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2021.02.16 (Tue)

第300回 怪女優、浪花千栄子

夜の素顔
▲浪花千栄子、戦慄の名演『夜の素顔』(吉村公三郎監督、大映、1958)より。


 現在の朝ドラ『おちょやん』は、浪花千栄子(1907~1973)がモデルだという。
 NHKの番組サイトによれば、「明治の末、大阪の南河内の貧しい家に生まれたヒロイン」が、「さまざまなトラブルを乗り越えて」「ラジオドラマで、12人の子どもを抱える母親役を演じ」「大きな反響を呼び、10年にわたる人気番組となった」とある。
 そして、「『大阪のお母さん』として絶大な人気を獲得し、名実ともに上方を代表する女優となっていく」そうだ。
 わたしは時々、見逃し配信で見ていたのだが、相変わらずのドタバタと、同じようなパターンの展開で、すぐに飽きてしまった。

 上記の「ラジオドラマ」とは、花菱アチャコと共演した『お父さんはお人好し』のことで、わたしの子ども時代、まだ放送されていた(1954~65年放送)。だがわたしには、映画版のほうが印象が強い。浪花が演じた子だくさんの気丈な母親像は、たしかに頼もしい「大阪のお母さん」だった(東宝版の四女=環三千世のかわいらしさ、知人の娘=安西郷子の美しさも忘れがたい)。
 
 そのほか、いま書店に行くと、浪花千栄子の関連本が多く出ており、「昭和日本を笑顔にしたナニワのおかあちゃん大女優」「大阪のお母さん 浪花千栄子の生涯」「浪花千栄子の人生劇場」などの惹句が目につく。
 だが、浪花千栄子は、「大阪のお母さん」以前に、稀代の「怪女優」だった。

 名作映画『二十四の瞳』(木下恵介監督、1954)を観たことのあるひとは多いだろう。
 中盤、大石先生(高峰秀子)率いる子どもたちが、船に乗って金毘羅さまへ修学旅行に行く。すると、参道の食堂で、学校を中退した教え子のマッちゃんが働いていた。極貧の大工の娘で、母親を亡くし、大阪の親類の家に奉公に出たはずなのに、なぜ、こんなところに? 驚く大石先生。店の表で話し込む2人。できれば見られたくなかったマッちゃん。
 そこへ、食堂の女主人、浪花千栄子の登場である。
「どなたでっか! 黙って連れ出されたら、困りますがな」
 ここから浪花千栄子は、絶妙な演技を見せる。
 相手がマッちゃんの元先生だと知ると、とたんに豹変、ニコニコしはじめる。だが、普段は、まちがいなくマッちゃんを虐待している。おそらく、なにかの縁で、大阪へ行くはずだったマッちゃんを引き取り(買い取り?)、無給で酷使しているにちがいない。ひとの見ていないところでは、いま手にしている蠅叩きでぶっているかもしれない。それほどのことを、愛想よく挨拶しながら、たった3分間で、観客に悟らせてしまうのだ。

 このあと、同級生の乗った船をこっそり桟橋から見送るマッちゃんに、《七つの子》が流れるシーンは、日本映画史に残る号泣シーンとして有名だ。だが、直前の浪花千栄子の名演がなかったら、泣けなかっただろう。
 
 浪花千栄子は小津安二郎の映画にも出演しているが(『彼岸花』『小早川家の秋』など)、どれもクセのある役だ。
 たとえば『彼岸花』(1958)では、京都の旅館の女将を演じている(実際、浪花は京都で旅館を経営していた)。知人(田中絹代)の家に挨拶に訪れ、「これ、つまらんもんでっけど」と手土産を女中(長岡輝子)にわたす。女中は頭を下げて受け取るのだが、浪花は突然、怖い顔になり「あんたやおへんで、おうちへどすえ」と言い放つ。このひとことで、浪花の役がどういう性格か、瞬時にわかる。

 このあと、さらにダメ押しの名演技がある。さんざん田中絹代とおしゃべりしたあと、浪花がトイレに中座する。そのとき、廊下の突き当りの「逆さ箒(ほうき)」に気づく(おそらくさっきの女中の仕業)。これを、当たり前のことのように、瞬時に元にもどす。「この程度、どうってことあらしまへんで」とでも言いたげな骨太婆ァぶりである。
 
 『祇園囃子』『女の園』『山椒大夫』『夫婦善哉』『蜘蛛巣城』『華岡青洲の妻』……浪花が脇役出演した名作は、そのまま、日本映画史である。
 その一方で、浪花千栄子は、一見、愛想がよいが、心の底ではなにを考えているかわからない老婆を演じると、見事な味わいを示す。白ランニングと短パン姿で体操指導をする『駅前旅館』の先生、勝新太郎を杖でめった打ちにして気絶させる『悪名』の女親分、『怪談佐賀屋敷』の化け猫など、怪演のオン・パレードでもある。

