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2022.03.29 (Tue)

第353回 『ドライブ・マイ・カー』~「国際的」なるもの

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▲2018年、『寝ても覚めても』でカンヌ映画祭に参加した、
 東出昌大(左)、唐田えりか(中央)、濱口竜介監督(右)。
(出典:Wikimedia Commons)


 わたしは、一度だけ、南仏のカンヌへ行ったことがある。といっても映画祭ではなく、MIDEM(国際音楽産業見本市)に参加するためだった。世界100カ国以上、4,000社前後が出展する世界最大の音楽ビジネス・フェアである。
 カンヌといえば映画祭で有名だが、この町は「フェア」(展示会、見本市、〇〇祭)で食っているので、1年中、何かしらの巨大イベントが開催されているのだ。

 このとき驚いたのは、最寄りのニース空港に着いたら、空港内の広告スペースが、すべてMIDEM出展社の”アピール広告”で埋まっていることだった。レーベルや音楽出版社による新譜宣伝、イメージ・ポスターなど様々だったが、そのすべてから「MIDEMではぜひわが社のブースを訪れて!」「自社のアーティストを貴国で売って!」との強烈なメッセージが伝わってきた。なかには「連日、先着〇名様に新譜CDをプレゼント!」みたいな広告もあった。
 MIDEMクラシックCD賞の選考発表もあって、それ目当ての宣伝も多かった。まさに「MIDEMは空港からはじまっている」としかいいようがなく、呆気にとられた。

 あとでわかったのだが、イギリスのあるクラシック・レーベルなどは、会場近くのホテルの広い一室を借り切って、ビュッフェ付きの「1社MIDEM」を開催していた。ざわついた会場の狭いブースより、ずっと落ち着いて過ごせる。しかもそこで、自社アーティストによる室内楽のサロン・コンサートまで開催していた(もちろんCDの宣伝だ)。

 これが「カンヌ国際映画祭」になると、その何倍もの迫力であることは、いうまでもない。ある映画ジャーナリストが「海外の映画祭では、賞は、”もらう”のではなく、”奪い取りに行く”ものです」といっていたのを思い出す。

 こういう、”戦略”を組んで、客や賞の獲得に奔走する姿勢は、いかにも肉食民族ならではのもので、日本人には不慣れだと、長年思い込んでいた。
 だが、米アカデミー賞で、日本映画『ドライブ・マイ・カー』(濱口竜介監督)が国際長編映画賞を受賞したのを見て、ついに、そういう時代は終わったような気がした。

 すでに専門誌や新聞(たとえば、朝日新聞3月28日付夕刊)などで報じられているが、濱口竜介監督を発掘したのは、東京フィルメックスを立ち上げたプロデューサー、市山尚三氏だった。
 2015年、市山氏は、ロカルノ国際映画祭のディレクターに、濱口監督の『ハッピーアワー』を薦める。神戸のワークショップで製作された”自主映画”である。すぐに観たディレクター氏は、ロカルノのコンペに出品する。すると主演女優4人(ワークショップ参加の演技未経験者)が最優秀女優賞を獲得。監督の名はヨーロッパで知られるようになる。

 次作『寝ても覚めても』が日仏合作だったのは、上記の前提があったからだ。この映画は濱口監督の商業デビュー作だが、いきなりカンヌ国際映画祭コンペ部門ほか、トロントやニューヨークの映画祭にも出品され、世界配給となった。
 こうして濱口監督は、一種の”戦略”路線を驀進しはじめたのである(ただ、共演した東出昌大と唐田えりかの不倫報道があり、日本ではミソがついてしまった【写真】)。

 ”戦略”は、幸運も呼び寄せた。
 前記、ロカルノ映画祭のディレクター氏がベルリン映画祭のディレクターに”異動”。同映画祭コンペ部門に『偶然と想像』を出品させ、銀熊賞(審査員グランプリ)を受賞するのだ。

 以後は、もうご存じのとおり、『ドライブ・マイ・カー』が、カンヌ国際映画祭で日本人初の脚本賞を受賞。そのほか、これはあまり大きく報じられていないようだが、アメリカの「3大映画批評家協会賞」(ニューヨーク、ロサンゼルス、全米)のすべてで作品賞を受賞。英語以外の作品としては初の“3大制覇”、そして米アカデミー賞とつづいた。

 わたしは『ドライブ・マイ・カー』を観たとき、あまりに「海外向け」であることに、少々驚いた。なにしろ原作は「ハルキ・ムラカミ」、舞台は「ヒロシマ」の「国際演劇祭」、題材は「チェーホフ」の「多言語演劇」、愛車はスウェーデンの「サーブ900」、ラストのイ・ユナの名セリフは「手話」。
 映画の内容よりも、これほど堂々とした海外向けの映画が日本で製作され、見事に成功している、そのことに感動したほどだ。完全な”戦略”勝ちだと思った。
 だが、そのせいか、(静謐で独特な演出のせいもあって)日本映画なのに、どこか別の国の話を観ているような気がしたのも事実である。
 しかし、これが、これからの時代の「国際的」なるものなのだろう。

