている《Wine-Dark Sea》の解説だった。直訳すると「葡萄酒のような暗い色の海」で、戦前から、日本では「葡萄の酒の色湧かす大海」(土井晩翠訳)、「葡萄酒色の海」などと訳されてきた。英訳テキストを検索してみると、全24歌中、10数か所に登場している。

これはもちろん、「地中海」のことで、海の壮大さや荒々しさの描写と思われるのだが、なぜホメロスは、地中海を「ダークな葡萄酒色」などと表現したのだろうか。ふつうは、地中海ならば「青」系ではないだろうか。これを、どう説明すればいいのか。

なにぶん、あたしのふだんの解説原稿は、SNS上で「クソ・クオリティ」と評されているようなので、すこしは、こういうこともキチンと解説しなければと、いままでずいぶん調べてきた。だが、古代の地中海は(天候のせいか)いまより暗い海面だったとか、ホメロスは盲目だったので色彩表現が独特だったとか、諸説あって、どうも定まっていないようだった。

そうしたところ、最近、なんと、ホメロス叙事詩における「色彩表現」の研究論考が出たのを知り、心底から驚いてしまった。今回ご紹介する『ホメロスと色彩』(京都大学学術出版会)である。
著者・西塔由貴子氏は、京都精華大学の特別研究員で、研究分野は〈西洋古典における「光」と「輝き」の表象と色彩表現との相関性に関する研究〉だという。英リヴァプール大学の名誉フェローでもあるようだ。
浅学のあたしは、まさかこのような専門家がおられるとは夢にも思わず、さっそく鼻息荒く手に取った。ざっとめくると、たしかに「葡萄酒色の海」解説もあるようだ。やったぜ、これであの不思議な曲名について明快な解説が書けるかと、読み進めたのだが……。
結論からいうと、《Wine-Dark Sea》の意味そのものよりも、古代ギリシャ人の表現力の豊かさを知り、そのことに感動してしまった。

この部分のギリシャ語原典”oinopa ponton”は、英訳だけでも”the wine-dark sea”のほか、”the wine-faced deep”など数種類あるらしい。というのは、「葡萄酒色の」をあらわす”oinops”は、「ワイン」と「目/顔」の合成語だそうで、

「ワインの目をした」「ワインの顔をした」が本来の意味であり、したがって、注がれたワインの表面に似ている、もしくはその表面に映ってみえる色のことを示すと思われる。そうすると、海の色がワイン(色)のようにみえる、ということがoinopa pontonということか。


そして、この語句が、いかに激しい場面で使用されているかを例示したうえで、著者は、

海、そして葡萄酒色の海の表象は、正のイメージだけに限らない。果てしない海の向こうに航海するとき、期待とともに不安が募る。新たなことに挑戦するチャレンジ精神がある一方、危険も伴う。神々が葡萄酒色の海を航海中の人間たちを襲い、罰することもある。


と綴る。
まるで、上記の文章は、交響詩《ワインダーク・シー》の解説文のようである。曲を御存じの方だったら、特に第1楽章の激しい曲想を思い出すはずだ。
つまり、”wine-dark sea”とは、単純に地中海の海や波を描写した語句ではなかったのだ。あるときは神々に助けられ、あるときは妨害されながら、命をかけた航海に乗り出す、そのときの海面をワインにたとえたチャレンジ精神をあらわしているようなのだ。

海を眺めながら海と密着した生活を送った古代ギリシャ人の色彩感覚をoinopa pontonは見事に表す。グラデーションがある、言い換えれば区別などしない、という意識を集約した色彩表現の一つが「葡萄酒色の海」ではないか。


そして著者は、「葡萄酒色の海」解説の章を、こう結んでいる。

「〇色」と区別する必要はない。素直にワインの色のように感じ取れる海の色を、oinopa pontonと詩人は描写した。そして人生という旅において、困難に立ち向かうチャレンジ精神も時には必要というメッセージを、oinopa pontonという表現をとおしてホメロスは伝えている。


果たして作曲者、ジョン・マッキーがそこまでのイメージを見抜いて曲名を《Wine-Dark Sea》にしたのかは、定かでない。だが、本書を読むと、『オデュッセイア』がパワフルな吹奏楽曲になった理由がとても身近に感じられ、曲の印象も変わってくる。

本書は、そのほかにも、古代ギリシャ人のさまざまな色彩感覚を、多くの例をあげながら、わかりやすく説いている。
さらには、『万葉集』の時代にあった、たった一語に豊かな隠喩を込める感性を、なぜ、現代人は失ってしまったのか―—そんなことも考えさせられた。
今後、交響詩《ワインダーク・シー》を演奏する方は必読の一書である。

※本文中のギリシャ語表記は英語アルファベットに無理やり置き換えたもので、正確ではありません。

◇『ホメロスと色彩』は、こちら

◇ジョン・マッキー作曲 吹奏楽のための交響詩《ワインダーク・シー》全曲 動画映像
(小澤俊朗指揮、神奈川大学吹奏楽部)

スポンサーサイト



12:40  |  吹奏楽  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2023.02.16 (Thu)

第381回 バート・バカラックも「吹奏楽ポップスの父」だった!

