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2020.04.27 (Mon)

第282回 テレワークなので『テレマークの要塞』を観た

テレマークの要塞
▲映画『テレマークの要塞』DVDは、
  ㈱ディスクロードの「復刻シネマライブラリー」より発売中。


 こんなに長いこと、映画も芝居も演奏会も美術展も行かない日々は、初めてだ。音楽ライターの仕事もほとんどキャンセルになり、本業も半ばテレワークなので、この際、自宅DVDで、映画『テレマークの要塞』を観た。小学校低学年のころ、両親と「中野オデヲン座」で観た映画だ。

 「中野オデヲン座」は、青梅街道、鍋屋横丁の交差点にあった映画館で、昭和25年創設。父や祖父からは、このあたりは、戦前には3~4館の映画館があったとよく聞いていた。実はここは、江戸時代、堀之内・妙法寺へ参詣に行く際の参道入口にあたる場所だった。みんな、ここにあった茶屋「鍋屋」で一息入れてからふたたび歩き始めたのである。
 それだけに、終戦までは、中野でいちばんにぎわった一角だったというが、わたしが物心ついたころは、映画館は「中野オデヲン座」だけだった。
 ちなみに、「オデヲン座」とは、東亜興業が中央線沿線を中心に展開した映画館チェーンで、たしか、「阿佐ヶ谷オデヲン座」が第1号だったと思う(現在、ラピュタ阿佐ヶ谷の手前にある「トーアフィットネスクラブ」がそうだ)。
 いま「オデヲン座」は、吉祥寺にしかない。

 当時のオデヲン座は、娯楽洋画二番館、3本立てだった。2~3時間が当たり前の外国映画を3本立てで組むとは、いったい、どのようなタイムテーブルだったのだろうか(毎週土曜日はオールナイトだった)。しかしとにかく、わたしは、ここで、子どものころから、映画好きの両親とともに、『大脱走』や『ナバロンの要塞』『レマゲン鉄橋』『007は殺しの番号』『007危機一発』といった娯楽映画を観て育ったのである。

 で、件の『テレマークの要塞』(1965年、アンソニー・マン監督)も家族で行ったのだが、なにしろこっちは子供だから、当然ながらよくわからずに観ていたわけで、2つのシーンしか覚えていない(後述)。半世紀以上たったいま、どんなふうに感じるだろうかと、すこしばかりワクワクしながら観た。

 これは、第2次世界大戦下、ナチスドイツに占領されたノルウェーの、雪山の町、テレマーク県リューケンが舞台である。ここにナチスの重水工場がある。重水は原爆製造に欠かせない。現地レジスタンスは、連合国の支援を受けながら、オスロ大学の反体制派科学者とともに、この重水工場の爆破に挑む。
 通常の戦争映画とちがうのは、舞台が雪に閉ざされた町であり、レジスタンスもナチスも、スキーで雪上を移動しながら逃げたり追ったりする。そのヴィジュアルが新鮮だった。内容は実話だそうで、原作は2冊のノンフィクション『Skis Against the Atom/原爆に立ち向かったスキー野郎たち』と『But for These Men/こいつらがいなかったら』である。
 アンソニー・マン監督はもともと西部劇を多く手がけたひとだが、特に『ウィンチェスター銃'73』(1950)や、『グレン・ミラー物語』(1953)、『ローマ帝国の滅亡』(1964)などで知られる職人である。
 それだけに派手さはないものの、手堅い演出で、ひさびさに、落ち着いた戦争映画を観たような気がした。

 ところで、子どものときに観て忘れられないシーンとは。
 ひとつは、主演の科学者(カーク・ダグラス)と、レジスタンスの女性が、ナチスに追われ、山小屋に隠れるシーンだ。すぐに追手が山小屋にやってくるのだが、ダグラスは、とっさに女性を抱きしめてブチュ~と強烈な接吻をするのである。女性が嫌がるかと思えばそうではなく、満足そうにすぐに応じる(この2人、以前は夫婦で、いまは離婚している)。つまり、新婚旅行でスキーに来たように装ったのだ。敵の目をごまかすためとはいえ、突然ブチュ~とは、子ども心にも、こんなものを観ていいのかと、ヒヤヒヤした記憶がある。

