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2018.11.30 (Fri)

第216回 《秘儀Ⅶ〈不死鳥〉》

広島WO
▲11月29日、東京芸術劇場にて。

 2008年に浜松で開催された、第1回「バンド維新」における、西村朗《秘儀Ⅰ》には、ビックリしてしまった。なにしろこっちは、あまり程度の高いオツムではないので、タイトルからして、『エクソシスト』の悪魔払いや、『モスラ』のインファント島の儀式を想像していた。
 ところが、これが当たらずとも遠からずで、作曲者本人の解説によれば、終結部は「旋回舞踊の興奮恍惚のきわみに至り、舞踊者 (シャーマン) はトランス状態で失神する」などと書かれていた。アマチュア(特に中高生)が主な対象と思われる新作発表の場で、「失神」音楽が披露されたのだ。小編成の吹奏楽で、これほど重厚かつ深淵な表現が達成できたことにも感動した。

 実際、この曲は大好評だった。2014年の第7回「バンド維新」で、《秘儀Ⅱ〜7声部の管楽オーケストラと4人の打楽器奏者のための》が発表された。
 さらに2015年度には、全日本吹奏楽コンクール課題曲として、委嘱作品、《秘儀III ~旋回舞踊のためのヘテロフォニー》が発表された。
 そして昨2017年、第10回「バンド維新」で、《秘儀IV〈行進〉》が発表される。この第4弾は、今年度のコンクール自由曲としても大人気で、大編成向けに改訂して演奏する団体もあった。

 かくして《秘儀》シリーズ計4作は、日本吹奏楽界における重要レパートリーとして定着した……はずなのだが、先日、広島ウインドオーケストラ結成25周年記念の東京公演(11月29日、東京芸術劇場)があり、その演奏曲目に、こうあった。
 西村朗作曲《秘儀Ⅶ〈不死鳥〉》初演
 なんと「Ⅶ」の初演だという。わたしは「Ⅴ」「Ⅵ」を知らない。一応、えらそうに「音楽ライター」なんぞと名乗って、吹奏楽のことを書いている身として、《秘儀》Ⅴ、《秘儀》Ⅵを知らなかったとは、痛恨の極みである。

 さっそくあれこれと検索してみたのだが、それらしい情報は見つからなかった。いったい、どういうことなのか。
 わたしの中高生時代、シューベルトの交響曲《未完成》は第8番で、《ザ・グレート》が第9番だった。いまは前者を第7番、後者を第8番と呼ぶことが多い。ドヴォルザークの第9番《新世界より》も、昔は第5番だった。なにか、これに似た「番号見直し」でもあったのだろうか。

 ところが、当日、会場に行ってみて、演奏前のトーク解説(作曲者自身と、広島WOのプログラミング・アドヴァイザー国塩哲紀氏)を聴いたら、意外と呆気ない内情だった。
 国塩氏は「バンド維新」の仕掛け人のひとりである。《秘儀》誕生にも大きくかかわってきた。今回、広島WOの25周年にあたり、《秘儀》の新作を委嘱した。ところが、「Ⅴ」は、すでに作曲予定があるという。作曲者は最終的に「Ⅹ」まで書くつもりでいる。だったらもう、何番でもいいんじゃないか。残りのⅥ~Ⅹの中の、お好きな番号にしてください。そうか、ならば過去の7番の名作……ベートーヴェン第7番、シューベルト第7番《未完成》、ブルックナー第7番などにちなんで「Ⅶ」にしよう。
 かくして5番目の《秘儀》は「Ⅶ」になったのだった。
 当日の公演に行けず、疑問を抱えたままの方々、以上のような事情です。

 なお、紙幅がないうえ、今後、しかるべきメディアで、プロの的確な評が出ると思うので略すが、《秘儀Ⅶ〈不死鳥〉》は、もちろん素晴らしい曲だった。下野竜也氏の的確な棒さばき、ユーフォニアム外囿祥一郎氏の超絶技巧(長生淳作曲、ユーフォニアム協奏曲《天涯の庭》)、広島WOの鳴らしすぎないていねいな音。吹奏楽オリジナル曲のコンサートならではのひとときだった。
<一部敬称略>

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2018.11.27 (Tue)

第215回 御恩屋

ゴーン
▲実は、前から警鐘は鳴っていた。


 いまさらこんなことを書くと「後出しジャンケン」だといわれそうだが、1999年にカルロス・ゴーンが日産に入社したとき、近来稀に見る悪人ヅラだと思って、びっくりした記憶がある。よく、こんな顔をした人間を日産のような大企業が迎えたものだと、逆に感心した。
 当時、知人と呑み屋で、「あの顔のまま、時代劇の扮装をしたら、悪徳商人役ができそうだな」と話したのを覚えている。賄賂をおくった大名から「御恩屋、おぬしもワルよのう」とからかわれると「なんの、50億円くらい、いくらでもひねりだせますゆえ。フッフッフッ」とでも言いそうな顔だ。
 しかし、大幅な人員削減や工場閉鎖、「Keiretsu」(系列会社)破壊はあったが、日産が抱えていた2兆円の有利子負債は、とにかく数年で消えた(もっとも辛口評論家にいわせると、こういうコストカットは、1990年代初頭からどこの自動車メーカーも取り組んでいたのに、日産は遅すぎたのだという)。
 ではその後、御恩屋の顔が善人ヅラになったかというと、それほど変わらなかったような気がする。

