2020.03.23 (Mon)
第277回 第1回大島渚賞

▲(左から)審査員の荒木啓子、坂本龍一、受賞者の小田香、審査員の黒沢清
わたしが初めて観た大島渚の映画は『ユンボギの日記』(1965)だった。1970年、小学校6年生のときだった。中野公会堂で、山本薩夫監督の記録映画『ベトナム』(1969)と2本立てだった。反戦団体による自主上映会だったと思う。原作本が、学校の図書室にあったので、題名だけは、前から知っていた。親友のオカモトくんと2人で行った。もちろん、自主的に行ったのではなく、担任の先生に薦められたのだ(当時の中野区は革新区政で、日教組全盛時代だった)。先生から無料入場券のようなものをもらったような気がする。
これは、朝鮮戦争後の韓国における、貧困少年の日常を描く、フォト・ドキュメントである。小松方正のナレーションが強烈で、何度となく「イ・ユンボギ、君は10歳、韓国の少年」と執拗に述べられる。それが脳内にこびりついてしまい、「オカモトヒロト、君は12歳、中野の少年」などとからかいながら帰ったものだ。
しかし、なにぶん全編がモノクロ写真静止画なので、小学生にはつらく、観ていて「なんだ、動かない映画なのか」と、がっかりした記憶がある
ところが、大人になって、関連資料を読んで驚いた。あの写真は、イ・ユンボギとは何の関係もない、たまたま大島が訪韓した際に撮影した大量の写真の中から、児童文学『ユンボギの日記』の雰囲気に近いものを抜き出してコラージュした、いまでいう“イメージ映像”だったのである。ドキュメンタリとは何なのかを考えさせられる。大島渚は、こんな実験映画を、1960年代から手がけていたのである(この“静止画映像”手法は、のちに1967年の『忍者武芸帳』で、さらに開花する)。
以後、わたしは、大島渚のファンになり、全27監督作品中、26本を観た(ほとんどの作品を複数回観ている)。1本だけ観ていないのは、日本生命のPR映画『小さな冒険旅行』(1963)だが、いすず自動車のPR映画『私のベレット』(1964)は観た(脚本監修=小津安二郎!)。また、厳密な意味での監督・脚本デビュー作、松竹の新人紹介フィルム『明日の太陽』(1959)も観ている(先日の大島渚賞パンフには、これが載っていないので、全26監督作品となっている)。
もちろん、警察本部長役(!)で出演した東映映画『やくざの墓場 くちなしの花』(深作欣二監督、1976)も観た。大島本人が登場して演説しまくる『絞死刑』(1968)予告編などは、映画予告編史上の、最高傑作だと思う(そんな「史」があるかどうか、知らないが)。
それほど、大島渚は、わたしにとっては、好きというより、「何をやりだすかわからないので、常にウォッチングしておくべき」文化人だった。しかし、生涯をかけて「権力や歴史、国境に翻弄された人間を描いた」点で、これほどぶれない映画作家は、いないと思う。
そんな「大島渚」の名前を冠した映画賞、「第1回大島渚賞」が開催され、記念上映会があったので、行ってみた(3月20日、丸ビルホールにて)。
主催は、「ぴあフィルムフェスティバル」(PFF)。PFFは、「映画館情報誌」だった「ぴあ」が1977年から主催している、新人映画祭だ。創設初期から、いきなり、森田芳光、長崎俊一、石井聰亙、犬童一心、手塚眞といった才能を次々と発掘した。
この映画祭には、「PFFアワード」「PFFスカラシップ」などの部門があるが、それらとは別に、今回、「劇場公開作品を持つ監督」を対象に新設されたのが、「大島渚賞」である。
実は、PFF初期、新人選考の中心にいたひとりが、大島渚だった。大島は、新人発掘や育成にたいへん熱心だった。ゆえに、PFFのなかに、このような賞が設定されるのは、遅すぎたくらいなのだ。
審査員は、坂本龍一(音楽家)、黒沢清(映画監督)、荒木啓子(PFFディレクター)の3人。今回発表された第1回の受賞者は、小田香(1987~)。ハンガリーのタル・ベーラ(1955~)が主宰する映像作家育成プログラムの第1期生だそうで、主にドキュメンタリを中心に活躍、近年ではボスニアの炭鉱をとらえた『鉱ARAGANE』(2015)が話題になった。
当日は、主な受賞理由となった作品『セノーテ』(2019)が上映された。
メキシコのさる洞窟内の泉「セノーテ」は、マヤ文明時代から、現世と黄泉の国をつなぐと信じられており、かつては雨乞い儀式のために、生贄が捧げられたこともあった。そんな泉に、監督自身がカメラを持って水中撮影で挑んだ映像だ。
