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2017.02.21 (Tue)

第180回 <古本書評>『神話をつくる人たち』共同通信社編

神話表1
▲『神話をつくる人たち ―名演奏家の素顔と芸術―』共同通信社編
  (FM選書、1980年10月初版、1200円/古書価200円)


 書評といえば普通は新刊が対象で、古書の書評なんて、あまり聞いたことがない。
 だが、初めて読むのであれば、絶版古書だって、読み手にとっては新刊である。
 近年、「アマゾン・マーケットプレイス」や「日本の古本屋」の充実で、目的の古書を入手しやすくなった。
 だったら、古書の書評があってもいいのではないか。



 1970年代から90年代にかけて、FM情報誌は4誌が競っていた。
 ポップスに強かった「週刊FM」(音楽之友社)。
 オーディオ情報と音楽家伝記マンガが売りだった「FMレコパル」(小学館)。
 鈴木英人のイラストによるカセット・ラベルが付いていた「FM STATION」(ダイヤモンド社)。

 そしてわたしが好きだったのは、クラシック情報が多い「FM fan」(共同通信社)だった。
 同誌は「読み物」が充実しており、特に志鳥栄八郎の「わたしのレコード・ライブラリー」は、毎号、舌なめずりしながら読んだものである。
 同誌の連載は「FM選書」と題して、共同通信社から次々と単行本化された。
 朱色で統一されたカバー・デザインにビニールがかかった、印象的な造本・装幀だった(このビニールのおかげで、現在、古書店頭でも、比較的きれいな状態で並んでいる)。
 上記「わたしの~」も、『私の~』と改題され、ロングセラーとなった。

 本書も「FM fan」連載で、初出は1977~79年である。
 このころ、筆者は大学生だったが、この連載が単行本化されていたとは知らなかった(1回あたり、ざっと計算すると400字詰めで12~13枚はある。雑誌記事としてはかなりの分量だ)。

神話表4
▲取り上げられた演奏家たちと、筆者(オビ裏側)

 内容は、1回ごと読み切りで、巨匠と呼ばれた演奏家の、素顔や思い出話をつづるエッセイである。
 ほとんどは当時活躍中の演奏家だが、カザルスやコルトー、セル、ストコフスキーといった故人も含まれており、その場合は、一種の追悼文になっている。
 この書き手の選定が見事で、すべて、演奏家本人と親交のあったひとたちである(ほとんどの項に、演奏家と書き手が、親しげにしているワンショット写真が載っている)。
 ジャーナリストやオーケストラ・スタッフが書いている項もあるが、多くは弟子筋にあたる演奏家で、忙しい中、よくこれだけの原稿を書かせたものだと感心する。
 海の向こうの巨匠たちと親しく付き合っていた日本人がこんなにいたことにも、驚く。

 中でも、やはり、宇野功芳が読ませる。
 若いころからリリー・クラウスのファンだった宇野は、昭和42(1967)年の来日公演の際、誰の紹介もなくホテル・ニューオータニの彼女の部屋を訪ね、「起こさないでください」の札がかかっているにもかかわらず、ドアを開けさせ、「ぼくはファンですが、五分ばかりお邪魔できないでしょうか」と頼み込む。
 もちろんそんな不作法な訪問は拒絶されるのだが、結局、これをきっかけに、宇野とクラウスは、長く親交を得るのである。

 そして昭和46(1971)年の来日では、宇野が指導し、「十年間にわたって丹精をこめた団体」、KTU女声合唱団の歌声を、クラウスに聴かせる機会が訪れる(以前にテープを送って、興味をもたれていた)。
 30名の団員が、東京文化会館のリハーサル室で、クラウスを前にして歌った。
 最後の《ハレルヤ》でクラウスは大感激し、涙ぐみながら「みなさんの歌には苦しみと情熱があふれ、生と死そのものを感じさせます」とあいさつしたという。
 そして彼女は返礼に、シューベルトとバルトークを弾いてくれた。

