2022.02.17 (Thu)
第347回 森田童子をめぐって(3)

▲(左)なかにし礼『血の歌』(毎日新聞出版)
(右)森田童子最後のオリジナル・アルバム『狼少年 wolf boy』(1983)
1974年9月、当時、人気絶頂の歌手・タレントの風吹ジュンが”誘拐”され、都内の高級ホテルに軟禁される騒ぎが起きた。
芸能界情報に詳しい方だったらご存じ、「風吹ジュン誘拐事件」である。
たまたま、近年、ネット・ニュースの「デイリー新潮」が、〈昔、芸能人の事務所移籍はこんなに大変だった〉と題してこの事件を回想しているので、そこから引用しよう(2020年11月2日配信)。
〈当時、風吹はアド・プロモーションという事務所と仮契約を結んでいたが、レコードがヒットしても月給は23万円に過ぎなかった。これに不満を持ち、倍の月給を提示してきたガル企画という事務所に移籍してしまった。そんな折、フジテレビで収録を終えた風吹の前に、旧所属事務所であるアドプロのマネージャーなど3人が現れ、風吹の腕をつかんで連れ去ってしてしまったのである。彼らは風吹をホテルに軟禁状態にし、事務所移籍を考え直すよう迫ったのだ。〉
この事件は、夕刊フジも、〈あのタレントの引退・独立ウラ事情〉と題する記事(2017年6月9日)で触れている。
〈この間、G企画の社員から連絡を受けた顧問弁護士が警視庁に「誘拐された」と通報。警察は「暴力団絡みのタレント誘拐事件」と判断、捜査員50人とパトカー20台をホテルに出動させ、午前2時、ホテルのロビーでA企画の社長らと一緒にいた風吹を保護。全国紙でも報道された〉
だが、〈「風吹が“誘拐”を否定した」(芸能関係者)〉、そして〈風吹は東京・日比谷の日劇で行われた緊急記者会見で、憔悴した表情で当時の様子を「ちゃんと移籍したつもりでしたが、何が何だか分からなかった…」と語った。〉(夕刊フジ)
ところが、このときホテルの部屋に、意外な人物がいたのだ。
〈ホテルの一室には暴力団系興行会社社長やA企画の社長、テレビでも活躍していた有名作詞家らがいて、(略)〉(夕刊フジ)
〈風吹を軟禁した中には作詞家のなかにし礼もいたが、石丸社長は自身の解放の条件として、風吹との契約を解除するよう、なかにしの実兄の中西正一から迫られたという。〉(デイリー新潮)
実は、風吹ジュンが当初、仮契約を結んでいた事務所「アド・エージェンシー」の経営に、なかにし礼の兄・中西正一も加わっていた。
この「アド・エージェンシー」の社長は、前田亜土(本名:前田正春)という。イラストレーターでもあり、サトウハチローの詩集にイラストを寄せたりしている。
その前田亜土が、中西正一とともに設立したのが上記事務所だった。
森田童子は、ここに所属し、前田亜土がマネージャーをつとめていた。
その背後には、事務所の共同運営者で父の中西正一がおり、さらに、弟のなかにし礼もいた。だからこそ、風吹ジュン移籍をめぐって、中西兄弟が登場したのだろう。
ちなみに、この事件が起きた1974年は、森田童子はまだメジャー・デビューはしていないが、ライヴ活動はしていたので、すでに前田亜土の事務所に所属していたかもしれない。
森田童子は1984年に引退後、この前田亜土と結婚する。以後、二度と表舞台には出なかった。
1996年、森田童子の父で、なかにし礼の兄・中西正一が死去。
1997年、なかにし礼が、小説『兄弟』を、「オール讀物」に連載(翌年、文藝春秋刊)。
2009年、森田童子の夫・前田亜土が死去。
2018年4月24日、森田童子が死去(正式発表はなかったが、6月にJASRACの会報に訃報が掲載されたことで、初めておおやけになった)。
2020年1月、楽譜集『新訂版 森田童子 全曲集』刊行(呉PASS出版)