バカラックLP合体
▲(左)LP『ダイナミック・マーチ・イン・バカラック』
(右)先日亡くなったバート・バカラック(写真:Wikimedia Commons)

1972年2月、東芝音工(のちの「EMIミュージック・ジャパン」)から、1枚のLPがリリースされた。
『ダイナミック・マーチ・イン・バカラック』(指揮者記載なし、演奏:航空自衛隊航空音楽隊=当時の名称)。
この2月8日、94歳で亡くなった作編曲家・歌手、バート・バカラック(1928~2023)の曲を吹奏楽で演奏したもので、全12曲収録。編曲は、のちに「吹奏楽ポップスの父」と呼ばれる作編曲家の岩井直溥さん(1923~2014)である。
このLPこそが、日本で初めての本格的な「吹奏楽ポップス」だった。

よく、吹奏楽ポップスは『ニュー・サウンズ・イン・ブラス』(NSB)シリーズが最初のようにいわれるが、「NSB」第1集の発売は、同年7月である。『バカラック』のほうが半年近く先だった。

もちろん、このころ、日本の吹奏楽界には、秀逸なオリジナル曲が生まれていたが、まだ、マーチやクラシック編曲を中心に演奏しているスクール・バンドも多かった。学校の音楽室で、ポップスや歌謡曲、映画音楽を演奏することを歓迎しない空気も残っていた。
そこで岩井さんは、レコード会社やヤマハと組んで、「楽しい吹奏楽」の普及に取り組み始めた。

しかし、なぜ「ビートルズ」ではなく、「バート・バカラック」だったのだろう。
かつて、生前の岩井さんに聞き書き自伝の長時間インタビューをした際、おおむね、以下のような主旨のことを語っていた。

「当時、ビートルズは、もう解散していた。しかも、ビートルズの曲は旋律が意外と複雑で、管楽器でそろえて演奏するのはけっこうむずかしい。その点、バカラックは、アマチュア吹奏楽に向いていた。
1)メロディがきれいでシンプルで、誰でも口ずさめる。
2)リズムがはっきりしている。特にボサノヴァ系が多いので、たくさんのパーカッション奏者が活躍できる。マーチだと、スネア(小太鼓)とBD(大太鼓)とシンバルしか出番がない。
3)バカラックの曲はコード進行が凝っていて、分厚い”445アレンジ”のし甲斐があった」

“445アレンジ”とは、なにか。
このアルバムは、標準的な吹奏楽編成ではない。通常の吹奏楽は、Trp3、Trb3、Sax4(アルトⅠ・Ⅱ、テナー、バリトン)の“334”だが、ここでは、Trp4、Trb4、Sax5(アルトⅠ・Ⅱ、テナーⅠ・Ⅱ、バリトン)の“445”となっている。これはジャズ・ビッグ・バンド編成に準じたもので、当然ながら響きが分厚くなる。以後、岩井アレンジは、すべて“445”編成で書かれるのだ(「NSB」のようなスクール・バンド向けの出版譜は“334”だが、スコアは“445”で書いていたという)。

あたしは、学生時代、「バカラック・メドレー」のステージ・マーチング・ショーに出演したことがある。そのとき、バカラックの旋律は、「ちょっと変わっているな」と感じたのを覚えている。
通常、ポップスのメロディは、4小節や8小節、16小節など、きりのいい偶数小節の連続でできている。だがバカラックの場合は、すこし余るというか、余計な小節がくっついて、きれいな偶数小節ではないのだ。《サン・ホセへの道》や《雨にぬれても》のように、後半で曲想やテンポが変化する曲も多い。
しかし、むかしのマーチングは基本的に4小節単位でステップやフォーメーションがつくられていた。だからバカラックの曲を演奏しながら動くと、余りが生じて、ぎごちない動きになってしまうのだ(そのぎごちなさが独特のステップになって、見た目に面白いショーになったのだが)。