ただし、これは「ドキュメンタリ」というより、「アート・フィルム」であり、小田監督の心象風景を、撮影した素材をもとに再現するような、 ウルトラ級の独特な作品である。
果たして、この作品が「大島渚」の名にふさわしいのかどうか、わたしごときには、なんとも言えない。しかし少なくとも、「ほかのひととはちがう、自分にしかできないものを生み出そう」とする姿勢は、明らかに大島渚そのものだと思った。
また、3人の審査員が、どのような過程を経てこの作家・作品を選んだのか、ほかにどんな作品が候補となったのか、気にならないでもない。しかし、毎年、任期1年の1人の選考委員が、1作を選ぶBunkamuraドゥマゴ文学賞などもあるのだから、徹底して、この3人の好みで、好き勝手な作家・作品を選ぶほうが、いかにも大島渚らしくて、いいと思った。
上映会では、『セノーテ』上映のほか、受賞者と3人の審査員によるトーク(たいへん面白かった)、さらに大島の初期傑作『青春残酷物語』(1960)が上映された。
できれば、前日におこなわれたという授賞式も一緒にやってほしかったが、受賞作上映+トーク+大島作品上映だけで、13:30~18:00近くを要しており、時間的に、難しかったようだ。
当日は、新型コロナ禍の真っ最中であった。それだけに、てっきり中止されると思っていたが、なんとか開催された。ただし、前売券はある時点で販売停止、当日券も販売せずに、入場者数を絞った。入口で検温、手を消毒。着席は1つ空けを推奨、休憩時の徹底換気。さすがは数々のイベントをこなしている「ぴあ」の運営だと、感心した(できれば、あのような講演会向けホールではなく、「映画館」でやってほしかったが)。
配布されたパンフはA4判8面折りのシンプルなものだが、佐藤忠男、秦早穂子、高崎俊夫の3人による、驚くほど長い、濃密な文章が収録されており、薄手の新書を1冊読んだような気分にさせられた。
終了後、日比谷へ速足で移動し、この日封切のドキュメント映画『三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実』を観た。仕事先の先輩たちが出演しているので、早く観たかったのだ。開映前にプログラムを買って、豊島圭介監督の経歴を見たら、こう書かれていた。
「1971年静岡県浜松市生まれ。東京大学在学中のぴあフィルムフェスティバル94入選を機に映画監督を志す」
PFFと大島渚のまいた種は、まだこれからも咲きつづけるのだと思った。
<敬称略>
*『セノーテ』は、6月に新宿K’s cinemaで一般公開されます。
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2020.03.18 (Wed)
第276回 東京佼成WO、中止公演のプログラム解説

▲中止になった、東京佼成WOの第148回定期演奏会
はじめに
4月29日に予定されていた、東京佼成ウインドオーケストラの第148回定期演奏会(東京芸術劇場)が中止になりました。
たまたま、わたしは、当日のプログラム解説の執筆を依頼されており、第一稿を同団事務局へ送った直後の中止決定でした。
この日の演奏会は、人気指揮者・飯森範親さんの「首席客演指揮者」就任記念、かつ、同団の創立60年にあたる新シーズン幕開けの、2つのお祝いをかねていました。
よって、開巻の祝典曲以下、吹奏楽オリジナルの名曲で統一された、たいへん意欲的な内容です。
飯森さんはもちろん、団員諸氏もスタッフも、なみなみならぬ力の入れようでした。
そのような記念すべき場を飾る原稿を書けたことは、音楽ライター冥利につきる思いでした。
残念ながら演奏会は中止になりましたが、ここに、同団事務局の許可を得て、当日、会場で配布される予定だったプログラムの、楽曲解説全文を掲載いたします。
なにぶん、校閲以前の荒っぽい第一稿につき(初校ゲラで、もう少し削る予定でした)、間違いがあるかもしれません。
しかし、開催されていれば、どのような演奏会になっていたかを感じていただく、せめてもの縁(よすが)になれば幸いです。
あらためて、飯森範親さんの首席客演指揮者就任、および、東京佼成ウインドオーケストラ創立60年に、衷心よりお祝いを申し上げるとともに、一刻もはやい活動再開を願ってやみません。
富樫鉄火(音楽ライター)
*****************************
東京佼成ウインドオーケストラ 第148回定期演奏会