 もうひとつは、クライマックスの列車爆破シーンである。記憶では、山中でナチスの列車を爆破したように観ていたのだが、そうではなかった。重水を積んだ機関車そのものを乗せて海上を行く輸送船があり、そこに爆弾を仕掛けたのだった。よって、列車爆破シーンは地上ではなく、湾内の海上なのだった。ここでも、列車が船から脱線するように海に落ちて水没して行く、珍しいヴィジュアルが展開する。

 そんなわけで、やはり子どものころの記憶なんて、曖昧なものだなあと、意外と新鮮な気分で観たのだが、驚いたのは、マルコム・アーノルド(1921~2006)の「音楽」だった。
 アーノルドといえば、名作『戦場にかける橋』(1957年、デヴィッド・リーン監督)で、ケネス・アルフォード作曲のマーチ《ボギー大佐》に、自作の《クワイ河マーチ》を重ねあわせ、映画のテーマでもある「西洋と東洋の対立や融和」を、音楽でもみごとに表現したことで知られている。

 そのアーノルドが、翌年に音楽を手がけた映画に『六番目の幸福』(1958年、マーク・ロブソン監督)がある。イングリッド・バーグマンが、第二次世界大戦中に中国奥地で活動する宣教師を演じ、日本軍の攻撃から村の子どもたちを守る戦争大作映画である(これも実話ノンフィクションが原作)。
 この音楽も名作として知られており、交響組曲にまとめられているほか、近年では、吹奏楽版に編曲され、日本でも、コンクールの大人気曲である(学校吹奏楽部員なら、だれでも知っている)。
 この時期、アーノルドは、映画音楽作曲家としての頂点を迎えていたのだ。

 で、その音楽の一部、組曲でいうと、第1楽章〈ロンドン・プレリュード〉の一部が、1965年の『テレマークの要塞』でも使用されているのだ。原曲は、バーグマンが決意を固めて中国へシベリア鉄道経由で旅立つ、そのロンドンでの旅立ちのシーンの曲である。
 それが、同じ戦時下の物語とはいえ、雪中のノルウェーで、ナチスと闘うレジスタンスの曲になるのだから、音楽とは、面白いものだ。
 半世紀ぶりに、自宅DVDで観た『テレマークの要塞』だったが、意外なことに気づかせてくれた。「テレワーク」もバカにならないものである。

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2020.04.17 (Fri)

第281回 小説の中の「無観客」歌舞伎

團十郎切腹事件
▲創元推理文庫版、戸板康二「中村雅楽探偵全集」第1巻


 前回、国立劇場における歌舞伎公演の、無観客映像について述べた。
 実は「無観客の歌舞伎」を題材にしたユニークな短編ミステリ小説があるので、ご紹介しよう。
 戸板康二による、『尊像紛失事件』である。

 戸板康二(1915~93)は、歌舞伎評論家にして随筆家。「ちょっといい話」シリーズなどは、かつてエッセイのお手本のように読まれたものである。
 その戸板が、江戸川乱歩の薦めで書き出し、本業顔負けのワザを見せたのが、老優探偵・中村雅楽シリーズである。1970~80年代にかけて、十七世中村勘三郎主演でTVドラマ化されたので、それでご記憶のご年輩の方も多いだろう(江川刑事=山城新伍、竹野記者=近藤正臣)。

 高松屋こと中村雅楽は77歳の大ベテラン歌舞伎俳優。リュウマチで身体が少々不自由なので、いまでは時折、老け脇役で出る程度だが、むかしの芝居の型をよく知っているため、若手役者たちからも慕われ、大切にされている。
 だが、この雅楽には、もっとすごい才能があった。プロ探偵をも上回る推理力である。なぜかこのシリーズ世界では、劇場内や歌舞伎界で、奇々怪々な事件が毎日のように発生しており、それらを雅楽が、過去の経験と見事な推理で、バシバシ解決していくのである。
 それを書きとめるのが大手新聞社の演劇記者「わたし」こと竹野で、要するに、この2人は、シャーロック・ホームズとワトソンなのである。
 第1作『車引殺人事件』(「宝石」1958年7月号)以来、1991年までの間に、全部で87本の短編が書かれた。第7作『團十郎切腹事件』(1959年)などは、なんと直木賞を受賞している。

