2016.01.29 (Fri)
第146回 美空ひばりが朗読する、カフカ『変身』

素晴らしいCDが出た。
1958(昭和33)年前後にTBSラジオで放送した、美空ひばりをフィーチャーした番組の音源が発掘され、「美空ひばり 青春アワー」と題してまとまったのだ。
全3枚構成。
1枚目は、1958年4月、歌舞伎座における芸能生活10周年記念ショーの録音が中心。
当時21歳、驚愕の歌唱力とショー・ウーマン・シップを見せてくれる。
曲間で、ファンへの感謝の言葉を述べたり、お便りを読んだするのだが(ここはスタジオ収録)、これが驚くほど上品、かつきれいな声、滑舌なのだ。
しかも、口調が、いかにもラジオの前にいるファンへ個人的に語りかけているようで、これが本来のラジオのあり方だったのだと、懐かしさでいっぱいになった。
そして2枚目は、1958年に放送された30分の帯番組「美空ひばりアワー/思い出は歌とともに」から、2回分が、そのまま収録されている。
これが実に凝った構成で、副題どおり、ひばりが、日々の思いや、幼少時代の思い出などを語りながら(時折、ゲストも交えながら)、合間に彼女のヒット曲が流れるのである。
ここで驚くべきは、毎回、冒頭が、文学作品の朗読で始まること。
今回収録された2回分では、最初がヘルマン・ヘッセの詩だが、もう1回分では、何と、カフカの『変身』を抜粋朗読しているのだ。
京都へ向かう列車の中で読んで、たいへん印象に残ったのだという。
しかも、放送作家によると思われる朗読台本が、なかなかうまくできており、たった5分間で、作品の冒頭~中間~ラストをうまく抜粋構成して全体像を伝えている。
効果音や不気味なBGMも入っており、ちょっとしたオーディオ・ドラマである。
だが、さすがにひばりといえど、文学朗読となると、そう驚くほどではないのだが、それでも、いかにも真摯な文学少女が、一生懸命に読んでいる雰囲気が伝わってきて、微笑ましい。
そして、朗読を終えて、意外なコメントを発する。
「変身という現象を追ってみるだけでも、かつて塩酸事件にあった私には、何かと考えさせられるのです。明日をも知れぬひとのさだめ。幸福とは、不幸とは……」
ちょうど、この1年前の1957年1月、ひばりは、浅草国際劇場で、舞台袖からステージに出た瞬間、突然、花道から上がってきた少女に塩酸をかけられた(近くにいたスタッフや共演者たちも火傷を負った)。
その場でショーは中止となり、ひばりは病院に運ばれる。
犯人の少女はひばりの同年で、山形の定時制高校を中退し、東京で住み込みの女中をしていた。
ひばりの熱狂的なファンで、手紙を出したり電話をかけたりしたのだが、いっこうに反応がない。
そのうち「こんなに好きなのに振り向いてくれない。ひばりちゃんが憎い」となって、犯行に及んだのだという。
幸いひばりの顔に傷は残らなかったが、この世には「好きだから傷つける」との心理もあることが判明し、これをきっかけに、芸能人は、一般人との間に大きな壁をつくるようになるのである。
そんな事件から間もない時期に、カフカ『変身』を朗読させるスタッフもすごいが、それを平然とこなして、上記のようなコメントを冷静に発する20歳そこそこのひばりも、たいしたものだと思った。
そして3枚目だが、これもまた、すごい。
1956年に来日した、ペレス・プラード楽団と、三人娘(雪村いづみ、江利チエミ、美空ひばり)との、共演ステージの実況である。
ペレス・プラードといえば《マンボ№5》や《闘牛士のマンボ》《タブー》で知られる「マンボ・キング」である。
いまでも吹奏楽で演奏されている曲ばかりで、意外と、若い人にも知られている。
その彼が、国際スタジアム(おそらく両国にあった施設)で、三人娘のバックをつとめた。
まず1曲目の、ペレス・プラード楽団による《さくらさくら》からして異常なテンションである。
あの《タブー》のノリで、《さくら~》を演奏するのだ。
トランペットは、強烈なグロウル奏法で、ネチネチと奏でる。

▲三人娘が初共演した、傑作アイドル映画『ジャンケン娘』(1955年、杉江敏男監督)
つづいてトン子(いづみ)、チエミ、ひばりの順で、2曲ずつ、楽団をバックに歌う。
曲の合間には、司会者とのおしゃべりもある。
トン子の名曲《チャチャチャは素晴らしい》が、ペレス・プラードのバックで歌われていたなんて、夢にも思わなかった。
「♪猫もネズミもチャッチャッチャ、おまわりさんもチャッチャッチャ」と絶好調である。
チエミの大人びた歌唱、そしてトリ、ひばりの《アンヘリート・ネグロス》《セシボン・マンボ》は圧巻というほかない。
これが18歳の少女なのか。
昨今人気のナントカ48とやらは、おそらくこの時のひばりよりも、ずっと年上だと思うのだが、これを聴いたら、恥ずかしくて人前で歌うどころではなくなるのではないか。
私は、何度かひばりの生ステージを観ているが、彼女のすごいところは、その歌を初めて歌った当時に、瞬時に戻れる点である。
生涯最後の大型ステージになった、1988年4月、東京ドーム杮落とし公演「不死鳥コンサート」の時点では、51歳だったはずだが、《悲しき口笛》など、完全に、子供時代にタイムスリップしたようであった。
では、このCDでの、ペレス・プラード楽団との共演では、どうか。
ここで18歳のひばりは、すでに50歳代、死の直前の貫録を表現してしまっている。
つまり、ひばりは、過去に戻れるだけではなく、未来にも飛翔できたのである。
修正がきかない実況録音でこそ、そんな彼女の素晴らしさは伝わってくる。
美空ひばりは、クラシック・アーティストに匹敵する歌手であった。
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2016.01.25 (Mon)
第145回 1月23日、タッドとシエナ

