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2016.04.26 (Tue)

第164回 さようなら、真島俊夫さん

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▲DVD/ブルーレイ『三つのジャポニスム 真島俊夫 作品集』(パルス東京) 河邊一彦指揮、海上自衛隊東京音楽隊の演奏に、作品の背景となった風景を重ね合わせた労作。


 真島俊夫さんが亡くなった(行年67)。
 吹奏楽に関心のない方には、聴いたことのない名前かもしれないが、いま日本で吹奏楽に携わっていて、真島さんの編曲もしくはオリジナル曲を演奏したことのないひとは、ほとんどいないはずだ。

 訃報を聞いて、パソコン内のメールをひっくり返してみると、わたしと真島さんのやり取りが、約10年前の分から残っていた。

 あるとき、ラヴェル好きな真島さんに、ジャン・エシュノーズ/関口涼子訳『ラヴェル』(みすず書房)の存在をお教えし、読了したわたしの分を送ろうとしたら、すぐにご自分で入手され、メールが来た。

 「ラヴェル」、さっそく注文して、読みました。
ローゼンタールが書いた伝記等を読んでいたので状況がよく判り、面白かったです。
比べるのはおこがましいのですが、同じ書き屋として、ラヴェルの神経質な部分はよく理解でき、似たところをみつけると嬉しかったです。


 ちなみに、上記本の翻訳者・関口涼子さんは、先日発表になった、日本翻訳大賞受賞作、パトリック・シャモワゾー『素晴らしきソリボ』(河出書房新社)の翻訳者である(パトリック・オノレとの共訳)。
 真島さんは4月21日に亡くなったが、その3日後の24日に授賞式があり、パリ在住の関口さんが来日した。
 わたしは、関口さんの姿を見ながら、真島さんの姿や、エシュノーズ『ラヴェル』のしゃれた装釘が思い出されて、泣きそうになった。

 真島さんとは、本の話でのやりとりが多かった。
 山形県鶴岡市のご出身で、同郷の作家、藤沢周平をこよなく愛していた。
 藤沢周平の世界を紹介するヴィジュアル解説本を送ったことがあった。

昨日、藤沢周平の本が届きました。
貴重な鶴岡の写真や文章に、思わず一気に読んでしまいました。
懐かしさで胸がいっぱいになりました。
ありがとうございました。
僕は異国情緒も好きで、ヨーロッパにもよく行き、特にパリは好きです。
日本では京都と沖縄が好きですが、やはり生まれ育った地には人に説明しようのない郷愁を感じます。
ドボルザークの曲を聴くと、この人はいつも強い郷愁の思いを原動力にして作曲していたのだろうと思います。
それが人の胸を打つのだろうと思います。


 ユーモアが好きで、「落語吹奏楽を書きたい」と言っておられた。
 噺家の語りが入る吹奏楽曲である。
 「噺家は、ぼくが連れてきますから」とのことだった。
 その一方で、辛辣なことも、率直におっしゃる方だった。

海外では、よくフルスコアだけを販売していますが、あれは、そこからパート譜を作って演奏する事が絶対にないという信頼の上に成立しているようです。
欧米ではそういう意識が徹底しています。
東洋の日本では、まだまだコピー譜で演奏している人達が多いのが現状です。
これは日本と中国系だけのようです。
何しろ学校の先生が当たり前のようにコピー資料を生徒に配布しているわけで、これは、学びたい人にはタダで勉強させてあげる事が美徳とされている「儒教思想」の流れを汲んでいる日本の教育理念に根ざしているようです。
ですからほとんどの先生は「演奏して学びたい生徒が演奏するのに何で金が必要なのか」という意識です。
日本人は基本的には泥棒民族ではなく、つまようじ一本、リード一枚でもお金を出して買い、楽器には何十万というお金を出す人達ですが、なぜか文章や楽譜はコピーするのですね。
とても不思議です。

 出版界に長くいるわたしも、この問題にはずいぶん悩まされた。
 そうか、「儒教思想」があったのか…と、納得できた記憶がある。

 わたしの、USBにおさめた吹奏楽関係の原稿フォルダーを「真島俊夫」で検索すると、全原稿の半分強が引っかかった。
 それほど、真島作品の解説を書いてきたのだった。
 これからも、書きつづけるのだろうと思う。

