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2016.02.26 (Fri)

第154回 新刊『日本名作シナリオ選』上下

無題
▲『日本名作シナリオ選』上下(日本シナリオ作家協会

 もう40年以上前の話になるが、私が通っていた高校の図書室に『日本シナリオ大系』(シナリオ作家協会編纂/映人社刊)全6巻がそろっていた。
 弁当箱より分厚い巨大な函入りの全集で、映画女優第1号・花柳はるみ主演、水澤武彦『生の輝き』(大正7年)から、笠原和夫『二百三高地』(昭和55年)まで、127編のシナリオが収録されていた。

 普通科高校に、なぜ、あんなマニアックな全集があったのか、いまでも不思議なのだが、とにかく私は高校3年間で、この全6巻を何度も借りて貪るように読んだ。
(貸し出しカードに私の名前ばかりがあるのを見つけて、映画好きな女子部の生徒が会いにきたことがある。まるで『耳をすませば』のようだが、あんなロマンチックなことには、なりゃしなかった)

 特に感動したシナリオは、第3巻収録の、関沢新一『モスラ』(昭和36年公開)だった。
mos_poster.jpg

 たとえば 冒頭の台風のシーン。

【5】第二玄洋丸・操舵室
 羅針盤につかまり前方を見ている船長と並木航海士。
 前面ガラスに砕ける波、波!
 ウーウーと警音!
 非常火災灯の赤ランプが激しく明滅!
 無電室である。
 スピーカーより無電技師本間の絶叫!
船長「無電室どうしたア!!」
本間の声「船長ッ、無電室火災」
船長「何ッ! この台風の中で無電がきかなくなったらどうする。補助発信機はどうした」


 全編がこの調子で、まるで劇画をそのまま文字化したようである。
 すごい迫力だ。
 こんな面白い読み物があったのかと驚いた。
 しかも、映画だと106分かかるが、シナリオだったら、30分くらいで読める。

 さらに驚いたのは、クライマックスが、映画本編と、まったくちがっていた点だ。
 本編では、悪の一味が、小美人を拉致してロリシカ国(アメリカ)へ逃げる。
 モスラも、小美人を求めてロリシカへ飛び、大災害を引き起こす。
 だが、主人公の新聞記者たちの活躍により小美人は奪還され、モスラと一緒にインファント島へ帰っていく。
 
 これが、シナリオでは、まったくちがっていた。

 悪の一味は、小美人を拉致して、セスナに乗って九州の霧島山脈へ飛ぶのである。
 ところが途中でセスナが故障、不時着し、洞窟へ逃げ込む。
 だが、主人公の新聞記者たちによって追い詰められ、小美人は奪還される。
 小美人は感謝を述べ、山頂で「モスラの歌」をうたう(歌はテレパシーである)。
 そのころ、東京タワーにとりついたモスラの幼虫は、ふ化して美しい成虫に!
 成虫モスラは小美人のテレパシーを感知し、霧島山脈へ!
 山頂で感動の再会を果たす、モスラと小美人!
 大きくはばたいて、山頂から飛び立つ!
 その際、山頂近辺を逃げていた悪の一味は、モスラが巻き起こす突風により、がけ崩れを起こして断崖から落ちていく……。

 問題は、ここからである。
 本編では、モスラが戻ったインファント島の平和な全景(昼間)で終わるのだが、シナリオ段階では、その先があったのだ。

【230】インファント島全景(夜)
 盛り上がる歓声。
 その中を、モスラがゆっくり舞いあがる。
 二回ばかり、名残りをおしむように旋回すると、やがてぐんぐんとのぼってゆく――。高く、高く――。

【231】宇宙
 空に輝く満月。
 その満月を斜めによぎって、モスラが宇宙の彼方に消えてゆく――。
(F・O)完


 要するに、モスラが、全宇宙の守護神というか、創造神というか、『2001年宇宙の旅』のモノリスみたいな存在に昇華して描かれていたのである。

 この2つのクライマックスの、どちらがいいかは、私には何ともいえない。
 ただ、シナリオとはあくまで「たたき台」であり、映画本編とはちがうものであるらしいことも知り、以後は、両者のちがいを知る楽しみ方を覚えた。

 同時に、こんなことも感じた。

 そもそも、こういう立派な全集におさめられるシナリオは、たとえば同じ第3巻でいえば、依田義賢『近松物語』とか、水木洋子『浮雲』とか、沢村勉『乳母車』とか、いわゆる「文芸」作品だと思っていた。

 ところがこの巻には、それらのほかに、この『モスラ』や、長谷川公之『警視庁物語 深夜便一三〇列車』井上梅次・西島大『嵐を呼ぶ男』館岡謙之助『明治天皇と日露大戦争』などの「娯楽作」も並んでいたのだ。
 第6巻に至っては、名作中の名作、橋本忍・山田洋次『砂の器』に、高田宏治『北陸代理戦争』佐治乾『人妻集団暴行致死事件』が平然と並ぶ素晴らしさである。

 高校生の私には、これがたいへん新鮮だった。
 「文芸」「娯楽」「ヤクザ」「ポルノ」など、すべてがいっしょくたに並んでいるのだ。
 映画とは面白い世界だ、題材で「優劣」がつかない「実力本位」の世界らしいと知った。
 そして、おぼろげながら、自分の目指しているのは、こういう世界ではないかと思うようになった(だから私は、後年、週刊誌記者になった)。

 その後、大人になって『日本シナリオ大系』全6巻を、古書店で入手した。
 いまでも宝物で、日本映画史を手中におさめているような気分である。
大系


 先日、この全集から精選された『日本名作シナリオ選』上下(日本シナリオ作家協会)が刊行された(冒頭に書影を掲出)。
 本来なら全6巻を復刊したかったらしいのだが、さすがに今の時代、このような全集は売れないだろうということで、シナリオ作家協会会員にアンケートを募り、収録作品を精選したという。
 収録作品は、以下の通り 

(上巻)
山中貞雄『盤嶽の一生』
伊丹万作『無法松の一生』
菊島隆三 黒澤明『野良犬』
黒澤明・橋本忍『羅生門』
斎藤良輔『本日休診』
野田高梧 小津安二郎『東京物語』
依田義賢『近松物語』
八住利雄 『夫婦善哉』
水木洋子『浮雲』
橋本忍『真昼の暗黒』
山内久『豚と軍艦』

(下巻)
橋本忍『切腹』
長谷部慶次・今村昌平『にっぽん昆虫記』
鈴木尚之『飢餓海峡』
笠原和夫『総長賭博』
田村孟『少年』
橋本忍・山田洋次『砂の器』
小野竜之助・佐藤純彌『新幹線大爆破』
中島丈博『祭りの準備』
山田洋次・朝間義隆『幸福の黄色いハンカチ』
井手雅人『鬼畜』


 さすがにこれだけ名作がそろっているので、私も『盤嶽の一生』以外は、すべて複数回、鑑賞している(『盤嶽の一生』は、フィルムが残っていないので、観たくても観られない)。
 個人的には、もっと戦前の作品が欲しかったが(最初の2本のみが戦前)、これも「商品」であることを考えると、致し方ないところだろう。

 本書は、映画関係者はいうまでもなく、出版編集や演劇分野の関係者は、必携だと思う。
 ここには、ある時間、人間を飽きさせずに集中させる方法、さらに「原典」をどうアレンジすれば、観客にテーマが伝わるかが、「実例」ですべて示されている。
 そのことは、今回、新たに収録された、作品ごとの解説を読むことで、さらに理解できる。

 『切腹』(橋本忍)に解説を寄せた古田求氏(脚本家)は、同郷・佐賀の原作者、滝口康彦の思い出とからめながら、シナリオの後半で、いつの間にか観客の視点を別人物に移すことで緊張感を生み出す見事さを指摘している。

