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2021.11.30 (Tue)

第338回 旧著紹介『日大 悪の群像』

日大悪の群像
▲1984年刊『日大悪の群像』(中塚隆志著、創林社)

 いまから40年近く前、新米の週刊誌記者だったわたしは、ある老人と出会った。
 中塚貴志さん。当時70歳を超えていたと思う。
 日本大学父兄会長を長くつとめ、15年間にわたって日本大学の経営陣と闘いつづけてきた、“日大改革派”の代表だ。禿頭に長く白い顎髭、袴の着物姿で杖をついていた。むかしながらの“国士”そのものの様相だった。小松左京の小説『日本沈没』に登場する、政財界の陰の指南役・渡老人のようだった。

 わたしが日本大学出身だったせいもあり、「面白いじいさんだから、一度会っておくといいよ。日本大学のことは、表から裏まで、全部知ってるから」と、先輩に三田の自宅へ連れていかれた。先輩たちは敬意をこめて“中塚じいさん”と呼んでいた。
 たしかに”中塚じいさん”は、たいへんな博学多識で、情報通だったが、ここで紹介したいのは、初めて会ったときにいただいた、老人の著書である。
 それは『日大 悪の群像』(中塚貴志著、創林社/1984年6月刊)という。

 なんとも凄まじい書名だが、中身も、すごかった。
 昭和43年、国税庁は、日本大学理工学部・O助教授(本文実名)の5000万円脱税を摘発した。裏口入学斡旋で得た裏金だった。これがきっかけで、日本大学全学における「20億円」の使途不明金が発覚し、大騒ぎになった。
 これに対し、学生側は日大全共闘を結成し、大学側に釈明と改革を求める闘争――戦後史に残る「日大闘争」がはじまるのである。

 だが、立ち上がったのは学生だけではなかった。子息を日本大学に通わせる保護者たちも怒り、急きょ「日大父兄会」が結成された。両国の日大講堂(旧・両国国技館、現・両国コアシティ)に7000名もの父兄が集結、夜11時まで論議を重ね、経営陣の即刻退陣要求などを決議した。
 このとき、会長に推挙されたのが、本書の著者・中塚貴志さんである(ご子息が理工学部生だった)。以後、約15年にわたって、中塚さんは、日本大学経営陣と、丁々発止のやり取りを繰り広げるのだ。
 本書は、その全貌を実名で記したドキュメントである。

 当時の日本大学のトップは、古田重二良「会頭」だった。
 すでに日大闘争以前から、日本大学内では、古田派理事と反古田派理事が、壮絶な派閥抗争を繰り広げていた。あまりのひどさに、仲介人が登場し、両派閥の間で“手打ち式”となった。その仲介人こそ、のちにロッキード事件の被告となる右翼の大立者・児玉誉士夫だった。
 中塚さんは、その際に作成された「念書」を入手し、本書で紹介している。「立会人 児玉誉士夫」とある。

 だが、古田会頭は、その念書の内容を、いっこうに守らなかった。派閥抗争は相変わらずつづき、その延長線上に、使途不明金事件も発生したのである。
 古田会頭は、学生との団交や、父兄会の召喚に、堂々と応じていたが、すべてをのらりくらりとかわしている。
 なにしろ、ときの総理大臣・佐藤栄作や、大手銀行がバックについていたので、怖いものなどなかったようだ。
 あるときなど、中塚さんは、古田会頭が、佐藤首相のもとへとどける現金「5000万円」を用意しているのを目撃する。
 また、日大闘争で、学生に校舎を占拠された法学部事務局は、三井銀行神保町支店の一室を仮オフィスとして提供されていた。日本大学の預金獲得をめぐって、銀行もまた、熾烈な争いを繰り広げていた(特に住友銀行と三菱銀行がすごかった)。

 そのほか、この古田会頭にまつわる驚くべき記述を紹介しだすときりがない(若き日の秘めた恋の話まで出てくる)。結局、日大父兄会が東京地検特捜部に告発状を提出するが不起訴に。
 その直後、古田会頭はガンで急死する。69歳だった。