 わたしはこの部分を読んで、クラウスが口にした「みなさんの歌には苦しみと情熱があふれ……」を、ずいぶん大げさな物言いだな、と感じた。
 しかし、これにつづく宇野の結びの文を読んで、なるほどと思った。
 「貧しい家庭に生まれ、恵まれない少女時代を過ごしたKTUのメンバーたちにとって、その日は初めて幸せの女神にほほ笑まれた無上の一日だったのではあるまいか」
 実はKTU女声合唱団は、下町の定時制高校の卒業生によって結成されていた。
 あのころ、わたしの中学の同級生にも、卒業後、昼に働きながら、夜、定時制高校に通うものがいた。
 クラウスは、宇野から、そのことを説明されていたのだろう。
 そんな女性たちと世界的なピアニストが、このような時間を共有していたことを知り、読んでいるこちらが涙が出そうになった。

 本書の大半は、ウィーンやニューヨークなど、大都市の一流劇場を舞台にした、華やかなエピソードで埋まっている。
 だが中には、このような、昭和40年代の素朴な日本の姿も記録されていた。
 古書だからこそ出会えたエピソードであった。
<敬称略>
 

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2017.02.19 (Sun)

第179回 テレビをほとんど観ないので

無題
▲日刊スポーツのスクープだったらしい。

 例の「出家騒動」で、わたしは、清水富美加なるタレントを初めて知った。
 そのことを周囲に話すと、2~3人、「わたしも知らなかった」と言うひとがいた(すべてわたしと同年配の中高年だが)。
 わたしと彼らに共通しているのは「テレビをほとんど観ない」点である。
 だから清水富美加なんて、知りようがないのである。
 では、「テレビを観ない」で、何を観て(聴いて)いるのか。

 朝は、TBSラジオ「森本毅郎・スタンバイ!」(6:30~8:30)を聴く。
 森本毅郎氏には、週刊誌のデスクを思わせる雰囲気がある。
 誰もが妙に感じている話題を、担当記者に質問しながら、うまく解きほぐしてくれるようなイメージがある。
 そのバランス感覚は、池上彰氏ほど説明しすぎず、佐藤優氏ほど本格的すぎず、見事に中庸を行っている。
 朝、蒲団の中で聴いていると、この「中庸」感覚が心地よく、次第に頭脳が覚醒していく。
 若いころは、朝、テレビのワイドショーを観ていたが、あれは「中庸」ではなく、「押しつけ」である。
 毎朝、やかましい話題を無理やり押しつけられると、思考停止して疲れてしまう。
 そもそも、朝、目覚めてすぐに、目と耳の両方をフル回転させるのは無理がある。

 「森本毅郎・スタンバイ!」は、数年前まで、本の情報に力を入れており、書評家の岡崎武志氏、目黒孝二氏、詩人の荒川洋治氏などがレギュラーだったのだが、すべてなくなってしまったのが残念だ。
 わたしがかかわった本も、ずいぶんと紹介していただいたものだ。

 この番組が終わると、電車で新聞を読みながら、仕事場に向かう。
 昨年3月までは、8時半からのTBSラジオ「大沢悠里のゆうゆうワイド」の冒頭部を聴いてから家を出たのだが、残念ながら終了してしまった。
 後継番組はどうもわたしには合わないので、聴かなくなった。

 仕事場に着いてパソコンを起動させたら、クラシック専門のインターネット・ラジオ局「OTTAVA」を流しっぱなしにする。
 午前中は、ゲレン大嶋氏(三線奏者)の、男でも嫉妬したくなるような爽やかな声の案内でクラシックが流れている。
 午後は、林田直樹、斉藤茂、本田聖嗣各氏の、なかなか突っ込んだ解説でクラシックが流れる。
 本田聖嗣氏はピアニストだがたいへんな博識で、音楽よりも、話のほうが長いんじゃないかと思うくらい、いつまでもしゃべっている。
 時々、息が切れて、ハアハア言っている感じが伝わってくる。
 わたしも素人ながらラジオでしゃべっているので、他人事とは思えない。

 OTTAVAで、聴いたことのない作曲家や楽曲が登場すると、あわてて、NML(ナクソス・ミュージック・ライブラリー)に飛んで、再確認する。
 NMLは、ストリーミングの、会員制CD聴き放題サイトである(現在、786レーベル、約10万枚のCDがストックされている)。
 OTTAVAはナクソスが運営しているので、使用CDの大半は、ナクソス盤である。
 