 かつて、ニースの空港で感じた、MIDEMのような迫力を、ついに日本も発揮できるようになったのだろうか。
 ちなみにMIDEMは、コロナ禍の影響もあって2022年は中止、その後、終了するらしいのだが。
〈一部敬称略〉

【余談】
 「多言語演劇」とは、異なった国の俳優が出演し、自分のセリフを自分の国の言語で話すスタイルの芝居(普通は字幕が出る)。海外ワークショップではよくあるスタイルで、日本でも、たとえば故・蜷川幸雄が、ギリシャ悲劇『トロイアの女たち』を、3カ国の俳優で、日本語・ヘブライ語・アラビア語で上演したことがある。
 また、この映画のラストの手話に感動しているひとが多いが、あれはチェーホフ『ワーニャ伯父さん』の終幕の有名なセリフであって、この映画のオリジナルではない。

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2022.03.24 (Thu)

第352回 第二の「バビ・ヤール」

babiya-ru gattai
▲(左)交響曲第13番《バビ・ヤール》、初演指揮者コンドラシン。
 (右)映画『赤い闇 スターリンの冷たい大地で』 ※ともに文末にリンクあり。


 ショスタコーヴィチの交響曲第13番には、副題として《バビ・ヤール》と付されている。
 これは、ウクライナ、キエフ近郊にある渓谷の名前で、1941年9月29・30日の2日間にわたって、ナチス・ドイツによるユダヤ人大虐殺がおこなわれた地である。

 この年、ソ連・ウクライナに侵攻したナチス・ドイツは45日間にわたってキエフを包囲。だが徹底抗戦もむなしく、キエフは占領される。
 ナチスはキエフの全ユダヤ人に出頭を命じ、バビ・ヤール渓谷に移送した。てっきり、そこから収容所に移されるものと思いきや、その場で次々と射殺。渓谷は遺体の山で埋まった。その数、2日間で約3万4000人。一か所で同時におこなわれた民族虐殺としては、最大数の犠牲者となった。
 その後も虐殺はつづき、最終的にキエフ周辺で10万人のユダヤ人が虐殺されたともいわれている。

 この悲劇を連作詩集『バビ・ヤール』(1961)として描いたのが、ソ連の詩人、エフトゥシェンコ(1933~2017)である。「バビ・ヤールに墓碑銘はない」ではじまる有名な詩だ。ショスタコーヴィチは、この詩集をもとに、男声バス独唱+男声バス合唱+管弦楽で悲劇を音楽化した。
 この編成から想像できるように、なんとも異様で壮絶な音楽である。

 初演は1962年。すでにスターリン書記長は亡くなってフルシチョフの時代になっていたが、ソ連当局は徹底的に初演を妨害した。これは現代音楽史上、まれに見る混乱初演だった。指揮者や独唱者が直前になって何度もかわり、最終的に警官隊が包囲監視するなかで初演されたのだ(もちろん、客席からは大喝采がおくられた)。

 しかし、たしかにエフトゥシェンコは反体制派詩人だったが、それにしたって、「バビ・ヤールの悲劇」を引き起こしたのは、ナチス・ドイツである。そのことを描いた音楽を、なぜ、”被害者”のはずのソ連当局が妨害しなければならなかったのか。

 実は、この交響曲(詩)は、単にナチスの蛮行を非難しているのではなく、人間の誰にも反ユダヤ的な感情があることの恐ろしさや、無知を描いていたのだ。
 それどころか、帝政ロシア時代、自国にも反ユダヤ人組織があった事実を盛り込んでいた。いわば、自分たちソ連(ロシア)人にも、ナチス・ドイツとおなじような精神が流れていることを描いていたのである。
 現に、スターリン書記長は、ナチス・ドイツほど露骨ではなかったものの、明らかに反ユダヤ主義だった。映画『赤い闇 スターリンの冷たい大地で』(2019)で描かれたように、スターリンは、1930年代に、ユダヤ人が多いウクライナから食糧を徹底的に搾取し、壮絶な飢餓をもたらしている。この映画を観ると、ソ連当局=スターリンは、ウクライナを、まるで奴隷か属国のようにしか思っていなかったことがわかる。
 もし1953年にスターリンが死去せず、政権がつづいていたら、ユダヤ民族の東方強制移住が実施されていたとの説さえある。

 つづくフルシチョフも大同小異で、たしかにスターリン批判や、雪どけをもたらしたりはした。だが、たとえば、『ドクトル・ジバゴ』で知られるユダヤ系作家・詩人のパステルナークが迫害され、当局がノーベル文学賞の受賞を妨害したのは、まさしくフルシチョフ時代のことである。
 よって、この曲の初演は、フルシチョフ政権にとっては、自らの行為を暴かれているような気がしたにちがいない。

