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2016.03.29 (Tue)

第159回 耳嚢(2016年3月)

耳嚢
▲根岸鎮衛『耳嚢』全三巻(岩波文庫)

 江戸時代後期、南町奉行の根岸鎮衛(ねぎし・しずもり)が、あちこちで見聞した珍談奇談怪談を、30余年にわたってミニ随筆に綴った。
 その数1,000編におよび、耳嚢(みみぶくろ)』と題された。
 とても根岸には及ばないが、私なりの珍談を、時折、書きつけておくことにした。

春疾風
文学座の本公演『春疾風(はやて)』(川﨑照代作、藤原新平演出、3月12~21日、紀伊國屋ホール)は、十数年前に母親の介護で帰省したっきり、なぜか母の死後も帰ってこないオデッセウスみたいな夫をめぐる、家族の物語。
 いったい、何が原因だったのか、夫の「衝撃的告白」を期待したのだが、あまりに拍子抜けの展開に、唖然呆然。
 客席の9割を占める超シニアの観客には、あれくらいがいいのか。
 文学座は、本公演とアトリエ公演のちがいが、あまりに大きすぎないか。
 【★☆☆】

対岸の永遠
てがみ座公演『対岸の永遠』(長田育恵作、上村聡史演出、3月4~30日、シアター風姿花伝)は、ソ連崩壊後、混乱するサンクトぺテルブルクで生きる女性が、かつて家族を捨て、アメリカに亡命した父(詩人)の死を知り、彼の足跡と精神を受け入れるまでを、井上ひさし『父と暮せば』のような手法で描く意欲作。
 詩人のモデルが、ノーベル文学賞作家、ヨシフ・ブロツキーだというので期待して観に行ったが、およそブロツキーとは思えぬ、『リア王』の道化を思わせるコミカルな雰囲気で、私としてはがっかりした。
 だが、全編に翻訳劇のような迫力がみなぎっていて、見ごたえはあった。
 【★★☆】

原田展poster_s
「原田直次郎展~西洋画は益々奨励すべし」(2月11日~3月27日、埼玉県立近代美術館)は、森鷗外『うたかたの記』の主人公・巨勢のモデル、原田直次郎の作品展。
 「森鷗外が明治42年に開催した遺作展以来、およそ100年ぶり」となる画期的な催しだというのに、なんと彼の代表作『騎龍観音』が展示されていない、あんまりな内容。
 北浦和まで行ったのに(もっとも、『騎龍観音』は、最近、東京国立近代美術館で観たばかりだが)。
 ところが、神奈川県立近代美術館<葉山>での巡回展(4月8日~5月15日)では、ちゃんと展示されるという。
 これは、国指定重用文化財の規定で、ある日数以上は貸し出せないからなのだが、最初から知っていれば、埼玉でなく、葉山に行っていただろう。
 会場では、約20分のドキュメント映像が放映されており、これがなかなか面白かった。
 たぶん、<葉山>でも放映されると思うので、これから行かれる方は、ぜひご覧いただきたい。
 なお<葉山>は確かに都心からは遠出となるが、半日を費やすだけの価値のある、風光明媚な立地なので、天気のよい日を選んで、気軽な観光気分で行かれることをお奨めする。
 埼玉【☆☆☆】
 葉山【★★★】


上村一夫
「わが青春の『同棲時代』~上村一夫×美女解体新書展」(1月3日~3月27日、弥生美術館)は、『同棲時代』『修羅雪姫』『関東平野』などの劇画家・イラストレーター、上村一夫の原画を中心とした回顧展。
 私がかつてコミック編集者だったころ、上村作品を復刻刊行したことがあり、その原画も展示されていて懐かしかった(私が書き込んだノンブル指定が残っていた)。
 上村劇画は、ひとコマひとコマが、一幅のイラスト絵画として完成されており、観ていて飽きない。
 しかし、『修羅雪姫』原作者名を、何か所も「小池一」と誤記するなど、「美術館」の名が泣く、ずさんな解説文。
 会期最終近くに行ったのだが、3か月間、あれほどの大きな誤記がそのままになっていたのかと思うと、ぞっとした。
 【★★☆】

第157回でご紹介した「女川さいがいFM」が、3月29日(月)正午で停波(閉局)した。
 私は子供の頃からラジオ・マニアなのだが、「閉局」「停波」は初めて体験した。
 ラジオって、こうやって「停波」するのか……なんともいえない瞬間だった。
 その前、26日(土)夜、宮城県女川町現地からの生放送に、突如、桑田佳祐が登場し、約1時間にわたってライヴを聴かせてくれた。ちょうど、彼のFM-TOKYOの番組との提携で、全国の系列FMでも放送されたようだが、これには驚いた。
 会場にいた観客もびっくり仰天したようだ。
 さっそく知人の芸能ジャーナリストに知らせたら、「いま、会場にいます」とのメッセージが返ってきた。
 ちなみに「女川さいがいFM」が、停波直前に流した最後の曲は、サザンオールスターズ《TSUNAMI》だった。

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◆3月に観た映画でもっともよかったのは、新文芸坐の内田吐夢監督特集における『暴れん坊街道』(昭和32年、東映京都)。
 近松の義太夫『丹波与作待夜小室節(たんばよさく・まつよのこむろぶし)』(いわゆる「重の井子別れ」)を依田義賢が脚色した。
 主演は佐野周二、千原しのぶ、山田五十鈴。
 主役級の子役が植木基晴(片岡千恵蔵の長男。日本航空の社長は三男)。
 実は今回で3回目の鑑賞なのだが、またも泣かされた。
 芸達者な山田五十鈴もさることながら、お姫様役が多い千原しのぶが、伝法な飯盛女で、なかなかいい味だった。
 悪役専門の薄田研二が、真面目ゆえに偏狭に過ぎ、事態を悲劇に導いてしまう善良な家老を見事に演じていた。
 【★★★】

