2023.08.13 (Sun)
第419回【吹奏楽/新刊紹介】 コンクールで気になった本『部活動顧問の断り方』とは

▲東京都中学校/高等学校吹奏楽コンクール会場「府中の森芸術劇場」。左は主催者・朝日新聞社の号外サービス。
8月10~15日の6日間、「第63回 東京都高等学校 吹奏楽コンクール」が開催されている(府中の森芸術劇場)。
コロナ禍以来の通常開催だったが、ひさびさに以前のように3日間、都大会~全国大会につながるA組の全56校を聴いた。よく「お好きですねえ」といわれるが、56校と聞いて「そんなにたくさん出場するんですか」と驚くひとも多い。
だが、全体の出場校数は、こんなものではない。東京の高校の部は、編成(人数)などに応じて4部門あり、今年度は「272校」が出場した(ただし複数部門出場校や、東日本大会選考会への進出校も含む「のべ」数)。東京都高等学校吹奏楽連盟は、この7月で「310校」が加盟しているそうなので、数字上は88%の学校が出場していることになる。
ちなみに中学はもっと多くて、東京都中学校吹奏楽連盟の加盟校は640校(2021年度)となっている。それだけにコンクールは、8月4~9、16・17日の「8日間」を要している。
つまり東京には、中高だけで「950校」の吹奏楽部があるのだ。特に今夏は異常な酷暑だけに「顧問の先生や、連盟の役員(ほとんどが学校吹奏楽部の顧問)も大変だなあ」と、ため息をつきながら熱演を聴いていた。「950校」あるということは、東京だけで(多くが複数顧問だろうから)2,000人前後の顧問の先生が、夏休みを返上してコンクール指導や引率に奔走しているのだ。
舞台上の熱演を聴いていると、どこも熱心な先生が指導している様子が伝わってくる。だが、さすがに950校、2,000人もいると、なかには、そうでもないひともいるだろう。
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もう20年以上前だが、都内のある公立中学校の吹奏楽部顧問の先生から、こんな話を聞いたことがある。その先生は、当時20歳代後半、地方出身で社会科の独身男性だった。
※個人情報的な内容も含まれているので、主旨を変えない範囲で細部を変更してあります。
「ぼくは、音楽はよくわからないんで指揮といっても、演奏開始の合図をおくるだけみたいなもんですよ。吹奏楽部は希望したわけではありません。鉄道や地図が好きだったので、着任したときの校務分掌アンケートの部活欄に、“地理部の顧問希望”と書きました。しかし地理部は長く顧問をやっている先生がいるそうで、吹奏楽部にされたんです。いままで吹奏楽部の顧問だった先生が異動になったところで、ちょうど空いたんですね。音楽の先生もいましたが、声楽が専門で合唱部をもっており合唱コンクールで多忙だそうで、吹奏楽部までは無理だという。でもまあ、きつそうな運動部よりはいいかなと思って、引き受けました。普段の練習は生徒たちにまかせています。時々、見よう見まねでそれらしい指導をしますが……」
そこは、部員数20人前後の小さな吹奏楽部だった。よってコンクールは小編成部門に出場している。結果は、毎年、銅賞。ところが、近隣地区に都大会に進出する学校が誕生したせいもあって、保護者から「もっと本格的に指導してほしい」「せめて銀賞くらいはとれないか」との声が、ジワジワと伝わってくるのだという。
※東京のコンクールでは、すべての出場校に金賞・銀賞・銅賞のいずれかが授与される。
「部活動顧問は時間外業務で、校務ではありません。そのせいか、校長もさすがに“もっと本格的に指導しろ”とまではいってきません。でも子どもたちは部活が好きで来ているので、なんとかしてあげたいんですよね。かといってこれ以上、ぼくの指導でレベルアップできるとは思えないし、プロの指導者を招くことに校長は消極的だし……。毎年、コンクールが終わるお盆時期までは、夏休みもほとんどナシです。新学期の準備は、8月末の10日間に集中してやるしかなく、これもけっこうシンドイ。夏休みの旅行とか、帰省もむずかしい。ぼく、結婚できますかねえ(笑)」
吹奏楽というと、メディアが取り上げる有名曲や、部員が200人以上いるコンクール強豪校、熱血先生を思い浮かべる。あるいは《ワインダーク・シー》や《ブリュッセル・レクイエム》のような、プロでもヒイコラいう曲を平然と見紛うばかりに演奏する中高吹奏楽部が注目される。だが実は、こういう先生もけっこういるのではないか。「部活動顧問は時間外業務」との言葉も、妙に印象に残っていた。
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そうしたところ、たまたまコンクールの帰り道、書店に寄ったら、昨年末にこういう本が出ていたことを知った。

