2019.04.18 (Thu)
第236回 よみがえるサリエリ(中)

▲最近、再び注目を浴びている、サリエリ「序曲集」(ナクソス、1991~92年録音)
(前回よりつづく)
わたしに、「作曲家」サリエリの魅力を教えてくれたのは、脚本家・作家の山崎巌さん(1929~1997)だった。
巌(がん)さんは、日活のベテラン脚本家だった。小林旭主演の「渡り鳥」シリーズを筆頭に、『赤いハンカチ』などの裕次郎もの、さらには『こんにちは赤ちゃん』『大巨獣ガッパ』『ハレンチ学園』など、100本以上を書いた。後年はTVに舞台を移し、『プレイガール』『遠山の金さん捕物帳』『大江戸捜査網』など、とにかく娯楽シナリオを書かせたら右に出るものなき職人だった。
そんな巌さんが、後年、小説を書くようになり、わたしが担当編集者になった。
1990年代初頭、オーディオ音声ドラマ(カセット)で、ピーター・シェファーの『アマデウス』を制作することになったが、音声ドラマ台本のいい書き手が見つからず、困っていた。音声ドラマとは、耳で聴くものなので、映像台本とはちがった技法を要するのだ。
あるとき、巌さんと食事しながら、その話をしたら、「それ、ボクに書かせてくれませんか」という。びっくりした。
たちまち、夜霧にむせぶ横浜港が思い浮かんだ……。
ギターを持ったマドロス姿のアキラが、浅丘ルリ子の前で「俺はもうザルツブルクにゃあ、帰らねえ。ウィーンを目指すのさ!」と啖呵を切る。停泊中の外国船のデッキから裕次郎がそれを見ていて「あの暴れん坊が、俺の町ウィーンへ来るのか……。いよいよ俺も、年貢の納め時かもしれねえな」とつぶやく……まさかそんな『アマデウス』になることはないだろうが、それにしても、巌さんとモーツァルトが、結びつかなかった。
ところが、実は巌さんは、ウルトラ級のクラシック・マニア、CD収集家だったのだ! すでにサリエリのCDも、輸入盤でかなりの枚数を持っており(たしか、ナクソスの「序曲集」も、まだ出ていなかった)、さっそく聴かされた。歌劇《ダナイデスの娘たち》や《トロフォーニオの洞窟》序曲、ピアノフォルテ協奏曲など、どれも品のある、いい曲だった。
「当時のウィーンでは、これが〈いい音楽〉だったんです。モーツァルトは、先鋭すぎて、保守的なウィーンっ子には、受け入れられなかったんです」
その一方で、管弦楽の《ラ・フォリア変奏曲》のように、いま聴いても、凝った展開と迫力で仰天させられる曲もあった。ロマン派の萌芽さえ感じられた。サリエリとは、一筋縄ではいかない作曲家に思われた。
そして巌さんは、当時のウィーンの音楽事情を細かく解説してくれた。「渡り鳥」シリーズや『大巨獣ガッパ』の背景に、これだけの教養が控えていたのかと、唖然となってしまった。
かくして、もちろんわたしは、『アマデウス』音声ドラマ台本を、巌さんに依頼するのだが、その決め手となったのは、音楽教養よりも、以下のような、巌さんの「音声ドラマ論」だった。
「映画やTVは、映像で具体的なイメージを瞬時に伝えることができるので、複数のキャラを出せます。しかし音声ドラマは、映像がないので、かなりの部分を、リスナーに想像で〈脳内補完〉してもらう必要がある。だから、複数キャラを出すと、混乱してしまう。
よって音声ドラマでは、基本的に重要キャラは主人公1人。その1人が、リスナーに向かってこっそり告白するスタイルにするのがベストです。『アマデウス』の場合、戯曲も映画も、たしかにサリエリの告白スタイルですが、さらに突き詰めて、サリエリ本人が、リスナーの耳許で遺言を囁いているようにする。
やがてリスナーは、サリエリの思想に同化し、一緒になってモーツァルトの死を願うようになる。だから音声ドラマでは、モーツァルトは、ほとんどエキストラ扱いでいいんです。これが音声ドラマの鉄則、かつ醍醐味です。
最近、FMでやっているラジオドラマは、書き手が若い子ばかりで、そういう基本がわかっていないから、アニメをそのまま音で再現しているような、安っぽいものばかりです。
音声ドラマは、手紙、回想、告白、遺言などの〈一人称〉が基本です。ほとんど〈朗読〉ですが、それでいいんです。井上靖『猟銃』とか、太宰治『きりぎりす』などを音声でやったら、面白いと思いますよ」
ひとを楽しませるエンタメの基本について、これほど勉強になった話は聞いたことがなかった。
その後、わたしは、巌さんのクラシック・エッセイ集を企画し、勝手に『ガンさんのクラシック渡り鳥』なんて仮題まで考えていたのだが、1997年、67歳の若さで逝去された。もっとはやくに知り合っていればと、悔やまれてならなかった。
荼毘に付された巌さんの遺灰は、本人の遺志と、奥様(作家の山崎洋子さん)の希望で、大好きだった横浜の海に散骨された。
<この項、つづく>
【ご案内】
3月23日(土)19:00~19:55、文化放送の特別番組「普門館からありがとう~東京佼成ウインドオーケストラとコンクール課題曲」に、解説ゲストとして出演しました。
現在、アーカイブで聴けます。※4月30日(火)23:59まで
お時間あれば、お聴きください。
(富樫鉄火)
◆「富樫鉄火のグル新」は、吹奏楽ウェブマガジン「BandPower」生まれです。第132回以前のバックナンバーは、こちら。
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パソコンやスマホで聴けます。 内容の詳細や聴き方は、上記「BandPower」で。
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