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2019.10.29 (Tue)

第255回 そこにいるだけで

濡れ髪剣法
▲昭和33年の大映映画『濡れ髪剣法』


 八千草薫さんが亡くなった。昭和6年生まれ、享年86。
 この年代は、日本映画史を彩る大女優が多い。同年生まれに、山本富士子、香川京子、千原しのぶらがいる(1年下の昭和7年生れには、有馬稲子、岸恵子、久我美子、渡辺美佐子、久保菜穂子など)。
 男優もそうそうたる顔ぶれで、特に、いまは亡き高倉健、市川雷蔵も昭和6年生まれだ。

 その市川雷蔵と(おそらく)唯一の共演作が『濡れ髪剣法』(昭和33年、大映/加戸敏監督)で、わたしは「八千草薫」の4文字を見るたびに、この映画を思い出す。
 大映の「濡れ髪」シリーズは、雷蔵がバカ殿や坊ちゃん侍を演じるコメディ時代劇だが、チャンバラやドンデン返しなど、締めるところは締める立派なエンタメ時代劇である。たしか4~5本つくられたはずで、一般には、京マチ子と共演した『濡れ髪牡丹』(昭和36年、大映、田中徳三監督)が傑作と称されている。
 だがわたしは、シリーズ第1作『濡れ髪剣法』で鶴姫を演じた八千草薫の、心臓が止まるかと思うほどの可憐さが忘れられない。こればかりは映画を観ていただくしかないが、たいした芝居をしているわけではないのに、そこにいるだけで、スゴイのである。

 むかしの俳優は、それほど演技がすぐれているわけでもないのに、独特の容貌や雰囲気、個性的なセリフまわしなど、それだけで圧倒的な存在感をしめすひとが多かった。
 北林谷栄が女中さんで登場してため息をつくだけで、この屋敷の家族はメチャクチャな状態であることがわかった。
 菅井きんがつらそうな表情でアパートの管理人室から出てくると、もうそれだけで、このアパートには家賃を滞納している問題入居者がいることが察せられるのである。
 八千草薫さんは、その真逆で、ニコリとほほ笑むだけで、背後に幸せな人間関係や、楽しい出来事が控えていることがわかった。『濡れ髪剣法』では(特に冒頭の剣術試合のシーンで)、その典型的な芝居が観られる。

 同路線で印象に残っているのが『新しい背広』(昭和32年、東宝/筧正典監督)だ。外地で両親を亡くし、引き揚げ後、高校生の弟(久保明)と2人で暮らしている小林桂樹が主人公。小林は設計事務所勤務だが、給料も安く、なんとか弟の大学進学の夢をかなえてやるべく、背広も靴下もボロボロのお古でガマンしている。その恋人役が、八千草薫である。もうこれだけで、彼女の役柄は想像がつくと思う。「わたしとの結婚と、弟の大学進学と、どっちが大事なの」なんて、口が裂けたって言わない、それが一瞬でわかる。それどころか、彼女が登場しただけで、タイトルの意味、あるいはラストシーンまで、想像できてしまう、実に幸せな映画である。

 ほかに彼女の映画では、完全なお人形さんだったオペラ映画『蝶々夫人』(昭和30年、日伊合作/カルミネ・ガローネ監督)、超クール・ビューティの日本舞踊家元を演じた『ガス人間第一号』(昭和35年、東宝/本多猪四郎監督)、狂気と変質者の世界で唯一の正常な人妻を演じた『田園に死す』(昭和49年、ATG/寺山修司監督)などが忘れられない。

 彼女の訃報で、多くのメディアが、代表作としてTVドラマ『岸辺のアルバム』(昭和52年、TBS/山田太一脚本)を挙げている。清楚な役が多かった彼女が、不倫する主婦を演じた、それが意外かつ名演だったと。だが、わたしは、そうではなくて、妙に突出した演技をしなかった、つまり、「ただ、そこにいるだけ」なので、本心はなにを考えているかわからない、その魅力だと思った。
 ドラマの最終回、多摩川の氾濫で家の流失寸前。ギリギリまで家の中にとどまって、マイホームに別れを告げる家族たち。だが、八千草薫扮する母親だけが、やけに冷静に「そうよ、アルバムよ。アルバムを持ち出しましょう」と呼びかける。みんな「そうだ、そうだ」と、崩れかかる家から、必死でアルバムを持ち出す。
 このとき、母親は、なぜ「アルバム」に固執したのか。完全崩壊していた家族だが(なにしろ自分もイケメン竹脇無我と浮気していたわけで)、アルバムには、そんな裏側は写っていない。だから、外面=アルバムだけは残しておこう、と考えたのか。あるいは、そんな真意などない、能天気な彼女は、家をなくす事態に至ってもアルバム程度にこだわる、よほどの世間知らずなのだ……とも見えなくない。なにしろ「ただ、そこにいるだけ」なのだから、どのようにも解釈できる。