実はバカラックは、ラヴェルのバレエ音楽《ダフニスとクロエ》に感動したことがきっかけで、音楽家を目指したと語っている。ミヨーやマルティヌーなどのクラシック作曲家に師事した時期もあった。彼の独特なメロディ構成には、クラシックの素地があったのかもしれない。

ところで、そのLP『ダイナミック・マーチ・イン・バカラック』の収録曲は、

①サン・ホセへの道、②雨にぬれても、③幸せはパリで、④アルフィー、⑤ディス・ガイ、⑥恋よ、さようなら、⑦マイケルへのメッセージ、⑧ボンド・ストリート、⑨汽車と船と飛行機、⑩ウォーク・オン・バイ、⑪何かいいことないか子猫チャン、⑫小さな願い

の12曲で、おそらくポップス・ファンならご存じの曲ばかりだろう。
ちなみに⑧は映画『007/カジノ・ロワイヤル』(1967)の劇中音楽。⑨は“ビートルズの弟分”としてデビューしたビリー・ジェイ・クレーマー&ザ・ダコタスの中ヒット曲だ。

このなかで、ちょっと目を引くのが、⑦の《マイケルへのメッセージ》だ。
これは、大女優にして歌手のマレーネ・ディートリヒ(1901~1992)が1962年に発表した名曲。以後、多くの歌手がカバーしており、ディオンヌ・ワーウィック版が有名だろう(男性が歌うときは曲名が《マーサへのメッセージ》になる)。

ディートリヒ合体
▲(左)名盤『マレーネ・ディートリヒ with バート・バカラック・オーケストラ』
(右)仲睦まじかったころ、30歳差のカップル(写真:Wikimedia Commons)


新聞の訃報欄ではまったく触れられていなかったが、実は、バカラックの音楽家としてのキャリアは、マレーネ・ディートリヒとの出会いによって開花した。ディートリヒが59歳のとき、29歳のバカラックと出会い、公私ともにパートナー関係となる。たいへんな年齢差カップルだが、たしか自伝で、ディートリヒと関係をもちながら、女優アンジー・ディキンソンと結婚し、泥沼状態になった挿話を読んだ記憶がある。
しかしとにかく、バカラックは、ディートリヒのバック・バンドの音楽監督、伴奏ピアニスト、アレンジャーをつとめ、作編曲家としての腕を磨くのである。
そんな時期に、名コンビとなったハル・デヴィッド(1921~2012)の作詞で生まれたのが《マイケルへのメッセージ》だった。とてもしゃれた曲で、こういう名曲を忘れずに、ちゃんと加えるところが、岩井さんのセンスのよさだと思う。

なお、『ダイナミック・マーチ・イン・バカラック』は、正確にいうと「ポップス」というよりは、タイトル通り、大半が「マーチ」調に編曲されている(ただし、後半になるにつれ、マーチ色は薄れ、明らかに「ポップス」となっている)。

「やっぱり、突然、全部を本格的なポップスにするのは、ちょっと気が引けた。まだ吹奏楽ポップスなんて、あまりなかった時期だったから。演奏も航空「自衛隊」だし。でも、このLPのおかげで、このあと、NSBを出せたのだから、その意味では、記念碑的なアルバムだと思う。のちのNSBにも、バカラックの曲をたくさん入れた。バカラックには感謝しなくては」(岩井さん)

バート・バカラックも「吹奏楽ポップスの父」だったのである。

◇『ダイナミック・マーチ・イン・バカラック』は、2009年にCD『岩井直溥初期作品集』として復刻されました。
すでに廃盤ですが、amazon musicなどの配信・DLで聴くことができます(あたしがライナー解説を書きました)。


15:55  |  吹奏楽  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2022.04.14 (Thu)

第356回 高昌帥〔コウ・チャンス〕、そして洪蘭坡〔ホン・ナンパ〕

シオンシエナこうちゃんす
▲(左)シオン、(右)シエナ ともに高昌帥の”個展”
  ※リンクは文末に。


 高昌帥〔コウ・チャンス〕(1970~)のコンサートが、大阪と東京でつづけて開催される。
 高昌帥は、いうまでもなく、主として吹奏楽の分野で活躍している大人気作編曲家、指揮者だ。大阪音楽大学教授もつとめている。全日本吹奏楽コンクール課題曲も、《吹奏楽のためのラメント》(2001年度/公募)、《吹奏楽のための「ワルツ」》(2018年度/委嘱)の2曲を書いている。