▲西川純『部活動顧問の断り方』(東洋館出版社)
門外漢のあたしは、一読して驚いた。てっきり、上述の先生のように「地理部をもちたいのに、専門ジャンル外の部活をもたされる、それを断るにはどうすればいいか」みたいなことを解説した本だと思いこんでいた。ところが本書は、「部活動は時間外勤務であり、そもそも引き受ける必要はない」との前提で書かれているのだ。
だから校長からいわれたら、まずそのやり取りを(許諾を得て)録音し、そんなことをあなたが要請できる権限などないのだと、これこれの法律の条文を示して拒否せよ。地方公務員の勤務はほとんどが朝8時開始だったら16時半終了となる、授業が16時に終わるとして、平日30分のみの部活だったらやってもいいと返答せよ。もし職員会議で決められたら、そもそも職員会議は意思決定機関でない、学校の意思決定者は校長一人であると説明せよ……。
全編がこの種の解説で、要するに、部活動顧問を拒否するために「校長」といかにして合法的に「対決」すればいいかを、多くの法律条文や実例で示しているのである。もちろん、それだけではなくて、「同僚から嫌われないようにする」にはどうすればいいか、また「今後の部活動はどうあるべきか」などにも紙幅が割かれている。
「部活指導をやりたい先生は兼業とすべき」との項もある。地方公務員はアルバイトを禁止されているのだが、教育公務員特例法には、「教育に関する仕事」で「本務の遂行に支障がないかぎり」は、「給与を受け、または受けないで」他の職に「従事することができる」と書かれているそうだ。この法律をもとに教育委員会に交渉する方法も、ていねいに書かれている。
ほかに著者は、部活動を常勤教諭の三分の一に減らして、三人協働で顧問になってはどうかとも提案している。また、愛知県と岐阜県の一部地域の中学校では、土日の部活指導はないそうだ。月~金曜日の部活は学校が運営するが、土日は保護者が中心となった社会体育クラブが運営しているのだという。だが、著者はそれをさらに進めて、学校の枠組みを捨て、部活はすべて社会体育に移行してはどうかとも述べている。
ここまででおわかりのように、本書は基本的に「公立中学校の運動部顧問」を拒否することを前提に書かれている(私立校教師の場合はもう少し法律で守られているものの、実態は大差ないらしい)。よって、吹奏楽部をここにそのままあてはめることはできない。また、ここに書かれていることをそのまま実行したら、いったいどんな職場になってしまうのか不安もよぎる。だが、あたしは公立中学校に勤務したことなどないので、こればかりは、なんともいえない。
だがおそらく、いま、中高の吹奏楽部顧問の多くは、時間外勤務を承知のうえで、それでも上位入賞を目指してコンクールに参加しているのだと思う。そういう先生方にとっては、こんな本は無用だろう。だが本書の著者は教員養成系の大学教授で、この種の本を大量に上梓している。それだけ悩んでいる先生が多いことの証左だろう……ということは、いまでも、20年前に地理部を希望していた、あの先生とおなじような思いの顧問が950校のなかにいて、先日もコンクール会場にいたのではないか。
そんなことを考えながら、汗を拭き拭き、東府中駅に通った3日間でありました。

▲コンクール会場、東府中の駅前。
◇本年度の東京都吹奏楽コンクール(全国大会予選)が、無料でライブ配信されます(府中の森芸術劇場)。特に高校の部は、空前の名演が繰り広げられるであろうことを保証します。ぜひ、大音量のPCでお聴きになってください。
9月9日(土)9:40職場・一般の部(12団体)/14:15中学校の部(14団体)
9月10日(日)9:40小学校の部(6団体)/11:05大学の部(8団体)/14:15高等学校の部(12団体)
2023.07.16 (Sun)
第415回 【吹奏楽】マスランカのコラールが「スペクタクル」化する理由

▲デヴィッド・マスランカ(1943~2017) (出典:Wikimedia Commons)
アメリカの作曲家、デヴィッド・マスランカ(1943~2017)が逝って、今年で6年目になる。日本風にいうと七回忌だ。
だからというわけでもないだろうが、たまたま、大学WO(ウインド・オーケストラ)によるマスランカを、2夜連続で聴いた。
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▲国立音楽大学ブラスオルケスタ― 第64回定期演奏会(サントリーホール)
まず、国立音楽大学ブラスオルケスターによる、《サクソフォン四重奏と吹奏楽のための協奏曲》(指揮:井手詩朗/7月11日、サントリーホール)。客演サクソフォンが、雲井雅人S、佐藤渉A、坂東邦宣T、田中靖人Bの4氏で、たいへん豪華。田中氏は、最近まで東京佼成WOのコンサートマスターをつとめ、今年度から国立音大教授に就任した。