 『にっぽん昆虫記』(長谷部慶次・今村昌平)で、荒井晴彦氏(脚本家・映画監督)は、売春婦たちが猫の血液を採取して処女の初体験用にごまかす場面を掲げ、「いま、こういうシナリオを書ける四十代、三十代のシナリオライターは、いるだろうか」「こんなシーン、俺、書けない」と降参している。

 『飢餓海峡』(鈴木尚之)の那須真知子氏(脚本家)は、原作のどの部分を膨らませ、変更したかを具体的に挙げ、「原作を凌駕した脚本」と述べている(この「変更」は、私も若いころに原作を読んで気がついて、なるほどと感心したことがある)。

 『砂の器』(橋本忍・山田洋次)で、輿水泰弘氏(脚本家)は、原作のわずか数行をいかに膨らませたか、クライマックスの捜査会議・演奏会・回想の同時進行シーンが文楽からきていることなどを、西村雄一郎氏の著作を参考にしながら解説している。

 『新幹線大爆破』(小野竜之助・佐藤純彌)の、山田耕大氏(脚本家)の解説はもっとすごい。
「ペラの原稿用紙で三百枚は優に超えると思われる大部のシナリオのどこにも切れるシーンが見当たらない。一つとして無駄がなく、すべてが荘厳なパズルの一片としての役割を果たしている。あえて『脚本のお手本』と言わせてもらいたい。もし脚本家を目指す人がいたら、この傑作シナリオを何度でも読み、そして原稿用紙に書き写さなければならない」

 これらの解説を読んでいて、私は、「吹奏楽ポップスの父」岩井直溥氏のアレンジを思い出した。
 原曲の味を生かしながら、どこをどういじると面白くなるか、どうすればお客を楽しませることができるか――岩井さんは、そればかりを考えて譜面を書いていた。
 それとそっくりだと思った。

 ぜひ、多くの方々に手に取っていただきたい、上下巻である。
 あとやはり、『モスラ』を入れてほしかったなあ!
(一部敬称略)

 【★★☆】

【★★★】 嗜好に関係なく、お金と時間を費やす価値がある。
【★★☆】 嗜好が一致するのなら、お金と時間を費やす価値がある。
【★☆☆】 嗜好の範囲を広げる気があるなら、お金と時間を費やす価値がある。
【☆☆☆】 お金も時間も費やす価値はない。



このCDのライナーノート(解説)を書きました。とてもいいCDだと思います。

◆「富樫鉄火のグル新」は、吹奏楽ウェブマガジン「BandPower」生まれです。第132回以前のバックナンバーは、こちら。

毎週(土)23時、FMカオンにて「BPラジオ/吹奏楽の世界へようこそ」案内係をやってます。2月は「追悼、ブーレーズ」と、「吹奏楽で聴く、BP芸能ワイドショー!」です。

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2016.02.22 (Mon)

第153回 グラミー賞雑感

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▲ラヴェル『子どもと魔法/シェエラザード』小澤征爾指揮、サイトウ・キネン・オーケストラほか [Decca]海外盤

 小澤征爾氏が指揮したディスクが、グラミー賞の「ベスト・オペラ・レコーディング」に選定されたが、新聞報道を見て、気になったことがある。

 グラミー賞の公式ウェブサイトでは、以下のように発表されている。

BEST OPERA RECORDING
WINNER
Ravel: L'Enfant Et Les Sortilèges; Shéhérazade
Seiji Ozawa, conductor; Isabel Leonard; Dominic Fyfe, producer (Saito Kinen Orchestra; SKF Matsumoto Chorus & SKF Matsumoto Children's Chorus)
Label: Decca


 これによれば、受賞ディスク名は、ラヴェル『子どもと魔法/シェエラザード』である。
 収録曲は、以下3曲。

①ラヴェル作曲/歌劇『子どもと魔法』全曲
 イザベル・レナードほか、SKF松本合唱団、SKF松本児童合唱団
②ラヴェル作曲/歌曲集『シェエラザード』(3曲)
 スーザン・グラハム(歌)
③ラヴェル作曲/道化師の朝の歌
 (3曲とも)小澤征爾(指揮)、サイトウ・キネン・オーケストラ

 すべて、サイトウ・キネン・フェスティバル(現「セイジ・オザワ 松本フェスティバル」) におけるライヴ収録である。
 賞は、この3曲をおさめたアルバムに対して贈られた(冒頭に掲出したのが、そのジャケット)。
 ところが、これは海外リリース盤で、日本では、②と③をカットし、①のみを収録したものが、国内盤としてリリースされている(現在品切れで、追加生産中らしいが)。
 下記のように、ジャケットも、海外盤とはちがっている。

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▲ラヴェル『子どもと魔法』小澤征爾指揮、サイトウ・キネン・オーケストラほか [Decca/ユニバーサル]国内盤

 だから、厳密に表記すれば「小澤征爾指揮、スーザン・グラハムなどが参加したディスク『子どもと魔法/シェエラザード』」などとして、受賞ディスクは「海外盤」であることを示すべきだろうが、私が見た限り、そのような表記はなかった。
(読売新聞2月16日付夕刊だけが、海外盤のジャケット写真を掲載していたが)
 まあ、これは「オペラ部門」の賞であり、②と③はオペラではないのだから、①のみが受賞対象ということで、②③はどうでもいいのかもしれないが。
 スーザン・グラハムといえばアメリカ生まれの大スターで、彼女の名前があったからこそ、アメリカの音楽賞であるグラミー賞の対象として注目されたような気もするのだが、なぜ、国内盤で彼女がカットされたのだろうか。

 そして、ほとんどの新聞報道の見出しが「小澤征爾さんグラミー賞」となっていた(朝日新聞2月16日付夕刊は「小澤さん指揮 グラミー賞」だった)。
 毎日新聞に至っては「指揮者の小澤征爾さん(80)が第58回グラミー賞の最優秀オペラ部門で受賞したとの知らせに…」と書かれている。
 間違いとはいえないのだが、これだと、小澤征爾氏個人が受賞したように読めなくもない。

 グラミー賞の各部門は、数年ごとに見直されるが、現在、クラシカル分野は、以下8部門で構成されている(ついでに、今回の受賞ディスクも挙げておく)。

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①ベスト・オーケストラ・パフォーマンス
『ショスタコーヴィチ:交響曲第10番』アンドリス・ネルソンス指揮、ボストン交響楽団[Deutsche Grammophon]

②ベスト・オペラ・レコーディング
(前記『子どもと魔法/シェエラザード』)

徹夜祷
③ベスト・コラール・パフォーマンス
『ラフマニノフ:晩祷(徹夜祷)』チャールズ・ブルフィ指揮、カンザス・シティ・コーラスほか[Chandos]

フィラメント
④ベスト・室内楽/小アンサンブル・パフォーマンス
『フィラメント~デスナー/マーリー/ロット/グラス室内楽作品集』エイト・ブラッグバード[Cedille Records]

ジョイストニー
⑤ベスト・クラシカル・ソロ・ヴォーカル・アルバム
『ジョイス&トニー ライヴ・フロム・ウィグモア・ホール』ジョイス・ディドナート(メゾ)、アントニオ・パッパーノ(ピアノ)[Erato]

デュティユー
⑥ベスト・クラシカル・インストゥルメンタル・ソロ
『デュティユー:メタボール/ヴァイオリン協奏曲《夢の樹》/交響曲第2番』より、協奏曲に対して アウグスティン・ハーデリッヒ(Vn)、ルドヴィク・モルロー(指揮)、シアトル交響楽団[Seattle Symphony Media]

3つの啓蒙
⑦ベスト・クラシカル・コンペンディウム『スティーヴン・ポールズ:3つの啓蒙の地/涙のヴェール/大協奏曲』ジャンカルロ・ゲレーロ(指揮)、ナッシュヴィル交響楽団ほか[Naxos]