1月23日(土)午後は、タッド・ウインドシンフォニーと、シエナ・ウインド・オーケストラの演奏会が重なった。
仕方ないので、時間が早いタッドWSは、ゲネプロを聴かせていただいた。
今回の目玉は、フィリップ・スパークの交響曲第3番《カラー・シンフォニー》の日本初演である。
(最初から吹奏楽用に書かれた曲で、ブラスバンド曲からの編曲ではない)
2014年11月のドイツ初演を含めて、まだ世界中で2回しか演奏されておらず、楽譜も出版されていない。
セッション録音はすんでいるらしいが、CD発売はこれからだという。
よって、スコアも見ておらず、あくまで本番直前の、断片的な最終リハーサルを聴いただけなので、あまり正確な感想は述べられないのだが、それでも、たいへん面白く聴いた。
曲は全5楽章。
各楽章ごとに「色」が題材となっている。
「色」といっても、調性や共感覚などを表現しているわけではなく、色の一般的なイメージを音楽化しているようだった。
その「色」とは、Ⅰ:ホワイト、Ⅱ:イエロー、Ⅲ:ブルー、Ⅳ:レッド、Ⅴ:グリーンである。
編成はかなり大型で、委嘱元からは「吹奏楽で使用する楽器を総動員してほしい」との要望があったという。
よって、ピアノ、ハープや、木管低音の特殊管、さらには、チェロ2丁も加えられている。
第3楽章(ブルー)では、そのチェロ2丁が、弦バスとともに、かなり長い「弦楽アンサンブル」を披露する。
通常、吹奏楽における弦バスは、テューバやバリトン・サクソフォンと同じラインを演奏することが多いが、ここでは完全に独立しており、吹奏楽曲で、このような響きを聴いたのは、初めてであった。
第4楽章(レッド)は金管と打楽器が活躍し、コンサート・マーチのような華々しい曲想となる。
グレッグスン《剣と王冠》や、リード《オセロ》第4楽章を思わせる、古き良き大英帝国のムード満点である。
最後の第5楽章(グリーン)は、すべてのカラーがパレット上で混ざり合い、カンバス上に巨大な絵画を描いていくようだった。
ここ数年、スパークは《宇宙の音楽》が大人気だったが、あれほどの音の洪水ではなく、ずっとクラシカルな印象だった。
指揮の鈴木孝佳氏は、スパークから直接にスコアを託されたそうで、さすがに見事なアナリーゼでオーケストラに細かい指示を与えて音楽を構築していた。
各楽章の演奏時間まではチェックできなかったが、第4楽章や第5楽章は、そのまま、コンクール自由曲に使う団体があらわれそうな予感がある。
このコンサートの模様は、今までどおり、ライヴ収録されて、CD化されることになっているので、ぜひ、実際の音を聴いていただきたい。
なお、この日はほかに、ジョン・ウィリアムズの《カウボーイ》新編曲(ボクック編曲)も演奏された。
ご存じ、映画『11人のカウボーイ』(ジョン・ウェイン主演、マーク・ライデル監督、1971年)の音楽である。
(スティーヴン・スピルバーグが、このサントラの大ファンで、『続・激突!カージャック』や『ジョーズ』で、ジョン・ウィリアムズを起用するきっかけとなった。私も、この音楽は、ジョン・ウィリアムズの最高傑作だと思う)
今までにも「ボクック編曲」の吹奏楽譜(簡易アレンジ版)は出ていたが、それではなく、ジョン・ウィリアムズ本人が海兵隊バンドを指揮するコンサートがあり、そのために、新たに制作されたスコアだという。
この曲の吹奏楽版が日本に広まるきっかけは、1987年のコンクール全国大会、同じ鈴木孝佳氏指揮の福岡工業大学附属高校(現・福岡工業大学附属城東高校)の演奏だったと思うが、あのときのスコアは、ジョン・カーナウ編曲版だった(鈴木氏の委嘱で生まれたスコアだったという)。
以後も、日本では、カーナウ編曲版が演奏されてきたのだが、今回の新ボクック版は、オーケストラ原曲の響きにずっと近づいており、全体的に、たいへん柔らかい響きになっているような気がした。

