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2021.08.30 (Mon)

第328回 ”タリバン映画”『神に誓って』

神に誓って
▲パキスタン映画『神に誓って』国際版ポスター


 アフガニスタンで、タリバン政権が復活した。アメリカ軍の撤退開始後のことで、世界中が「だから言わんこっちゃない」と呆れた。当初は無血開城だったので、タリバンも変容したかと思われたが、やはり、自爆テロや爆弾攻撃が発生し、ふたたびアフガニスタンは血に染まっている。

 過去、タリバンを題材にした映画は、いくつかあった。
 少女が男装してタリバン少年キャンプで生き抜く『アフガン零年』(セルディ・バルマク監督、アフガニスタン=日本ほか合作、2003年)。
 タリバン政権崩壊後もつづく女性差別の下、ロンドン五輪女子ボクシング出場を目指す女性を追ったドキュメント『ボクシング・フォー・フリーダム』(ホアン・アントニオ・モレノほか監督、アフガニスタン=スペイン合作、2015年)。
 タリバンに逮捕された父を探しに、髪を切って男に化ける少女を描くアニメーション『ブレッドウィナー』(ノラ・トゥーミー監督、アイルランドほか合作、2017年)。
 どれも、人間性どころか女性であることも否定するタリバンの恐ろしさと、それに抵抗する姿を描いて感動的だった。

※『ブレッドウィナー』は、いまや世界を席巻しつつあるアイルランドのアニメ制作会社「カートゥーン・サルーン」の作品。

 だが、わたしが寡聞ながら観てきたタリバンにまつわる映画で、次に紹介する以上の作品は、ないと思う。
 いや、“タリバン映画”であるなしにかかわらず、ここ20年ほどの間に観た海外映画のなかで、何本かの指に入る衝撃を受けた作品。
 それが、パキスタン映画『神に誓って』(ショエーブ・マンスール監督、2007年)である。原題は『Khuda kay Liye』(お願いだから)、海外では『In The Name of God』のタイトルで公開された。製作国パキスタンのほかインドでも公開され、社会現象なみの大ヒットとなった傑作である。
     *****
 パキスタン北部の町に住む、仲のよい兄弟、兄マンスールと、弟サルマド。西洋のポップ・ミュージックを愛好し、デュオを組んでいた。やがて兄は正式に音楽を学ぶため、アメリカのシカゴへ留学する。
 ところが、弟は、ひょんなことから極端なイスラム原理主義に傾倒するようになり、西洋音楽を否定しはじめる。挙句、タリバンに加入し、アフガニスタンへ・・・。
 シカゴに行った兄は、充実した留学生活をおくっていた。アメリカ人のガールフレンドもできた。そこに「9・11」が発生。過激派の弟をもつマンスールはアルカイダとの関与を疑われ、FBIに拘束されてしまう。そして、悪名高いグアンタナモ収容所へおくられ、拷問にあう。

 この兄弟の物語と並行して、彼らの従妹でロンドン在住、パキスタン人女性、マリヤムのドラマが描かれる。
 女子大生のマリヤムには、結婚の約束をしたイギリス人青年の恋人もいる。だが、カフェを経営する父親は、実はバリバリのイスラム原理主義者。自分はかつてイギリス人女性と結婚していたのに、娘が西洋人と結婚することは絶対に許せない。
 すると、なんとこの父親は、パキスタンへ里帰り旅行に行くと見せかけて娘を連れだし、国境を越え、アフガニスタンのタリバン支配の村へ連行、拉致監禁してしまうのだ。それどころか、従弟の青年(上述兄弟の弟サルマド)と、強制結婚させる。何度か脱出を試みるマリヤムだが、うまくいかない。そのうち、無理やり妊娠させられ、女子を産む。
 やがて、マリヤムの安否を憂える周囲のひとたちが、イギリス政府を動かし、マリヤムは救出される――普通の映画だったら、ここで終わりだろう。イスラム社会と、西洋(キリスト教)社会との共存がいかに難しいか、十二分に描かれている。

 だが、この映画がすごいのはここからで、(この点が大ヒットした理由でもあり、わたしが推すポイントでもあるのだが)、救出されたマリヤムは、父親と夫(強制結婚させられた従弟)を告訴するのだ。それも、西洋ではなく、母国パキスタンの法廷に引きずり出すのである。男尊女卑のイスラム社会では考えられない行為である。
 ここは、ほとんど「宗教裁判」。今回の事態は「アラーの教え」どおりなのか、音楽はイスラム教にとって悪なのか。穏健派と原理派(弟サルマドをタリバンに引き入れた宗教家)が、すさまじい論争を展開する。
 いままでに法廷を舞台とした映画は数多くあったが、これほど異色、かつ迫力満点の裁判シーンはない。

 果たして、法廷はどのような裁きを与えるのか、マリヤムはタリバンから解放されるのか。FBIに拘束された兄マンスールは救出されるのか。
 自国にいれば過激な原理主義に取り込まれ、欧米では犯罪者あつかい。愛するひとと普通に結婚もできず、女性は父親の独断で人生を左右される。地球上で行き場のないムスリムの窮状を、この映画はエンタテインメントの形で見事に描き出している。出演俳優たちも美男美女ばかりで、見栄えも十分だ。

