2020.05.26 (Tue)
第287回 書評『まんが訳 酒呑童子絵巻』

前回の能・狂言の解説書のなかで、《道成寺》が紹介されていた。その「道成寺」伝説を驚くべきスタイルで取り上げる新書が出た。『まんが訳 酒呑童子絵巻』大塚英志監修/山本忠宏編(ちくま新書)である。
詳しい方なら、書名や著者名から想像がつくだろう。これは、日文研(国際日本文化研究センター)が所蔵する「絵巻」を、場面ごとに拡大抜粋してコマ割りし、吹き出しを付け、「まんが」風に再構成したものである。素材は、書名でもある「酒呑童子絵巻」のほか、「道成寺縁起」、「土蜘蛛草子」の3本。
これらのオリジナル絵巻は、日文研のサイトで無料公開されており、自由に閲覧できる。しかも、素晴らしい使い勝手の良さと精度である。だから、いまさら、鮮明度ではるかに落ちる、小さな新書判に印刷された「紙」で観る必要など、ないはずである。
監修者・大塚英志は、巻末解説で、こう述べる。
<美術館や博物館で絵巻の展示を見ても専門家でない限り簡単に「読む」ことはできない>
大塚は、従来からある「まんが・アニメの起源=絵巻」説に異議を唱えている(たいへん説得力ある論説だが、あまりに微に入り細に入るので、省略)。だが、現在のまんがは「映画的」手法が使用されており、この手法で絵巻を再現して、現代人に絵巻が「読める」ようにすることには意義がある。つまり、
<このような形式に置き換えると絵巻の、特に「絵」の情報として組み込まれた物語の機微を読み取ることができるはずだ>
だから、書名には「まんが訳」とあるが、精神は「映画化」なのである。特に、「道成寺縁起」における清姫の微妙な指先、「土蜘蛛草子」での空を飛ぶドクロや、土蜘蛛の体内から出てくる1,990個の死人の首など、たしかに「映画」的にクローズアップされたことで、はっきり伝わってくるものがある(シャレコウベが可愛らしく描かれていて意外だった。むかしの日本人が、死者に対してどのような意識で接していたかがうかがえる)。
さらに、このように再構成されたことで、絵=物語に、勢いが生まれているような気がした。
わたしは、若いころ、劇画家のさいとう・たかを氏に、こんな話をうかがって、目からウロコが落ちた経験がある。
「コミックは、見開き2頁が、いっぺんに視野に入ってきます。だから、見開き2頁を基本にしてコマ割り構成をします。特に重要なのは、左頁下の最後のコマ。ここをどういう絵にするかで、頁をめくってもらえるかどうかが決まる」
「さらに、見開き2頁全体が、ノドから小口へ、つまり、真ん中から両外側へ広がるような絵柄、擬音配置を中心にします」
ノドとは、見開き2頁の真ん中の部分。小口とは、頁の外側方向のことである。
たしかに、『ゴルゴ13』の任意の箇所を見開き2頁で開くと、ゴルゴの銃口は、ほとんどが、小口に向かっている。右頁だったら右外側に向かって、左頁だったら左外側に向かっており、「ドキューーーーーーン」や「シュッ」などの擬音も、多くはノド(真ん中)から小口(外側)へ向かって描かれているのだ。車や飛行機も、ノドから小口の方向へ走ったり飛んだりしている絵柄が多い。
「これによって、コミックは、小さなコマの連続にもかかわらず、常に、外へ外へと大きく広がるような感覚を生むことができるんです。もちろん、こういうことを最初に考え出したのは、手塚治虫先生ですがね」
わたしは、後年、アメコミの日本語版を編集したことがあるが、アメリカのコミックには、このような感覚は皆無だった。それどころか、リーフ(連載)では見開き2頁で1枚絵だった大柄の構図を、コミックス(単行本)化の際に、頁調整なのか、平気で真ん中で切って、P.3(左開きなので右頁になる)と、P.4(P.3をめくった左頁)に分割して掲載する、恐るべき編集を見たことがあり、さすがに呆然となった。