マジカルガール
◆3月に観た映画で、もっともがっかりしたのは、スペインの新作『マジカル・ガール』で、こんなに後味の悪い映画は、ひさびさだった。
 ところが、これが「新感覚」で、「実に面白い」そうで、けっこうヒットしているらしい。
 「重の井子別れ」に泣く私のような人間には、とても無理だった。
【★☆☆】

◆この「グル新」のネタのきっかけは、大半を全国紙の夕刊から仕入れている。
 最近の夕刊は、ほとんど、文化芸能情報紙である。
 音楽、美術、映画、演劇、古典芸能などの記事が満載で、昔の「ぴあ」みたいな内容だ。
 ところが、いま、夕刊を「買う」ことは、たいへん難しい。
 コンビニには朝刊しかない(読売新聞のみ、一部コンビニに夕刊を置いている)。
 夕刊は、駅構内の売店でしか買えない(しかも、部数が絞られているのか、早々と売り切れている売店が多い)。
 最近の駅売店のつくりは、コンビニと区別がつかない。
 1部50円の夕刊を数紙買うのに、わざわざ行列に並ばなくてはならない。
 たまに外国人店員にあたると、たいへんである。
 新聞は、バーコードにPOS読み取り機を当てて「ピ」で済ますわけにはいかないので(最近、産経新聞はバーコードを付けているようだが)、いちいち、レジ画面を開いて、紙名をタッチしなければならない。
 外国人店員だと、これにたいへんな時間を要するばかりか、中には、読めない者もいて、その際は、日本人店員に来てもらわなければならない。
 昔、スタンド形式のKIOSKでは、千手観音と聖徳太子が合体したような女性店員がいくらでもいて、四方八方から押し寄せる客を、同時に平然とさばいていたものだ。
 神保町交差点にある「廣文館書店・東京店」は、新聞を、しかも夕刊をそろえて売っている、素晴らしい書店である。
 入口に雑貨や食品を並べて「書店」と名乗っているどこかの店も、新聞くらい売ればいいのに。
 廣文館書店【★★★】
(敬称略)

【★★★】 嗜好に関係なく、お金と時間を費やす価値がある。
【★★☆】 嗜好が一致するのなら、お金と時間を費やす価値がある。
【★☆☆】 嗜好の範囲を広げる気があるなら、お金と時間を費やす価値がある。
【☆☆☆】 お金も時間も費やす価値はない。


このCDのライナーノート(解説)を書きました。とてもいいCDだと思います。

◆「富樫鉄火のグル新」は、吹奏楽ウェブマガジン「BandPower」生まれです。第132回以前のバックナンバーは、こちら。

毎週(土)23時FMカオン、毎週(月)23時調布FMにて、「BPラジオ/吹奏楽の世界へようこそ」案内係をやってます。4月は「震災と吹奏楽」「追悼、キース・エマーソン」です。

◆ミステリを中心とする面白本書評なら、西野智紀さんのブログを。

 
 
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2016.03.22 (Tue)

第158回 コンセプト・アルバムの楽しみ

ラモー
▲『ラモー:壮大なる愛の劇場』(Erato) サビーヌ・ドゥヴィエル(歌)ほか

 Erato(ワーナー)から『ラモー:壮大なる愛の劇場』なるディスクが出ている。
 ラモーにそんな作品があったのかと思い、聴いてみたら、いわゆる「アリア集」である。
 ところが、単なるコンピレーション・アルバムではない、とても面白い内容だった。

 このアルバムは、フランス・バロックの巨匠ジャン=フィリップ・ラモーのオペラから、序曲やアリア、さらには恋歌などを加え、計23トラックに構成したものだが、「歌曲集」のような統一感がある。
 まさに、ライナーノーツで、オペラ研究家の岸純信氏が書いているように「一人の女性が、様々な『愛の体験』を得て精神的に成長する姿を、ラモーの名場面を通じて描き出そうというアルバム」なのである(こういうのを「コンセプト・アルバム」というのだろう)。

(この岸氏の解説が要を得た見事な内容なので、よほどラモーに詳しい方以外には、国内盤の購入をお奨めする)

 シューベルトの歌曲集《冬の旅》は、失恋した若者が、失意のあまり放浪の旅に出て、ひたすら落ち込んでいく過程を描いているが、あれの真逆の内容だといえば、当たらずとも遠からずか。

 歌唱は、フランスの新人サビーヌ・ドゥヴィエルで、1985年生まれだそうなので、録音時(2013年)はまだ28歳!
 その若々しい声は輝かんばかり、しかもなかなかの美貌で、第2のナタリー・デセイの予感がある。
 演奏は、フルート奏者でもあるアレクシス・コセンコ指揮のレザンバサドゥールで、このアルバム自体が彼の企画のようである。

 たまたま、最近、こういうユニークなコンセプト・アルバムをいくつか聴いたので、ご紹介したい。

ベートーヴェン
▲『ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタの名楽章集』(宗次ホール) 植村太郎vn、鈴木慎崇piano

 名古屋の「宗次ホール」は、カレーの「CoCo壱番屋」創業者、宗次徳二氏が私財を投じてつくった室内楽専用ホールである。
 ここの自主制作CDに『ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタの名楽章集』がある(植村太郎vn、鈴木慎崇piano/2014年9月、同ホールでのライヴ収録)。
 全部で12トラックあるのだが(最後の2トラックは拍手とアンコール)、ベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ全10曲から、1曲1楽章ずつ、「いいとこどり」をして、10楽章が収録されている。
(時折、拍手が入っているので、当日は、数楽章ずつ1曲相当に分けたプログラム構成になっていたようだ)