 むかしから、人間を外見で判断してはいけないと言われてきた。だが、『人は見た目が9割』がベストセラーになったことからも察せられるように、やはり、顔には、内面が出るものだと思う。眉間にシワを寄せた顔といえば、芥川龍之介や、ベートーヴェン、シベリウスの肖像が有名だが、彼らと御恩屋とは、なにかが決定的にちがう。
 入社直後、都市対抗野球を見学に行ったら「これこそが日本の企業文化の象徴だ」と大感動し、廃止が囁かれていた野球部の存続を表明した……にもかかわらず、その後、赤字になりかけるとすぐに(ほかの運動部ともども)廃止させた、あの変わり身の素早さというか、言行不一致は、あのツラがまえだからこそ、できたように思う。

 それにしても、よくまあ、日産ほどの大企業を、あそこまで食い物にしてきたものだと驚く。結局、いまでも日本は「連合軍」に占領されつづけているのではないか。
 日本は、1945(昭和20)年の敗戦後、連合軍(実態はアメリカ)に占領された。東京裁判では不当に重い判決が頻発し、『私は貝になりたい』が生まれた。日米安保条約には、米軍基地だらけになる仕組み(事実上の占領延長)が紛れ込んでいた。
 やがて、アメリカ大衆文化の親玉「ディズニーランド」がやってきて、日本人を骨抜きにしはじめた。いい歳をして虚妄のぬいぐるみに抱きついて喜ぶ日本人を大量発生させた(1983年の開園時、幼稚園児だった世代は、すでに40歳代)。さらにディズニーは、ジブリ作品の海外配給権を入手した(よってアメリカ人にとって、ジブリ作品=ディズニー・アニメ)。さらに「スター・ウォーズ」「マーベル」まで買収し、日本でも大安売りをはじめた。

 そして今度は、フランスの自動車屋に、いいように弄ばれ、しゃぶりつくされた。明治時代の遊郭を舞台にした映画『骨までしゃぶる』(1966年、東映、加藤泰監督)を思い出す。
 結局、連合軍にとって、日本は、いまでもメシのタネであり、だましやすいガキの国なのだ。占領軍、ディズニー、そしてルノー=御恩屋……「第三の占領」といいたくなる。
<敬称略>

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2018.11.21 (Wed)

第214回 手塚治虫 生誕90周年

手塚
『手塚治虫 原画の秘密』(手塚プロ編/新潮社とんぼの本) 
※手塚先生の没後、わたしが担当編集した本。2006年刊行だが、いまでも読まれているロングセラー。


 1988年9月、ミラノ・スカラ座の来日公演があり、NHKホールで、プッチーニの《トゥーランドット》を観た(ロリン・マゼール指揮、フランコ・ゼッフィレッリ演出)。
 第1幕後の幕間に、ロビーを歩いていたら、隅のほうに、手塚治虫先生がポツンと立っていた。驚いた。そのころ、先生は、体調を崩して入院中だと聞いていたからだ(あとで公表されるのだが、胃ガンだった)。
 わたしは、先生の生前に、著書や作品の担当をしたことはないが、対談やインタビューで何度かお世話になっていた。しかも、出版編集の仕事に興味を持つようになった、おおもとのきっかけを与えてくださった方である。よく「漫画の神様」と称されるが、私自身にとっても神様のような方だった。

 わたしはすぐに走り寄って、あいさつをした。顔色も暗く、やせて、なんとなく呆然としているように見えた。顔もひとまわり小さくなり、ベレー帽がゆるそうだった。これほどの方が、まわりに誰もいなくて、ひとりでポツンと立っているのも不思議だった。
「先生、入院中だとうかがってましたが、大丈夫なんですか」
 手塚先生は、いかにも「まずいところを見られた」とでもいうような表情で、小声で、
「病院から、こっそり抜け出してきたんです。松谷(手塚プロ社長)も知らないんです。見つかったら、まずいんです」と恥ずかしそうに語った。
「そうですか。ご無理ないですか」
「まあ、大丈夫です。この演出、前から観たかったんですよ。派手でいいですよねえ」
 確かに、《トゥーランドット》は、このフランコ・ゼッフィレッリの演出が最高傑作といわれている。ミラノ・スカラ座のほか、メトロポリタン歌劇場も同演出である。
 それにしたって、胃ガンで入院闘病中だというのに、抜け出して、3~4時間かけてオペラを観るとは、すさまじい体力と好奇心である。
 第2幕の開幕アナウンスがあり、笑って手を振りながら客席へ戻っていく手塚先生の背中を眺めて、少々、鬼気迫るものさえ感じた。

