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2016.05.30 (Mon)

第167回 映画『若葉のころ』

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 台湾映画の新作『若葉のころ』(ジョウ・グータイ監督)は、タイトルから察せられるとおり、ビージーズの同名ヒット曲にちなんだドラマである。

 台北を舞台にした母娘二代の初恋物語で、2013年と1982年が交互に描かれる。
 《若葉のころ》は、映画『小さな恋のメロディ』(ワリス・フセイン監督/1971年、英)に使用されて、大ヒットした名曲だ。

 明らかに、音楽と画面ありきの映画で、そのせいか構成は少々、緩い。
 たとえば、娘が、母のパソコン内に、初恋の人宛ての未送信のメールを発見し、それを送信してしまうエピソードがある。
 ところが、この一件、ラストまで説明がないので、勘が鈍いオヤジ世代(=ビージーズ世代)には、なぜああいうことになるのか、すぐにはピンとこない。
 これなど、明らかに、画面を優先したせいだと思う。

 実は、監督のジョン・クーダイ(1964年生まれ)は、ミュージック・ビデオやCMの世界で活躍していたひとで、これが長編劇映画デビュー作だという。
 どおりで「音楽・画面優先」になっていたわけだ。

 で、きっとこの監督は、『小さな恋のメロディ』のファンで、あの映画への思いがこの作品に結実したのだと思いきや、まったくそうではないらしい。
 プログラム掲載のインタビューによれば、脚本は十数年前に完成しており、「17歳」のころを象徴する、昔の音楽を探していたら、《若葉のころ》と出会ったのだという。
 インタビュー内に、映画への思い入れを語っている部分は、皆無だった(実際、『小さな恋のメロディ』がヒットしたのは日本だけ)。
 つまり、物語ありきで、《若葉のころ》を後付けし、音楽に合わせて画面をつくったということになる。
 わたしのような、中学校時代にドンピシャで『小さな恋のメロディ』に出会った世代には、なんともしらける話だ。
(ただし、劇中には、『小さな恋のメロディ』へのオマージュのようなシーンも、ちゃんとある。「お尻をぶたれる」シーンである。ファンならば、すぐにわかるはずだ)
 
 ところが、そんな湿った思い入れがないことが、かえってさっぱりした空気を生み、いい方向に出たように思う。
 全体がシンプルで素直で、清潔感あふれる、とてもきれいな映画だった。
 役者もみんないい顔をしていて(主演の娘さんは、本復した上野樹里のよう)、芝居も自然でよかった。
 最近話題になった台湾の小説『歩道橋の魔術師』(呉明益/天野健太郎訳、白水社)にも通じる、どこか昭和の日本を思わせる雰囲気があった。

 そしてわたしが特に驚いたのは、《若葉のころ》の歌詞を、昔の高校生が「翻訳」するシーンが登場するのだが、その行為自体が、ドラマのたいへん重要なカギになっていることだった。

 実は、1971年の公開当時、確かに《若葉のころ》を自分で翻訳することに熱中した中高生が、たくさんいたはずなのだ。
 なぜなら、あの曲の英語歌詞は、たいへんやさしくて、中学生でも、ちょっと辞書を引けば簡単に訳せ、しかも、それを「自分のことば」に置き換えやすかったからだ。

 この曲は、『小さな恋のメロディ』の中では、ダニエル(マーク・レスター)と、メロディ(トレーシー・ハイド)が、放課後、手をつなきながら学校を出て、森の中や墓地を散歩するシーンに流れる。
(あの映画は、全体の半分ほどが「ミュージック・ビデオ」なのである)

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▲いまでも売れ続けている『小さな恋のメロディ』サントラCD。初出LPデザインがそのま踏襲されている。

 当時はスクリーンに出る字幕で、歌詞の意味を知るしかなかった。
 まだビデオもDVDもないし、そう何回も映画館に行けないから、字幕の歌詞を覚えて帰るなんてことも無理だった。
 サントラLPも出ていたが、ライナーに英文歌詞はあったものの、確か邦訳は載っていなかった。
 そこで、みんな、自分で訳したのだ。