さて、タッドWSのゲネプロを聴かせていただいたあとは、シエナWOのコンサート「邦人吹奏楽作品とその変遷」へ。
曲目は、通常のコンサートのメイン曲になる大曲、有名曲がずらりと並び、いかにシエナといえど、よくぞ、このような重量級プログラムをこなすものだと、頭が下がる。
指揮は、渡辺一正氏。
兼田敏《パッサカリア》1971年発表
藤田玄播《天使ミカエルの嘆き》1978年発表
大栗裕《大阪俗謡による幻想曲》原典版 1956/1970/1974/2014年発表
三善晃《深層の祭》1988年発表
黛敏郎/長生淳《オール・デウーヴル》1947/1998/2015年発表
中橋愛生《科戸の鵲巣》2004/2014年発表
真島俊夫《三つのジャポニスム》2001年発表
服部隆之/三浦秀秋《真田丸》2016年発表(アンコール)
上記でおわかりのように、全7曲(+アンコール1曲)で、戦後の主要邦人作品をたどる構成。
しかも、1曲目が兼田敏氏で、最終曲が、その弟子・真島俊夫氏という、いわば、戦後の日本吹奏楽界を、二世代にわたって包括する、意欲的なプログラムである。
最初から最後まで、全身に力を入れて聴いたが、その前に聴いた、タッドWSの時とはちがう、別の感性を惹起させられて、面白い体験だった。
当たり前の話だが、同じ吹奏楽とはいえ、欧米曲と邦人曲では、語法はまったくちがう。
スパークやジョン・ウィリアムズは、カタルシスに向けて、まっすぐに突き進む。
目の前に障害物があると、途中休憩はするが、基本的に、何としてでもなぎ倒して(あるいは咀嚼して)目的地に向かう。
(連合軍のノルマンディ上陸作戦のよう)
だが邦人曲は、障害物があると、まず立ち止まる。
そして、ほかの経路を探して、迂回する。
(日本海軍のキスカ島撤退作戦のよう)
そこに立ちふさがるのは、障害物ではなく、自分たちとはちがう「何か」なのである。
それは、とりあえず尊重するべきで、なぎ倒すなんてことは、あまり考えない。
そうやって迂回して遠回りして、ようやく目的地にたどり着いた時の感慨は、喜びでもあるのだが、何となく、複雑な感慨も、残る。
それが、邦人曲の魅力のようにも感じた。
ほとんどの曲が、いやというほど何回も聴いてきた超名曲ばかりだが、こうやって一堂に会すると(特に《深層の祭》と《科戸の鵲巣》を一緒に聴いたことで)、そんな思いを、特に強く抱いた。
(「今まで自分の中にあるとは思わなかった感覚が、表に出たような感じがしました」と語る団員の方もいた)
司会は、作曲家の中橋愛生氏と、おなじみ秋山紀夫氏。
作曲家ならではの的確なガイドと、戦後吹奏楽史の生き証人による見事な解説で、当日の聴衆の理解も、十分、深まったと思う。
このような、若干のレクチャー色もありながら、吹奏楽の醍醐味も十分味わえるコンサートが、もっとあっていいと思った。
(一部敬称略)
(1月23日、タッドWS=ティアラこうとう、シエナWO=文京シビックホールにて)
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2016.01.20 (Wed)
第144回 文楽『国性爺合戦』

映画『日本女侠伝 侠客芸者』(1969年、山下耕作監督)に、お座敷遊び「狐拳」[きつねけん]が登場する。
「狐」「庄屋「狩人」の仕草で勝負を決める、ジャンケンの一種だ。
藤純子扮する芸者の信次が、伴奏に乗って、ポーズを次々に披露する。

さすがは幼少時から日本舞踊を身に着けてきた大女優だけあって、惚れ惚れする見事な所作を見せてくれる。
これと似たお座敷じゃんけんに「虎拳」[とらけん]がある。
こちらは「虎」「母」「和藤内」の仕草で勝負する。
優劣は、虎(四つん這い)>母(杖を突く老婆)>和藤内(鉄砲を構えるor腰に拳をあてる)>虎……の三すくみだ。
「♪和藤内がえんやらや、捕えた獣はと~らとら」などと歌いながらのんびり展開する。
この「虎拳」の原典が、近松門左衛門の超大作浄瑠璃『国性爺合戦』二段目の切「千里が竹虎狩りの段」である。
母を連れて獅子が城を目指す和藤内は、竹林の中で虎に出会う。
なかなか退治できずに苦労していると、母の進言で、「太神宮の御祓」(伊勢神宮のお札)を示すと、たちまち大人しくなる。
この場面を、じゃんけん遊びにしたのである。
『国性爺合戦』は、それほど人口に膾炙した大ヒット作だった(初演は、竹本座で足かけ3年、17か月のロングランとなった)。
国立文楽劇場、夜の第2部『国性爺合戦』は、昨年2月の東京公演に初段と二段目前半を加えた形で、全五段の内、三段目までを、ほぼ通しで見せる。
日中ハーフの豪傑・和藤内(史実の鄭成功=国姓爺がモデル)が、海を渡って、韃靼国に乗っ取られた父の祖国・明国に出向く。
そして中国の英傑たちと連合軍を結成して韃靼国を追い出し、明国を復活させるまでの物語である。
(史実では、明国は滅亡し、清国の時代になる)
その中で、父子、母子、家族など、様々な人間模様が描かれる、壮大なスケールのノンストップ・アクション劇だ。
特に初段は32年ぶりの上演だそうで、明国に韃靼国が入り込む発端が描かれるが、たいへんスピーディ、かつドラマティックで、目と耳を奪われた。
『スター・ウォーズ』Ⅰ~Ⅲを初めて観たときと似た気分だった。
中でも、栴檀皇女が小舟で日本に送り出されるラストは、「エピソードⅢ/シスの復讐」そっくり(誕生後すぐに惑星タトゥイーンに送られるルーク・スカイウォーカー)。
ジョージ・ルーカスは、近松までをも研究していたのではあるまいか。
(山田庄一氏の補綴が素晴らしい。ただし三段目までの上演につき、後段の伏線となる、死んだ妃の腹を裂いて胎児を入れ替える場面はカットされている)
初段は、通例で、若手の技芸員たちによって演じられる。
だが、これほどの見せ場なら、特に切場、将軍の妻・柳歌君が命をかけて皇帝の妹・栴檀皇女を守るシーンなど、ぜひ一度、中堅~幹部クラスで見せてほしいと思ったほどだ。
「甘輝館」の語りは千歳大夫。
日本との連合タッグ申し入れに悩む甘輝将軍を、スケール豊かに語る名演だった。
日本の恥の精神を切々と説く和藤内の母も、見事だった。
つづく有名な「紅流し」のシーンは、私は昔から、映画『椿三十郎』(1962年、黒澤明監督)の元ネタだと信じている。