 さようなら、真島俊夫さん。

このコンサートのプログラム解説を書きました。4月29日です。ぜひ、ご来場ください。

◆「富樫鉄火のグル新」は、吹奏楽ウェブマガジン「BandPower」生まれです。第132回以前のバックナンバーは、こちら。

毎週(土)23時FMカオン、毎週(月)23時調布FMにて、「BPラジオ/吹奏楽の世界へようこそ」案内係をやってます。4月は「さようなら、真島俊夫さん」「来日決定! ブラック・ダイク・バンドの魅力」です。詳細は、バンドパワーHPで。

◆ミステリを中心とする面白本書評なら、西野智紀さんのブログを。
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2016.04.20 (Wed)

第163回 文楽『妹背山婦女庭訓』

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▲文楽ではたいへん珍しい、横位置レイアウトのチラシ

 今月の国立文楽劇場は、『妹背山婦女庭訓』の抜粋通し。
 ある程度の規模の通し上演は、国立劇場小劇場で、十年くらい前が最後だったと思う。

 内容は「大化の改新」を舞台にした政治メロドラマで、よく『ロミオとジュリエット』にたとえられるが、二組の男女悲恋が、国家の命運にまで影響を与える壮大な仕掛けは、シェイクスピアをしのぐ作劇術といえる。
 人づてに筋書きを知ったマイヤベーアが《盲目のミカド》の題でオペラ化を計画したとの有名な逸話もある。
 近松半二は、もっと注目顕彰されていい作家だと思う(今の時代に生きていたら、ミステリのベストセラーを続々放っていただろう)。

 今回は、第1部に久我之助・雛鳥の物語をまとめ、第2部は蘇我入鹿を追い詰める物語に再構成されていた。
 いわば『ゴッドファーザーPARTⅡ』から抜粋し、「若きビトー編」「マイケル苦悩編」の2本を別々に上映するようなものである。
 その上、冒頭の大内や、井戸替え、入鹿征伐などは(最近「お三輪編」として上演されたばかりのせいか)カットされている。
 よって、正確には「通し上演」とは言いがたいのだが、その分、見やすくはなっている。
 それでも第1部は4時間半、第2部に至っては5時間。
 1日通しだと10時間を要するわけで、ワーグナーも顔負けである。

 見せ場「山の段」は、雛鳥=咲甫太夫/定高=呂勢太夫、久我之助=文字久太夫/大判事=千歳太夫が、両床掛け合いでたいへんな熱演だったが、もう少し落ち着いた感じの方が、わたしは好きだった。
 ヴェルディ《ドン・カルロ》の、カルロとロドリーゴの二重唱が、あまりに力を入れすぎてしらけてしまうことがあるが、あれを思い出した。
 もっとも、この場面を冷静に語る太夫など聴いたことはなく、たまたまプログラムに、三味線の人間国宝、鶴澤清治のインタビューが載っていたのだが、この段は、

 「床にも対抗意識が無かったら駄目ですよね。激しい気合いみたいなものが必要だと思います」
 「お互いに『負けたらいかん』という感じがありますね。まさしく妹山と背山のバトルですよ(笑)」

 ――だそうで、「落ち着いた山の段」など、ありえないらしいことがうかがえる。

 第1部の久我之助、第2部のお三輪とも、主遣いは勘十郎で、今回は、ほとんど「勘十郎奮闘公演」のようであった。
 第1部の切「山の段」で、切腹した久我之助を30分以上にわたって瀕死の状態のまま遣っているのを見て、「何とかしてあげてくれ」と言いたくなったのはわたしだけではないはずだ。
 だって、あのあと、第2部では、夜9時まで、お三輪が「竹に雀」でまたも刺され、えんえんと苦しむのだから。
 いくら仕事とはいえ、まことにご苦労様としかいいようがなく、全盛期の先代猿之助を思い出した。

 こういった語りの熱演や、勘十郎の奮闘ぶりを観ていて、いま、文楽はたいへんな時期にぶち当たっていることを痛感した。
 住太夫、源太夫、嶋太夫と立て続けに引退後、現在ただ一人の切場語りとなった咲太夫は、今月、病気休演である(代演・咲甫太夫の「杉酒屋」が聴けたのは僥倖だったが)。
 つまり今月は、これほどの超大作の記念碑的上演にもかかわらず、「切場語りがいない」のだ。
 山の段で中堅たちが超熱演を披露したのは、それをカバーしようと命がけだったのである。
 主遣いはついに文雀が引退し(特に引退興行や挨拶などはなし)、大幹部は蓑助(山の段の雛鳥)ただ一人となった。