 コンサートは、まずは4月24日(日)に大阪で、Osaka Shion Wind Orchestraの第142回定期演奏会。
 1週間後の5月1日(日)に東京で、シエナ・ウインド・オーケストラの第52回定期演奏会。
 どちらも、当人の指揮で、曲目も自作が中心なので、一種の“個展”といってもいい。まったくの偶然らしいが、このようなコンサートが、東西で連続して開催されるのは、きわめて珍しい。高昌帥は主に関西で活躍しているひとなので、特に東京でのコンサートは、貴重な機会である。

 近年、全国の吹奏楽コンクールだけで600回以上も演奏されている大ヒット曲《吹奏楽のためのマインドスケープ》や、全5楽章の超大作《吹奏楽のための協奏曲》なども、東西双方で演奏される(もちろん原曲ノーカットで)。
 曲目の詳細は各楽団のサイト(文末にリンクあり)でご確認いただきたいが、ちょっと目を引く曲が、東京(シエナWO)の曲目にある。
 それが、《故郷(ふるさと)の春》(高昌帥編曲)である。韓国を代表する童謡で、”第二の国歌”と呼ぶひともいる。北朝鮮でも歌われているらしいので、”朝鮮半島を代表する童謡”といってもいいかもしれない。「わたしの故郷は花の里……あのこどもの日々が懐かしい」と、生まれ故郷を懐旧する曲で、日本の唱歌《故郷》のような、素朴で美しい曲である。

 まさか、この曲が、日本のプロ吹奏楽団の定期演奏会で取り上げられるとは、夢にも思わなかった。実は、わたしは、当日のシエナWO定期演奏会のプログラム解説を執筆したのだが(当日、簡単な解説トークも予定)、紙幅の都合で、概要しか書けなかった。ここでもう少し詳しく、この曲と作曲者をご紹介しておきたい。

 作曲したのは、洪蘭坡〔ホン・ナンパ〕(1897~1941)。
 大正から昭和にかけて、日本と朝鮮で活躍した作曲家。さらには朝鮮で最初のヴァイオリン奏者。小説家でもあった。とにかく”発信力”の旺盛なひとだったようだ。
 彼は、YMCA中学部で声楽やヴァイオリンを学び、幼少期より音楽を愛好した。だが中学入学直前の1909(明治43)年に、安重根による伊藤博文暗殺事件が発生、翌年に日韓併合が正式に発布される。多感な少年は、必然的に独立運動に心を寄せるようになった。

 1918(大正7)年、東京音楽学校(現・東京藝術大学音楽学部)の予科に入学。翌年に通称「三・一運動」が発生し、宗教指導者や知識人たちが、日本からの自主独立を宣言する。これは全国規模の運動となり、日本官憲が大々的な弾圧に乗りだして多大な犠牲者が出た。洪蘭坡もすぐに帰国し、運動に参加する。これ以降、彼は、日本官憲に目をつけられ、何回となく逮捕・拘禁・拷問され、次第に健康を害するのである(東京音楽学校の本科からも進学を拒否された)。

 このときに生まれた彼の代表作が、有名な歌曲《鳳仙花》である(金享俊作詞)。これは、以前に書いていたヴァイオリン曲《哀愁》に、学友が詩をつけたものだ。「垣根に咲く鳳仙花 哀しいその姿」と、雨風に耐えて咲く花をうたった曲で、自然と、独立運動の象徴歌のようになった。
 この曲は、日本でも加藤登紀子がうたっているので、ご存じの方も多いと思う。

 やがて東京高等音楽学院(現・国立音楽大学)に入学。その一方で、新交響楽団(現在のNHK交響楽団の前身)でもヴァイオリンを弾いた。アメリカのシンシナティやシカゴにも留学した。帰国後は、ヴァイオリン3丁による「蘭坡トリオ」を結成し、様々な曲をピアノ伴奏で演奏した。ジャズにも早くから取り組んでいる。

 その間、保育学校の教員時代に、童謡をたくさん作曲した。それらは、1929~31年に刊行された、彼の『朝鮮童謡百曲集』にまとめられている。そのなかの1曲が、今回演奏される《故郷の春》である(李元壽作詞)。それまで、朝鮮半島には、子どものためにつくられた「童謡」は、まだ少なかったという。

 この曲を、高昌帥が、“クラリネット・ソロと吹奏楽による協奏曲”スタイルで編曲した。冒頭、《故郷の春》の美しい旋律がクラリネット・ソロによってシンプルに奏でられる。やがて超絶技巧の変奏となり、カデンツァ~クライマックスになだれこむ。
 初演は、京都市交響楽団のクラリネット奏者・玄宗哲のソロ、編曲者自身が指揮する大阪朝鮮吹奏楽団だった。今回は、シエナWOのコンサートマスター・佐藤拓馬がソロをつとめる。素朴な響きが、壮大に発展変容する編曲の面白さを、ぜひ、多くの方々に味わっていただきたい。
 ちなみに、《鳳仙花》も《故郷の春》も、ともに日本のカラオケに入っている。

