2019.05.20 (Mon)
第240回 《4分33秒》

▲アマディンダ・パーカッション・グループが演奏した《4分33秒》
わたしは、ジョン・ケージ(1912~92)の名曲《4分33秒》(1952年初演)の実演を、2回、聴いたことがある。
どちらも、黛敏郎時代の「題名のない音楽会」だった(何度か書いているが、わたしは、中学以来、20歳代までの十数年間、渋谷公会堂での公開録画のほとんどに、通っていた)。
1回目は、ピアノ独奏版、2回目はオーケストラ版だった。
ピアノ版のときは、たしか、ジョン・ケージの特集で、ピアニストが何の前触れもなく登場し、演奏を開始した。
やがて渋谷公会堂の客席は、次第にざわつきはじめ、低い笑い声が聴こえはじめた。
演奏終了後、まばらな拍手がおき、ピアニストが下がると、司会の黛敏郎が登場し、「ただいまの4分33秒の間、みなさんは、様々な笑い声やざわめき、雑音を聴いたことでしょう。それこそが、ケージが聴かせたかった、偶然の音楽なのです」といったような主旨の解説をした(2回目のオーケストラ版のときは、もうかなり有名になっていて、客席はお笑い状態だった)。
4月20日に、神奈川フィルハーモニー管弦楽団が、定期演奏会で、この曲を取り上げた(指揮・太田弦)【公式ライヴ映像あり】。よほど行こうかと思ったのだが、仕事の都合で時間が空かず、てっきり忘れていた。
すると、5月9日付の朝日新聞夕刊に、記者氏の“鑑賞記”が載っていた。
それによると、事前に司会者が登場し、「演奏者に注目してください。何も音を出さないんです」と、ネタバレをさせたらしい。記者氏も落胆していたが、上述の「題名~」のように、事前解説なしで演奏されてこそ、様々な雑音が生まれて、曲本来の姿が現出したはずなのだが(もっとも、すでに有名な曲なので、ネタバレの有無にかかわらず、ほとんどの聴衆は、どういう曲か、知っていたと思う)。
この曲は、ちゃんと「レコーディング」もされている。
わたしもいくつかを聴いているが、好きなのは、ハンガリーの「アマディンダ・パーカッション・グループ」(APG)による「打楽器四重奏」版だ。
APGは、ケージやライヒなどの現代曲を積極的に取り上げるカルテットで、特にジョン・ケージの打楽器作品を全曲CD化したことでも知られている。
彼らの演奏を聴くと、冒頭、教会の鐘の音と思われる響きが、遠くで、かすかに鳴っているのが聴こえる。その後も、小さく、鳥の鳴き声も聴こえる。おそらく、野外か、あるいは、窓を開け放した室内で録音されたものと思われる。
スザンネ・ケッセルのピアノ独奏版だと、フクロウの声が聴こえる。
この曲は、前衛音楽のピアニスト、デヴィッド・チューダーによって、1952年にウッドストックで初演された(昭和27年! 占領解除の年だ)。その際も、ホールの扉は開け放たれ、野外の響きが聴こえてきたと伝えられている(チューダーは、ブーレーズのピアノ・ソナタ第2番を初演したひとだ)。
教会の鐘や鳥の鳴き声といえば、朝比奈隆による「聖フローリアンのブルックナー」が有名だ。1975年、朝比奈隆率いる大阪フィルハーモニー交響楽団が、ヨーロッパ・ツアー中、オーストリアの聖フローリアン修道院で、ブルックナーの7番(ハース版)を演奏した。そのライブなのだが、第1楽章のあと、かすかに鳥の声が聴こえる(ALTUSの完全盤では、ここでの拍手も)。そして、第2楽章後、絶妙のタイミングで、修道院の午後5時の鐘の音が鳴り響くのである。いうまでもないが、この修道院の地下には、ブルックナーが眠っている。こういう奇跡みたいなことがあるのだなあと、若いころに聴いて感動した記憶がある。
作曲家の中田喜直(1923~2000)は、極端なBGM嫌いだった。かつて東横線が車内BGMを流していた時代、車掌室に抗議に行き、無理やりドアを開けて入り込み、音楽テープを“奪取”したことがある。飛行機の機内で、着陸間近に流れるBGMに抗議してやめさせるなど、日常茶飯事だった。
中田の童謡《しずかにしてね》は、「しずかにしてね/ふうりんさん/ならないでね/いま/あかちゃんが ねんねしました」と歌われる(こわせたまみ詩)。
中田喜直が《4分33秒》をどう聴いたか、うかがってみたかった。
<敬称略>
※参考資料/牛山剛『夏がくれば思い出す―評伝中田喜直』(新潮社、2009)
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2019.05.02 (Thu)
