2019.03.27 (Wed)
第233回 イチロー引退

▲イチローよりも、こういうものから「感動」を得る人間もいるのです。
わたしはかなり重症のスポーツ音痴で、野球のルールもまともに知らない人間なので、以下に書くことは、かなりの的外れ、かつ、不快な思いを抱かせることと思う。よって、お叱りを承知で書く。
イチローが引退を発表したが、直後のメディアの右へ倣えぶりには、驚いた。一般紙、スポーツ紙の騒ぎ方には、「イチロー引退を盛り上げなければならない」との無理やり感が、溢れていたように感じた(わたしはTVをあまり観ないのだが、たぶん、新聞よりすごかったのではないか。ラジオは、どこもほぼ通常通りだったが)。
航空会社が、彼が乗る帰国便の搭乗ゲートを「51」に変更した、そのことを大ニュースのように報じるに至っては、大のおとながやることとは思えず、恥ずかしささえ、感じた。
日本人は、本来、こういう騒ぎ方を嫌う民族ではなかったのか。その精神が、和歌や俳諧、茶・華・書道、相撲における力士の態度、さらには雅楽や、能・狂言を生んだのではなかったのか。
上述のように、わたしはスポーツ音痴なので、イチローの残した記録や足跡は、すごいらしいのだが、正直、よくわからない。日本のスポーツ選手が海外で好成績をおさめると、「感動をありがとう」「元気をもらった」と、新聞に見出しが出る。だが、そのような経験も記憶も、わたしには、ない。
そういえば、作家・曽野綾子さんによる、産経新聞の連載エッセイ「透明な歳月の光」が、3月27日付の「第843回」で終了した。23年にわたる連載だった。ここから、どれだけ「やる気」をいただいたか、わからない。要は、ひとそれぞれなのである。
そもそも、お前には、感動や憧れの対象はないのか、と問われれば、もちろん、ある。ただそれが、コナン・ドイルの『失われた世界』だったり、手塚治虫の『鉄腕アトム』だったり、映画『大脱走』だったり、レナード・バーンスタインだったり、テオ・アンゲロプロスだったり、あるいは、吹奏楽コンクール課題曲《五月の風》(真島俊夫作曲)だったりするので、即座に共感してもらえるひとなどめったにおらず、よって、あまり口に出さないのである。
だが、イチロー引退は、これだけメディアが取り上げているのだから、誰もが話題にしているのかと思いきや、少なくとも、わたしの周囲には、ひとりもいなかった。
強いていうと、翌日、近所の居酒屋で、TVでニュースを見ていたオヤジ客が「イチローも歳だから、しゃーねーわな」と口ずさんでいた、それだけだった。そのオヤジ客は、別に残念そうでもなく、ましてや感動を与えられた様子もなく、不愛想な表情で「じゃ、お勘定して」と帰っていった。
つまり、どうやら、メディアの様相と、一般社会の現実は、一致していないようなのである。今年の大河ドラマ『いだてん』第一回放送直後、ツイッターを見たら、絶賛の嵐だった。特に宮藤官九郎の人気はすごいものがあった。この調子だと、今年の大河ドラマは高視聴率なのだろうと思いきや、ご存知のように、すさまじい低視聴率である。これも、メディアの様相と現実が一致していない一例だろう。
わたしは戦前のことなどまったく知らないが、日本が戦争に傾倒していくときの空気は、こんな感じだったのではないだろうか。「みんなで〇〇しよう」「同じ気分で盛り上がらなければ損だ」「誉めよ、讃えよ」……と。
こういう原稿で、「イチローは、たしかにすごい選手だと思う」「イチローの活躍を否定するつもりなど、毛頭ない」みたいな“前置き”を書くひとがいる。だが、それすら書けないほど、なにも知らない、わたしのような世間知らずもいるのだ。そして、そういう連中も、少しは声をあげておかないと、メディアにだまされっぱなしになる、そんな気がしてならないのである。