 ところで、洪蘭坡は、音楽活動をつづけながらも、その間、独立運動から離れることはなかった。そのため、1937年に拘留され、2カ月以上におよぶ拘留、取り調べ、拷問を受けた。釈放されたときには、かつて患った肋膜炎が再発。以後、回復の見込みもなく、療養、入院生活をおくるが、1941年8月、44歳の若さで亡くなるのである。

 そんな洪蘭坡だが、つい最近まで、韓国では演奏禁止だった。盧武鉉〔ノ・ムヒョン〕大統領が、在任中の2003~08年に、日本統治下時代の“親日派”と、その子孫を徹底的に排除する“親日派狩り”をおこなった。洪蘭坡は、その“親日派”名簿に名前が載っていた。かつて日本で活動し、軍歌や天皇を讃える歌をつくっていたことが問題視されたようだ。
 そのため、一時期、《鳳仙花》も《故郷の春》もうたえなかった。洪蘭坡の生まれ故郷では、毎年「蘭坡音楽祭」が開催されていたが、名称変更を余儀なくされた。
 その後、子孫の訴えにより、洪蘭坡の名は、“親日派”名簿からは除外されたようだが。
 今度のコンサートでは、そのような背景に関係なく、純粋に音楽として楽しんでいただければいいのだが、それでも、作曲家も楽曲も、尋常ではない歴史の荒波をくぐりぬけてきたことは、ほんの少しでいいので、脳裏の隅においておきたい。
〈敬称略〉

【参考資料】
『禁じられた歌 朝鮮半島音楽百年史』(田月仙/中公新書ラクレ)
『鳳仙花 評伝・洪蘭坡』(遠藤喜美子/文芸社)


□Osaka Shion Wind Orchestra公式サイトは、こちら
□シエナ・ウインド・オーケストラ公式サイトは、こちら
□加藤登紀子のうたう《鳳仙花》は、こちら
□《故郷の春》は、こちら

◆『東京佼成ウインドオーケストラ60年史』(定価:本体2,800円+税)発売中。ドキュメント部分を執筆しました。全国大型書店、ネット書店などのほか、TKWOのウェブサイトや、バンドパワー・ショップなどでも購入できます。限定出版につき、部数が限られているので、早めの購入をお薦めします。

◆「富樫鉄火のグル新」は、吹奏楽ウェブマガジン「Band Power」生まれです。第132回以前のバックナンバーは、こちら。

◆毎週(木)21時・FMたちかわ/毎週(土)23時・FMカオン(厚木・海老名)/毎週(日)正午・調布FM/毎週(日)・FMはなび(秋田県大仙市)にて、「BPラジオ/吹奏楽の世界へようこそ」パーソナリティをやってます。パソコンやスマホで聴けます。 内容の詳細や聴き方は、上記「BandPower」で。

◆ミステリを中心とする面白本書評なら、西野智紀さんのブログを。 最近、書評サイト「HONZ」でもデビューしています。
16:28  |  吹奏楽  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2021.12.08 (Wed)

第339回 丸谷明夫先生の書評

俺の喉は
▲『俺の喉は一声千両 天才浪曲師・桃中軒雲右衛門』(岡本和明著、新潮社/2014年6月刊)

丸谷明夫先生の訃報記事(どんな方か、ご存じない方はこちらを)。
 ご冥福をお祈りします。


 丸谷明夫先生は、大の読書家だった。枕元に本を積んで、片っ端から読んでいた。
 「面白そうな本があったら、なんでもいいから教えてや」
 だから、わたしが関わった本は、必ず送っていた。するといつも、数日で読み終えて、感想を電話で伝えてくれた。その律義さ、速読ぶりには、いつも敬服していた。時には、逆に、ご自身で気に入った本を送ってきてくれることもあった。
 “感想電話”は、ほとんどは、数分だったが、あるとき、長々と30分以上も感想を述べてくれた本があった。
 それは、『俺の喉は一声千両 天才浪曲師・桃中軒雲右衛門』(岡本和明著、新潮社/2014年6月刊)
 「いや~、おもろい本やねえ。わたし、あまり詳しくないけど、ABCラジオの早朝番組『おはよう浪曲』なんかは、よく聴いてたわ」