指揮:飯森範親 〈首席客演指揮者〉就任記念
(4月29日、東京芸術劇場にて)
楽曲解説
富樫鉄火(音楽ライター)
◆献呈序曲 C.ウィリアムズ作曲
1962年、米インディアナ州にあるエヴァンズヴィル大学内に音楽棟が落成したのを記念して委嘱・作曲され、同大のバンドによって初演された。東京佼成WO創立60年を告げるシリーズの幕開け、さらに、マエストロ飯森範親の首席客演指揮者就任を寿ぐような、祝典序曲の名作である。
曲は、ウィリアムズお得意の、金管群を中心とするファンファーレのリピートではじまる。やがてエヴァンズヴィル大学の学生歌がコラールとなってゆったりと流れる。後半はフーガ風となり、学生歌と冒頭ファンファーレが交錯して華やかに曲を終える。
クリフトン・ウィリアムズ(1923~1976)は、もとはオーケストラのホルン奏者。作曲は、主にイーストマン音楽院でハワード・ハンソンに学んだ。吹奏楽といえば、まだ戦時中の軍楽マーチの印象が残っていた1950年代に、斬新で知的なサウンドで登場し、アメリカ音楽界に刺激を与えた。優秀な吹奏楽曲におくられるオストワルド賞の第1回を《ファンファーレとアレグロ》で、第2回を《交響組曲》で、2回連続で受賞している。後年はテキサス大学やマイアミ大学で教鞭をとり、マクベスやチャンスといった人気作曲家を育てた。 近年、未出版の楽曲が発掘され、再評価が高まっている。【約7分】
◆アルメニアン・ダンス〈全曲〉 A.リード作曲
誕生の経緯
吹奏楽史に大きな足跡を残した作曲家・指揮者、アルフレッド・リード(1921~2005)の代表作で、アルメニア系の名バンド指導者、ハリー・ベギアン(1921~2010)の委嘱によって書かれた。パート1(第1楽章)が1973年1月に、パート2(第2~4楽章)が1976年4月に、それぞれ同氏が指揮するイリノイ大学バンドによって初演されている。
諸事情で、第1楽章と第2~4楽章で、別々の出版社から刊行されたので、「パート1」「パート2」の2部に分かれているかのように思われているが、当初から4楽章構成の交響曲的な組曲として計画されており、本日のように全4楽章を連続して演奏するのが本来の姿である。
曲のモチーフは、トルコに隣接し、アジアとヨーロッパの中継点でもある「アルメニア共和国」の民謡や舞曲。特に、近代アルメニア音楽の始祖コミタス(1869~1935)が収集・作編曲した旋律が使用されている。
ちなみにコミタスとは、アルメニアで初めて西洋音楽教育を受けた僧侶・声楽家・合唱指導者で、20世紀初頭、オスマン帝国(トルコ)によるアルメニア人大虐殺の混乱で逮捕、心身を病んで母国を追われ、パリで客死した悲劇の音楽家である(この時期、多くのアルメニア人が国外を脱出した。大虐殺の犠牲者数は、最大150万人と見られているが、トルコ政府は、計画的虐殺の事実を否定している。トルコのEU加盟がいまでも認められない理由のひとつが、これである)。
本曲は、大虐殺の悲劇を描いたものではないが、委嘱者ベギアンの両親はアルメニアからアメリカにわたった移民である。よって祖国への関心を促したいとの思いがあったことは十分考えられる。
作曲された時期は、リード黄金時代の幕開けで、直前には《ハムレットへの音楽》(1971)や、《アレルヤ! ラウダムス・テ》(1973)が、またパート1と2の中間には《オセロ》の原曲(金管アンサンブルの劇音楽、1974)が、そして以後は《春の猟犬》(1980)と、綺羅星のごとき名曲が並んでいる。
吹奏楽表現を完全に取り込んだリードが、その才能と技術のすべてを注ぎ込んで完成させた、吹奏楽オリジナル曲の極北と呼ぶべき傑作中の傑作である。
楽曲について
第1楽章 [パート1]
アルメニア民謡《あんずの木》《ヤマウズラの歌》《ホイ、僕のナザン》《アラギャス山》《ゆけゆけ》の5曲によって構成された、一種の狂詩曲。このうち、《ヤマウズラの歌》はコミタスの創作歌である。
壮大な幕開け《あんずの木》は、隣国トルコとの国境にそびえるアララト山(5,137m)を描写しているかのよう(旧約聖書で、ノアの方舟が漂着した山)。「あんず」はアルメニアを象徴する果物。同国の民族楽器ドゥドゥークも、あんずの木で作られている。
つづいてヤマウズラがヨチヨチと歩きまわる様子が描写され、舞曲を経て、アラギャス山(4,090m)を讃える曲想となる。ラストはスピーディーな疾走。途中に登場する同音スタッカートの連続は、民衆の笑い声を描写した部分である。クライマックスは、数多いリード作品の中でも群れを抜く見事なスコアリングだ。