実は、今回の「まんが訳」のコマ割り構成も、上述の”さいとう解説”に、かなり即している。ただし、絵巻は、すべて、右→左の一方通行である。物語は、常に右から左へ動いて行く。だから人物も、顔の多くは左向きに描かれ、安珍を追う清姫も右→左へ走るのである。日本の本は(活字でもまんがでも)縦組みならば、必ず右開きだ。右開きの本では、文章もまんがのコマも右→左へ流れる。だから、絵巻をコマ割りで再構成すると、自然と、コマ内の絵柄も、右→左の流れとなり、絵巻よりも、さらに方向が強調され、勢いのようなものが感じられるのである。
試しに、上述、清姫の追跡シーンを、日文研サイトのオリジナル絵巻と、「まんが訳」再構成で見比べてほしい。クローズアップが多用されているせいもあるが、明らかに、後者に、現代的な勢いがあることがわかるはずだ。
往時の絵巻作者は、もしかしたら、まだ当時はなかった「まんが」「映画」的なコマ割り手法の前兆を、自分でも気づかないうちに感じていたのではないか。そんな気にもなる、たいへん楽しい、知的な一冊だった。
<一部敬称略>
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2020.05.20 (Wed)
第286回 書評『教養として学んでおきたい能・狂言』

仕事柄、エンタメ系の入門書やガイドブックには興味があるほうだが、なかなか、これといった本には、お目にかかれない。
特に代わり映えしないのが、歌舞伎、文楽、能・狂言といった邦楽舞台に関する入門書で、ヴィジュアルが写真かイラストか漫画かのちがい程度で、内容は、ほとんど同じだ。
……と思っていたところ、コンパクトながら、まことにユニークな能・狂言のガイドブックが出た。『教養として学んでおきたい能・狂言』(葛西聖司著、マイナビ新書)である。
著者は元NHKアナウンサーで、現役時代から邦楽番組の名司会者として知られていた。定年退職後は、大学やカルチャーセンターで教鞭をとる「古典芸能解説者」として大活躍だ。わたしも、国立劇場などのトークに何度か接しているが、たいへんな詳しさとわかりやすさに加え、さすがの美しい滑舌・口跡で、これほど聴いて心地よい解説者は、まずいない。
そんな葛西さんだが、すでに歌舞伎や文楽、能・狂言の解説書は何冊か上梓している。だが今回は「教養として学んでおきたい」と付いているところがミソである。読者層は社会に出て活躍している“大人”だ。若者や初心者に媚びるような筆致は一切ない。「本書を手に取る方なら、ある程度の基礎教養はおありでしょう」と言いたげである。しかし、その筆致に品格があるので、読んでいて嫌味を感じない。こういう文章で入門書を書けるひとは少ない。さすがに、全国放送で不特定多数の視聴者を相手にしてきただけのことはある。
本書は、まず冒頭で、一般人が触れやすいと思われている「薪能」や「ホール能」(一般ホール公演)にダメ出しする。とにかく「能楽堂へ行け」と説く。
いまの能楽堂は、室内にあるが、どこも木の香りであふれている。これについては、
<毎日の手入れ、掃除に水や油は厳禁、化学雑巾も使わない。からぶきや糠袋(ぬかぶくろ)などが原則で、日々使い込まれた美しさを保っている>
わたしが知らなかっただけだと思うが、これには感動した。
そして<第二章 能が始まります>は、驚くべき文章ではじまる。
<通常の入門書は第二章が「能の歴史」だったり「能の専門用語」だろうが、本書はいきなり鑑賞に入る>
しかも、
<専門用語の説明は注釈をつけず、本文の中で軽く触れ、それを時折、繰り返すので、まずは実際の舞台や見どころを文字で味わっていただきたい>
なんと、いきなり、具体的な演目をあげて解説するというのである。
なるほど、するとおそらく、初心者向きの名作《安宅》《葵上》《道成寺》《土蜘蛛》、あるいは《鞍馬天狗》あたりが挙げられるのだろう……と思いきや、なんと、葛西さんが挙げたのは《国栖》(くず)である。しかも、ほかの演目はナシ。第二章は、《国栖》一本で行くのである。
わたしは、60余年の人生で、能・狂言は、せいぜい十数回しか観たことがない。歌舞伎と文楽は、すでに生活の一部といっても過言ではないが、能・狂言は、そこまではいかない。よって《国栖》といわれても、なんとなく、そんな演目があったなあと感じる程度で、もちろん観たことはない。