祈りと回想
⑧ベスト・コンテンポラリー・クラシカル作曲
『スティーヴン・ポールズ:祈りと回想~合唱作品集』エリック・ホルタン(指揮)、トゥルー・コンコード・ヴォイシズ、トゥルー・コンコード管弦楽団ほか[Reference Recordings]

(⑦⑧と、スティーヴン・ポールズのディスクが2部門で受賞しているが、このひとは、現代アメリカ作曲界の重鎮で、話題になったオペラ『郵便配達は二度ベルを鳴らす』の作曲者である)

 グラミー賞とは、アメリカの音楽産業に寄与したクリエイター、アーティスト、ディスク等に対して贈られるものだ。
(もともとは「グラモフォン賞」=「蓄音機賞」だったが、やがて愛称「グラミー賞」が正式名になった)
 クラシカル分野の場合、②オペラ・レコーディング、⑦クラシカル・コンペンディウムの2部門は、「ディスク」対象の色彩が濃厚だ。
 特に前者は、「ベスト・オペラ・パフォーマンス」でも「ベスト・オペラ・アーティスト」でもなく、「ベスト・オペラ・レコーディング」である。
 だから、この2部門だけは、発表の際、アーティスト名のほかに、「プロデューサー」名が同列に表記される。
 それは、②『こどもと魔法/シェエラザード』がドミニク・ファイフ、⑦『スティーヴン・ポールズ~』がティム・ハンドレーとなっている。

 また、どの新聞報道でも、(国内盤の)ディスク名『子どもと魔法』は表記されるが、レーベル名(発売元)を表記した新聞は、皆無だった。
 この件は、前にも書いたのだが、なぜ、新聞は、「報道記事」になると、CDのレーベル名(発売元)を明記しないのだろう。
 文学賞の受賞記事では、出版元(あるいは掲載誌名)が明記されるのに、なぜグラミー賞受賞記事では、レーベル名が出ないのだろう。
 グラミーの公式ウェブサイトでも、すべて、レーベル名が明記されている。
 『子どもと魔法/シェエラザード』だったら、[Decca]である(私の筆名の由来)。
 国内盤『子どもと魔法』の場合、Deccaレーベルはユニバーサルミュージック合同会社の傘下なので、[Decca/ユニバーサル]もしくは[ユニバーサル]などと表記されるべきだろう。

 最後に。
 いくつかの新聞は、日本人の、過去の主なグラミー賞受賞者を表で掲出していた。
 
1987年 石岡瑛子(デザイナー)
1989年 坂本龍一(作曲家)
2001年 喜多郎(シンセサイザー奏者)
2011年 松本孝弘(ギタリスト)、内田光子(ピアニスト)、上原ひろみ(ジャズ・ピアニスト)
2016年 小澤征爾(指揮者)
(部門名は省略)

 この表は、たぶん共同通信の配信だと思うのだが、ここに小澤征爾氏を加えるのなら、以下も加えてほしかった。

2008年/中村浩二
 ベスト・ニュー・エイジ・アルバムを受賞した、ポール・ウィンター・コンソートのディスク『クレストン』に、和太鼓奏者として参加している。

2014年/Sadaharu Yagi ベスト・ラテン・ポップ・アルバムを受賞した、ドラコ・ロサのディスク『VIDA』を手がけた、ミキシング・エンジニア(ロス在住)。

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2014年/五嶋みどり
 ベスト・クラシカル・コンペンディウムを受賞した、エッシェンバッハ指揮、北ドイツ放送交響楽団のディスク『ヒンデミット作品集』に、ヴァイオリン協奏曲のソロとして参加。

 この3人は、「アルバム」として受賞したディスクに、スタッフや演奏者の一人として参加していた日本人であり、今回の小澤征爾と、立場は同じである(「指揮者」は単なる「参加者」以上の存在だ、といわれれば、それまでだが)。
 特に、ソロイストとして参加したディスクが、立派なグラミー賞を受賞しているのに、なぜ今回、五嶋みどり氏の名が出ないのか、少々不思議だった。
(この「ベスト・クラシカル・コンペンディウム」なる部門名が、どうもわかりにくい。「コンペンディウム」とは「概要」といった意味なので、強いていえば「ベスト集」「選集」みたいなニュアンスだろうか)。

 私は、小澤征爾氏をすごい音楽家だと思っているが、今回の新聞報道を見ると、何が何でも、さらに素晴らしい存在に格上げしなければ気がすまないような、一種の「無理やり感」を覚えたのだが、考えすぎだろうか。

 以上、どうでもいい話かもしれないが、気になって仕方ないので、あえて書いた。
(一部敬称略)

◆上記で紹介したグラミー賞受賞ディスクは、ほとんどが、ナクソス・ミュージック・ライブラリー(会員制)で配信されています(一部、リンク・ミスや、ディスクちがいなどがあるようなので、注意)。

このCDのライナーノート(解説)を書きました。とてもいいCDだと思います。

◆「富樫鉄火のグル新」は、吹奏楽ウェブマガジン「BandPower」生まれです。第132回以前のバックナンバーは、こちら。

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2016.02.18 (Thu)

第152回 ラピュタ阿佐ヶ谷「芸に生きる」

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 2月21日(日)から、東京・杉並の名画座「ラピュタ阿佐ヶ谷」で、「芸に生きる」と題された特集上映が始まる。
 様々な芸事、芸道を題材にした映画30本が上映される。
 これが見事なラインナップで、「昭和の香り漂う音楽ライター」としては、紹介しないわけにはいかない。

 ただし、とても全部は書ききれないので、特にお奨めしたい何本かについて、見どころを記しておく。
 上映日程や時間の詳細は、同館のウェブサイトやチラシでご確認いただきたい。
 なお同館は定員48名のミニ・シアターなので(+補助席・通路座りが数席)、その点もご承知おきいただきたい。
 以下、上映順に記す。

◆歌行燈(昭和18年、東宝、白黒/成瀬巳喜男監督)
 戦況が悪化している昭和18年に、よくぞ、こんな映画ができたと思う(滅び=敗戦を予感しているような雰囲気もある)。
 泉鏡花の名作を久保田万太郎が脚色し、成瀬巳喜男が監督した、能の世界を描く逸品。
 特に山田五十鈴が、花柳章太郎から松林の中で舞を伝授される場面は、映画史に残る名シーン。
 ベルさんは《海人》(海士)の「玉ノ段」を舞うが、昔の女優は、若いうちから、これほどの芸ができなければ仕事にならなかったのだ。
 いまのジャリタレどもに見せてやりたいものだ。
 なお、花柳が演じる喜多八のモデルが、後記『獅子の座』原作者・松本たかしの父=宝生流の松本長といわれている(泉鏡花の親戚)。
 昭和35年に、市川雷蔵と山本富士子でリメイクされている。
【★★☆】

◆花の慕情(昭和33年、東宝、カラー/鈴木英夫監督)
 華道家元の司葉子(美しい!)が、教室経営と恋の狭間で苦しむ、典型的なメロドラマ。
 司葉子が、修羅の表情で花を生けるシーンに、バッハ《小フーガ》ト短調のオーケストラ版が、ほぼ全編、流れる(よって、たいへん長く感じる)。
 この場面がすごい。
 ほとんどフーガに合わせて画面が編集されており、まるで、バッハが生け花のBGMを書いたようである。
 音楽担当は芥川也寸志、生け花は草月流の勅使河原蒼風。
【★☆☆】