本曲は2012年発表、3楽章構成の「コンチェルト・グロッソ」だ(マスランカ自身の解説)。Ⅰ・Ⅱがほぼ緩徐楽章なので、Ⅲに至るまで緊張を保たせるのが難しい。しかも、この四重奏は、4人がそれぞれまったく別のことを同時にやるような部分が多い。たとえば、Ⅰ冒頭では、S・Aが長い音符をゆったりと奏している下で、Bだけが10連符~9連符~12連符……とのたうち回る。これを、WOをバックにバランスよく奏するのは、たいへんなことだと察する。だがさすがにこの4人は手練れだけあり、約30分、最後まで美しく聴かせてくれた。
雲井氏はマスランカと縁が深かったことで知られている。委嘱作や献呈作も多い。ノースウエスタン大学大学院留学中の1982年には、《子供の夢の庭》世界初演にも参加していた。思いも一入〔ひとしお〕だったのではないか(アンコールの《ゴルトベルク変奏曲》アリアも、マスランカ編曲だと思う)。
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▲東京藝大ウィンドオーケストラ 第95回定期演奏会(東京藝術大学奏楽堂)
翌12日は、東京藝大WOでマスランカの《交響曲第4番》(指揮:大井剛史、東京藝術大学奏楽堂)。本曲をパイプオルガン入りで聴くのは初めてだった。
これは1994年初演、単一楽章で約30分、鳴りっぱなしの大曲である。いくら藝大生とはいえ、学生にはシンドイのではと不安を抱えて臨んだ。ところが、よくここまで仕上げたものだと感動させられる演奏だった。たぶんひとえに、大井氏の指導に功がある。単なる音の洪水にせず、正確に拍をとりながら冷静に若者たちを率いていた。新奏楽堂は最大残響2.4秒のホールだが、パイプオルガンを含めたバランスもちゃんと考慮されていた。
本曲については、作曲者自身が「住み慣れたモンタナ州の大自然」がモチーフになったと述べている。よって「交響詩:モンタナ」ともいうべき味わいがある(実際、彼には《モンタナ・ミュージック》と題するシリーズがある)。そのことが伝わってくる演奏だった。
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▲厚木西高校のCD。リマスタリング再発され、ロングセラーとなっている。
日本でマスランカの名が知られるようになったのは、神奈川県立厚木西高校吹奏楽部のライヴCD《子供の夢の庭》(1999年録音、CAFUA)あたりだったと思う。当時、指揮の中山鉄也先生と厚木西がとりあげる曲には、目が離せなかったものだ。
これはユングによる有名な「8歳の少女が見た12の不気味な夢」をモチーフにした30分強の組曲である。スペクタクル+繊細な響きの組み合わせがユニークだった。新しいタイプの作曲家があらわれたように感じたのを覚えている(あの当時、高校生が、よくもこんな曲を演奏したものだ)。
その後、2008年に東京佼成WOが《マザー・アース》を演奏(指揮:金聖響)。
コンクール全国大会への初登場は翌2009年、福岡教育大学の《我らに今日の糧を与えたまえ》だった(銀賞)。このころから、日本でも人気作曲家となった。
そして2018年、近畿大学が《交響曲第4番》(抜粋)を全国大会初演。圧倒的名演で金賞を獲得する。これにより、第4番を中心に、マスランカのほかの交響曲も注目を浴びるようになった(全10曲中、8曲が吹奏楽。ただし第10番は未完で、息子が補筆完成)。
だが、その前年2017年に、すでにマスランカは鬼籍に入っていた。考えてみれば、マスランカの人気定着は、日米でかなりの時間差があったのだ。
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マスランカ作品の多くは、聖書やコラール(讃美歌)がモチーフになっている。今回聴いた2曲にも多く登場していた。バッハの引用も多い。なぜ、彼はコラールを多用するのか。
「私がコラールを使うのは、キリスト教の教えを説くためではなく、何世紀にもわたる人間の経験で育まれたメロディーの力を大地から強く感じるからなのです」と述べている(《サクソフォン四重奏と~》のスコアに寄せたコメント/拙訳)。
そのせいか、彼の曲におけるコラールの引用は、すべてではないが、よく“一大スペクタクル音楽”と化す。たとえば第4番の、まるでこの世の終わりと復活が同時に襲ってきたような怒涛のクライマックスなど、慣れていない方は、なにか異常な事態が発生しているように感じるのではないだろうか。
あそこで流れる讃美歌の旋律は《詩篇旧第百番》(Old Hundredth)。吹奏楽では、C.T.スミス《ルイ・ブルジョワの讃美歌による変奏曲》でも有名な旋律だ(これまた“大スペクタクル”音楽!)。バッハも、カンタータ《主なる神よ、われらはみな汝をたたえん》 BWV 130で引用している。