 いま、おなじウクライナ、キエフの地で、またも悲劇が繰り返されようとしている。
 これが、ユダヤ人迫害であるとは、表立っては、いわれていない。
 だが、ショスタコーヴィチの交響曲第13番《バビ・ヤール》を聴き、エフトゥシェンコの詩を知ると、ほんとうにそうなのか、疑問を抱くのは、わたしだけではないはずだ。
〈敬称略〉

□初演指揮者、キリル・コンドラシンによる交響曲第13番《バビ・ヤール》・・・ナクソス・ミュージック・ライブラリー(非会員は冒頭30秒のみ聴取できます)。
□映画『赤い闇 スターリンの冷たい大地で』公式サイトは、こちら

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2022.03.18 (Fri)

第351回 YAMAHA育ち(下)

中島みゆきあいそはるひ
▲(左)中島みゆきの新譜『2020 結果オーライ』、
 (右)相曽晴日のファースト・アルバム(1982、CD化あり)

 わたしは、高校時代、毎晩、ラジオにかじりついて、ニッポン放送の「コッキーポップ」を聴いていた(24:30~25:00)。ヤマハ音楽振興会が主催する「ヤマハポピュラーソングコンテスト」(通称「ポプコン」)の楽曲を紹介する番組だった。
 ここから生まれ、いまでも人気を保っているスターといえば、中島みゆきにとどめを刺す。

 1975年5月、第9回ポプコンつま恋本選会に入賞した中島みゆきの《傷ついた翼》を、「コッキーポップ」で聴いたときの感動は、いまでも覚えている。強烈なヴィブラートで、当時としては珍しいゆったりしたバラードだった。そして、後半で転調して曲想が拡大する見事な構成。「すごいシンガー・ソング・ライターがあらわれた」と、心底から思った。

(余談だが、第9回ポプコンは、このほか、柴田容子《ミスターロンサム》、八神純子《幸せの国へ》、PIA=のちの渡辺真知子《オルゴールの恋唄》、松崎しげる《君の住んでいた街》など、ウルトラ級の名曲がそろっていた)

 ところが、それはほんの序章だった。
 9月に、独特のワルツ《アザミ嬢のララバイ》でシングル・デビュー。そして10月の第10回ポプコンに《時代》で再出場してグランプリ。翌月の世界歌謡祭に同曲で日本代表として出場し、またもグランプリ。中島みゆきは、怒涛の進撃を開始した。
 まさに「YAMAHA」から生まれた、ポップスの大スターだった。

 以後、彼女は、いまに至るまで、ずっとヤマハをベースに活動している。
 所属事務所は「ヤマハミュージックエンタテインメントホールディングス」、レコード会社も「ヤマハミュージックコミュニケーションズ」である(しかも、現在、同社取締役)。
 ちなみに、初期のレコード会社は、キャニオン・レコード/ポニー・キャニオンである。だが、実際は同社の社内レーベル「アードバーク」からのリリースだった。ここは、ヤマハ原盤の楽曲が多く、事実上、”ヤマハ・レコード”だったのである。

 ファンだったらご存じだろうが、彼女のディスクや映像などには、「DAD 川上源一」などの献辞が必ずクレジットされている。
 これは、ヤマハ・グループの総帥として君臨した川上源一(1912~2002)のことで、ポプコンで彼女を発掘した“育ての親”ということになっている。《時代》が世界歌謡祭でグランプリを獲得したとき、彼女はオーケストラ伴奏を断ってギター1本でうたい注目を浴びたが、これも川上源一の進言といわれている(そのことを題材に、川上をモデルにした曲が、《ピアニシモ》だという)。
 このあたりも、前回で綴ったヴェルディとバレッツィの関係を思い出させる。

 中島みゆきを聴くと、ホッとさせられることがある。
 レコーディングやコンサート、音楽劇「夜会」の、ゲストやバック・ミュージシャンに、”ポプコン出身者”を、よく招いているのだ。
 たとえば、谷山浩子……《お早うございますの帽子屋さん》、《ネコの森には帰れない》などでポプコン出場。2000年の「夜会」に出演した。彼女も、事務所・レコード会社ともにヤマハで、楽曲は、ヤマハ音楽教室の教材になっていた。
 坪倉唯子……《繞いつく想い》《Easy Going》などでポプコンに出場。中島みゆきのレコーディング、コンサートに多く参加しており、ファンには馴染みのある名前だろう。B.B.クィーンズを結成し、《おどるポンポコリン》の大ヒットも飛ばしている。
 2014年の「夜会」に出演した中村中も、”もう一つのポプコン”といわれた「ヤマハ・ミュージック・クエスト」の出身である。
 2019年の「夜会」には、渡辺真知子が、中島みゆきの姉妹役で出演した。ポプコン同期生の共演とあって、わたしのようなオールド・ファンは、拍手喝采をおくったものだ。
 