 なぜこんなことになってしまったのか。
 これが宿命なのか、日本芸術文化振興会や文楽協会に責任の一端があるのか、わたしにはわからない。

 いまはただ、今月の「山の段」の熱い浄瑠璃が、後世史家によって「あれが文楽新時代の突破口だった」と語られることを願うのみである。
(敬称略)

このコンサートのプログラム解説を書きました。4月29日です。ぜひ、ご来場ください。

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2016.04.12 (Tue)

第162回 『大沢悠里のゆうゆうワイド』終了

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▲番組終了を報じた、1月18日付の毎日新聞夕刊。

 わたしは、以前、NHK-FMで『今日は一日、吹奏楽三昧』なる、12時間生放送の特別番組の一部に出演したことがある。
 進行役は、音楽通のフリー・アナウンサー、朝岡聡さんだった。
 朝岡さんは、水筒やサンドイッチ、飴などを持ち込み、昼12時から深夜零時まで、一歩もスタジオから出ないで、見事にこなされていた。

 その時「たいへんですねえ、疲れませんか」とうかがったら、「まあ、今日1日だけですから、何とか大丈夫ですよ。これが毎日だったら、とても無理ですけど」と笑っておられた。
 そして私が「毎日、4時間半もやっている大沢悠里さんなんか、たいへんでしょうねえ」と言ったら「大沢さんはすごいです。我々の世界の星ですよ」みたいな意味のことを言っておられた。

 TBSラジオ『大沢悠里のゆうゆうワイド』が4月8日(金)で終了した。
 30年続いた番組で、ご本人は今年74歳。
(ただし、毎週土曜日15:00~16:50『大沢悠里のゆうゆうワイド 土曜日版』として、小規模に再スタートした)

 この番組は、それ以前に大人気だった『こんちワ近石真介です』のあとを受けて(1年間の別番組をはさんで)、1986年4月から始まった。
 以前からの人気コーナー「お色気大賞」「東食ミュージックプレゼント」(現「毒蝮三太夫のミュージックプレゼント」を包括していた。

 大沢さんは、終了を発表した際、「毎日、4時間半の生放送は疲れる。家族のためにも、元気なうちに降板しようと考えた」とコメントしていた。
 わたしは、長年のリスナーとして、その真意が、なんとなくわかるような気がする。
 いくらなんでも、70歳半ばにもなって、週5日、毎朝4時間半、生放送で喋り続けることなど、できるわけがない。
 途中でトイレにも行かねばならないし、一息入れたくもなるだろう。

 その点をカバーするのが、番組内番組、いわゆる「コーナー番組」だったと思う。
 「ズバリ快答! テレフォン身の上相談」(美輪明宏の「70歳? まあ、お若いのね」が忘れられない)
 「秋山ちえ子の談話室」(毎年、終戦記念日に「かわいそうなぞう」を朗読した)
 「永六輔の誰かとどこかで」
 「味の素 ハート・オブ・ポップス」(森山良子)
 「浜美枝のいい人みつけた」
 「小沢昭一の小沢昭一的こころ」(以前は夕方放送だった)
 ……等々、個性的なコーナー番組がたくさんあり、大沢さんは、それらをうまくつなぎながら、4時間半をこなしていた。
 おそらく、これらの放送中に、一息入れたり、トイレに行ったり、次のトークの準備をしていたのだと思う。

 しかし、ある時期から、これらコーナー番組は、どんどんなくなっていった。
 理由は様々で、スポンサーの撤退もあれば、パーソナリティの健康問題や逝去など、様々だった。
 ところが、そのあと、代替の新コーナー番組は、皆無だった。
 その分は、すべて大沢さんがカバーしなければならなくなった。
 これでは、一息入れるどころではなかったはずだ。
 大沢さんは、4時間半、ほとんど、出ずっぱりになってしまったのだ。
 これでは「疲れる」のも無理はない。

 終了を発表した直後の大沢さんの口調には「毎日4時間半、何から何まで一人でやるなんて、もう勘弁してよ」とでもいうようなニュアンスが、かすかに滲んでいたような気がした。

