2018.04.30 (Mon)
第197回 ヴィヴァルディ本、3題

▲一応、これがヴィヴァルディの肖像ということになっているが、正確には、当人かどうかは不明らしい。
ヴィヴァルディに関する解説を読むたびに、2つの点が気になっていた。
アントニオ・ヴィヴァルディ(1678~1741)は、ヴェネツィアのピエタ慈善院(捨て子女子の保護養育施設)の付属音楽院における、司祭(神父)兼音楽教師だった。ここの院生は、ハイレベルな合奏・合唱団を結成しており、附属教会などで、ヴィヴァルディの楽曲を次々と初演していた。
いまでこそ女性だけの合奏団は珍しくないが、この当時、大衆的な見世物ならいざしらず、教会の中で、協奏曲や宗教曲を「女子楽団」が演奏するとは、どういうことだったのだろうか。確か、教会では女性が歌うことは歓迎されず、だから男声ファルセットやカストラートが生まれたのではなかったのか。下世話な見方だが、宝塚歌劇団のような美少女がズラリと並んでヴィルトゥオーゾを披露するのを、男どもが好奇の目で眺める、そんな場面があったのだろうか。
もう一点は、ヴィヴァルディが再評価(再発見)されたのは、極めて最近のことだったらしい点である。バッハが再発見されたとき、その大量の楽譜の中に、「ヴィヴァルディ」なる人物の楽曲を編曲したものがあったのだ。
フランスの音楽学者、マルク・パンシェルレ(1888~1974)が1948年に著した『Vivaldi : Génie du baroque』は、ある時期まで、この作曲家について網羅的に書かれた、ほとんど唯一に近い書物だった(邦訳『ヴィヴァルディ 生涯と作品』早川正昭・桂誠=共訳/1970年、音楽之友社刊)。ヴィヴァルディの分類番号は「R.V.」(デンマークの音楽学者ペーター・リオムが付した「リオム番号」)が有名だが、ほかに「P.」番号なんてのもあって、これを付したのが、このパンシェルレ氏である。
その彼の本の中に、こんな記述がある。
「このヴィヴァルディとは何者だろうか。バッハがその作品を編曲するという栄誉に浴したヴィヴァルディとは誰のことだろうか。情報集めが始められ、やがてバッハが使用したいくつかの原典がアムステルダムの古い版の中から探し出された」
「1世紀近くの間ヴィヴァルディは問題にされず(略/再評価は)ごく最近になってトリノの膨大なコレクションが発見されてからであった」
かように、ヴィヴァルディの名が市井に流布するのは、ほとんど戦後になってからのことだったらしいのだ。そういえば、《四季》が一般に人気を獲得するのは、イ・ムジチが録音した1956年以降のことだし(最初のモノラル録音)、フランスのNaïve レーベルの人気シリーズ「ヴィヴァルディ・エディション」には、「新発見」「初録音」の新譜が、ゾロゾロ加わっている。
いったい、ヴィヴァルディの大量の楽譜は、どこにどうやって眠っていたのだろうか。
以上の2点――「女子の演奏」「楽譜の伝承」が、長年の疑問だったわけだが、このたび、ある新刊のおかげで、これらの疑問が見事に氷解した。そこで、ほかも加え、ヴィヴァルディにまつわる興趣溢れる書物を3点、ご紹介したい。
【1】

▲『スターバト・マーテル』ティツィアーノ・スカルパ著/中山エツ子訳(2011年、河出書房新社刊/原著=2008年、イタリア刊)
これは、ほとんど散文詩のような小説である。イタリア文学界最高の賞、ストレーガ賞を受賞している(過去の受賞者には、モラヴィア、ギンズブルグ、エーコなど錚々たる顔ぶれが)。ピエタ慈善院で生まれ育ったチェチリアの一人称(まだ見ぬ母へ宛てた架空の手紙)の形式で綴られる。
彼女はヴァイオリンの名手なのだが、思春期にさしかかり、孤独な毎日と母がいない人生に悩みを覚え、精神的に、少々不安定になっている。対話の相手は、自分の内面に巣食う死神(蛇頭)である。
そこへ新任の音楽教師「アントニオ神父」がやってくる。神父もヴァイオリンの名手で作曲家だが、チェチリアの音楽的才能に嫉妬しているようでもある。神父といいいながら、意外と俗っぽい人間なのだ。彼は、続々と曲を書く。協奏曲集《四季》が誕生していく様子は実にスリリングだし、《蛮族の王ホロフェルネスに勝利し凱旋するユディト》初演の模様も描かれる(唯一完全な自筆譜が残っているオラトリオ)。常に冷めたチェチリアは、神父の才能に感嘆はするものの、いまひとつ、心を許すことができない。しかし、いつしか彼女は、神父を反面教師として自分が成長していたのである(近年、日本でベストセラーとなった、宮下奈都『羊と鋼の森』はピアノ調律師をモチーフとした成長小説だったが、どこか共通するものがあるかもしれない)。