この楽章だけがほかに比べて極端に長いので、独立して演奏されることが多い。過去、全日本吹奏楽コンクール(全国大会)に22回登場の人気を誇っている。
第2楽章〈風よ、吹け〉(農民の訴え) [パート2:第1楽章]
若者が山に向かって「風よ、吹け」と祈りを捧げ、貧しい暮らしからの解放を願う。主要メロディをイングリッシュホーンが奏でる、叙情的にして感動的な楽章。なお以下の原典も、すべてコミタスが蒐集・編曲した民謡である。
第3楽章〈クーマー〉(結婚の舞曲) [パート2:第2楽章]
「クーマー」とはアルメニア女性の名前。田舎での素朴な結婚式の祝いの光景が描写される。原曲は、コミタスが採譜してソプラノ独唱+混声合唱用に編曲したもの。
第4楽章〈ロリ地方の農民歌〉 [パート2:第3楽章]
第1楽章に準ずる長大な楽章。ロリ地方はアルメニア最北部、ジョージア(旧名グルジア)に接した地域。ここで働く農民たちの労働歌がもとになっている。後半で何度となく登場する、跳ねるようなリズムの部分は、農民たちのかけ声を描写している。暗く悲痛な叫びと、時折差し込む明るさが見事に交錯し、やがて第1楽章同様、アップテンポで華やかに幕を閉じる。
【計約30分】
<休憩>
◆青い水平線(ブルー・ホライズン) F.チェザリーニ作曲
正式曲名は、「3つの交響的素描《ブルー・ホライズン》作品23b」という。原曲は、ファンファーレ・オルケスト(金管群+サクソフォン群+打楽器群)のために書かれた《アビス》作品23aで、これを2003年に、吹奏楽版に改訂したもの。
原曲同様、アビス(深遠/深海)がモチーフとなっており、チェザリーニ特有の「音楽によるストーリー・テリング」が展開する。曲名に「ブルー」と付いていたり、クライマックスにクジラの声が登場したりすることから、自然回帰や、環境破壊を憂えるメッセージを読み取ることもできそうだ。
全体は3部構成だが、アタッカ(切れ目なし)で演奏される。
1)発光生物
深海を静かに流れてゆく発光生物を描く。オーボエが重要な響きを奏でるが、管打楽器だけでこれほどの静謐さを表現できたことに驚きを覚える。
2)リヴァイアサン対クラーケン
旧約聖書に登場する海獣「リヴァイアサン」(クジラのイメージ)と、北欧の海獣「クラーケン」(巨大タコのイメージ)の戦いを描く。いわば西洋に伝わる2大海獣の決戦を描いたもの。戦いが終息すると、ふたたび深海へと降りてゆく。
3)ブルー・ホエール
The Blue Whaleは、地球最大の生物「シロナガスクジラ」(体長30m)の英語名。大海原を悠々と泳ぐ姿が描かれる。途中、本物のクジラの声が「効果音」として流れるので、耳を澄ませていただきたい。終曲部分では、クジラが深海へ静かに消えてゆく様子が、美しく描かれる。
フランコ・チェザリーニ(1961~)は、スイス南部、ベリンツォーナの出身(ここは地図上はスイスだが、完全なイタリア語文化圏)。その後、ルガーノやバーゼル、ミラノなどでフルートや指揮、作曲などを学んだ。日本では、1990年代後半から《ビザンティンのモザイク画》《アルプスの詩》、そして本曲などが知られるようになった。《トム・ソーヤー組曲》《ハックルベリ・フィン組曲》《闇を這うもの》など、文学を題材にした曲も多い。大の親日家で、いまや、フィリップ・スパークや、ヨハン・デメイ、ヤン・ヴァン=デル=ローストなどとならぶ、ヨーロッパの大人気作曲家である。【約15分】
◆交響曲 第1番《アークエンジェルズ》 F.チェザリーニ作曲
前曲につづく、チェザリーニ作品。
「作曲」とは、委嘱元、つまりスポンサーがあってはじめて成立することが多いものだが、本曲はまったくちがう。チェザリーニ本人が、自分の意志で、密かに書き進めていた“自主作品”である(構想は、1990年代からあったらしい)。
それだけに、2016年2月、スペインのビルバオ市吹奏楽団によって、チェザリーニ本人の指揮で初演された際には、たいへんな話題となった。なにしろ、全4楽章、40分近い交響曲が、突如、吹奏楽界に登場したのだ(日本初演は、同年6月、鈴木孝佳指揮のタッド・ウインドシンフォニー)。
曲は、西洋で親しまれている大天使(アークエンジェルズ)がモチーフとなっており、キリスト教における3大天使+ウリエル(もしくはユダヤ教における4大天使)が取り上げられている。
第1楽章《ガブリエル~光のメッセンジャー》