 このような抜粋演奏は、厳格なファンには許せないかもしれないが、これが意外と面白い。
 聴いていると、ベートーヴェンの中の何かが、ものすごい勢いで深まっていくのが、手に取るようにわかる。
 彼のヴァイオリン・ソナタは、交響曲や弦楽四重奏曲とちがって、短期間に集中して作曲されている。
 サリエリに献呈された第1~3番が1798年で、第9番《クロイツェル》が1803年、最後の第10番のみが少し飛んで1812年の作曲だ。
 年齢でいうと、ベートーヴェン20歳代後半から30歳代にかけて。
 ヨーロッパは、ナポレオンの絶頂期から衰退が始まる、激動の時代だった。

 聴いてみると、たとえば第4番第3楽章から、有名な第5番《スプリング》第4楽章につなげてひと段落(拍手)となる流れなど、自然で心地よいし、最後の3トラックにおける深淵な響きは、演奏も見事で実に聴きごたえがある。

 このような「いいとこどり」スタイルは、同ホール代表、宗次徳二氏のアイディアだそうである。

楽章集
▲『ヴァイオリン・ソナタの名曲中の名楽章集』(宗次ホール) 島田真千子vn、佐藤卓史piano

 実は、この前に、『ヴァイオリン・ソナタの名曲中の名楽章集』がリリースされている(島田真千子vn、佐藤卓史piano/2013年9月、同ホールでのライヴ収録)。

 おそらく、これが「名楽章集」コンサートの第1弾だったのではないか。
 ヘンデル、モーツァルト、ベートーヴェン、ブラームス、フランク、ラヴェル、ドビュッシーらのソナタから、やはり1曲1楽章を「いいとこどり」し、全部で11楽章を収録したものだ。
 これも意外な感動があった。
 アルバム全体が、モーツァルトの第25番第1楽章で始まり、フランクの第4楽章で終わるといえば、なるほどと思われる室内楽ファンもいるのではないか。
 これをさらに深化させた企画が、先述のベートーヴェンだったのだ。

 なお、これらのCDは、広範には販売されていないようで、宗次ホールでしか購入できないようだ。
(私は、会員制通販サイト「アリアCD」で購入したが、現在でも販売中かどうかは不明)

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▲エレーヌ・グリモー 『WATER』(DG/ユニバーサル)

 私が大好きなピアニスト、エレーヌ・グリモーが、最近、不思議なアルバムを出した。
 『WATER』(DG/ユニバーサル)である。
 全部で8曲、「水」をモチーフにした小曲が収録されている。
(べリオ、武満、フォーレ、ラヴェル、アルベニス、リスト、ヤナーチェク、ドビュッシー/2014年12月、ニューヨークでのライヴ収録)。

 ところが、曲間に、ニティン・ソーニーなるマルチ音楽家(?)による、音楽とも環境音とも自然音ともつかない「Transition」(つなぎ目)が収録されている。
 ピアノ部分はライヴ録音らしいのだが、どうもエレーヌは、そのままCD化するのは嫌だったようだ。
 その結果、このような「究極のコンセプト・アルバム」が生まれた……らしい。

 なんとなくいい雰囲気ではあるのだが、ここまでいくと、凡人の私には、何ともいえない。
 あとはリスナーの好み次第としかいいようがない。
 ピアノ曲とTransitonの間はアタッカ(切れ目なし)なので、1枚丸ごと、環境クラシックCDともいえる。
 間接照明でアロマの香り漂うマッサージ店や、しゃれたブック・カフェで流したら、効果抜群だろう。

 ご存知の通り、エレーヌは、幼少時代から様々な「問題」を抱えて生きてきた天才肌で、大学では動物生態学を学び、オオカミと暮らしている異色ピアニストである。
(スウェーデンのミステリ小説『ミレニアム』シリーズのヒロイン、リスベット・サランデルに、どこか似ていないか)

 それだけに、この種のアルバムを出しても、何の不思議もないのだが、個人的には、一刻も早く通常アルバムに本復していただき、そろそろソロのシューマンあたりをじっくり聴かせていただきたいのだが。
 ちなみに、5月には、このアルバムと同じ曲目+ブラームスの2番ソナタで、来日リサイタルがあるようだ。
 曲間に環境音が流れるのかどうかは、知らない。
(一部敬称略)

このCDのライナーノート(解説)を書きました。とてもいいCDだと思います。

◆「富樫鉄火のグル新」は、吹奏楽ウェブマガジン「BandPower」生まれです。第132回以前のバックナンバーは、こちら。

◆毎週(土)23時、FMカオンにて「BPラジオ/吹奏楽の世界へようこそ」案内係をやってます。3月は、「生誕120年、ハワード・ハンソンの魅力」「武蔵野音楽大学ウインドアンサンブルの軌跡」です。

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2016.03.15 (Tue)

第157回 さようなら、女川さいがいFM

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▲かつて、ここは住宅街だった。宮城県名取市閖上地区(2011年4月末、筆者撮影)
 


 私は、子どものころからのラジオ好きが高じて、いまではコミュニティFMの音楽番組にかかわっている。
 それだけに、「ラジオ局」がなくなるとのニュースには、身を切られるような思いがする。

 この3月末、東北から、いくつかのFMラジオ局が消えようとしている。
      ◆ ◆ ◆
 2011年3月11日の東日本大震災後、岩手・宮城・福島の3県を中心に、多くの「臨時災害放送局」(通称「災害FM」)が開局した。
 地元密着の、被災・復興・安否情報などを放送するミニFM局である。

 1995年の阪神淡路大震災を機に、放送法が改正され、大災害時、「臨時かつ一時」で、「被害の軽減に役立つ放送」であれば、「災害対策が進展し、被災者の日常生活が安定する」までの限定で、ミニFMを開局できることになった。