 なぜ、代替番組が成立しなかったのか、わたしは知らない。
 この不景気で、営業力の高さで有名なTBSラジオでも、さすがに新スポンサーを獲得できなかったのか。
 あるいは、長寿人気コーナーを引き継げるほどの人材がいなかったのか。

 4月9日(月)から、この時間帯は、いくつかの新番組に分割された。
 (月)~(木)8時半~11時『伊集院光とらじおと』
 (月)~(金)11時~13時『ジェーン・スー 生活は踊る』
 (金)8時半~11時『有馬隼人とらじおと山瀬まみと』
 これだけのことを、大沢さんは(アシスタントとともに)、30年間、1人でこなしていたのである。
 局が、いかに大沢さんにおんぶにだっこだったかが、わかるだろう。

 ちなみに、45年続く名物コーナー番組「毒蝮三太夫のミュージックプレゼント」は継続し(その毒蝮氏も、もう80歳だ!)、約1時間ずれて、上記『ジェーン・スー 生活は踊る』内に包括され、11時20分頃からの放送となった。
 テーマ音楽は、おなじみ、エドムンド・ロスのラテン・ナンバー《ホイップド・クリーム》のままである。
 ただし放送は(月)~(木)のみとなり、(金)は、「高橋芳朗のミュージックプレゼント」となった。

 後継番組を受け持つ伊集院光氏は、(月)深夜25時『JUNK/伊集院光 深夜の馬鹿力』で絶大な人気をほこるラジオ・パーソナリティだが、いうまでもなく、その個性は、大沢さんとはまったくちがう。

 わたしは、大沢さんは「学校の先生」だったと思っている。
 教室で、教壇に立ち、生徒の方を向いて、全員が理解できるように、幅広い話題を、ゆっくりと、キチンと説明してくれた。
 マイクの向こうに「教室」があり、何万人もの「生徒」がいることを、大沢さんは意識していたと思う。

 これに対し伊集院氏は「居酒屋の人気者」である。
 居酒屋の隅で、親しい1人か2人の友人に向かって「今日、こんなことがあってさあ」と、大声でしゃべっている。
 その内容が個人的なことなのに、あまりに話しぶりが面白いので、店中の客が、そっちを向いて聴き入ってしまう。
 彼のラジオ・トークには、そんな雰囲気がある。

 このちがいは、あまりに大きい。
 いままでクラス担任が主役だったのが、ガキ大将が主役になるようなものである。
 《第九》で人類の団結を歌ったベートーヴェンにかわって、保険会社に務めながらアマチュア作曲家を通したチャールズ・アイヴズが登場し、「興味があったらでいいから、俺の音楽も聴いてみてよ」と言っているような感じだ。

 新番組になって、まだ最初の2日を聴いただけだが、わたし個人は、もしかしたら、TBSラジオを離れる日が来るのでは……と予想している(その理由や、新番組に関する意見は様々あるのだが、もう少し聴きこんでから綴りたい)。 

 とにかく、30年聴いてきた『~ゆうゆうワイド』テーマ曲、ポール・モーリア《はてしなき願い》が流れない朝は、あまりに寂しい。


このコンサートのプログラム解説を書きました。4月29日です。ぜひ、ご来場ください。

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2016.04.05 (Tue)

第161回 映画『木靴の樹』

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 こういう素晴らしい作品を紹介できるとき、拙いながらライターをやっていて、ほんとうによかったと思う。

 現在、岩波ホールで公開されている映画『木靴の樹』(オルマンノ・エルミ監督、1978年、イタリア)は、1979年に封切公開されて以来、37年ぶりの同ホールでのリバイバル公開である(岩波ホールのあと、日劇文化でもロングランとなり、90年には日比谷のシャンテシネ=現TOHOシネマズシャンテでもリバイバル公開された)。

 わたしは、当時、岩波ホール近くの大学に通う学生だった。
 確か、あのころ(他の作品を挟みながら)『惑星ソラリス』『家族の肖像』を観て、そのあとがこの『木靴の樹』、さらにそのあとが、たいへんな騒ぎとなった『旅芸人の記録』だったと思う(4時間近い難解な映画が連日満席で、なかなか観られなかった)。
 思えば、当時の岩波ホールは、すごい作品を上映していたものだ。
     ***
 『木靴の樹』は、19世紀末、イタリア北部・ロンバルディア州ベルガモの寒村が舞台である。
 この村の、貧しい4軒の小作農の日常を淡々と描写する、半ばドキュメンタリのような映画だ。
 出演者は、すべて、現地の農民たちだという。
 ラストで思いがけない出来事に見舞われる以外は、たいしたドラマは発生しない。