 30年ほど前、電話インタビューで話したことがある。確か、誰かの訃報で、コメントをもらおうとしたのだと思う。だが、あまりにか細い声で、決して面白おかしいことは口にしなかった。結局、おとなしすぎるコメントなので、記事には使えなかった。やはり突出しないひとなのだ。だが、そのことにこそ、存在感があった。それがいかにスゴイことか。いまの怒鳴って叫ぶ若い俳優を見るにつけ、こういう役者はもういないのだなあ、と残念でならない。
<一部敬称略>

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2019.10.24 (Thu)

第254回 芸能山城組の『AKIRA』

AKIRA.jpg
▲演奏会×映画上映『AKIRA』(10月13日、ティアラこうとうにて)


 大友克洋の漫画『AKIRA』は、1982年に連載がはじまった(一時中断を挟んで1990年に完結)。ものがたりの舞台は2019年、第3次世界大戦後の東京。翌2020年には東京オリンピックが開催される設定になっていた。当時は、ずいぶん先の話だなあと思っていたが、ついに現実が追いつき、漫画同様にオリンピックが開催されることになった。
 つまり、今年はまさに『AKIRA』の年なわけで、そのせいか、再上映のほか、実写映画やアニメ版リメイクの製作発表など(過去にもその種の発表は何度かあったが)、いくつかの話題がつづいた。

 漫画『AKIRA』が、原作者自らの監督で、大作アニメ映画となって公開されたのは1988年だった。当時、まだ原作は完結していなかったので、いささかダイジェスト的な構成になっていた。それでも、「最後の手描き大作アニメ」と呼ばれただけあり、クライマックス、鉄雄の“変貌”や、AKIRAの覚醒シーンは、CG以前の、独自の魅力にあふれていた。
 だがそれ以上に驚いたのは、音楽を「芸能山城組」が担当したことだった。

 当時、芸能山城組は、日本の声明や読経、バリ島のガムランやケチャ、ブルガリアン・ヴォイス、アフリカの民俗音楽などのワールド・ミュージックを極めて正確に、しかも学究的に表現するユニークな団体として注目されていた。
 なかでも『輪廻交響楽』(1986)などは、その独特の音響世界ゆえ、オーディオ・マニア必携のアルバムといわれていた。
 大友克洋は、この『輪廻交響楽』を聴いて、山城祥二(大橋力)のもとを訪れ、映画で使用させてくれないかと持ちかけた。制作期間は半年しかなかったが、山城はゼロから、あまりにユニークなサウンドトラックをつくりあげた。それは、バリ島の音楽(ガムラン、ケチャ、ジェゴグなど)を中心に、声明、読経、青森ねぶたなどの「声」が重なる、一種の祝祭音楽空間だった(『輪廻交響楽』から引用された部分もある)。こんな音楽、いままで誰も聴いたことなかった。

 そんな音楽を当の芸能山城組がナマ演奏で再現し、後半では映画も上映するファン・イベントが開催された(10月13日、ティアラこうとう大ホールにて)。わたしは、この種の“同好の士”が集まる空気が苦手なうえ、映画は、夏に目黒シネマでの再上映を観たばかりだったので迷ったのだが、しかし、あの音楽をナマで聴けるとあって、その誘惑には勝てなかった。
 ただし、演奏されたのは、ジェゴグと声を使用した楽曲で、ガムランなどはなかった。
 ジェゴグとは、竹筒を叩いて奏でるアンサンブルで、「竹琴」などとも訳される。大小14台前後で構成されている。1オクターヴが4音しかないが(「鉄琴」のガムランは5音階)、竹の大小で微妙にピッチがずれているので、複数で合奏すると、不思議な音響空間が現出する。

 わたしは若いころ、ジェゴグに魅せられるあまり、バリ島へ行って、現地のナマ演奏を聴きまくったほか、実際に弾かせてもらったことがある。あの響きのなかに長くいると、脳髄がしびれてくるような、不思議な感覚に陥ったのが忘れられない。

 当日は、解説や、抜粋実演をまじえながら、ジェゴグとはどういうものなのかを、わかりやすく伝えてくれた。
 だが(当たり前のことだが)、映画館で流れていた、あるいはCDで聴く、あの響きとは、やはりちがう。特に、1曲目〈金田〉で、「ラッセラー」(ねぶた)の掛け声がマイクを通して加わるあたりになると、PAやミキシングの調整がむずかしいせいか、響きが混沌となってしまう。「竹」が、人間の「声」を拒んでいるような印象さえ抱いた。
 バリ島では、野外の、寺院のような石づくりと樹木に囲まれた庭で聴いたのだが、あのときのほうが、豊かな響きだったような記憶がある。ジェゴグをホールで演奏する場合は、サントリーホールやオペラシティのような、開放ステージで演奏される方がいいのかもしれない(ティアラこうとうは、舞台と客席が分かれたプロセニアム)。
 それでも、とにかく『AKIRA』の音楽を実演で聴けたことは、うれしかった。