もちろん、「そんなに知らなきゃ、黙ってろ」と言われれば、それまでです。
すいません。
<一部敬称略>
【ご案内】
3月23日(土)19:00~19:55、文化放送の特別番組「普門館からありがとう~東京佼成ウインドオーケストラとコンクール課題曲」に、解説ゲストとして出演しました。
現在、アーカイブで聴けます。※4月30日(火)23:59まで
お時間あれば、お聴きください。
(富樫鉄火)
◆「富樫鉄火のグル新」は、吹奏楽ウェブマガジン「BandPower」生まれです。第132回以前のバックナンバーは、こちら。
◆毎週(土)23時・FMカオン、毎週(日)正午・調布FMにて、「BPラジオ/吹奏楽の世界へようこそ」パーソナリティをやってます。
パソコンやスマホで聴けます。 内容の詳細や聴き方は、上記「BandPower」で。
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2019.03.20 (Wed)
第232回 安重根と朴烈

▲左:文学座公演『寒花』、右:映画『金子文子と朴烈』
日韓関係が何かと話題になっているこの時期に、日本側に逮捕された朝鮮人死刑囚を描く作品が2作、映画と舞台に同時に登場した。
まずは、文学座公演『寒花』(鐘下辰男:作、西川信廣:演出/3月4~12日、紀伊國屋サザンシアターTAKASHIMAYAにて)。1997年に文学座アトリエ公演で初演された名作の再演である。
明治末期。真冬の旅順の監獄。伊藤博文を暗殺した安重根(瀬戸口郁)が収監され、死刑の執行を待っている。監獄長、看守長、外務省官僚、監獄医など、様々な立場の日本人が登場し、安重根の処遇をめぐって対立する。維新時に賊軍扱いされたもの、世が世ならこんなところで働いているはずはない旧士族……中でももっとも接触が多い通訳の楠木(佐川和正)は、安重根のあまりに落ち着いた、そして、自らの死をキリストの磔刑と重ねあわせる姿に動揺と衝撃をおぼえる(安重根はクリスチャン)。楠木は兄を日露戦争で失っており、残された母親はそのショックで半ば錯乱状態である。
その母親と安重根が抱きあうクライマックスは、忘れがたい名場面となった。
裁かれる人間が達観して、裁く側が混乱・対立している。西南戦争が終わって約30年。そろそろ旧幕世代がいなくなり、江戸時代を知らない新世代が台頭し始めている。そんな“時代の変わり目”に戸惑う日本人の姿を、安重根と対照させながら描き、まさに平成の終わりにふさわしい作品となった。初演で楠木を演じた瀬戸口郁が、今回は安重根を演じ、少ないセリフながら圧巻の名演技を見せた(3月5日所見)。
もう1作は、韓国映画『金子文子と朴烈(パクヨル)』(イ・ジュンイク監督、韓国/2017年)。
いわゆる“朴烈事件”の映画化。日本で活動していた無政府主義者・朴烈と、恋人の金子文子が、大正から昭和にかけて、日本の権力機構と対決する法廷・獄中ものである。文子の獄中手記『何が私をこうさせたか』(岩波文庫)や、瀬戸内寂聴『余白の春 金子文子』 (岩波現代文庫)、あるいは、松本清張「朴烈大逆事件」(『昭和史発掘』第1巻所収、文春文庫)などで知られている事件だ。
2人は、関東大震災直後に発生した朝鮮人虐殺騒動を隠ぺいするためのスケープゴートとして逮捕されるが、朴烈が公判中に天皇暗殺計画を“告白”したため、一転、世を震撼させる大逆事件となる。その過程が、スリリングに描かれる。
この事件では、公判中に撮影されたらしき、読書中の文子を朴烈が後ろから抱く“怪写真”(映画ポスターの構図)がばら撒かれて、政治利用される奇妙な展開を見せた。このあたりを、もう少し突っ込んで描いてほしかったが、時間切れのようで残念だった。
映画では、一部の日本人役を韓国人俳優が演じているが、違和感は少ない。特に文子を演じたチェ・ヒソは、ほとんどのセリフが日本語だが、まったく自然だった(小学生のころ、大阪で暮らしていたらしい)。
