2018.08.27 (Mon)
第205回 ポール・ホワイトマンの指揮棒

▲映画『アメリカ交響楽』は、日本ではパブリック・ドメインなので、数種の廉価版で入手可能。
音楽家の伝記映画はさまざまあるが、ジョージ・ガーシュウィン(1898~1937)を描いた『アメリカ交響楽』(1945年/原題“Rhapsody in Blue”)は、特筆すべき映画である。なぜなら、ガーシュウィンの死後わずか8年目に製作されただけに、製作者も出演者も、ほとんどが、ガーシュウインを直接知っていたひとたちなのだ(ガーシュウインは38歳で夭折した)。主人公のガーシュウインをプロ俳優(ロバート・アルダ)が演じているほかは、多くが本人の出演である。
中でももっとも有名なのが、オスカー・レヴァント(1906~72)だろう。彼は、ホロヴィッツやルービンシュタインとならぶ、大人気ピアニストだった。ガーシュウィンの《ラプソディ・イン・ブルー》や《ピアノ協奏曲》は自分のテーマ曲のようにレパートリーとしていた。その彼が、この映画への出演をきっかけに(もちろん、自分自身の役を演じた)、本格的なミュージカル俳優になってしまうのである。たとえば、映画『バンド・ワゴン』(1953年)の名場面、《ザッツ・エンタテインメント》を、フレッド・アステアなどと一緒に歌って踊っている、唇の分厚い、小柄なオジサン――彼が、オスカー・レヴァントである。
そのほか、この映画には、アル・ジョルスン(歌手)、ジョージ・ホワイト(プロデューサー)、ヘイゼル・スコット(歌手)、エルザ・マックスウェル(コラムニスト)、アン・ブラウン(歌劇『ポーギーとベス』のベス創唱歌手)など、ガーシュウインと一緒に仕事をしたひとたちが、自分自身の役で、ゾロゾロ出演しているのだ。劇映画というよりは、ほとんど「再現ドキュメント」である。
だが、やはりいちばん強烈な出演者は、指揮者のポール・ホワイトマン(1890~1967)ではないか。ジャズとクラシックが融合した《ラプソディ・イン・ブルー》をガーシュウィンに提案し、書かせ、自らの楽団で初演を指揮したひとだ(編曲はグローフェに協力させた)。初演の際、冒頭で、クラリネット奏者がふざけて、楽譜にないグリッサンドでソロを演奏したところ、これを面白がって正式採用したといわれている。これを機に、アメリカ音楽界に“シンフォニック・ジャズ”時代が到来するのだ。その後、グローフェの《グランドキャニオン組曲》なども初演している。
彼が演じている“自分自身”役で驚くのは、その「指揮棒」である。長さが50センチはあろうかという巨大さで、前方の奏者の頭に刺さるんじゃないかと思えるほどデカい。彼はほかにも多くの音楽映画に出演しているが、毎回、この巨大指揮棒を振りまわしている(当時、これが流行だったようだ)。
日本で、終戦後、占領軍専用の「アーニー・パイル劇場」(現・東京宝塚劇場)の楽団指揮者、紙恭輔(1902~1981)も、同じような巨大指揮棒を使っていた。当時、同楽団でトランペットを吹いてた、作編曲家の故・岩井直溥さんは「あれは完全にポール・ホワイトマンの影響だね。紙さんは、日本にシンフォニック・ジャズを定着させたくて、アメリカに留学までしたひとだからね。本人の指揮姿をナマで見ているはずだよ」と語っていた。
ポール・ホワイトマンにかぎらず、本人出演のひとたちが、みんな芸達者なのにも驚く。だが、ぜひ、この「巨大指揮棒」を見逃さないでいただきたい。今年は、ジョージ・ガーシュウィン生誕120年だ。彼の音楽は、あの「巨大指揮棒」によって生み出されたのである。
◆9月の「BPラジオ」で、ガーシュウインを特集しています。
【第105回】生誕120年! ガーシュウィン・アップ・ザ・ウインド!