敵に捕らわれた三十郎(三船敏郎)が、「小川に流すのが赤い椿だったらここを襲撃、白い椿だったら中止の合図だ」といい加減なことを言う。
敵勢は、大慌てで白い椿を摘んで小川に流す。
(実は色は決めていなかった。とにかく何色だろうと、椿の花が流れてきたら襲撃開始)
だが『国性爺』では、黄河につながる堀に「交渉成功なら白粉を、決裂なら紅を流す」と決まっていた。
橋の上で待つ和藤内、流れてきたのは「紅」だった。
この時の名せりふ「南無三! 紅が流れた!」、文字久大と藤蔵で、骨太に聴かせてくれた。
さらに錦祥女の勘十郎、和藤内母の勘壽ともども、涙を誘うラストを見せてくれる。
ひさびさに、大スケールで荒唐無稽な冒険譚を楽しんだ。
このあとの四~五段目も、これまた『スター・ウォーズ』ばりの面白さなので(間延びする部分もあるせいか、近代では上演記録がないようだ。ならば圧縮校訂してでも!)、全五段通しで観てみたいものだ。
(1月16日所見)
【余談】
昨年11月に逝去された宇江佐真理さんの『深川恋物語』(集英社文庫)シリーズ中の一編「狐拳」に、いまでは大店の姑嫁となった元芸者の母娘が狐拳に興じ、店中で盛り上がるシーンがある。花柳界のお座敷遊びを、市井人がおおいに面白がって見ている。「虎拳」も同様だったかもしれない。

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2016.01.18 (Mon)
第143回 文楽 八代豊竹嶋大夫引退披露狂言

国立文楽劇場、昼の第1部は、八代豊竹嶋大夫の引退披露狂言『関取千両幟』(猪名川内~相撲場)。
昨年10月に人間国宝に認定され、最初の本格的舞台が引退興行とは。
かつて、ふっくらとしていた顔も、さすがに83歳の高齢とあって、すっかり痩せて一回り小さくなった。
あの、顔中から汗を噴き出させ、真っ赤になって語る様子も、今ではもう見られない。
だが、鼻にかかった高音の美声は十分健在で、若いころのジュゼッペ・ディ・ステーファノのようなこの声がもう聴けなくなるのかと思うと、感慨を覚えた。
掛け合い上演につき、嶋大夫は、猪名川女房「おとわ」を演じるのみ。
よって、ほんの少ししか聴きどころがなく、その点では、いささか寂しかった。
(そもそも、一人で切場を全部語れるほどのパワーがあるのなら、引退など考えないはずで、「そろそろ限界だ」と感じたからこそ引退するのである。だから、こういう形になるのも無理はない)
だが、三味線を名コンビ・寛治が付き合い、「おとわ」を遣うのが蓑助。
つまり「人間国宝トリオ」である。
その上、門弟勢揃いによる掛け合いだったので、たいへん賑やかで、華々しい一幕だった。
上演前に口上がある。
文楽の引退興行では、当人は何も語らない。
ひたすら低頭しているのみで、高弟が横で口上を述べる。
今回は呂勢大夫がつとめたが、いうまでもなく見事な滑舌と声、口跡で、必要最低限のことだけをすっきりと述べ、たいへん立派だった。
若手の歌舞伎役者は見習ってほしい。
途中、櫓太鼓を三味線で模倣する「曲弾き」を、寛治の孫で、29歳の寛太郎がつとめる。
これが、前代未聞の出し物で、客席は唖然呆然となっていた。
三味線による変わった奏法は、いままで何度か見てきたが、今回は、ほとんど「アクロバット」だった。
才尻(撥の尻)で弾くなどは朝飯前で、「両手の指」で同時に弾く、逆さまに持って弾く、撥が宙を舞うなど、およそ考え付く、ありとあらゆる奏法が、次々と登場する。
私も、一応「音楽ライター」なぞと名乗っている以上、体験だけでもしておこうと、義太夫の太棹三味線をいじったことがあるのだが、楽器も撥も、客席から見ている以上に大きくて、重いものである。
それを、あのように扱うとは……文楽が、肉体を酷使する芸能であることに、あらためて思いが至った。
人形遣いと太夫と三味線が、文字通り「三位一体」となり、全身全霊を傾けて、音楽を奏で、物語を演じる。
若い寛太郎の挑戦が、祖父の親友の花道を飾ったわけで、なかなか感動的だった。
この「曲弾き」は、2月の東京公演でも上演される予定なので、ぜひ、多くの方々にご覧いただきたい。
文楽や伝統芸能に対するイメージが一変するはずである。
嶋大夫は、昭和23年に、15歳で愛媛から大阪に渡り、入門した。
『封印切』『酒屋』など、美声で語る世話物が素晴らしかった。
住大夫も引退したいま、これで太夫から人間国宝はいなくなり、切場語りは咲大夫ひとりとなる。
早急な世代交代が望まれるところだ。
嶋大夫師匠、長年、お疲れ様でした。
(1月17日所見。ほかに『野崎村』『釣女』が付いた)
(敬称略)
※第2部『国性爺合戦』については、次回、書く予定です。
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2016.01.15 (Fri)
第142回 SMAP解散