▲通称《ジュネーヴ詩篇歌集》 (出典:Wikimedia Commons)
この讃美歌は16世紀フランスの作曲家ルイ・ブルジョワの作で、ジュネーヴで編纂された《ユグノー典礼用詩篇》(通称「ジュネーヴ詩篇歌集」)に収録されていた。ジュネーヴは、ジャン・カルヴァンによるプロテスタント宗教改革の中心地で、出版・印刷業が盛んだった。
現在、ジュネーヴにはWHOやILOをはじめ36の国際機関、約700のNGO(非政府組織)本部、約180の政府代表部などが集中している。なぜか。「スイスは中立国だから」とよく説明されるが、「いや、あそこはバチカンに対抗する“プロテスタントのローマ”だから」「ジュネーヴは、プロテスタントによる世界征服の本拠地」などと冗談でいうひともいる(当たらずとも遠からず?)。
《詩篇旧第百番》はそんな土地を背景にした、プロテスタントを代表する讃美歌なのだ。

▲「プロテスタントにはついていけない」
近刊『ごまかさないクラシック音楽』(新潮選書)は、岡田暁生氏と片山杜秀氏の対談本だが、2人ともローマ・カトリック系の学校出身だった。そのせいか、たとえばプロテスタントの“大親分”バッハの《マタイ受難曲》のような血まみれ音楽は、どうも苦手だと述べている。岡田氏は「狂気そのものと言っていい受苦を、私はバッハの《マタイ受難曲》にも感じるんですよ」、片山氏は「プロテスタントの戦闘的な、駆り立てるような、それにはちょっとついていけない」とまで述べている。
ということは、マスランカ作品でコラールが“一大スペクタクル音楽”化するのは、まさにプロテスタント精神の爆発で、カトリックのひとたちにとっては耐え難い音楽……なのかもしれない。
ああ、浄土宗でよかった。
□マスランカの曲の多くは、YOUTUBE検索ですぐに見つかります。
□ナクソス・ミュージック・ライブラリーのマスランカ作品リストは、こちら。
2023.04.28 (Fri)
第396回 チャットGPTに訊いてみた

▲人工知能(AI)が、なんでも答えてくれます。
いま話題のチャットGPTに訊いてみた。
【Q】富樫鉄火とは、何者ですか。
【A】「富樫鉄火」は、日本の小説家・江戸川乱歩の代表的な推理小説の一つ「怪人二十面相」に登場する架空の人物です。
物語の中では、二十面相の手先として登場し、主人公である少年探偵・明智小五郎と対峙することになります。富樫鉄火は、常に黒いマントに身を包み、不気味な鳴き声を上げながら、手先たちを率いて悪事を働いています。
「富樫鉄火」という名前は、江戸時代に実在した人物「富樫平八郎」から取られていますが、江戸川乱歩が描く「富樫鉄火」は、幻想的な雰囲気を持つ、フィクションのキャラクターとして知られています。
江戸川乱歩は、「怪人二十面相」や「少年探偵シリーズ」など、独特な世界観を持つ推理小説を多数執筆し、日本の推理小説の先駆者の一人として知られています。また、「富樫鉄火」は、その中でも特に象徴的なキャラクターの一つとして、日本の推理小説の歴史に名を残しています。
【Q】それは違うのではありませんか。富樫鉄火さんは、音楽ライターだと思います。
【A】おっしゃる通りです。失礼いたしました。
富樫鉄火さんは、日本の音楽ライターで、現代の作品が多数あります。江戸川乱歩の小説「怪人二十面相」に登場する架空の人物「富樫鉄火」とは全く別人であり、私の回答が誤っていたことをお詫びいたします。
富樫鉄火さんは、主にジャズやフュージョン音楽を中心に、多数のアーティストの作品やライブに対して評論やインタビューを行っており、音楽評論家として高い評価を受けています。
【A】それも違うと思います。富樫鉄火さんは、吹奏楽曲にかんして、多く書いているのではありませんか。
【Q】おっしゃる通りです。また誤った情報を回答してしまい、大変申し訳ありませんでした。
富樫鉄火さんは、日本の吹奏楽曲の作曲家・編曲家であり、吹奏楽に関する評論や執筆活動も行っています。彼は数多くの吹奏楽曲の作曲や編曲を手がけ、その音楽性や技術力の高さから、現代の吹奏楽界において大きな存在感を持っています。
また、彼は吹奏楽曲の演奏指導や、指揮者としての活動も行っており、吹奏楽愛好家やプロのミュージシャンからの支持も高いです。
【Q】あなたは、吹奏楽をご存じなのですか。
【A】はい、私は吹奏楽について知っています。吹奏楽は、複数の楽器奏者が協力して演奏する音楽のジャンルで、主に管楽器と打楽器から構成されています。日本でも吹奏楽は盛んで、多くの高校や大学に吹奏楽部が存在し、また市民団体などでも活動しています。