<FMカオン>9/1(土)23時、9/15(土)23時
<調布FM>9/2(日)正午、9/16(日祝)正午
※パソコンやスマホで聴けます。聴き方は「バンドパワー」で。
◆「富樫鉄火のグル新」は、吹奏楽ウェブマガジン「BandPower」生まれです。第132回以前のバックナンバーは、こちら。
◆毎週(土)23時・FMカオン、毎週(日)正午・調布FMにて、「BPラジオ/吹奏楽の世界へようこそ」パーソナリティをやってます。
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2018.08.17 (Fri)
第204回 東京都高等学校 吹奏楽コンクール

▲コンクールのプログラム500円。
入場料は、A組4日間を全部聴くと9,600円
(当日1,200円×8枚。1日が前半・後半2部制なので)。
交通費とあわせると、けっこうな出費である…。
毎年8月は、東京都高等学校吹奏楽コンクールのA組(いわゆる東京大会予選)を聴きに行く。今年も府中の森芸術劇場で、朝から夕刻まで、4日間、全75団体を聴いた(他部門もあわせると、6日間でのべ300団体弱が演奏する)。
若いころは、ほかの部門や、近県の大会にも行き、ひと夏で200団体ほど聴いていたのだが、さすがに還暦ともなるとしんどく、ここ数年は東京の高校A組だけに通っている。だが、わたしなど道楽だから、まだいい。審査員はわたしのように、疲れたからといってウトウトすることもできない。まことにたいへんな仕事だと思う。
作曲家の故・岩井直溥さんに、昔のコンクール審査についてうかがったことがある。
「地方予選に行くと、演奏中に船をこぎはじめ、終わるとハッと目が覚める審査員がよくいたよ。そして、隣りのボクに小声で『すいません。いまの演奏、どうでしたか』と聞いてくる。そんな時代でしたよ」
というのも、往時のコンクール進行は、かなり荒っぽかったようで、
「1980年代あたりは、地方によっては、まともな休憩もなく1日中ぶっつづけで演奏・審査をやる予選があったんだ。全部終わるともう外は真っ暗。参加団体が急速に増えた時期だったからね。でも演奏するほうは12分で終わるからいいけど、審査員はそうはいかない。昼休みもないんだよ。昼食は、席に弁当がとどいて、その場で大急ぎで食べさせられる。トイレに行きたくなったら、演奏団体の入れ替わり中に走って行ってこいという。いまのようないいホールが少ない時代だったから、狭い会場で、1日中、爆音を聴いていると、頭の芯がボーッとしてくる。座席も小さくて、尻も腰も痛くなってくる。いまでいう、エコノミー症候群だね。あれじゃあ、白河夜船も無理ないよ」
1970年代前半は戦後第2次ベビーブームで、毎年200万人以上の赤ちゃんが生まれていた。この子たちが、1980年代に中高生となり、続々と吹奏楽部が誕生した、そんな時代の話である(ちなみに昨年の出生数は約95万人)。
わたしは、昨年、3日目に突発性難聴を発症した。ただし爆音による外傷性ではなく、ストレスと体調不良によるものだったらしい(突発性難聴は、ほとんど原因不明)。その後、聴力は回復したが、耳鳴りや耳づまり感は、完治していない。
こんな道楽者でさえ、そんな目にあうのだから、審査員は何をかいわんやだ。それでも、現在の東京A組の場合、ほぼ5団体ごとに15分の休憩が入り、昼休みもちゃんとあるので、上述の岩井体験談のようなことは、まずない(と思う)。
以前、『一音入魂! 全日本吹奏楽コンクール名曲名演50』正続(河出書房新社)の編集執筆に参加した際、作曲家の故・真島俊夫さんに、コラム「審査員にも言わせてほしい」を寄稿していただいた。各地でコンクール審査員をつとめてこられた経験から、本音を聞かせてほしいとお願いした。ここで真島さんは、こんなことを書いている(部分抜粋)。
「なぜ、そんなきつい思いをしてまで、審査員を引き受けるのか。まず第一に、楽譜を書く立場の人間として、大多数のバンドの現状レベルを知っておきたいという気持ちがある。そしてもうひとつ――この十数年間の審査中に思わず涙ぐんでしまった演奏が三つあった。まさに忘れ得ぬ思い出だ。審査員は、肉体的にも精神的にも、そして金銭的にもつらい仕事だが、僕が引き受ける理由の一つはここにある。またいつか、あのような感動的な演奏に出会えるかも知れない……そんな期待を抱きながら、僕は審査員をつづけてきたのである」