SMAP解散騒動は、1月13日(水)の「日刊スポーツ」「スポーツニッポン」のスクープでおおやけになった。
ここに至る経緯を整理すると、以下のような流れである。
きっかけは、昨年の、「週刊文春」2015年1月29日号のインタビュー記事「ジャニーズ女帝 メリー喜多川 怒りの独白5時間」だった。
ジャニーズ事務所内には、SMAPの「育ての親」飯島三智氏と、嵐やTOKIOを擁する藤島ジュリー景子副社長の2大派閥があり、次期社長を争っているのだという。
ジュリー副社長は、ジャニーズ事務所を実質的に取り仕切るメリー喜多川副社長の実娘である。
この記事は、衝撃だった。
ジャニーズ批判の急先鋒である「週刊文春」のインタビューに、メリー副社長が応じたことだけでも驚きなのに、その発言内容がすごかった。
「私の娘が(会社を)継いで何がおかしいの? “次期社長候補”って失礼な。“次期社長”ですよ」
「うちの事務所に派閥があるなら、それは私の管理不足です。(略)飯島を注意します。今日、(飯島氏を)辞めさせますよ」
「もしジュリーと飯島が問題になっているなら、私はジュリーを残します。自分の子だから。飯島は辞めさせます。それしかない」
SMAPと嵐が共演しないのは、
「だって(共演しようにも)SMAPは踊れないじゃないですか。あなた、タレント見ていて踊りの違いってわからないんですか? それで、そういうことをお書きになったら失礼よ。(SMAPは)踊れる子たちから見れば、踊れません」
それどころか、インタビューの場に、飯島氏を呼びつけ、「SMAPをつれていっても今日から出て行ってもらう。あなたは辞めなさい」などと叱りつけているのだ。
この記事を読む限り「関係修復は不可能」「飯島氏はもうジャニーズ事務所にはいられないのでは」と誰もが思った。
その後、後述「週刊新潮」などによれば、飯島氏が、NHKに対し、昨年の紅白歌合戦の司会に、SMAPを推薦した、ところがそれを知ったメリー副社長が激怒し、「SMAPを司会にするのなら(=飯島氏の言うことを聞くのなら)、ほかのジャニーズのタレントを全部下ろす」と言い出したという。
NHKは大慌てとなり、謝罪し、(メリー副社長が育てた)近藤真彦がトリに入ったのだという。
これらの動きを水面下で追っていたのは、「週刊文春」のライバル誌「週刊新潮」だった。
1月14日(木)発売の号(1月21日号)で、「『SMAP』解散への全内幕」としてスクープ掲載された。
(木)発売の週刊誌の最終校了は、(火)夕刻である。
ということは、遅くとも12日(火)早朝には原稿を印刷所へ入れていなければならない。
記事には、ジャニーズ事務所側の「飯島氏の退職とSMAPの独立問題を協議していますが、現在、交渉中ですから内容に関する回答は差し控えさせていただきます」とのコメントが載っている。
取材・執筆の追い込みは、おそらく、10日(日)~11日(月・祝)あたりだったろう。
そのころには「週刊新潮」が何を取材し、どんな記事が載るのか、漏れ伝わっていたはずだ。
あるいは、ジャニーズ事務所が、一週刊誌にスクープされることを嫌い、リークしたかもしれない。
かくして、「週刊新潮」発売より1日早く、13日(水)の「日刊スポーツ」「スポーツニッポン」などが先行スクープすることになったのである。
つまり、今回の件は、世間的にはスポーツ紙のスクープだが、実際は、2つの週刊誌によって火をつけられ、先行していたのである。
たまたま世に出たタイミングが、スポーツ紙の方が早かっただけなのだ。
実は私は、これら一連の話は、ずいぶん前に、知人の芸能関係者から、かなり詳しく聞いていた。
「そのうち、飯島さんは独立すると思いますよ。どこかの週刊誌がハッキリ書いてくれれば、すぐにスポーツ紙が追随するでしょう。その際、最大の焦点は、SMAPが飯島さんについていくのか、ですね」などと。
私のような芸能界に無縁の人間が知るくらいだから、芸能マスコミの間では、この話は以前から「常識」だったのだ。
かつて、こんなことがあった。
月刊「文藝春秋」1974年11月号に、ジャーナリスト・立花隆氏によるレポート「田中角栄研究~その金脈と人脈」が載った。
立志伝中の大人物と見られていた田中角栄首相が、いかに卑劣な土地転がしでカネを生み出し、そのカネをばらまいて総理の座に登りつめたかが、詳細に描かれていた。
田中首相は、十分な説明を避けたまま退陣し、その後、アメリカでロッキード事件が発覚、逮捕される。
当時、上記・立花レポートを読んだ大新聞の政治部記者たちは、口をそろえて「こんなことは、百も承知だ」と言ったという。
つまり知っていたが書かなかった(書けなかった)というのだ。
それを、一介の雑誌が書いて、首相を辞任にまで追い込んでしまった。
大新聞は、一斉に「百も承知だった」ことを、初めて知ったかのように書いて、立花レポートに追随した。
今回も、何となく、それに似ているような気がする。
偶然だが、スポーツ紙が「SMAP解散」を報じた13日(水)の産経新聞のコラムで、作家・曽野綾子さんが、こんなことを書いている。
「かつて朝日新聞を代表とする3大全国紙と、大手通信社のうちの1社は、文革以後の中国に関して、私たち作家の書く内容を中国に成り代わって検閲した」
「当時今よりさらにひどい恐怖政治を敷いていた中国のことを、一言でも批判的に書こうとしようものなら、これらの新聞社はその原稿を書き直すようわれわれに命じ、書き手がそれに応じなければ以後その作家には書かせなかった」
これは、ドイツで、ヒトラーの『わが闘争』が注釈入りで再出版されることに批判的な声があり、それに関しての記述で、曽野さんは、
「悪は善と同じように、真っ向から突きつけ、見せて、学ばせなければならない。戦後の日本は、子供に理想と善だけを教え、悪とは何かを教える機会をほとんどなくしてしまった」
と綴り、最後に、こう結んでいる。
「中国におべっかを使う波に乗らずに大新聞の卑怯さと闘ったのは、産経新聞社と時事通信社、ならびにかなり多数の雑誌社系の週刊誌であったことは忘れられない」
いうまでもなく、SMAPが解散するかどうかは、私やBandPowerにとってはどうでもいいことである(もっとも、ミュージックエイトやウィンズスコア、ニュー・サウンズ・イン・ブラスなど、Jポップ吹奏楽の関係者には、少々気にかかる問題かもしれない)。
だが、これだけ国民に注視される出来事を、最初に報じたのが週刊誌で、そこに他メディアが追随したことを、私たちは、少しばかり覚えておいたほうが、いいと思う。
今は、漫然と生活していれば勝手に入ってくる、テレビとネットの情報だけで暮らしている人間があまりに多い。
時々は、そこから脱しないと、曽野さんが述べているように、いつかまた、文革のときと同じような時代が来るような気がする。
何を大げさなことを、と言われれば返す言葉もないが、人間は、こういうことの繰り返しで、戦争だのテロだのから逃れられなくなっているようにも思えるのだ。
SMAP解散報道を見ていて、なんとなくだが、そんなことが気になった。
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2016.01.09 (Sat)
第141回 ブーレーズ逝去