 劇中、シカゴの音楽学校に留学した兄マンスールが、実習発表で、母国の音楽をピアノで弾くシーンがある。聴きなれない音楽に戸惑うクラスメートたち。だが次第に、なにかを感じ始めて、一人二人と演奏に参加し、やがて教室中で大合奏になる。
 ここは(少々劇画風ではあるが)なかなか感動的で、忘れられない名場面である。
     *****
 というわけで、ぜひ多くの方々に観ていただきたい――といいたいのだが、残念ながら、そう簡単に観られる映画ではない。
 わたしは、渋谷のユーロスペースで毎年開催されている「イスラーム映画祭」や、国立映画アーカイブなどで2回観ているが、それ以外は、特別な上映会や映画祭でもないかぎり、まず、機会はない。

 わたしの記憶ちがいかもしれないが、上映可能なプリントは(オリジナル・ネガも?)もはや製作国にもどこにもなく、日本の「福岡市総合図書館フィルムアーカイヴ」所蔵の1本しかないような話を聞いたことがある(この映画は、「アジアフォーカス・福岡国際映画祭」が初めて日本に紹介した)。
 わたしが観たのもそのプリントだと思うが、褪色がすすみ、かなり傷んでいた。以前にイスラーム映画祭で解説してくれた麻田豊氏(元東京外国語大学准教授、この映画の字幕監修)によれば、本来、もっと美しい色彩の映画だそうだ。

 海外版DVDはあるが、版権の関係で、劇場上映には使用できないという(合法的なアップロードなのか不明だが、このDVDは、全編をYOUTUBEで観ることができる=下記。もちろん日本語字幕も、英語字幕もないが)。
 欧米の製作・配給会社がかかわらない映画には、このような扱いを受けるケースが多い。

 わたしは、せいぜい数十本しか観ていないが、イスラム圏の映画の面白さ、深さを知ると、欧米のマーケティング戦略とマニュアルでつくられたような映画は、バカバカしくて観る気がなくなる。
 誰か、パキスタン映画『神に誓って』を、“救出”してくれないだろうか。

『神に誓って』予告編は、こちら
『神に誓って』全編映像、こちら(約2時間50分。字幕なし)
  ※非合法なアップロードだった場合、途中で閲覧不能になる可能性があります。
   本文で紹介した合奏の場面は54分過ぎから。

◆『東京佼成ウインドオーケストラ60年史』(定価:本体2,800円+税)発売中。ドキュメント部分を執筆しました。
 全国大型書店、ネット書店などのほか、TKWOのウェブサイトや、バンドパワー・ショップなどでも購入できます。
 限定出版につき、部数が限られているので、早めの購入をお薦めします。

◆「富樫鉄火のグル新」は、吹奏楽ウェブマガジン「Band Power」生まれです。第132回以前のバックナンバーは、こちら。

◆毎週(木)21時・たちかわ、毎週(土)23時・FMカオン、毎週(日)正午・調布FMにて、「BPラジオ/吹奏楽の世界へようこそ」パーソナリティをやってます。
 パソコンやスマホで聴けます。 内容の詳細や聴き方は、上記「BandPower」で。

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2021.08.26 (Thu)

第327回 名著とは、これ――『証言・昭和の俳句』増補新装版

昭和の俳句
▲『証言・昭和の俳句』増補新装版(聞き手・編者=黒田杏子、コールサック社刊)

 2002年刊、『証言・昭和の俳句』上下(角川選書)は、長いことロングセラーとして親しまれてきた。
 これは月刊「俳句」の連載をまとめたもので、戦中派の俳人13名に、一世代下の俳人・黒田杏子がロングインタビューした、聞き書き集だった。各人ごと、年譜と自選五十句も収録されていた。戦中の暮らしぶりや、俳壇の内情が微に入り細に入り語られていた。
 「新興俳句弾圧事件」「京大俳句」「日野草城『ミヤコホテル』」「角川源義」「桑原武夫の俳句第二芸術論」「小堺昭三『密告』」といったキイワードに少しでも感度のあるひとにとっては、まさに垂涎の一冊であった。

 あれから20年、この上下2冊が合本となり、一部内容を刷新してよみがえった。『証言・昭和の俳句 増補新装版』(聞き手・編著=黒田杏子/コールサック社刊)である。
 わたしも40年余、編集の世界に生きているが、ひさびさに「名著とは、これだ」と断言できる本に出会えたような気がする。簡単にご紹介しておきたい。

 登場する俳人は、桂信子、鈴木六林男、草間時彦、金子兜太、成田千空、古舘曹人、津田清子、古沢太穂、沢木欣一、佐藤鬼房、中村苑子、深見けん二、三橋敏雄の13人。
 黒田杏子は、今回の「増補新装版 あとがき」で、こう書いている。
〈この本の構図は一言で言えば、学徒出陣世代の俳人達に、六十年安保世代の黒田がじっくりと話を伺うというものでした〉
 連載当時、黒田は勤務先の博報堂を定年退職するころだったらしい。
 本文(インタビュー)分量に圧倒される。今回の増補新装版では、2段組で、1頁が1200字前後。1人あたり、30頁弱が費やされている(400字詰めで80~90枚前後)。金子兜太や鈴木六林男などの重要俳人は、さらに倍近い分量が費やされている(連載時、2回にわたっていた)。