◆獅子の座(昭和28年、大映、白黒/伊藤大輔監督)
 名匠・伊藤大輔監督の念願の名作で、今回の目玉作品の一つ。
 江戸時代末期、歴史に残る「弘化勧進能」の舞台裏を、宝生流の全面協力を得て描く。 
父(十五世)宝生弥五郎を長谷川一夫が、息子(十六世)石之助(のちの、明治三名人の一人、宝生九郎知栄)を子役時代の津川雅彦が、さらに、彼を鍛えるスパルタ母を田中絹代が演じる。
 親戚の娘・岸恵子の美しさも見どころだが、虐待一歩手前の、息子の特訓シーンがすさまじくて、これは津川雅彦の代表作の一つといってもいいのではないか。
 原作は、俳人・松本たかしの小説『初神鳴』(松本の父・松本長は、津川雅彦が幼少時代を演じた宝生九郎の門弟)。 
 なお本作は、本来の配給元KADOKAWA(旧大映)にも上映プリントがないのか、国立近代美術館フィルムセンターからのレンタルである。
 よって規定により3回しか上映されないので、混雑が予想される。
【★★★】


残菊

◆残菊物語(昭和14年、松竹、白黒/溝口健二監督)
◆残菊物語(昭和31年、大映、カラー/島耕二監督)
 明治時代、養子ゆえのコンプレックスと気の弱さで芸を忘れ、勘当される二代尾上菊之助が、女中の献身的な協力と愛情で復帰するまでの実話。
 花柳章太郎と森赫子が演じた溝口版は世界映画史に残る傑作(昨年のカンヌ映画祭で、デジタル修復版が上映され、喝采を博したが、今回の上映は旧来のフィルム版のようだ)。
 2人でスイカを切りながら心を通い合わせる場面など、溝口お得意の1シーン1カット撮影が、まるで隠しカメラで決定的瞬間を撮ったような緊張感を生み出す。
 これは奇跡の映画である。
 リメイク版は、長谷川一夫と淡島千景で、華やかなカラー歌舞伎映画となっているが、こちらは16㎜プリントらしいので、ちょっと見づらいかもしれない。
 なおもう1本、市川猿之助(現・市川猿翁)と岡田茉利子による昭和38年の松竹版もあって、これもなかなかいいのだが、今回は上映されないようだ。
溝口版【★★★】
島版【★☆☆】


鶴八

◆鶴八鶴次郎(昭和13年、東宝、白黒/成瀬巳喜男監督)
◆鶴八鶴次郎(昭和31年、松竹、カラー/大曾根辰保監督)
 新内語りの男女名コンビが、ついたり離れたりしながら生きて行く芸道物の名作。
 原作は川口松太郎の第1回直木賞受賞作。
 成瀬版の長谷川一夫と山田五十鈴は、筆舌に尽くしがたい若さと美しさ(長谷川30歳、ベルさん21歳!)。
 特にベルさんの面長な顔は、浮世絵からそのまま出てきたかのようで、歌麿らが描いた江戸美人はデフォルメでもなんでもなく、昔はああいう浮世絵顔が実在したのだということがよくわかる。
 確かベルさんの弾く新内三味線は、吹き替えではなく、ご本人の演奏だったと思う。
 あの名ラスト・シーンにまた出会えるのかと思うと、いまから胸が震える(若いひとは「これで終わり?」としらけるそうだが、あれに感動できてこそ、ほんとうの映画好きですよ)。
 リメイク版は、高田浩吉と淡島千景で、前作に比して脇役が多く、群像ドラマ的な構成になっていて面白いのだが、これも残念ながら16㎜プリントのようだ。
 それでも、前記、リメイク版『残菊物語』と共に、絶頂期の千景姐さんの粋なお芝居が堪能できる。
成瀬版【★★☆】
大曾根版【★☆☆】


冥途の飛脚

◆文楽 冥途の飛脚(昭和54年、カナダ、カラー/マーティ・グロス監督)
 このようなドキュメンタリを組み入れるところに、ラピュタ阿佐ヶ谷の企画力の高さがうかがえる。
 これは、カナダの映画監督マーティ・グロスが、京都の大映太秦撮影所のスタジオ内に、文楽の舞台セットを組んで、じっくり撮影された垂涎の記録映画である。
 演目は近松の『冥途の飛脚』抜粋(ただし、下の巻は、ほとんど、改変作『恋飛脚大和往来』となっている)。
 出演者は、越路大夫、文字大夫(後の住大夫)、織大夫(後の源大夫)、燕三(五世)、清治、錦糸(四世)、玉男、簑助、勘十郎(二世)……と、全員が(当時、および後の)人間国宝で、あいた口がふさがらない。
 よくこんな企画を、外国人監督が実現させたと思う。
 スタジオ撮影だけに、通常の劇場中継では不可能なカメラワークも続出する。
 越路大夫の語りをアップで観られるのだ。
 これは、日本人なら一度は観ていなければならない、世界遺産級の映像である。
 なお、「音響・音楽監修」が武満徹となっているが、特に武満の楽曲が流れるわけではないので、誤解なきよう。
 この映画は、日本では、通常の映画館では公開されず(特別上映か、輸入ビデオでしか観られなかった)、平成23年になって、初めてデジタル・リマスターが劇場公開された。
 今回は、そのブルーレイ版での上映である。
【★★★】


ガス人間

◆ガス人間第1号(昭和35年、東宝、カラー/本多猪四郎監督)
 不本意ながら気体人間にされてしまった男と、没落寸前の日舞家元との、あまりに哀れな恋を描く、怪奇SF映画の傑作。
 仕掛けこそ荒唐無稽だが、構成はシェイクスピア悲劇やギリシャ悲劇を思わせる見事さである。
 なんといっても日舞家元を演じる八千草薫(当時29歳)の、この世のものとは思えない美しさに、言葉を失う(彼女が舞う長唄舞踊は「情鬼」=蒸気! 作曲は杵屋勝四郎)。
 八千草もさることながら、主演・土屋嘉男の最高傑作に挙げるひとも多い。
 なお、音楽(宮内國郎)のかなりの部分が、後年のTVドラマ『ウルトラQ』や『ウルトラマン』で再使用されており、ファンには聴き逃せない。
【★☆☆】

 ほかに、
 明治の洋画家・牧野虎雄を大河内傳次郎が飄々と演じる『生きている画像』(昭和23年)
 五十嵐じゅん(現・淳子)が脱ぎまくる『阿寒に果つ』(昭和50年、原作・渡辺淳一)
 山本富士子が美貌のツンデレを演じる『お琴と佐助』(昭和36年、原作=谷崎潤一郎『春琴抄』)
 藤本義一の直木賞受賞作を映像化した凄絶芸人物語『鬼の詩』(昭和50年)
岩下志麻が絶品名演を見せる『はなれ瞽女おりん』(昭和52年、原作・水上勉)
などが特に見逃せない。

【★★★】 嗜好に関係なく、お金と時間を費やす価値がある。
【★★☆】 嗜好が一致するのなら、お金と時間を費やす価値がある。
【★☆☆】 嗜好の範囲を広げる気があるなら、お金と時間を費やす価値がある。
【☆☆☆】 お金も時間も費やす価値はない。



このCDのライナーノート(解説)を書きました。とてもいいCDだと思います。

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2016.02.16 (Tue)

第151回 東京佼成ウインドオーケストラ 第127回定期演奏会

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 昔、知人が「課題曲、十年前にも聴いたよう」と、川柳とも冗談ともつかないことを、よく口にしていた。
 要するに吹奏楽コンクール課題曲(特にマーチ)は、十年一日のごとく、似たような曲だというのだ。

 私が吹奏楽の世界を見聴きするようになって、そろそろ50年近くたつが、確かにそう感じないものでもない。
 だが、ほとんどの演奏者、特に学校吹奏楽部員にとって、課題曲は、一生のうちの数年間で、せいぜい2~3曲に接するだけのはずだから、それが10年前と同じような曲であっても、別にいいような気もする(指導者や、一般・職場バンドに長くいるひとにとっては、そうでもないだろうが)。
 そして、公募課題曲は、相応の審査過程を経て選ばれたのだから、「十年前にも聴いたよう」だとしても、まず楽曲として真摯に向き合うべきだと思う。