よく「受胎告知」などの絵画で、聖母マリアの前で跪き、イエスを身ごもったことを知らせている天使が描かれている。あれが、ガブリエルである。シンボルは「百合の花」。神のメッセージを伝えるのが仕事だ。絵画では優しい女性風に描かれるが、戦士でもあり、最後の審判で、ラッパを吹いて死者を蘇生させるのが、この天使である。
冒頭は、ティンパニと全奏の激しい交錯で開幕する。まず、ガブリエルの戦士としての性格が描かれる。その後、穏やかな曲想となり、神のメッセンジャーとしての優しさが描かれる。この2面性が交互に登場し、壮大なクライマックスを形成する。
第2楽章《ラファエル~魂をみちびくもの》
ラファエルは、病人の守護天使。「癒しを司る天使」としても知られる。魚の内臓から処方した秘薬で盲人を治したこともある。シンボルは「魚を持つ姿」。
曲は、そんなラファエルの性格を美しく描く。敬虔な曲想がつづき、次第に高まったあと、静かに終わる。
第3楽章《ミカエル~神の御前のプリンス》
カトリックでは「大天使ミカエル」と呼ばれ、「長」のイメージがある。天上の軍団のリーダーであり、現代では、警官・兵士・消防士などの守護天使である。シンボルでは「右手に剣、左手に魂を測る秤」を持っていることが多い。
戦闘リーダーだけあり、曲も激しい展開がつづく。現代的な響きのなか、時折、古風で落ち着いた曲想が交錯する。これがチェザリーニの個性のひとつでもある。
余談だが、大天使ミカエルは、日本の作曲家、藤田玄播(1937~2013)も《天使ミカエルの嘆き》(1978)で取り上げている。聴き比べてみるのも一興だろう。
第4楽章《ウリエル~時を守るもの》
ウリエルは、キリスト教の聖書正典では、大天使には含まれない。だがユダヤ教では上述3人とともに「4大天使」とされており、重要な存在である。シンボルでは「書物と炎の剣」を持っていることが多く、作家や詩人の守護天使といわれている。同時に星の運行(時間)の守り役でもある。
曲はゆっくりとはじまり、様々な楽器を従えるように加えてゆき、やがて壮大なクライマックスへ登ってゆく。おそらく吹奏楽によって表現された、もっとも巨大なスケールと思われる壮大な響きが展開する。
なお、チェザリーニは、2018年12月に、歌川広重の浮世絵シリーズ「名所江戸百景」を題材にした、交響曲第2番《江戸の情景》を発表している。
【計約35分】
<敬称略>
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2020.03.16 (Mon)
第275回 映像に頼らなかった『ナウシカ』

▲昨年12月、新橋演舞場で、昼夜通しで上演された。
新型コロナ禍で、のきなみコンサートや芝居が中止になっているが、映画館は、なんとか開館しているところが多い。そこで、METライブビューイングで、ベルクのオペラ《ヴォツェック》を観てきた。
《ヴォツェック》といえば、1989年のウイーン国立歌劇場の来日公演が、忘れられない(クラウディオ・アバド指揮、アドルフ・ドレーゼン演出)。舞台セットもリアルで、「現代演劇」を思わせる、素晴らしい上演だった。
今回のMET版は、“ヴィジュアル・アートの巨匠”ウィリアム・ケントリッジの演出。このひとは、METでは、ショスタコーヴィチ《鼻》、ベルク《ルル》につづく3回目の登場である。毎回、抽象的なセットを組み、不思議なドローイング・アニメを舞台全体に投影する。ああいうのを「プロジェクション・マッピング」と呼ぶのだと思う。
しかし、わたしのような素人にはどれも同じに見え、過去2作と、大きなちがいを感じなかった。常に舞台全体になにかゴチャゴチャしたリアル映像が投影されているので、演技や歌唱にも没入できなかった(主演歌手2人は素晴らしかった)。
最近の芝居は、舞台上にリアルな映像を投影する演出が多い。この手法を使えば、巨大なセットを組んだり、転換したりする必要がない。澤瀉屋のスーパー歌舞伎Ⅱなども、プロジェクション演出が多く、花吹雪、松明の炎、巨大な城塞、川など、多くが映像である。これなら舞台転換が一瞬でできる。そのかわり、映画のように、次々と「場」や「景」を変えることが可能なので、芝居ならではの落ち着いた雰囲気が失われることもある。
ところが、その直後、プロジェクション演出に頼らない大型舞台を、同じ松竹の製作で観た。歌舞伎版『風の谷のナウシカ』の全編映像である。昨年12月の上演だが、瞬殺でチケットが完売したので(もちろん、わたしも買えなかった)、映像収録され、この2~3月、前後編(計7時間近く)に分けて上映されたのだ。
