2017.03.30 (Thu)
第183回 書評『コンスタンツェ・モーツァルト 「悪妻」伝説の虚実』

▲『コンスタンツェ・モーツァルト 「悪妻」伝説の虚実』小宮 正安 (講談社選書メチエ)
先日、居酒屋のテレビでニュースを見ていた隣席のオヤジが「また森友学園かよ~。日本人は飽きっぽいねえ。すぐ新しい話題に飛びつく。トランプとか金正男は、どうなっちゃったのよ~」とブツブツ言っていた。
そしてガリ・サワーなぞを呑みつつ「昨日まで天皇陛下万歳だったのに、敗戦になるや否や、民主主義礼賛になった国民だからな~。こんなもんかな~」などと日本人の変わり身の早さに呆れているのであった。
確かにそういう面もあるかもしれないが、これらの話題には共通点がある。
トランプも金正男も森友学園も、すべて「家族」がキイワードなのである。
元モデルの美人妻、ブランドを主宰する美貌の娘、イケメンの婿。
金王朝、異母兄弟の相克、世襲、暗殺。
家族で学校運営、総理夫人とメル友の妻、跡を継ぐ娘、元力士の息子、利用された総理と“忖度”夫人、嫁を叱るゴッドマザー(総理の母)。
――要するに日本人の興味は、「家族」で首尾一貫しているのだ。
そんな時期に、モーツァルトの生涯を「家族」の角度から照射した、興趣あふれる本が刊行された。
「世界三大悪妻」といえば、ソクラテスの妻クサンチッペ、トルストイの妻ソフィア、そして、モーツァルトの妻コンスタンツェということになっている。
それどころか、昔、学研から「ミュージック・エコー」なる中高生向けクラシック音楽誌が出ていて、そこに「作曲家三大悪妻」といったような読み物があり、確か、ハイドン夫人、チャイコフスキー夫人(一緒に暮らしたのは実質1か月だが)に並んで、やはりコンスタンツェが挙げられていたのを思い出す。
そのせいか、モーツァルトが若死にしたのも、生前まともに認められなかったのも、《レクイエム》が完成しなかったのも、埋葬場所も遺体も不明なのも、すべて、この妻のせいであるかのように思いこんでいるひとがいるのではないか。
本書は、驚愕すべき大量の資料(大半はヨーロッパで刊行されたもの)を解読し、最新情報を織り込みながら、コンスタンツェの悪妻伝説を検証する、画期的な評伝研究書である。
前半で紹介される、ウェーバー家(コンスタンツェの実家)に対するモーツァルト家の印象が面白い。
まず母アンナ・マリアは「ウェーバー一家と知り合ってから、あの子はまったく変わりました」と嘆きの手紙を書く。
それを知った父レオポルトは怒って、「世間から忘れられた平凡な音楽家として死ぬか、後世に語り継がれる名楽長として死ぬか、あるいはひとりの女に迷い(略)、馬小屋の藁の上で野垂れ死ぬか(略)、よく考えろ」と書き送る。
とにかくモーツァルト家は、ウェーバー家の音楽的才能豊かな姉妹たちを、息子をダメにする存在としてしか見ていない。
思わず、谷崎潤一郎『細雪』の蒔岡家を思い出す。
三女・雪子がお見合いをするたびに、母親代わりの姉たちが口出しして、自らの没落は棚に上げ、やれ家柄が合わないだの、年齢が高いだの、収入に不安があるだのと言いたいことを言って、破談にするのである。
(その口出しぶりが、平成のいま読むと、半ばユーモア小説のようであり、どこか本書で紹介されるモーツァルト家の反応に似た雰囲気がある)
どうもこのあたりから、コンスタンツェの悪妻伝説が醸成される下地があったようだ。
前半の圧巻部分は、未完の遺作《レクイエム》をめぐる、コンスタンツェの「プロデューサー」ぶりである。
(わたしが不勉強で知らなかっただけかもしれないが、本書に「近年判明した事柄」とあるので、たぶん、最新情報に近いと思う)
周知のように、この曲は、「他人に委嘱した曲を自作として発表する」性癖を持つ、ヴァルゼック伯爵からの依頼だった。
だが作曲途中でモーツァルトが死んだので、コンスタンツェの采配で、助手のジュスマイヤーが補筆完成させた。
完成したスコアは伯爵にわたり、亡妻の追悼ミサで「初演」された。
ところが、それ以前に(しかも1年近くも前に!)、この曲は、コンスタンツェのための慈善演奏会で初演されていたのである。
実はコンスタンツェは、ジュスマイヤーに、スコアを2部つくらせていた(いうまでもないが、当時はコピー技術などないので、すべて肉筆写譜である)。
だから、伯爵にわたしたスコアとは別に、もうワンセット、手許にあったのである。
その後、ヨーロッパ各地で《レクイエム》が演奏されるようになるにあたっては、このスコアを写譜させ、彼女の収入としていたのだという。
(さらにコンスタンツェは、モーツァルト自身が途中まで書いた肉筆スコアも、ちゃんと保存していた)
その後、この曲をブライトコプフ社が出版するにあたって、もうひと騒動あるのだが、それは本書でご確認いただきたい。
夫モーツァルトの死後、これも有名な話だが、コンスタンツェは、外交官ニッセンと再婚する。
そして、夫婦でザルツブルクを訪れ、ひさびさにモーツァルトの姉マリア・アンナに会う。
その際、マリア・アンナは、家に残されていたモーツァルトの大量の手紙をニッセンに提供する。
こうしてニッセンは、元妻コンスタンツェの証言に加え、これら手紙をもとに、世界初のモーツァルト伝を書くことになるのである。
ところが!
ニッセンは、執筆中に亡くなってしまう。
コンスタンツェは、またも寡婦となる。
かつて夫の死で未完に終わった《レクイエム》を完成に持ち込ませたのと同様、今度は、二度目の夫の死で未完に終わった「モーツァルト伝」を完成させるために、彼女は、再び奔走を始めるのだが……。
かようにコンスタンツェは、実にエネルギッシュな女性であった。
その姿は、少なくとも本書で知る限り、単にカネ儲けに奔走する姿ではない。
明らかに、モーツァルトの偉大さを理解しており、そのことを世界中に周知させるために後半生を捧げたように読める。
そのほか、本書では、数々の評論や研究にも目を配り、いかにして「悪妻伝説」が形成されていったか、また、小林秀雄『モオツァルト』を筆頭に、日本におけるコンスタンツェ受容史までをも、細かく検証していく。
著者は横浜国立大学教授(ヨーロッパ文化史、ドイツ文学)。
『モーツァルトを「造った」男─ケッヘルと同時代のウィーン』(講談社現代新書)、『オーケストラの文明史 ヨーロッパ三千年の夢』(春秋社)など、広範な資料をもとにした、見事な音楽史研究書を続々刊行している。
本書も、それらに連なる名著といえよう。
森友学園の話題に飽きたら、ぜひお読みいただきたい。
これもまた「家族」の物語なのだから。
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