 中学時代、同級生のM・I子さんは入学式で新入生代表の言葉を述べた才女だったが、彼女が、《若葉のころ》の訳を見せてくれた。
 もちろんもう覚えていないが、最初のフレーズだけは、いまでも忘れられない。
「わたしが子どもだったころ、クリスマス・ツリーは、どれもとても大きく見えた」
 これに対し、わたしの訳は、
「ぼくが小さかったとき、クリスマス・ツリーのほうが背が高かった」
 で、これは完敗だった。
 原文は「When I was small and Chrisitmas trees were tall」で、わたしは単純に直訳し、I子さんは意訳したのだが、どう比べたって、意訳のほうが、かっこよかった。
 
 今回の映画の中では、高校生たちが台湾語に訳し、スクリーン上に、手書きの訳文も登場するのだが、それがどんなニュアンスなのかは、台湾語を理解できないわたしには、わからない。
 ただ、字幕では「幼いころ、クリスマス・ツリーはとても大きく見えた」となっていた。
 映画字幕は、徹底的に字数を削減してつくられるが、それにしても、45年前に教室でI子さんに見せられた訳文にそっくりなので、驚いた。
 同時に、『小さな恋のメロディ』世代でもなく、思い入れもないはずのジョン・クーダイ監督が、わたしたちが興じたのと同じ、《若葉のころ》を訳す行為を物語の重要なトピックにしている点にも、驚いた。
 感性のあるひとは、時代や思い入れに関係なく、輝く瞬間を見つけ出すことができるのだなあと、うらやましく思った。

 I子さんとは、卒業後も、同期会事務局のメンバー同士で親しくしていたが、40歳そこそこの若さで、ガンで亡くなった。
 最後まで、病室で気丈に明るく振舞っていた姿が、忘れられない。
 もしいま、彼女が生きていたら、一緒にこの映画を観に行って、帰りに新宿アルタ裏の、とんかつ「卯作」でイッパイやりながら、こんな共訳にしたんじゃないかと思う。

ぼくが子どもだったころ、クリスマス・ツリーは、どれもとても大きく見えた。
仲間が遊んでいる間中、ぼくたちは愛し合ったものだった。
もう訊かないで。
時間は過ぎ去ってしまったし、
どこか遠くから来た誰かが、きみの心の中に入り込んでしまったのだから。

いまぼくたちは大人になり、クリスマス・ツリーより背が高くなってしまった。
きみも時間を訊かなくなった。
きみとぼく、二人の愛は永遠だけれど、
でもやっぱり、若葉のころになったら、泣いてしまうと思う。

<敬称略>

「卯作」=同期生Sくんが経営しているとんかつ屋。

【余談】
 身も蓋もない話だが、映画の中で流れる《若葉のころ》は、ビージーズのオリジナルではないので、注意されたい。
 あれは、台湾で新たに制作された音源である。
 よく聴けば、アレンジも声も、まったくちがうのがわかるはずだ。
(よって、ビージーズ世代は、肝心のシーンで、どうしても涙腺崩壊にまでは至らない)
 おそらく原曲音源の使用許諾が出なかったか、あるいは巨額の使用料だったのだろう。
 I子さんだったら、すぐ気づいたと思う。
「あれ、ビージーズじゃないよね! ざんね~ん!」

このCDの解説を書きました。素晴らしい内容です。ぜひお聴きください。

◆「富樫鉄火のグル新」は、吹奏楽ウェブマガジン「BandPower」生まれです。第132回以前のバックナンバーは、こちら。

毎週(土)23時FMカオン、毎週(月)23時調布FMにて、「BPラジオ/吹奏楽の世界へようこそ」案内係をやってます。5月は「さようなら、真島俊夫さん」「来日決定! ブラック・ダイク・バンドの魅力」です。詳細は、バンドパワーHPで。

◆ミステリを中心とする面白本書評なら、西野智紀さんのブログを。

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2016.05.24 (Tue)

第166回 文楽『絵本太功記』

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 5月の国立劇場、文楽公演『絵本太功記』を観て、いまの時代に長編狂言を抜粋上演することの難しさを感じた。

 本作は「太閤記」の書き換えだが、尾田春長(織田信長)を討った武智(明智)光秀を、単純な反乱者でなく、悩める武将として描いたところに魅力がある。
 特に今回の抜粋箇所は「本能寺」「妙心寺」「太十」(夕顔棚、尼ケ崎)なので、おそらく「武智光秀物語」として再構成したのだろうと察する。
 なのに、「妙心寺」で初めて光秀が登場するのは、構成としてどうなのだろうか。

