2021.01.18 (Mon)
第295回 睡魔に襲われる映画

▲映画『ルーブル美術館の夜 ダ・ヴィンチ生誕500年展』

▲《パッサカリア》が収録された、ジャック・ルーシェの『プレイ・バッハ5』(左)
エンニオ・モリコーネの「使いまわし」音楽で構成された『NHK特集/ルーブル美術館』サントラCD(右)
第293回で、ヴィヴァルディが効果的に使われている映画を紹介した。
だが、クラシックさえ流せば映画に格が生まれるわけではなく、かえって逆効果になりかねないこともある。今回は、そんな映画をご紹介する(映画そのものがダメなわけではないので、ご了承を)。
2019年に、ルーヴル美術館で「レオナルド・ダ・ヴィンチ没後500年展」が開催された。準備に10年を費やした空前絶後の美術展で、日時指定のチケットは早くから完売、最終的に107万人の大記録を達成した。わたしの知己の美術ジャーナリストも、チケットが入手できず、地団駄を踏んでいた。
その美術展を、閉館後の深夜、接写撮影でじっくりカメラにおさめ、2人の学芸員が解説してくれる、美術ファン垂涎のドキュメント映画が『ルーブル美術館の夜/ダ・ヴィンチ没後500年展』である。下絵なども一緒に見せてくれるので、ダ・ヴィンチが、どのような考え方で作品に取り組んだのか、とてもよくわかった。「モナリザ」はもちろん、「聖アンナと聖母子」なども圧巻だった。
しかし……一瞬たりと睡魔に襲われることなく、この映画を最後まで観通したひとは、少ないのではないか。マスクで少々息苦しくなっている観客は、あちこちからかすかな寝息を立てていた。SNS上でも「寝てしまった」との感想が多い。おそらく近年、もっとも「居眠り率」の高い劇場映画だと思う。
理由はさまざまあろう。ひと気のない深夜の静謐なルーヴル館内、大きくは動かないカメラの長回し、作品を見上げながら半ば自分に向かって酔うように語る学芸員……だがわたしは「音楽」の責任も大きいと感じた。
ほぼ全編、クラシックやバロックの、BGM風に換骨奪胎となった、いわゆる「通俗名曲」が流れっぱなしで、あれでは「寝てくれ」と言わんばかりである。名作美術には、クラシック名曲を流しておけばいいとの、あまりにも工夫のない選曲だ。
ところが、エンド・クレジットで驚いた。ジャック・ルーシェ・トリオによる、バッハの《パッサカリア》ハ短調BWV582が流れたのだ。
いまの若い方はご存じないかもしれないが、ジャック・ルーシェ(1934~2019)とは、1960年代に、バッハをジャズで演奏し、一世を風靡したフランスのジャズ・ピアニストである。その活動は晩年近くまで衰えることなく、題材はヴィヴァルディやサティ、ドビュッシーなどにまで及んだ。品のある、落ち着いた演奏で、“おとなのジャズ”と呼ぶにふさわしかった(わたしは、いまでもウォークマンに入れて、よく聴いている)。
そのジャック・ルーシェが、ラストで流れたのである。これで一挙に、映画の雰囲気が変わった……のだが、すでにダ・ヴィンチは映っていない。スタッフ・ロールの文字ばかりである。もったいない。ジャック・ルーシェを使えるなら、なぜ、全編を彼の音源で通さなかったのか。「聖アンナと聖母子」には平均律、「ほつれ髪の女」にはソナタ&パルティータ、「モナリザ」にはゴルトベルク……緩急織り交ぜた、さまざまなジャズ・バッハを流せば、まちがいなく、画面と音楽が対話しているような効果が生まれ、少なくとも睡魔は減衰したはずである。
わたしは、1986~87年に放映された「NHK特集/ルーブル美術館」(全13回)を忘れることができない。NHKとフランスの民間TV局との共同制作で、案内役がジャンヌ・モローやダーク・ボガート、デボラ・カー、シャーロット・ランプリングといったヨーロッパの名優たち。
しかも、「音楽」がすごかった。全編がエンニオ・モリコーネ(1928~2020)だったのだ! ところが驚くなかれ、曲はすべて、過去の映画音楽の使いまわしなのだ。なのに、テーマ曲といい、各回のテーマにピッタリ合った雰囲気といい、あれが「使いまわし」とはとうてい思えない、明らかに、音楽が画面に寄り添い、一緒に歩んでいるような感動だった(この音楽は、一度だけ、いまはなきサントラ専門レーベル「SLC」からCD 化されたことがある。それほど価値のある音楽だった)。
既成音楽を映画に使用する際は、「BGM」感覚ではダメだと思う。画面と音楽を「対話」「併走」、場合によっては「対立」させるくらいの覚悟がほしい。
<敬称略>
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