▲ベルク≪室内協奏曲≫他(BBC交響楽団、1967年録音)
「指揮者」ブーレーズが初めてジャケットに顔をさらした米コロムビアLP
(写真:ドン・ハーンスタイン)
ピエール・ブーレーズが亡くなった。
作曲家としては、ジョン・ケージなどの「チャンス・オペレーション」に対し、前衛ながら、作曲者の意図を演奏で再現させる「管理された偶然」を提唱した。
有名な≪ピアノ・ソナタ第2番≫は、1970年代に入って、ポリーニの録音や来日公演で一般リスナーにも広まったが、1948年の作曲である。
つまり終戦3年目に、あのような曲を書いて既成概念を破壊しようとしていたわけで、その先鋭ぶりには、頭が下がる。
一般紙の社会面では簡単に触れられたのみだったが、1977年、ポンピドゥー・センターの一部にIRCOM(フランス国立音響音楽研究所)を設立させ、世界最大の「音楽科学」研究組織に育てたことも業績の一つだ。
だがやはり、日本では「指揮者」としてのほうが有名だろう。
特に1970年代、コロムビアから続々と出た、ストラヴィンスキーやドビュッシー、ワーグナーがいかに新鮮だったことか。
そして……もう一つ、忘れてはならないことがある。
それは、ブーレーズの演奏が、コロムビアのスタッフを刺激し、ジャケット・アートに飛躍的な広がりをもたらした点だ。
その嚆矢は、1966年録音、ニュー・フィルハーモニア管弦楽団を振った、ドビュッシー作品集だった。

ジャケットには、葛飾北斎の『富嶽三十六景』~「神奈川沖浪裏」が、1枚だけ、ドンと掲載されていた。
ドビュッシーは、自ら所有していたこの浮世絵から、交響詩≪海≫の着想を得たといわれている(出版スコアの初版にも、この浮世絵が印刷されていた)。
だから自然なデザインではあるのだが、それでも1960年代に、海外で発売されたフランス印象派のLPジャケットに、日本の浮世絵が登場したのは意外だった。
このLPは演奏も画期的で、当時、モヤモヤした雰囲気こそがドビュッシー的と思われていた時期に、すべてのパートが透けて見えるような鮮明さに、世界中が驚いたものだった。
巨大な波が砕ける一瞬を、ストップモーションで鮮明に写し取った北斎のワザを、そのまま音楽に移し替えたかのようだった。
このジャケットを眺めつつ、ブーレーズの演奏を聴いて「ドビュッシーが狙ったのは、こういうことだったのか」と思ったリスナーも多かったのではないか。
これ以前、ブーレーズはコロムビアで2作をリリースしている。
それはベルクの歌劇≪ヴォツェック≫全曲、メシアン≪われ死者の復活を待ち望む≫で、一般の音楽ファンには少々ヘビーだった。
「いかにも現代作曲家らしい選曲だなあ」と思っていたら、次がドビュッシー!
しかも新鮮な演奏!
まさに「指揮者」ブーレーズの名は、この1枚で、一般の音楽ファンに強烈な印象を残したのである。
(このジャケット・アートは、のちに、ずっとモダンなデザインに変更され、北斎画の味わいは薄まってしまった)
吹奏楽コンクールで≪海≫を全国大会初演したのは、1975年の玉川学園高等部である。
あれが、ほぼ、日本における吹奏楽ドビュッシーの第1号だった。
弦楽器あればこその「モヤモヤ音楽」を、管打楽器のみの「吹奏楽」でやっても、なかなかいいものだと、驚いた記憶がある。
≪海≫を吹奏楽でやるなんて突拍子もないアイディアは、上記ブーレーズのLPがきっかけだったのではないかと、私は密かに想像しているのだが(もっとも、ギャルドがすでにやっていたかもしれない)。
そして、次の第4作目、ベルリオーズ≪幻想交響曲≫(ロンドン交響楽団、1967年録音)のジャケットを、あるデザイナーが手がける。