国立劇場(日本芸術文化振興会)のデータベースで検索してみると、2000年代に入ってから、国立能楽堂での《国栖》の上演回数は「5回」である。ほぼ4年に1回だ(もちろん、民間能楽堂での上演も入れればもっとあるだろうが)。
著者自身も、こう書いている。
<《国栖》は、どの能楽入門書にも必ず載っているような有名曲ではない。なぜ解説する最初の作品に、あえてこの作品を選んだのか。この作品には能を楽しむ要素が満載だと思うからだ>
こういうところが、並みの入門書とはちがい、あえて基礎教養のある“大人”を対象にしている所以だろう。わたしが編集者だったら「葛西さん、《国栖》なんて、めったに観られないでしょう。もっとポピュラーな作品にしてくださいよ」と文句をつけたと思う。だが、そうしなかった著者もすごいし、これを通した編集者もえらいと思う。
もちろん、後段で、《国栖》以外の名作も、ちゃんと紹介される。ただし、その紹介の仕方が、これまた尋常ではない。特に《安宅》と《道成寺》の項を読んで、いますぐ観に行きたくならないひとは、まずいないだろう。いままでの入門書は、なんだったのかと、呆然となる。
そのほか、本書の魅力を挙げだすときりがないが、もう一点だけ。
この種の本には、「他人の言に頼らず、自分の目と耳でいいと感じることが重要だ」みたいなことが、よく書かれている。だが葛西さんは、ある意味で逆の主張を述べる。人間国宝、文化功労者、文化勲章などの「栄誉報道」に関心を持つことを薦めるのだ。そして記事中の「贈賞理由」に注意せよと説く。そのほか、評論家による能評を読むことも薦めている。
<なぜ、この人を能楽評論家や識者が褒めるのかを、みなさんは自分の目で、耳で確かめられる幸いを、味わってほしい>
「自分の目と耳」の意味が、いままでの解説書とは、ちがうのである。
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2020.05.18 (Mon)
第285回 無料配信でいいのか。

▲いまや、なんでもかんでも「無料」です。
今年度は中止になったが、毎年、春が過ぎ、吹奏楽コンクールの季節が迫ってくると、SNS上に、中高生たちの似たような投稿が増える。
「うちの学校は、今年のコンクール自由曲が〇〇〇〇という曲に決まったのですが、どこで聴けますか」
これはYOUTUBEなどのネット上で、「無料」で聴ける音源がどこにあるか、教えてくれと言っているのである。「収録されたCDがあるか」「どこから発売されているのか」といった問いは、まずない。
いまや、音楽も映像もニュースも会話も、すべてはデジタルで済むようになり、しかも、かなりのものが(違法も含めて)無料でネット上にあふれかえっている。よって人々は(特に若い子たちが)「著作物」に対価を支払う感覚を失いつつある。本も、たとえ半年待ちでもいいから、絶対に書店では購入せず、図書館で借りようとするひとがいる。
その傾向は、昨今のコロナによる自粛在宅で、一挙に強まったような気がする。
いま(特にGW期間中は)、ネット上は無料配信の天国である。検索で「無料配信」と入力すると、いかに多いか、わかると思う。映画、ドラマ、アニメ、スポーツ、舞台、能、落語、クラシック音楽、ポップス、オペラ、バレエ、美術展、小説、漫画……およそ、わたしたちの周囲にあるエンタテインメントの大半に、いま、「無料」で接することができる。
これが、自粛で在宅している人々へのサービスであり、かつ、在宅解除後もファンになってもらうための下地づくりだったことはわかる。しかし、わたしは、やりすぎだと思う。
特に多いのは、楽団やアンサンブル、劇団が、本来ならステージ上に集まってやるような公演を、個々人の自宅からの中継を合体させる“テレワーク公演”だ。
たまたま、自粛初期のころ、わたしは、フランス放送フィルハーモニー管弦楽団のテレワーク合奏(UNICEF基金の募集)を観た。曲はチャップリンの《スマイル》(映画『モダンタイムス』より)だったが、これはほんとうに素晴らしい映像で、編曲、演奏、パフォーマンス、画面編集などすべてに、考え抜かれた演出とユーモアが施されていた(かなりの手間と時間をかけてつくられたように思う)。後半、わたしは、半ば泣きながら観た。