2020年12月23日、なかにし礼が心筋梗塞で死去。
そして、ここからが、すごい。
2021年夏、『血の歌』原稿発見。
2021年12月、その一部が「週刊サンデー毎日」に掲載。同月、単行本刊行(毎日新聞出版)。
2022年1月9日~、ドラマ『高校教師』再放映開始(BS-TBS)
2022年1月14日、「なかにし礼一周忌追悼/名曲誕生秘話」放映(BS-TBS)
2022年4月1日、『夜想忌 森田童子大全』刊行予定(Pヴァイン・ブックス)
まるで、なかにし礼が、天上から采配しているようではないか。
なかにし礼は、『兄弟』のなかで、兄に3人の子どもがいたと書いている(次女「美以子」=『血の歌』の「美納子」=森田童子だろうが、具体的には触れていない)。
同書巻末の、石原慎太郎との対談で、なかにし礼は、こう述べている。
〈うちの兄貴は、なにはともあれこの本に書いてある通りで――書いてないことで書きたいこともまだあるんですけど、要するにもうふしだらで、でたらめなんですよね。〉
その「書いてないこと」のひとつが、明らかに森田童子のことだった。
一時は、下書き(血の歌)で書きかけたが、最終的には、削除された。
ご子息・中西康夫は、『血の歌』巻末に、こう書いている。
〈父は、書き溜めということを一切しませんでした。(略)原稿の原本を取っておくこともしません。その父がなぜこの作品だけをすぐに見つかるようなところに置いておいたのか。〉
なかにし礼による森田童子の”プロデュース”は、死後も、つづいているのだ。
〈この項、おわり/敬称略〉
□デイリー新潮「昔、芸能人の事務所移籍はこんなに大変だった」は、こちら。
□夕刊フジ「あのタレントの引退・独立ウラ事情」は、こちら。
□ユニバーサル・ミュージック、森田童子CDは、こちら。
□毎日新聞出版、なかにし礼『血の歌』は、こちら。
◆『東京佼成ウインドオーケストラ60年史』(定価:本体2,800円+税)発売中。ドキュメント部分を執筆しました。
全国大型書店、ネット書店などのほか、TKWOのウェブサイトや、バンドパワー・ショップなどでも購入できます。
限定出版につき、部数が限られているので、早めの購入をお薦めします。
◆「富樫鉄火のグル新」は、吹奏楽ウェブマガジン「Band Power」生まれです。第132回以前のバックナンバーは、こちら。
◆毎週(木)21時・たちかわ、毎週(土)23時・FMカオン、毎週(日)正午・調布FMにて、「BPラジオ/吹奏楽の世界へようこそ」パーソナリティをやってます。
パソコンやスマホで聴けます。 内容の詳細や聴き方は、上記「BandPower」で。
◆ミステリを中心とする面白本書評なら、西野智紀さんのブログを。
最近、書評サイト「HONZ」でもデビューしています。
2022.02.15 (Tue)
第346回 森田童子をめぐって(2)

▲(左)なかにし礼『血の歌』
(右)森田童子のデビュー・アルバム『GOOD BYEグッドバイ』(CD化あり)
なかにし礼『血の歌』(毎日新聞出版)は、小説である。
ただし、たいへん薄手で、正味70数頁。400字詰めで60枚の短編である。
しかも、「小説」としては、充実度は高くなく、「試作」「草稿」のレベルとしかいいようがない。
巻末の、ご子息(音楽プロデューサーの中西康夫)の解説によると、原稿は、なかにし礼の死後、別荘の書斎の引き出しから見つかったという。執筆時期は1995年ごろと推察されるらしい。内容は、明らかに、直木賞候補作『兄弟』(1998年/文藝春秋刊→文春文庫→新潮文庫、絶版)の下書きである。