 近年、東京佼成ウインドオーケストラ(TKWO)で、正指揮者・大井剛史氏が指揮する課題曲は、そのことを、とても強く感じさせてくれる。
 先日の第127回定期演奏会でも、2016年度の課題曲5曲全部を、「デモ演奏」ではなく、きちんと「聴かせる楽曲」として演奏してくれた。

 全部に触れると長くなるので、2曲だけ、雑感を。

Ⅰマーチ・スカイブルー・ドリーム(第26回朝日作曲賞受賞)/ 矢藤学作曲
 マーチだが、4拍子で書かれている。
 この曲の楽譜には、アーティキュレーション(スタッカート、テヌートや、アクセントなど)が皆無で、一瞬、印刷ミスかと思う。
 スコアの作曲者コメントには「自然に発生する表現を大切に」してほしいので、「楽譜には最小限のことしか書いて」いない、「創意工夫をもって、自由に表現して」ほしいとある。

 しかし、なにぶん標準的な「マーチ」なので、そうそう個性的なアーティキュレーションをつけるのも妙な話で、今回の演奏でも、ごく自然な表情で演奏されていた。
 今後、このTKWOや、参考演奏とはちがうアーティキュレーションの演奏が登場するのだろうか(鈴木竹男氏時代の阪急百貨店吹奏楽団だったら、どう演奏しただろうか)。
 なお、作曲者は公立中学校の理科の先生だが、なかなかのメロディ・メーカーだと思った。

Ⅲ ある英雄の記憶 ~「虹の国と氷の国」より/ 西村友作曲
 私は東京・豊島区に住んでいるので、以前から豊島区吹奏楽団を身近に聴いてきた。
 そこで長く指揮者をつとめていたのが、西村友氏である。
 指揮だけでなく作曲もこなす才人で、特に、コンサート形式の《銀河鉄道の夜》は忘れがたい(劇団ひまわりのために作曲されたミュージカルを、吹奏楽版に改訂し、歌手やコーラスとともに上演した)。

 ミュージカルやオペラの指揮者としても知られたひとだけあり、この課題曲もミュージカルが原曲である。
 それは、ある幼稚園の発表会で、子供たちと先生とでつくりあげた「虹の国と氷の国」なるお話で、西村氏は、これに音楽を書いてあげたという。
 だが、なにぶん幼稚園なので、どんどんカットされ、短くなってしまった、そこでもったいないので、カットされた素材を中心に、吹奏楽曲として再構築されたのが、本曲だとのこと(以上、吹奏楽連盟の会報より)

 つまり、これは幼稚園の発表会から生まれた吹奏楽曲なのだ。
 映画音楽とゲーム音楽が合体したようなスリリングさがあり、特にスコア【P】のトランペットⅠ「Soar!」(高く舞え!)に始まるクライマックス部分は、さすがにミュージカルの専門家といった感じで、聴いていて心地よい。
 TKWOは、このあたりの演奏が見事で、音の洪水になる一歩手前のところで、とても品よくまとめていて、きれいだった。

 なお、この日演奏された課題曲5曲は、ライヴ録音され、Amazon Recordsから、3月5日に発売されるという。
 Amazon Recordsとは、あのアマゾンで限定発売されるオン・デマンドのCDレーベルで、ほとんどはポップス系のライヴ音源である。
 今回が、おそらく初めての吹奏楽CDで、もしこれが成功すれば、今後、クラシックなどの独自企画も考えられるかもしれない。
 なかなか面白い発信方法だと思う。

 この日は、中橋愛生氏の委嘱新作《陽炎(かぎろひ)の樹~吹奏楽のための》も初演された。
 夜から明け方にかけて、陽が昇る過程を、一本の大樹をモチーフにして描く、約12分の曲だ。

 私の第一印象は、とても「きれいな曲」だった。
 「きれい」とは、旋律が美しいとかいう意味ではない。
 曲のたたずまいや、志(こころざし)に、清浄感があるように感じた。
 この感覚は、日本人だから理解できるものだと思う(それだけに、海外の吹奏楽団がどのように演奏するだろうと、興味がわいた)。

 作曲者自身の解説にもあった通り、曲は、三部構成。
 次第に陽が昇り、夜空から〈曙光〉に至り、大樹の木漏れ日を描く〈光芒〉、そして大樹と陽光が一体化する〈煌宴〉と、素晴らしい響きを聴かせてくれた。
 特に前半は、ホールの豊かな残響を計算して書かれているようで、和音と和音のぶつかり合いや重なり方が、いままで聴いてきた吹奏楽曲とはちがう響きで新鮮だった。
 できれば早々に、実演か録音で、もう一度、じっくり聴きたいと思わされる曲だった。

 後半は、いまや古典的名曲、ジェイガーの《シンフォニア・ノビリッシマ》と、交響曲第1番

 前者は、1963年、ジェイガーが、新婚ホヤホヤの夫人に捧げた曲である。
 1977年にジェイガーが来日し、TKWOを指揮してこの曲を演奏したが、そのリハーサルの際、同伴していた夫人を指揮台の横に座らせ、楽団ではなく、夫人を見ながら指揮したという。
 その様子を見ていた故・岩井直溥氏が「何だかデレデレしちゃってさあ、いくらカミさんに捧げた曲だとはいえ、キザな男だなあと思ったよ」と大笑いしていたのを思い出す。
 今回の大井氏の指揮は、もちろんデレデレどころか、鳴らしすぎない、それでいて質実剛健な演奏。

 交響曲第1番は、1964年に、ワシントンの陸軍バンドが初演した。
 その初演を、「ワシントン・ポスト」紙が絶賛したことで、一挙にジェイガーの名は広まった(これが、世界的マスコミが、吹奏楽オリジナル曲を評価した、ほぼ最初だとの説がある)。

 この曲は、1960~70年代、コンクールで、第4楽章の抜粋演奏が人気となったせいもあり(特に、1970年の天理高校の金賞名演が話題となった)、全曲演奏の機会が、意外と少なかった。
 昔のレコードやCDでも、第4楽章のみを収録した盤があったものだ。

 実は大井氏とTKWOは、一昨年の地方公演で、この曲を全曲演奏している。
 もちろん演奏も素晴らしかったのだが(私は、司会解説で同行させていただいた)、「第4楽章以外もよかった」「ぜひ、本公演でも取り上げてほしい」との声が相次いだ(特に、「第2楽章が面白かった」との声が、若い聴衆に多かった)。
 それが一因となって、今回、演奏されることになったと思うのだが、今回も実にていねいな演奏だった。
 特に第4楽章クライマックス、Allegro molto vivaceからの部分は、ジェットコースターのように慌ただしい演奏が多いのだが、大井氏は、スピード感を失うことなく、それでいてじっくりと聴かせてくれて、たいへん安心感のある演奏だった。
 ぜひ、こういう曲を、いまの学校吹奏楽部員に聴いてもらいたいと思った。

 ジェイガーは、その後、立正佼成会の委嘱で、交響曲第2番《三法印》を発表している。 
 第1番とはまったくちがったタイプの曲で、 これもなかなか演奏されないので(数年前に、広島WOが演奏したようだ)、ぜひ本家による実演で聴いてみたいものだ。
 大井氏とTKWOには、このような「古典」を、さらに発掘して聴かせていただきたいと願う。
(2月13日、東京芸術劇場にて/一部敬称略)

このCDのライナーノートを書きました。上記・大井剛史氏とTKWOのディスクです。

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2016.02.12 (Fri)

第150回 映画『ロイヤル・コンセルトヘボウ オーケストラがやって来る』

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 三大狂言の一つ『義経千本櫻』の主人公は、題名とは裏腹に、源義経ではなく、平家の三武将(平教経、平知盛、平維盛)である。

