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2016.03.07 (Mon)

第156回 METライブビューイング、10周年

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▲2015~16年シーズン(現在進行中)のMETライブビューイングのチラシ
(昨シーズン、衝撃のMETデビューを果たした、クリスティーヌ・オポライスのマノン・レスコー)

 METライブビューイングが10周年を迎えた。
 世界最大のオペラハウス、ニューヨーク・メトロポリタン歌劇場(MET)の公演を収録し、すぐに世界中に配信する映像プロジェクトである(地域によっては生中継らしい)。
 日本での上映権は松竹が獲得しているので、現在は、東劇や新宿ピカデリーを中心に上映されているが、当初は、「歌舞伎座」で、本興行の月替わりの合間に上映されていた(新橋演舞場での上映もあったはず)。

魔笛
▲第1弾のチラシ

 スタートは2006~07年シーズンで、第1作は、モーツァルト《魔笛》の、ジュリー・テイモア演出版(ダイジェスト英語上演)だった。
 もう10年前のことなので、少々おぼろげだが、確か、大晦日に歌舞伎座で観たのが、これだったと思う。
 私は、そのとき、いくつかの衝撃を覚えた。

今後、歌舞伎座では、月末~月初めの空き期間を、オペラ映像で活用するのか(実際には、すぐに映画館に移った)。
てっきり、「オペラ映画」だと思っていたら、直前の生中継をそのまま収録した映像で(光ファイバー・ケーブルで送信されてくるという)、実にスリリングで面白かった。
人気演出家ジュリー・テイモアが起用されているのに驚いた(それまでは劇団四季『ライオンキング』、映画『タイタス』くらいしか観たことがなかった)。
世界最高峰の歌劇場が、モーツァルトの名作を平気でぶった切って1幕にダイジェストし、しかもドイツ語オペラを英語で歌わせ、ジェイムズ・レヴァイン御大が楽しそうに指揮していた。ファミリー向け公演だったかもしれないが、METの自由な発想に感動した。
確か前日の上演映像だったはずだが、もう日本語字幕が付いていた(と思う。とにかくこのシリーズは字幕が素晴らしい。「ナショナル・シアター・ライブ」は見習ってほしい)。

 よって、これは意外と当たるのではないかと思ったのだが、案の定、ちゃんと定着し、10周年を迎えた。
 その間、入りの悪い作品もけっこうあったが、それでもやめずに、全作品を10年間上映しつづけた松竹株式会社と、日本語字幕制作スタッフには、最大級の賛辞を贈りたい。

 私は、若いころ、何度かMET現地でオペラを観ているが、安価な後方席ばかりだったので、いつも「遠くで何かをやっているな」くらいの感想しか持てなかった。
 METは、それほどデカいのだ。
 (立ち見まで入れると約4000席。日本でいうと、普門館や、東京国際フォーラムAみたいな感じ。最上階には、学生向けに、舞台が見えない譜面台付きの安価な席もあった)。
 だがこのMETライブビューイングでは、ステージ上の舞台美術や衣装、歌手の息遣いまで、微細に見せてくれる。

 しかも幕間映像が抜群に面白い。
 ナビゲーターを人気歌手がやるのも見どころで、特に「METの女王」ルネ・フレミングが、今やすごい貫録で、あれはもう「METの上沼恵美子」である。

フレミング
▲「METの上沼恵美子」ルネ・フレミング

 そんなナビゲーターが、幕間ごとに舞台裏で待ち構えており、出演を終えたばかりの歌手にマイクを突きつけて「突撃」インタビューが行われる。
 中には、まだ息が整わない歌手もいるのだが(大相撲の勝利力士インタビューみたいだ)、みんな楽しそうに、作品や作曲家、演出家への愛を語る。
 カメラに向かって、母国の家族に「みんな元気? ついにMETに出演したよ~」みたいなメッセージを送る若手もいて、微笑ましい。
 時折、舞台姿からは想像もできなかった人柄が判明することもある(たとえば、アンナ・ネトレプコが実は「イケイケ姐ちゃん」だったとか)。

アンナ
▲実は「イケイケ姐ちゃん」だった、アンナ・ネトレプコ

 インタビューは、次第に凝った内容となり、近年では、歌手や演出家のみならず、エキストラの馬やロバへの「インタビュー」や、「武器」小道具係による「兵器解説」など、すさまじいレベルに達している。

 舞台裏の転換作業を丸ごと見せてくれるのも面白い(休憩も、実演そのままに時間が経過する)。
 マッチョなオヤジ集団が、巨大なセットを自在に動かしている。
 広大なスペースが、ステージ後方と両脇にあって、巨大セットがそのまま移動する光景は、いつ見ても迫力満点だ(たとえば《ラ・ボエーム》の2階建てセットなど)。

 しかし、なにぶん上映時間が3~4時間は当たり前、ワーグナーでは5~6時間なんてのもあるし、その上、1作の上映期間が1週間しかないので、勤め人には、なかなかたいへんだ(よって私も、それほどの数を観ているわけではない)。

