2018.10.29 (Mon)
第212回 朝コンのライブビューイング

▲昨年から始まった、全日本合唱コンクール全国大会のライブビューイング
作家の池澤夏樹氏が、新刊『メトロポリタン歌劇場』(C・アフロン他著、みすず書房)の書評で、こんなことを書いていた。
「実を言うと、METに行ったことがない(だいたいニューヨークに行ったことがないのだ)。しかし、昨シーズンのMETの演目はぜんぶ見ている」(毎日新聞、10月28日付「今週の本棚」)
いうまでもなく池澤氏は、「METライブビューイング」で観ているのだ。わたしもよく行く。ニューヨーク現地のMETにも何度か行ったが、あまりに巨大で、いつも「遠くで何かやっていたなあ……」で帰ってくる。だが、ライブビューイング(LV)だと、隅々まで楽しめて字幕もあり、幕間の裏方事情も覗ける。その後、英ロイヤル・オペラ、パリ・オペラ座、英ナショナル・シアターなども続々とLVに進出している。
その波が、ついに日本にも伝播したか。
全日本合唱コンクール全国大会(全日本合唱連盟と朝日新聞社の共催。通称「朝コン」)が、中学・高校の部のみだが、昨年から、LVによる同時中継を開始した。今年は、長野県県民文化会館から、全国23都道府県、31か所のイオンシネマへ生中継されたのだ。どんなものかと、さっそく行ってみた(10月27日の高校Bグループ。イオンシネマ浦和美園にて)。わたしは、朝コンは東京大会にはよく行くのだが、全国大会は初めてだった。会場が地方だし、そもそもチケットが入手できない。
そして――このLVは、なかなか面白かった。
当然ながら、コンクールなので、出場団体は本番一発で舞台に臨む。だから、カメラもリハーサルはできない。それにしては実に落ち着いたカメラワークである(時折、独唱が始まると、声の主を探してカメラが揺れるが、これは仕方ないことだ)。
女声合唱曲に、1~3人、男子が混じっている学校がある(アルト声域をうたうのだろう)。彼らの存在も、ちゃんとクローズアップしていた。
画面が少々暗く感じたが、これは、映像中継用の光量の照明がないせいで、これも仕方ないことだろう。
音質も申し分なかった。演奏者が両足で踏ん張ると、足もとのひな壇がかすかにギシッと音を立てる、そこまで聴こえるのだ。
わたしが観た高校Bグループには、埼玉の団体が3校出場していた。うち、2校は浦和である。そのせいもあるのか、イオンシネマ浦和美園のみが、全日通し中継を行なった(ほかのイオンシネマは、近隣の団体が出場している時間帯ブロックのみの抜粋中継)。埼玉の団体が登場するたびに、映画館の客席からは盛大な拍手がおくられる。通常の映画館では見られない光景である(230席の会場が、8~9割埋まっていた)。
会場入口の案内パネルに、「歌まわしも中継します」とあった。「歌まわし」とは、成績発表までの間、客席で、学校ごとに、くだけた合唱パフォーマンスをリレーでつないでいく即興タイムである。いつ、どこの学校が、どこで歌いだすかはその場次第だ。果たして、これをうまく中継できるのか。ドキドキしながら観たが、複数のカメラを駆使して、見事にとらえていた。《斎太郎節》《銀河鉄道999》や、《言葉にできない》《UFO》など、楽しい曲が振り付きで次々と披露され、イオンシネマの客席からも拍手が飛ぶ。
今回のLVでよかったのは、やはり「表情」がはっきりわかったことだ。声楽は器楽とちがって「詩」(言葉)も伝えなくてはいけない。そのために表情がどれほど大切か、とてもよくわかった。
合唱の世界には、ほかに、大がかりなNコン(NHK全国学校音楽コンクール)がある。最終ステージはNHKホールで、全国に地上波で生中継される。しかも課題曲は人気ポップス・アーティストの提供だ(アンジェラ・アキ《手紙》、いきものがかり《YELL》などは、もともとがNコン課題曲)。そのせいか、Nコンの参加団体は増える一方のようである。
だが、朝コンには、いまのまま、ルネサンス宗教曲や、三善晃、プーランク、ペンデレツキなど、あくまで本来の「合唱」を追求してほしい。そのための推進力としても、LVの存在を、もっと知らしめてほしいと思った。
昨年より始まったこのLVを実現させるために、技術面や著作権処理など、関係者の苦労は想像するにあまりある。同じことが吹奏楽コンクールでも実現できればと思うが、200~300席レベルのシネコンでは、これまたチケット争奪戦となって、元の木阿弥かもしれない。
<一部敬称略>
◆「富樫鉄火のグル新」は、吹奏楽ウェブマガジン「BandPower」生まれです。第132回以前のバックナンバーは、こちら。