そのほか、日本からは、金守珍を筆頭に、新宿梁山泊の面々が参加。韓国映画界が、日本を舞台にした映画で、これだけのものをつくったことに驚きを覚えた。
ただし、朴烈の描かれ方には、限界がある。現実の朴烈は、恩赦で死刑から無期に減刑され、獄中で転向、戦後に出獄した(松本清張によれば「監獄ボケ」となった)。
その後は現在の民団(在日本大韓民国民団)の前身団体を組織、初代委員長となる。
やがて朝鮮戦争下の韓国へ帰るが、北朝鮮にわたり(逮捕?)、南北融和団体の長になったといわれている。
晩年の詳細は不明だが、北でスパイ容疑をかけられ、処刑されたとの説もあるらしい(一方、文子は不審な獄中自死をとげている)。
朴烈がそれほどの変節と転向を繰り返したことは、映画では、触れられない。エンディング・クレジットのなかで、「出獄時、大歓迎された」とあるだけだった。
余談だが、映画にも出てくる、文子と朴烈が出会った有楽町のおでん屋は、いまでも健在である。場所は日比谷側に移り、おでん屋ではなくなったが、定食屋「いわさき」がそれだ。
<敬称略>
*映画『金子文子と朴烈(パクヨル)』は、渋谷のイメージ・フォーラムで公開中(3月29日現在)。
【ご案内】
3月23日(土)19:00~19:55、ラジオの文化放送で、サタデー・プレミアム「普門館からありがとう~東京佼成ウインドオーケストラとコンクール課題曲」が放送されます。わたし(富樫鉄火)も解説ゲストで出演する予定ですので、お時間あれば、お聴き下さい。
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2019.03.14 (Thu)
第231回 バッハのオペラ《村の出戻り娘》

▲砂川しげひさ『のぼりつめたら大バッハ』(1993年8月、東京書籍刊、絶版)
3月6日に亡くなった漫画家の砂川しげひささん(享年77)とは、1990年代の前半、担当編集者としてお付き合いがあった。だが、実際には、仕事を離れて、ご自宅そばの西荻窪駅前の焼き鳥屋で、音楽の話ばかりしていた。
ご存知の通り、砂川さんは、たいへんなクラシック・マニアである。一時期、漫画よりも、クラシックに関するエッセイ本のほうが多かったくらいだ。
砂川さんと語り合う音楽の話は、ほんとうに楽しかった。
そんな砂川さんから、あるとき、CD-Rが送られてきた(MDだったかもしれない)。バッハのカンタータの抜粋集らしい。
当時、砂川さんは、バッハのカンタータ全曲(約200曲)聴破に挑戦していたので、おそらく、ご自分で選んでダビングした「ベスト・カンタータ集」なのだろうと思い、聴いてみた。
すると、どうも変な内容なのだ。
たしかにバッハのカンタータなのだが、選ばれている曲が、なんとなく「激しい」というか、「にぎやか」な部分ばかりなのだ。わたしは、バッハのカンタータなんて、《主よ人の望みの喜びよ》とか《羊は静かに草を食み》などの有名曲しか知らなかったので、こんなド派手な曲もあるんだなあ……などと思い、あらためて同封されていたメモを見ると……なんと「バッハ作曲の新作オペラ《村の出戻り娘》全4幕」とある。
要するに、バッハのカンタータ約200曲から、諸所を抜き出し、「オペラのような物語のある流れ」に並べたものなのだ。内容は村娘をめぐるドタバタ・コメディで、《コーヒー・カンタータ》や《農民カンタータ》など、いわゆる世俗カンタータからの抜粋が中心だった。
「バッハの教会カンタータは、たしかに宗教曲だけど、世俗カンタータの方は、かなり人間臭い内容なんだ。全曲聴破をしながら、そういう部分をメモしていて、あるとき、これをつなげたら、オペラになりそうだなと思って」