 そして――わたしは、浪花千栄子の真骨頂は、『夜の素顔』(吉村公三郎監督、1958)にあると思う。
 人気の日本舞踊家元(京マチ子)のもとへ、何年かぶりであらわれ、カネをせびる強欲な母親役だ。風呂上がりの京マチ子(バスタオル姿!)と、玄関先で怒鳴り合いとなる。京は絶対にカネを出さない。それでも浪花は、からみ、叫び、すがりつき、要求金額を次第に下げる。最後は「電車賃でもええんよ!」となり、それでももらえないとなると、ガラス戸に向かってデカい石を投げつけ、玄関を破壊する。ほとんど格闘技だ。欲にまみれた人間が、これ以上思いどおりにならないとわかったときの顔つきを、浪花千栄子は見事に見せてくれる。まさに戦慄の名演技である。あんな顔をつくれる女優は、もう日本にはいない。
 この映画を観て「大阪のお母さん」だの、「日本を笑顔にした」だの、誰が言えるだろう。
<敬称略>

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2021.02.15 (Mon)

第299回 柳の下のガイドブックたち(3)

クヮルテットのたのしみ
▲原著は1936年初刊! いまでも読まれている『クヮルテットのたのしみ』(アカデミア・ミュージック刊)


 1975年に邦訳刊行以来、(増補改訂版も含め)現在まで増刷がつづき、読まれているガイドブックがある。『クヮルテットのたのしみ』(エルンスト・ハイメラン、ブルーの・アウリッヒ共著、中野吉郎訳/アカデミア・ミュージック刊)だ。
 書名のとおり、「弦楽四重奏」のガイドなのだが、正確にいうと、鑑賞者のためではなく、弦楽四重奏を楽しんでいるアマチュア演奏家のためのガイドである。序文から察するに、原著初刊は1936年のようだ。

 わたしは、吹奏楽(管打楽器)には、子供のころから親しんでいるが、弦楽器となるとあまり詳しくない。よって、日本に、そんなに「弦楽四重奏」を楽しんでいるアマチュアがいるのか、よくわからない。「毎週土曜日は、所属している市民吹奏楽団の練習があるんですよ」と言うひとにはよく会うが、「弦楽四重奏の練習があるので……」とは、聞いたことがない(わたしの交友が狭いだけかもしれないが)。
 なのに、「アマチュアの弦楽四重奏愛好者のため」の、このようなガイドブックが、半世紀近くにわたって読まれつづけているのだ。あるひとは、「音楽大学で弦楽器を専攻している学生が、選曲の参考に読むのでは」と言っていた。たしかに内容は選曲ガイドが大半なのだが、前半の具体的なアドバイスも、なかなか面白い。

「音楽のアマチュアは思った通りのことを口にするが、専門の音楽家は心得ている。音楽家はシューベルトの作品29の絃楽四重奏曲とはいわない。シューベルトのアーモールという。その音きたない音だ! などとはいわず、音がちょっと合いませんねという。またそこが出そこなった、とはいわないで、そこに何か音はありませんでしたかなどという。(略)もし長くパートを受持つつもりなら、そしてだんだんこのようないい方ができるようになる」

「始めの数小節のところで他のメンバーに文句を言うのはやめなさい。一楽章を通して演奏し、各プレイヤーにどこが意味深い所かを発見させなさい」

「ケッケルト絃楽四重奏団がこうだったからここはこうしようなどと言ってはいけません。来週はローマ絃楽四重奏団が来てまったく違うように奏き、その方がよいということになるから」


 このように、ユーモアたっぷりなのだ。
 書き手2人はともに1902年生まれ、ミュンヘン在住の親友同士だった。文学系出版社の創業者(ハイメラン氏=ヴィオラ)と、放送局の音楽番組プロデューサー(アウリッヒ氏=ヴァイオリン)で、2人ともアマチュアの弦楽器愛好家で、弦楽四重奏を楽しんできた(邦訳初版の刊行時点でハイメラン氏は逝去していた)。

 そして後半が、本書の中心をなす、いわゆる名曲ガイドだが、「アマチュア演奏家」向けのはずなのに、鑑賞者が参考にしても十分面白く、参考になる。

 たとえば、モーツァルトの《弦楽四重奏曲 第20番 ニ長調 K.499》。
「このうれしい作品は、クヮルテットのめききが最も珍重するもの。これは明晰な透明感と技術的にさほど難しくないからばかりではない。第1楽章の展開部は素晴らしい宝石。しなやかな弓使いが必要。瞑想的なメヌエットが続く。ゆっくり奏くこと」(以下略)