 2020年1月からはじまった、〈中島みゆき 2020 ラスト・ツアー「結果オーライ」〉は、コロナ禍の影響で、途中で中止となってしまったが(ライヴCDあり)、このバック・コーラスに、ポプコン・ファン感涙のミュージシャンが参加している。
 相曽晴日である。
 1980年代初頭のポプコンに、《トワイライト》《コーヒーハウスにて》《舞》などで出場、その清廉な歌声が話題となったが、なにより驚いたのは、当時、まだ彼女が「高校生」だったことだ。名門、浜松海の星高校(現・浜松聖星高校)の在学生だったのだ。
(もっとも、ポプコン初出場当時の八神純子も、まだ高校生だったのだが)
 たしか、「コッキーポップ」における、司会・大石吾郎の紹介によれば「小学生のころからすでに作詞作曲を手がけていた天才少女」とのことだった。彼女も、子供のころから、ヤマハ音楽教室か、ミュージック・コースに通っていたのではなかったか。
 《コーヒーハウスにて》は、大竹敏雄の詞に彼女が作曲したものだが、そのたたみかけるようなメロディラインを、女子高生がつくったと聞いたら、誰もが驚くはずだ。わたしは、いまでも彼女のファースト・アルバム『トワイライトの風』(1982リリース、CD化あり)をウォークマンに入れて、よく聴いている。
 そんな彼女が、中島みゆきのコンサート・ツアーに参加していたのだ。

 こういったポプコン出身者を、中島みゆきサイドが、どういう考えで起用しているのか、わたしは知らない。もちろん、全員、歌唱力も含め、突出した才能の持ち主にして現役バリバリなので、ポプコンだとかヤマハだとか、そんなことは無関係かもしれない。
 しかし、上原彩子や、エロイーズ・ベッラ・コーンや、中島みゆきのようなアーティストを知ると、彼女たちのなかで、「ヤマハ」が、一時期の居場所ではなかったことが、よくわかる。彼らの間には、同じ音楽学校で勉強した“同窓生”とはちがう、もっと独特の、見えない絆があるような気がするのだ。
 そして、そういう関係が、とてもうらやましいようにも思えるのである。
〈敬称略/この項おわり〉
 
□中島みゆき、オフィシャル・サイトは、こちら
□相曽晴日、オフィシャル・サイトは、こちら

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2022.03.14 (Mon)

第350回 YAMAHA育ち(中)

エロイーズ
▲エロイーズ・ベッラ・コーン(ピアノ)、バッハ『フーガの技法』
 (エスケシュ補筆完全版) ※リンクは文末に。


 最近、気になっているピアニストに、フランスのエロイーズ・ベッラ・コーン(1991~)がいる。 
 彼女が昨秋、Hanssler Classicからリリースした、バッハ《フーガの技法》(エスケシュ補筆完全版)は、たいへん興味深いディスクだ。フランスの”鬼才オルガニスト”で作曲家のチエリ・エスケシュ(1965~)が補筆完成させた《フーガの技法》を、ピアノで演奏したアルバムなのだ(そもそも原曲は未完のうえ、スコアに楽器指定がない”謎の音楽”である)。

 本題とは関係ないので、いま、このアルバムの内容には踏み込まないが、こういう面白いプロジェクトに挑むとは、どういうピアニストなのだろうと気になった。
 さっそく彼女のウェブサイトでプロフィールを見ると、「パリに生まれ、4歳からヤマハ音楽教室で音楽を学び……」とある。
 その後は、名門、CNSMDP(パリ国立高等音楽・舞踊学校)を卒業したようなので、上原彩子のように、ヤマハ一筋ではないようだ。
 しかし、芸術の都パリにもヤマハ音楽教室があり、《フーガの技法》補筆完全版に挑むフランス人ピアニストを生んでいるとは、不勉強とはいえ、ちょっと意外だった(検索すると、教室はパリ以外にもいくつかあるようだ)。

 そういえば、前回紹介した上原彩子の著書『指先から、世界とつながる』に、チャイコフスキー・コンクールで優勝する前、20歳のときから、パリで一人暮らしをはじめるエピソードがある。一種の”武者修行”である。
 だが、なにぶん初めての海外一人暮らしとあって、苦労が絶えない(フランス語もカタコトのうえ、それまで料理も買い物も、一人でしたことがなかった)。
 ところが、
「パリのヤマハ支店の方が家族ぐるみで私を助けて下さり、ピアノのある部屋を探して下さったり、電話や銀行の契約を手伝って下さったり、レンガの床に防音と防寒を兼ねた分厚いシートを敷いて下さったり、はじめの一年間は本当にお世話になりました」
 とある。
 もちろん本書はヤマハの刊行だし、彼女自身、ヤマハ音楽教室のスターなのだから、こういう記述が出てくるのは当然かもしれない。
 しかし、もし彼女が通常の音楽大学生としてパリに住んだら、大学は、ここまでしてくれるものだろうか。せいぜい、指導教授が個人的な伝手で、誰か相談役を紹介してくれるくらいでは、なかろうか。