 手続きは、災害時に口頭申請すると(電話でも可)、その場で周波数が割り当てられ、即日開局できる(ただし、後日、正式手続きが必要だが、電波利用料や音楽著作権使用料は、一定期間、免除される)。
 出力も、コミュニティFMが20W上限なのに対し、「他局の放送に支障を及ぼさない範囲内」であれば、制限はない(実際は20~50W前後が多いようだ)。
 そんな「災害FM」が、東日本大震災では「26局」に達した。

 災害FMの放送免許は、市町村などの「自治体」に対して交付される。
 交付後、局を直営する自治体もあれば、地元有志やNPO法人などに運営を委託する自治体もある。
(既存のコミュニティFMが、自治体と組み、出力をアップして一時的に災害FMに移行するケースも多かった)。

(ちなみに、「コミュニティFM」は、民間企業のほか、第三セクターやNPO法人による運営が多く、細かい審査が必要。要するに小規模な「民放ラジオ局」である。現在、北海道から沖縄まで、約300局が開局している)
     ◆ ◆ ◆
 災害FMの運営には、自治体の補助、地元企業のスポンサー提供などのほか、日本財団、赤い羽根共同募金、大手民間企業(資生堂、パナソニックなど)の支援があった。
 たとえば日本財団からは、開局から4か月限定ではあったが、新規開局に50万円、月上限150万円までの運営補助があった。

 このほかに大きかったのは、政府による「緊急雇用創出事業」補助金である。
 政府は、震災後5年間を「集中復興期間」と定め、上記補助金を交付してきた。
 その一部を、災害FMの運営補助にあてる自治体が多かった。
 しかし、その補助金も、この3月末で終了する。
 つまり、震災後5年目となる2016年3月末は、災害FMにとって、大きな節目なのだ。
 補助金がストップする4月以降、十分な運営資金が確保できていない局は、実質、運営不可能だ。

 実は、震災で開局した26局のうち、すでに多くが閉局となっている。
 中には、以前のコミュニティFMに戻った局もあれば、「役割を終えた」とする局もあった。
 新聞報道や、サイマル・ラジオのウェブサイト(コミュニティ・サイマル・ラジオ・アライアンス運営)などによれば、現在開局しているのは、おおむね下記の「10局」のようである(サイマル・ラジオに参加していない局もあるようなので、正確ではない)。

かまいしさいがいFM(岩手県釜石市)
陸前高田災害FM(岩手県陸前高田市)
おおつちさいがいFM(岩手県大槌町)★
けせんぬまさいがいFM(宮城県気仙沼市)
けせんぬまもとよしさいがいFM(宮城県気仙沼市本吉地区)
女川さいがいFM(宮城県女川町)★
FMあおぞら(宮城県亘理町)★
りんごラジオ(宮城県山元町)
南相馬ひばりFM(福島県南相馬市)
おだがいさまFM(福島県富岡町)

 上記のうち、私が見聞きしている限りでは、★印の3局が、3月末で閉局が決定しているようだ。
(ほかの局も、あくまで一時的な「暫定延長」がほとんど)
 中には、コミュニティFMへの移行を模索した局もあったようだが、運営資金不足で、ほとんどが不可能だったようである。

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▲2011年4月末、気仙沼港(筆者撮影)

     ◆ ◆ ◆
 災害FMやコミュニティFMの多くは、地域外でもネットで聴ける。
 私は、この中では「女川(おながわ)さいがいFM」をよく聴いている。
 私自身、震災後1か月目に、取材で東北3県を回ったが、特に女川町には行っていない。
 なのに、なぜ、この局を聴いてきたのかというと、番組づくりや、FM局としてのたたずまいが、とても好きだったからだ。

 災害FMは、朝から夜までの、いわゆる通常生活時間内に、合間に音楽などを流しながら、自治体の広報をシンプルに伝えるスタイルが多い。
 ところが「女川さいがいFM」は、週7日24時間放送で(もちろん、再放送が多い)、J-WAVEやNACK5といった、メジャーFM局に近い聴きごたえがあった。
 地元情報「おながわ☆なう」や、元女川中学教員による「佐藤敏郎の大人のたまり場~牡鹿半島フォークジャンボリー」、地元の水産加工業者たちによる「産地直送!女川かこうけんラジオ」などはとても楽しかったし、音楽番組「MUSIC STREAM」はセンス抜群の選曲だった。
 他局(コミュニティFM)の番組も、ラジオ3(仙台市青葉区)制作の「川柳575便」、ラジオ石巻制作の「民謡列島めぐりIN石巻」など、面白くてためになる番組が多く放送されていた。

 もちろん「災害FM」の性質上、バラエティ系番組でも、必ず被災・復興情報がある。
 音楽も、癒しや励ましにまつわる曲が多い。
 そのバランス感覚が見事だった。
 一度も行ったことのない女川町だが、私は、ここ数年、ラジオを通じて、たいへん身近に感じていた。
     ◆ ◆ ◆
 「女川さいがいFM」は、どのようにして始まり、運営されてきたのだろうか。
 すでに、多くのメディアで紹介されているほか、2013年にはNHKで「ラジオ」と題してドラマ化されたので、ご存じの方も多いと思う。

 宮城県牡鹿郡女川町は、石巻市の隣りにある、人口約1万人(震災前)の、漁業の町だ。
 NHKの復興支援ソング《花は咲く》の冒頭フレーズを歌っている中村雅俊の出身地である。
 震災では、高さ20メートルの大津波に襲われ、宅地・商業地の8割がさらわれた。
 死者・行方不明者は1,000人近くにおよび、震災後、3,000人が町を離れた。
 東北電力の女川原子力発電所は高台にあったので、最悪の事態は免れたが、JR石巻線「女川駅」が再開したのは、昨年3月である。