 さて、本題の『尊像紛失事件』である。
 これはシリーズ第2作で、第1作からわずか4か月後、「宝石」1958年11月号に掲載された。よほど、第1作の評判がよかったのだろう。

 某劇場に座頭で出演している芳沢小半次が今回の主役である(役者と劇場はすべて架空)。
 ある月、新作芝居『小松殿』に平重盛で出演していた。このなかの居室の場に、身の丈三寸の阿弥陀如来像を小道具として出すのだが、なにしろ彼は病的な骨董マニアで、作り物では満足できない。そこで、元大名華族のパトロンが、国宝指定の阿弥陀如来像を持っているというので、よせばいいのに、頼み込んで借り出し、毎日、舞台に出していたのである。
 もちろん小道具係まかせにはせず、はねた後は、自分で丁重にあつかい、楽屋内でキチンと保管していた。
 その尊像が、盗まれた。

 知らせを聞いた「わたし」と、仲のいい江川刑事は、さっそく劇場に駆けつけて調査を開始する。すると、盗難時刻からいままで、劇場から外へ出たものはいないことがはっきりした。つまり、尊像も犯人も、この劇場のなかに、いるのである。
 これ以上は省略するが、尊像は、あっけなく、劇場内の別の楽屋内で発見される。だが、誰が盗み出して、そんな場所に置いたのか、動機は何だったのか、これがどうしてもわからない。
 よって、この小説は、中間から、尊像探しではなく、「どうやって犯人をあぶり出すか」にポイントが移るのだ。
 そこで、老優探偵・中村雅楽の登場である。

 すぐに芸術祭の季節となり、「わたし」の新聞社で、歌舞伎公演を映画フィルムで記録することになった。ついては、観客のいる本興行では、カメラや照明が場所を取って見物の迷惑になるから、千秋楽の終演後に、無観客で収録することになった。
 演目をどうするか。座頭の藤川与七は『熊谷陣屋』か『寺子屋』を提案する。ところが、なぜか雅楽が『盛綱陣屋』にしたい、しかも自分が、芝居道三婆に含まれる大役・微妙を付き合うから、と言い出した。雅楽の微妙が観られるなら、誰も文句は言えない。演目は『盛綱陣屋』に決まった。
 ところが、雅楽は、さらに、奇妙な提案をする。無観客でも構わないのだが、花道の周辺にだけは、見物を置きたい、よって、劇場内のスタッフやその家族、出番のない役者などを集め、花道の外と桟敷だけにエキストラとして座らせるのだ。しかも、かなり具体的に、座席表までつくって、誰がどこに座れと指定するのである。

 なぜ演目は『盛綱陣屋』になったのか?
 なぜ無観客収録なのに、花道の周囲だけに劇場関係者を座らせたのか?
 ここから先はネタバレになるので書けないが、結果、雅楽の策によって、見事に犯人が判明するのである。よほど芝居に詳しい方でも、まさかこんな方法で犯人を見つけ出すとは、想像もできないであろう(少々劇画的ではあるが)。歌舞伎を隅から隅まで知り尽くした戸板康二ならではの、見事な展開である。
 この短編は、尊像探し→犯人捜しと、2段階で楽しませてくれるが、さらに幕切れに、名ラストが待っている。歌舞伎を映像収録すると、こういう面白い事態もあるのかと、唸ってしまうだろう。

 創元推理文庫版「中村雅楽探偵全集」全5巻は、現在、巻によっては新刊入手は困難だが、『尊像紛失事件』収録の第1巻は版元在庫があるようだ。古書店や、アマゾン・マーケットプレイスでも、比較的、入手しやすいと思う。
 緊急事態宣言下、芝居はしばらく観られないが、これがあれば、歌舞伎ファンは十分楽しめるはずだ。
<敬称略>

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2020.04.14 (Tue)

第280回 無観客/平知盛 vs コロナ

義経千本桜
▲中止となった、国立劇場3月公演


 新型コロナ禍で、演奏会や芝居、スポーツなどの「無観客」実施が増えた(その後の「緊急事態宣言」で、それさえもなくなったが)。

 先日、この3月に上演予定ながら中止となった、国立劇場『義経千本桜』通しの、無観客映像がネットで公開され、あっという間に10万回再生を突破したという。
 これは、菊之助が、知盛・権太・狐忠信の3役を完役する、たいへん挑戦的な舞台として話題になっていた(権太のみ初役)。ほかに、道行の静御前を時蔵、義経を鴈治郎など。