 NMLに行くと、時折、泥沼にはまり込んで、出られなくなる。
 以前、ショスタコーヴィチの交響曲第10番を聴こうとしたら、30数枚の同曲異演CDがあって(いまはもっと増えている)、最初の2枚で第2楽章を聴き比べてみたら、あまりに面白くて、結局、全部のCDの第2楽章を聴き通してしまったことがある。
 その日は妙に興奮して、仕事が手につかなかったものだ。
 最近では「祝!直木賞受賞! 著者・恩田陸さん監修『蜜蜂と遠雷』登場楽曲プレイリスト」なる企画も展開されている。

 昼間は、そんなふうにOTTAVAやNMLを聴きながら仕事をしているが、時折、YAHOOニュースやツイッターを覗く。
 インターネットTV局「AbemaTV」のニュースを観ることもある。
 火災などが発生すると、ヘリコプターからのライブ中継をえんえんと流しており、不謹慎ながら、つい見入ってしまう。

 時々、全国各地のコミュニティFMを聴く(パソコンやスマホで、「サイマルラジオ」「リッスンラジオ」経由で聴ける)。
 自分の番組が放送されている「FMカオン」「調布FM」はもちろん、選曲センスがいい「FM軽井沢」や「FMうるま」、あるいは、地元CMが楽しい「FMいしがきサンサンラジオ」などを聴く。

 夜は、仕事柄、映画か芝居かコンサートか書店めぐりが多い。
 そして、安酒場で夕食をかねてイッパイやる。
 呑みながら、複数の全国紙夕刊を読む。
 いまの全国紙夕刊は、事実上、カルチャー情報紙なので、わたしのような職業のものには、ネタの宝庫である。
 あまり酔いがまわっていなければ、呑みながら本を読む。
 すると時折、近くの客から「よく酒を呑みながら、本が読めますね。頭に入りますか」と訊かれる。
 酒場で本を読んでいるひとなど、いくらでもいる。
 ただし、「呑み読み」に向いている本と、向いてない本がある。
 『酒場のカウンターでイッパイやりながら読んでもちゃんと頭に入る本ベスト50』なんてガイドブックがあったらいいのに――なんて、ときどき考える。

 スマホ+イヤフォンで音楽を聴きながら呑むこともある。
 わたしの場合、デュファイやフォン・ビンゲン、ジョスカン・デ・プレといった「思い切り古い音楽」か、ライヒ、グラス、クセナキスなどの「思い切り新しい(なるべくミニマルの)音楽」が、「呑み聴き」に合う。
 こういうときもNMLの出番で、酒場に10万枚のプライベートCD棚があるようなものである。
 
 帰宅したら、TBSラジオ「荻上チキ・Session-22」(22:00~23:55)か、NHKラジオ第1「ラジオ深夜便」(23:15~)を聴きながら寝る。
 もう疲れているので、朝とは別の意味で、「目と耳の両方を使う」のはシンドイのである。
 余談だが、昨年、妻子のいる荻上チキ氏に愛人がおり、まるで「一夫多妻」状態だったことを週刊文春が報じた。
 ところが、テレビのワイドショーは、ほとんど取り上げなかった(と、知人が言っていた)。
 もしやこの荻上チキ氏は、例のB系事務所なのかと思いきや、なんと、ワイドショーのスタッフたちは「荻上チキなんて、知らない」「ラジオのひとだから、ニュースにならない」と判断したというのである(と、知人が言っていた)。
 ラジオとは、それほど狭い世界らしいのだ。

 しかしとにかく、こんな生活をしているので、テレビを観ている余裕は、あまりないのである。
 だから清水富美加なんて、知りようがないのである。
<一部敬称略>


 ◆「富樫鉄火のグル新」は、吹奏楽ウェブマガジン「BandPower」生まれです。第132回以前のバックナンバーは、こちら。

◆毎週(土)23時・FMカオン、毎週(月)23時・調布FMにて、「BPラジオ/吹奏楽の世界へようこそ」案内係をやってます。2月は「葛飾北斎を吹奏楽で聴く」と「ありがとう、ナット・ヘントフ」です。