◆毎週(土)23時・FMカオン、毎週(日)正午・調布FMにて、「BPラジオ/吹奏楽の世界へようこそ」パーソナリティをやってます。
パソコンやスマホで聴けます。 内容の詳細や聴き方は、上記「BandPower」で。
◆ミステリを中心とする面白本書評なら、西野智紀さんのブログを。
最近、書評サイト「HONZ」でもデビューしています。
2018.10.26 (Fri)
第211回 吹奏楽部の練習時間

▲産経新聞社が主催する「全国ポピュラーステージ吹奏楽コンクール」
10月14日付の産経新聞社会面に、こんな記事が載った。
《吹奏楽 練習5時間も/中高部活/文化庁、軽減目指す》
文化庁が、文化部活動の盛んな中高を対象にアンケートを実施、68校、359部から回答を得た。その結果、「吹奏楽部の約5割が土曜日に5時間以上活動するなど、一部で練習が長時間に及んでいることが分かった。コンクール出場に向けた準備などが理由とみられる」「学校が休みの土曜日に活動している部は、全体の約半数。吹奏楽部は27部のうち48.1%が、土曜の平均活動時間が5時間以上だった」。
ほかに(土曜5時間以上は)演劇部15.3%、美術・工芸部9.7%、合唱部5.9%なので、確かに吹奏楽部の練習時間は突出して長い。
だが問題は、この記事が「産経新聞」で、本文に「コンクール出場に向けた準備などが理由とみられる」とある点だ。どことなく、主催者の一社である朝日新聞がコンクールを盛り上げるあまり、練習時間が長くなった、と言いたげである。
すると、1週間後の朝日新聞、全日本吹奏楽コンクール(高校の部)結果を全面で詳報する隅に、こんな記事があった(10月22日付)。
《部活「時短」手探りの現場/朝練休み増やす/地域活動とどう連立》
文部科学省が文化部について、運動部同様の指導(週休2日制の導入)を検討中だという。先の産経記事によれば、長時間練習はほとんどが吹奏楽部だから、要するにこれは吹奏楽部に対する指導であり、コンクールを主催している朝日新聞にとっても他人ごとではないのである。
だが読み進めると、すでに「時短」に取り組んでいる吹奏楽部はけっこうあると、朝日は主張する。「もともと平日は正味1時間練習できればいい方」「原則的に平日は午後6時半に終了。朝練、昼練などはなし」……それでも、彼らは全国大会に進出している。だから吹奏楽部=長時間練習ではない――そう言いたいようである。
その一方で、「効率化が正解とは限らない」「そもそも音楽は時間がかかるもの」「週末が1日休みになると(地域活動が)ほとんどできなくなる」と訴える顧問もいて、要するに単純に「時短」すればいいというものではない、とも述べている。コンクールがこれほど巨大になってしまった(させてしまった)朝日新聞が、困っている様子がうかがえる。
だが、そんな朝日新聞を批判している(ように見える)産経新聞が「全国ポピュラーステージ吹奏楽コンクール」を主催しているのをご存知だろうか(日本吹奏楽普及協会との共催)。そのほか、産経新聞は、マーチングとバトントワリングの全国大会「ジャパンカップ」も後援している。意外と吹奏楽の世界にかかわっているのである。どちらも朝日のコンクールの規模にはおよばないが、それでも、長時間練習が常態化している部も参加しているようである。
生徒の健康や精神にまで影響をおよぼすような練習は論外だが、部活のあり方は、十人十色、百部百色だと思う。短時間で高水準に達する部もあるだろうし、長時間が必要な部もある。そもそも、名門吹奏楽部ほど、部活目的で入学してくる生徒が多い。彼らは、部活=学校生活なのだ(わたし自身、そうだった)。だから、高額な部費も平気で払うし、保護者も一緒になって熱狂する。これを国家が管理規制するのは無理があると思う。問題が発生したら、それは学校長と顧問の責任である。
わたしは朝日新聞も産経新聞も、どちらの味方でもない。マス・メディアが主催している以上、ひたすらエスカレートするのも宿命だと思う。ただ、吹奏楽関係者でもないかぎり、朝日を読まないひとは「全日本吹奏楽コンクール」なんて詳しくは知らないだろうし、産経を読まないひとは「全国ポピュラーステージ吹奏楽コンクール」「ジャパンカップ」なんて知らないだろう(もしかしたら、フェルメール展も知らないかも?)。いかにも日本的な状況だなあと思う、それだけである。
◆「富樫鉄火のグル新」は、吹奏楽ウェブマガジン「BandPower」生まれです。第132回以前のバックナンバーは、こちら。