『兄弟』は、なかにし礼が、実兄と自分をモデルにした一種のノンフィクション・ノヴェルであった。この特攻隊帰りの実兄が、たいへんな”問題人物”で、事業を起こしては失敗し、弟(なかにし礼)にたかり、カネを借りて、そしてまた失敗する(TVドラマでは、兄をビートたけしが、弟を豊川悦司が演じた)。
かくして弟は未曽有の借金を背負うこととなり、その返済のために、ひたすらヒット曲を量産しなければならなくなる。最後には「兄さん、死んでくれてありがとう」との思いが湧くのだから、すさまじい。それでも、これを読むと、たとえば、なぜ《石狩挽歌》のような、暗い怨念を感じさせる詩が生まれたのか、よくわかる。兄を憎み、借金返済のために壮絶な量の仕事をこなせばこなすほど、ヒット作が生まれる、その皮肉……。
だが、この小説が引き金となり、なかにしは、翌年に『長崎ぶらぶら節』(1999年/文藝春秋刊→文春文庫→新潮文庫)を発表、見事に直木賞を受賞するのである。
そんな小説の下書きらしき草稿が、『血の歌』である。
ここでも、実兄の問題ぶりが描かれるのだが、唯一、『兄弟』とちがうのは、兄「中西正一」の娘「中西美納子」が描かれている点である。
ある日、「中西正一」は、作詞家の弟「中西礼三」(なかにし礼)に呼び出される。場所は飯倉のイタリア料理店「バロッコ」。おそらく「キャンティ」のことだろう。
そこには、なかにし礼を売り出した敏腕女性ディレクター「お貞さん」も同席していた。これもいうまでもなく、モデルはポリドールの名ディレクター、松村慶子(お慶さん)である。
「礼三」と「お貞さん」は、「正一」の娘「美納子」を、シンガー・ソング・ライターとして売り出したいという。父「正一」は、まさかそんなことになっているとは夢にも思わない。驚く父親を尻目に、2人は、すでにレコーディングされているというデモ・テープを、その場で聴かせる。それは《ぼくの失敗》なる曲で、ヘッドフォンで聴いた父「正一」は、
〈………か細い歌声が伝わってくる。まぎれもなく、わが娘美納子の声であった。/しかし暗い。なんという暗くせつない歌だ。いつから美納子は、こんな暗礁のようなものを心中に育ててきたのだろう〉
と感じる。礼三は、こう言う。
〈「名前は、森谷王子って、決めたんだ」(略)/「王子なんて、男の名前じゃないか」/「そこがいいのさ、男か女かわからなくて。女なのに、男名前で”ぼく”っていう。独特の世界があって、いいと思うよ」〉
そして「お貞さん」は、
〈「森谷王子がなかにし礼の姪ってことを当分伏せておきたいの。なかにし礼は売れ過ぎちゃって、どこか体制的な匂いがするじゃない。ちょっと反体制的というか、非体制的な姿勢で、森谷王子をやってみたいのよ」〉
「礼三」も、
〈「叔父さんの七光りで世に出たくないっていう美納子の希望もあるけど、そういう俗っぽいところじゃなくて、もっとアングラでマイナーなところから出発させたいんだ」/「しかし、この情報化時代に、そんなことできるのかね?」(略)「そこを乗り切るのが、このお貞さんの人徳と腕前さ。マスコミにも徹底的に協力してもらう」〉
こうして「森谷王子」(森田童子)は、デビューする(実際には、1975年10月に、ポリドールから、シングル《さよなら ぼくの ともだち》でメジャー・デビュー)。
その後(「森谷王子」の引退後)、《ぼくの失敗》がTVドラマ「教師の恋」の主題歌になる。これも、ご存じ、《ぼくたちの失敗》で、ドラマは「高校教師」である。
曲は100万枚近い大ヒットとなる。父「正一」は、娘にお祝いの電話をかける。すると、さっそくカネをたかりにきたと思われ「まだ印税入ってないわよ」「私、パパのこと、嫌いよ」と冷たく言い放される(このシーンが、小説の冒頭である)。
なにぶん「草稿」レベルの原稿なので、「森谷王子」と、父「正一」、叔父「礼三」との間に、どんなやりとりがあったのか、これ以上、詳しくは書かれていない。