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▲2011年4月末、福島県浪江町(筆者撮影)

 当時、東京で勤務していた女川町出身の松木達徳氏は、自らも実家を流失した。
 被災した故郷で、情報不足を痛感した松木氏は、災害FMの存在を知り、放送作家トトロ大嶋氏らの協力を得て、女川町と相談の上、開局に至った。
 運営や番組制作は、松木氏らが募集した地元スタッフによってまかなわれた。

 当初は2か月程度で閉局する予定だったらしい。
 しかし、ほぼ全町民が仮設住宅へ移り、町内コミュニティが分断されたため、いつしかラジオ局が、それらを補う、重要な存在となっていた。
 さらに多くのメディアで紹介されたこともあり、同局は、災害FMの象徴のような存在になった。
 そこで、放送延長を決定し、町の広報のほか、復興・生活情報、小学校の運動会やイベントの中継、さらに、音楽番組やバラエティ番組を放送するようになった。
(NHKのドラマ「ラジオ」では、局自体が高校生によって運営されているような印象の描かれ方だったが)
     ◆ ◆ ◆
 この3月上旬、マスコミは、一斉に震災5周年にちなんだ企画を連発した。
 特に全国放送のテレビは、海岸で涙する人々や、仮設住宅生活での苦労ぶりを流し、「忘れてはいけない」「復興はまだこれからだ」「いつまでも語り継ごう」と、センチメネタルに訴え続けた。
 だが、普段、災害FMを聴いていた私は、ずいぶんちがう印象を覚えた。

 確かに復興はまだまだだ。
 先月、日本大学法学部新聞学研究所が「東日本大震災が地域メディアに問いかけたもの」と題するシンポジウムを開催した。
 そこで、「石巻日日新聞」常務の武内宏之氏は「ようやく今年が復興元年という感じがする」と発言されていた。

 また、私は、福島県南相馬市が主宰するジュニア吹奏楽団「ゆめはっとジュニア・ウインド・オーケストラ」を、創設からの数年、ほんの少し、お手伝いしたのだが、最寄駅の常磐線はまだ復旧していない(2016年3月現在)。
 よって5年たったいまも、現地へ電車でストレートに行くことは、できない。

 かように、「復興」は、まだまだなのである。
 しかし、言うまでもなく、地元の人たちは、すべてが涙に暮れているわけでも、「5周年」だからといって何か特別な日を送ったわけでもないはずだ。

 私が「女川さいがいFM」で知った曲に《虹を架けよう》がある。
 小柴大造が作詞作曲した復興支援ソングで、アップテンポの、1970年代フォークソングを思わせる曲調だ。
 東北出身のアーティスト(さとう宗幸や遊佐未森など)が参加するBikkisが歌っている。
 「女川から自転車飛ばして/君が住む石巻へ/ピーナツバターのサンドイッチを鞄に詰め込んだなら/そこはもう青春の街」と歌いだされる。

 私は、浮世離れしているせいか、それまで、復興支援ソングといえば、《花は咲く》や、《あすという日が》くらいしか知らなかった。

 だが《虹を架けよう》も、とてもいい曲で、聴いていると元気が出る。
 震災に関係なく、ひとびとを励ましてくれる、素直な曲だ。
 全国区レベルの人気曲ではないかもしれないが、災害FMでは、毎日のように流れていた。
 あの曲のムードが、いまの東北をもっともあらわしていると信じたい。

 ところが、そういうムードを全国放送のテレビや、大マスコミは、あまり伝えない。
 どうしても、お涙頂戴が多くなる。
 しかし災害FMには、お涙頂戴をやってる暇はないようだ。
 「花は咲く」のを待つのではなく、いますぐ「虹をかけよう」と呼びかけている。

 今月に入ってからの「女川さいがいFM」は、最終日に向けて、なんとも言いがたい内容の番組が続いている(ただし、どの番組も実に明るい)。
 4月以降、残った7局は、いつまで存続するのだろう。
 東日本大震災を「忘れてはいけない」と思う方は、ぜひ、残り少ない災害FMを聴いてほしい。
 そして、「女川さいがいFM」をはじめ、災害FMを運営してきた(これからも運営する)東北の方々には、ラジオ界の片隅にいる人間として、心からのお礼とねぎらいを送りたい。
 どうもありがとう。
(一部敬称略)


※災害FMやコミュニティFMは、サイマル・ラジオ経由で、パソコンやスマホで聴けます。

※上記で紹介した佐藤敏郎氏の番組は、4月から東北放送(TBC)で放送が継続することになったようです。


このCDのライナーノート(解説)を書きました。とてもいいCDだと思います。

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2016.03.07 (Mon)

第156回 METライブビューイング、10周年

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▲2015~16年シーズン(現在進行中)のMETライブビューイングのチラシ
(昨シーズン、衝撃のMETデビューを果たした、クリスティーヌ・オポライスのマノン・レスコー)

 METライブビューイングが10周年を迎えた。
 世界最大のオペラハウス、ニューヨーク・メトロポリタン歌劇場(MET)の公演を収録し、すぐに世界中に配信する映像プロジェクトである(地域によっては生中継らしい)。
 日本での上映権は松竹が獲得しているので、現在は、東劇や新宿ピカデリーを中心に上映されているが、当初は、「歌舞伎座」で、本興行の月替わりの合間に上映されていた(新橋演舞場での上映もあったはず)。

魔笛
▲第1弾のチラシ

 スタートは2006~07年シーズンで、第1作は、モーツァルト《魔笛》の、ジュリー・テイモア演出版(ダイジェスト英語上演)だった。
 もう10年前のことなので、少々おぼろげだが、確か、大晦日に歌舞伎座で観たのが、これだったと思う。
 私は、そのとき、いくつかの衝撃を覚えた。