 桃中軒雲右衛門とは、明治から大正にかけて活躍した、大浪曲師である。斯界では「浪聖」とまで称され、いまでも浪曲師たちは、「先生」と呼んでいる。
 そんな人物の生涯を、演芸評論家の曾孫が書いた評伝だが、丸谷先生は、えんえんと感想を述べるなか、たいへんうまく、本書のポイントを言い当ててくれた(後述)。
 この瞬間、丸谷先生がたいへんな「本読み」のプロであることを知った。

 さっそくそのことを、知己の産経新聞の文化部記者氏に話した。すると「面白いですねえ。吹奏楽の名物先生に、浪曲本の書評を書いてもらいましょう」となってしまった。
 恐る恐る丸谷先生にお願いの電話をすると、半ば迷惑そうな笑い声をあげて「まあ、おなじ誕生日のあなたのお願いやから、仕方ないわなあ」と、引き受けてくれた。
 実は大阪府立淀川工科高校吹奏楽部の創立日とわたしの誕生日は、年月日までおなじなのだ。つまりわたしは、淀工吹奏楽部とまったくの同年なのである。

 その書評は、2014年8月3日付で掲載された。
 ここで、先述のように、丸谷先生は、浪曲の出自や宿命について、ズバリ、述べている。
〈小さいころから寄席に通っていたので、落語を中心とした芸には、たいへん興味を持っていました。/ところが、浪曲はなぜか寄席では上演されておらず、実演で接する機会はあまりありませんでした。/なぜ浪曲が、ほかの芸能と一線を画されていたのか、以前からおぼろげながら抱いていた疑問を、著者・岡本和明氏が解き明かしてくれています〉

 実は浪曲(浪花節)は、貧民街で生まれ、差別されつづけてきた芸であった。それを桃中軒雲右衛門が磨き上げ、歌舞伎座公演、皇族御前演奏を成し遂げ、近代芸能にまで高めたのである。
 そのことを、丸谷先生は、ご自身の吹奏楽人生に重ね合わせて、こう綴っている。
〈私は大阪で50年間、高校生と「吹奏楽」に取り組んでいます。(略)/雲右衛門が、一つの演目を完成するまでの試行錯誤の苦しみ、その過程で垣間見える芸人魂、あくなき挑戦。そして波瀾万丈の人生の節目に見せる「人としての礼儀」には、まことに心を打たれました。/当たると思ったことは、当たらない。/いい人のまわりには、いい人が集まる。/雲右衛門の生涯は、そんな、当たり前のことを、気づかせてくれました〉

 その文章は、落ち着いた「型」を思わせた。
 丸谷先生の演奏もまさに「型」で、淀工がコンクールで決まった曲をローテーションで演奏するのにどこか通じていた。近年は《大阪俗謡》か《ダフクロ》と決まっていた。歌舞伎で年に何回も《勧進帳》《忠臣蔵》が出るのに似ていた。
 古典芸能は「型」の美しい再現に極まる。だがそのことを嗤うものがいると、先生は「だって、それしかでけへんのやから」とかわしていたが、必ずそのあと「でも、毎年見ている大人にすれば、また同じ曲やってると思うんやろが、子どもたちにとっては一生に一度のことなんやから」と付け足していた。その説明ぶりも一種の「型」で、堂に入っていた。

 報道によれば、丸谷先生の死因は膵頭部ガンだったという。わたしもガンを患った身なので、“ガン友”同士、話が合った(一時、真島俊夫さんも“ガン友”だった)。
 実は丸谷先生は、かつて「乳ガン」を患ったことがある。「男だって、乳ガンになるんでっせ。でも一応、男やから、死ぬときは、乳ガン以外のガンで死にたいわなあ」と笑っていた。
 いまごろ「いやあ、死因が乳ガンと発表されなくて、ホッとしたわ」と、あちらで安堵しているかもしれない。

□『俺の喉は一声千両 天才浪曲師・桃中軒雲右衛門』は絶版ですが、電子書籍あり。
□丸谷先生の書評は、いまでも全文をこちらで読めます。



【お知らせ】
ひさびさに、『サンダーバード』にかんする文章を書きました。
来年1月9日のコンサートにまつわるコラムです。
第3回まで来ました。お時間あれば、お読みください。こちらです。 


◆『東京佼成ウインドオーケストラ60年史』(定価:本体2,800円+税)発売中。ドキュメント部分を執筆しました。
 全国大型書店、ネット書店などのほか、TKWOのウェブサイトや、バンドパワー・ショップなどでも購入できます。
 限定出版につき、部数が限られているので、早めの購入をお薦めします。