 ここを読んだとき、ジュゼッペ・ヴェルディを思い出した。
 わたしは、若いころ、取材でイタリア国内の彼の足跡を、ゆりかごから墓場まで、ほとんどまわったことがある。生まれはイタリア北部に近いレ・ロンコレ村。実家は小さな旅籠屋兼よろず屋だった(生まれた藁小屋がそのまま残っていた)。幼少期より音楽に興味を示すが、なにぶん、専門教育を受けるようなカネはない。
 すると、町の大手商人バレッツィがスポンサーを買って出てくれ、ヴェルディ少年はその家に住み込みながら、町の学校へ通わせてもらい、やがてミラノ留学を目指すのだ。
 その後、この、ヴェルディとバレッツィの関係は、義理と人情がからみ合う、一種の感動物語に発展するのだが、紙幅がない。要するに、上原彩子にとって、パリのヤマハは、現代のバレッツィ……とまではいわないが、ちょっと、それに近いものを感じたのだ。

 エロイーズのCD《フーガの技法》ライナー解説を見ると、使用楽器に「Yamaha CFX」とある。ヤマハが戦後初のコンサート・グランド・ピアノとして開発したCFシリーズの最高級クラスだ(最新版で2,000万円以上する)。おそらくいまに至っても、彼女は、ヤマハとの関係を保ちながら、音楽活動をつづけているのだろう。
 どうもヤマハ音楽教室は、単に「音楽好きの子どもを育てる」のではなく、企業としてひとりのアーティストを育てる、なにか壮大なシステムを世界中で構築しているようなイメージを抱いた。

 幼少期にヤマハ音楽教室で音楽に親しみ、その後、プロの音楽家になったひとは多い。
 いまざっと思いつくだけでも、反田恭平(ピアニスト、ショパンコンクール2位)、上原ひろみ(ジャズ・ピアニスト)、挾間美帆(ジャズ作曲家)、大島ミチル(作曲家)、西村由紀江(作曲家、ピアニスト)、加羽沢美濃(作曲家、ピアニスト)などがいる。
 ただし、どのひとも、最終的に音楽学校を出ている。
 こうしてみると、上原彩子の場合は、突出した才能と努力があり、それをヤマハ音楽教室が徹底的に引き延ばしたらしきことがうかがえる。

 そして、企業としてのヤマハとアーティストの関係を考えるとき、忘れてはならないビッグ・ネームがいる。
〈敬称略/この項つづく〉

□エロイーズ・ベッラ・コーン『バッハ:フーガの技法』エスケシュ補筆完全版(Hanssler Classic)は、こちら(一部試聴あり)
□上原彩子『指先から、世界とつながる~ピアノと私、これまでの歩み』は、こちら(試し読みあり)

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2022.03.11 (Fri)

第349回 YAMAHA育ち(上)

上原彩子著書
▲ヤマハミュージックエンタテインメントホールディングス刊
 ※リンク先は文末に。


 2002年6月、チャイコフスキー国際コンクール(ピアノ部門)で上原彩子が優勝したとき、様々な点で驚かされた。
 まず、「日本人」として初の優勝だったこと。
 過去の優勝者は、ほとんどソ連/ロシア人である。「国際」の名が付いているが、実際はソ連/ロシア文化の優位性を西側社会に誇示するためのコンクールなのだ(なのに、1958年の第1回で、アメリカ人のクライバーンが優勝してしまったので、以後、ソ連/ロシア陣営がいっそう首位獲得にやっきとなってきた)。
 次に、史上初の「女性優勝者」だったこと。
 このコンクールは、よく「重量級」「男性的」といわれる。本選まで残ると、2週間は留め置かれ、チャイコフスキーなどの協奏曲を2曲、弾かねばならない。尋常な体力では最後まで貫けないのだ。

 小柄な日本女性、上原彩子の優勝は、これだけでも驚きだったが、さらに世界中が注目したのは、彼女が「音楽学校に行っていない」ことだった。「ゲイダイ」でも「キリトモ」でもなく、なんと「ヤマハ音楽教室」出身だという(彼女の最終学歴は、岐阜県立各務原西高校卒業)。
 このとき、世界中が、日本の「YAMAHA」は、単なる楽器メーカーや、町の音楽教室ではなく、世界最高のピアニストを育成するシステムを持っていることを、あらためて知ったのだった。

 そんな上原彩子の自伝エッセイ『指先から、世界とつながる~ピアノと私、これまでの歩み』(ヤマハミュージックエンタテインメントホールディングス刊)が出た。
 彼女の語りを、音楽作家、ひのまどかが聴き取り、周辺取材も交えて構成した本だが、これがすこぶる面白い。
 