しかし、以上の記述だけでも、少なくとも、森田童子のデビューに、なかにし礼がかなりからんでいた、いや、実質、プロデューサー的な存在だったらしいことが、うかがわれる。
そのことは、1974年の「風吹ジュン誘拐事件」を振り返ることで、あとになって、いっそう明らかになるのである。
〈この項つづく/敬称略〉
□ユニバーサル・ミュージック、森田童子CDは、こちら。
□毎日新聞出版、なかにし礼『血の歌』は、こちら。
◆『東京佼成ウインドオーケストラ60年史』(定価:本体2,800円+税)発売中。ドキュメント部分を執筆しました。
全国大型書店、ネット書店などのほか、TKWOのウェブサイトや、バンドパワー・ショップなどでも購入できます。
限定出版につき、部数が限られているので、早めの購入をお薦めします。
◆「富樫鉄火のグル新」は、吹奏楽ウェブマガジン「Band Power」生まれです。第132回以前のバックナンバーは、こちら。
◆毎週(木)21時・たちかわ、毎週(土)23時・FMカオン、毎週(日)正午・調布FMにて、「BPラジオ/吹奏楽の世界へようこそ」パーソナリティをやってます。
パソコンやスマホで聴けます。 内容の詳細や聴き方は、上記「BandPower」で。
◆ミステリを中心とする面白本書評なら、西野智紀さんのブログを。
最近、書評サイト「HONZ」でもデビューしています。
2022.02.03 (Thu)
第345回 森田童子をめぐって(1)

▲(左)なかにし礼『血の歌』、
(右)森田童子『東京カテドラル聖マリア大聖堂録音盤』
・・・ジャケットにタイトルも歌手名もなかった。当時としては新鮮なデザインだった。
昨年暮れ、驚くべき本が出た。
なかにし礼『血の歌』(毎日新聞出版)である。
なにが「驚くべき」かというと、森田童子(1952~2018)が、作詞家・作家、なかにし礼(1938~2020)の姪だった……正確には、なかにし礼の兄の娘だったと書かれているのだ。
*
森田童子は、1970年代初頭からライヴ・ハウスなどで活動をはじめたシンガー・ソング・ライターである。
モジャモジャのカーリーヘアに、黒丸のサングラス、黒い革ジャン。素顔は絶対に見せない。本名も年齢も明かさない。メディアにも登場しない。
一度、野外でテント公演を行う様子が、TVドキュメントで放送されたことがあったが、本格的露出は、これくらいではなかろうか。
曲は、内気な若者の心情や、不器用な恋愛関係をうたうものがほとんどだ。囁くような声質で、決してうまくはないのだが(高音になるとピッチが上がりきらず、苦しそうだった)、不思議な味わいがあり、一度聴いたら忘れられなくなる。
メジャー・デビューは、1975年10月リリースのシングル《さよならぼくのともだち》。以後、シングル4枚、アルバム7枚(ライヴ含む)のみをリリース。1984年に新宿ロフトでライヴ開催後、活動はなし。そのまま、事実上の引退となった(原節子と似ている)。
以後、2018年4月に訃報が伝わるまで、一切、表には出なかった。2003年に、ベスト・アルバムのために1曲だけ、新規レコーディングをおこなっているが、このときも、インタビューなどは一切なかった。
引退後の1993年、TBSのドラマ『高校教師』(真田広之、桜井幸子主演)で、森田の《ぼくたちの失敗》(1976)が主題歌に使用され、大ヒット。最終的に100万枚近いCDが売れ、旧盤のCD化再発などがつづき、リバイバル人気となった。
わたしは、高校~大学時代、よく森田童子を聴いていたが、いまでも忘れられないのは、1978年にリリースされた『東京カテドラル聖マリア大聖堂録音盤』と題するLPだ(現在、CDあり)。