 この狂言では、「本能寺」に光秀は登場しない。
 「本能寺」は、「脇筋」である。
 なのに、なぜ「本能寺」を入れたのか。
 日本人にとって明智光秀といえば本能寺の変だから。
 そしてもう一つ、おそらく、「本能寺」を入れないと、人形遣いのローテーションがうまくいかないから。
 だが、そのために、極めて不親切な構成になってしまった。
 光秀の額の刀傷の由来や、「本能寺」以前、春長と何があったのか、何の説明もない。
 これでは、母皐月が光秀を罵倒する場面で、見物は、光秀に思い入れを持てない。

 光秀は、単に天下を取りたくて主君春長を討ったのではない。
 暴君を放置しておいては、一般庶民が苦しむとの思いに、いじめ抜かれた私憤が重なって、やむにやまれず、本能寺を攻めたのだ。
 中学高校でいじめられ、社会に出ればブラック企業でいじめられ、無理解な上司にいじめられ……そんな現代人の苦悩と重ね合わせてこそ、本作を現代に上演する意味もあるのではないか。
 しかし、その肝心のいじめシーン=前段がないのだ。

 主催者は、「太十を観に来る以上、前段は知っていて当然」と思っているのだろうか。
 あるいは、そんな基礎知識は、事前にプログラムを精読するか、イヤフォンガイドを使えというのだろうか。
 
 これが文楽マニアのためだけの公演だったら、別にかまわない。
 お仲間だけで好きなことをやっていれば、それでいい。
 だが、近年の橋下徹・前大阪市長の言動などを見るにつけ、そんなことは言っていられない状況であることは、誰もが感じているはずだ。
 あるいは、空席が目立つ大阪公演に比べて、東京公演は満席だから、そんなことに気を使う必要はないというのであれば、これは驕り以外のなにものでもない。

 結局、この問題をプログラムやイヤフォンガイドに頼らず解決する方法は、2つしかない。

 まず、発端につづく段をカットせずに上演することだが、それをやったら、3時間半ではおさまらない。
 だったら、「ダイジェスト段」を作ってしまってはどうか。
 光秀と春長の遺恨の場だけを凝縮してワンシーンでやってしまい、そこから「妙心寺」につなげるのだ。

 おそらく「それは改ざんではないか」と眉をしかめる方が多いだろう。
 だが、そんなことはいつの時代も平気で行なわれてきたはずだ。
 典型的なのは、先代猿之助がやってきた「3S歌舞伎」である(ストーリー、スピード、スペクタクル)。
 彼の歌舞伎は、ほぼすべて、全編がダイジェストと改変でできており、原型をとどめていない。
 音羽屋が毎年正月に国立劇場でやる復活狂言も同じ姿勢でつくられている。
 だが、そんなことに文句を言う見物はいない(評論家には、いるが)。
 みんな大喜びで、特に猿之助歌舞伎など、いつだって満員御礼だった。
 いま、甥の三代猿之助が『ワンピース』をスーパー歌舞伎でやれるのは、先代が「3S歌舞伎」を定着させてくれた、その下地があるからなのだ。

 文楽だって、近年だけでも、シェイクスピア『テンペスト』『ファルスタッフ』や、三島由紀夫が書いた歌舞伎『鰯売恋曳網』を文楽にしてきた。
 昨年は、時代小説家・竹田真砂子作の子供向き文楽『ふしぎな豆の木』が初演された(これは『ジャックと豆の木』の翻案)。
 国立劇場の公演ではないが、キリストの生涯を描く「ゴスペル文楽」なんてのもあった。
 わたしなど、『スター・ウォーズ』を文楽でやってくれないかと、心底から願っている(特に『帝国の逆襲』など、そのまま文楽になるはずだ。ルークがベイダーを父と知る場面は、義太夫そのものではないか)。
 文楽には、こういう自由な精神があるはずで、本公演の古典名作だけががんじがらめで昔のまま上演される理由はないと思う。

