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2019.04.26 (Fri)

第237回 よみがえるサリエリ(下)

アマデウス江守訳
▲ピーター・シェファー/江守徹訳『アマデウス』(劇書房刊、1982年)


(前回よりつづく)
 1979年にロンドンで初演された舞台『アマデウス』に、もっとも早い時期に注目した日本人は、おそらく、文学座のベテラン俳優、江守徹さんだった。
 もともとシェファーが好きだったうえ、クラシック音楽ファンでもあった江守さんは、噂を聞いて、すぐにロンドンから台本を取り寄せ、読んだ。
「あまりの面白さに、一気に読んでしまいました。だいたい、読んで面白い戯曲なんて、あまりないもんですが、これは違いましたね」

 そこで、さっそく文学座での上演を企画する。だが、文学座は劇団組織である。会議にかけなければならない。それには、荒っぽくてもいいから翻訳し、みんなに読んでもらう必要がある。たまたま、大きな舞台が入っていない時期だったので、江守さんは自分で翻訳を開始した(この江守訳は、のちに劇書房から刊行された。上演は別翻訳)。
 だが、その間に、松竹が上演権を獲得してしまう。主演(サリエリ役)は九世松本幸四郎(現・二世松本白鷗)。そしてなんと、江守さんにモーツァルト役のオファーが来た。
「正直言って悩みました。この作品に惚れ込んだ以上、やはりサリエリ役をやりたいと思っていましたから」
 しかし、考えた末、江守さんはモーツァルトを演じる決意をする。コンスタンツェ役は藤真利子。
 1982年6月、サンシャイン劇場での初演だった。

 このときの江守さんの〈怪演〉は忘れがたい。ほとんど躁(そう)状態ともいうべき、ぶっ飛んだコメディ演技だった(第235回で、『アマデウス』はドタバタ・コメディだと書いたが、まさに江守さんの芝居がそうだった)。その後、七世市川染五郎(現・十世松本幸四郎)、武田真治、桐山照史などがモーツァルトを演じているが、江守さんのモーツァルトこそが、作者の意にもっともかなっていたのではないだろうか(もっとも、最後の桐山某は、わたしは観ていない。ジャニーズらしい)。

 ところで江守さんの翻訳だが、ご本人の解説を聞いて、なるほどなあ、と感心したことがある。
 劇中、サリエリは、何度も、神に向かって独白のセリフを投げかける。その際、原文の二人称は、すべて「YOU」である。
「これは当たり前のことで、英語では二人称はYOUしかありませんからね。ところが、物語の途中から、サリエリは神を敵に回しますね。モーツァルトの才能に気づいて、冷酷な神を呪う場面です。原語上演では、同じYOUでも、この場面以前は、優しく歌うように『YOU……』と呼びかける。しかし敵に回してからは、吐き捨てるように『YOU!』と叫ぶ。その際、身ぶりや手ぶり、表情で、同じYOUでも意味合いの違いを表現するわけです」

 しかし、「YOU」の日本語は、山ほどある。
「そこで、僕は、この場面からYOUを〈お前〉と翻訳したんです。それまでは神に向かって〈あなた〉と優しく呼んでいたのに、この瞬間から〈お前〉と呼ぶようにした。これだけで、いかにサリエリが神を憎むようになったかがわかる。このへんが、日本語の面白さであり、素晴らしさですね」

 そのほか、ロンドン初演版と、ブロードウェイ版のちがいも、いろいろうかがった。
「初演版には、サリエリが、かつての一番弟子だったベートーヴェンのことをいろいろ言うセリフがあって、これが、なかなか面白いんです。『ベートーヴェンは、いつもガタンガタンと歩いている。《エグモント》を聴けばわかる。そんな作曲家だから、とうとう生涯に絨毯を9枚もすり減らし、そのかわりに9つの交響曲が生まれた。私は違う。1枚の絨毯を大事に使った』(笑) こういう気の利いたセリフがなくなったのは、ちょっと残念でしたね」

 「If」で論じても意味ないのだが、もし文学座が『アマデウス』を獲得していたら、そして、江守さんがサリエリを演じていたら……日本の演劇シーンの一部は、ちがった道を歩んだような気がする。
<一部敬称略>
※文中の江守さんのコメントは、オーディオ・ドラマ版(新潮カセットブック)の付属パンフ解説より引用しました。


【ご案内】
 3月23日(土)19:00~19:55、文化放送の特別番組「普門館からありがとう~東京佼成ウインドオーケストラとコンクール課題曲」に、解説ゲストとして出演しました。
 現在、アーカイブで聴けます。※4月30日(火)23:59まで
 お時間あれば、お聴きください。
(富樫鉄火)


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