◆「富樫鉄火のグル新」は、吹奏楽ウェブマガジン「Band Power」生まれです。第132回以前のバックナンバーは、こちら。

◆毎週(木)21時・たちかわ、毎週(土)23時・FMカオン、毎週(日)正午・調布FMにて、「BPラジオ/吹奏楽の世界へようこそ」パーソナリティをやってます。
 パソコンやスマホで聴けます。 内容の詳細や聴き方は、上記「BandPower」で。

◆ミステリを中心とする面白本書評なら、西野智紀さんのブログを。 
 最近、書評サイト「HONZ」でもデビューしています。

14:25  |  吹奏楽  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2021.11.05 (Fri)

第336回 東京佼成ウインドオーケストラの“民営化”

TKWO賛助会員
▲一般社団法人化される東京佼成ウインドオーケストラの、新しい賛助会員制度。


 日本を代表するプロ吹奏楽団「東京佼成ウインドオーケストラ」(TKWO)が、一般社団法人となって、“民営化”され、来年春から再スタートを切ることが発表された。
 TKWOは、1960年に、宗教法人「立正佼成会」の一事業部門として設立され、昨年、創立60年を迎えた老舗楽団である。だが今回、教団側が事業停止を決定したのだった。
   *****
 昨年春以降、新型コロナ禍でTKWOの演奏会は中止、事務局は在宅勤務中心となった。立正佼成会も事実上、活動休止となった。
 それでも、わたしは、本年4月に刊行された『東京佼成ウインドオーケストラ60年史』のドキュメント部分を執筆していた関係で、その間、何度か、TKWO事務局を訪問していた。
 事務局は、以前は普門館内にあったのだが、解体後は、向かいの立正佼成会大聖堂内に移っていた。
 ところが、その大聖堂が「閉鎖」されており、どこから入ればいいのか、最初のうちは、迷って困ってしまった。なにしろ巨大な建物なので、ひとつ間違えると、たいへんな距離を歩かなければならないのだ。

 本来、大聖堂はオープンで、1階の売店や2階の大食堂などは近隣のひとびとでも使用でき、わたしも、時折、利用させていただいていた。そうでなくとも、この近所で生まれ育ったわたしには、なじみのある建物である。
 その大聖堂が扉を閉ざして静まりかえっているのを見ていると、最初は「まさにコロナ禍ゆえの光景だなあ」なんて思っていたのだが、何回か行っているうちに、別の不安が襲ってきた。
 これほどの巨大組織が、こんなにいつまでも活動休止して、大丈夫なのだろうか。母体がこれでは、TKWOにも影響があるのではないか。

 すると案の定、昨年秋ころから、どうも「運営」をめぐって、なにか検討がなされているらしいことを感じていた。
 いまになってわかったのだが、実は昨年11月に、教団側から、事業停止=助成の打ち切りを告げられ、一時は解散もやむなしとの、かなり緊迫した状態になったようだ。
 しかし、事務局や団員が教団側と交渉を重ね、一般社団法人として再スタート、教団は3年間、支援をつづける(練習場の提供など)ことで合意に至った。定期演奏会は、とりあえず来年度は2回、なかのZEROホールに会場を移して開催されるという。
   *****
 少々古いが、2008年10月に『オーケストラの経営学』(大木裕子著、東洋経済新報社刊)なる本が刊行されている。
 これは、文字通り、オーケストラを「経営」の視点から分析・解説した本だ。著者は、東京藝術大学を卒業後、ヴィオラ奏者として東京シティフィルハーモニック管弦楽団に入団。その後、アート・マネジメントやオーケストラ経営に興味をもち、研究者の道に進んだひとである。刊行時は京都産業大学経営学部准教授だったが、現在は、東洋大学ライフデザイン学部教授をつとめている。

 この本は、最初にオーケストラがいかに儲からないかを縷々述べ、第三章が〈なぜ赤字なのに存続するのか〉と題されていた。
 
 日本のオーケストラには3つのタイプがあるという(注:すべて刊行時の記述)。
①スポンサー型:大きな経営母体がある。N響、読響、都響、東響……など。
②地方型:地方自治体がある程度助成。札幌、山形、神奈川……などの地方名が付くオーケストラ。
③自主運営型:大きなスポンサーをもたない。日フィル、新日フィル、東京シティフィル、東フィル……など。
 いうまでもなく、TKWOは、いままで、①スポンサー型だった。

 海外ではまったく事情が異なり、〈ヨーロッパ諸国では国家主導による財政支援が中心なのに対し、アメリカでは資金調達の大半を民間寄付に依存しており、政府はそのための税制支援策を講じている〉という。
 ところが日本では、文化庁予算の〈五八・五%に当たる五九三億円が文化財保護に充てられて〉いる。これに対し、芸術文化振興の助成額はわずか50億円。助成先は122団体で、そのうち音楽関係は61団体だった(注:以上、すべて当該本刊行時の記述)。
 国家による財政・税制支援など、望むべくもない。