 全体を3部に分け(二段目=Aプロ、三段目=Bプロ、四段目=Cプロ)、一か月の間、1日に2プロずつ、日によって入れ替えながら上演する。しかも会場が、通常は文楽などを上演する小劇場(522席)なので、大劇場や歌舞伎座とはちがい、役者の息吹を目の前で感じられるとあって、芝居好きにはたまらない公演となるはずだった。
 もちろんわたしも、3プロ通し券を買って、楽しみにしていた。

 結局、公演は中止となったのだが、その間、ゲネプロのように無観客で完全上演され、国立劇場は、その模様を映像におさめていた。それも「記録」用収録ではなく、最初から配信公開を前提とした、複数カメラによる収録だった。実際、菊之助自身、国立劇場のサイトでこう述べている。

「公演中止期間中、中村時蔵のお兄様、中村鴈治郎のお兄様はじめ、出演者一同、スタッフ一同は上演に望みをつなぎ、稽古に励んで参りました。そして、その舞台の映像を収録することとなりました。お客様が全くいらっしゃらない客席を前に、しかし、カメラの向こうにお客様がいらっしゃることを思い描きながら、精一杯演じましたので、インターネットでお楽しみいただけましたら幸いです」

 わたしも、さっそく拝見した。
 誰もいない客席、拍手も大向うの声もない、静まり返った場内で、役者たちが熱演を繰り広げている。下座や浄瑠璃、柝やツケ打ちが、通常よりも強く響くような気がする。各プロが1時間40分前後にまとめて編集されており、全部観ると5時間ほどかかる。それだけに、歌舞伎に興味のない方には無理にお薦めしにくいのだが、それでも、ぜひ、一か所だけでも、観ていただきたいシーンがある。
 Aプロ(二段目)のクライマックス「大物浦」、1時間30分あたりからラストまでの、約10分間だ。ここだけでも、観ていただきたい。

 突然映る血まみれの武将は、平知盛(菊之助)である。この武将は、史実では壇ノ浦合戦で敗れ、入水して死んだはずなのだが、芝居では生きていたことになっている。そして平家復興をかけて源義経一行を襲うのだが、うまく行かず、反撃を喰らって全身ボロボロ、ここ大物浦(いまの尼崎にあった大型港湾)に逃れてきた。
 上手(右側)にいる子供が、これまた壇ノ浦で入水したはずの幼帝・安徳天皇である(実は姫君なのだが、ややこしいので説明省略。演じるのは、菊之助の長男・丑之助)。

 万策尽きた瀕死の知盛は、ついに義経追討をあきらめ、今度こそほんとうに入水を決意する。港の高台に登り、巨大な碇を全身に巻き付ける(伝承でも、遺体を敵方に渡さないよう、壇ノ浦で碇とともに入水したことになっている)。
 ここで最後の力を振り絞って碇を持ち上げるところが見せ場で、菊之助が凄絶な芝居を見せる。もし観客がいたら、場内は騒然となったであろう。
 そして、どうしても、時期的に、その姿に、新型コロナ・ウイルスと闘い、打ち勝とうとする人々の姿が重なってくる。菊之助の知盛は、「自分の命を捧げるから、なんとか終息してくれ、そして、また芝居ができるようにしてくれ」と訴えながら、海に身を投げたように見えてしまうのである。
 国立劇場の無人の客席は、衝撃である。花道の周囲にも誰もいない。しかし、菊之助をはじめとする役者の思いは、圧倒的な熱量で伝わってくる。
 こういう映像を無料で公開してくれた国立劇場に、最大限の賞賛をおくりたい。
(この項、つづく)
<敬称略>


【参考】
上記『義経千本桜』映像の公開は4月30日(木)15:00までの期間限定です。
上演中止となった上記『義経千本桜』プログラムが通信販売で購入できます。
そのほか、松竹チャンネル(YOUTUBE)でも、「三月花形歌舞伎」(東京・明治座)出演者座談会や、スーパー歌舞伎Ⅱ『新版オグリ』(京都・南座)、「三月大歌舞伎」(歌舞伎座/17日から)などの映像が期間限定で無料公開されています。
5月の国立劇場、文楽『義経千本桜』は、中止となりました。