このレベルのテレワーク映像なら何度鑑賞しても感動するが、なかなかこれほどのものにはお目にかかれていない(たまたま、わたしが知らないだけだとは思うが)。
特に日本のものもいくつか観たが、「仏の顔も三度まで」で、最初は興味を引くが、できることに限界があるので、どれも大差なく、次第に「またか」と感じるようになる。これが、自粛解除後に定期会員の増加につながるとは、とても思えない。意義はわかるのだが、やはり“思い”だけで何かを伝え、貫くことは難しいのだと思う。
これが演劇となると、さらにしんどかった。画面上が8つほど、出演者の数に分割され、ただこちらに向かってセリフを話すだけで、それ以上の動きはない。役者が、自宅の室内で、1人で、固定されたWebカメラに向かって話すだけだ。つまり、ほとんどは“朗読”なのだが、音質に限界があるので、耳に心地よくない。役者たちは、相手の息吹や気配を感じることができないまま演じるので、微妙にテンポがずれて、ナマ舞台特有の“流れ”が、なかなか生まれない。
さる人気劇作家の有名作品がテレワークで上演、無料配信され、たいへんなアクセス数を獲得しているという。さっそく観たのだが、あまり面白くなく、途中でやめてしまった。
もしかしたら、台本をキチンと読む芝居より、アドリブが多いほうが、面白いかもしれないと思い、別の若手劇団のテレワーク公演も観てみた。ところが、これはさらにひどくて、カメラに向かって怒鳴ったり珍妙な表情を見せつけるばかりで、TVの“ひな壇ヴァラエティ”と大差なかった。やってる本人たちはユニークな体験で楽しそうだったが、観ているほうは、少々つらかった。
こういう時こそ、プロ役者は、ほんものを見せるチャンスだと思う。ぜひ、“仕掛け”ではなく、セリフのみで勝負できるシェイクスピアやチェーホフの“Webリーディング”を見せてほしかった(これも、すでにどこかがやったかもしれないが)。
落語もいくつか観たが、『圓生百席』じゃあるまいし、無観客の落語は無理があるように感じた。
松竹や国立劇場が、歌舞伎の“無観客”公演映像を無料公開したが、これは、「記録」であると同時に、(払い戻しがあったとはいえ)高額な切符を購入した見物への“お詫び”の意味もあったと思う。
しかし、これ以上の「無料配信」は、冒頭で紹介したような、「コンテンツにお金を払いたくない」傾向に、ますます拍車をかけるような気がしてならない。
いま、ネット上の「支払い」は、驚くほど簡単になっている。「投げ銭アプリ」もあるし、複雑な手続きなしでネット・ショップを開業し、そこでデジタル・コンテンツを売るシステムもある。安くてもいいから(この状況下では、安くせざるをえないだろう)、ネット上のコンテンツに「対価」を支払う習慣を、この機会に育ててほしかった。
でないと、そのうち「無料(タダ)ならいいけど、カネ払うんじゃ、ちょっとなあ……」が、さらに定着してしまう。そして、やるほうも「どうせタダなんだから、このレベルで勘弁してよ」となり、エンタテインメント界は、先細りするだろう。
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2020.05.12 (Tue)
第284回 「脱グローバル」なのか

▲1週間にわたって東京都高等学校吹奏楽コンクールが開催される、
「府中の森芸術劇場」(府中市HPより)
全日本吹奏楽コンクール=通称「全国大会」(全日本吹奏楽連盟と朝日新聞社の共催)が中止となり、その予選にあたる支部大会や都道府県大会なども続々中止になっている。
全国大会は10月末~11月の開催だが、地方によっては、初夏から予選が始まるし、練習を、ほとんどの団体は春から本格化させる。しかし、学校は休校で部活はできない(はず)。吹奏楽とは、密閉(遮音)された、ほとんどは狭い練習室に、50人前後の人間が集る「3密」が常態である。しかも、息を大きく吸ったり吐いたりして、飛沫も飛ぶ。