 13人の証言内容をつぶさに紹介する紙幅はないが、じつは本書の真の主役は、増補版に寄稿した何人かも述べているように、西東三鬼(1900~1962)ではないかと思う。

  水枕ガバリと寒い海がある
  白馬を少女瀆れて下りにけむ
  おそるべき君等の乳房夏来る
  露人ワシコフ叫びて石榴打ち落す
  広島や卵食ふ時口ひらく


 俳句に縁のない方でも、どこかで読んだような気がするはずだ。この”アバンギャルド俳人”、もとの本業は歯科医だった。もちろん、連載時、三鬼はすでにこの世にいないのだが、インタビューでは、かなりの俳人が、彼について言及している。
 三鬼は〈戦後俳句を揺さぶった一種の怪人〉で、〈本書の14人目が西東三鬼なのではないかと思うほどだ。組織を作っては壊すということを繰り返し、最後まで俳壇の台風の眼であり続けた男だった。(略)そこには組織に頼らない強い作家意識があったとも思う〉(五十嵐秀彦=新装版への寄稿)。

 戦時中の「新興俳句弾圧事件」では、特に、西東三鬼も参加していた「京大俳句」がにらまれた。
 たとえば、三鬼の場合は〈昇降機しづかに雷の夜を昇る〉が「共産主義の盛り上がりを象徴的に描いている」として、特高に検挙された。三鬼自身は、「新大阪ホテルで雷雨の夜作った。気象の異変と機械の静粛との関係を詠いたかっただけ」と自句自解しているのだが。

 以下は、鈴木六林男の証言。
 三鬼すでに世になき1979年、小堺昭三による、ノンフィクション・ノベル『密告―昭和俳句弾圧事件』が出た。三鬼が特高のスパイだと描かれていた。あまりの衝撃に、未亡人はショックで倒れてしまう。
 六林男は、平畑静塔や三橋敏雄らとともに、小堺昭三と版元のダイヤモンド社を相手に、「三鬼の名誉回復裁判」(謝罪広告請求)を起こす(実際の原告は三鬼の次男)。

 裁判にはカネがかかる。
 すると、角川書店の月刊「俳句」が、臨時増刊『西東三鬼読本』を出してくれた。印税は、すべて弁護士費用にあてられた。そのほかの雑費は、鈴木六林男が負担した。弁護士は「死んだ人の裁判をやるのは初めてだ」と言いながら、真摯に対応してくれた。
 原告側は、次々と、三鬼の人柄や事績にかんする証言者を出す。
 ところが被告側は、証人がいない。被告側の資料を見た六林男は、
〈小堺氏の要請に応じて俳人の誰が資料を提供したかが、名前は言わないですが、ぼくにはわかります。平常から反三鬼の人が三人ぐらいすぐ浮かびます〉
 小堺昭三にガセネタを提供したらしき俳人の名も、具体的に挙げている。

 また、三鬼は、検挙2日前、山本健吉らと海水浴に行っていたという。
〈そんな仲ですから山本健吉さんにも証言を頼んだんですけど、あの人は文芸家協会会長でして、『会費をもらっている人の反対側にはなれない』と言って断ったですね。(略)それを聞いた藤田弁護士はものすごく憤慨して、『(略)何のために山本健吉は文学をやっているんだ』と言っていましたが(略)、その話を聞いた安東次男氏が、山本氏は京都にいるときに三鬼に家をこしらえてもらったというのにと、これも憤慨したようです〉
 このような、俳壇スキャンダルも、次々と、容赦なく登場する。
(ちなみに裁判は、原告側の全面勝訴)

 だが、わたしが本書を「名著」と断ずるのは、こういう点が理由ではない。
 聞き手・編者の黒田杏子は、連載にあたって〈準備期間を十分にとる〉〈証言の収録には時間をかける〉〈証言内容のチェック、ゲラ校正の時間を証言者に十分差し上げる〉など多くの条件を編集部に要求、すべて受け入れられている(「まえがき」より)。

 さらに、黒田の編集精神は、
〈収録の段階では対談形式をとっておりますが、どなたの場合も最終的には一人語り。これは私のアイディアであり希望でした。/博報堂で「広告」誌の編集長もつとめました私は、読者にとって読みやすいのは一人語りの形式であることを月給を頂く歳月の中で学んできていたのでした。/読者に読んでもらえなければ始まらない、読まれない企画は意味が無い、ということをたたき込まれてきました〉(前出「あとがき」より)
 というものだった。
〈私は証言者の全作品、資料の読み込みに打ち込むこと、前日から同じホテルに宿泊して、打ち合わせ、晩ごはんを共にさせていただき、翌朝から収録に入るという進め方を決めました。/いよいよその日、カメラマン、速記者、海野編集長と私、全員がかなり気合いの入った状態で、会議室に第一回の証言者桂信子先生をお迎えしました。先生の張りのある美しい上方ことばが全員を圧倒しました。/この日から、十三名の作家の方々のお話を聴くことに全力を挙げました。〉(まえがきより)