 この問題人物が逝去しても、まったく体質が変わらないのが日本大学の特徴で、このあとの記述も、これまた壮絶である。
 次の総長は、歯学部長出身の鈴木勝で、以後連続5期、15年間、総長の座にいた。中塚さんは、「鈴木総長誕生の瞬間」を目撃しているのだが、その場にいたのが、かつて古田会頭の私設秘書的存在で、“日本大学の危険物”とか“闇の帝王”とまで呼ばれた、理工学部助教授・石松新太郎である。市井の薬剤師出身ながら、日本大学の裏口入学の取り仕切り役となった。国税庁に摘発されて以来、政界にカネをばらまきにくくなった古田会頭にかわって、裏金をつくりつづけてきた。
 最初の妾に新宿十二社で待合をやらせ、二番目の妾は九段の料亭の女将、三番目の妾(大手商社の秘書)を本妻に迎え、四番目の妾は四谷荒木町の芸者だった。
 昭和56年、石松は、ある青年に鉄パイプで撲殺され、66歳で死去する。犯人は、上記、四番目の芸者との間にもうけた子どもだった。

 そのほか、昭和53年には、法学部1号館前(当時、向かいに大学本部もあった)で、同学部新聞学科の学生が大学への抗議で、焼身自殺を遂げようとした(未遂)。
 この事件に関し、中塚さんたち父兄会は、鈴木総長へ退陣勧告書をおくっている。
 そのなかに、こんな文面がある。
〈日本大学本部に「保健体育事務局」という機関がある。言うまでもなく保健体育は大学の教科の中では必須科目であり、「保健体育事務局」は日大十三学部の保健体育指導の総元締である。この責任者で現事務局のN(本文実名)という人物は自らの小指を第二関節から切断していると言われている。自ら小指を切り落とすことを俗に”エンコ詰”といい、暴力団かテキ屋の社会のみで行われる風習である。このような人物が大学本部の幹部職員で、貴殿の側近中の側近といわれていることは、いかに高邁な教育理論を口にし、教学優位を説いてみても泥棒の説教とおなじで滑稽としかいいようがない〉

 勘違いしないでいただきたいのだが、上記は、すべて、書籍『日大 悪の群像』で書かれていることである。最近、同じ大学で、同じような事件があったようだが、本書の刊行は1984年で、もうむかしの話なので、くれぐれも混同しないように。
〈一部敬称略〉

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2021.11.26 (Fri)

第337回 「異郷」の地での共生

バルトーク3点セット
(左)『バルトーク晩年の悲劇』、(中)劇団1980『いちばん小さな町』
(右)文学座『ジャンガリアン』  ※リンクは文末にあります。


 『バルトーク晩年の悲劇』(アガサ・ファセット、野水瑞穂・訳/みすず書房)が、またもや復刊された。
 本書は、1973年に「亡命の現代史」シリーズ全6巻中の一巻として刊行され、1978年に単行本で再刊行された。
 その後、品切れで見かけなくなると、「書物復権」フェアのたびに重版復刊されてきた(いまはなき「東京国際ブックフェア」に合わせての復刊が多かった)。
 それが「新装版」となって、またもや復刊した(「新装版」といっても、カバー・デザインの写真や色味が変わった程度で、本文組みなどは同じだと思う)。
 それにしても、1973年邦訳初刊の本が、ほぼ半世紀たってもまだ生きていること自体、驚きとしかいいようがない(原著は1958年刊)。

 これは、ハンガリーの大作曲家、バルトーク・ベーラ(1881~1945)が、ナチス台頭を避け、アメリカで過ごした最後の5年間の記録である(バルトーク自身はユダヤ系ではなかったが、ナチスや社会主義体制を嫌っていた)。
 著者は、かつてハンガリーの音楽院で学んだころから、バルトークを敬愛してきた女性だ。アメリカに移住後、あとから亡命してきたバルトーク夫妻と知り合った。特にディッタ夫人の信を得て、生活の世話などしているうちに、家族同然の付き合いをするようになった。

 「音楽」にまつわる記述は、少ない。
 バルトークのアメリカ時代の作品といえば、最高傑作《管弦楽のための協奏曲》と《無伴奏ヴァイオリン・ソナタ》の2曲にとどめを刺すが、これらの誕生過程や初演風景も、チラリとしか書かれていない。

