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2022.06.08 (Wed)

第358回 ウクライナと「左手」(2)

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▲ウクライナ出身の作曲家、セルゲイ・ボルトキエヴィチ(1877-1952)
出典:Wikimedia Commons


※更新が遅れて、申し訳ありませんでした。前項よりのつづきです。

 ボルトキエヴィチとは、どんな作曲家なのか。 
 以下、『国境を超えたウクライナ人』(オリガ・ホメンコ著、群像社)での記述を中心に紹介する。

 一般に、このひとは「セルゲイ・ボルトキエヴィチ」と綴られる。だがこれは、ドイツ時代のスペルにもとづくらしい。ウクライナ人としては「セリヒーイ・ボルトケーヴィチ」が正確だという。

 彼は、帝政ロシアの末期に近い1877年、ウクライナ北東部のハリコフで生まれた(最近は「ハルキウ」と記すようだが)。ここは、ロシア国境にも近く、ウクライナで2番目の大都市だけあって、今回の侵攻でも壮絶な戦闘が繰り広げられた。
 実家は裕福で、子どものころから音楽が好きだった。長じてからはサンクト・ペテルブルクで法律と音楽の両方を学ぶ。
 ここからの彼の人生は、まことに波乱万丈で、よくまあ、著者ホメンコ氏も、この紙幅でおさめたものだと感心する。
 とりあえず、その足跡をダイジェストでたどると……

サンクト・ペテルブルクの大学時代に徴兵。だが、身体が弱くて除隊。
  ↓
ライプツィヒ音楽大学に留学、ベルリンで作曲活動、結婚。
  ↓
第1次世界大戦の勃発でハリコフにもどるが、ロシア革命でクリミアに疎開。難民となってトルコのコンスタンティノープルを経てオーストリアへ。
(この間、周囲の援助で、なんとか音楽活動はつづけてきた)

 1923年、ボルトキエヴィチは、ウイーンで、あるピアニストと知り合う。この出会いが、彼の代表作のひとつを生むことになるのだが、それは後段に譲り、とりあえず先へ。

パリやベルリンでも活動するようになる。だが、ナチス政権の誕生により、旧ロシア帝国出身ゆえブルジョワ扱いされ、仕事を干される。
  ↓
ウイーンへもどるが、まともな収入はなし。そこで、チャイコフスキーとフォン・メック夫人の往復書簡集のドイツ語訳を出版、話題になる。
  ↓
ようやく自作演奏の機会も増えるが、1938年、ナチス・ドイツがオーストリアを併合。楽譜出版社も空爆で焼失、収入の道を絶たれる
  ↓
友人の援助でなんとか食いつなぎ、傑作のひとつ《ピアノ・ソナタ第2番》を書き、故郷ウクライナへの思いを込める。
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終戦間際、「母国」ソ連によるウイーン空爆にあうが、命からがら逃れる。
  ↓
戦後、オーストリア国籍を取得、ウイーンで音楽大学教授に。
  ↓
1952年、没。だが遺骸はウクライナへ戻れず、ウイーン中央墓地に葬られる。

 結局、ボルトキエヴィチは、ロシア革命と2つの世界大戦に翻弄されながら、故郷ウクライナへもどることができず、異国に骨を埋めたのだった。

 そんな作曲家だが、故国ウクライナでも、近年まであまり知られていなかったらしい。
 著者ホメンコ氏が綴るには、彼の交響曲第1番《わが故郷より》がウクライナで初めて演奏されたのは、2001年のことだという。
〈この曲を聴くとウクライナの民謡、コサックダンスなどボルトケーヴィチが受けた影響の全てがわかる。(略)2020年にはアメリカ在住のウクライナのピアニスト、パウェル・ギントフがボルトケーヴィチの作品でCDを出し、アメリカ中で公演もしている。ギントフによると「ボルトケーヴィチ自身が優れたピアニストだったので、ピアニストが気持ちよく弾けるような音楽を作っている。(略)ドラマティックな作品は抒情的ですらある」〉

 彼の音楽は、チャイコフスキーやラフマニノフに漂う土俗的曲想に、ショパンのような洒落たヨーロッパ・テイストが加わっている。深淵さには欠ける部分もあるが、美しい曲が多く、ウクライナを思わせるムードが顔を出すこともある。ワーグナーそのもののような響きが登場する曲もある。

 いま、ボルトキエヴィチは、決して”知られざる作曲家”ではない。NML(ナクソス・ミュージック・ライブラリー)で、彼の作品も含むCDを検索すると、30数点がヒットする(ただし、NMLには珍しく、ピアノ曲ばかりで、肝心のオーケストラ曲はない)。そのなかには、上述、ギントフによる単独作品集のほか、フィンランドのピアニスト、ヨウニ・ソメロによる全9枚シリーズの、ボルトキエヴィチ・ピアノ作品集もある(おそらくピアノ曲全集では)。

 ホメンコ氏は、こう結んでいる。
〈ボルトケーヴィチは暗い時代を生きたにもかかわらず、希望にあふれた明るい作品を作った。(略)故郷を失って亡命せざるを得なかった激動の人生を考えると、なんと明るい前向きの音楽かと思う。(略)彼の作品を聞くことは心の支えになるし、自分も希望を失ってはいけないと思うようになる。それは彼の生きた二十世紀から私たちへのメッセージのような気がする〉
 いうまでもないが、この文章が書かれたのは、ロシアによるウクライナ侵攻よりずっと以前である。

 実は、彼の音楽のなかで、特に”希望を失ってはいけない”と強く訴えかけてくる曲が、ある。《ピアノ協奏曲第2番》作品28や、《ピアノと管弦楽のためのロシア狂詩曲》作品45などである。
 これらは、前述、1923年にウイーンで知り合った、あるピアニストのために書かれた。
 その名を、パウル・ヴィトゲンシュタインという。
 右手を失った、”片腕(左手)のピアニスト”だった。
〈この項、つづく〉

『国境を超えたウクライナ人』(オリガ・ホメンコ著、群像社)は、こちら。
交響曲第1番《わが故郷より》 は、こちら(ウクライナ・チェルニーヒフ・アカデミー交響楽団、指揮:Mykola Sukach/YOUTUBE、約40分)。
ホメンコ氏が紹介している「ボルトキエヴィチ:ピアノ作品集」CD(パヴェル・ギントフ:ピアノ)CDは、こちら(NML)。

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