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2020.04.10 (Fri)

第279回 続・余分なきマスクの余聞

能面
▲小山清茂作曲、交響組曲《能面》
 (小田野宏之指揮、東京佼成ウインドオーケストラ)



 前回、海外で「マスク」(Mask/Masque)といえば、「仮面」「仮面劇」の意味合いが強かったと書いた。
 吹奏楽の世界でも「マスク」を題材とした曲は多い。

 いちばん知られているのは、おそらく、ウィリアム・フランシス・マクベス(1933~2012)作曲の《マスク》だろう。原題は《Masque》なので、正確に訳せば《仮面劇》となる。
 1967年に、アーカンソー州立大学にアート・センターが落成したのを記念して委嘱・作曲された。ここのシアターで仮面劇が上演されるとの“幻想”を音楽にしたものだ。
 いったい、この曲のどこが「仮面劇」なのか、よくわからないのだが、とにかくカッコいい曲で、1970~80年代にかけて、コンクールで大人気だった。特に、1972年に全国大会初演で金賞を受賞した福岡県立嘉穂高校の名演は、いまでも語り草である。

 マクベスといえば、古参の吹奏楽人間にとっては、なんといっても“マクベスのピラミッド”理論である。彼は、吹奏楽における音量や響きのバランスを正三角形のピラミッドにたとえ、下三分の一が「低音域」、真ん中の三分の一が「中音域」、最上部が「高音域」のイメージが理想的だ、と提唱したのであった。

 1978年は、全日本吹奏楽連盟の創立40周年だった。それを記念して、この年の全日本吹奏楽コンクール課題曲4曲中、2曲が、アメリカの人気作曲家に委嘱された。1人はロバート・ジェイガーで、曲は《ジュビラーテ》。そしてもう1人がマクベスで、曲は《カント》(「歌唱」の意味)だった。《さくらさくら》をモチーフに、手拍子なども登場する、たいへんユニークな楽曲だった。
 ところが、晴れの普門館における全国大会で、この《カント》を演奏する団体が「ゼロ」という椿事が発生した。これは《カント》が不人気だったというよりは、《カント》を演奏して全国大会まで登り詰めた団体がゼロだったというべきなのだが、とにかくマクベス先生には、お気の毒な事態であった(たしか、会場に招待されていたのでは?)。

 近年、このマクベスの《マスク》を聴く機会はめったにないが、イギリスの作曲家、ケネス・ヘスケス(1968~)作曲の《マスク》(Masque)は、さかんに演奏されているようだ。原曲はオーケストラ曲で、当初の曲名は《管弦楽のためのスケルツォ》だった。それを、近年になって、《Masque》と改題して、ブラスバンドや吹奏楽に改訂編曲したところ、人気となった。つまり、この曲は、本来「仮面」とも「仮面劇」とも関係なかったわけで、上述マクベス曲と同様、やはり、聴いていて、どこが「仮面劇」なのか、よくわからない。しかし、これまた実にカッコいい、演奏効果抜群の曲なのだ。

 どうも欧米人にとって「仮面」「仮面劇」とは、自分たちの精神史の根本を刺激されるような何かがあるのではないか。
 これに対し、日本における「マスク」「仮面劇」といえば、「能面」である。
 ドナルド・キーンさんは、名著『能・文楽・歌舞伎』の「能面」の章で、「審美的理想は女性の能面の額をも極端に盛り上げたようである」と綴り、そのあとで「室町時代の流行である突き出た額と剃った眉は、偶然ではあるが、当時のヨーロッパのファッションと似通っており、それはまん中から分けた髪型と共に能面の上に永遠の形をとどめることになったのである」と指摘している(新潮社版『ドナルド・キーン著作集』第六巻/講談社学術文庫=入手困難)
 
