2017.08.07 (Mon)
第187回 なかった昔にもどる

▲「現代思想」7月臨時増刊号「総特集・築地市場」
「現代思想」7月臨時増刊号は、人類学者・中沢新一の責任編集で「総特集・築地市場」を組んでいる。最近、もっとも面白く読んだ雑誌だった。
この中で、世界的なチェリストで指揮者のムスティスラフ・ロストロポーヴィチ(1927~2007)のエピソードが紹介されている。彼はたいへんな築地市場ファンで、来日のたびに訪れ、セリに聴き入って「これが日本のオペラだ」と感動していた。これは親日家スラヴァ(彼の愛称)を象徴するエピソードとしてよく知られた話なのだが、そもそもなぜ、思想誌「現代思想」が、築地市場を特集したのだろうか。
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先日、なじみの料理屋のご主人が築地市場へ仕入れに行くのに、同行させてもらった。そこで感じたことは、築地市場の、動線設計の見事さだった。
市場が扇形をしているのは、かつて、この扇の外側に鉄道の引き込み線があったからだ。
鉄道から荷下ろしされた食品は、扇の外縁から運び込まれ、卸業者によってセリにかけられる。
それらを魚の目利きである「仲卸業者」が選んで競り落とし、扇内部の店に並べる(よくテレビなどで紹介されのが、ここである)。
この中間機構(仲卸)のおかげで、質の高い品が並ぶことになる。
それらを買い出し人(寿司屋や料理屋など)が、さらに選んで買い付ける。かくしてわたしたちは、数段階のセレクトを経た、うまくて安全な魚を口に入れられるのである。よくこんなシステムを考え出したものだと思う。
これらの動線は、主に小型運搬車「ターレ」によって維持されている。現在、市場内では2000台のターレが稼働しているという。人がすれちがうのでさえギリギリの通路を、ターレが平然と行き交う光景は、まるで映画『ブレードランナー』で描かれた未来の都市空間のようである。
このような天才的な動線や仲卸システムが、昭和10(1935)年の開設時に、あるいは、それ以前の日本橋魚河岸時代に、すでに完成していたのだ。
これは「文化」である。
だが、豊洲新市場に、このような動線が確保されていないことは、すでに報道されているとおりだ。豊洲は、卸業者と仲卸業者の建物が道路を隔てて分離しており、ターレは、地下道で行き来する。建物も階層建てになっており、エレベータで上下するのだが7基しかない。7基で2000台のターレをさばくことは困難らしい。
つまり、豊洲新市場は、「文化」破壊なのである。
「現代思想」が築地市場を特集した理由は、そこにあった。
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わたしは東京都中野区の「桃園町」で生まれ、「宮里町」で育った。周囲は「千代田町」「西町」「道玄町」だった。だが、あるときから「中野3丁目」「本町4丁目」といった即物的な町名に変わった。
わたしの亡父は、町会や商店街の役員をやっていて、ずいぶん旧町名を残す運動をやっていたが、結局、どうにもならなかった。
当時、子供だったわたしは、そのことの重要さを知る由もなかったが、後年、「桃園町」を消滅させたことは愚行だと思うに至った。
「桃園町」(中央線・中野駅~高円寺駅間の、南側)は、江戸時代、徳川将軍家の鷹狩りの名所だった。あるとき、八代・吉宗が、鷹狩りに訪れて「このあたりに桃を植えよ」と命じ、一帯は「桃園」となった(近隣の農民が、将軍家を歓待するために植えたとの説もある)。
かように「桃園町」の名称は「歴史」であった。町名変更施策は、そんな歴史を「消去」したのである(町会名や公園名に一部残っているが)。作編曲家の岩井直溥(1923~2014)は、かつてここに住んでいて、「桃園」を気に入って、ペンネームにしていたことさえある。
市場移転問題を聞くたびに、このことを思い出す。
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「現代思想」の中で、建築家・伊東豊雄が、こんなことを述べている――「近代化によって、そこに蓄積されてきた歴史が消えてしまう」「日本はもう近代化の行き着く果てまで行き着いてしまったのだから、もう一度逆の方向に、今まで見直されることのなかった歴史的な意味を掘り起こしていく時代に入っていると思うのです」
仲卸業者の中澤誠は――「(移転問題は)築地市場は古いんだ、ダメなんだというところから始まっているのですよ」「そうではなくて、築地市場は、本当はまだ誰も気がついていないだけで、とてつもなく素晴らしいものなのではないか」「その素晴らしさをどうやって次の世代に引き継いでいくのか、そういう視点から現在地再整備の計画を立てれば、絶対にうまくいくと私は確信しています」と述べている。
責任編集者の中沢新一は――海外からの賞賛の声を「オリエンタリズムの類と勘違いしている人たちがいるが、そうではなく、海外の味覚の達人たちは、築地市場に組み込まれている巨大な中間機構の質の高さを、驚きをもって見惚れているのだ」と綴っている。
ところが、コラムニスト・山本夏彦(1915~2002)に「なかった昔にはもどれない」と題する名コラムがある――
「(産業革命で)蒸気機関車は駅馬車を滅ぼした。汽船は帆前船を滅ぼした」
「コンピューターあらわれたら、あらわれなかった昔にはかえれない」
「ロボットあらわれたら、あらわれない昔にはもどれない」
「かくてひとたび原子力あらわれたら、あらわれない昔にはかえれない。核もまたそうである。私は原子力の発明を呪っているが、マイカーやテレビのごときをよしんば渋々でも認めたら、その科学技術の絶頂である核だけ廃絶しようなんて出来ない相談だとあきらめている」
(初出=「週刊新潮」昭和57年6月24日号、「夏彦の写真コラム」より)
いまだったら、「スマホのなかった昔にはもどれない」といったところだろう。わたしも、まったく同感であった。だから、豊洲への移転も、もう「もどれない」のが当然だと、思っていた。
だが、玉虫色ではあるが、まだ築地市場は残っており、踏ん張っている。もしかしたら、「もう一度逆の方向に」行く時代に入っているのかもしれない。
もうこれ以上、昔からあるものを変えたり、新しいものをつくったり、そういうこととはやめて「なかった昔にもどる」ことを考えても、いいのではないか。
<敬称略>
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