わたしがヒイコラいってコンクールに通うのも、これが理由だ。一応、音楽ライターなんて名乗っている以上、予選を全部聴いて、今年の選曲傾向や、人気作曲家、演奏レベルなどを知っておきたい(上位の東京支部大会になるとレベルが高すぎて、全容平均がわからない)。そして、今年もまことに素晴らしい演奏に出会えた。あれが聴けただけで、4日間通った甲斐があったというものだ。
あと何年通えるかなと思いながら、最終日、雷鳴と豪雨の中、びしょ濡れになりながら、東府中駅に向かって歩いた。
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2018.08.02 (Thu)
第203回 8月のBPラジオ余話

▲主催「朝日新聞社」も、増刊号で「甲子園第100回」を盛り上げる。
◆甲子園第100回
今年の甲子園、西東京代表は、おなじみ日大三高となった。以下の話は、数年前に書いたことなのだが、ちょうどいいタイミングなので、あらためて綴る。
ご存知の方も多いだろうが、「甲子園の応援演奏で、初めて女性指揮者が振った」吹奏楽部が、日大三高である。
1952(昭和27)年の甲子園、東京代表は日大三高だった。
この「昭和27年」とは、日本が主権を回復した年である。前年にサンフランシスコ講和条約が締結され、昭和27年4月に発効した。これによってアメリカによる占領は終わり、ようやく日本は自立し始めた、そんな年であった。
日大三高は、戦前に2回、夏の甲子園に出場していたが、戦後は、この年が初出場だった。しかも主権回復の直後とあって、おそらく、たいへんな盛り上がりだったろう。
そんな年の夏を、さらに盛り上げたのが、このとき、吹奏楽部を率いていた女性顧問の若林文先生だった。
後年の若林先生の回想によれば、
「周囲がガヤガヤしてきましてね。なんだと思ったら、先生、新聞記者が来てるっていうんですよ」
女性が甲子園の応援スタンドで指揮している姿は、実に珍しかったらしい。
「名前を聞かれたり、どうして来たんだとか、いろいろ聞かれました。その上、梅田の阪神かなにかの大きなデパートに等身大の写真が出たらしいんです。(甲子園での女性指揮者は)わたしがはじめてといわれてます」
とのことだった(全日本吹奏楽連盟会報「すいそうがく」第27号=1988年11月発行、「てい談 復興! そして発展へ」より)。
今年は、夏の高校野球が第100回だそうである。殺人的酷暑の下、まったくご苦労様としかいいようがない。ふだん、熱中症への注意を喚起する一方、この炎天下で未成年に野球をやらせる主催者の気もしれないが、暑いからとやめるわけにもいかないだろう。選手はもちろん、応援席の吹奏楽部員の生命の安全を願ってやまない。
BPラジオでは、いくつか、高校野球を中心に、野球ゆかりの曲を流すが、ぜひお聴きいただきたいのが、《全国中等学校優勝野球大会行進歌》、通称「大会行進曲」である(富田砕花作詞、山田耕筰作曲編曲/内木実、コロムビア合唱団、コロムビア交響楽団、山田耕筰指揮)。これは、むかしの大会歌で、現在の《栄冠は君に輝く》が制定されてからは、入場行進曲となって現在でも演奏されている。本来、どんな曲だったのか、お聴きいただきたい(流行歌が演奏されるのは、春の甲子園)。
作曲した山田耕筰についてはいうまでもないだろう。作詞の富田砕花(1890~1984)は詩人・歌人で、ホイットマン『草の花』を、かなりはやい時期に(日本で最初?)翻訳したひとである(『草の花』邦訳は数種類あるが、わたしは、この富田訳がいちばん好きだ)。
昭和27年に若林先生が指揮したころは、すでに《栄冠は君に輝く》の時代になっていたが、まだ制定されて数年だった(昭和23年制定)。もしかしたら、若林先生たちにとっては、まだ、以前の「大会行進曲」のほうがなじみがあったかもしれない。
そんなことに思いを馳せながら、むかしの響きをお聴きいただきたい。
◆祝第100回! 吹奏楽で聴く夏の高校野球
<FMカオン>8/4(土)23時、8/18(土)23時