コロムビアの専属デザイナー、ジョン・バーグ(1932~2015)である(それ以前の3枚のデザイナーはクレジットされていないが、これもバーグの可能性はある)。
彼は、贋作画家ケン・ペレニーを起用した(まだこの頃は「贋作画家」ではなかった?)。
ジョン・バーグは、グラミー賞のアルバム・カバー賞を4回受賞している名デザイナーだ(「ザ・バーブラ・ストライサンド・アルバム」1964、「ボブ・ディラン・グレイティスト・ヒッツ」1968、セロニアス・モンク「アンダーグラウンド」1969、「シカゴⅩ」1977)。
彼は、最終的に、コロムビアの副社長にまで登りつめた。
デザイン部門からは異例の出世である。
LPレコードは、コロムビアが開発したメディアであるだけに、同社がデザインをいかに重視していたかがわかる。
(ちなみに、続く第5作は《幻想》の続編《レリオ》。さすがブーレーズ!)
ジョン・バーグがコロムビアで活躍したのは、1961年から85年まで。
まさにブーレーズが、指揮者として注目を浴び始めた時期にピッタリ重なった。
以後、この2人は、いくつかの名盤を手がけることになる。
おそらくバーグは、次々と届くブーレーズの新鮮な演奏を、ワクワクしながら聴いただろう。
そして、彼が生み出す新しい響きを、どうやって多くの人々に「ヴィジュアル」で伝えようかと、毎回、手ぐすねを引いて待ち構えていたにちがいない。
それは、音とデザインの幸福な出会いであり、対決でもあった。
ブーレーズ=バーグの最高傑作は、これだと思う。

ストラヴィンスキーの≪ペトルーシュカ≫全曲(ニューヨーク・フィルハーモニック、1971年録音)。
無機質な金属活字が、本来ありえない文字表記で並んでいる。
活字は「ハンコ」なのだから、「裏焼き」になっていなければおかしい。
この活字で印刷したら、どうなるか……。
写真はドン・ハーンスタイン。
ボブ・ディランやグレン・グールドのポートレイトを撮った名カメラマンである(冒頭、ベルク盤も)。
同じストラヴィンスキーの≪火の鳥≫(ニューヨーク・フィルハーモニック、1975年録音)も、強烈なヴィジュアルで忘れがたい。

これもバーグのデザインで、彫刻家・木版画家ジェイムズ・グレイショーが起用された。
上記2枚は、名プロデューサー、アンドリュー・カズディンの担当。
以後、コロムビア・レコードは、CBSソニー~ソニー・ミュージックとなるにつれ、ジャケット・デザインは画一化、単純化していく。
ブーレーズも、ドイツ・グラモフォンに移籍してからは、巨匠然としたポートレイト写真のジャケットばかりになった。
だが、1970年代に、コロムビアでLPを大ヒットさせていたブーレーズは、間違いなく私たちのヒーローだった。
それを支えたのが、ジョン・バーグを中心とする同社のジャケット・デザインだった。
演奏者の顔ではなく、まったく別のアートを配することで、新たに生まれる何かを、ジャケットで訴えようとしていた。
そこにはずっと、ブーレーズがいたのである。
ジョン・バーグは、昨年10月に亡くなった。
その3か月後、後を追うように、ブーレーズも亡くなった。
今ごろ、天国で久しぶりに再会し、新たなジャケットでLPをつくっているのではないか。
(ピエール・ブーレーズ 2015年1月5日没 満90歳)
(敬称略)
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2016.01.05 (Tue)
第140回 新刊『氷菓とカンタータ』財部鳥子