まったくちがった曲の中から、それらしき部分を抜き出して「新作オペラ」に仕立ててしまう、そんな砂川さんの才能、マニアックぶり、入れ込み方に、感動してしまった。
さっそくわたしは編集会議で「これをCD化し、砂川さんの解説イラスト・エッセイを加えたCDブックにして出したい」と提案した。しかし、ほかの全員、ポカンと口をあけたままで「いったい、それの、どこがおもしろいのか」と、歯牙にもかけてもらえなかった。
かなりあとになって、いつもの焼き鳥屋で会い、企画として実現できなかったことをお詫びすると、
「いや~、あのときボツになってよかった。実現していたら、手が付かなかったよ」
と、レバ焼きを頬張りながら、いう。どういうことかというと、
「実はあのころ、朝日新聞の夕刊で、4コマ連載をやることが決まっていたんだ」
とのことだった。当然ながら、夕刊のない休日以外は、毎日毎日、描くことになる。
「こんなグータラ人間だから、新聞連載なんて無理だと思い、すぐに返事できなかったんだけど……でも、いい機会だから、やってみようと思って」
たしかに、新聞連載とあっては、バッハどころではない。
朝日新聞連載『Mr.ボオ』は、1996年4月からスタートした(その後、『ワガハイ』と改題)。砂川さん特有の、少々頼りないヨレヨレした線が不思議な味わいを醸し出す、ちょっと前衛的な漫画だった。主人公は、人間から、猫の「ワガハイ」にかわりながらも、連載は2002年3月までつづき、その後もウェブサイトで継続した。
夕刊とはいえ、全国紙に、毎日、砂川さんの漫画が載るなんて、担当者として、夢のような気分だった。当時、「おめでとうございます。ほんとうによかった」と、お礼を述べたが、砂川さんが、どこか遠くへ行ってしまうような気もした。
バッハ「作曲」のオペラ《村の出戻り娘》は、「台本」が、エッセイ本『のぼりつめたら大バッハ』(東京書籍刊、絶版)に収録されている(カンタータ全曲制覇の解説もあり)。砂川さんの、楽しい舞台スケッチのイラストも付いている。ご自身の解説によると、似たような試みはすでに行なわれており、1924年に、メトロポリタン歌劇場で、カンタータ第201番《急げ、渦巻く風ども》BWV201が、オペラ《フォイボスとパンの争い》として、トーマス・ビーチャム指揮で上演されているのだという。
う~ん、砂川さん、惜しかったですね。
実現していたら、《村の出戻り娘》は、いまごろ、METライヴビューイングで上映されていたかもしれないのに!
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2019.03.07 (Thu)
第230回 映画『よあけの焚き火』

▲映画『よあけの焚き火』
狂言の世界を題材にした、ユニークな映画が公開されている。題を『よあけの焚き火』という。監督は、小栗康平の監督助手などをつとめ、工芸技術の記録映画などを撮ってきた、土井康一。これが劇映画デビューらしい。
主人公は、能楽師大藏流狂言方の大藏基誠(1979~)と、10歳の長男・大藏康誠(2008~)。650年以上の歴史をもつ狂言方の家で、基誠は、二十五世宗家大藏彌右衛門の次男である。
映画は、この父子の稽古と日常を描く/演じるものだ。なぜ「描く/演じる」なんて妙な書き方をしたのかというと、この映画は、ドラマとドキュメンタリがない交ぜになった、不思議な構成なのである。
父子は、春休みを、蓼科にある山小屋のような古い稽古場で過ごす。カメラは、その数日間を追う。父・基誠も、若いころ、この山小屋で先代の父から稽古を付けられた。炭をつかう囲炉裏などもあり、なかなか風情のある別荘である。到着するや、父は息子に、家内の清掃をさせる。
なるほど、歴史ある狂言方の家ともなると、こういう、人里はなれた地の稽古場で修業するのかと感心させられる。