よって、仮に開催時期には終息して、ワクチン接種が確実だとしても(まず考えられないが)、それ以前に練習ができないわけで、これでは無理だろう。
ところが、東京都高等学校吹奏楽連盟は、「緊急事態宣言」真っ最中の4月14日付で、夏のコンクール(予選)実施、および参加申し込み受付と、説明会実施の通知を発表した(正確には「実施へ向けて準備を行って参ります」との表現だったが)。
わたしはこれを見て、少々背筋が寒くなった。「規模を縮小」「演奏終了後、解散」「審査結果はHPで発表」などの配慮はあった。だが、無観客実施と思いきや、「観客の制限」を行ない、「チケットの一般販売は中止」するものの、「参加団体の割当チケットと追加チケット」は販売するとされていた。つまり参加団体と追加分(保護者の分だろう)の観客を想定していたようなのだ。大きな会場を長期間借り切る以上、経費が必要なのはわかるが、ちょっと驚く記述だった。
だが、やがて読んでいるうちに、「不思議」な感覚も覚えた。
この通知には「よく検討した上で、学校長の許可を得て、参加申込をお願いいたします」とあったが、参加する以上は「練習」が不可欠なわけで、これに関しては何も触れられていないのだ。「練習は危険だから、禁止します。当日も舞台上は、ほぼ3密状態になります。そのうえで、よく考えて参加してください」というのならわかる(ありえないが)。
だが、その点には、まったく触れられていない。「実施」と「練習」がセットであることは大前提のはずである。これでは「参加する以上、闇練習で問題が発生しても、関知しません」と言っているようにとられても仕方ないと思った。
誤解しないでいただきたいのだが、わたしは、この通知を批判しているわけではない。そうではなくて、長年、あれほどのイベントを円滑に運営してきた都の高吹連が、なぜ、このようにすぐに突っ込まれるような通知を発表したのか、それが「不思議」で仕方ないのだ。
毎年書いているが、東京都高等学校吹奏楽コンクールは、実に巨大な催しである(今年度は第60回の節目だった)。わたしも、若いころは、関東近県、時には地方まで出かけて、予選や支部大会を聴いてきたが、東京の高校の部ほど巨大なコンクールは、ほかにない(東京は、中学の部も巨大運営)。なにしろ、府中の森芸術劇場内の2つのホールを借り切って、4部門、のべ280余団体が(昨年度の場合)、次々と入れ替わりながら、朝から夕方まで、1週間、休みなく演奏し、審査を受けるのである。その間、どれだけの出場者が舞台を横切り、どれだけの観客(保護者、学校関係者など)が、客席に出入りすることか。
だが、わたしも50年近く通っているが、少なくとも、目に見える大きな運営トラブルには、出会ったことがない(最寄り駅~会場の混雑や、会場に不審者がいたとか、落雷で停電とかはあった。全国大会の中学の部で、新潟県中越地震が発生し、演奏が一時中断したこともあった。しかし、これらすべて、運営側の責任ではない)。年ごとに混雑の度は増しているが、それでも毎年、見事に運営されている。
それほど手練れの先生たちが、なぜ、あのような発表をしたのか。全日本吹奏楽連盟の発表を、なぜ、もう少し待てなかったのか。勝手な推測だが、どうも、半ば混乱のうちにこのような発表をしてしまったような気がしてならない。
たまたま都の高吹連の例をあげたが、実は昨今のコロナ禍で、これに似たようなことが、ほかでも発生しているように感じる。休業要請を受け入れないパチンコ屋。それに対する堂々たる反論。夜8時過ぎに営業中の店を警察に通報する市民(犯罪行為ではないのだから、警察に通報しても意味がない)。ポストに投函されたアベノマスクを盗んで歩くやつ(我が家もやられた)。みんな、どこか周囲が見えなくなっている、あるいは、気にしなくなっている。
これらは以前だったら「無秩序」で済んだだろう。だが、コロナ禍のいまでは、小さな「脱グローバル」といえるかもしれない。