 いま、このような手間と姿勢でつくられる本が、どれだけあるだろうか。こんなに美しい日本語で、まえがきやあとがきを書く日本人が、どれだけいるだろうか。
 俳人たちの証言内容が、生々しくとも、まったく嫌悪感はない。それは、この編集精神のおかげだと思う。だから本書は「名著」だといいたいのである。

 ちなみに、証言者13人中、12人は、すでにこの世にいない。健在なのは、1922(大正11)年生まれの、深見けん二、ただひとりである。
  行き違ふ手提の中の供養菊 けん二

〈敬称略〉
※本書中、深見けん二の略年譜で生年が1913年とあるのは、1922年の誤記だと思います(初版)。

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2021.08.15 (Sun)

第326回 本多劇場で歌舞伎!――松也自主公演『赤胴鈴之助』

松也の会チラシ
▲尾上松也自主公演 新作歌舞伎『赤胴鈴之助』

 昨年8月から歌舞伎座公演が再開しているが、まだ本来の興行形態にはもどれていない。再開当初は4部制で、各部、1時間前後の一幕興行だった。その後、3部制になったが、どれも見取り(抜粋公演)ばかりだ。たまたま今月の第一部が『加賀見山再岩藤』一本で、ひさびさに通し上演かと思ったが、これとて、「岩藤怪異篇」と題した見取りである。

 そんななか、とうとう、「長編スペクタクル」の「通し上演」が登場した。それは、尾上松也の「自主公演」「新作初演」で、会場はなんと、“小演劇の聖地”下北沢の「本多劇場」である。
 これが、たいへん面白い内容だったので、大急ぎでご紹介しておきたい。

 演目は『赤胴鈴之助』(戸部和久:脚本/尾上菊之丞:振付・演出)。往年の漫画・TV・映画で一世を風靡した作品の歌舞伎化である。松也の父・六代目尾上松助は、かつてTVで赤胴鈴之助を演じていたので、父子二代にわたる鈴之助役者となった。

 ものがたりは、原作どおり、少年剣士・金野鈴之助が、ライバルで親友の竜巻雷之進とともに、千葉周作の道場で修業しながら、幕府転覆を目論む鬼面党と闘う話である。
 だが今回は、魔界からよみがえった平将門が、娘の瀧夜叉姫や銀髪鬼とともに、背後から鬼面党を操っている設定になっており、いかにも伝奇歌舞伎らしくスケール・アップしていた。
 途中、チャリ場や、だんまり、舞踏、立ち回りなど、歌舞伎ならではの見せ場が次々と登場する。なかったのは、宙乗りと本水くらいではないか。
 なかでも、鈴之助vs将門の対決シーンは、松也の一人二役で圧巻である。定番の早替わり演出で、もうさんざん見てきた仕掛けなのだが、今回はあまりに見事で、いったいどうなっているのか、ちょっと驚いた。この演出を初めて観たひとは、何が何だか、わからなかったのではないか。

 ――こう書くと、澤瀉屋の芝居(いわゆる“猿之助歌舞伎”)を想像するかたもいると思う。実は、脚本の戸部和久は、近年話題となった、新作歌舞伎『風の谷のナウシカ』の脚本家のひとりで、ベテラン脚本・演出家、戸部銀作(1920~2006)の息子さんである。戸部銀作といえば、先代猿之助の「3S歌舞伎」(ストーリー、スピード、スペクタクル)を支えてきたひとだ。松也同様、脚本も父子二代の仕事だったのだ。

 役者も、松也を支えているひとたちばかりで、安定していた。
 市川蔦之助の瀧夜叉姫も若々しい艶と妖怪変化ぶりで、休憩時間に、(おそらく歌舞伎初心者の)女性観客がいっせいにチラシをひらいて「あれ、なんて役者なの?」と話題にしていた。
 賛助出演の中村莟玉は、千葉周作の娘・さゆりを演じた(吉永小百合は、12歳の時、ラジオドラマ版のこの役で芸能界デビューした)。いつもどおりの可憐さだが、意外や、達者なコメディエンヌぶりで笑わせてくれる。できれば初登場シーンのあと、薙刀で鈴之助たちを負かすところを見せてほしかった!
 鈴之助の親友、竜巻雷之進役に、生田斗真が客演している(わたしはよく知らないのだが、ジャニーズの人気俳優)。松也とは高校同級以来の親友だという。その芝居も発声も、完全に歌舞伎とは異質なのだが、なんとか見栄を切ったり、飛び六法を見せたり、懸命に演じていた。ちなみに、満席となった客席を埋めていた女性客は、大半がこのひとのファンだったと思われる。

 しかしとにかく、このような本格的な新作歌舞伎を、下北沢の「本多劇場」で観るとは、夢にも思わなかった。当然ながら、舞台機構には限界があるが、それを逆手に取った、アイディア満載の舞台美術や演出も楽しかった。
 たとえば、鈴之助が、奥義・真空切りを会得するシーンは、菊之丞の振り付けによる舞踏+プロジェクション・マッピング映像で迫力満点。松也最大の見せ場である。そもそも「真空切り」なんて、漫画ならではの設定なのだが、ちゃんと説得力ある表現になっていた。
 下座やBGMなどは、ほとんどが録音だと思うが、クライマックスで、和太鼓の生演奏が登場したのは効果的だった。短いが、床(義太夫)の実演もある。