◆毎週(土)23時・FMカオン、毎週(日)正午・調布FMにて、「BPラジオ/吹奏楽の世界へようこそ」パーソナリティをやってます。
パソコンやスマホで聴けます。 内容の詳細や聴き方は、上記「BandPower」で。
◆ミステリを中心とする面白本書評なら、西野智紀さんのブログを。
最近、書評サイト「HONZ」でもデビューしています。
2018.10.05 (Fri)
第210回 ハンガリーの国民詩人

▲アディ・エンドレ『新詩集』(原田清美訳・解説/未知谷)
2006年刊だが、アディに関するもっとも新しい邦訳詩集で、解説も充実した、アディ入門に最適の一冊。
今年は、ハンガリーが、ハプスブルク家の支配(オーストリア=ハンガリー二重帝国)から独立してから100年目にあたる。
ハンガリーの作曲家といえば、古くはリスト、レハール、ドップラー、そしてコダーイ、バルトーク、さらには本コラムでも最近とりあげたリゲティなど、個性的なひとびとがそろっている。吹奏楽の世界では、レハール《メリー・ウィドウ》、バルトーク《中国の不思議な役人》、コダーイ《ハンガリー民謡「くじゃくは舞い下りた」による変奏曲》の3曲が特に有名だ。
《くじゃく》は、1939年に、アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団(現「ロイヤル・コンセルトヘボウ」)の創立50周年を記念して委嘱された。曲名どおり、ハンガリー民謡「くじゃくは舞い下りた」の主題にもとづき(日本では「くじゃくは飛んだ」の訳が多い)、主題+16変奏+終曲で構成されている。
原曲となった古い民謡は、「孔雀が舞い下りる 公会堂に、/多くの義賊たちを解放するために」という歌詞で、これは、大昔、オスマン帝国の支配に対する農民の抵抗をうたったものらしい(くじゃくは、ハンガリーの国鳥で、革命と平和の象徴)。コダーイとしては、作曲当時、勢力を増していたナチスドイツへの抵抗の意味も込めていた。
この民謡の歌詞は、ハンガリーのひとびとにとっては、一種の国民詩である。実は、民謡の歌詞をもとに、さらにはっきりした抵抗の詩に昇格させた詩人がいるのだ。ハンガリーの国民詩人、アディ・エンドレ(1877~1919)である。その詩の題名は同じ「孔雀は舞い下りた」だが、アディは、そこへ呼びかけのような詩句を加えた。
あたらしい風が、旧(ふる)いハンガリーの樹を唸らせている。
私たちはすでに待ちわびていたのだ あたらしいハンガリーの奇蹟を
あたらしい炎(ほむら)よ、あたらしい信仰よ、あたらしい鍛冶屋よ、おまえは燃えつづけてくれるだろうか。
コダーイは、1936年に、このアディの詩を、民謡原曲のニュアンスも取り入れながら、男声合唱曲にしている。男声合唱団の経験のある方だったら、有名曲だから、ご存知だろう。この旋律をもとに、3年後、上述の変奏曲を書いたのである。
ちなみに、アディには、こんな詩がある。
ひとり海辺で
海辺、たそがれ、ホテルの小部屋。
あのひとは行ってしまった、もう会うことはない。
あのひとは行ってしまった、もう会うことはない。
(略)
あたりにただようあのひとの残り香。
波の音がきこえる、心なき海のたのしげなその歌。
波の音がきこえる、心なき海のたのしげなその歌。
(略)
はるかにまたたく燈台のひかり。
いざ来たれ、いざ来たれ、海の歌声はくりかえし呼ぶ。
いざ来たれ、いざ来たれ、海の歌声はくりかえし呼ぶ。
(後略)
さすがに訴訟沙汰になったが、その後、たしか、和解したと思う。
ちなみに原詩は、1907年刊行の詩集『血と金』に収録されていた。
<敬称略>
※文中の詩は、すべて『アディ・エンドレ詩集』(徳永康元・池田雅之 共訳・編/恒文社、1977年刊)より引用しました。
◆10月の「BPラジオ」で、「独立100年、ハンガリー音楽の魅力」を特集しています。
<FMカオン>10/6(土)23時、10/20(土)23時
<調布FM>10/7(日)正午、10/21(日)正午
※パソコンやスマホで聴けます。詳しい内容・聴き方は、こちら。
◆「富樫鉄火のグル新」は、吹奏楽ウェブマガジン「BandPower」生まれです。第132回以前のバックナンバーは、こちら。
◆毎週(土)23時・FMカオン、毎週(日)正午・調布FMにて、「BPラジオ/吹奏楽の世界へようこそ」パーソナリティをやってます。
パソコンやスマホで聴けます。 内容の詳細や聴き方は、上記「BandPower」で。
◆ミステリを中心とする面白本書評なら、西野智紀さんのブログを。
最近、書評サイト「HONZ」でもデビューしています。