なにぶん、アニメの印象が強いので、プロジェクション演出が活躍するものだと思っていた。ところが、意外や、中身は昔ながらの「歌舞伎」であった。
たとえば、昼の部、序幕のラスト(=映画のラスト。原作漫画の第2巻半ば)で、ナウシカが王蟲(オーム)と心を通わせ、「その者青き衣をまといて金色の野に降り立つべし」の名セリフが述べられる場面。ここが舞台で再現されるなら、まちがいなくプロジェクション演出だと思っていた。だが、菊之助とG2(演出)は、そうしなかった。「金色の野」は、大勢の黒衣が操作する、昔ながらの「浪布」(ただし金色)で表現されたのだ。
ナウシカがはるか彼方に飛んで去る様子は「遠見」が使われた(ナウシカと同じ衣裳の子役が舞台奥に登場し、遠くに小さく見えるような演出。『一谷嫩軍記』で有名。ただし今回の映像では、その子役をアップで映してしまったので、「遠見」の意味が皆無だった)。
そのほか、時折、効果的な映像が投影されることはあるが、多くは、描き割りやセットで進行した。《娘道成寺》や《連獅子》から持ってきた演出や、宙乗り、本水での立ち回りも登場し、たしかにわたしたちは、スーパー歌舞伎ではなく、「歌舞伎」を観たのであった(七之助の演じるトルメキア皇女クシャナなどは、女形の魅力満載で、原作漫画を超越していた。あまりのカッコよさに、もっと出番を増やしてほしかった)。
わたしが、芝居におけるプロジェクション効果に最初に驚いたのは、2012年2月、サンシャイン劇場で観たミュージカル『ロッキー・ホラー・ショー』であった。道路上を疾走するリアル映像が運転手の主観で投影され、どこかのアトラクションに紛れ込んだようであった。
その後、帝国劇場での大型ミュージカルなどにも、プロジェクション演出が増えた。たとえば『ミス・サイゴン』などは、あまりの巨大セットが必要で、1992年の日本初演時、帝国劇場を大改修したことが話題となった。そのため、当初は、帝国劇場と博多座でしか上演できなかった。しかしその後、プロジェクション技術が発達し、かなりの場面を「映像」で表現できるようになった。そこで2012年から、全国ツアーが可能になった。ただし、初演時の、あの生々しいスペクタクル感は失われたように感じる(こうしてみると、2012年あたりが、「映像舞台」元年だったのだろうか。そういえば、『レ・ミゼラブル』も、2013年から映像を多用した演出に変更されている)。
かようにいまの演劇界には、プロジェクション効果があふれている(開催されるかどうか微妙だが、今度の東京五輪の開会式など、映像だらけになるような気がしている)。
それだけに、菊之助の『ナウシカ』は、かえって新鮮で、舞台劇本来の面白さを、あらためて気づかせてくれた。やはり舞台とは、リアルさもさることながら、作り物の面白さ、いい意味での安っぽさを、いかに本物に感じさせるかも魅力のひとつだと思う。
大詰めにおけるセリフの応酬も、原作漫画では、一種の環境哲学論のように展開するのだが、たいへんうまく、芝居ならではのセリフに書き換えられていた。これも、同じ考え方だろう。
時代小説作家で、歌舞伎の見巧者としても知られる竹田真砂子さんは、先日、ある会で、こんな主旨のことを述べておられた。
「今回の『ナウシカ』は、戦後の歌舞伎の歴史における2度目の革命です。1度目は、昭和26年の『源氏物語』でした(舟橋聖一台本、九世市川海老蔵=のちの十一世市川團十郎主演)。新築開場3か月目の歌舞伎座での上演でした。このときはじめて、平安時代が歌舞伎で描かれました。しかし歌舞伎は、基本的に江戸時代のお芝居で、セリフも江戸ことばです。さすがに光源氏が七五調で話すのは、おかしい。そこで、現代語で上演されました。これは明らかに革命でした。今回の『ナウシカ』は、異世界を描く漫画を題材にしながら、ちゃんと歌舞伎になっている。これもすごいことで、革命だと思いました」
竹田さんほど長く歌舞伎を観ている方が、そういうのだから、やはり『ナウシカ』は革命的舞台だったのだ。もし再演された場合、くれぐれもプロジェクションを多用した“映像版”にならないことを、切に願う。
<一部敬称略>
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2020.03.12 (Thu)
第274回 オペラ《疫病流行時代の祝宴》

▲キュイ作曲、オペラ《疫病流行時代の祝宴》 (Chandos)