 小作農たちは、収穫の三分の二を地主に納めなければならず、極貧生活だ。
 それでも、文句もいわず、一揆も起こさず、神に祈りを捧げながら、黙々と農作業に従事している。
 子供たちも、当たり前のように大人を手伝っている。
 4家族は長屋で暮らしており、ほとんどは共同作業だ。
 夜になると全員が納屋に集まり、小話を披露しあって過ごす(この場面で、ヨーロッパで『デカメロン』や『カンタベリー物語』、さらにイサク・ディーネセンにまでつながる「語り集」が成立した理由が、よくわかる)。
 
 3時間強の長尺作品で、最初はあまりにも何も起きないので、少々、戸惑う。
 しかし、やがて、これが人間本来の生活リズムであり、わたしたちの体内にも、それが宿っていることに気づくと、もうスクリーンから目が離せない。
 つい数世代前の、自分たちの御先祖の姿を見ているような気になる。

 すでに指摘されていることだが、農作業風景は、確かにミレーの絵画のようである。
 後半、若い新婚夫妻が、そっと手を取り合い、川下りの船でミラノへ向かう、あまりに美しいシーンがある。
 ここで、とんでもない映画を観ていることを知るだろう。
     ***
 37年前、初めてこの映画を観たとき、たまたま島崎藤村『夜明け前』を読んでいたことを、いまでも覚えている。
 ほぼ同じ時代の日本とイタリアで、庶民が似たような目にあっていた、その偶然に驚いた記憶があるからだ。
 
 19世紀後半は、イタリアが統一され、王国が成立した時代だ。
 ローマ遷都、エチオピア侵攻などがあり、急速に近代化が進んだ。
 だが、ベルガモの貧農たちには、はるか彼方の出来事だ。
 遠くで黒煙が上がっていても「警官とストの衝突では」「いや枯れ草が燃えているだけだろう」で終わってしまう。
 ミラノのストライキを制圧する官軍を見ても、村からやってきた素朴な新婚夫妻には、何が起きているか、よく理解できない。
 そもそも、4軒の全員が文盲である。
 だから冒頭で、一人の男の子が小学校へ通うことになった、それ自体が、両親にとっては「衝撃」以外のなにものでもなかったのだ(この件がラストの伏線となっている)。

 これに対し、『夜明け前』は、幕末から明治維新にかけての、木曽山中・馬籠宿に生きるひとびとを描いている。
 彼らにとっても江戸で起きていることは、遠い出来事だった。
 ところが明治新政府の「近代化」政策は、木曽山中の素朴な庶民までを、情け容赦なく攻め立てる。
 彼らが守ってきた森林は国有林となって使用が制限され、生活は、ますます苦しくなる。
 「御維新」「文明開化」は、一般庶民を苦しめるものでしかなかった。

 このあと、『夜明け前』の主人公たちは、ベルガモの農民よりは、ずっと反抗的な態度に出るのだが、結局は敗れ去る。
 権力者による近代化の下で庶民が犠牲になる姿は、『木靴の樹』とそっくりだった。
 あれから37年。
 今回、ラスト・シーンに、原発事故で故郷を追われたひとたちの姿を見出さないわけにはいかなかった。
 オルミ監督は、昔のベルガモの寒村を舞台に、近代化の相克とその普遍性を、見事に描いていたのだった。
      ***
 もう一つ、この映画で重要なのは、全編に流れるバッハである。
 オープニング曲は《小フーガ》ト短調だが、大半は、その場面を具体的に象徴する曲が流れる(ほとんどはオルガン演奏。一部、無伴奏チェロ組曲もあった)。

 たとえば何度となく流れる主要テーマは、《片足は墓穴にありてわれは立つ》BWV 156である(チェンバロ/ピアノ協奏曲ヘ短調BWV1056の第2楽章としても有名。映画『スローターハウス5』で、グレン・グールドの演奏で流れていた曲)。
 このタイトル「片足は墓穴にありて」が物語全体を象徴していることは想像できよう。
 そのほか、寡婦のおかみさんが、地主から預かっている牛が病気になってしまい、神に助けを求めるシーンは《われを憐れみたまえ、おお主なる神よ》BWV 721
 息子の木靴が割れてしまい、父親が、こっそり地主のポプラの木を斬って、夜なべで新品を作ってやるシーンは、《甘き死よ来たれ》BWV478(地主の所有物を掠め取るとどうなるか、父親の覚悟を音楽が表現している)。
 新婚夫妻とその一行が教会に向かうシーンは《最愛のイエス、われらここに集いて》BWV731