というのも、たまたま、アメリカの歴史学者エドワード・ルトワック博士による、産経新聞5月9日付のインタビューにおける「グローバル時代は終わった」との示唆に富んだ意見を読んだからだ。
博士は言う。EUは「新型コロナへの対応に失敗した」「共有された医療情報や共通の医療戦略は存在せず、相互支援もあまりなかった」。
新型コロナは「真実を暴くウイルスだ。EUが機能しないことを暴き、多数の死者を出したイタリアの無秩序ぶりを暴いた」
そして「EUやWHOなどの機能不全が明白となったことで、世界はグローバル化や多国間枠組みから後退し、国民国家が責任をもって自国民を守る方向に回帰するだろう」「今後は英国に続き多くの加盟国が(EUから)静かに脱退していくはずだ」と断定する。
その後、都の高吹連の通知文書はHPから削除され、「実施可否については、現在連盟内で継続的に検討をしています」との文が載っている(5月12日現在)。
【追記】
本稿アップ後、同日、東京都高等学校吹奏楽コンクールは、中止が発表された。
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2020.05.06 (Wed)
第283回 コロナが変えた金曜夕刊

▲経営母体のマルハンとともに休館中の、老舗名画座「新文芸坐」(東京・池袋)
映画ファンにとって、毎週金曜日の新聞夕刊は欠かせない。
どの新聞も映画情報で埋まっており、新作映画の話題、映画評、スタッフ・キャストのインタビューなどが山ほど載っているからだ。往年の「ぴあ」と「キネマ旬報」を合わせたような感じである。
よって、毎週金曜日夜、駅の売店で、朝日・毎日・読売・東京の4紙を買うことが、私の楽しみでもある(4紙あわせてたった200円。なお日経は、映画記事の分量が少ないので、あまり買わない。ちなみに、コンビニでは朝刊しか売っていないので、夕刊は駅構内で買うしかない)。
ところが、首都圏の映画館は、近々、徐々に解除されるようではあるが、いまのところ、封切館もシネコンも名画座もミニシアターも、すべて休館中である。多くの新作も公開延期となった。おそらく、これほど長い期間、映画館の休館がつづくのは、史上、初めてだろう。
「日本映画データベース」によれば、日米開戦の年、1941(昭和16)年でさえ、275本の邦画が製作公開されている。それどころか、すべてが灰塵と帰したはずの敗戦の年、1945(昭和20)年に至ってもなお、50本近い映画が封切されているのだ。黒澤明監督の『続姿三四郎』は昭和20年の5月に、阪東妻三郎主演の名作『狐の呉れた赤ん坊』(丸根賛太郎監督)は11月に、それぞれ公開されている(後者はGHQの検閲指導を受けた、ほぼ最初期の作品)。
ちなみに、昭和20年8月15日も、映画は上映されていた(といわれている)。
8月5日(9日説もあり)封切、『北の三人』(佐伯清監督、東宝)である。当時最高の顔合わせ、原節子・高峰秀子・山根寿子主演、音楽は早坂文雄! 3大女優が、青森や千島の航空基地に勤務する女性通信士を演じた“戦前最後の日本映画”だ(残念ながら、71分中、半分ほどのフィルムしか残っていない。通信士制服姿の3大女優が眼福だが、特に高峰秀子の可憐さは筆舌に尽くしがたい)。
むかしの日本映画界は、かようにしぶとかったのである。
それがコロナ一発で、この有様だ。
しかし、そうなったら、いったい、金曜日の夕刊は、どうなるのか。記者たちは、どうやって紙面を埋めるのか。
わたしは、物書き・編集者の端くれとして。その一点に異常なまでの興味をもって、ここ数週間の金曜日夕刊を眺めてきた。
そして、ほぼ、その回答が出そろったようだ。
いま、金曜日夕刊の紙面は、「過去の名作映画紹介」(DVDや配信)と、「配信新作映画評」の2本立てに、時折、「映画興行界の現状/将来レポート」を混ぜる形で出来上がっている(最初のうちは、かなり前に試写がまわっていた作品の評を載せて、末尾に「公開延期」などと記していた。いまでもその種の“新作評”を載せている新聞もある)。