江戸川橋のそば、椿山荘の向かいに、丹下健三の設計による「カトリック関口教会・東京カテドラル聖マリア大聖堂」なる巨大な教会があり、そこでのライヴだという。そんな建築物、このとき初めて知ったし、教会のなかでフォークのライヴなんかやっていいのかと驚いた。
(実は、あとで知ったのだが、1976年リリース、荒井由実の《翳りゆく部屋》の冒頭で鳴り響くオルガンが、この教会の初代オルガンだった。ユーミンは森田より早い時期に、この教会を使っていたのだ)
この教会には、大人になってからは、コンサートや結婚式、葬儀ミサなどでしょっちゅう行くようになったが、そのころ、テント小屋やロフトでうたっていた森田童子が、こういう「スゴイ場所」でライヴをやるなんて、ちょっと不似合いだなと感じたのを覚えている。
というのも、このライヴでは、曲間で、森田がナレーションともつぶやきともつかない口調で近況を話しているのだが、それが、あまりにうまくできているのだ。とても体験談とは思えない、いや、それどころか、どれも、絶対に森田(もしくは背後にいる誰か)の創作だろうといいたくなるような、見事な一編の「詩」「掌編小説」なのだ。
たとえば、
「わたしが高校生だったころ……松本さんという教育大の先輩がいました。学園闘争の激しいころで……彼女は、単位が取れず、中退してしまったわけです。しかし……お父さんが教育者だったため、故郷にも帰れず……男のひとと、久我山で暮らし始めました。その部屋に行くと……(略)1年前に国電の駅で、松本さんに会ったわけです。松本さんは、男のひとと別れて、図書館で働いていました……(略)」
と、なかなかドラマティックな物語が、よどみなく語られるのだ。この「~なわけです」の文末が、特徴的だった(この種のエッセイのような話が、よくLP中のライナーにも載っていた)。
そのほか、このライヴは、冒頭からして、カリヨンが鳴り、雷鳴が轟くなど、なかなかすごい演出なのだ。
もしかしたら、森田童子とは、人前に出たくない、素顔を見せたくないようでいて、実態は、ちがうのではないか。実は稀代のパフォーマーで、アングラ演劇よろしく、暗くて寂しげな外見を「演じている」のではないか。
ついては、彼女の背後には、プロの「演出家」がいるのではないか。ゆえに、テント小屋やライヴ・ハウスで控えめにうたう一方、丹下建築の大舞台で「詩」を堂々と”暗唱”するようなことも、できたのではないか。
学生時代、LP 『東京カテドラル聖マリア大聖堂録音盤』を聴きながら、おぼろげだが、わたしは、そんな違和感を抱いていた。
それが、当たらずとも遠からずだったことを教えてくれたのが、暮れに刊行された、なかにし礼の『血の歌』だったのだ。
あれから、もう40年以上がたっていた。
〈敬称略/この項、つづく〉
□ユニバーサル・ミュージック、森田童子CDは、こちら。
□毎日新聞出版、なかにし礼『血の歌』は、こちら。
◆『東京佼成ウインドオーケストラ60年史』(定価:本体2,800円+税)発売中。ドキュメント部分を執筆しました。
全国大型書店、ネット書店などのほか、TKWOのウェブサイトや、バンドパワー・ショップなどでも購入できます。
限定出版につき、部数が限られているので、早めの購入をお薦めします。
◆「富樫鉄火のグル新」は、吹奏楽ウェブマガジン「Band Power」生まれです。第132回以前のバックナンバーは、こちら。
◆毎週(木)21時・たちかわ、毎週(土)23時・FMカオン、毎週(日)正午・調布FMにて、「BPラジオ/吹奏楽の世界へようこそ」パーソナリティをやってます。
パソコンやスマホで聴けます。 内容の詳細や聴き方は、上記「BandPower」で。
◆ミステリを中心とする面白本書評なら、西野智紀さんのブログを。
最近、書評サイト「HONZ」でもデビューしています。