 わたしは橋下徹なる人物は好きになれないのだが、彼が文楽への補助を打ち切ると言い出したのは、単に「集客努力をしていない」からではなく、前段なしで突然「妙心寺」~「太十」をやって平気でいるような上演姿勢から、敏感に何かを感じとったのではないかと思っている。
<敬称略>

このコンサートのプログラム解説を書きました。5月28日です。ぜひ、ご来場ください。

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2016.05.11 (Wed)

第165回 映画『ちはやふる』

ちはやふる
▲映画『ちはやふる』前後編

 中学のころ、校内かるた大会があった。
 学年全員が体育館に集まり、一組6人くらいで大々的に開催された(あれだけの数のかるたを、どこから持ってきたのだろうか)。

 このときわたしは、初めて『百人一首』を知ったのだが、開催前、国語のM先生による解説授業を聞いて、不思議な印象を抱いたことを、いまでもはっきり覚えている。

 とにかく陰々滅々たる歌ばかりなのだ。

わたのはら八十島かけて漕ぎ出でぬと人には告げよ蛋の釣り舟 参議篁
(私はこれから島流しにあう。もう戻れないだろう。都の連中には、私は大海原を目指して漕ぎ出していったと伝えてくれ、釣り舟よ)

誰をかも知る人にせむ高砂の松も昔の友ならなくに 藤原興風
(私は長く生きすぎた。友人にもすべて先立たれた。いったい誰を知人にすればいいのか。人間以上に長寿の高砂の松じゃあ、古い友人とはいえないし……)

あらざらむこの世のほかの思ひ出に今ひとたびの逢ふこともがな 和泉式部
(私はもうすぐこの世から去る。あの世へ旅立つにあたっての思い出に、せめてもう一度、あなたにお会いしたいものだ)

 こんな歌ばかりなのだ。
 どうも変に感じて図書室にあった解説本を眺めてみたが、『百人一首』とは、ほとんどが暗い歌なのだ。
 いわゆるお祝いの歌とか、恋の喜びを素直に綴った陽気な歌は、皆無だった。

 日本人は、昔から、正月のたびに、こんな陰気な歌を詠みながら、嬌声をあげてかるた遊びに興じていたらしい。
 考えてみれば、少々異常な遊戯とはいえないだろうか。

 しかし、頭でっかちな中学生だったので、それ以上、深いことは考えず、月日は流れた。
 大人になって、いくつかの本を読むうちに、『百人一首』の異様な成立理由、複雑な選歌基準などがわかるにつれ、わたしがかつて抱いた「不思議な印象」は、間違いでなかったことを知った。

 いまそれらを詳述する紙幅はないが、この百首は、藤原定家が、浄土宗の大物僧侶・蓮生法師の依頼で選定したものだった。
 (蓮生の娘と定家の息子は夫婦)
 では、蓮生は何のためにこんなセレクションを求めたのかというと、京都の自宅山荘・阿弥陀堂内の障子にこの百首を書き連ねさせたというのだ。
 (その山荘の近くに小倉山があったので、定家選を『小倉百人一首』と呼ぶ)

 つまり蓮生は、邸内に「歌による来迎図」をつくりあげたのだ。
 来迎図とは、死にあたって、極楽から天女たちがお迎えに来る様子を描く、「あの世への旅立ち」図である。
 『竹取物語』で、月からかぐや姫を迎えに来た、屈強軍団みたいなものだ。
 だから『百人一首』は、死への旅立ちのような内容の歌ばかりだったのだ。
 (以上は、主として、『百人一首の謎を解く』草野隆/新潮新書より)

 そんな『百人一首』を題材にした映画『ちはやふる』が大人気だというので、この種の映画はほとんど観ないわたしだったが、珍しく、前後編とも行ってみた。
 高校の競技かるた部が、全国大会を目指す話である。
 ついでに、原作コミックも、最初の数巻を、大急ぎで読んでみた。

 もちろん、「歌による来迎図」説に触れているわけないので、そんなことは微塵の期待も抱かずに行ったのだが、それにしても、あんまりな映画だと思った。
 このような映画が大流行するとは、日本人の知力の低下ぶりを如実にあらわしていると思った。
 こういうものを若い人たちがこぞって観に行き、これが映画なのだと思われては、たいへんまずいのである。

