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2020.04.17 (Fri)

第281回 小説の中の「無観客」歌舞伎

團十郎切腹事件
▲創元推理文庫版、戸板康二「中村雅楽探偵全集」第1巻


 前回、国立劇場における歌舞伎公演の、無観客映像について述べた。
 実は「無観客の歌舞伎」を題材にしたユニークな短編ミステリ小説があるので、ご紹介しよう。
 戸板康二による、『尊像紛失事件』である。

 戸板康二(1915~93)は、歌舞伎評論家にして随筆家。「ちょっといい話」シリーズなどは、かつてエッセイのお手本のように読まれたものである。
 その戸板が、江戸川乱歩の薦めで書き出し、本業顔負けのワザを見せたのが、老優探偵・中村雅楽シリーズである。1970~80年代にかけて、十七世中村勘三郎主演でTVドラマ化されたので、それでご記憶のご年輩の方も多いだろう(江川刑事=山城新伍、竹野記者=近藤正臣)。

 高松屋こと中村雅楽は77歳の大ベテラン歌舞伎俳優。リュウマチで身体が少々不自由なので、いまでは時折、老け脇役で出る程度だが、むかしの芝居の型をよく知っているため、若手役者たちからも慕われ、大切にされている。
 だが、この雅楽には、もっとすごい才能があった。プロ探偵をも上回る推理力である。なぜかこのシリーズ世界では、劇場内や歌舞伎界で、奇々怪々な事件が毎日のように発生しており、それらを雅楽が、過去の経験と見事な推理で、バシバシ解決していくのである。
 それを書きとめるのが大手新聞社の演劇記者「わたし」こと竹野で、要するに、この2人は、シャーロック・ホームズとワトソンなのである。
 第1作『車引殺人事件』(「宝石」1958年7月号)以来、1991年までの間に、全部で87本の短編が書かれた。第7作『團十郎切腹事件』(1959年)などは、なんと直木賞を受賞している。

 さて、本題の『尊像紛失事件』である。
 これはシリーズ第2作で、第1作からわずか4か月後、「宝石」1958年11月号に掲載された。よほど、第1作の評判がよかったのだろう。

 某劇場に座頭で出演している芳沢小半次が今回の主役である(役者と劇場はすべて架空)。
 ある月、新作芝居『小松殿』に平重盛で出演していた。このなかの居室の場に、身の丈三寸の阿弥陀如来像を小道具として出すのだが、なにしろ彼は病的な骨董マニアで、作り物では満足できない。そこで、元大名華族のパトロンが、国宝指定の阿弥陀如来像を持っているというので、よせばいいのに、頼み込んで借り出し、毎日、舞台に出していたのである。
 もちろん小道具係まかせにはせず、はねた後は、自分で丁重にあつかい、楽屋内でキチンと保管していた。
 その尊像が、盗まれた。

 知らせを聞いた「わたし」と、仲のいい江川刑事は、さっそく劇場に駆けつけて調査を開始する。すると、盗難時刻からいままで、劇場から外へ出たものはいないことがはっきりした。つまり、尊像も犯人も、この劇場のなかに、いるのである。
 これ以上は省略するが、尊像は、あっけなく、劇場内の別の楽屋内で発見される。だが、誰が盗み出して、そんな場所に置いたのか、動機は何だったのか、これがどうしてもわからない。
 よって、この小説は、中間から、尊像探しではなく、「どうやって犯人をあぶり出すか」にポイントが移るのだ。
 そこで、老優探偵・中村雅楽の登場である。

 すぐに芸術祭の季節となり、「わたし」の新聞社で、歌舞伎公演を映画フィルムで記録することになった。ついては、観客のいる本興行では、カメラや照明が場所を取って見物の迷惑になるから、千秋楽の終演後に、無観客で収録することになった。
 演目をどうするか。座頭の藤川与七は『熊谷陣屋』か『寺子屋』を提案する。ところが、なぜか雅楽が『盛綱陣屋』にしたい、しかも自分が、芝居道三婆に含まれる大役・微妙を付き合うから、と言い出した。雅楽の微妙が観られるなら、誰も文句は言えない。演目は『盛綱陣屋』に決まった。
 ところが、雅楽は、さらに、奇妙な提案をする。無観客でも構わないのだが、花道の周辺にだけは、見物を置きたい、よって、劇場内のスタッフやその家族、出番のない役者などを集め、花道の外と桟敷だけにエキストラとして座らせるのだ。しかも、かなり具体的に、座席表までつくって、誰がどこに座れと指定するのである。

 なぜ演目は『盛綱陣屋』になったのか?
 なぜ無観客収録なのに、花道の周囲だけに劇場関係者を座らせたのか?
 ここから先はネタバレになるので書けないが、結果、雅楽の策によって、見事に犯人が判明するのである。よほど芝居に詳しい方でも、まさかこんな方法で犯人を見つけ出すとは、想像もできないであろう(少々劇画的ではあるが)。歌舞伎を隅から隅まで知り尽くした戸板康二ならではの、見事な展開である。
 この短編は、尊像探し→犯人捜しと、2段階で楽しませてくれるが、さらに幕切れに、名ラストが待っている。歌舞伎を映像収録すると、こういう面白い事態もあるのかと、唸ってしまうだろう。

 創元推理文庫版「中村雅楽探偵全集」全5巻は、現在、巻によっては新刊入手は困難だが、『尊像紛失事件』収録の第1巻は版元在庫があるようだ。古書店や、アマゾン・マーケットプレイスでも、比較的、入手しやすいと思う。
 緊急事態宣言下、芝居はしばらく観られないが、これがあれば、歌舞伎ファンは十分楽しめるはずだ。
<敬称略>

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