 そこで著者は、日本における上記各タイプの運営状況を解説し、〈一番たいへんなのは自主運営型のオーケストラだ〉と述べる。
 そのうえで、コンサートを開催するたびに赤字が出る構造を明かす。
 結局、その赤字分を、文化庁の助成やグッズ販売、寄付、依頼公演などで補填し、それでも足りない分は自転車操業でまかなうのだという。たしかにコンサートを開催すれば、赤字になったとしても何がしかの現金収入はある。それをまわして凌ぐのが自転車操業だが、これは多くの会社や商店でやっていることでもある(TKWOの場合は、赤字分を立正佼成会が助成していた)。

 で、ここから先がこの本の面白いところで、では、もしも助成なし、チケット収入だけでコンサートを成立させたら、いくらになるのかを試算しているのである。
 それによれば、たとえばN響の場合、コンサート1回につき「1万5000円」のチケットを「1500枚」売らないと成立しないという(注:基本データは2007年度のもの)。
 当時のN響のチケットは3500~8000円だが、わたしのような「1600円」の天井桟敷組も多いので(NHKホール3階自由席)、実際はもっと厳しい数字になるだろう。
 そして、著者はこう述べている。〈ポピュラーのコンサートでは、武道館や野外で七〇〇〇~八〇〇〇円するチケットを一度に八万枚も売ることができるので、興行に向いている。一方オーケストラは、その性質上、基本的に営利には向かないのだ。オーケストラはどうしても非営利団体にならざるをえない〉

 オーケストラ(管弦楽団)と、ウインドオーケストラ(吹奏楽団)では、人員規模や活動内容もちがうから、一概に上記をあてはめることはできないが、基本構造は似ていると思う。
 かくしてTKWOも、突如、「スポンサー型」から「自主運営型」となり、非営利団体=一般社団法人の道へ進むことになった。
 一般社団法人は利益(余剰収入)が出た場合、賞与のように社員に配分することはできない。ただし、官庁の監督や認可制度などはないので、ある程度の自由裁量で運営することができる。
   *****
 これから3年間、TKWOは、薄氷を踏む毎日になるだろう。
 その苦しさは、わたしのような道楽者には知る由もないが、それでも、今回のニュースを聞いて、こんなふうに思った。
 TKWOの拠点でもあった“聖地”普門館を、全日本吹奏楽コンクール(都大会なども含めて)のために、特例条件で長年貸し出してくれたのは、立正佼成会である。
 TKWOの名演を大量のレコード、カセット、CD、そして楽譜として発売しつづけてくれたのは、佼成出版社である。
 アルフレッド・リードやフレデリック・フェネルを初めて招聘し、《アフリカン・シンフォニー》や《宝島》を人気スコアにしたのも、TKWOである。

 日本が“吹奏楽大国”となり、学校吹奏楽部がこれほど盛んになったのは、彼らがつくってきた下地があるからだ。
 海外のように国家や自治体に期待できない以上、今度は、わたしたちが、TKWOに何かをしてあげるときではないだろうか。

□東京佼成ウインドオーケストラ、一般社団法人化のプレス・リリースは、こちら
□東京佼成ウインドオーケストラの公式サイトはこちら

【お知らせ】
ひさびさに、『サンダーバード』にかんする文章を書きました。
来年1月9日のコンサートにまつわるコラムです。
お時間あれば、お読みください。こちらです。 

◆『東京佼成ウインドオーケストラ60年史』(定価:本体2,800円+税)発売中。ドキュメント部分を執筆しました。
 全国大型書店、ネット書店などのほか、TKWOのウェブサイトや、バンドパワー・ショップなどでも購入できます。
 限定出版につき、部数が限られているので、早めの購入をお薦めします。

◆「富樫鉄火のグル新」は、吹奏楽ウェブマガジン「Band Power」生まれです。第132回以前のバックナンバーは、こちら。

◆毎週(木)21時・たちかわ、毎週(土)23時・FMカオン、毎週(日)正午・調布FMにて、「BPラジオ/吹奏楽の世界へようこそ」パーソナリティをやってます。
 パソコンやスマホで聴けます。 内容の詳細や聴き方は、上記「BandPower」で。

◆ミステリを中心とする面白本書評なら、西野智紀さんのブログを。 
 最近、書評サイト「HONZ」でもデビューしています。



15:10  |  吹奏楽  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑
 | BLOGTOP |  NEXT