 松也自主公演は、過去9回、ほとんどが名作芝居・名作舞踏で、このような大型新作は、今回が初めてのようだ。残念ながら自主公演は、これで最後らしいが、皮肉にも、最終回で松也は、レパートリーに定着できる芝居を生んでしまったような気がする。
 この舞台を、歌舞伎座の本興行に持ってくることは、無理だろう。新橋演舞場でも難しいか。だが、明治座あたりだったら……もしや、いけるのではないか。
 そのときは、ぜひ、宙乗りや本水もくわえて、新しい「3S」歌舞伎に育ててほしい。
〈敬称略〉

※尾上松也自主公演『赤胴鈴之助』は8月22日まで(詳細、こちら)
 舞台映像は、今後、Netflixで配信されるそうです。

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 パソコンやスマホで聴けます。 内容の詳細や聴き方は、上記「BandPower」で。

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2021.08.12 (Thu)

第325回 バッハ会長に見せたい映画

その夜 合体
映画『その夜は忘れない』(左はDVDパッケージ)

 8月は、6日(広島)、9日(長崎)、15日(敗戦)と、日本人にとってたいせつな日がつづいている。だが今年は、五輪とコロナのおかげで、例年より少々注目度が低いような気がする。
 広島といえば、先日、IOCのバッハ会長が同地を訪問した。原爆慰霊碑に献花後、原爆資料館を見学し、「五輪は平和に貢献する」とスピーチした。広島側は、一瞬、「バッハ会長は被爆地・広島に心を寄せているのでは」と思ったかもしれない。
 しかし、核廃絶は最後まで公言しなかったし、広島側が、8月6日に選手たちの黙とうを呼びかけたが、これも実現しなかった。平和記念公園一帯は、一般立ち入りが規制されたが、その警備費は、IOCも組織委員会も負担を拒否。県と市が折半で負担することになった。
 いったいバッハ会長は、なんのために広島に行ったのか、「よほどノーベル平和賞がほしいらしい」などと揶揄されていた。

 そんなに広島に興味があるなら、ぜひバッハ会長に観てもらいたい映画がある。
 『その夜(よ)は忘れない』(吉村公三郎監督、1962年、大映)である。
 わたしの大好きな映画で、劇場(名画座)だけでも5~6回は観ている。DVD鑑賞も入れたら10回以上になるだろうか。
                *****
 終戦から17年、東京五輪を2年後に控えた、昭和37年の夏。
 週刊ジャーナルの記者・田宮二郎は、終戦特集の取材で、広島を訪れる。「いまなお癒えない原爆の傷跡」を訪ねる企画だ。
 ところが、広島市街は美麗に復興しており、ホテルも一流、海水浴場は若者であふれ、広島市民球場は満員、夜の酒場街も大盛況。とりあえず、原爆ドームや、平和記念資料館、原爆病院、人影の石(旧住友銀行広島支店)、ABCC(原爆傷害調査委員会)などを取材にまわるが、特に新しい情報はない。被爆者サークルに至っては妙に取材慣れしており、田宮のほうがしらけてしまう始末だ。

 猛暑のせいもあり、疲れ切った田宮は、「この企画は無理ですね。もう原爆の傷跡なんて、どこにもありませんよ」と、東京のデスクに電話報告する。
(わたしも、週刊誌記者のころ、終戦記念特集「戦艦大和」の取材で、真夏の広島や呉をまわったことがある。瀬戸内沿岸特有の「凪」による強烈な暑さは忘れられない。この映画は、その様子がうまく描かれている)

 夜、田宮は、あるバーを訪れる。店のママは若尾文子。美貌の着物姿である。
 大映映画で、田宮二郎と若尾文子がそろえば、どうなるかは決まっている。田宮は、次第に若尾に魅せられる。若尾も、東京から来たイケメン田宮に、まんざらでもない。翌日、偶然に再会し、短い逢瀬がある。だが、若尾は、どこかよそよそしい。若い田宮はイライラする。
 このあと、どうなるかはご想像どおり。DVDにもなっているので、ぜひご覧いただきたい。当時の広島の貴重な風景もふんだんに登場する。
 若尾文子29歳の美しさは、何度観ても飽きない。田宮二郎は当時27歳、いつもはキザでクセのあるプレイボーイ役ばかりだが、今回は珍しく純朴な青年を演じており、共感できる演技を見せてくれる。
          *****
 実は、この映画には、もうひとつ、重要なポイントがある。それは、團伊玖磨(1924~2001)による音楽である。
 冒頭のタイトル・バックに、妙に湿っぽい演歌のような旋律がギターで流れる。戦前(昭和11年)のヒット演歌、《無情の夢》である(佐伯孝夫:作詞/佐々木俊一:作曲/児玉好雄:歌唱)。ほとんどの演歌歌手がカバーしているスタンダード名曲だが、佐川満男が昭和35年にリバイバル・ヒットさせたので、それでご存じのかたも多いかもしれない。
(ちなみに創唱した児玉好雄は、戦前にアメリカやイタリアで声楽を学んだ本格派で、いま池袋にある「舞台芸術学院」は、戦後、彼が創設に参加した、日本初のミュージカル専門学校だ)
 映画の中で、流しが歌っていたのも、この曲だ。つまり團伊玖磨は、《無情の夢》を、この映画全体を象徴する音楽としたのだ。
〈歌詞全編を掲載できないので、旋律ともども、こちらで確認してください〉