本作によれば、少女たちは、教会内部の、高いバルコニーの上で、しかも、柵のような囲いの内部で演奏することになっている。つまり、聴衆(参詣者)の目には、直接触れないらしいのだ。ときどき、外へ出て、慈善院のパトロンの前で演奏させられるが、その際も、上半身を覆って、コソコソと出かけていく。すべては寄附集めのためで、実は彼女たちの演奏行為は、大道芸人とかわりないのかもしれない。チェチリアが、それらのしがらみをかなぐり捨てるラストは感動的で、思わず声援をおくりたくなる(現在、NHK地上波で放映中の韓流ドラマ『オクニョ 運命の女』のようだ)。正味160ページ余の中編で、訳も美しく、とても読みやすい小説だ。
【2】

▲『ピエタ』大島真寿美著(2011年、ポプラ社刊/現・ポプラ文庫)
さて、そのヴィヴァルディが、1741年にウィーンで客死する。彼の死を、ピエタ慈善院の院生たちは、どう受け止めたのか。それを描く小説が、本作である。2012年の本屋大賞で第3位となった話題作だ。
本作も、書き手はピエタ慈善院で育った女性の一人称である。名はエミーリア。ただしもう「少女」ではない。45歳のおとなである。生まれてすぐピエタに置き去りにされ、尊敬する「ヴィヴァルディ先生」に音楽を教わった「愛弟子」だ。だがある時期から才能の限界を自覚し、いまでは慈善院の運営スタッフとして活躍している。音楽の方は、同年の親友アンナ・マリーアが、その素晴らしいヴァイオリンの腕前で、一手に慈善院の音楽レベルをけん引してくれている。
ヴィヴァルディ先生が遠いウィーンの地で亡くなったとの知らせに、エミーリアは動揺を隠せない。慈善院の後援者でもある貴族の娘ヴェロニカは、かつてヴィヴァルディ先生は自分のために曲を書いてくださった、あの譜面はどこにあるのだろう、と不思議な思い出を話す。もし、あの譜面が見つかれば、多額の寄附をしてもいい、とも。さっそくエミーリアは、その楽譜を求めて、先生の周囲を探るのだが、次第に、ヴィヴァルディやピエタ慈善院、そしてヴェネツィアにまつわる、初めて知る数々の出来事に出会い……。
本作は、閉ざされた慈善院の中で育った女性が、中年になって初めて外の世界を知る、その喜びやおそれ、戸惑いを、ていねいに、すくいとるように描いている。その姿は、中学か高校の新しい環境になじめない少女のようでもある。
余談だが、わたしは、大原富枝の『婉という女』を思い出した。江戸時代、土佐藩で父が政争に巻き込まれ、4歳のときに一族もろとも屋敷内に幽囚、男系が絶えた40年後に赦免され、初めて外の世界を知る女性の実話小説である(毎日出版文化賞、野間文芸賞受賞/1960年初出)。
【3】

▲『失われた手稿譜 ヴィヴァルディをめぐる物語』フェデリーコ・マリア・サルデッリ著/関口英子・栗原俊秀訳(2018年3月、東京創元社刊/原著=2015年、イタリア刊)

▲著者、フェデリーコ・マリア・サルデッリ(CD、オペラ《狂乱のオルランド》)
ヴィヴァルディの死後、大量の肉筆譜(手稿譜)は、どうなったのか。どうやって、現代まで残り、伝えられたのか。その180年余の軌跡を迫真の筆致で描くノンフィクション・ノヴェルが、この最新刊だ。本書が刊行されたことで、わたし自身が抱いていた、ヴィヴァルディにまつわるミッシング・リンクは、見事に解明した。
まず著者名を見て驚いた。バロック・ファンならご存知だろう、このフェデリーコ・マリア・サルデッリ(1963~)とは、古楽アンサンブル「モード・アンティクオ」を主宰する指揮者であり、リコーダー奏者であり、音楽研究家である(風刺漫画まで描く)。続々とヴィヴァルディの「新曲」を発見、新録音し、センセーションを巻き起こしてきた。特に先述のNaïveレーベルにおける「Vivaldi New Discoveries」シリーズ(新発見曲集)などは、もう空いた口がふさがらない(たとえば、歌劇《アルジッポ》R.V.697のアリアのド迫力! 協奏曲R.V.817の現代的な活気!)。