 来年4月には、映画『AKIRA』の4Kリマスター版が出るそうだが、なんと音楽は、すべて新録音に差し換えられるという。それにあわせて、芸能山城組は、さらに大がかりな、交響組曲《AKIRA》のコンサートを開催する。おそらく今度は、ガムランなども加わるはずだ。

 わたしの携帯プレーヤーのなかには、むかしから芸能山城組の交響組曲《AKIRA》が入っている。ほかの音楽は飽きたら消去するのだが、これだけは消せない。朝、出勤途上で聴く第1曲〈金田〉には、どんな栄養ドリンクもかなわない、不思議なパワーがあるのだ。
<敬称略>

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2019.10.14 (Mon)

第253回 「させていただく」

山田稔
▲『山田稔自選集Ⅰ』(編集工房ノア)


 学生時代、山田稔『スカトロジア 糞尿譚』(講談社文庫、1977/原著は未来社刊、1966)を読んで仰天した。オシッコ、ウンコ、垂れ流し、オナラ、トイレ……について、西洋文学でどう扱われているかを集めて考察した、すさまじい文芸エッセイだった(本書で、わたしは、スウィフトの『ガリヴァー旅行記』が世界最高の“スカトロ文学”であることを知った)。
 知性と品のある文章も忘れられない。著者・山田稔(1930~)は、仏文学者である。バルザック、ゾラ、フローベールなどの翻訳者として知られる。岩波文庫の名著『フランス短篇傑作選』は、このひとの訳編である(実に面白いセレクションなので、一読をお薦めする)。
 だがもうひとつ、山田稔は短篇小説作家、そして名エッセイストでもある。『コーマルタン界隈』(河出書房新社、1981/現・編集工房ノア)で芸術選奨文部大臣賞を、『ああ、そうかね』(京都新聞出版センター、1996)で日本エッセイスト・クラブ賞を受賞している。

 そんな山田の自選集の刊行が始まった(『山田稔自選集1』編集工房ノア)。
 さすがに何重ものフィルターを通過してきたような名エッセイばかりで、わたしが講師をしているエッセイ教室でもさっそくテキストにしたほどだ。

 このなかに〈「させていただく」〉と題するエッセイがある。前半で近年の日本語の乱れをユーモアたっぷりにボヤき、いよいよ後半、
〈もうひとつ最近気になるというか不愉快なのは「……させていただきます」の濫用である〉
 と展開する。「そうそう、キタキタ」と、ワクワクする。
〈音楽家がどこそこのホールで「演奏させていただきました」、文筆家が何々という本を「出させていただきました」、高校野球の勝利チームの監督が「勝たせていただきました」と言う。東京のある鉄道の駅では「扉を閉めさせていただきます」とアナウンスするそうだ〉
 わたしも、この夏、ツイッター上で、この言い回しを、かなり見かけた。
 コンクールや、夏のイベントに参加した吹奏楽部員や顧問のツイートである。「気持ちよく演奏させていただきました」「参加させていただきました」「銀賞をいただきました」(これは「いただく」の意味がちがうが、底辺に漂うものは共通している)等々。
 山田稔は、こう書く。
〈不愉快なのは、丁寧さを通りこしたへり下りの卑しさである。「させていただく」には周囲への配慮や謙遜を装った厚かましさがひそんでいることもある。(略)いやなこと、はた迷惑なことでも辛抱しなければならない気になる〉

 最近、足かけ9日間ほど、入院した。最初期の小さな腎臓ガンが見つかり、腹腔鏡手術を受けたのだ(ガン手術は、約10年前、これも最初期の噴門=胃ガン以来、2度目)。
 この間、当然ながら看護師さんたちのお世話になるのだが、気がつくと、あれだけひとの身体に触れたり、針を刺したりするのに「させていただきます」なんて言い回しは、誰も口にしていなかった。「採血で~す」「点滴とりかえますね~」「剃毛です!」「ちょっと傷口見ますよ」と、用件のみで実にサバサバしたものである。「採血させていただきます」「傷口見させていただきます」なんて、誰も言わない。

 もちろん、多くの入院患者を世話し、長い勤務時間で神経をつかう、それゆえ、丁寧なことばづかいにまで気を配っていられないせいもあろう。また、あくまでこっち(患者)の事情(病気)で入院したのであり、病院から頼んで来てもらったわけではない、だから、病院側が丁寧になるのはかえって変だ、との見方もあろう。
 だがそれでもとにかく、短期間とはいえ、「させていただく」皆無の、ビジネスライクなコトバを聴きながらの入院生活は、ひさびさに新鮮だった(その一方、枕もとで聴くラジオでは、相変らず「解説を担当させていただきました」「リリースさせていただきました」の連発だった)。

 山田は、最後にこう結んでいる。
〈他人の顔色をうかがいながら生活させていただかねばならぬ社会は、窮屈で息苦しい〉
 このエッセイの初出は1999年。
 20年たったいまも、わたしたちは「させていただく」一方である。
<敬称略>

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