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2017.02.15 (Wed)

第178回 行進曲《大日本》

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▲2月13日、東京オペラシティ・コンサートホールにて。


 2月13日、東京佼成ウインドオーケストラによる「課題曲コンサート」(指揮・大井剛史)が開催された。
 マエストロの的確な解説も助けとなり、課題曲だけでも立派なコンサートが成立することを証明した、素晴らしい一夜だった。
 その冒頭で演奏されたのが、第1回全日本吹奏楽コンクール課題曲、行進曲《大日本》である。
 たまたまわたしは、この日のプログラム解説を書いたのだが、紙幅の都合で概要しか綴れなかった。
 そこで以下、行進曲《大日本》に関する完全版解説を掲載しておく。
                    *
 現在、日本の年号表記は「西暦」と「元号」を併用しているが、戦前はさらに、神武天皇の即位年を基準とする「皇紀」もあった(「紀元」とも呼んだ)。
 「神武天皇」は、初代天皇である。
 天孫降臨の地・日向(宮崎)に生まれ、45歳のときに「東の地」を目指し「東征」を開始、関西方面を平定し、52歳で樫原宮で即位、127歳で崩御したという。
 いわば神代から人間社会への橋渡しのような人物で、一般的には「神話上の人物」だといわれている(東征の際、道案内をつとめた三本足のカラスが「八咫烏=ヤタガラス」で、日本サッカー協会や、陸上自衛隊情報部隊のシンボルマークとなっている)。

 1940(昭和15)年は、その「皇紀2600年」の大きな節目とあって、国家的な奉祝行事が相次いだ。
 当時は長引く日中戦争で閉塞感が漂っており、そんな空気を払拭させる目的もあった。
 その盛り上がりは相当なものだったようで、当初は、オリンピックと万博を同時開催させる案もあったほどだ。
 音楽界も例にもれず、ブリテンやイベール、リヒャルト・シュトラウスといった海外の大作曲家に奉祝曲が委嘱された。
 ちなみに、吹奏楽版でも演奏されるイベールの《祝典序曲》は、このときに生まれた曲である。
 国内でも、信時潔作曲(北原白秋詩)の大作カンタータ《海道東征》や、伊福部昭《越天楽》、早坂文雄《序曲二調》など、多くの楽曲が生まれた。
 《海道東征》は、近年、復活上演されており、本日の指揮者・大井剛史も指揮している。

 その一環で、陸軍と海軍の両軍楽隊に、《大日本》と題する行進曲が委嘱された。
 そのうち、海軍で発表されたのが、本曲である。
 作曲は、プログラム上は「海軍軍楽隊」となっていたが、実際は同隊のホルン奏者・斉藤丑松である。
 同年4月20日(土)19時、日比谷公園大音楽堂における定例演奏会で初演された。
 当時は、春から秋にかけての毎週土曜日、日比谷公園音楽堂で、陸軍と海軍の軍楽隊が交替で演奏会を開催していた。
 この4月20日の演奏会は海軍軍楽隊の担当で、前半が管弦楽、後半が吹奏楽だった。
 指揮は内藤清五・海軍軍楽特務大尉。
 前半の管弦楽は、
① 序曲「大地を歩む」(箕作秋吉)
② 浪漫的楽曲「春の目覚め」(クリストフ・バッハ)
③ 奉祝円舞曲「皇紀二千六百年」(海軍軍楽隊)
④ 交響詩「魔の山」(ダンディ)

 の4曲で、後半の吹奏楽は、

⑤ 行進曲「大日本」(海軍軍楽隊)
⑥ 組曲「コッペリア」(ドリーブ)
⑦ 序曲「オベロン」(ウェーバー)
⑧ 行進曲「紀元二千六百年」(海軍軍楽隊)

 となっている。
 皇紀2600年奉祝曲が3曲あるが、これすべて「斉藤丑松」作曲である。
 たいへんな活躍ぶりだ。

 ちなみに、陸軍版の《大日本》は、少し遅れて、7月1日(水)19時の「日比谷大音楽堂開設記念日・陸海軍合同特別大演奏会」なるスペシャル・コンサートにおいて、最後の大トリで初演されている。
 こちらも作曲は「陸軍軍楽隊」とあり、その後の資料でも「隊員の合作」と書かれているのだが、この日の指揮が、大沼哲・陸軍軍楽大尉だったところを見ると、おそらく大沼が中心となって作曲されたのではないかと思われる(このころ陸軍軍楽隊にいた水島数雄が、戦後、佼成吹奏楽団の初代指揮者になる)。

 そして同年11月23日、前年に結成された「大日本吹奏楽連盟」(現在の全日本吹奏楽連盟)と朝日新聞社の共催で、大阪で「紀元二千六百年奉祝・集団音楽大行進並大競演会」が開催された(これがのちに、「全日本吹奏楽コンクール」の第1回ということになる)。
 ただしこの時点では、関東・東海・関西・九州の4地方連盟しかなく、参加はわずかに全12団体だった(ほかに審査対象外の賛助出演で、日立戸畑工場青年学校吹奏楽団と、大阪府警察音楽隊も出演した)。
 
 そもそも、なぜ関西で開催されたのかというと、なにしろ「皇紀2600年」奉祝なので、午前中に、神武天皇が祀られている奈良県の橿原神宮で奉納演奏をおこなったからだ。
 部門は「吹奏楽/学生部・青年部」「喇叭鼓楽/学校部・青年部」の計4部門。
 奈良で奉納演奏を終えた後、大阪市内に移動し、14時50分から御堂筋での「行進演奏」、18時から朝日会館での「舞台演奏」を行ない、その両方で審査された(「喇叭鼓楽」とは、現在のビューグル&コー)。
 なんとも忙しい大会である。
 行進演奏では、服装や、靴がきれいに磨かれているかも審査対象となった。

 この「吹奏楽」部門の舞台演奏課題曲に選ばれたのが、上記、海軍版の《大日本》である。
 先日の「課題曲コンサート」で実演を聴いた方はおわかりだと思うが、これは、なかなか難しい曲である。
 冒頭の金管群のファンファーレからして、完璧に決めるのは、プロでもたいへんなことだと思う。
 楽器によっては、かなり高音域も要求されているようだ。
 当時の海軍軍楽隊の力量が想像できよう。
 作曲者・斉藤丑松(1912~1994)は、海軍軍楽隊のホルン奏者、作曲家。瀬戸口藤吉作曲の軍歌《愛国行進曲》の吹奏楽版編曲などでも知られている。

 記念すべき第1回、「吹奏楽」部門の優勝は、学生部が大阪市立東商業高校、青年部が金光教玉水青年会であった。
 舞台演奏の自由曲では、東商業がロッシーニ《セビリャの理髪師》序曲を、金光教が意想曲《爆撃機》(江口夜詩作曲)を演奏した。

 ところで、「喇叭鼓楽」部門の舞台演奏課題曲は、意想曲《野営の篝火》(大沼哲作曲)。
 つまり課題曲も、陸海軍からそれぞれ1曲ずつ選ばれたのだ。

 なお吹奏楽コンクールは、この年から(名称を変えながら)第3回まで開催されるが、太平洋戦争のため一時中断。
 戦後、1956(昭和31)年の第4回から再開。
 1年も休むことなく、今年の2017年度で第65回を数えている。
<敬称略>

(主な参考資料)
谷村政次郎「日比谷公園音楽堂のプログラム」(つくばね舎)
「全日本吹奏楽連盟70年史」(全日本吹奏楽連盟)
朝日新聞バックナンバー

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