 平家は壇ノ浦合戦で滅んだが、義経は、勝利者にもかかわらず、ちょっとした誤解から兄・頼朝に疎まれ、放浪の旅に出る。
 ところが、死んだはずの平家の三武将や安徳帝らが、実は生きており、平家再興をかけて、旅の途中の義経一行を次々と襲う(毎度、襲撃の仕掛けがとんでもなく複雑で、そこが面白さとなっている)。

 つまり義経を狂言回しにして、平家一門を再登場させることで、滅び行く者の思いや悔恨、哀しみが、あらためて浮き彫りになる、そんな物語である。

 現在公開中の映画『ロイヤル・コンセルトヘボウ オーケストラがやって来る』は、これと似た構成のドキュメンタリ映画だ(死んだり滅んだりする映画ではない)。

 2013年、オランダ・アムステルダムの「ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団」(RCO)は、創立125周年記念の世界ツアーを挙行した(私が大好きなオケで、メンゲルベルクやマーラーとの関係など、いろいろ綴りたいのだが、紙幅がないので省く)。
 カメラはこのツアーに同行する。
 原題は『コンサート50回で世界一周』だ。

 ここではRCOは狂言回しにすぎない。
 ほんとうの主人公は、各地のコンサートに訪れる聴衆で、そこから数人がクローズアップされる。

 アルゼンチンのタクシー運転手は、仕事中の孤独をクラシック音楽で癒している。
 南アフリカ・ヨハネスブルクでは、黒人の少女とヴァイオリン教師が、貧困や人種差別の中、音楽に安らぎを見出している。
 ロシアでは、ヒトラーとスターリンの恐怖政治の時代を収容所で生き抜いた老人が、マーラー《復活》に涙を流す。

 みな、音楽があったからこそ、耐えて生き抜くことができたと語る。
 ただし、彼らは特にRCOのファンでもなく、RCOの音楽に癒されたわけでもないようだ。
 たまたま、その土地にいて、RCOのコンサートに来たひとたちだ。

 よって、RCOの内情とか、音楽ドキュメンタリの傑作『OZAWA』(1985年)のような映画を期待すると、肩透かしを喰らう。
(義経が主人公だと思って『義経千本櫻』を観に行ったら、そうではなかったのと同じ)
 それだけに、観終って「ちょっとがっかりした」と話すクラシック・マニアもいたが、これは、エディ・ホニグマン監督のお得意の手法なのである。

 彼女の代表作『アンダーグラウンド・オーケストラ』(1997年)は、パリの地下鉄や路上で演奏する辻音楽師たちに焦点を当て、移民や不法滞在者、政治亡命者など、現代の「さまよえる人びと」を描いた、「目からウロコが落ちる」ドキュメンタリだった。
 今回は、その手法を、RCOの世界ツアーに用いたのだ。
 
 RCO団員による、ユニークな音楽解説も、少しばかり登場する。

 打楽器奏者は、ブルックナー7番で、シンバルをたった一回だけ奏する緊張感を語る。
 コントラバス奏者は、ショスタコーヴィチ10番冒頭の主旋律が、自分のパートのために書かれていることの感動を嬉々として語る。
 フルート奏者は、《アムステルダムの運河に捧ぐ》を吹き、泣きそうになりながら、故郷への思いを語る。
 コンサートマスターとヴァイオリン奏者の2人は、店の営業でコンサートに来られなかった友人のため、出発前のひととき、店を訪ねて即席コンサートを開催する。

 私は、世界各地の「音楽に癒された人びと」よりも、このRCO団員たちの姿に感動した。
 「音楽に癒された人びと」の話は、どこかで聞いたような既視感があり、新鮮味を感じなかったし、RCOのドキュメンタリに登場させる意味も薄いように思った。

 だが、団員たちの場面になると、とたんにスクリーンが生き生きし始める。
 ここまで楽しそうに音楽を語る演奏者は、観たことがない。
 編集も見事で、おそらく監督のエディ女史は、彼らのインタビュー後、「やったわ!」と拳を握り、すぐに、カット構成や音楽のことが頭に浮かんだだろう。
 全編が、RCO団員のインタビュー集でも、十分、成立したのではないだろうか。

 『義経千本櫻』の主人公は、義経ではないが、それでも、安徳帝を救出する場面や、静御前への思いを語る場面は、忘れがたい。
 この映画も、どこか似ている。

 なお、当然ながら日本語字幕版で、曲名などは出るのだが、地名や劇場名なども、もう少し出してほしかった。
 特に、ブエノスアイレスの、テアトロ・コロン(世界三大劇場の一つ)や軍事政権犠牲者碑、サンクトペテルブルクのホールなど、詳しい人でないと、わからないと思う。

 RCOに興味を持った方には、彼らの自主レーベルCD「RCO Live」シリーズをお奨めする(演奏は当然ながら、ジャケット・デザインも素晴らしい)。
 輸入CD店やアマゾンで購入できるほか、ナクソス・ミュージック・ライブラリーでも聴ける。
 映画のラストを飾る、ヤンソンス指揮、マーラー《復活》もあって、同シリーズの目玉商品となっている。
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(2月9日、渋谷・ユーロスペースにて所見)

【★☆☆】

【★★★】 嗜好に関係なく、お金と時間を費やす価値がある。
【★★☆】 嗜好が一致するのなら、お金と時間を費やす価値がある。
【★☆☆】 嗜好の範囲を広げる気があるなら、お金と時間を費やす価値がある。
【☆☆☆】 お金も時間も費やす価値はない。



このCDのライナーノート(解説)を書きました。とてもいいCDだと思います。

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2016.02.09 (Tue)

第149回 ひのまどか『モーツァルト』復刊

モーツァルト

 すごい本が、文庫で復刊した。
 ひのまどか著『モーツァルト 作曲家の物語』(新潮文庫)である。

 親本は平成2年、リブリオ出版刊。
 「作曲家の物語」シリーズ全20巻中の1巻だった。
 音楽作家の著者ひのまどか氏は、全20巻中、19巻を一人で執筆した。
 すべて現地に足を運び、遺族や関係者を取材して書かれている。
 児童福祉文化賞を2度受賞した、名作シリーズだ。
 だが、近年、版元が出版業から撤退したため、入手困難な状況がつづいていた。

 本書はジュニア向け、主として中高生を対象にした本である。
 その、どこが「すごい」のか。

 実は本書は、伝記本の姿を借りた、人生サバイバル教科書なのである。
 音楽家に理解の薄い18世紀ヨーロッパ社会の荒波の中を、モーツァルトがいかにして生き抜いたかが、執拗なまでに描かれるのだ。
 
 モーツァルト一家は、いまでいう「ワーキング・プア」だった。
 息子には才能もあり、父親には目標や野望もあるのだが、とにかく安定した「職場」がない。
 借金を重ねながら、仕事のありそうな土地を、旅から旅へと渡り歩く。
 子供が大人顔負けの手腕でクラヴィーアを弾く、それが面白くて一時的に受けるのだが、結局は「芸人」扱い、たいていは、その場限りだ。
 いいようにあしらわれ、まるで猿回しだ。
 狂言の『靭猿』[うつぼざる]じゃあるまいし。

 カネがないから、安宿か、一時的なスポンサー貴族の家に泊めてもらうしかない。
 その姿は「ネットカフェ難民」そのものだ。

 やがて不健康な旅に病んで、付添いの母親は、パリの屋根裏部屋で客死する。
 ホームレスが真冬の公園で衰弱死する姿を思わせる。
 新田次郎『八甲田山死の彷徨』を読んでいるようである。
 
 もちろんモーツァルトの伝記には、上記のようなエピソードは、必ず書かれている。
 だから、さほど新鮮味はない。
 だが本書の「すごい」ところは、内容をそれだけに絞って、中高生向けの啓蒙書でやってしまったことだ。