昨年の詩壇では、吉野弘や長田弘らベテランの訃報が続き、関連出版も相次いだ。
84歳になる谷川俊太郎の新刊、生誕100年・石原吉郎の研究評論本も複数出た。
これほど、書店の「詩」の棚が賑わった時季はなかったのではないか。
昨年、強烈な印象を覚えた詩集は、10月刊行、財部鳥子(たからべ・とりこ 1933~)の『氷菓とカンタータ』(書肆山田)だった。
中でも、25頁にわたって展開する長編詩「大江のゆくえ――フランクのソナタ・イ長調から」が圧巻だった。
作者「衰耄する女詩人」は、燕都(北京)で福島第一原発事故を知った。
餐庁(大食堂)のテレビを見ながら「世界はもうここから引き返せないのだ」と思うと、「涙が零れてならなかった」。
そして、幼少期を過ごした満州の記憶がよみがえり、フランク作曲の≪ピアノとヴァイオリンのためのソナタ≫イ長調、全4楽章に乗せて、4部で構成された大河のような幻想詩が、ゆったりと奏でられ始める。
<1 第一楽章のモチーフ>で、「衰耄する女詩人」は、大江(揚子江)のほとりで「国破れた山河で髪を刈られた/女の子の少年姿」を見る。
それはかつての自分自身の姿である。
フランク曲の第1楽章は、8分の9拍子で、滔々と流れるイ長調だ(ピアノに重要主題が与えられている)。
詩に登場する「老爺」と「少年」の会話は、ヴァイオリンとピアノの対話を思わせる。
<2 水死人>では、大江を「親の愛から遠のいた行倒れ」(水死人)が流れてくる。
その耳からは「白い花のように蛆虫がこぼれ出ている」。
第2楽章は、ピアノが不安げな16分音符を奏で、ヴァイオリンが必死で食らいつく。
ヴァイオリンは「水死人」かもしれない。
<3 凍る>で、マローズ(凍結期)を迎えた大江は、いっせいに凍りつく。
「涙も希望も凍結して動かない」「少年は級友のタナカと凍江を徒歩でわたって行く」
第3楽章はレチタティーヴォ‐ファンタジア(叙唱・幻想曲)だ。
詩も、切れ目のない叙唱のように改行せず、文字で埋まった紙面が緊張感を伝える。
氷の下には水死人が埋まっている。
「雪のウェハースを突き崩すとその下から頭蓋骨が現れた」「タナカは眼窩に棒を差し込む」
後半、詩は再び改行が多くなり(転調のよう)、「演奏家のまうしろの椅子に坐った衰耄する女詩人は/静かな楽曲に吸い込まれる」。
「閉ざした屋内のペーチカに薪は燃えさかり/やがて一握の灰になり 少年の髪も灰色になり」
有名な第4楽章は、イ長調にもどり、輝かしいフィナーレである。
詩は<4 復活>と題されている。
「極寒を生き延びた喜びに/大江の轟音に巻き込まれたくて少年は江岸へ走る/あの 春の湯気!」
財部作品を理解するには、いくつかのキイワードが必要だ。
まず、彼女が幼少期を過ごした「満州」。
そして「死」。
満州で失った妹さん(初期詩集『わたしが子供だったころ』『腐蝕と凍結』)、1972年の日航機ニューデリー墜落事故で亡くなった弟さん(詩集『西游記』)……詩人の身の回りには「先に逝く者」の記憶が、常につきまとう。
これらをモチーフに、財部鳥子は、時間を自由に超越し、戦争や生命の記憶を現代とリンクさせる。
今回、満州の記憶は、福島第一原発事故に重なる。
だが、詩には、「福島」も「放射能」も、一切登場しない。
すべては記憶の触媒たる、フランクのソナタに託されている。
その迫力たるや!
これは楽曲にとっても、実に幸せなことだったと思うのだが、同時に、不安も覚えた。
今後、戦争の記憶を持つ詩人が、この世からすべて去ったとき、音楽は、新たに、どんな役割を負わされるのだろう。
財部鳥子が83歳で挑んだ長編詩は、そこに潜む微かな危うさを教えてくれているような気さえ、するのだが。
(敬称略)
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2016.01.02 (Sat)
第139回 2015年紅白歌合戦・雑感
曲の途中でプツリと終わるような曲ばかりだ。
まるで、コーダ部のないソナタを聴かされているようだった。
音楽のエンディングは、自然とクレシェンド(次第に大きく)、もしくはアッチェレランド(次第に速く)して、終止形の和音ではっきりと(もしくはフェルマータで)終わるのが、一般リスナーには、もっとも自然に感じられる。
しかしそれらのすべてを拒否して、楽曲の途中で突然終わる。
どうも、最近は、ああいうコーダがかっこいいらしいのだが、私には、そうは思えなかった。
重要な何かを、わざと回避して「あとは勝手に解釈して」と逃げているようにしか思えなかった。
また、極めて不快だったのは、細川たかし≪心のこり≫の背後に、たいへん品のない集団が登場し、細川を侮蔑しているとしか思えない舞踏を、えんえんと、恥ずかしげもなく繰り広げたことだった。
その中には、強烈な不快感を催す、ほぼ全裸の者もいて、私は、どこかに異常を来たした人間が登場したのかと思ったが、聞けば、あれが、いま人気のある「芸人」なんだそうである(では、どんな「芸」を持っているのかは、誰も説明してくれなかった)。
彼らは、いうまでもなくNHKのしかるべき人物に言われたとおりにやっただけなのだろうが、誰か「これは、細川さんに対して失礼ではないですか」と疑問を呈する者はいなかったのだろうか。
≪心のこり≫は、なかにし礼作詞、中村泰士作曲の名曲である。
細川たかしの本格デビュー作で、いきなりオリコン1位となった。
1975年のことだった。
それほど昔の曲だから、しかも歌詞もどこか滑稽さがあるから(それは滑稽ではなく、自暴自棄からくる「哀れ」なのだが)、さらにあの背後の集団が生まれる前の曲だから、その上細川たかし自身も翁長知事と同じ頭髪状態だから、さらにいえばニール・セダカ≪恋の日記≫演歌版だから、もうお笑いの対象にしていいのだと、NHKの演出家は思ったのだろうか。
細川たかしは「こんな演出をされるのだったら、もう紅白には出ない」と言ってほしかった。
また、なかにし礼さんは、いったい、どういう思いで、あの画面を観ただろう。
まともな神経を持っている人間だったら、それを思うだけで、あんな異常な演出は、できないはずである。
ああいうことを平気でテレビでやるから、成人式や、渋谷の交差点で暴挙に及ぶことをかっこいいと勘違いする若者が絶えないのではないか。
そのことと、先述の「途中放棄したようなエンディング」には、どこか共通するものがあるような気がしてならない。
そして、夏目漱石『三四郎』の冒頭部を思い出す。
三四郎は、熊本から、大学入学のため東京に向かう車中で、奇妙な髭の男と会話を交わす(あとでわかるのだが、これが広田先生だった)。
男は、日本には富士山以外に自慢できるものはない、などと、身もふたもないようなことばかり言う。
そこで三四郎が「しかしこれからは日本も段々発展するでしょう」と言うと、あっさりこう答えるのだ。
「亡びるね」
三四郎は「熊本でこんなことを口に出せばすぐ擲(な)ぐられる」と、仰天する。
しかし2015年末の紅白を見る限り、広田先生の言葉は正しかったと思わざるをえない。
(2015年12月31日所見)
(敬称一部略)
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