ところが、この山小屋は、映画用に借りた他人の家で、事実上「ロケ・セット」なのだった。ゆえにここでの父子の生活は「フィクション」なのである。終映後、来場していた監督にそれを聞かされ、驚いてしまった。どう見たって「ドキュメンタリ」だと思っていたのに……(狂言の稽古場が、板張りでなく畳であることに疑問を持つべきだった!)。
父子は、食事中や散歩中の日常会話が、いつの間にか『神鳴』『附子』『栗焼』などの狂言になっていく。アドリブなのか台本なのか、実に魅力的なシーンである(これも監督にうかがったのだが、大藏家では、これが日常的なことらしい)。
やがて映画は、「フィクション」(ドラマ)の様相を深めていく。
近所に住む老人(坂田明)が、野菜を届けてくれたり、ボイラーの修理をしてくれたりする。この老人が、中学生くらいの孫・咲子(鎌田らい樹)を連れてくる。震災で両親を失ない、祖父に引き取られてこの地で暮らしている。突然家族をなくしたショックで、なかなか心を開こうとしない。
この咲子が、10歳の康誠と仲良くなり、二人で森の中を散策するようになる。次第に狂言に興味を持ち始め、一緒に稽古を付けてもらったりする。
650年の歴史を守り、芸を伝えて残さなければならない父子。これに対し、両親を失ない、誰からも、何も伝えてもらえなくなった少女は、大藏父子に接することで、少しずつ、何かを取り戻してゆく。
そんな彼らの姿が、美しい蓼科の冬の終わり~早春の光景のなかで、点描のように静かに展開する。品のある音楽(坂田学)が、要所を締めるように響いて心地よい。
冒頭のセルリアンタワー能楽堂から、クライマックスの岡崎城二の丸能楽堂における父子共演『痿痺』(しびり)まで、新鮮な空気をたっぷり吸い込んだような、気持ちのいい72分間だった。
狂言の知識は不要。不思議なタイトルも含めて、メタファー的場面も多いが、あまり深く考えず、気軽に観たほうがいいと思う。芸事の世界にいる方、または「伝える」ことにまつわる仕事や生き方をされている方には、特に観ていただきたい。
<敬称略>
■映画『よあけの焚き火』は、東京・中野の「ポレポレ東中野」で上映中。3月22日までは12:40/14:40/18:20の1日3回上映。以降は時間帯変更予定。
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2019.03.06 (Wed)
第229回 「こちらヒューストン」「すべて順調です」

▲アポロ13号のアクシデントを描く、清水大輔《マン・オン・ザ・ムーン~エピソード2》。
今月のFM番組「BPラジオ/吹奏楽の世界へようこそ」(FMカオン:土曜23時~、調布FM:日曜正午~)で、「月面着陸50年! 吹奏楽で聴くアポロ計画ヒストリー」を放送する。たまたま、映画『ファースト・マン』が公開されているが、今年は、アポロ11号の月面着陸から50年にあたる。
宇宙開発エピソードは、意外と多くの吹奏楽曲になっている。たとえば、人類初の宇宙飛行士、ソ連のガガーリンを描く《ガガーリン》(ナイジェル・クラーク作曲)、《アポロ11/月へのミッション》(オットー・シュワルツ作曲)、そして、清水大輔作曲の《マン・オン・ザ・ムーン》シリーズなど……。
FMでは、これらの曲を流すのだが、やはり、わたしの世代には、1969年7月の、アポロ11号月面着陸が強烈な印象を残している。
このとき、わたしは小学校5年生だった(月面第一歩は、日本時間で7月21日午前11時56分。ということは学校で見たのだろうか。もう夏休みだったのか、あるいは夜に自宅で再放送を見たのか)。