 彼女は、香川県高松市に生まれた。母親がヤマハの講師だったせいもあり、3歳から、地元のヤマハ音楽教室に通い始めた。父の転勤に伴って岐阜県各務原市に転居してからは、名古屋のヤマハへ。
 10歳からは、東京に新設された「マスタークラス」に進み、月に2回、東京へ通う。ここで出会ったのが、モスクワ音楽院の名教師、ヴェラ・ゴルノスタエヴァ教授だった(NHKのピアノ教室でおなじみ。本コラムの第333回後半でも、著書を紹介している)。

 なぜ、ヤマハ音楽教室に、このような名教師がいたのか。
 当時のヤマハの川上源一理事長が、親しかったチェリスト・指揮者のロストロポーヴィチに「ヤマハ音楽教室に、モスクワ音楽院付属学校のような英才教育システムを取り入れたい」と相談した。そこでゴルノスタエヴァ教授が推薦され、彼女が年に数回来日して、1カ月ほどの集中レッスンがおこなわれることになった。

 「マスタークラス」では、ピアノ以外に、表現力講座などもあった。
「これは体を使った表現や、詩の朗読などを通して、さまざまな表現の仕方を学ぶものです。いま思い返しても、とても高度で総合的な音楽教育でした」
「チャイコフスキー・コンクールで優勝した時、私が音楽学校に行っていないことでずいぶん驚かれましたが、私自身は早くから専門的な音楽教育を受けていたので、音楽大学に行く必要性をまったく感じていませんでした」
「マスタークラスに行き始めてからそちらの友達もたくさんできて、大きいお姉さんたちが面倒を見てくれるので、学校に行くよりもずっと楽しかったです。夏にはウィーンで合宿もあり、ドイツ人の先生からレッスンを受けたり、オペラやコンサートに連れて行ってもらったり、ロンドン観光もさせてもらいました。私はそれで一気に外国に目覚めました。本当に贅沢すぎるような教育システムでした」

 「学校に行くよりもずっと楽しかった」「大きいお姉さんたちが面倒を見てくれる」教育が、上原彩子を育てたのだ。

 だが、本書の白眉は、後半部、彼女が結婚し、年子で次々と3人の女子を産み育てながら、演奏活動をつづける日々にある。
 妊娠9カ月で《皇帝》を弾くなんて当たり前。次女がお腹にいるとき、午前中に長女の保育園の運動会に行って綱引きに参加し、午後はマチネ本番でグリーグの協奏曲を弾いたこともある。
 あるいは、夜の10時半に「明日、キャンセルの代役で、ラフマニノフの2番を弾いてくれ」と電話が来る。彼女はその曲なら一夜で準備できると判断して引き受ける。ところが、翌日は長女の保育園の遠足だった。仕方なく、徹夜で練習しながらお弁当をつくり、朝から遠足に行って、午後は会場へ飛び、15時からのゲネプロ~本番に臨んだ。

 すさまじいのは、「板門店で弾いてくれ」といわれた話。
 てっきり1年後くらいに焼肉屋で弾くのだろうと思っていたら、なんと「数日後のことで、場所は韓国と北朝鮮の軍事境界線にある板門店での野外コンサートだと説明され、びっくりしました」
 しかもそのコンサートの翌日には次女のバスケットボールの試合があり、その後、家族と那須の茶臼岳に登る予定になっていた。
「それでも、両方やろうと思いました」。ソウルへ飛んで車で板門店へ行き、本番をこなし、翌朝4時のフライトで東京へもどり、次女の試合を見て、夕方から夫の車で那須へ。車中泊し、翌朝から茶臼岳に登った。
 後半は、この種のエピソードが続出で、目をまるくしながら読み進めた。
 こういう日々を平然と(でもないが)おくることができるのも、正規の音楽学校を知らず、ヤマハで育ったためのように思えてくる。

 私事で恐縮だが、実は、わたしの娘も、3歳から池袋のヤマハ音楽教室に通った。土曜午前のクラスで、毎週、わたしが連れて行った(現在の「おんがくなかよしコース」だと思う。ヒヨコみたいなキャラクター人形、”なあにちゃん”がいた)。
 本書P.25に、ヤマハ音楽教室内で3歳当時の上原彩子の写真が載っているが、あの写真とまったくおなじだ。もう20数年前のことだが、懐かしかった(写真で後方に母親が控えているが、あそこに、わたしがいた)。
 ほとんどはお遊戯や歌唱やリズム遊びだったが、これがなかなかうまくプログラムされていて、次は、どんなことをやるのかと、娘よりも、わたしの方が興味津々だった。

 土曜午前のクラスは、たしか10名ほどだったが、みんな母親連れで、当初、父親はわたしひとりだった。やがて「毎週、お父さんと来ている子もいるのよ。たまにはあんたが連れて行ったら」と、母親たちが家で話すようになったらしく、次第に父親が増え、あるとき、10名すべて、父親連れになったことがある。先生から「トガシさんのおかげで、教室史上初、全員お父さんになりました」と笑顔で感謝された。
 その後、娘は、ピアノ・レッスンのコースに進み(マスタークラスのような本格コースではない)、高校まで通いつづけ、音楽大学に進んだ。打楽器専攻だったので、一時は、ドラム教室にも通っていた。