そんなサルデッリが、自らの研究の成果を「実録小説」の形でまとめたのが、本書である。よって冒頭は、ヴィヴァルディの死の直前である。ただし『ピエタ』とちがうのは、主役が「手稿譜」である点だ。主のいない館から、ヴィヴァルディの弟と2人のいもうと姉妹が、深夜、大量の手稿譜を運び出すシーンから始まる(この2人の妹は、『ピエタ』にも登場した)。
その後、楽譜をめぐって、18世紀と、近現代(19~20世紀)に起きた出来事が、各時代の「所有者」を主人公にして、交互に描かれ、次第に、「いま」に近づいてくる。この「交互に描かれる」点が少々ややこしいものの、「ノンフィクション・ノヴェル」たる所以である(配列法はちがうが、手塚治虫『火の鳥』の構成を思わせる)。
面白いのは、ヴィヴァルディの名声は、晩年にはすでに衰えていたせいもあって、手稿譜の価値がわかるものが、あまり登場しない点だ。ゆえに、厄介払いしようとするものと、少しでも高く売ろうとするものとで、狐と狸の化かし合いが演じられる(多くは聖職者だ)。そこへ、ユダヤ人差別や、イタリアにおけるファシズム台頭などの政治的要因がからみながら、手稿譜は、次から次へと、綱渡りをしながら所有者を変えていく。ある時代では、奇数巻の手稿譜だけが発見される。残り半分の偶数巻を、いつ、どこで、誰が抜き出したのか……眉にツバつけたくなる逸話が描かれるが、これらも、どうやら実話らしい。
最終的に、トリノの2人の学者(図書館長と教授)がいなかったら、わたしたちは、いま、ヴィヴァルディを聴くことはなかったろう。そして、彼らのもとへ手稿譜がたどりつくまでの年月は、ほとんど「奇跡」のような幸運と偶然が重なっていた――そんなことを、本書は教えてくれる。
以上、楽曲同様、ヴィヴァルディを、わたしたちに「再発見」させてくれる3冊である。
<敬称略>
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2018.04.10 (Tue)
第196回 TVアニメ『赤毛のアン』

▲アニメブック『赤毛のアン』(演出:高畑勲、1992年、新潮社刊)
1980年代末から90年代前半にかけて、アニメ関係の仕事に携わっていた時期がある。その中に、TVアニメ『赤毛のアン』(1979年放映)のアニメブック編集があった。アニメの画面をコマの中にはめこんでネーム(フキダシ)を加え、マンガとして楽しむ本である。フィルムコミックなどとも呼ばれた。
いまのようなパソコンやデジタル技術のない時代だったから、たいへんな作業だった。製作会社に全回のプリントを焼いてもらい、VHSビデオと台本と原作本を照らし合わせながら、コマ割り構成を組み立て、必要なカットをハサミで切り出し、版下に指定し、ネーム(セリフ)を写植で貼りつけていった(この煩雑な現場を見事に統括してくださったのが、ホラー漫画の巨匠、日野日出志さんだった)。
わたしは、このとき、初めて、アニメ『赤毛のアン』を観たのだが、その構成や演出に、驚いてしまった(初回放映時は、わたしは大学生で、さすがに観ていなかった)。
脚本・演出は、さきごろ逝去された、高畑勲監督である。回によっては、共同脚本・演出だが、ほぼすべての回に高畑監督がかかわっていた。ちなみにシリーズ前半の場面設定は宮崎駿監督である。
ご存知のかたも多いと思うが、モンゴメリの『赤毛のアン』は、全部で38章だての連作風の小説である。それを、TVアニメは、1年間、全50回(1回が正味25分弱)をかけて、ストーリーもセリフも、ほぼ原作どおりに描いている。しかもいくつかの箇所は、原作以上にじっくりと描かれており、この「じっくり」が素晴らしかった。
たとえば、第1回で、アンが、馬車でグリーンゲイブルズへ向かいながら、途中、「りんごの並木道」で、その美しさに感動する有名なシーンがある。原作でわずか十数行のこのシーンを、アニメでは、ものすごい枚数を使って、絢爛豪華なファンタジー・シーンに仕立てていた。初回放映時、TVの前の少女たちは、このシーンに心を奪われたことだろう(この第1回は、製作会社の日本アニメーションが公式にYOUTUBEで公開しているので、ぜひご覧いただきたい)。
また、第3回のラスト、アンがマリラに連れられ、(孤児院へ送り返されるために)馬車でスペンサー夫人のもとへ出発するシーン。アンは、もうこれで二度と戻ってこられないと思い、泣きながら「さようなら、ボニー!」「さようなら、雪の女王様!」「さようなら、おじさん!」と叫ぶ。残されたマシューは、言葉もなく、あとを追おうとして駆け出し、つまずく。早くも第3回で視聴者を泣かせた名シーンである。