 名曲の数々がいかにして生まれたか、なんてきらびやかなエピソードは、ほとんど出てこない。
 音楽的な解説も、ほぼ皆無だ。
 譜例は1小節もないし、モーツァルトの年譜も、登場曲の索引も、ない。
 ただひたすら、「今夜はどこに泊まるか」「明日の稼ぎをどうするか」「定収の得られる職場はないか」の3点を追い続ける一家の姿が描かれるのだ。
 そこには、私たちが通常思い描く、華やかで美しい音楽界のイメージは、一切ない。

 そして、読後、以下のような教訓を覚えるはずだ。

①人生は、コネ(人脈)が重要である。
 父レオポルトは、貪欲なまでに、貴族の推薦状や紹介状を集める。
 それを山ほど抱えて、次の町へ旅して、仕事や宿を得るのである。
 知人から、またその知人へ。
 恥も外聞もない。 

②人生は、上司次第で変転する。
 一家は、いわばザルツブルク専属の公務員だった。
 だからほかの土地へ行くには、大司教(殿様)の許可が必要だった。
 最初のシュラッテンバッハ大司教は寛容で、一家の旅を認めてくれたが、次のコロレド大司教は理解がなく、たちまち一家は苦境に陥る。

③人生は、才能だけではどうにもならない面がある。
 どこの土地でもモーツァルトは歓迎されるが、それは「小さな子供がクラヴィーアを弾いたり作曲したりする」のが珍しかったからだ。
 子供時代の美空ひばりと同じである。
 当時のオペラや楽曲などは、使い捨ての一過性の娯楽にすぎない。
 彼の音楽的才能など、当時は、誰も認めていなかった。

 ……とまあ、身もふたもない読後感に思えるかもしれないが、それでも、中学高校の、合唱部や吹奏楽部の先生は、ぜひ、本書を生徒に読ませてほしい。
 もちろん、これから社会に出る大学生、あるいは、若い社会人の方々にも読んでほしい。

 ここに描かれているのは、現在の日本である。
 あなたたちを待っている社会とは、これとほとんど同じだと思った方がいい。
 最終章では、現地取材ルポとなり、国際モーツァルテウム財団の事務局長や、ソプラノ歌手イレアナ・コトルバシュのインタビューが登場する。
 彼らの話もなかなか深い内容で、つづけて本文ラスト5行で、現代社会の宿命がそのまま描かれる。
 この5行も、すごい。
 18世紀ヨーロッパと、21世紀の日本の、どこがちがうというのか。 
 読後、モーツァルトの音楽を聴こうと思うよりも、明日からも何とか生き抜いてやるぞとの、野性的なエネルギーが湧いてくるはずだ。
 それでいいと思う。
 音楽は、いつでも聴ける。
 だが、人生は、一度きりだ。
 そんなことを教えてくれるから、本書は「すごい」本なのである。

【★★★】

【★★★】 嗜好に関係なく、お金と時間を費やす価値がある。
【★★☆】 嗜好が一致するのなら、お金と時間を費やす価値がある。
【★☆☆】 嗜好の範囲を広げる気があるなら、お金と時間を費やす価値がある。
【☆☆☆】 お金も時間も費やす価値はない。


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このCDのライナーノート(解説)を書きました。とてもいいCDだと思います。

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2016.02.03 (Wed)

第148回 映画『神なるオオカミ』

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 東京・渋谷の映画館「ヒューマントラストシネマ渋谷」で、毎年、特集上映「未体験ゾーンの映画たち」が開催されている(大阪シネ・リーブル梅田でも)。
 主催者(東京テアトル)いわく「様々な理由で日本での劇場公開が見送られてしまう傑作・怪作の数々」を上映する催しで、要はマニアックなホラーやSF、戦争ものなどの娯楽映画祭である。

 これが意外と人気があり、最初のうちは数本上映だったのが、昨年は10本となり、今年はついに50本もの「怪作」大会となった。
 こうなると、全体チラシだけではどんな映画なのか見当もつかず、『ゾンビマックス! 怒りのデス・ゾンビ』だの、『口裂け女 in L.A.』だの、すさまじい邦題を頼りに、ほとんどカンで突入するしかない。

 ところがこの映画祭、時々「一般公開されてもおかしくない、このような傑作が、なぜ含まれているのか」といいたくなる作品があるので、侮れない。

 たとえば昨年は、『特捜部Q 檻の中の女』(ミケル・ノガール監督、デンマーク)が「怪作」群に交じって上映され、危うく見逃すところだった。
 これは海外ミステリ・ファンならおなじみ、ユッシ・エーズラ・オールスンによる、デンマークの大ベストセラー小説の映画化である(邦訳はハヤカワ文庫)。
 大部な小説をかなり省略してはいたが、実によくできた映画化で、北欧独特のリリシズムや暗さもていねいに表現された、刑事ミステリの傑作であった。
 (今年は、第2作『特捜部Q キジ殺し』が、やはり「怪作」に交じって上映される)

 そんな映画祭で、今年、これまた危うく見逃すところだった「傑作」が上映された。
 『神なるオオカミ』(中国=フランス、2015年)である。
 フランスの名匠、ジャン=ジャック・アノー監督を招いて製作された、中国の超大作映画だ。

 1960年代、文革時代の中国で「下放」政策が実施された(反右派闘争時代の懲罰的な「下放」ではない)。
 大都会のインテリ学生が僻地の農村地帯へ派遣される。
 学生たちは農村に住み込み、読み書きなどの知識を農民に教えながら、農業を身につける。
 「徴兵制度」に対して「徴農制度」とも呼ばれた。
 
 この「下放」で、主人公の青年チェンは、内モンゴル自治区の遊牧民一族のもとへ派遣される。
 大草原を移動しながら、馬や羊たちと暮らす生活は、たいへん新鮮だった。

 牧畜の食糧である「草」を、ガゼルが食べつくしてしまう。
 よって、時折、ガゼルを駆除しなければならないのだが、全部を殺してはならない。
 なぜなら、オオカミたちが食べるガゼルも残しておかないと、食糧を失った彼らが、今度は馬や羊を襲いに来るからだ。

 チェンは、このオオカミに興味をもつ。
 あるとき、オオカミの赤ん坊を救出し、あまりの可愛さに、こっそり飼育する。
 もちろん、許される行為ではない。
 遊牧民にとってオオカミは、恐れながら崇める、神と悪魔が同居したような存在なのだ。
 案の定、チェンの行為は、想像以上のトラブルを招き、草原地帯の近代開発を目指す共産党政府の思惑もからんで、事態は複雑化の一途をたどる……。

 物語の基本は、『野生のエルザ』(1966年)とほぼ同じなのだが、この映画のうまいところは、人間と動物のかかわりに、中国の政治問題をからめた点にある。
 チェンのオオカミを愛する「個人的感情」は、大自然と、政治方針の両方によって、封殺されるのである。
 最後は、野生動物が、人間も政治も凌駕する孤高の存在となるように演出されており、深い感動を覚える。
 言葉を失う大自然の光景や、動物たちも素晴らしく、約2時間、瞬きすら惜しまれた。
 深夜、暴風雪の中を疾走する馬の群れと、それを追うオオカミたちの追跡を空撮でとらえたシーンなど、CGもあるのだろうが、息を詰めて見入ってしまった。

 オオカミたちの「演技」も驚愕すべき出来で、まるで、監督の求めに応じて、怒りや哀しみを自在に表現しているようである。
 さすがは『子熊物語』や『トゥー・ブラザーズ』(虎の話)を作ってきた監督だけのことはあるが、海外サイトによれば、オオカミは生まれた時から調教して撮影に臨んだようだ。