 では何が書かれているのかといえば、環境の良いアパートメントを探し回る姿とか、部屋の調度で悩むとか、コロムビア大学へ地下鉄で通うのが大変だとか、「異郷」アメリカになじめず、悩み苦しむ、ハンガリー人の姿である。
 とにかくバルトークは神経が繊細で、外界との接触を嫌った。アメリカの町中の「騒音」も耐えられず、ほとんどノイローゼ状態だった。
 そこを、ピアニストでもあったディッタ夫人が外界との媒介役となって慰撫につとめ、さらに本書の著者がアシスタント役となって助けてきたのである。
 そんな夫妻の姿が、「なぜ、ここまで記憶できたのか」と言いたくなるほど細かく描かれ、小説かと見紛う筆致がつづく。

 ひさびさに再読したが、バルトークが、アメリカではいかに「異質」の存在だったかが伝わってきて、胸を絞めつけられた。
 たしかに、著者のように夫妻を助けるものはいたし、新作を委嘱するクーセヴィツキ―や、メニューヒンのような音楽家仲間も、いることは、いた。だが、それらは、一過の援助でしかない。
 戦争の影響で、ヨーロッパ時代の著作権収入はストップし、収入は激減した。臨時の生活拠点を提供する団体もあったが、生活の根本改善にはつながらないし、宿病(白血病)が完治するわけでもない。生活は困窮し、最終的には部屋のピアノまで「回収」されて失う。
 
 結局、バルトークは、アメリカに来たこと自体が間違いだったとしか思えないのだ(そんな状況下で《管弦楽のための協奏曲》のような超ド級の名曲を書いたのも、驚くべきことだが)。
 同時に、アメリカ社会は、この、異郷から、怯えつつやってきた病身の大作曲家を、もうすこし温かく迎えてあげられなかったのか――との無念の思いもわいてくる。

 話は突然変わる。最近、二つの演劇舞台を、つづけて観た。
 まずは、劇団1980公演『いちばん小さな町』(瀬戸口郁・作、高橋正徳・演出/10月20日~26日、六本木・俳優座劇場にて)。
 次が、文学座公演『ジャンガリアン』(横山拓也・作、松本祐子・演出/11月12日~20日、紀伊國屋サザンシアターTAKASHIMAYAにて)。

 前者は、北関東の架空の町を舞台に、急速に増えるブラジル移民を排除するか共生するかで揉める群像ドラマである。モデルとなったのは群馬県邑楽郡大泉町で、人口4万数千人の2割が日系ペルーや日系ブラジル人で、「日本のブラジル人街」として全国的に有名になった。
 後者は、大阪の老舗とんかつ屋を、三代目が継いで現代風の店にするにあたり、モンゴル人留学生の青年を店員として受け入れるか否かで揉める、これも一種の群像ドラマである。
 どちらも、ベテランの作・演出だけあって、安心して観られる名舞台だった(ちなみに前者の作・演出なども文学座のメンバー)。

 二作とも、まったく偶然に、外国人労働者との共生を受容するものと、排除しようとするものとの対立が物語の軸となっている。
 たまたま、この二作の直後に『バルトーク晩年の悲劇』を再読し、奇妙な思いにとらわれた。
 時代も国も規模もちがうが、人間は、「異質」なものに出会ったとき、あるいは「異郷」に足を踏み入れたとき、どうなるのか。これだけ国際化が進み、LGBTQを受容している(かのように見える)社会となっても、本質は、バルトーク時代とあまり変わっていないのではないか――芝居を観ながら、感じた。
 それでも、この二作とも、日本の地域コミュニティが外国人と共生していく可能性を示唆して、さわやかに幕を閉じるのが救いだった。

 だが、バルトークは、そうはいかなかった。
 本書におけるバルトーク逝去にまつわる部分は、あまりにあっさりしていて、冷たい風が吹き抜けていくようである。
 亡くなったのは1945年9月26日。第二次世界大戦が終わりを告げるとともに、64歳で世を去った。
 1958年原著初刊の本書は、教会での小さな葬儀の場面で終わっているが、このあと、バルトークはニューヨークの墓地に葬られた。かねてから「ナチスや社会主義がはびこっている間は、母国へ葬らないでくれ」と言い残していたのは有名な話だ。