 これは「映画」ではない。
 これは、テレビドラマを、無理やり大画面に映しているだけである。
 だから、ほぼ全編、顔のアップばかりだ。
 味があって芝居のうまい役者ならいいいが、表情のない、セリフ回しもたどたどしい子供ばかりなので、観ていて、たいへんつらかった。

 以前、テレビドラマ史にその名を残す演出家、故・和田勉氏に、「なぜテレビドラマは、顔のアップばかりなのか」を聞いたことがある。
 こんな答えだった。
「日本のテレビドラマ草創期は、ロケはたいへんだったので、すべて、スタジオにセットを組んでの生放送だった。しかし、時間も予算もないから、安っぽい学芸会みたいなセットばかりだった。そうなると、あまりカメラを引いてセット全体を映すと、すぐにボロが出る。それをごまかすために、役者の顔をアップで撮るようになった。その伝統が、いまに至るまで脈々と生き続けているんです」

 次に、この映画は、物語の重要ポイントになると、ドラマツルギーで盛り上げるのではなく、怒鳴ったり叫んだり泣いたりし、あるいは決まってスローモーションになるのである。
 和田氏は、おおよそ、こんなことを言っていた。
「テレビドラマって、映画とちがって、茶の間で寝っ転がったり、酒を呑んだりしながら観る。つまり『集中しないで観る』ものなんです。だから、盛り上げるときは、頭を使わせないで視聴者を画面に惹きつけなきゃならない。それには、泣く、怒鳴る、叫ぶなどがいちばん簡単なんです。だけど、それに見合った顔の役者でなきゃダメですよ。それと、効果音と音楽ね」

 『竜馬がゆく』『阿修羅のごとく』『けものみち』『ザ・商社』『夜明け前』……和田氏のドラマは、どれも、役者の顔が立派だった。
 山崎努、片岡仁左衛門(先代)、加藤治子、佐分利信、夏目雅子……みんな、デカい顔で、ものすごい迫力だった。

 効果音や音楽もすごかった。
 『阿修羅のごとく』のメフテル(トルコ軍楽隊)、『ザ・商社』で常に流れる建築現場のようなハンマー音、『けものみち』のムソルグスキー《禿山の一夜》……いまでも忘れられない。

 ところが『ちはやふる』は、手法だけがテレビドラマで、役者の顔は貧相だし、印象的な効果音も音楽もないので、たいへん薄っぺらなものになってしまっている。

 また、この映画は前後編2部作だったが(今後、客の入りによっては、まだ続きがありそうだ)、前編の最後に、次回予告編が流れる。
 しかも、後編の前売券を買うと、何かがオマケに付いてくるような告知もあった。
 これなどは完全に連続テレビドラマの手法である。

 さらに、この映画は、「原作コミック」→「映画」の咀嚼作業が、ほとんど行われていない。
 原作コミックのにぎやかなドタバタを、いかに実写で再現するかに徹している(製作者には、そのつもりはなかったかもしれないが、結果として、そうなっている)。
 昨年の、やはりコミックを映画化した『海街ダイアリー』のほうが、まだ、ちゃんと「咀嚼」されて、原作コミックの延長線上にありながら、新しい味わいを出していたと思う。
 (どちらも、あまり芝居のうまくない、同じ娘さんが主役級を演じている)

 わたしは、『ちはやふる』は、原作コミックのほうを、はるかに楽しんだ。
 絵柄もかわいいし、主役たちが福井へ行って旧知の友人に会い、別れる線路沿いのシーンなど、コミックならではの表現で、とてもよかった。

 かくして、ひさびさに大手配給の人気邦画を観たのだが、大会社は、この程度のものばかりつくっているのだろうか。
 「歌による来迎図」説を知ってしまい、疑問を抱きながら競技かるたの世界で生きるヒロイン……そんな百人一首映画を観たいものだが、まあ、とうてい無理だろうなあ。
 (一部敬称略)

【追記】
 平安~鎌倉時代までの日本語は「濁点」は、表記しなかった。
 よって、「ちはやふる」と表記されていても、口に出して読むときは「ちはやぶる」と発音したいものである。
 ちなみに「ちはやぶる」は、「神代」の枕詞である。

千早ふる神代も聞かず竜田川からくれなゐに水くくるとは 藤原業平朝臣


このコンサートのプログラム解説を書きました。5月28日です。ぜひ、ご来場ください。

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