 ……と、この調子で、すべてのシーンと曲名が、ピッタリ合っているのだ。
 これほど直截なクラシック曲の使い方をしている映画も、珍しいだろう。
 その意味で、本作は本格的な「音楽映画」でもある。
 ぜひ、音楽にも耳を傾けてほしい。

 なお、この映画はすでにDVDやブルーレイにもなっているが、一点だけ、注意を喚起しておきたい。
 オルミ監督は、ほとんどのシーンを自然光で撮影した(だから全体的に薄暗いが、太陽光のシーンは実に柔らかくて流麗だ)。
 こういう映画は、「プリント」を映写機の「光線」が通過し、完全な暗闇の中で「投影」されて、初めて画面として成立するのである。
 それを一般家庭の室内で、しかもデジタル液晶画面で観ることは、フェルメールやカラヴァッジョを印刷画集で見て本物を鑑賞した気になっているのと同じである。

 さらに、今回のプログラム(500円)は、配給会社が編集制作したもので、岩波ホール製ではないので、これも注意されたい。
 岩波ホールの編集制作だと、採録シナリオや、文化背景の本格解説があるが(今回だったら、音楽解説など)、その類の記事は皆無で、「感想文」が3本載っているだけである。

 今回の上映は、4月23日(土)から、オルミ監督の新作『緑はよみがえる』が公開される、その露払いである。
 わたしは、この新作を、昨年のイタリア映画祭で鑑賞した。
 なるほどオルミ監督らしい素朴で美しい作品だとは思ったが、やはり『木靴の樹』は別格の、奇跡の映画だとあらためて思った。
 ぜひ岩波ホールで、多くの方々に観ていただきたい。

岩波ホールでの上映は4月22日(金)まで。その後、全国で上映予定。詳細はこちらで。
【★★★】
【★★★】 嗜好に関係なく、お金と時間を費やす価値がある。
【★★☆】 嗜好が一致するのなら、お金と時間を費やす価値がある。
【★☆☆】 嗜好の範囲を広げる気があるなら、お金と時間を費やす価値がある。
【☆☆☆】 お金も時間も費やす価値はない。


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2016.04.01 (Fri)

第160回 耳嚢(2016年3月、続)

ますむらひろし
◆最近は、漫画の展覧会が大流行である。
 美術館どころか文学館までもが漫画家を取り上げている。
 しかし、そのほとんどは有名作品の原画やスケッチを見せるばかりで、あまり工夫がない。
 それでもどこも大入りらしいので、しばらくは漫画展がつづくのだろう。
 「ますむらひろしの北斎展」(2月6日~3月27日、八王子市夢美術館)は、そんな流行を嗤うかのような、すごい漫画展であった。
 これは、漫画家ますむらひろしが、パチンコ店のフリー・マガジンに描き続けた「アタゴオル×北斎」のイラスト原画と、その自解文、もとになった北斎の浮世絵(複製)の3つセットを、計50数点、展示するものだった。
 「アタゴオル」とは、ますむらひろしが描き続けている、猫と人間が自然と共生しているファンタジー世界のことで(宮沢賢治のイーハトーブにあたる)、その世界観で北斎の浮世絵を描きなおしたものだ。
 一見、図中の人間を猫に置き換えただけの「パロディ」かと思うが、よく見ると、まったくちがう。
 様々な細かい部分が「アタゴオル」的に変容を遂げている。
 そして、横の自解文パネルで、なぜこうなったのか、いかに北斎と格闘したかが、えんえんと綴られる。
 そのうち、北斎のどこが素晴らしいのか、あるいは、どこが奇妙なのか、がだんだんとわかってくる。
 まるでミステリ小説の謎解きを体験しているようだった。
 あの自解文をすべてを集めたら、おそらく新書一冊分にはなるだろう。
 これほど本人が「語る」展覧会は、めったにあるまい。
 とても1時間や2時間でまわれるものではなかった。
 しかし、北斎の原典と、ますむらのイラストを見比べ、横の長大な自解文をじっくり読んでいるうちに、どんな専門家による解説や画集よりも、はるかに北斎のすごさがわかった。
 これは「漫画」の粋を超えた、近年最高の「浮世絵展」といっていいのではないか。
 ぜひ、ほかの会場にも巡回してほしいと思った。
 なお、自解文も含め、展示内容をすべておさめた図録画集が販売されていたが(アマゾンでも一時売られていた)、印刷レベルが低く、イラスト原画の鮮やかさが失われており、残念だった。
展示【★★★】
図録【☆☆☆】