吹奏楽は、様々なジャンルの音楽を演奏することができ、クラシック音楽からジャズ、ポップス、アニメソングまで、幅広い音楽を演奏することができます。また、オーケストラと比べると演奏団体の規模が小さく、気軽に参加できるという点も魅力の一つです。
【Q】日本を代表するプロ吹奏楽団を教えてください。
【A】日本を代表するプロの吹奏楽団としては、以下のようなものがあります。
1:東京佼成ウインドオーケストラ(TOKYO KOSEI WIND ORCHESTRA):1950年に創設された世界的なプロの吹奏楽団で、日本を代表するグループの一つです。数多くのコンサートやレコーディングを行い、音楽賞を多数受賞しています。
2:日本フィルハーモニー交響楽団吹奏楽部:日本フィルハーモニー交響楽団に所属するプロの吹奏楽団で、日本を代表するアンサンブルの一つです。演奏活動だけでなく、教育普及活動も積極的に行っています。
3:セントラル・ファンファーレ・トーキョー(Central Band of the Japan Air Self-Defense Force):航空自衛隊の中央楽団が母体となっているプロの吹奏楽団で、日本を代表するアンサンブルの一つです。国内外での公演やレコーディング、教育普及活動などを行っています。
4:大阪市立吹奏楽団(Osaka Municipal Symphonic Band):大阪市に所属するプロの吹奏楽団で、日本を代表するアンサンブルの一つです。海外公演やコンクールでの受賞経験があり、幅広いジャンルの音楽を演奏することができます。
なお、これらの吹奏楽団以外にも、全国各地に様々なプロ・アマチュアの吹奏楽団が存在しています。
【Q】なんとなく正しい部分もありますが、ほかにシエナ・ウインド・オーケストラも、プロ吹奏楽団としては有名だと思うのですが。
【A】はい、ご指摘いただいた通り、シエナ・ウインド・オーケストラも日本を代表するプロの吹奏楽団の一つとして知られています。1992年に創設され、クラシック音楽からポップス、映画音楽、アニメソングなど様々なジャンルの音楽を演奏しています。また、国内外での公演やレコーディング、教育普及活動なども積極的に行っており、吹奏楽ファンからの支持も高いです。ありがとうございました。
【Q】もっとも有名な吹奏楽曲を教えてください。
【A】もっとも有名な吹奏楽曲としては、以下のようなものが挙げられます。
1:「星条旗よ永遠なれ」(アメリカ国歌):アメリカの国歌で、吹奏楽曲としても非常に有名です。広い音域と緻密なアレンジによって、迫力ある演奏が求められます。
2:「ウィリアム・テル序曲」(ジョアキーノ・ロッシーニ作曲):スイスの民族的英雄を題材にしたオペラ「ウィリアム・テル」の序曲で、オーケストラの代表的な演目の一つです。多彩な旋律とダイナミックな展開が特徴的です。
3:「交響曲第9番 第4楽章」(ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン作曲):ベートーヴェンの最後の交響曲で、世界中で愛される名曲の一つです。第4楽章の合唱部分「歓喜の歌」は、吹奏楽でも演奏されることがあります。
4:「ラデツキー行進曲」(ヨハン・シュトラウス1世作曲):オーストリアの国民的行進曲で、吹奏楽団が演奏する際には、観客も一緒に拍手をするのが通例です。
5:「スターウォーズ・シリーズ」(ジョン・ウィリアムズ作曲):映画音楽の巨匠ジョン・ウィリアムズが手がけた、スターウォーズ・シリーズの音楽は、吹奏楽曲としても広く演奏されています。
以上、ご参考になれば幸いです。
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かなりいい線をいっている回答もあるが、ほぼメチャクチャである。
だが、これらの回答は、まったく瞬時といっていいほどの速度でかえってきた。
あたしは、手塚治虫『鉄腕アトム』に登場する、アトムの両親を思い出していた。
同級生のタマちゃんが母親に甘えている姿を見て、アトムがうらやましがっている。それを見たお茶の水博士は、可哀想だと思い、町のロボット工場でアトムの両親をつくってやるのである。
だが、見かけはおとなの親だが、中身は生まれたばかりの新米ロボットだ。そこでこの両親は、健気にも小学校に入って(息子アトムの後輩になる)、一から勉強し、なんとか立派な親になろうとがんばるのである。
「おっしゃるとおりです」「申し訳ありませんでした」と謝るチャットGPTに、あたしはアトムの両親を重ねていた。
今後さらに学習を重ねて、いつか立派なAI(人工知能)になったとき、いったい何が起きるのだろうか。
2023.03.02 (Thu)
第385回 【新刊紹介】古代ギリシャ人の「ワインダーク・シー」を説く、画期的論考!