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2017.02.15 (Wed)

第178回 行進曲《大日本》

kadaikyoku.png
▲2月13日、東京オペラシティ・コンサートホールにて。


 2月13日、東京佼成ウインドオーケストラによる「課題曲コンサート」(指揮・大井剛史)が開催された。
 マエストロの的確な解説も助けとなり、課題曲だけでも立派なコンサートが成立することを証明した、素晴らしい一夜だった。
 その冒頭で演奏されたのが、第1回全日本吹奏楽コンクール課題曲、行進曲《大日本》である。
 たまたまわたしは、この日のプログラム解説を書いたのだが、紙幅の都合で概要しか綴れなかった。
 そこで以下、行進曲《大日本》に関する完全版解説を掲載しておく。
                    *
 現在、日本の年号表記は「西暦」と「元号」を併用しているが、戦前はさらに、神武天皇の即位年を基準とする「皇紀」もあった(「紀元」とも呼んだ)。
 「神武天皇」は、初代天皇である。
 天孫降臨の地・日向(宮崎)に生まれ、45歳のときに「東の地」を目指し「東征」を開始、関西方面を平定し、52歳で樫原宮で即位、127歳で崩御したという。
 いわば神代から人間社会への橋渡しのような人物で、一般的には「神話上の人物」だといわれている(東征の際、道案内をつとめた三本足のカラスが「八咫烏=ヤタガラス」で、日本サッカー協会や、陸上自衛隊情報部隊のシンボルマークとなっている)。

 1940(昭和15)年は、その「皇紀2600年」の大きな節目とあって、国家的な奉祝行事が相次いだ。
 当時は長引く日中戦争で閉塞感が漂っており、そんな空気を払拭させる目的もあった。
 その盛り上がりは相当なものだったようで、当初は、オリンピックと万博を同時開催させる案もあったほどだ。
 音楽界も例にもれず、ブリテンやイベール、リヒャルト・シュトラウスといった海外の大作曲家に奉祝曲が委嘱された。
 ちなみに、吹奏楽版でも演奏されるイベールの《祝典序曲》は、このときに生まれた曲である。
 国内でも、信時潔作曲(北原白秋詩)の大作カンタータ《海道東征》や、伊福部昭《越天楽》、早坂文雄《序曲二調》など、多くの楽曲が生まれた。
 《海道東征》は、近年、復活上演されており、本日の指揮者・大井剛史も指揮している。

 その一環で、陸軍と海軍の両軍楽隊に、《大日本》と題する行進曲が委嘱された。
 そのうち、海軍で発表されたのが、本曲である。
 作曲は、プログラム上は「海軍軍楽隊」となっていたが、実際は同隊のホルン奏者・斉藤丑松である。
 同年4月20日(土)19時、日比谷公園大音楽堂における定例演奏会で初演された。
 当時は、春から秋にかけての毎週土曜日、日比谷公園音楽堂で、陸軍と海軍の軍楽隊が交替で演奏会を開催していた。
 この4月20日の演奏会は海軍軍楽隊の担当で、前半が管弦楽、後半が吹奏楽だった。
 指揮は内藤清五・海軍軍楽特務大尉。
 前半の管弦楽は、
① 序曲「大地を歩む」(箕作秋吉)
② 浪漫的楽曲「春の目覚め」(クリストフ・バッハ)
③ 奉祝円舞曲「皇紀二千六百年」(海軍軍楽隊)
④ 交響詩「魔の山」(ダンディ)

 の4曲で、後半の吹奏楽は、

⑤ 行進曲「大日本」(海軍軍楽隊)
⑥ 組曲「コッペリア」(ドリーブ)
⑦ 序曲「オベロン」(ウェーバー)
⑧ 行進曲「紀元二千六百年」(海軍軍楽隊)