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「WOMEN: New Portraits」展(江東区東雲「TOLOT/heuristic SHINONOME」、2月20日~3月13日)は、ポートレイト写真家、アニー・リーボヴィッツの新作展。
 スイスの金融会社UBSがスポンサーとなった世界巡回展で、会場は東雲の倉庫ギャラリー、入場無料であった(簡単な図録パンフも無償配布されていた)。
 アニー・リーボヴィッツは、「ローリング・ストーン」や「ヴァニティ・フェア」で活躍した写真家で、特に、ジョン・レノンとオノ・ヨーコが抱き合う写真(この撮影直後、ジョンは射殺された)や、デミ・ムーアの妊婦肖像写真で話題になった。
 最近は、美術館のショップや書店で売られているポストカードで有名かもしれない。
 今回は、そんな彼女の名作写真集『WOMEN』の続編である。
 アウン・サン・スーチー、アデル、マララ、テイラー・スイフトといった有名人の写真も迫力があったが、わたしは、年輩女性のほうに魅力を感じた。
 たとえば、霊長類学者のジェーン・グドールの顔の「しわ」の深さなど、たいへん美しかった。
 ただ、わたしがこの種の写真展に慣れていないせいかもしれないが、展示作品が、あまりに小さなプリントで、たいへん見にくかった。
 その一方、会場には巨大なモニターが設置され、アニーの過去作品が続々とデジタル投影されており、このほうが印象に残った。
【★★☆】


新潮
「新潮」4月号に300枚一挙掲載された、蓮實重彦の『伯爵夫人』は、その凄まじいポルノグラフィ描写が話題となっている。
 わたしは、蓮實重彦氏についてあれこれと語れるほどの知見はないのだが、それでも、もうすぐ80歳になろうとする元東大学長の仏文学者にして映画評論家に、こんなパワーがあること自体、驚異以外のなにものでもなかった。
 正直なところ、いったい、なぜ、突如、このようなものが書かれたのか、かなり戸惑いながら(しかも、一人で黙読しているにもかかわらず、赤面しながら)読んだ。
 太平洋戦争の直前、東京帝大受験を目指す「活動写真狂い」の高等学校生・二朗と、「伯爵夫人」が町中で会い、「せっかくですからご一緒にホテルへまいりましょう」となる。
 そこから先は、批評家の佐々木敦氏が「徹底的にはしたなく、いやらしい、つまりは助平そのもの」で「どこを引用しても公器たる新聞にはふさわしからざる字句が含まれてしまう」と称する描写がつづく(東京新聞、3月31日付夕刊)。
 主人公が活動好きなので、映画の話題もふんだんに出てくるのだが、読んでいて、それどころではない。
 今後、単行本化されるものと思われるが、そのとき、どのような受け止められ方をするのか、楽しみである。
【???】
(一部敬称略)


【★★★】 嗜好に関係なく、お金と時間を費やす価値がある。
【★★☆】 嗜好が一致するのなら、お金と時間を費やす価値がある。
【★☆☆】 嗜好の範囲を広げる気があるなら、お金と時間を費やす価値がある。
【☆☆☆】 お金も時間も費やす価値はない。


このコンサートのプログラム解説を書きました。4月29日です。ぜひ、ご来場ください。

◆「富樫鉄火のグル新」は、吹奏楽ウェブマガジン「BandPower」生まれです。第132回以前のバックナンバーは、こちら。

毎週(土)23時FMカオン、毎週(月)23時調布FMにて、「BPラジオ/吹奏楽の世界へようこそ」案内係をやってます。4月は「震災と吹奏楽」「追悼、キース・エマーソン」です。

◆ミステリを中心とする面白本書評なら、西野智紀さんのブログを。


 
 
 
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