 考えてみれば、上原彩子とはレベルがちがうが、わが家も、ヤマハ音楽教室にお世話になってきたわけだ。
 ところが、あらためて思い返すと、そればかりではなかった。
(敬称略/この項、つづく)

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2022.03.09 (Wed)

第348回 7年目の「イスラーム映画祭」

イスラーム映画祭7
▲本年のイスラーム映画祭(ウェブサイトは文末に)

 今年で7回目になる「イスラーム映画祭」が、2月19~25日、東京・渋谷のユーロスペースで開催された。これは、その名のとおり、イスラム文化圏で製作された映画、あるいはイスラム文化を題材にした映画の特集上映だ。
 なにぶん、1週間で(アンコール上映も含めて)10数本の作品が上映されるので、とてもすべてを観ることはできない。それでも、わたしは、第1回からいままで、半分強の作品を観てきた。

 とにかく、どの映画も、抜群に「面白い」。恋愛、メロドラマ、不倫、コメディ、テロ、戦争、宗教対立、旅、家族、子ども、スポーツ、同性愛……あらゆる題材の映画が並ぶ。イスラム世界に、これほど豊かな映画文化があることに、驚かされる。マイ・カーでドライヴしながらえんえん話すとか、万引きで家族を養うとか、昨今の日本映画に慣れていると、脳天をぶち抜かれるだろう。

 しかもこれは、映画ファンの藤本高之さん個人が、「ひとり」で主宰しているイベントである(驚嘆すべきことなのだが、ここに触れると長くなるので割愛。ネット上にインタビューや紹介記事が山ほどある)。よくこれだけの作品を、個人で探し出し、交渉し、素材を輸入し、字幕を付けて上映するものだと、感動する。

 これからほかの都市での開催もあるし、来年以降のアンコール上映もあるかもしれないので、わたしがこの7年間で観てきたなかから、忘れられない作品をご紹介しておく。今後、機会があれば、万難を排して観ていただきたい、どれも素晴らしい映画である。

◆長い夜(イスマエル・フェルーキ監督、2004、モロッコ他) 【予告編】
 南仏プロヴァンスに住むモロッコからの移民一家。敬虔なイスラム教徒の父が、メッカへの巡礼に、自家用車で行くといいだし、運転手として、次男が強引に駆り出される。フランスで生まれ、イスラム教など関心のない現代っ子だ。恋人にも会えなくなり、文句たらたらである。道中はケンカとトラブルの連続だ。だが、そのたびに、父は、イスラム教徒ならではの生真面目さと、流暢なアラビア語で、見事に乗り越えてゆく。次第に、父に対する印象が変わっていく息子。
 クライマックスは、史上初めて撮影が許可された、メッカの神殿、大巡礼のドキュメント映像。圧巻どころか、これは映画史に残る壮大な名シーンだ。ここだけでも、観る価値がある。イスラム教の巨大さに、圧倒されるだろう。
 本作はメッカ巡礼の話だが、どこの国にもある世代間格差の普遍的な物語にしているところが見事だ。プロヴァンスからイタリア、中欧、トルコ、シリア、ヨルダン、サウジと移り変わる風景も実に美しい。ロード・ムービーの傑作である。

◆アブ、アダムの息子(サリーム・アフマド監督、2011、インド) 【予告編】
 これまたメッカ巡礼が題材だが、おもむきはまったくちがう。
 インドはヒンズー教の国で、ここからイスラム教徒が独立して隣にパキスタン・イスラム共和国をつくった。ゆえに、この2国(2宗教)は常に対立している……これが凡俗のわたしが抱くイメージだった。
 ところが実際は、すべてがそうではないらしい。インド南部ケーララ州の小村に、イスラム教徒の老夫婦が住んでいる。老夫が行商で生計を立てており、貧しいが、真摯な暮らしぶりだ。周囲のヒンズーとも仲が良く、かえって慕われているほどである。まずここからして意外な設定で、ちょっと驚く。
 この老夫婦が、一生に一度の大計画「メッカ巡礼」を決意する。そのために、懸命に貯金をしてきた。旅行代理店や近所のひとたちも(当然、ヒンズーである)、熱心に協力してくれる。ところが、どうしても旅費が足りなくなり……。
 わたしは、後半、「なんとか2人をメッカへ行かせてあげて」と、涙をこらえながら観た。
 宗教がちがっても共存できることの素晴らしさを、見事に描いている。映画大国インドの、幅の広さを感じさせる作品。