 11月20日に、帝国ホテルで「手塚治虫生誕90周年記念会」があった。おそらく1,000人は下らないと思われる招待者で、巨大な孔雀の間が、まさに山手線なみの混雑であった。わたしのカンだが、あそこには、昔ながらの出版関係者以外のほうが多かったような気がする。手塚キャラを使用している企業や団体などだ。それだけ、手塚作品は、広がりを見せているということだろう。
 そういえば、シエナ・ウインド・オーケストラが、創立30周年を迎えた年、『火の鳥』を記念キャラに制定し、手塚プロとの様々なコラボを展開したことがある。鈴木英史の吹奏楽オリジナル曲《鳳凰〜仁愛鳥譜》も『火の鳥』に触発されて生まれたし、宮川彬良の組曲《ブラック・ジャック》は、手塚の同名作に感動し、自主的に作曲された。
 手塚作品は、意外と吹奏楽界にも影響を及ぼしているのである。

 手塚先生が亡くなったのは、わたしがNHKホールでお会いしてから5か月後。昭和天皇が崩御し、平成となってすぐの、1989(平成元)年2月だった。60歳の若さだった。
 あれから約30年。その平成も終わろうとしている。
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2018.11.13 (Tue)

第213回 最後の普門館

普門館2
▲開放された、普門舘の舞台

 わたしが普門館へ初めて入ったのは、大学生だった1977年11月の全日本吹奏楽コンクール(全国大会)、および、カラヤン&ベルリン・フィル公演だった――と、あちこちに書いてきた。
 ところが、先日、古い資料をひっくり返していたら、1973年の東京都大会のプログラムが出てきて、会場が「普門館」となっていて、驚いた。この年、わたしは中学3年だったが、まちがいなく、この大会を聴きに行っている。中学の部の課題曲、兼田敏《吹奏楽のための寓話》を演奏する豊島十中や赤塚三中をはっきり覚えているし、だいたい、実際に行ったからこそ、プログラムを購入できたはずである。
 しかし、会場が普門館だったことは、まったく忘れていた。てっきり、杉並公会堂あたりだと勝手に思い込んでいた。記憶なんて、いい加減なものである。

 そんな普門館が、ついに閉鎖・解体されるにあたっての、舞台の“一般開放”(11月5~11日)に行ってきた。建物の閉鎖にあたり、このようなイベントが、よく行なわれるものなのか、わたしはまったく知らない。だが、こんなひねくれ者のわたしが、思わず感動させられてしまった。というのは、普門館の運営側スタッフ(立正佼成会、佼成文化協会、佼成出版社、東京佼成ウインドオーケストラなど)の対応やホスピタリティが、見事だったからである。
 そもそも、この種のイベントで、入場無料なのはわかるとしても、予約不要であることに驚いた。わたしも仕事柄、さまざまなイベントにかかわっているが、何人くらいのひとが来るのか、まったくわからずに1週間、毎日、来場者を迎えるなんて、よくできたと思う。来場者には、受付で、ロゴ入りの外壁タイル片(補修用の予備)、御礼カードが全員に配布された。吹奏楽コンクールを主催する朝日新聞によれば、7日間でのべ12,000人が来場したという(ちなみに、今回は毎日新聞やフジテレビも報道していた)。

 中は、てっきり、ロープでも張られていて、舞台上を下手から上手へ、5,000席の客席を眺めながら、時間制限にあわせて移動させられるものだとばかり思っていたのだが、まったく自由だった(客席の天井部分が耐震強度不足なので、客席には降りられない)。しかも楽器持参OK、舞台上での演奏自由、入れ替えもなかった(混雑時、少々、入場を待たされたが)。そのため、いつまでも多くのひとたちが、昔の「吹奏族」のように突発的な合同演奏を楽しんでいた(わたしが行った時は、《宝島》を何度も演奏していた)。
 わたしは、1964年の東京オリンピックの閉会式を思い出していた。何の制限もなく、自由に世界中のひとたちが、国立競技場で交流する姿は、子供心にも忘れられない。あれに、どこか似ていた。多数のスタッフが要所にいたが、立ち入り禁止エリアに入りかけたひとを注意する程度で、あとはおかまいなしであった。スマホでの写真撮影も、積極的に手伝ってくれた。

 今回のイベント主宰者の一社、佼成出版社が刊行している児童向け絵本に『虹の橋Rainbow Bridge』(絵・文/葉 祥明)がある。すでに2007年に刊行された本だが、最近、TVドラマの中で、この絵本と同じエピソード(先に逝ったペットは、天国の手前にある虹の橋のたもとで、飼い主が来るのを待っている)が紹介されたせいもあり、人気が再燃しているようである。いうまでもなく普門館はペットではないが、これだけのひとたちに愛され、惜しまれて記憶に残れば、まさしく虹の橋のたもとで再建されたようなものだと思った。
 これもしばしば書いてきたが、わたしは自宅が近くだったので、この建物を建築中から見てきた。そしていま、まさか、最後も見ることになるとは、夢にも思わなかった。その最後を、こんなに気持ちよく迎えられるとは、これまた予想しなかった。関係各位に心からお礼を言いたい。

普門館1
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