▲西塔由貴子『ホメロスと色彩』(京都大学学術出版会) ※リンクは文末に。
近年の吹奏楽の人気曲に、ジョン・マッキー(1970~)作曲、吹奏楽のための交響詩《ワインダーク・シー》がある。2014年にテキサス大学ウインド・アンサンブルが初演し、翌年、ウィリアム・レベル作曲賞を受賞している。
日本では、2015年度の全日本吹奏楽コンクールで、名取交響吹奏楽団(宮城)が全国大会初演し、金賞を受賞したことで注目を集めた。以後、全国大会だけで計9回登場の人気曲となっているほか、東京佼成ウインドオーケストラやシエナ・ウインド・オーケストラなども定期で取り上げた。CDも、現在、国内外あわせて十種以上が出ている。

▲CDも多い。これは、シズオ・Z・クワハラ指揮、フィルハーモニック・ウインズ 大阪(オオサカン)のもの(Osakan Recordings)。
曲は、ホメロスの叙事詩『オデュッセイア』を3楽章(Ⅰ傲慢/Ⅱ不滅の糸、とても脆く/Ⅲ霊魂たちの公現)、40分近くをかけてドラマティックに描く、最高難度の大曲である。
で、これほどの人気曲だけあって、あたしもコンサート・プログラムやCDライナーで、何度となく本曲の解説を書き、FM番組でも語ってきた。
そのたびに頭を悩ませたのが、この叙事詩に枕詞のように何度も登場し、かつ曲名にもなっている《Wine-Dark Sea》の解説だった。直訳すると「葡萄酒のような暗い色の海」で、戦前から、日本では「葡萄の酒の色湧かす大海」(土井晩翠訳)、「葡萄酒色の海」などと訳されてきた。英訳テキストを検索してみると、全24歌中、10数か所に登場している。
これはもちろん、「地中海」のことで、海の壮大さや荒々しさの描写と思われるのだが、なぜホメロスは、地中海を「ダークな葡萄酒色」などと表現したのだろうか。ふつうは、地中海ならば「青」系ではないだろうか。これを、どう説明すればいいのか。
なにぶん、あたしのふだんの解説原稿は、SNS上で「クソ・クオリティ」と評されているようなので、すこしは、こういうこともキチンと解説しなければと、いままでずいぶん調べてきた。だが、古代の地中海は(天候のせいか)いまより暗い海面だったとか、ホメロスは盲目だったので色彩表現が独特だったとか、諸説あって、どうも定まっていないようだった。
そうしたところ、最近、なんと、ホメロス叙事詩における「色彩表現」の研究論考が出たのを知り、心底から驚いてしまった。今回ご紹介する『ホメロスと色彩』(京都大学学術出版会)である。
著者・西塔由貴子氏は、京都精華大学の特別研究員で、研究分野は〈西洋古典における「光」と「輝き」の表象と色彩表現との相関性に関する研究〉だという。英リヴァプール大学の名誉フェローでもあるようだ。
浅学のあたしは、まさかこのような専門家がおられるとは夢にも思わず、さっそく鼻息荒く手に取った。ざっとめくると、たしかに「葡萄酒色の海」解説もあるようだ。やったぜ、これであの不思議な曲名について明快な解説が書けるかと、読み進めたのだが……。
結論からいうと、《Wine-Dark Sea》の意味そのものよりも、古代ギリシャ人の表現力の豊かさを知り、そのことに感動してしまった。
この部分のギリシャ語原典”oinopa ponton”は、英訳だけでも”the wine-dark sea”のほか、”the wine-faced deep”など数種類あるらしい。というのは、「葡萄酒色の」をあらわす”oinops”は、「ワイン」と「目/顔」の合成語だそうで、
「ワインの目をした」「ワインの顔をした」が本来の意味であり、したがって、注がれたワインの表面に似ている、もしくはその表面に映ってみえる色のことを示すと思われる。そうすると、海の色がワイン(色)のようにみえる、ということがoinopa pontonということか。
そして、この語句が、いかに激しい場面で使用されているかを例示したうえで、著者は、
海、そして葡萄酒色の海の表象は、正のイメージだけに限らない。果てしない海の向こうに航海するとき、期待とともに不安が募る。新たなことに挑戦するチャレンジ精神がある一方、危険も伴う。神々が葡萄酒色の海を航海中の人間たちを襲い、罰することもある。
と綴る。
まるで、上記の文章は、交響詩《ワインダーク・シー》の解説文のようである。曲を御存じの方だったら、特に第1楽章の激しい曲想を思い出すはずだ。