 團は、むかしからこの曲が大好きで、得意のエッセイで、何度かそのことを書いている。
〈昔の演歌で何が好きかと訊かれれば、僕は古賀政男さんの「男の純情」(佐藤惣之助作詞)と、佐々木俊一さんの「無情の夢」(佐伯孝夫作詞)と答える。この二つはどこからどこ迄演歌であって、二つとも、一オクターヴと長六度という広い音域を持っていることが共通している。そして二つとも男臭い〉(『好きな歌・嫌いな歌』より/昭和52年、読売新聞社刊) 
 團が、鎌倉駅前の呑み屋で、ひとりで呑みながらこの旋律を口ずさんでいたら、近くの男性が「その歌は、わしが作曲した」と握手してきた。なんと作曲者の佐々木俊一だった。それ以来、交友を得た――なんてこともあったらしい(同書より)

 詞も旋律も、たいへんせつない曲である。この曲を随所で奏でながら、ものがたりは進行する。曲を田宮と若尾の関係にあてはめているのはもちろんだが、広島を襲った惨禍を歌っているようにも感じられる。さすがは團伊玖磨、なかなかうまい曲をあてたものだと、感心する。
 團は、後年、交響曲第6番《HIROSHIMA》を発表するし、広島平和音楽祭にも、毎年、参加するようになる。このころから、團なりに、広島に対する思いがあったのかもしれない。

 映画の中間に、後半の伏線となる重要な場面がある。
 若尾が、市内を流れる太田川に田宮を誘う。岸辺で石を拾って、田宮に握らせる。石は軽く握っただけで、ボロボロに崩れてしまう。原爆の熱線を浴び、「広島の石」はもろくなっていたのだ。
「ふだん、この石は川底に沈んでいて、見えません。でも引き潮になると、姿を見せるんです。あのときも、こんなふうに水が引いていたのね」
 彼女は、じつは恐ろしい告白をしていたのだが、若い田宮は、若尾の美貌しか目に入らず、その真意を見抜くことはできない。

 広島を訪れたバッハ会長は、このときの田宮二郎とおなじだ。
 表層だけに接し、「川底に沈んでいる広島の石」までは見なかった。
 だからせめて、この映画を観てほしいのだが。
〈敬称略〉
※バッハ会長の広島訪問にかんする記述は、8月12日6:00配信「中國新聞デジタル」の記事を参考にしました。

□映画『その夜は忘れない』予告編
※この予告編は、大半が本編未使用カットにつき、たいへん貴重な映像です。


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2021.08.10 (Tue)

第324回 閉会式の『東京物語』

東京物語
▲昭和28年公開の『東京物語』


 五輪閉会式で少々驚いたのは、冒頭、日本国旗入場のバックに、映画『東京物語』(小津安二郎監督、昭和28年)のテーマ音楽(斎藤高順作曲)が流れたことだった。
 この映画は、広島・尾道に住む老夫婦が、東京で成功している(はずの)息子や娘たちを訪ねて、はるばる上京する話である。昭和28年当時、尾道から東京へ行くのは、いまでいえば海外旅行に行くようなものだった。
 だが、医者の長男も、パーマ屋の長女も、毎日の生活で精一杯、いまさら老いた両親の相手などしていられず、冷たくあしらう。
 老夫婦は淡々と尾道へもどり、母親は疲労のせいもあってか、急死する。
 要するにこの映画は、「あこがれの東京に裏切られる」話なのだ。
 それだけに、テーマ音楽も、どこか寂し気で、老夫婦を慰撫するようなムードがある。
 そんな音楽が、閉会式で、しかも国旗入場にあわせて流れたので、妙な違和感を覚えたのだ。

 その後、選手入場では、昭和39年の東京五輪入場行進曲《オリンピック・マーチ》(古関裕而作曲)が流れたが、「どこかちがう」ように感じたひとが多かったのでは。
 あそこで流れたのは、「管弦楽版」に編曲されたヴァージョンである。
 古関裕而は、あの曲を「吹奏楽」のために書いたのだ。当然、吹奏楽ならではのパワフルな響きは失われる(会場での生演奏ではなかったせいもあるかもしれない)。
 さらに、後段になると、同曲をサンバやポップス風に編曲した、「醜い」音楽に変貌していた。古関裕而も天上で苦笑していたのではないか。

 さらに、東京スカパラダイスオーケストラや、(おそらく収録映像の)東京都立片倉高校吹奏楽部が登場した(吹奏楽コンクール全国大会で金賞常連の強豪校)。

 五輪旗引継ぎのバックでは、ピチカート・ファイヴの《東京は夜の七時》が流れ、《東京音頭》で盆踊りとなった。

 これでおわかりだろう。
 あの閉会式は「東京」と名のつくものを、次々と並べていたのだ。
 同じようなことを何度も述べているが、開会式同様、どこか、ぶつ切りの出し物が次々とつづくような印象をもった方が多かったと思うが、その理由のひとつが上記のようなことだったと思う。