 そのことを彷彿とさせる曲が、小山清茂(1914~2009)作曲の交響組曲《能面》である。文化放送の委嘱で作曲され、1959年に渡辺暁雄指揮、日本フィルハーモニー交響楽団によりラジオ放送で初演された(楽譜発売元のサイトでは「日フィル・シリーズの一つ」と紹介されているが、そうではない)。
 〈頼政〉(よりまさ)、〈増女〉(ぞうおんな)、〈大癋見〉(おおべしみ)の3楽章構成で、能面から得られる印象が見事に音楽化されている。邦楽舞台を西洋音楽の道具立てで表現したわけで、キーンさんの「当時のヨーロッパのファッションと似通って」いるとの指摘に、通じているような気がする。
 交響組曲《能面》は、その後、1978年度の全日本吹奏楽コンクールで、群馬県立前橋商業高校が、大木隆明先生の編曲・指揮で演奏して金賞を獲得し、一挙に吹奏楽界の注目を浴びた。さらに佼成出版社の委嘱による、作曲者本人が編曲した吹奏楽版も発表されている。

 そして、日本の吹奏楽における「仮面」といえば、やはり、大栗裕(1918~1982)の《仮面幻想》だろう。大栗の遺作となった名曲で、これは、舞楽における仮面「新鳥蘇」(しんとりそ)からイマジネーションを得て作曲されたのだという。誕生の経緯に関しては、音楽プロデューサー、樋口幸弘さんによる名解説(仮面の写真もあり)があるので、そちらをお読みいただきたい。

 いま、わたしがいる東京は、緊急事態宣言下にあり、尋常な生活はおくれない。60数年を生きてきて、まさか、こんな目にあうとは、夢にも思わなかった。
 3月に入って、次々と舞台公演や演奏会が中止となるなか、東京交響楽団だけが演奏会を決行した(3月21日、東京オペラシティ)。わたしも応援のつもりで当日券を買って駆けつけた。終演後、拍手が鳴りやまず、帰ろうとしない聴衆に、指揮者の飯森範親さんが、舞台上からお礼の挨拶をした。
 あのときは、まだ、細心の注意をはらえば(消毒、チケットもぎりは自分で、プログラムも自分で取る、売店中止、ホワイエのテーブル使用不可など)、演奏会もできなくはないのだ、と思っていた。だが、その1週間後、志村けん急死の報が伝わり、それどころではなくなった。
 一刻も早く「マスク」といえば、コロナ対策具ではなく、「仮面」「仮面劇」のことだと、音楽ファンが自然と思える日が来ることを、願ってやまない。
<一部敬称略>

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2020.04.06 (Mon)

第278回 余分なきマスクの余聞

マスク
▲昭和初期、マスクは「黒」が当たり前だった。


 1935(昭和10)年の映画『乙女ごころ三人娘』(PCL映画製作所)は、名匠・成瀬巳喜男監督による初トーキー作品。浅草を舞台にした、流し芸人三姉妹の物語である。原作は川端康成の『浅草の姉妹』。音楽監督は、のちに占領軍専用ホール「アーニーパイル劇場」の楽団長をつとめる紙 恭輔(1902~1981)である(この楽団から、岩井直溥や河辺公一が巣立ち、戦後の吹奏楽全盛時代を築くのだ)。
 この映画に、しばしば、芝居小屋や、音楽小屋(いまでいうライブハウス)の場面が登場するが、なかに「マスク」を着用している観客がチラホラといる。
 そういえば、ほぼ同時期の、おなじ浅草を舞台にした映画『浅草の灯』(島津保次郎監督、松竹、1937年)にも、マスク姿の観客が映っていたような記憶がある(浅草オペレッタのバックステージもので、映画デビューの杉村春子がカルメンを歌い踊っている)。

 日本で、マスクは、炭鉱や建築現場労働者の防塵具として、明治初期から使用され始めたという。それが風邪の予防具として注目を浴びたのは、1918~20(大正7~9)年のスペイン風邪だった。世界中で5000万人、日本でも約40万人の命を奪った(諸説ある)、インフルエンザのパンデミックだ。日本銀行や東京駅丸の内駅舎で知られる建築家・辰野金吾や、劇作家・島村抱月などが、この風邪で亡くなっている。その後、1923(大正12)年に発売された「壽マスク」が商標登録品第1号となって、さらに一般市民にも知られるようになった。