<調布FM>8/5(日)正午、8/19(日)正午

▲東海林修さん全曲アレンジのアルバム『JULIEⅡ』(わざと薄ぼんやりしたデザインになっていた)。
◆東海林修のブラス・アレンジ
毎年8月は、管打楽器が活躍するむかしのヒット曲、通称「昭和ブラス歌謡」(わたしが勝手にそう呼んでいるだけだが)を特集している。
毎年変り映えのない選曲なのだが、今回、沢田研二の《許されない愛》をかけたときは、少々、感慨深いものがあった。
これは、1972年3月に発売された、ジュリーのソロ・デビュー2枚目のシングル曲だが(山上路夫作詞、加瀬邦彦作曲)、編曲が、この4月に亡くなった、《ディスコ・キッド》の東海林修さんなのである。
この時期、東海林さんとジュリーは、すばらしい仕事を次々と生み出している。
ジュリーのソロ・デビューは、1971年11月の《君をのせて》だった(岩谷時子作詞、宮川泰作曲、青木望編曲)。さすがは宮川泰、美しいバラード風の曲調で「君をのせて夜の海を渡る舟になろう」とうたう。実際、天知真理主演の映画『虹をわたって』(1972年、前田陽一監督)の中で、ジュリーがヨットで放浪する青年役で登場し、この曲をうたう場面があった。
ところが、これが中ヒット(オリコン23位)で終わってしまった。そこで2曲目から方向転換し、もっとド派手な曲で行くことになった。それを具現化させたのが、東海林修さんだった。《許されない愛》を含むセカンド・アルバム『JULIE II』は、ロンドンでレコーディングされたが、全曲、編曲は東海林さんが担当した(ファースト・アルバム『JULIE』も、全曲、東海林編曲だがこれはザ・タイガース在籍中に発売されたもの。よって、『JULIEⅡ』が事実上のソロ・デビュー後の初アルバムである)。
これは驚くべき内容で、全体を通して「港」をコンセプトとした、まるで叙事詩《オデュッセイア》のような構成になっているのである。全曲、山上路夫が作詞し、編曲を東海林さんが担当した。
以下、曲名と作曲者を見るだけでも、目がくらむようなアルバムであることが予想できよう。
1:霧笛(山上路夫作詞、東海林修作編曲)
2:港の日々(山上路夫作詞、:かまやつひろし作曲、東海林修編曲)
3:おれたちは船乗りだ(山上路夫作詞、:クニ河内作曲、東海林修編曲)
4:男の友情(山上路夫作詞、クニ河内作曲、東海林修編曲)
5:美しい予感(山上路夫作詞、井上堯之作曲、東海林修編曲)
6:揺れるこころ(山上路夫作詞、大野克夫作曲、東海林修編曲)
7:純白の夜明け(山上路夫作詞、加瀬邦彦作曲、東海林修編曲)
8:二人の生活(山上路夫作詞、筒美京平作曲、東海林修編曲)
9:愛に死す(山上路夫作詞、東海林修作編曲)
10:許されない愛(山上路夫作詞、加瀬邦彦作曲、東海林修編曲)
11:嘆きの人生(山上路夫作詞、すぎやまこういち作曲、東海林修編曲)
12:船出の朝(山上路夫作詞、大野克夫作曲、東海林修編曲)
BPラジオの中では、ブラス全開バリバリの《許されない愛》しか放送できなかったが、できれば、全曲を通して、天才的な東海林プロデュース色を味わっていただきたい。
《許されない愛》は、オリコン4位の大ヒットとなり、紅白歌合戦にも初出場。曲の後半、まるでブラス群とジュリーが掛け合いを演じるような、見事なアレンジが展開する。
この曲をきっかけに、ジュリーは、日本ポップス史に燦然と輝く存在となるのである。その陰には、東海林修さんの見事なプロデュース、アレンジがあったのだ。
◆暑苦しいけど元気が出る! 昭和ブラス歌謡大行進!
<FMカオン>8/11(土祝)23時、8/25(土)23時
<調布FM>8/12日)正午、8/26(日)正午
<一部敬称略>
◆「富樫鉄火のグル新」は、吹奏楽ウェブマガジン「BandPower」生まれです。第132回以前のバックナンバーは、こちら。
◆毎週(土)23時・FMカオン、毎週(日)正午・調布FMにて、「BPラジオ/吹奏楽の世界へようこそ」パーソナリティをやってます。
パソコンやスマホで聴けます。 内容の詳細や聴き方は、上記「BandPower」で。
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