 ショスタコーヴィチの15曲については、「非常な難曲もあるが、アマチュアプレイヤーへの配慮も決して忘れていない」そうだ。
 たとえば《弦楽四重奏曲第10番 変イ長調 Op. 118》は、
「ショスタコーヴィッチの全作品の中でも最も幸福な感情に支配されている。(略/第2楽章は)非常に効果的で、この楽章だけをとり出して演奏してもよい。難しそうに聞えるが、決して難しくなく、アマチュアでも充分こなせる。聞き手はきっとびっくりする」(以下略)
 こういったガイドを読みながら、「演奏者」の視点で曲を聴くと、とても新鮮に楽しめる。

 曲ガイドには、グレード(難易度)表示があり、一部抜粋すると、「1:大変易しい」「3:自分のパートをあらかじめちょっと見ておく方がよい」「5:アマチュア可能な最上限、集中的徹底的な研究なしには果し得ない」。そして「6:アマチュア立ち入るべからずの難曲」となっている。
 表示もアマチュア向けに配慮されており、たとえば「4/3」とあるのは、第1ヴァイオリンが「4」で、ほか3パートは「3」くらい――の意味なんだそうだ。
 ということは、最高難度は「6/6」となるわけだが、たとえばヒンデミットの《弦楽四重奏曲 第4番 作品22》がそうだ。
「調号がない。アマチュアの範囲をはるかに超える」
 ラヴェルの《弦楽四重奏曲 ヘ長調》も、そうだ。これはちょっと笑ってしまうアドバイス。
「第3、第4の両楽章のアンサンブルはアマチュアが克服しうる限界を超えている。終楽章の5/4拍子に慣れるための一番よい方法は『リムスキ・コルサコフ、リムスキ・コルサコフ』という名前をリズミカルに発音して練習してごらん?!」

 第294回で取り上げた、ベートーヴェンの《大フーガ 変ロ長調 Op. 133》は「5/6」。
「大事なことは演奏の前にスコアを丹念に見ておくのを怠ってはならないということだ」「ただ一つのコントロールされていないffのためにさまざまの結果をひきおこすことになり勝ちだからである」「謙虚で良心的なアマチュアはこの作品をいつも尊敬しているが、自分で奏きたいと思う人はむしろ稀であろう」

 そのほか、あまり聞いたことのない作曲家の作品も多く紹介されており、本書を読みながら、NML(ナクソス・ミュージック・ライブラリー)などで、解説内容を確認しながら実際の音を聴くと実に楽しいので、お勧めしたい。

 最後に、ガイドブックではないのだが、「弦楽四重奏」を扱った小説を2つ、ご紹介。
 一つは、丸谷才一(1925~2012)の遺作『持ち重りする薔薇の花』(新潮文庫)だ。ジュリアード音楽院の日本人留学生4人が結成した「ブルー・フジ・クヮルテット」の、トラブルと愛憎乱れる数十年を描いた、「弦楽四重奏小説」の最高傑作(?)である。同じ「4人」だけで長年、ひとつのことをつづける、それがいかに困難で、かつ、続いたとすればそれがいかに奇跡的なことか、よくわかる。
 ちなみに、クラシック・ファンであれば、上記だけで、クヮルテットのモデルがわかることと思うが、どこまでが真実でどこからが創作なのか――は、ご想像におまかせする。

 もう1作は、イギリスの作家ポール・アダム(1958~)の「ヴァイオリン職人」シリーズ3部作(青木悦子訳、創元推理文庫)である。主人公はイタリア・クレモナ在住のヴァイオリン職人ジャンニ(63歳)。彼が、音楽界で発生する奇々怪々な事件を、親友の刑事と組んで解決していく音楽ミステリだ。
 このジャンニは、ヴァイオリンの製作・修理の専門家だが、自身も楽器をたしなんでおり、同業者・刑事・司祭と4人でアマチュアの弦楽四重奏団を結成している。
 第1作『ヴァイオリン職人の探求と推理』(原題『ライナルディ・クァルテット』)は、その4人が弦楽四重奏を楽しむシーンからはじまる。曲は、ベートーヴェンの「ラズモフスキーのどれか」である。

「1小節ずれていたぞ、ジャンニ」「そうだったか」「それにFマークのすぐあと、きみの音が大きすぎたもんだから、自分の出している音が聞こえなかった」「みんなそんなに幸運だったかな」「もう一度やろう。Fの十二小節前。今度はいそがないようにしよう」

 著者は音楽の専門家ではなさそうだが、こういう細かい部分が実にうまく書けている。ミステリとしても面白いので、お薦めする。
 なお、シリーズ第3作『ヴァイオリン職人と消えた北欧楽器』は、日本での人気に応えて、日本向けに書き下ろされたオリジナルである。
 ということは、やはり、日本は「弦楽四重奏」大国なのかしらん?
<一部敬称略>

※ご紹介したいガイドブックはまだまだありますが、この話題は、ひとまず今回で終わります。

持ち重り

ヴァイオリン職人

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