スタジオで番組を仕切っていたのは、鈴木健二アナウンサーだった(らしい。当時はこんなひと、知らなかった)。先日、産経新聞に、当時を振り返るインタビューが載っていたが、月面第一歩の際、鈴木氏は“沈黙の中継”を行なったという。「何も言わず、無言で見守り、画面ではアームストロング船長の声だけが淡々と流れていました」。36年間のアナウンサー生活で「最高のアナウンスだった」と自負しているそうだ(産経新聞2月25日付「話の肖像画」より)。
だが、これは正確ではない。確かに鈴木アナは沈黙していたかもしれないが、「同時通訳」はつづいていたはずだ。わたしは、「人類が月面を歩く」偉業よりも、この「同時通訳」のほうが、気になって仕方なかった。こんな仕事があるなんて、夢にも思わなかった。なにしろ、地上と月面とが、雑音だらけの英語で会話しているのを聴きながら、その場で日本語にしていくのだ。よくそんなことができるものだと、子供心にも、びっくりしてしまった。
おそらく当時の日本人のほとんどが、「同時通訳」の存在を、このとき、初めて知ったのではないだろうか。
この同時通訳を担当したのが、西山千さん(1911~2007)だった。
ほかにも何人かいたが、西山千さんがいちばん印象に残った。声がたいへんきれいで、カッコいい口調だったのだ。少々、英語なまりとでもいうのか、日本語のうまいアメリカ人が話しているような感じがあった(西山さんはアメリカで生まれ育った日系アメリカ人で、のち、日本に帰化したのだった)。
ほかの中継時には、たしか、鳥飼玖美子さんもいたと思う。数か月前まで、上智大学の学生だったそうで、これまた、こんなスゴイ仕事を平然とこなす女性がいることに、驚いてしまった。
おとなになって、どこかで読んだのだが、当初、同時通訳者はあまり画面に登場しなかったらしい。ところが視聴者から「あんなに早く訳せるわけない」「事前に録音してるんじゃないのか」との問い合わせが殺到した。そこで、スタジオの中で、アナウンサーの横に常に登場するようになった。その際、ヘッドフォンをしているのが、これまたカッコよくて、あの姿に憧れた日本人も、多かったと思う。
さらに、あの中継で忘れられないのは、ビーコン音の「ピー」につづいて、何度も登場する「こちらヒューストン」「すべて順調です」の2つのフレーズだった。地球側の発信基地を、組織名でなく地名で呼ぶことも初めて知った。
ちょっとした流行語になり、親に「ちゃんと勉強してるのか」と聞かれて「すべて順調です」などと答えていた。
翌1970年、このアポロ11号が持ち帰った「月の石」が、大阪万博アメリカ館で展示された。父と2人、仕事用の自家用車でヒイコラ言って東京から行ったが、結局、「月の石」は観られなかった。朝いちばんで入場して並んでも、その日のうちにアメリカ館に入れるかどうか、それほどの混雑だったからだ。
そんなことを思い出しながら、FM番組を制作した。
■「月面着陸50年! 吹奏楽で聴くアポロ計画ヒストリー」の放送は、4回あります。
FMカオン:3/9(土)23時、3/23(土)23時
調布FM:3/10(日)正午
※ともにパソコン、スマホで、全国どこででも聴けます。詳しくはこちら。
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2019.03.01 (Fri)
第228回 古典派時代の「吹奏楽」

▲東京佼成ウインドオーケストラ第147回定期演奏会 4月25日(木)、東京芸術劇場 コンサートホール
来月の東京佼成ウインドオーケストラ第147回定期演奏会で、ルイ・シュポア(1784~ 1859、ドイツ)の《ノットゥルノ》Op.34が演奏される。1820年頃に作曲された管楽アンサンブル曲、つまり19世紀初頭の「吹奏楽」曲である。こういう曲が、吹奏楽コンサートで演奏されるのは珍しいことだ。