 これに対し、終盤で流れた、次回開催都市「パリ」の紹介映像は、あまりの素晴らしさに、別の意味であいた口がふさがらなかった。
 フランス国立管弦楽団(旧・フランス国立放送管弦楽団)による国歌《ラ・マルセイエーズ》は、パリ市内6か所での演奏が合成されていた。鍵盤打楽器は、なんとルーブル美術館の「サモトラケのニケ」像前での演奏である(ニケは、「翼の生えた勝利の女神」で、スポーツの守護神的なイメージがある)。
 冒頭のフルート奏者が演奏していたのは、「スタッド・ドゥ・フランス」の屋根。2024パリ五輪のメイン・スタジアムだ。セーヌ川河畔ではヴァイオリンが演奏していた。
 ラストでは、国際宇宙ステーションから、宇宙飛行士のサクソフォンによるリモート演奏参加があり、驚かされた(この飛行士は、フランスでは英雄的な存在らしい)。

 これで終わりかと思いきや、このあとがすごかった。
 BMX(バイシクルモトクロス)の女性選手が、パリ市内の名所=競技会場を走り回ったのだ。「グラン・パレ」(フェンシング、テコンドー会場)の屋根の上を疾走したのには驚いた。ほかもヴェルサイユ宮殿(馬術、近代五種会場)、コンコルド広場(新競技ブレイクダンス、スケートボード会場)など。最後にはエッフェル塔から、マクロン大統領が挨拶した。

 この映像の音楽が素晴らしくて、作曲したのはマルチ・アーティストのWOODKID(ヨアン・ルモワーヌ)、曲名は《プロローグ》。この日のために作曲された「序曲」だ。見事な映像と相俟って、なにかが胸に迫ってくる感じだった。
 エッフェル塔の周囲を飛んだアクロバット飛行による「三色旗」の飛行機雲も実に美しかった。天候のせいもあって中途半端に終わった日本の五輪雲とのちがいに、うらやましく感じた。

 これが、本来のオリンピックの気分だろう。
 たった8分間だったが、こんなスゴイ映像が閉会式で流れてしまい、恥ずかしくなった。開会式同様、「おとな」と「こども」の差を感じた。
 結局、東京五輪は、サブ・カルチャーの祭典だったと思う。
 多くのひとたち(特にシニア)が、「これが五輪種目?」「これ、スポーツなの?」と感じた競技があったはずだ。これもまた、一種のサブカルのように感じた。
 前回書いたように、オルテガが『大衆の反逆』で述べた「専門家」(オタク)が仕切ると、こうなるのだろう。
〈専門家は、世界の中の自分の一隅だけは実に良く「知っている」。しかしその他すべてに関して、完全に無知なのだ〉(岩波文庫版、佐々木孝訳)
 サブカルもけっこうだが、日本には、世界に誇れる「メイン・カルチャー」が山ほどある。そのことを逆説的に気づかせてくれただけでも、東京五輪は、強行開催された意味があったと思うしかない。

 そういえば『東京物語』では、たしかに老夫婦は「東京」に冷たくあしらわれる。ところが、ただひとり、戦死した次男の嫁(原節子)だけは温かく迎えてくれる。実子に嫌がられ、血縁のない嫁に助けられる皮肉。
 そんな音楽が流れたわけだが、まさか、今回の五輪を、コロナ禍の東京=実子、次回パリ=原節子にたとえたなんてことは……? 考えすぎか。しかし、なにしろ「専門家」による演出なので。
〈敬称略〉

□パリ紹介映像(前半) フランス国歌
□パリ紹介映像(後半) BMXによる競技会場紹介
□WOODKID作曲《プロローグ》完全版

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2021.08.04 (Wed)

第323回 五輪とオルテガ

オルテガ
▲岩波文庫版『大衆の反逆』は、完全版新訳。

 五輪開会式の2日後、産経新聞に載った女性読者の投稿エッセイに、こんな一節があった。
〈このコロナ禍での開催。/ついこの間まで、子供の運動会は延期なのに、オリンピックはやるのね、なんて言っていた自分を撤回します〉
 あの開会式と、その後の日本選手の活躍ぶりを見て、おそらく、かなりの日本人が、おなじ境地に至ったと思われる。「やっぱ、始まっちゃえば、盛り上がるよねえ」と。

 開会式翌日(24日)の毎日新聞には、こんな記事もあった。
〈六本木ヒルズにある高層階の職場から国立競技場の様子を見ていたという男性会社員(41)は、「五輪には否定的だったが、『ドローンで作られた地球』を見て、日本の技術力はすごいと思った。実際に始まると応援しようという気持ちになった」と興奮した様子だ〉
 この男性は、完全に骨抜きされている。
 前回に綴ったように、あのドローン・ショーは米インテル社製で、日本の技術ではない。
 あのように大量のドローンをLEDで光らせて形状をつくるショーは、インテル社とディズニー社が共同で特許を所有しているそうだ。日本は、これだけディズニー文化に蹂躙され、そのうえまだ大金を支払っている。アメリカの占領が、まだつづいているとしか思えない。

