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2019.11.03 (Sun)

第256回 名古屋五輪をやめさせる会

名古屋五輪乗車券
▲ネットオークションに出品されている、名古屋五輪「開催決定」記念乗車券


 東京五輪のマラソン・競歩の会場が「札幌」になった。これに対し、「真夏の東京の酷暑は、最初からわかっていたはずだ」とみんな言うが、そうだろうか。招致のプレゼンで海外委員に向かって「東京の夏は、熱中症でひとが死ぬ暑さです」と誰か正直に言っただろうか。「福島の放射能は完全に制御されています」とか「おもてなしの精神でお迎えします」とか、調子のいいことばかり言って、真実は伏せられたまますべては進行したのではないか。
 そもそも、最初に立候補したときの文書には「夏の東京はスポーツに最適」といった主旨の記述があったはずだ。要するに海外委員たちは、「渋谷スクランブル交差点」や、「浅草雷門」のデジタル修正映像を見せられ、夏の東京がさわやかな未来都市だとだまされて一票を投じたのだ。

 こうなると、オリンピックを日本でやってもらいたくないと、あらためて思うのは、わたしだけだろうか。駅という駅が工事中で階段も通路も狭くなり、お年寄りがオロオロしている。外国人旅行客は重いトランクを抱え、ヒイコラ言って階段を昇降している。これが「おもてなし」なのか。「アスリート・ファースト」(選手優先)だから、東京都民はいろいろガマンしろということなのか。

 1964年の五輪が東京に決まった勝因はいくつかあるが、そのひとつに《オリンピック賛歌》の復活があるといわれている。
 この曲は、近代五輪の開会式で演奏されていたが、ある時期から楽譜が散逸し、長く忘れられていた。それが、1958年、東京でのIOC総会の直前、ピアノ・スコアが発見された。楽譜は東京におくられ、急遽、古関裕而がオーケストラ+合唱用に編曲した。
 曲は、総会の席上で、山田一雄指揮、NHK交響楽団+東京放送合唱団ほかの顔ぶれで演奏された(合唱団のなかに、芸大生だった、のちの初代“うたのおねえさん”真理ヨシコさんがいた)。これを聴いた当時のIOC委員たち、特にブランデージ会長は大感激。翌年の総会で、1964年開催地が東京に決定するにあたって有利に働いたという。のちに古関裕而が、開会式の入場行進曲を委嘱されたのも、これがきっかけだった。
 つまり、当時の日本は、IOCを動かすだけのことをやっていたのである。今回と、まったく逆で、いったい、いつからJOCや開催地はここまでIOCに対して無力になったのか。

 今回のドタバタを見るにつけ、名古屋五輪の大騒ぎを思い出す。
 招致活動大詰めの1981年、新米の週刊誌記者だったわたしは、何回となく名古屋に足を運んで取材した。1988年の五輪は名古屋で決定のようなムードだった。なにしろ、メルボルンなどの対抗都市が次々と辞退し、最終的に立候補都市は名古屋だけだったのだから。
 ところが、最後の最後で突如、ソウルが立候補し、あっという間に逆転されてしまったのだ。たしか、ソウルは立候補の受付締切を過ぎての表明で、それをIOCが認めたような記憶がある。一説には、当時、スポーツ・ビジネス界を支配していたアディダスとソウル市が組んだ出来レースだとも囁かれた。
 だが、わたしはいまでも、「名古屋五輪をやめさせる会」の、ものすごいパワーが落選に追い込んだと思っている。

 名古屋五輪の構想は、1970年代後半、当時の愛知県知事・仲谷義明氏が言いだした。開催都市・名古屋市にとっては寝耳に水で、このボタンのかけちがえが、名古屋市民の不信感を増幅させた。スポーツ界や名古屋市民は、置き去りのままだった。
 これに対し、「やめさせる会」の動きもすごかった。名古屋市長選に反対派候補を擁立し(落選したが、野党とあわせると、かなりの反対票となった)、ついには、最終投票となるIOC総会の会場(バーデンバーデン)にまで乗り込んで反対活動を展開、ビラまきや演説会をおこなったのだ。何万人もの反対署名も、IOCのサマランチ会長自身のもとへ届けられたという。名古屋市庁前では、反対派市民がハンガー・ストライキを展開した。

 今回も、反対活動はあった。その種の書籍もいくつか出版されたし、ツイッターには「#東京五輪反対」のハッシュタグもあった。異議を唱えた著名人もいた(代表格は久米宏)。だが、「名古屋五輪をやめさせる会」のパワーには、とうてい及ばなかった。つまり、反対運動は、事実上、なかったも同然なのだ。なぜなら、みんな、五輪そのものに、たいして関心がないのだと思う。
 もう、忘れかけているようだが、今回の東京五輪は、トラブルだらけだった。新国立競技場のデザイン案は白紙撤回され、エンブレムマークは盗作疑惑で却下された。それどころか、招致に際して怪しげな業者に巨額の金銭がおくられ、JOCの竹田恆和会長は贈収賄疑惑で退任した。こんなメチャクチャな運営なのに、平然と進んできた。つまり、誰も関心など、ないのである。いまさら、マラソン・競歩がどこで開催されようと、どうでもいいのである。
 
 1964年の東京五輪の際、変わりゆく町並みを嘆きながら、作家の小田実は〈わしが呼んだわけじゃない〉と書いた。当時、そんな皮肉を言うのは、さすがに小田くらいしかいなかったが、今回は、すべての都民が似たような思いだろう。「別におれが呼んだわけじゃないから、勝手にやれば。面白そうだったら見るよ」と。
 名古屋五輪を言いだした仲谷義明・元愛知県知事は、1988年11月、ソウル五輪の閉会直後、自殺した。
 2020年東京五輪は、史上まれに見る、しらけた催しになるだろう。
<一部敬称略>

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