 そんなマスクが、日本人の生活に完全に定着したのが、1934(昭和9)年のインフルエンザ大流行だった(この年、ウイルスが分離=発見された)。
 ということは、上記の映画には、日本人が当たり前のようにマスクを着用し始めた、その最初期の姿が記録されていたのである。

 ところが、ちょっと驚くのは、映画の中のマスクが、みんな「黒」であることだ。ただでさえ、もう古いフィルムで、鮮明とはいえないモノクロ画面のなかに、着物にベレー帽&黒マスク姿の男が登場すると、一瞬、異様な光景に見える。
 最近でこそ、黒マスクは珍しくないが、わたしが子供のころ、マスクは「白」以外、なかった。いや、つい数年前まで、マスクといえば「白」が当たり前だったのではないか。
 ところが、これらの映画を見ると、昭和初期の日本では、「黒マスク」が当たり前だったようなのだ。
 上述のように、日本におけるマスクは、当初は労働現場の防塵具だったので、汚れが目立たないように、黒が当たり前だった。やがて医療用に、漂白されたガーゼなどが使用されるようになり、白にかわっていったという。

 欧米では予防具としてマスクを着用する習慣はなかったが、さすがに今回のコロナ禍で、どこの国でもマスクは当たり前になったようだ。
 海外でMask/Masquesといえば、「仮面/仮面劇」の意味合いが強かった。
 ヴェルレーヌの詩集『艶(えん)なる宴』(1869年刊行)は、多くの作曲家に刺激を与えた。特にドビュッシーが熱狂的なファンで、歌曲集にしているほか、ピアノ曲にもしている。有名な〈月の光〉をふくむ《ベルガマスク組曲》は、この詩集をヒントに生まれている。
 このなかの「月の光」に、こんな一節がある。

「そなたの心はけざやかな景色のようだ、そこに
 見慣れぬ仮面(マスク)して仮装舞踏のかえるさを、歌いさざめいて人々行くが
 彼らの心とてさして陽気ではないらしい。」

                (堀口大學訳/新潮文庫『ヴェルレーヌ詩集』より)

 上記の「仮装舞踏」はかなりの略訳で、原詩では「bergamasques」(ベルガマスク)という。正確に訳せば、「ベルガモ風の仮面劇」となる。
 イタリア北部のベルガモは、むかしは「野暮で不器用な土地柄」として、からかいの対象になっていたらしい。よって、そこで演じられる劇や踊り(むかしの芝居は「仮面劇」が大半だった)=ベルガマスクは、「田舎踊り」の代名詞だった。おそらくいまでいうと、埼玉のことを「ダサイタマ」とからかうのに、似ているかもしれない。
 「ベルガマスク」はかなりむかしから有名だったようで、かのシェイクスピアの『夏の夜の夢』(1595年頃初演)に、すでに出てくる。クライマックス(第5幕第1場)での、職人たちによるドタバタ劇中劇の最期で、機屋のボトム(ライオン役)が、アテネ公シーシアスに向かって、こう言う。
「ところで、幕切れの口上をご覧になりますか、それとも一座の二人組のバーゴマスク踊りをお耳に入れましょうか?」(松岡和子訳/ちくま文庫)
 
 この松岡訳は、「バーゴマスク踊り」に注釈が付いていて、
 「Bergomask イタリア北部のベルガモの人々は野卑で田舎臭いと思われていたらしい。その名を冠した道化踊り」
 とある(新潮文庫版の福田恒存などは「バーゴマスクの馬鹿踊り」と訳している)。
 そして、アテネ公が「では、そのバーゴマスクをやってくれ」と所望し、2人の道化が珍妙な踊りを繰り広げる。

 この踊りが、曲になっている。メンデルスゾーンの劇付随音楽《夏の夜の夢》のなかの、有名な第11曲〈道化師の踊り〉である。この曲に、時折〈ベルガモ風道化踊り〉〈ベルガマスク舞曲〉などの邦題があるのは、上述のような背景があったのである。
(この項、つづく)
<敬称略>

【参考資料】一般社団法人 日本衛生材料工業連合会HPほか

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◆毎週(土)23時・FMカオン、毎週(日)正午・調布FMにて、「BPラジオ/吹奏楽の世界へようこそ」パーソナリティをやってます。
 パソコンやスマホで聴けます。 内容の詳細や聴き方は、上記「BandPower」で。

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