 この監督のヒット作『セブン・イヤーズ・イン・チベット』(1997年)は、いまでも中国では上映禁止だという。
 そんな監督に中国映画を託すにあたって、製作会社は「環境保護問題に重きを置いた映画だ」と訴えて実現させたらしい。

 音楽は、『タイタニック』のジェームズ・ホーナー
 昨年6月に飛行機事故で急逝したので、これが、ほぼ遺作となってしまった(公開順からいえば、このあと3作ある)。
 「他作品との類似」「自作の過剰な使い回し」が問題となることもあるひとだが、今回は、フル・オーケストラを起用し、胸をかきむしるような旋律で、昔ながらの堂々たる映画音楽を聴かせてくれる(もっとも、これも使い回しかもしれないが、私にはそこまではわからなかった。フィリップ・グラスを思わせる部分が少しあったが)。
 この音楽を書いて亡くなったのかと思うと、特にラストなど、涙を禁じ得なかった。

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▲ジェームズ・ホーナーの、(ほぼ)白鳥の歌となった『神なるオオカミ』サントラCD。素晴らしい内容なので、多くの方に聴いてほしい。

 この映画は、若いひとたち、特に高校生や大学生に観てもらいたい。
 鎌倉で家族が形成されるとか、戦国時代にタイムスリップするとか、そういう映画もいいけれど、何年もかけて、動物や大自然と格闘しながら作られた画面は、重みがちがう。
 全編に「映画でなければできないこと」が充満している。
 これが「映画」なのである。
 そして、大自然に人間がどう接するべきかについての、明確な主張がある。

 おそらく本稿がアップされるころには、東京での上映はそろそろ終了だと思うが(急きょ、当初の予定よりも上映回数は増えたが、ほとんどが満席だった)、できれば今後、ジェームズ・ホーナー追悼のためにも、大スクリーンと大音響で、単独公開してもらえないだろうか。
(1月31日、ヒューマントラストシネマ渋谷で所見)

【★★☆】
★★★ 嗜好に関係なく、お金と時間を費やす価値がある。
★★☆ 嗜好が一致するのなら、お金と時間を費やす価値がある。
★☆☆ 嗜好の範囲を広げる気があるなら、お金と時間を費やす価値がある。


このCDのライナーノート(解説)を書きました。とてもいいCDだと思います。

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2016.02.01 (Mon)

第147回 映画『99分、世界美味めぐり』

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 世の中には、いろんなひとがいるものだと、つくづく思う。
 公開中の映画『99分、世界美味めぐり』は、5人の「フーディーズ」(映画の原題。邦題は、あまり内容をうまく表現しているとは、いえない)の日常を追ったドキュメンタリ映画である。
  「フーディーズ」とは、世界中の、ミシュラン星取りレストランを食べ歩き、ブログに批評を発表する、いわば「美食ブロガー」である。
 ものすごい数の読者(フォロワー)がいて、いまや、ミシュラン・ガイドに匹敵する存在らしい。

 その5人とは、
*レコード・レーベル(Run-D.M.C.所属)の元オーナー(ミシュランを凌駕する本格的な美食批評サイトを準備中)。
*石油会社の元重役(ミシュラン三つ星109店をすべて制覇)。
*リトアニア出身のスーパーモデル(そろそろ現役は退きかけているようだ)。
*タイの金鉱会社の御曹司の青年(親の援助で世界中を食べ歩いている)。
*香港の普通のOL(新人フーディーズ)。

 彼らは、たった一店で食事をするためだけに、飛行機で何千キロも飛んで行く。
 およそ世界中の、あらゆる地域の名店が、続々登場する。

 私は、この映画を、夕食の時間帯に観た。
 てっきり、腹の虫が鳴るかと思ったが、まったくそうはならなかった
 なぜなら、三つ星店の料理は「美術品」のようで、食べ物には見えないものばかりだったからだ。
 モウモウたる煙(ドライアイス)に包まれて登場する料理。
 皿からはみ出す木の枝や葉に乗っている料理。
 海岸の砂上に投げ捨てられた、使用済みのコンドームを模した「セックス・オン・ザ・ビーチ」なる料理(香港のれっきとした三つ星店である)。
 どれも、ヴィジュアルは大迫力なのだが、「おいしそう」には見えなかった。
 (小肌の握りと、ニューヨーク大衆店のサンドウィッチが出てきたときは、少し空腹感を覚えた)
 たぶん欧米人は、こういうアートな外見にも「美味」を感じるのだろう。
 
 日本のお店も登場する。
 スーパーモデルが行く、京都「菊乃井」「鮨さいとう」である(共に三つ星)。
 彼女は、日本のレストランで必要な最低限の日本語も、ちゃんと身につけている。
 カメラは、彼女の「お会計」のシーンも追うが、どうもキャッシュで支払っているようである。
 そのほか、料理だけだが「神保町 傳」(二つ星)も紹介される。

 驚くべきシーンもある。
 いくつかの店では、厨房の隅に小さなテーブルがあり、彼らは、しばしば、そこに招き入れられて食事をするのだ。
 「ピエール・ガニェール」パリ本店や、バスクの「アルサック」などがそうで、目の前でシェフが采配する厨房を見ながら、そして解説を聞きながら、食べるのだ。
 店にとって、フーディーズは、的確な批評を与えてくれる大切な存在で、フォロワーの多さからも無視できないらしい。
 そのレベルにまで達すれば、フーディーズとしても一流なのだ。

 中には、酷評したにもかかわらず、味が改善されたかを確認するために、また食べにきたフーディーズと口論するシェフもいる。
 しかし、決して追い出そうとはしない。
 いかにも、いいライバル同士といった雰囲気である。

 彼らの食事マナーは、私のような「センベロ」オヤジから見ても、あまり美しいとはいえない。
 料理が出てくるたびに、アイフォンやデジカメでカチャカチャと写真を撮りまくる。
 私は、日本のお店で「写真をとってもいいですか」と、店側に確認してからアイフォンを取り出すひとを何回か、見た。
 店によっては、写真をネット上やSNSに出されることをいやがるからだ。
 だが、彼らフーディーズは、最初から許されているらしい。
 そして、手でつまんで食べる、クチャクチャと音を立てて食べるなど、たいへん下品である。
 まさに、何でもありなのだ。
 私は、子供時代、食事の際、母親に「動物じゃないんだから、箸で食べなさい!」「大きな音を立てて食べるんじゃないよ!」と、さんざん言われた世代だが、彼らには、そんなことは関係ない。
 問題は、味と外見とサービスへの「批評」なのだ。
 そもそも、たった一人で(時折、知人と一緒のシーンもあるが)、テーブルに座り、何が楽しいのか、無言で食べまくる光景からして、少々、異様である。
 
 私は、彼らの「ジャーナリスト」的な側面を期待して観に行ったのだが、その種のシーンは、一切ない。
 つまり、取材結果を、いかに的確な文章として表現するか、どのくらいの分量で書いているのか、取材データはどのように整理しているのか、いつ、どこでパソコンに向かうのか、ブログはどんな画面なのか(まあ、これはインターネットで誰でも見られるけれど)、まったくわからない。
 ただひたすら食べて、その場でコメントを口にし、なぜこんなことをやっているのかを説明する、そんな映画である。
 しかし、とにかくフーディーズなる存在を知ることができて、その点は、たいへん面白い。

 彼らが私を見たら、おそらくこう言うだろう。
 「文楽を観るためだけに大阪へ行ったり、吹奏楽コンクールは予選がいちばん面白いからと、毎夏、府中の森芸術劇場へ通う。そんなあなたと、私たちフーディーズと、どこがちがいますか?」
 そう考えれば、なんとなく彼らに親近感もわいてくるのである(もちろん、手持ち予算と時間の余裕は、比較にならないが)。
(1月30日、YEBISU GARDEN CINEMAにて)

このCDのライナーノート(解説)を書きました。

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