ロシア5人組のひとり、セザール・キュイ(1835~1918)は、軍人が本業で、作曲はあくまで余技だった。だが彼は、5人組のなかではもっとも長寿で(ロシア帝国時代に生まれ、ソ連成立直後に83歳で亡くなった)、膨大な数の作品を残している。
一般クラシック・ファンに知られる作品は少ないが、そのなかに《疫病流行時代の祝宴》なる恐ろしい題名のオペラがある(《ペストの時代の祝宴》などの邦題もあり)。
1901年初演、30分ほどの、1幕ミニ・オペラである。
原作はプーシキンの戯曲だ(邦題『ペスト蔓延下の宴』もあり)。
元ネタはスコットランドの作家、ジョン・ウィルソン(1785~1854)の戯曲『ペストの都市』全3幕で、このなかの1場を取り上げ、書き換えたという。
(余談だが、プーシキンの原作は、「小さな悲劇」と題された4部作シリーズのなかの第2部。第1部にあたるのが、『アマデウス』の元ネタとなった『モーツァルトとサリエーリ』で、これはリムスキー=コルサコフがオペラ化している。第4部『石の客』もダルゴムイシスキーがオペラ化した)
物語は、1665年にロンドンを襲ったペスト大流行がモデルになっている。この年、ロンドンだけで約10万人の命が奪われる大災厄だった。『ロビンソン・クルーソー』を書いた作家・ジャーナリストのダニエル・デフォーは、後年、『ペストの年』と題して、その様子を、いまでいう「ノンフィクション・ノベル」スタイルで、レポートにしている(邦題『ペストの記憶』もあり=武田将明訳、研究社刊)。
で、肝心のキュイのオペラだが、上記プーシキンの同名戯曲を、ほぼそのまま台本にして音楽化している。
筋は他愛ないもので、舞台はペストに襲われた、ある町。
こんな状況下にもかかわらず、どこかの国のライブハウスのようにひとが集まって、路上宴会が開催されている。彼らは仲間の死を悼んでいるようで、1人の女性が、犠牲者を悼む歌《昔はこの地も栄えてた》を歌う。主宰者の男は、戯れ歌《ペストに捧げる賛歌》を歌う。
そこへ司祭が通りかかり、「神をも恐れぬ宴会じゃ。自分の家に帰りなさい!」と、安倍総理みたいなお触れを発する。主宰者は、妻をペストで失ったことをあらためて思い出し、半狂乱になる。
ほぼ、こんな筋である。死の恐怖に対する人間の、さまざまな反応ぶりを戯画化している……とでもいうか。
ただ、キュイの音楽は立派で、女性の哀歌など、なかなか味わいがある。
しかし、なんだってキュイは、こんな題材をオペラにしたのだろう。
まず、1899年がプーシキン生誕100年とあって、ロシアではさかんに記念上演がつづき、ブームになっていたことがある。1883年には、プーシキン原作の歌劇《カフカースの虜囚》を発表して好評も得ていたせいもあるだろう。
そしてもうひとつ、これはわたしの想像だが、作曲の数年前……具体的にいえば、1892~1896年にかけて、ロシアがコレラに襲われていたことが、キュイの脳裏にあったような気がする。この間、約23万人ものひとが亡くなった。
実際に疫病が流行していた時代に、疫病を題材にしたオペラを発表するキュイも、なかなか強かな作曲家だと思う。
ちなみに、コレラの犠牲者のなかには、あのチャイコフスキーもいた。彼は、1893年11月6日、コレラにより、サンクトペテルブルクで亡くなった(一時、同性愛発覚にまつわる自殺強要説も流れたが、近年では、やはりコレラ死因説に落ち着いているようだ)。
キュイは、毒舌の音楽評論家としても有名だった。彼が、5歳年下のチャイコフスキーをどう思っていたか、詳しいことは知らないのだが、けっこう、厳しい評を述べたこともあったという。
【参考資料】
*歌劇《A Feast in Time of Plague》CDライナーノーツ(Russian State Symphony Orchestra/Valéry Polyansky)〈Chandos〉
*プーシキン『ペスト蔓延下の宴』(郡伸哉訳、群像社刊)……『青銅の騎士』所収
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2020.03.05 (Thu)
第273回 課題曲《龍潭譚》余聞

▲泉鏡花『龍潭譚』は、『鏡花短篇集』(岩波文庫)所収。