◆ラヤルの三千夜(メイ・マスリ監督、2015、パレスチナ他) 【予告編】
 ヨルダン川西岸地区で働くパレスチナ人の女性教師ラヤルは、虚偽情報で逮捕され、懲役3,000日の刑で、イスラエルの刑務所に収監される(これは国際法違反らしい)。そこは、イスラエル人の女性受刑者や看守が、パレスチナ人に日常的に暴力をふるう「地獄」だった。実はラヤルは妊娠していたのだが、意を決して獄中で出産する。刑務所のなかで生まれ、育つ息子に、ラヤルは鉄格子の外に「自由」があることを教える……。
 ユダヤ人とアラブ人が対立する映画は山ほどあるが、この「イスラエルの刑務所内で出産したパレスチナ人女性」の設定は実話なのだという。監督は女性だが、パレスチナ人の置かれた環境を、刑務所の閉鎖空間で表現したアイディアが秀逸。無理に政治的メッセージをうたわず、ドキドキハラハラの抗争映画にしているところも潔い。

◆花嫁と角砂糖(レザ・ミルキャリミ監督、2011、イラン) 【予告編】
 全7回のなかでも、特にわたしの好きな作品。たしかアンコールも含めて3回上映されている人気作品(わたしも3回観ている)。
 イランの古都ヤズドの、女系大家族。5人姉妹の末っ子パサンドの婚約式の準備が進んでいる(彼女はこの結婚にあまり乗り気ではないようだが、花嫁の意思は尊重されない)。しかも花婿は外国におり、リモート参加である。姉たちの亭主や子どもたちもやってきて、大きな邸宅内はたいへんな騒ぎだ。台所風景、大きな食器、色彩豊かな食事、美しい衣裳、ランプの炎、お祝いの飾り……すべてがあまりに美しい。これがペルシャ伝統文化かと、ため息が出る。女性たちのやかましいおしゃべりシーンも実に楽しい。日本の「昭和」にそっくりだ。
 この結婚に反対していた、亡き父親がわりの大伯父は、ただひとり、不機嫌そうに角砂糖の大きな塊を砕いている(これを口に含んで溶かしながらお茶を飲む)。ところが、この角砂糖がきっかけで、ある悲劇が発生し、婚約式は葬式にかわってしまう……。ラストでパサンドが口にする、ある決意は胸を打つ。
 これだけたくさんの人物が、始終出たり入ったりしているのに、まったく混乱せず、キチンと描かれる。悲劇と喜劇が交錯するバランス感覚も見事。素晴らしい脚本と編集で、イラン映画のレベルの高さがわかる。ミルキャリミ監督は、小津安二郎と黒澤明に心酔しており、両者の墓参りまでしているという。そういえば、この映画の末娘パサンドには、どこか、原節子の面影がある。

◆ある歌い女の思い出(ムフィーダ・トゥラーリ監督、1994、チュニジア他) 【予告編】
 もう30年近く前の映画だが、チュニジア初の女性監督による作品で、カンヌ映画祭で新人特別賞を受賞した名作。日本では過去に一般公開されていたらしいが、わたしは、今年、初鑑賞した。
 1950年代、チュニジアの王政が廃止される最後の日々を、王宮内の女中たちの姿を通して描く。当初、彼女たちは気楽に楽しく働いているように見えるのだが、次第に、そうではないことがわかる。イスラム社会特有の男尊女卑が、ここにも根付いている。
 内容は、王宮専属ダンサーの娘(王宮内で生まれた。父親は実は……)の成長物語でもある。彼女は、やがて音楽の才能に目覚め、歌手となる。王族のために、母は踊り、娘はうたう。だが、最後に娘が王族の前でうたった曲は……。
 本作で14歳でデビューしたヘンド・サブリは、いまや、アラブ圏を代表する大女優だ。今年の「イスラーム映画祭7」では、彼女が40歳で主演した『ヌーラは光を追う』(2019)も上映された。おなじ女優が25年後も、イスラム社会で苦しむ女性を演じている。この2本を並べて上映するところが、本映画祭の企画力だと思う。
 
◆神に誓って(ショエーブ・マンスール監督、2007、パキスタン) 【予告編】
 これは本コラムの第328回 「”タリバン映画”『神に誓って』」で詳述したので、そちらをお読みください。過去7回のイスラーム映画祭でわたしが観た範囲内で、圧倒的に第1位の作品である。

 そのほか……戦場に行った恋人のために好きだった曲をラジオで放送させようとする『ラジオのリクエスト』(2003、シリア)、戦死した若者の遺体に割礼の痕跡がなかったために(キリスト教徒と入れ替わった?)騒動となる村を描く『遺灰の顔』(2014、イラク他)、目以外の全身を完全に覆うニカブを強制され、次第に社会から疎外される女性の苦悩『カリファーの決断』(2011、インドネシア)、第三夫人と離婚したものの、やっぱり恋しくなって四苦八苦するオッサンのコメディ『女房の夫を探して』(1993、モロッコ)など、枚挙に暇がない。

 複数の映画で、アラブの歌姫と呼ばれたエジプトの大歌手、ウンム・クルスーム(1904~1975)の曲や話題が登場し、いかにすごい存在であるかも、わたしはこの映画祭で知った。
 来年以降も、ぜひお薦めしたい映画祭である。

□イスラーム映画祭:ウェブサイトはこちら


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