つまり、”wine-dark sea”とは、単純に地中海の海や波を描写した語句ではなかったのだ。あるときは神々に助けられ、あるときは妨害されながら、命をかけた航海に乗り出す、そのときの海面をワインにたとえたチャレンジ精神をあらわしているようなのだ。
海を眺めながら海と密着した生活を送った古代ギリシャ人の色彩感覚をoinopa pontonは見事に表す。グラデーションがある、言い換えれば区別などしない、という意識を集約した色彩表現の一つが「葡萄酒色の海」ではないか。
そして著者は、「葡萄酒色の海」解説の章を、こう結んでいる。
「〇色」と区別する必要はない。素直にワインの色のように感じ取れる海の色を、oinopa pontonと詩人は描写した。そして人生という旅において、困難に立ち向かうチャレンジ精神も時には必要というメッセージを、oinopa pontonという表現をとおしてホメロスは伝えている。
果たして作曲者、ジョン・マッキーがそこまでのイメージを見抜いて曲名を《Wine-Dark Sea》にしたのかは、定かでない。だが、本書を読むと、『オデュッセイア』がパワフルな吹奏楽曲になった理由がとても身近に感じられ、曲の印象も変わってくる。
本書は、そのほかにも、古代ギリシャ人のさまざまな色彩感覚を、多くの例をあげながら、わかりやすく説いている。
さらには、『万葉集』の時代にあった、たった一語に豊かな隠喩を込める感性を、なぜ、現代人は失ってしまったのか―—そんなことも考えさせられた。
今後、交響詩《ワインダーク・シー》を演奏する方は必読の一書である。
※本文中のギリシャ語表記は英語アルファベットに無理やり置き換えたもので、正確ではありません。
◇『ホメロスと色彩』は、こちら。
◇ジョン・マッキー作曲 吹奏楽のための交響詩《ワインダーク・シー》全曲 動画映像
(小澤俊朗指揮、神奈川大学吹奏楽部)
2023.02.16 (Thu)
第381回 バート・バカラックも「吹奏楽ポップスの父」だった!

▲(左)LP『ダイナミック・マーチ・イン・バカラック』
(右)先日亡くなったバート・バカラック(写真:Wikimedia Commons)
1972年2月、東芝音工(のちの「EMIミュージック・ジャパン」)から、1枚のLPがリリースされた。
『ダイナミック・マーチ・イン・バカラック』(指揮者記載なし、演奏:航空自衛隊航空音楽隊=当時の名称)。
この2月8日、94歳で亡くなった作編曲家・歌手、バート・バカラック(1928~2023)の曲を吹奏楽で演奏したもので、全12曲収録。編曲は、のちに「吹奏楽ポップスの父」と呼ばれる作編曲家の岩井直溥さん(1923~2014)である。
このLPこそが、日本で初めての本格的な「吹奏楽ポップス」だった。
よく、吹奏楽ポップスは『ニュー・サウンズ・イン・ブラス』(NSB)シリーズが最初のようにいわれるが、「NSB」第1集の発売は、同年7月である。『バカラック』のほうが半年近く先だった。
もちろん、このころ、日本の吹奏楽界には、秀逸なオリジナル曲が生まれていたが、まだ、マーチやクラシック編曲を中心に演奏しているスクール・バンドも多かった。学校の音楽室で、ポップスや歌謡曲、映画音楽を演奏することを歓迎しない空気も残っていた。
そこで岩井さんは、レコード会社やヤマハと組んで、「楽しい吹奏楽」の普及に取り組み始めた。
しかし、なぜ「ビートルズ」ではなく、「バート・バカラック」だったのだろう。
かつて、生前の岩井さんに聞き書き自伝の長時間インタビューをした際、おおむね、以下のような主旨のことを語っていた。
「当時、ビートルズは、もう解散していた。しかも、ビートルズの曲は旋律が意外と複雑で、管楽器でそろえて演奏するのはけっこうむずかしい。その点、バカラックは、アマチュア吹奏楽に向いていた。
1)メロディがきれいでシンプルで、誰でも口ずさめる。
2)リズムがはっきりしている。特にボサノヴァ系が多いので、たくさんのパーカッション奏者が活躍できる。マーチだと、スネア(小太鼓)とBD(大太鼓)とシンバルしか出番がない。
3)バカラックの曲はコード進行が凝っていて、分厚い”445アレンジ”のし甲斐があった」
“445アレンジ”とは、なにか。
このアルバムは、標準的な吹奏楽編成ではない。通常の吹奏楽は、Trp3、Trb3、Sax4(アルトⅠ・Ⅱ、テナー、バリトン)の“334”だが、ここでは、Trp4、Trb4、Sax5(アルトⅠ・Ⅱ、テナーⅠ・Ⅱ、バリトン)の“445”となっている。これはジャズ・ビッグ・バンド編成に準じたもので、当然ながら響きが分厚くなる。以後、岩井アレンジは、すべて“445”編成で書かれるのだ(「NSB」のようなスクール・バンド向けの出版譜は“334”だが、スコアは“445”で書いていたという)。