今後、歌舞伎座では、月末~月初めの空き期間を、オペラ映像で活用するのか(実際には、すぐに映画館に移った)。
てっきり、「オペラ映画」だと思っていたら、直前の生中継をそのまま収録した映像で(光ファイバー・ケーブルで送信されてくるという)、実にスリリングで面白かった。
人気演出家ジュリー・テイモアが起用されているのに驚いた(それまでは劇団四季『ライオンキング』、映画『タイタス』くらいしか観たことがなかった)。
世界最高峰の歌劇場が、モーツァルトの名作を平気でぶった切って1幕にダイジェストし、しかもドイツ語オペラを英語で歌わせ、ジェイムズ・レヴァイン御大が楽しそうに指揮していた。ファミリー向け公演だったかもしれないが、METの自由な発想に感動した。
確か前日の上演映像だったはずだが、もう日本語字幕が付いていた(と思う。とにかくこのシリーズは字幕が素晴らしい。「ナショナル・シアター・ライブ」は見習ってほしい)。

 よって、これは意外と当たるのではないかと思ったのだが、案の定、ちゃんと定着し、10周年を迎えた。
 その間、入りの悪い作品もけっこうあったが、それでもやめずに、全作品を10年間上映しつづけた松竹株式会社と、日本語字幕制作スタッフには、最大級の賛辞を贈りたい。

 私は、若いころ、何度かMET現地でオペラを観ているが、安価な後方席ばかりだったので、いつも「遠くで何かをやっているな」くらいの感想しか持てなかった。
 METは、それほどデカいのだ。
 (立ち見まで入れると約4000席。日本でいうと、普門館や、東京国際フォーラムAみたいな感じ。最上階には、学生向けに、舞台が見えない譜面台付きの安価な席もあった)。
 だがこのMETライブビューイングでは、ステージ上の舞台美術や衣装、歌手の息遣いまで、微細に見せてくれる。

 しかも幕間映像が抜群に面白い。
 ナビゲーターを人気歌手がやるのも見どころで、特に「METの女王」ルネ・フレミングが、今やすごい貫録で、あれはもう「METの上沼恵美子」である。

フレミング
▲「METの上沼恵美子」ルネ・フレミング

 そんなナビゲーターが、幕間ごとに舞台裏で待ち構えており、出演を終えたばかりの歌手にマイクを突きつけて「突撃」インタビューが行われる。
 中には、まだ息が整わない歌手もいるのだが(大相撲の勝利力士インタビューみたいだ)、みんな楽しそうに、作品や作曲家、演出家への愛を語る。
 カメラに向かって、母国の家族に「みんな元気? ついにMETに出演したよ~」みたいなメッセージを送る若手もいて、微笑ましい。
 時折、舞台姿からは想像もできなかった人柄が判明することもある(たとえば、アンナ・ネトレプコが実は「イケイケ姐ちゃん」だったとか)。

アンナ
▲実は「イケイケ姐ちゃん」だった、アンナ・ネトレプコ

 インタビューは、次第に凝った内容となり、近年では、歌手や演出家のみならず、エキストラの馬やロバへの「インタビュー」や、「武器」小道具係による「兵器解説」など、すさまじいレベルに達している。

 舞台裏の転換作業を丸ごと見せてくれるのも面白い(休憩も、実演そのままに時間が経過する)。
 マッチョなオヤジ集団が、巨大なセットを自在に動かしている。
 広大なスペースが、ステージ後方と両脇にあって、巨大セットがそのまま移動する光景は、いつ見ても迫力満点だ(たとえば《ラ・ボエーム》の2階建てセットなど)。

 しかし、なにぶん上映時間が3~4時間は当たり前、ワーグナーでは5~6時間なんてのもあるし、その上、1作の上映期間が1週間しかないので、勤め人には、なかなかたいへんだ(よって私も、それほどの数を観ているわけではない)。

 そんな中で、近年で特に忘れられないのは、2013~14年シーズンの《ラ・ボエーム》である。
 マチネー(昼公演)本番当日の朝、ミミ役のアニタ・ハーティッグが風邪でキャンセルとなった。
 そこで、急きょ、クリスティーヌ・オポライスが代役となった。
 実は彼女は、前夜、《蝶々夫人》を歌ったばかりで(しかも、それがMETデビューだった!)、明け方近くにホテルに戻り、バタンキューと寝たところだった。
 そこへ電話が入り「今日の昼公演でミミをやってほしい」と要請が来たのだという。
 オポライスは、それを受けた。
 もちろん、リハーサルなどやっている時間もなく、すべてをぶっつけ本番でこなすしかない。
 さすがに開演前に、ピーター・ゲルブ総裁が舞台上に登場し、「皆さんは、今日、歴史的な瞬間に立ち会います」と経緯を説明し、「彼女の挑戦を見守ってあげてください」と呼びかけていた。
 だが「見守る」必要はなかった。
 彼女は完璧にミミをこなしたのである(前半、少々硬かったが、大きなミスは皆無だった)。

 実は、世界中を飛び回っているプリマドンナは、あれくらいはできて当たり前らしいのだが、それにしたって、24時間以内に、蝶々さんとミミの2役でMETデビューを果たすとは、尋常ではない(しかも、ミミはリハなしのぶっつけ)。
 その「歴史的舞台」を観られたのも「ライブビューイング」のおかげである。

ゆびわ
▲驚愕のヴィジュアルが展開した《指環》4部作

 そのほか、2010~11年シーズンから始まった、ワーグナー《ニーベルングの指環》4部作には、空いた口が塞がらなかった。
 演出は、シルク・ド・ソレイユなどを手掛けるロベール・ルパージュで、「魔術師」の異名の通り、CGが現実となって展開しているようだった。
 舞台装置も常識では考えらえないスケールと動きで、よくあれで事故が起きないものだと、音楽どころではないほど緊張させられた。