第239回 「令和」が説くこと

▲伊藤博の個人注釈『万葉集釋注』(集英社、1996)。「令和」は、第3巻で解説。現在は、集英社文庫に収録されている。
新元号「令和」時代がはじまった。
どのメディアも、「令和」が、「万葉集」から取られたことを報じている。「万葉集」巻五に、「梅花の歌三十二首」なる歌群がある(815~846)。
天平2(西暦730)年正月13日に、九州大宰府にある大伴旅人の邸宅で、梅を愛でる宴会が催された。そこで詠まれた32首をまとめ、(旅人が書いたと思われる)漢詩の序文が添えられた。そのなかに「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわら)ぐ」とある。ここから「令」「和」を抜き出した。「令月」は、「よき月」を意味するという。
まさに、大むかしの、のんびりした歌会の光景が目に浮かぶ。きれいな月が出ている夜、庭で、満開の梅を眺めながら、やんごとなきひとたちが、歌を詠んでいる……。
だが、よく考えると――当時の1月13日は、現在の2月上旬だ。九州は暖かいとはいえ、梅が咲いているだろうか。また、現代のような暖房器具も防寒衣服もない、灯りといえばロウソクかタイマツ程度だった時代、寒風吹く真冬の夜に、庭に出て梅や月を眺めて歌を詠むなんて、ほんとうにやったのだろうか。これでは「令和」どころではない。
1996年より、集英社は、創業70周年記念企画として、『萬葉集釋注』全11巻+別巻2を刊行した。これは、万葉学者の伊藤博(1925~2003)によるもので、泰斗・澤瀉久孝(1890~1968)以来、38年ぶりとなる、個人全注釈本であった。
伊藤注釈は画期的なもので、「万葉集」は、巻ごと、あるいは歌群ごとに「編集意図」があった、との考え方に基づいている。
冒頭凡例に、伊藤博は、こう記している。
「これまでの万葉集の注釈書は、一首ごとに注解を加えることが一般であった。だが、万葉集には、前後の歌とともに歌群として味わうことによって、はじめて真価を表わす場合が少なくない。そこで、本書においては、歌群ごとに本文を提示し、これに注解を加えるという方針をとった」
よって「令和」を含む部分も、32首の「歌群」として考察されている。その内容は、まるでミステリを紐解いていくかのごときである。32首の関連性を解き明かすことで、当日が、どんな会だったのか、出席者の席次までもが図示されるのだ。
伊藤注釈は、どう説いているか。
【1】正月13日とは、太陽暦で2月8日頃である。現代の、太宰府天満宮の梅の満開は3月上旬。おそらく歌会の日は、よくて五分咲きだった。つまり正月13日(2月8日)に開催された理由は、梅が咲いたからではなく、この日が、みんな都合がよかったからではないか。(この歌会は)「全体にかなりの幻想を思うべきである」(伊藤)。
【2】「『令月』は善き月。ここは『正月』をほめていったもの」(伊藤) つまり「いいお正月だなあ」。中国の『文選』巻十五帰田賦や「蘭亭集序」にもある言葉。
【3】(32首を追うと)「そこには定められた座席があり、後なる人は前なる人の表現を承け取りながら、また時には、対座している人の表現も取りこみながら、あたかも、くさり連歌のように歌を詠み継いでいることが知られる」(伊藤)。
というわけで、どうも、「梅が満開」「月がきれい」との「幻想」(見立て)を前提に開催された歌会らしいのだ(おそらく室内で開催されたのでは)。
その際の「くさり連歌」ぶりを掲げる紙幅はないけれど、伊藤解説は、次のように締めくくっている。
「横にいる人、前にいる人の歌詠に気を配ることは、日本の短歌が民謡として起こったそもそものはじめからのしきたりであったらしい。それが順次洗練されて、天平大宰府の集宴では、三二首もの緊密なまとまりとなって花を開いた」
そして、当日は、
「何とも高雅な、それでいてうちとけて楽しい集いであったことか。現代の読者も、古代万葉の世に、このように心の行きとどいた歌の会があったことに、とくと目を注ぐべきである」
周囲に気を配る、心の行き届いた会――新時代「令和」は、この歌会のようにあるべきだと、いま、唱えているかのようだ。あらためて述べるが、この伊藤解説は、1996(平成8)年に上梓された本の中の一節である。
<敬称略>
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