 余談だが、そんなにたくさんの「光」を見せたいのなら――青森ねぶた/弘前ねぷたを筆頭に、能登のキリコ祭り(巨大灯篭)や、秋田竿燈まつりなど、日本各地のスケール豊かな「灯り」の山車を招集し、和太鼓集団「鼓童」などの伴奏で、提灯を掲げた数百人の阿波踊りと一緒にトラックをパレードして、世界中のひとたちに見せたかった。
 ドローンよりはるかに人間的な「光」で、これこそが「日本の技術」じゃないのか。

 話をもどせば――五輪開会後の、ひとびとやメディアの変貌、右へならえぶりには、あいた口がふさがらない。
 世論調査では、日本人の半分以上が、五輪に反対していたはずだ。
 メディアも(特にTVは)、連日、この時期に五輪を開催することの危険性を訴えていたではないか。それがいまや、連日の高視聴率のせいもあってか、TVは五輪一色、ひたすらその素晴らしさを讃えるありさまだ。
 コロナ感染爆発、危険な酷暑、熱海の土石流災害、保育園児のバス内置き去り事故……世は重大なニュースであふれている。だが五輪のおかげでTVニュースは休みか時間短縮、まともに報じられているとは思えない。新聞各紙の一面も、五輪スポンサーでない東京新聞以外は、どこも連日「金」だの「メダル」だのとはしゃいでいる
(菅政権や小池都政にとっては、それこそが狙いだったろう。結局、わたしたちは、いいようにあしらわれているのだ)

 この光景で思い出したのは、オルテガの『大衆の反逆』だ。
 スペインの哲学者、オルテガ・イ・ガセット(1883~1955)は、名著『大衆の反逆』(1930)で、〈大衆が完全に社会的権力の前面に躍り出た〉ことを〈ヨーロッパが今や、民族、国民、文化として被り得る最大の危機に見舞われている〉と断じた。
 本書は、二つの大戦の中間、ヒトラー台頭前夜の執筆だったこと、また、舞台を「ヨーロッパ」としているために、われわれ日本人には無縁の思索のように思える。だが、なかなかどうして、今回の東京五輪をめぐる光景に、これほどピッタリの論考は、ないような気がする。

 オルテガがいう「大衆」とは、わたしたちがイメージする「一般大衆」「労働者層」などとは、意味合いがちがう。オルテガによれば「大衆」とは、
〈おのれ自身を特別な理由によって評価せず、「みんなと同じ」であると感じても、そのことに苦しまず、他の人たちと自分は同じなのだと、むしろ満足している人たちのこと〉
 である。
 まさに、さっきまで五輪に反対していたのに、「始まってみれば、盛り上がらざるをえない」とばかりに、「みんなと同じ」で満足しているひとたちのことではないか。
 さらにオルテガは、こんなことも述べている。
〈驚くこと、奇異に思うことそれ自体は、理解の始まりとなる。それは知性人特有のスポーツであり、贅沢だ。それゆえ知性人に特有の態度は、不思議さに大きく見開かれた眼で世界を見ることにある。(略)これは、サッカー選手には分からない楽しみである〉
 当初は、この状況下での五輪開催に〈驚き、奇異に〉思い、〈理解の始まり〉となるはずだったのに、結局、開幕してしまえば、「みんなと同じ=大衆」になり、「知性人」を放棄してしまった、というわけだ。いや、「放棄」どころか、数の多さから「蜂起」さえ感じさせる。
 そういえば、本書の初訳の邦題は『大衆の蜂起』(樺俊雄訳、創元社刊、1953年)だった(翻訳者・樺俊雄は、60年安保闘争で圧死した樺美智子さんの実父である)。

 ほかにオルテガが憂えているのは、幅広い知識や興味をもつ「教養人」が減り、やたらと一部のみに詳しい専門家ばかりが増えたことだ。わたしたちも知っている――「オタク」族の出現である。
〈専門家は、世界の中の自分の一隅だけは実に良く「知っている」。しかしその他すべてに関して、完全に無知なのだ〉
 これが〈大衆の特徴〉のひとつだとして、〈すなわち上位の要請に対して「聞く耳を持たない」、従わないという条件は、まさにこうした中途半端に資格を持っている人間たちにおいて頂点に達している。(略)そして、彼らの野蛮性はヨーロッパの退廃の最も直接の原因である〉

 ほかにも〈大衆はなぜ何にでも、しかも暴力的に首を突っ込むのか〉〈「満足しきったお坊ちゃん」の時代〉と、章題だけでも皮肉たっぷりに論を進め、「大衆」が巨大化することの危うさを指摘する。
 まさに、緊急事態宣言なのに「密」がつづく下での東京五輪でこそ読まれるべき論考に思える。
 なお、本書は、オルテガいうところの「大衆」が、いかに増えたかの実証からはじまるが、その冒頭の章題をご存じだろうか――〈密集の事実〉である。
〈一部敬称略〉

※本文中の『大衆の反逆』は、岩波文庫版(佐々木孝訳、2020年初版)より引用しました。
 同書邦訳は、ほかに「ちくま学芸文庫」「中公クラシックス」などがあります。

◆『東京佼成ウインドオーケストラ60年史』(定価:本体2,800円+税)発売中。
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