この曲には、副題が付いている。校訂譜によって表現はちがうが、「For Harmonie and Janissary Band」または「For Turkish Band」。要するに「トルコ風軍楽のための」である。木管や金管などの「管楽器」のほかに、トライアングル、バスドラム、シンバルの3つの打楽器が加わる編成だ。これが「トルコ風軍楽」の特徴のひとつでもあった。当時の「吹奏楽」といえば、多くはこの「トルコ風軍楽」のことだった。このころ、ヨーロッパ、特にウィーンでは「トルコ文化」が大流行だったのだ。
かねてよりオスマン帝国(トルコ)は、何度となくヨーロッパ中央部に侵攻してきた。その最大規模が、1683年の第二次ウィーン包囲だった。これをヨーロッパ諸国連合が討ち破った。以後、諸国連合とオスマンは長期戦に入り、大トルコ戦争の果て、オスマンは、史上初めて領土を割譲させられるのである。
このときヨーロッパの、特にウィーンのひとびとは、巨大帝国に打ち勝った喜びをさまざまな形であらわし、やがて憧れのエキゾティシズムとなった。たとえば、パンのクロワッサン(三日月)は、オスマン(トルコ)の国旗の三日月を象ったものだ。また「コーヒー」も、敗走したオスマン軍が残していったコーヒー豆がきっかけで、ウイーンに定着し、カフェの発展を促したという。
だが、もっともわかりやすいのは「音楽」だろう。
ハイドンは交響曲第100番《軍隊》で、トルコの打楽器(上述3種)を使用した。
モーツァルトは、トルコを舞台にした歌芝居《後宮からの誘拐》を書き、ピアノ・ソナタ第11番やヴァイオリン協奏曲第5番にトルコ風の曲想を取り入れた。
べートーヴェンは、舞台劇『アテネの廃墟』の劇伴にトルコ行進曲を書いた。
リストは、ピアノ協奏曲第1番で、トライアングルをソロ楽器のように用いた。
ロッシーニの歌劇《イタリアのトルコ人》なんてのもある。
トルコは、昔から金属加工に優れていた。シンバルやトライアングルは、トルコ軍楽に取り入れられ、独特の金属加工技術でさらに磨き上げられ、定着したといわれている。シンバルに「ジルジャン」レーベルがあるが、これはシンバル製造の特許的技術をもつ、トルコで活躍したアルメニア人一族の名前である。
そのほか「太鼓」もトルコお得意の楽器だった。現在のティンパニは、トルコ軍楽隊がパレードする際、馬の両側にぶら下げて合図のリズムを叩いたものが原型と言われている。かつて、NHKのドラマ『阿修羅のごとく』(1979~80年、和田勉演出)のテーマに使用されて話題となったメフテル(トルコ軍楽)の、あの響きである。
冒頭で挙げたシュポアの《ノットゥルノ》も、この「トルコ風軍楽」スタイルで、打楽器3種が使用されている。シュポアは、ヴァイオリニストであり、指揮者であり、作曲家でもあった。ヴァイオリンの顎あてを発明したそうで、そのほか、初めて「棒」で指揮したり、スコアに練習番号を導入したり、なかなかのアイディア・マンだった。ベートーヴェンと親しく、彼の交響曲第7番の初演にも参加した。
そういえば、ベートーヴェンの交響曲第9番《合唱付》の第4楽章で、上述のトルコ打楽器3種が使用されている。1824年の作曲なので、シュポア《ノットゥルノ》とほぼ同時期の曲である。もしかしたら、ベートーヴェンは、この《ノットゥルノ》を聴いて(見て)、同じ打楽器の使用を思いついたのかもしれない。だとしたら、大昔の「吹奏楽」が、音楽史に残る名曲の誕生を促した可能性もあるわけで、そんなことを考えながら聴くのも、また楽しいと思う。
*3月の「BPラジオ/吹奏楽の世界へようこそ」で、「シュポアって誰? 管楽サンブルの魅力」が放送されます。詳しくは、こちら。
*東京佼成ウインドオーケストラ第147回定期演奏会
4月25日(木)、東京芸術劇場 コンサートホール、19:00開演
指揮:ポール・メイエ
詳しくは、こちら。
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