この1月、全日本吹奏楽連盟の事務職員2名による使い込み(10年弱の間に1億5000万円!)が発覚した。まったくひどい話で、大半が未成年相手である吹奏楽振興の一翼を、このような組織が担っていたのかと思うと、暗澹となる。その後、全日本アンサンブルコンテスト(全国大会)が新型コロナ対策で中止となった。そのほか多くのコンサートやイベントも中止になった。どこもたいへんだが、吹奏楽界も踏んだり蹴ったりである。初夏にはコンクール予選がはじまる地方があるが、果たして問題なく運ぶのか、少々心もとない。
今年は、課題曲5曲のなかに、《龍潭譚》[りゅうたんだん](佐藤信人作曲)なる曲がある。文学ファンならおなじみ、泉鏡花の同名短編小説をもとにした曲だ。
小説『龍潭譚』は、明治29年、鏡花23歳のときに発表された、「神隠し」にまつわる幻想小説である。後年の名作『高野聖』の原型のようなおもむきがある。
少年が、ツツジの咲く山道で迷子になる。姉から「一人で外へ出てはいけない」と言われていたのを無視したのだ。見知らぬ子供たちがかくれんぼをしている。気がつくと神社で、まわりには誰もいない。錯乱状態になり、気を失う。目が覚めると、見知らぬ女性の家に……。
題名に「龍」とあるが、実際には龍は出てこない。しかし、おおよそ、想像はつく。鏡花自身、幼くして母を失ったことを思えば、後半は、胸を衝かれる展開となる。
鏡花独特の文語体で書かれているので、最初はとっつきにくいが、明治以降に書かれたものなので、それほどむずかしくはない。慣れれば読める。
いままでに、文学作品が題材になったコンクール課題曲は、そう多くない。おそらく、下記の3曲くらいではないか。
1988年度/三善晃《吹奏楽のための「深層の祭」》(ランボー『地獄の季節』)
1994年度/田村文生《饗応夫人~太宰治作「饗応夫人」のための音楽》
2011年度/山口哲人《「薔薇戦争」より~戦場にて》(ジョン・バートン/ピーター・ホール『薔薇戦争―シェイクスピア「ヘンリー六世」「リチャード三世」に拠る』)
今回の《龍潭譚》は、4曲目の“文学系課題曲”である。泉鏡花お得意の怪奇幻想の雰囲気を上品に再現しながら展開する曲だ。
ところで――その泉鏡花(1873~1939)は、異常なまでの潔癖症だった。生ものは絶対に口にしなかった。酒は沸騰するまでお燗させ、何か手づかみで食べた際は、手で触れた部分を残して捨てた。畳に座って挨拶するときも、手のひらではなく、拳の甲を畳につけた。外出時には、アルコールランプを持参して、なんでも焼いてから食べた。邸内の掃除には、部屋ごとの雑巾を用意させ、階段に至っては、一段ごとに雑巾をかえさせた。
もうひとり、ほぼ同時代の森鷗外(1862~1922)もかなりの潔癖症だった。基本的に火を通したものしか食べず、「まんじゅうのお茶漬け」が好物だった。ご飯の上にまんじゅうを乗せ、熱いお茶をかけて食べるのである。甘党だったせいもあるが、まんじゅうを煮沸するつもりもあったようだ。果物すら、煮てから砂糖をかけて食べたという。
鷗外は本業が医師(軍医)で、当時の最高位「陸軍軍医総監」にまで登り詰めた。彼はドイツで最新の細菌学を学んでいた。そのため、すべての病気は「ウイルス」が原因であると信じていた。だから、なんでも焼いたり煮沸したりしてから食べた。
日清・日露戦争の出兵先で、陸軍兵に大量の脚気(かっけ)が発生したのは有名な話である。特に日露戦争では、戦病死者4万人のうち、3万人が、脚気が原因だった。
だが海軍兵には、脚気はほとんど発生しなかった。当時、海軍は、白飯+麦飯だったが、陸軍は白飯のみだった。それまでほとんどの日本人は麦飯や雑穀を食べていたのに、突然、白飯のみを食べさせられた、そこに脚気の原因があるのではないかとの指摘があった。だが、陸軍は、その考えを受け入れなかった。
いまでは、脚気はビタミン不足が原因であることは常識である。海軍は麦飯から自然とビタミンを摂取していた。これに対し、白飯のみの陸軍は急激なビタミン不足に襲われ、脚気が大量発生した。
だが、当時、森鷗外が中心の陸軍では、脚気=ウイルス原因説が根強かった。決して鷗外ひとりの責任ではないが、最新医学に頼りすぎた結果が、惨劇を招いたのである。
泉鏡花や森鷗外は、天上から、いまの地球を眺めて、どんな思いでいるだろう。
「アルコホヲルもマスクも効果は薄し。煮るべし、焼くべし、触れぬが肝要なり」(鏡花)
「予の〈うゐるす説〉を看過した果てがこれなり。令和に至つても日本が普請中とは、笑止もここに極まれり」(鷗外)
課題曲《龍潭譚》を聴いていると、2人のボヤキが聞こえてくる。
〈敬称略〉
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