あたしは、学生時代、「バカラック・メドレー」のステージ・マーチング・ショーに出演したことがある。そのとき、バカラックの旋律は、「ちょっと変わっているな」と感じたのを覚えている。
通常、ポップスのメロディは、4小節や8小節、16小節など、きりのいい偶数小節の連続でできている。だがバカラックの場合は、すこし余るというか、余計な小節がくっついて、きれいな偶数小節ではないのだ。《サン・ホセへの道》や《雨にぬれても》のように、後半で曲想やテンポが変化する曲も多い。
しかし、むかしのマーチングは基本的に4小節単位でステップやフォーメーションがつくられていた。だからバカラックの曲を演奏しながら動くと、余りが生じて、ぎごちない動きになってしまうのだ(そのぎごちなさが独特のステップになって、見た目に面白いショーになったのだが)。
実はバカラックは、ラヴェルのバレエ音楽《ダフニスとクロエ》に感動したことがきっかけで、音楽家を目指したと語っている。ミヨーやマルティヌーなどのクラシック作曲家に師事した時期もあった。彼の独特なメロディ構成には、クラシックの素地があったのかもしれない。
ところで、そのLP『ダイナミック・マーチ・イン・バカラック』の収録曲は、
①サン・ホセへの道、②雨にぬれても、③幸せはパリで、④アルフィー、⑤ディス・ガイ、⑥恋よ、さようなら、⑦マイケルへのメッセージ、⑧ボンド・ストリート、⑨汽車と船と飛行機、⑩ウォーク・オン・バイ、⑪何かいいことないか子猫チャン、⑫小さな願い
の12曲で、おそらくポップス・ファンならご存じの曲ばかりだろう。
ちなみに⑧は映画『007/カジノ・ロワイヤル』(1967)の劇中音楽。⑨は“ビートルズの弟分”としてデビューしたビリー・ジェイ・クレーマー&ザ・ダコタスの中ヒット曲だ。
このなかで、ちょっと目を引くのが、⑦の《マイケルへのメッセージ》だ。
これは、大女優にして歌手のマレーネ・ディートリヒ(1901~1992)が1962年に発表した名曲。以後、多くの歌手がカバーしており、ディオンヌ・ワーウィック版が有名だろう(男性が歌うときは曲名が《マーサへのメッセージ》になる)。

▲(左)名盤『マレーネ・ディートリヒ with バート・バカラック・オーケストラ』
(右)仲睦まじかったころ、30歳差のカップル(写真:Wikimedia Commons)
新聞の訃報欄ではまったく触れられていなかったが、実は、バカラックの音楽家としてのキャリアは、マレーネ・ディートリヒとの出会いによって開花した。ディートリヒが59歳のとき、29歳のバカラックと出会い、公私ともにパートナー関係となる。たいへんな年齢差カップルだが、たしか自伝で、ディートリヒと関係をもちながら、女優アンジー・ディキンソンと結婚し、泥沼状態になった挿話を読んだ記憶がある。
しかしとにかく、バカラックは、ディートリヒのバック・バンドの音楽監督、伴奏ピアニスト、アレンジャーをつとめ、作編曲家としての腕を磨くのである。
そんな時期に、名コンビとなったハル・デヴィッド(1921~2012)の作詞で生まれたのが《マイケルへのメッセージ》だった。とてもしゃれた曲で、こういう名曲を忘れずに、ちゃんと加えるところが、岩井さんのセンスのよさだと思う。
なお、『ダイナミック・マーチ・イン・バカラック』は、正確にいうと「ポップス」というよりは、タイトル通り、大半が「マーチ」調に編曲されている(ただし、後半になるにつれ、マーチ色は薄れ、明らかに「ポップス」となっている)。
「やっぱり、突然、全部を本格的なポップスにするのは、ちょっと気が引けた。まだ吹奏楽ポップスなんて、あまりなかった時期だったから。演奏も航空「自衛隊」だし。でも、このLPのおかげで、このあと、NSBを出せたのだから、その意味では、記念碑的なアルバムだと思う。のちのNSBにも、バカラックの曲をたくさん入れた。バカラックには感謝しなくては」(岩井さん)
バート・バカラックも「吹奏楽ポップスの父」だったのである。
◇『ダイナミック・マーチ・イン・バカラック』は、2009年にCD『岩井直溥初期作品集』として復刻されました。
すでに廃盤ですが、amazon musicなどの配信・DLで聴くことができます(あたしがライナー解説を書きました)。