 時は流れ、ハンガリーが民主化され、ソ連崩壊も目前となった1988年。ハンガリー出身の大指揮者、サー・ゲオルク・ショルティの呼びかけで、バルトークの遺骸は母国に移送され、埋葬された。逝去から半世紀近くたって、ようやくハンガリー政府は「国葬」をもってバルトークを迎え、記念碑を建立した。
 そしていま、アメリカでバルトークを拒否するものは、誰もいない。

『バルトーク晩年の悲劇』(みすず書房)は、こちら。
劇団1980『いちばん小さな町』は、こちら。
文学座『ジャンガリアン』は、こちら。

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 全国大型書店、ネット書店などのほか、TKWOのウェブサイトや、バンドパワー・ショップなどでも購入できます。
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2021.11.05 (Fri)

第336回 東京佼成ウインドオーケストラの“民営化”

TKWO賛助会員
▲一般社団法人化される東京佼成ウインドオーケストラの、新しい賛助会員制度。


 日本を代表するプロ吹奏楽団「東京佼成ウインドオーケストラ」(TKWO)が、一般社団法人となって、“民営化”され、来年春から再スタートを切ることが発表された。
 TKWOは、1960年に、宗教法人「立正佼成会」の一事業部門として設立され、昨年、創立60年を迎えた老舗楽団である。だが今回、教団側が事業停止を決定したのだった。
   *****
 昨年春以降、新型コロナ禍でTKWOの演奏会は中止、事務局は在宅勤務中心となった。立正佼成会も事実上、活動休止となった。
 それでも、わたしは、本年4月に刊行された『東京佼成ウインドオーケストラ60年史』のドキュメント部分を執筆していた関係で、その間、何度か、TKWO事務局を訪問していた。
 事務局は、以前は普門館内にあったのだが、解体後は、向かいの立正佼成会大聖堂内に移っていた。
 ところが、その大聖堂が「閉鎖」されており、どこから入ればいいのか、最初のうちは、迷って困ってしまった。なにしろ巨大な建物なので、ひとつ間違えると、たいへんな距離を歩かなければならないのだ。

 本来、大聖堂はオープンで、1階の売店や2階の大食堂などは近隣のひとびとでも使用でき、わたしも、時折、利用させていただいていた。そうでなくとも、この近所で生まれ育ったわたしには、なじみのある建物である。
 その大聖堂が扉を閉ざして静まりかえっているのを見ていると、最初は「まさにコロナ禍ゆえの光景だなあ」なんて思っていたのだが、何回か行っているうちに、別の不安が襲ってきた。
 これほどの巨大組織が、こんなにいつまでも活動休止して、大丈夫なのだろうか。母体がこれでは、TKWOにも影響があるのではないか。

 すると案の定、昨年秋ころから、どうも「運営」をめぐって、なにか検討がなされているらしいことを感じていた。
 いまになってわかったのだが、実は昨年11月に、教団側から、事業停止=助成の打ち切りを告げられ、一時は解散もやむなしとの、かなり緊迫した状態になったようだ。
 しかし、事務局や団員が教団側と交渉を重ね、一般社団法人として再スタート、教団は3年間、支援をつづける(練習場の提供など)ことで合意に至った。定期演奏会は、とりあえず来年度は2回、なかのZEROホールに会場を移して開催されるという。
   *****
 少々古いが、2008年10月に『オーケストラの経営学』(大木裕子著、東洋経済新報社刊)なる本が刊行されている。
 これは、文字通り、オーケストラを「経営」の視点から分析・解説した本だ。著者は、東京藝術大学を卒業後、ヴィオラ奏者として東京シティフィルハーモニック管弦楽団に入団。その後、アート・マネジメントやオーケストラ経営に興味をもち、研究者の道に進んだひとである。刊行時は京都産業大学経営学部准教授だったが、現在は、東洋大学ライフデザイン学部教授をつとめている。