 2013~14年シーズンの《ファルスタッフ》で、ひさびさに病気と怪我の療養から復帰した、ジェイムズ・レヴァイン御大。
 このとき驚いたのは、車椅子生活となった彼のために、オケピット内の指揮台が、地下から電動エレベータでせりあがり、360度回転するように改築されていたこと。
 その優遇ぶりは、東映全盛期における片岡千恵蔵・市川右太衛門の両御大を想像させた。

 いちいち挙げていたらきりがないが、正直いうと、「ハズレ」もずいぶんあった(もちろん、私の好みもある)。
 決してすべての歌手や演出が最上ではなかったし、よくこの程度で「ブラボー」が出るな、といいたくなる上演もあった(「ブー」もあった)。
 しかし、それが「ライブビューイグ」の面白さなのだと思う。
 編集を重ねて最上の映像に仕上げるのではなく、ある年のある上演を、舞台裏まで含めてそのまま「ドキュメント」としてさらす、いわば「のぞき見」を許しているような覚悟が感じられる。
 その姿勢を、ソニー・クラシカル社長だったピーター・ゲルブ総裁の商業主義と呼ぶのは易いが、オペラの新しい楽しみ方を提示してくれたことは、間違いない(このひと、最近は、日本向けのご挨拶映像などもこなしている)。

 最後に。
 冒頭で記した、ジュリー・テイモアの《魔笛》を、もう一度観たいなあ。
 口うるさいオペラ・ファンは、ダイジェスト英語上演だったことに失望していたが、そうだろうか。
 あれは、童心をよみがえらせてくれる、心躍る舞台だった。
 モーツァルト本人が観たら、大喜びしたと思う。
 世界の隅々にオペラを届けようとするMETライブビューイングの精神が宿っていた。
 そしてぜひ、彼女には《トゥーランドット》を演出してほしい。
 名物、フランコ・ゼッフィレッリ版はそのまま残し、時々は別ヴァージョンがあってもいいのではないか(ゼッフィレッリ遺族から抗議が来る?)。
 彼女だったら、ピン、ポン、パンをどう動かすか、姫の「氷の心」が溶けるシーンをどう表現するか、想像するだけでワクワクする。
 ゲルブ総裁、お願いします!
 (敬称略)

※「METライブビューイング」は、毎夏、東劇で人気作をセレクトした「アンコール上映」があります(今年もあるかどうかは不明)。

 【★★☆】

【★★★】 嗜好に関係なく、お金と時間を費やす価値がある。
【★★☆】 嗜好が一致するのなら、お金と時間を費やす価値がある。
【★☆☆】 嗜好の範囲を広げる気があるなら、お金と時間を費やす価値がある。
【☆☆☆】 お金も時間も費やす価値はない。


このCDのライナーノート(解説)を書きました。とてもいいCDだと思います。

◆「富樫鉄火のグル新」は、吹奏楽ウェブマガジン「BandPower」生まれです。第132回以前のバックナンバーは、こちら。

◆毎週(土)23時、FMカオンにて「BPラジオ/吹奏楽の世界へようこそ」案内係をやってます。3月は、「生誕120年、ハワード・ハンソンの魅力」「武蔵野音楽大学ウインドアンサンブルの軌跡」です。

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2016.03.02 (Wed)

第155回 芳林堂書店、破産

高田馬場閉店
▲芳林堂書店・高田馬場店に貼り出されていた告知(2月26日)


 近年の書店は、文房具を並べたり、店内に喫茶店を設けてブックカフェなぞと称するのが流行っているようだが、こんなこと、「芳林堂書店」がとっくの昔にやっていた。

 かつて、池袋西口の五叉路(丸井のある交差点)に「芳林堂書店・池袋本店」があった(1971年開業)。
 確か、6階か7階建てくらいだったと思うが、建物自体が「芳林堂ビル」で、地下から最上階まで、まるごと「書店」だった。

 ここの最上階に、喫茶「栞」[しおり]があり、店内には、いつもコーヒーの香りが漂っていた。
 そのほか、古書店の「高野書店」や、レコード店(芳林堂レコード部)、さらには、奇術用品専門店「魔法陣」もあった(マジシャンの堤芳郎氏のお店)。

 品揃えもユニークで、左翼関係本、競馬関係本、写真集などのほか、いまでいうサブカル本が充実していた。
 店員さんの知識もすごくて、これは知人の体験談だが、人文関係の専門書で、書名も版元も忘れてしまったのを、「確か、哲学者の○○の説とちがうアプローチの本」と言っただけで、即座に当該本を持ってきてくれたそうである。

 私自身は、若いころ、会社を出たら、この芳林堂ビルの、まずは最上階へ行き、コーヒーを飲んでから(ケーキもおいしかった)、ワンフロアずつ見ながらのんびり降りて行き、買いこんだ書籍や「レコード芸術」などを抱えて、近くの名物とんかつ屋「寿々屋」へ行って、お燗でイッパイやるのが、最上の楽しみだった時期がある。
 かように、芳林堂書店・池袋本店は、池袋西口側の「知の一大拠点」だったのである。

 その後は――
 1985年に、西武ブックセンターがリブロ池袋本店になり、池袋の書店戦争が始まった。
 1992年、旭屋書店池袋店が、東武百貨店内にオープン。
 1997年、ジュンク堂池袋本店がオープン。
 そして、2003年、芳林堂書店・池袋本店が閉店する。 
 ビル自体も売却され、向かいのビルの地下に、コミック売り場だけが独立する形で、専門店「コミックプラザ」となった。
 以後、私は、芳林堂書店は高田馬場店を使うようになった。