 そんな中で、近年で特に忘れられないのは、2013~14年シーズンの《ラ・ボエーム》である。
 マチネー(昼公演)本番当日の朝、ミミ役のアニタ・ハーティッグが風邪でキャンセルとなった。
 そこで、急きょ、クリスティーヌ・オポライスが代役となった。
 実は彼女は、前夜、《蝶々夫人》を歌ったばかりで(しかも、それがMETデビューだった!)、明け方近くにホテルに戻り、バタンキューと寝たところだった。
 そこへ電話が入り「今日の昼公演でミミをやってほしい」と要請が来たのだという。
 オポライスは、それを受けた。
 もちろん、リハーサルなどやっている時間もなく、すべてをぶっつけ本番でこなすしかない。
 さすがに開演前に、ピーター・ゲルブ総裁が舞台上に登場し、「皆さんは、今日、歴史的な瞬間に立ち会います」と経緯を説明し、「彼女の挑戦を見守ってあげてください」と呼びかけていた。
 だが「見守る」必要はなかった。
 彼女は完璧にミミをこなしたのである(前半、少々硬かったが、大きなミスは皆無だった)。

 実は、世界中を飛び回っているプリマドンナは、あれくらいはできて当たり前らしいのだが、それにしたって、24時間以内に、蝶々さんとミミの2役でMETデビューを果たすとは、尋常ではない(しかも、ミミはリハなしのぶっつけ)。
 その「歴史的舞台」を観られたのも「ライブビューイング」のおかげである。

ゆびわ
▲驚愕のヴィジュアルが展開した《指環》4部作

 そのほか、2010~11年シーズンから始まった、ワーグナー《ニーベルングの指環》4部作には、空いた口が塞がらなかった。
 演出は、シルク・ド・ソレイユなどを手掛けるロベール・ルパージュで、「魔術師」の異名の通り、CGが現実となって展開しているようだった。
 舞台装置も常識では考えらえないスケールと動きで、よくあれで事故が起きないものだと、音楽どころではないほど緊張させられた。

 2013~14年シーズンの《ファルスタッフ》で、ひさびさに病気と怪我の療養から復帰した、ジェイムズ・レヴァイン御大。
 このとき驚いたのは、車椅子生活となった彼のために、オケピット内の指揮台が、地下から電動エレベータでせりあがり、360度回転するように改築されていたこと。
 その優遇ぶりは、東映全盛期における片岡千恵蔵・市川右太衛門の両御大を想像させた。

 いちいち挙げていたらきりがないが、正直いうと、「ハズレ」もずいぶんあった(もちろん、私の好みもある)。
 決してすべての歌手や演出が最上ではなかったし、よくこの程度で「ブラボー」が出るな、といいたくなる上演もあった(「ブー」もあった)。
 しかし、それが「ライブビューイグ」の面白さなのだと思う。
 編集を重ねて最上の映像に仕上げるのではなく、ある年のある上演を、舞台裏まで含めてそのまま「ドキュメント」としてさらす、いわば「のぞき見」を許しているような覚悟が感じられる。
 その姿勢を、ソニー・クラシカル社長だったピーター・ゲルブ総裁の商業主義と呼ぶのは易いが、オペラの新しい楽しみ方を提示してくれたことは、間違いない(このひと、最近は、日本向けのご挨拶映像などもこなしている)。

 最後に。
 冒頭で記した、ジュリー・テイモアの《魔笛》を、もう一度観たいなあ。
 口うるさいオペラ・ファンは、ダイジェスト英語上演だったことに失望していたが、そうだろうか。
 あれは、童心をよみがえらせてくれる、心躍る舞台だった。
 モーツァルト本人が観たら、大喜びしたと思う。
 世界の隅々にオペラを届けようとするMETライブビューイングの精神が宿っていた。
 そしてぜひ、彼女には《トゥーランドット》を演出してほしい。
 名物、フランコ・ゼッフィレッリ版はそのまま残し、時々は別ヴァージョンがあってもいいのではないか(ゼッフィレッリ遺族から抗議が来る?)。
 彼女だったら、ピン、ポン、パンをどう動かすか、姫の「氷の心」が溶けるシーンをどう表現するか、想像するだけでワクワクする。
 ゲルブ総裁、お願いします!
 (敬称略)

※「METライブビューイング」は、毎夏、東劇で人気作をセレクトした「アンコール上映」があります(今年もあるかどうかは不明)。

 【★★☆】

【★★★】 嗜好に関係なく、お金と時間を費やす価値がある。
【★★☆】 嗜好が一致するのなら、お金と時間を費やす価値がある。
【★☆☆】 嗜好の範囲を広げる気があるなら、お金と時間を費やす価値がある。
【☆☆☆】 お金も時間も費やす価値はない。


このCDのライナーノート(解説)を書きました。とてもいいCDだと思います。

◆「富樫鉄火のグル新」は、吹奏楽ウェブマガジン「BandPower」生まれです。第132回以前のバックナンバーは、こちら。

◆毎週(土)23時、FMカオンにて「BPラジオ/吹奏楽の世界へようこそ」案内係をやってます。3月は、「生誕120年、ハワード・ハンソンの魅力」「武蔵野音楽大学ウインドアンサンブルの軌跡」です。

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