 この本は、最初にオーケストラがいかに儲からないかを縷々述べ、第三章が〈なぜ赤字なのに存続するのか〉と題されていた。
 
 日本のオーケストラには3つのタイプがあるという(注:すべて刊行時の記述)。
①スポンサー型:大きな経営母体がある。N響、読響、都響、東響……など。
②地方型:地方自治体がある程度助成。札幌、山形、神奈川……などの地方名が付くオーケストラ。
③自主運営型:大きなスポンサーをもたない。日フィル、新日フィル、東京シティフィル、東フィル……など。
 いうまでもなく、TKWOは、いままで、①スポンサー型だった。

 海外ではまったく事情が異なり、〈ヨーロッパ諸国では国家主導による財政支援が中心なのに対し、アメリカでは資金調達の大半を民間寄付に依存しており、政府はそのための税制支援策を講じている〉という。
 ところが日本では、文化庁予算の〈五八・五%に当たる五九三億円が文化財保護に充てられて〉いる。これに対し、芸術文化振興の助成額はわずか50億円。助成先は122団体で、そのうち音楽関係は61団体だった(注:以上、すべて当該本刊行時の記述)。
 国家による財政・税制支援など、望むべくもない。

 そこで著者は、日本における上記各タイプの運営状況を解説し、〈一番たいへんなのは自主運営型のオーケストラだ〉と述べる。
 そのうえで、コンサートを開催するたびに赤字が出る構造を明かす。
 結局、その赤字分を、文化庁の助成やグッズ販売、寄付、依頼公演などで補填し、それでも足りない分は自転車操業でまかなうのだという。たしかにコンサートを開催すれば、赤字になったとしても何がしかの現金収入はある。それをまわして凌ぐのが自転車操業だが、これは多くの会社や商店でやっていることでもある(TKWOの場合は、赤字分を立正佼成会が助成していた)。

 で、ここから先がこの本の面白いところで、では、もしも助成なし、チケット収入だけでコンサートを成立させたら、いくらになるのかを試算しているのである。
 それによれば、たとえばN響の場合、コンサート1回につき「1万5000円」のチケットを「1500枚」売らないと成立しないという(注:基本データは2007年度のもの)。
 当時のN響のチケットは3500~8000円だが、わたしのような「1600円」の天井桟敷組も多いので(NHKホール3階自由席)、実際はもっと厳しい数字になるだろう。
 そして、著者はこう述べている。〈ポピュラーのコンサートでは、武道館や野外で七〇〇〇~八〇〇〇円するチケットを一度に八万枚も売ることができるので、興行に向いている。一方オーケストラは、その性質上、基本的に営利には向かないのだ。オーケストラはどうしても非営利団体にならざるをえない〉

 オーケストラ(管弦楽団)と、ウインドオーケストラ(吹奏楽団)では、人員規模や活動内容もちがうから、一概に上記をあてはめることはできないが、基本構造は似ていると思う。
 かくしてTKWOも、突如、「スポンサー型」から「自主運営型」となり、非営利団体=一般社団法人の道へ進むことになった。
 一般社団法人は利益(余剰収入)が出た場合、賞与のように社員に配分することはできない。ただし、官庁の監督や認可制度などはないので、ある程度の自由裁量で運営することができる。
   *****
 これから3年間、TKWOは、薄氷を踏む毎日になるだろう。
 その苦しさは、わたしのような道楽者には知る由もないが、それでも、今回のニュースを聞いて、こんなふうに思った。
 TKWOの拠点でもあった“聖地”普門館を、全日本吹奏楽コンクール(都大会なども含めて)のために、特例条件で長年貸し出してくれたのは、立正佼成会である。
 TKWOの名演を大量のレコード、カセット、CD、そして楽譜として発売しつづけてくれたのは、佼成出版社である。
 アルフレッド・リードやフレデリック・フェネルを初めて招聘し、《アフリカン・シンフォニー》や《宝島》を人気スコアにしたのも、TKWOである。

 日本が“吹奏楽大国”となり、学校吹奏楽部がこれほど盛んになったのは、彼らがつくってきた下地があるからだ。
 海外のように国家や自治体に期待できない以上、今度は、わたしたちが、TKWOに何かをしてあげるときではないだろうか。

□東京佼成ウインドオーケストラ、一般社団法人化のプレス・リリースは、こちら
□東京佼成ウインドオーケストラの公式サイトはこちら

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 パソコンやスマホで聴けます。 内容の詳細や聴き方は、上記「BandPower」で。

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