 となっている。
 皇紀2600年奉祝曲が3曲あるが、これすべて「斉藤丑松」作曲である。
 たいへんな活躍ぶりだ。

 ちなみに、陸軍版の《大日本》は、少し遅れて、7月1日(水)19時の「日比谷大音楽堂開設記念日・陸海軍合同特別大演奏会」なるスペシャル・コンサートにおいて、最後の大トリで初演されている。
 こちらも作曲は「陸軍軍楽隊」とあり、その後の資料でも「隊員の合作」と書かれているのだが、この日の指揮が、大沼哲・陸軍軍楽大尉だったところを見ると、おそらく大沼が中心となって作曲されたのではないかと思われる(このころ陸軍軍楽隊にいた水島数雄が、戦後、佼成吹奏楽団の初代指揮者になる)。

 そして同年11月23日、前年に結成された「大日本吹奏楽連盟」(現在の全日本吹奏楽連盟)と朝日新聞社の共催で、大阪で「紀元二千六百年奉祝・集団音楽大行進並大競演会」が開催された(これがのちに、「全日本吹奏楽コンクール」の第1回ということになる)。
 ただしこの時点では、関東・東海・関西・九州の4地方連盟しかなく、参加はわずかに全12団体だった(ほかに審査対象外の賛助出演で、日立戸畑工場青年学校吹奏楽団と、大阪府警察音楽隊も出演した)。
 
 そもそも、なぜ関西で開催されたのかというと、なにしろ「皇紀2600年」奉祝なので、午前中に、神武天皇が祀られている奈良県の橿原神宮で奉納演奏をおこなったからだ。
 部門は「吹奏楽/学生部・青年部」「喇叭鼓楽/学校部・青年部」の計4部門。
 奈良で奉納演奏を終えた後、大阪市内に移動し、14時50分から御堂筋での「行進演奏」、18時から朝日会館での「舞台演奏」を行ない、その両方で審査された(「喇叭鼓楽」とは、現在のビューグル&コー)。
 なんとも忙しい大会である。
 行進演奏では、服装や、靴がきれいに磨かれているかも審査対象となった。

 この「吹奏楽」部門の舞台演奏課題曲に選ばれたのが、上記、海軍版の《大日本》である。
 先日の「課題曲コンサート」で実演を聴いた方はおわかりだと思うが、これは、なかなか難しい曲である。
 冒頭の金管群のファンファーレからして、完璧に決めるのは、プロでもたいへんなことだと思う。
 楽器によっては、かなり高音域も要求されているようだ。
 当時の海軍軍楽隊の力量が想像できよう。
 作曲者・斉藤丑松(1912~1994)は、海軍軍楽隊のホルン奏者、作曲家。瀬戸口藤吉作曲の軍歌《愛国行進曲》の吹奏楽版編曲などでも知られている。

 記念すべき第1回、「吹奏楽」部門の優勝は、学生部が大阪市立東商業高校、青年部が金光教玉水青年会であった。
 舞台演奏の自由曲では、東商業がロッシーニ《セビリャの理髪師》序曲を、金光教が意想曲《爆撃機》(江口夜詩作曲)を演奏した。

 ところで、「喇叭鼓楽」部門の舞台演奏課題曲は、意想曲《野営の篝火》(大沼哲作曲)。
 つまり課題曲も、陸海軍からそれぞれ1曲ずつ選ばれたのだ。

 なお吹奏楽コンクールは、この年から(名称を変えながら)第3回まで開催されるが、太平洋戦争のため一時中断。
 戦後、1956(昭和31)年の第4回から再開。
 1年も休むことなく、今年の2017年度で第65回を数えている。
<敬称略>

(主な参考資料)
谷村政次郎「日比谷公園音楽堂のプログラム」(つくばね舎)
「全日本吹奏楽連盟70年史」(全日本吹奏楽連盟)
朝日新聞バックナンバー

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◆毎週(土)23時・FMカオン、毎週(月)23時・調布FMにて、「BPラジオ/吹奏楽の世界へようこそ」案内係をやってます。2月は「葛飾北斎を吹奏楽で聴く」と「ありがとう、ナット・ヘントフ」です。

◆ミステリを中心とする面白本書評なら、西野智紀さんのブログを。

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