だが、原作に、こんなシーンは、ない。ただ、マリラが振り返ると「しゃくにさわるマシュウが門によりかかって、うらさびしげに二人を見送っているのが目に映った」(村岡花子訳=新潮文庫版)とあるだけで、マシューは追いかけないし、アンも泣き叫んだりしていない。これは「創作」なのだ。
実は、小説『赤毛のアン』は、少女が主人公なので、ジュニア向け小説だと思われているが、かなりの部分が、育ての親であるマシューとマリラ兄妹を中心とした、おとなの視点で描かれている。また、集英社文庫版(松本侑子訳)で強調されているように、全編に、聖書や、あらゆる西洋文学の名文、詩文がちりばめられている。『赤毛のアン』は、「おとなの文学」でもあるのだ。
この点は、高畑監督も見抜いていて、「もし女の子の立場から書いたら、それは少女マンガの原作になったか、いわゆる少女小説にしかならなかったと思うんですね。ところがモンゴメリという人はですね、そこに終わらせていない。批判に耐え得る人物を創っているということでしょう」と述べている(高畑勲著『映画を作りながら考えたこと』文春文庫より)
そんな「おとなの文学」を、毎週日曜日の19時半にアニメにして全国放映するとなれば、視聴者はこども(少女)が多いだろうから、それなりに脚色しなければならない。そのため、原作では少ない、「アンの視点」が多く盛り込まれることになった。先に挙げた2つの例は、まさに、「アンの視点」である。
わたしは、アニメブックを編集しながら、なるほど、「脚色」とは、こういうことなのかと、感動したものだった。
TVアニメ『赤毛のアン』で、もうひとつ驚いたのは、主題歌である。
オープニング曲《きこえるかしら》、エンディング曲《さめない夢》、さらに、劇中に時折ながれるうた……あまりにレベルが高く、唖然となった。普通、アニメ主題歌といえば、みんなで一緒に口ずさめる曲調が多いものだが、これはとても無理だった。ほとんど「歌曲」であった。旋律の途中で、バックの「管弦楽」が主役になる部分もあった。よく聴くと、たいへん込み入ったスコアリングだ。公式アップされた映像でご確認いただきたい。
作曲は、三善晃(1933~2013)である(岸田衿子作詞、大和田りつこ歌)。たしかこれが、三善晃唯一のTVアニメ主題歌だったのではないか(ちなみに作詞の岸田衿子=1921~2011=は、詩人・童話作家。劇作家・岸田國士の長女、女優の故・岸田今日子の姉で、戦後の2大詩人、谷川俊太郎・田村隆一の、それぞれ妻だった時期がある。ほかに『アルプスの少女ハイジ』『フランダースの犬』『あらいぐまラスカル』などの主題歌も彼女の作詞)。
アニメブック編集のころ、高畑監督にお会いして、「よく、あんな難しい曲を主題歌にされましたね」と、うっかり聞いてしまったことがある。
高畑監督は、「ことば」に対する解釈や認識が厳格で、生半可な物言いによる会話を拒むようなところがあった。だから、何回かお会いしているが、おっかなくて、突っ込んだ会話ができなかった。
このときも、具体的な口調は忘れたが、半ば困惑した表情で、「なにをもって《難しい》というんだか、わかりませんが……」といった意味の返答をされた。
ただ、そのあと、「あのころ、『翼は心につけて』という教育映画があって、その主題歌が三善晃さんだったんですよ。それがとてもよかったので、お願いしたんです」と教えてくれた(吉原幸子作詞、横井久美子歌)。
高畑監督については、ほかに直接・間接の思い出がいくつかあり、綴り出せばきりがないが、わたしごときが明かすことでもないので、この程度にしておく。
TVアニメ『赤毛のアン』最終回のラストは、アンが手紙を書くシーンだ。
「わたしはいま、何の後悔もなく、安らぎに満ちて、この世の素晴らしさをほめたたえることができます。ブラウニングのあの一節のように……《神は天にいまし、すべて世はこともなし》」
原作のファンだったら、ご存知だろう。この最後の詩文が「ブラウニング」の一節だなんて、訳注にはあっても、モンゴメリは原作のどこにも書いていない。
高畑勲演出の『赤毛のアン』とは、そういう作品だった。
<敬称略>
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