 2月末、その芳林堂書店が、自己破産を申し立てた。
 負債総額は約20億円。
 2月に入ってから、高田馬場店の雑誌の棚が、ずいぶん薄くなっているなと感じていたのだが、実は、入荷がストップしていたのだった。

入荷ストップ
▲入荷ストップの告知(高田馬場店、2月26日)

 報道によれば、主要帳合(主力仕入れ先)である取次の「太洋社」が経営悪化に追い込まれ、2月上旬、自主廃業を決定、その影響で芳林堂書店への入荷がストップし、急速に経営が悪化、自己破産に至ったことになっている。

 だが実際は、太洋社廃業の原因は、芳林堂書店にもあったようである。
 芳林堂書店は、昨今の経営悪化で、太洋社への支払いが滞っていたらしい。

 本は、最終的に書店の店頭で現金化されるから、書店が、そのカネを取次や版元に還流しなければ、お金の流れはストップする。
 芳林堂書店からお金が入ってこなくなった太洋社は、たちまち経営悪化に拍車がかかり、商品を出庫できなくなり、両社共倒れとなった。

 この仕組みは、業界外の方にはわかりにくいかもしれないが、出版取次は、単なる問屋ではなく、銀行のような金融機能も備えた、書店と一心同体の業種なのである。
 だから、A取次が使用不可だからといって、すぐにB取次に移るなんてことは、そう簡単にはいかないのである。
 どちらかが傾けば、相方も傾く運命共同体なのだ。

 業界紙「新文化」2月25日号によれば、太洋社を帳合とする書店は約300社・800店舗あったが、帳合変更の見通しがついたのは50社・350店舗のみで、残りの250社・450店舗は、硬直状態にあるという。
 現に、早くも10店舗近くが閉店・休業を表明しているが、もし帳合変更が進まなかったら、いったい、どうなってしまうのだろう。
 
 芳林堂書店の事業は「書泉」に移譲されるそうなので、おそらく、私が通っている高田馬場店は「書泉・高田馬場店」として残るのだと思う。
(その「書泉」は、現在、「アニメイト」の子会社なので、サブカル系がさらに充実するかもしれない)

 なぜ、こんなことになってしまうのか。
 私のような道楽者には、たいした説明はできないが、「出版ニュース」1月上中旬号の、藤脇邦夫氏(元・出版社営業マン)の寄稿「ダウンサイジング化していく出版業界」が、以下のような指摘を掲げている。

■2015年に、団塊の世代の最後である、昭和24~25年生まれが、定年延長の65歳を迎え、完全定年となり、社会の一線から団塊の世代が消えた。

■団塊の世代は「活字世代」でもあり、700万~800万人いたが、その1割以上の100万人前後に、書店で本を買う習慣があった。

■しかし、彼らが年金生活に入ると、本を買う金がなくなるので、図書館を利用することになり、今後、本を実売消費する層が消え、「図書館でしか本を読まない」層が増える。

 現在、全国の公共図書館で個人に貸し出される本は、年間「7億1497万冊」。
 これに対し、書店で売れる本は、年間「6億6790万冊」である(2012年/出版科学研究所、日本図書館協会などのデータ)
 つまり、いまや本は、書店で売れる数よりも、図書館で貸し出される数が、上回っているのだ。

 私が小学生のとき、母親から妙な買い物を頼まれたことがある。
 「B書店に予約していた『化石の森』が入ったとの電話がきたから、あんた、取りに行ってきてよ。お金は払ってあるから」
 1970年に大ベストセラーとなった、石原慎太郎の『化石の森』上下巻(新潮社刊)だった。
 「純文学書下ろし特別作品」シリーズ、函入りの上下2巻本である。
 値段は1巻630円。

 母は読書家ではなかったが、よほど、この作品には惹かれる何かがあったのだろう。
 当時のコーヒー1杯の値段が平均95円とのデータがある。
 だとすれば、いま、スターバックスのドリップ・コーヒー(ショート)が280円なので、それに比例させると、『化石の森』は、現在だったら1巻あたり約2000円。
 上下2巻で4000円の買い物になる。
 私の家は、さほど裕福ではなかったから、これはたいへんな買い物だったはずだ。

 いまの若いひとは「図書館で借りればよかったのに」と思うだろう。
 だが当時、まさか、話題のベストセラーを図書館で借りて読むなんて、そんなこと、夢にも想像しなかった。
 図書館とは、稀覯本、全集、高額本、絶版本など、書店店頭では容易に入手できない本を借りに行く場所だったのだ。
 
 低収入の年金生活者が増えれば、本は書店で買うものではなく、図書館で借りるものになる。
 そうして、取次や書店は倒産し、出版業界は縮小していく。
 いまや本と音楽CDは、同じ道をたどりつつある。

 母は、亡くなるまで、『化石の森』上下2巻を、小さな本棚に差していた。
 たいした遺品も残さなかったが、私は、その2巻本を形見分けのつもりでもらって、仏壇の横に、立てかけている。
 いうまでもないが、いま、近所の図書館に、1970年初版の『化石の森』は、ない。
(一部敬称略)

このCDのライナーノート(解説)を書きました。とてもいいCDだと思います。

◆「富樫鉄火のグル新」は、吹奏楽ウェブマガジン「BandPower」生まれです。第132回以前のバックナンバーは、こちら。

◆毎週(土)23時、FMカオンにて「BPラジオ/吹奏楽の世界へようこそ」案内係をやってます。3月は、「生誕120年、ハワード・ハンソンの魅力」「武蔵野音楽大学ウインドアンサンブルの軌跡」です。

◆ミステリを中心とする面白本書評なら、西野智紀さんのブログを。
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