このコロナ禍で、配信作品への注目が一挙に高まった。アメリカでは、この数か月で、Netflixの新規会員が1600万人に達したそうで、日本でも、「アマゾン・プライム」や「Disney+」「hulu」とともに、会員が増えているらしい。米ユニバーサルが、劇場公開予定だった作品を、配信公開にシフトし始めたため。大手映画館チェーンが「今後、ユニバーサル作品はかけない」と対抗する“戦争”までもが勃発している。
わたしが昨年観た海外の新作映画では、『ROMA ローマ』(アルフォンソ・キュアロン監督、米メキシコ合作)と、『アイリッシュマン』(マーティン・スコセッシ監督、米)の2本が圧倒的に面白かった。どちらも、Netflixの独占配信作品だが、あまりに前評判がいいので、一部の劇場で特別限定公開されたのだ。
当初は、ネット配信映画と聞いていたので、パソコンの画面向きにつくられているのかと思ったのだが、そんなことはなかった。特に『ROMA ローマ』のクライマックスなどは、大スクリーンならではの迫力だった。深みのあるモノクロ映像とあわせて、これをパソコンやスマホで観たのでは、監督の目指したところが伝わらないのではないか、とさえ思った(ただし、スクリーン・サイズの比率は、スマホにピッタリなんだそうだ)。
『アイリッシュマン』も、ロバート・デ・ニーロや、アル・パチーノ、ジョー・ペシといった老名優たちのアクの強い顔や演技が魅力で、ほとんど歌舞伎を観るかのようであった。これまた、映画館のスクリーンで観ると、圧倒的な面白さであった。
『ROMA ローマ』は2018年のヴェネツィア映画祭で金獅子賞(最高賞)を受賞。昨年の米アカデミー賞でも10部門にノミネートされ、監督賞、外国語映画賞、撮影賞の3部門で受賞した。ただし、カンヌ映画祭では「劇場公開されていない作品は出品不可」との規定があり、ほかの配信作品とともに、閉め出された。
『アイリッシュマン』は、本年の米アカデミー賞で9部門にノミネートされていたが、ひとつも受賞できなかった。本年は、ほかにも配信作品があったのだが、前年に“旋風”を巻き起こしすぎた反発か、全般に低調だった。スピルバーグが「配信作品はオスカーに値しない」と発言したことも影響しているかもしれない。
しかし、いったいなぜ、名監督たちは、劇場を捨てて配信に走るのか。
これに関しては、すでに多くの解説が出ており、この紙幅で述べられるものではないが、ひとことでいえば、Netflixなど配信会社の豊富な「資金力」に尽きるようだ。
また、映画館が大量動員向けのシネコンばかりになったため、ファミリー向けやヒーローものであふれかえり、作家性のある作品は敬遠されるようになった。だったら、配信でもいいから、ひとりでも多くの観客に観てもらいたい、と考える監督が増えたせいもあるだろう。
たまたまこの2作は、劇場公開されたので、わたしも観られたが、今後、配信作品はますます増え、会員がネットでしか観られない新作ばかりになるだろう。最近の金曜日夕刊は、すでに、その兆候を示している(ただ、過去の名作案内は、できれば、相応の年齢のベテラン記者か、プロの映画評論家に書いてもらいたい。明らかに周辺知識の乏しい記者が、DVDで大急ぎで観た“感想”にとどまっている記事が散見される)。
映画ばかりではない。
この4月は、国立劇場や歌舞伎座などの中止になった公演の、“無観客映像”が、次々と無料公開された。そして新聞夕刊は、それらの「評」を、本来の劇評欄に、堂々と載せた。読売のように、演劇評論家・渡辺保さんによる、昭和の名優回顧の連載をはじめた新聞もある(垂涎!)。
今後、コロナ禍がどうなるのか、それによって映画や舞台公演の行方も変わるはずだが、配信の増加は、減りそうにない。それにあわせて、新聞紙面もさらに変わると思われる。金曜日の夕刊は、コロナによって変えられたのだ。
ちなみに私は、未見のDVDが山ほどあるので、とても配信まで観ている時間はない。そうでなくとも、映画館や劇場が再開されれば、そっちに入り浸りになるはずだから。
<敬称略>
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