2022.09.17 (Sat)
第363回 文学座『マニラ瑞穂記』とスーザ

▲(左)文学座公演『マニラ瑞穂記』、
(右)スーザ《海を越える握手》出版譜【出典:Wikimedia Commons】
文学座公演『マニラ瑞穂記』(秋元松代作、松本祐子演出)は、老舗劇団の底力を見せられた舞台だった(9月20日まで、文学座アトリエにて)。
近年では、2014年の新国立劇場版(栗山民也演出)が最新上演だったと思うが(昨年、同劇場演劇研修所の終了公演も本作だった)、今回は、各役のイメージを若返らせ、アトリエの閉鎖的な空間に独特の躍動感を生んでいた。
たとえば女衒の秋岡などは、”お父さん”よりも”アニキ”のような雰囲気だったし、からゆきさんを演じた5人の女優陣も空前の体当たり名演だった。
チェーホフ『桜の園』を100倍辛口にしたようなラスト・シーンもふくめて、おそらく、この名作戯曲に初めて接した観客は、脳天をぶん殴られたのではないだろうか。
舞台は1898(明治31)年、スペイン植民地下のフィリピン・マニラ。
いまや米西戦争真っ盛りで、外では砲弾が飛び交っている。
米西戦争とは、カリブ海(キューバ近辺)とフィリピン・グアムのスペイン植民地をめぐって、”支配者”スペインと、”解放者”アメリカが戦った海戦である。
マニラの日本領事館に、官僚、帝国軍人、フィリピン独立闘争を支援する日本人志士、女衒のオヤジ、からゆきさんなど、様々な 日本人たちが、戦火を避けて逃げ込んでいる。
彼らには、それぞれの思惑があるのだが、ことごとくうまく運ばない。
海外での夢やぶれ、結局、アメリカの掌に乗せられてしまのだ。
初演は1964(昭和39)年。
作者秋元松代は、敗戦から19年目の日本が、東京オリンピックで世界の一等国に躍り出た(かのように見えた)年に、冷や水を浴びせたのだ。
おそらく作者には、占領が終わってもなお、安保条約の下、アメリカの言いなりになっている戦後日本が、明治時代、米西戦争下の 日本に重なって見えたのではないだろうか。
それをいま再演することは、国葬に邁進する日本政府に対する冷や水のようでもあり、なんとも痛快だった。
このフィリピン米西海戦を題材にした、マーチの名曲がある。
ジョン・フィリップ・スーザ作曲《海を越える握手》である。
この曲は、生涯にスーザが書いた100曲以上のマーチのなかでも、突出した名曲だ(わたしは、ベスト5に入ると思っている)。
なにしろ、Naxosレーベルからリリースされていた、キース・ブライオン指揮のCD『スーザ吹奏楽作品集』全23巻では、「第1巻/第1曲」収録の”栄誉”を授かっているほどである(演奏も、このCDが最高)。
聴いていると、どこか不思議なムードを感じると思う。
基調はF-Dur(ヘ長調)なのに、かすかにd-Moll(ニ短調)も漂うのだ。
これによって、単なる明るい曲ではない、陰影のある深い音楽となった。
このあたりが、スーザのマーチが”3分間の芸術”といわれる所以なのである。
ところで――フィリピンの米西戦争で、アメリカに勝利をもたらしたのは、「オリンピア号」のジョージ・デューイ提督だった(のちに大将、大元帥)。
後年、大統領候補の呼び声さえかかる、”マニラ湾海戦の英雄”だ(アメリカ側の損害は、負傷者9名のみ! 現在のアメリカ海軍の駆逐艦「デューイ」は、この提督を讃えた愛称である)。
そのデューイ艦隊がスペイン軍に追い込まれた時、イギリス艦隊が助っ人に参じてくれた――このエピソードにスーザが感動して作曲したのが、《海を越える握手》である……というのだが、いまでは、これは作り話ということになっている。
現に、出版譜(上の図版参照)の右上には「ふと思いついた。永遠の友情を誓おうではないか」と書かれているが、これはイギリスの外交官・作家、ジョン・フッカム・フレール(1769~1846)の戯曲『The Rovers or The Double Arrangement』第1幕第1場のセリフで、一種の名言なのである。
「デューイ提督に捧げる」なんて、どこにも書いてない。
要するにスーザは、フレールの「戯曲」に感銘を受けて、音楽化したのだ。
それがなぜ、米西戦争から生まれたことになったのか。
もともとデューイ提督は、スーザの大ファンで、マニラ湾に向けて香港から出港するときの送出マーチに、スーザの《エル・キャピタン》を演奏させたほどだった。
これは当時大ヒットしていた同名オペレッタのなかの旋律を抜き出して合体させた、一種の”メドレー・マーチ”である(だから、この曲は、拍子や曲想が途中でガラリと変わるのだ。それゆえ、中学高校の吹奏楽部がリズム感を身につけるのに、最適のテキスト曲でもある)。
いうまでもないが、スーザは、マーチだけを作曲したわけではない。
山ほどのオペレッタ、劇付随音楽、コンサート曲を書いている(その解説をはじめたら、全10回は必要!)。
そのなかで、《エル・キャピタン》は、最大ヒットとなった舞台作品で、スペイン統治時代のペルーを舞台にした、ドタバタ喜劇である。
スーザは、デューイ提督が、この曲のファンであることを知っていた。
一緒に食事をする仲でもあった。
だから、米西戦争に勝利の翌年、1899年のニューヨークでの凱旋パレードではスーザ・バンドが無償出演でパレードを先導し、ここでも《エル・キャピタン》を演奏した(このころ、スーザはすでに海兵隊軍楽隊を辞し、自分のバンドを持つ大スターだった)。
《海を越える握手》を作曲したのは、ちょうど、このときで、本来は、翌年のパリ万博ツアーのための曲だった。
だがおそらくスーザにとっては、親友にして自分のファンでもあるデューイ提督の、CM曲のようなつもりもあったのではないか、だから、あとづけで、米西戦争にまつわるような”感動のエピソード”を加えたのではないだろうか。
『マニラ瑞穂記』はいうまでもなく、《海を越える握手》も、「戯曲」だったのだ。
□文学座ウェブサイト
□《海を越える握手》(米海兵隊軍楽隊の来日公演)
□Naxos『スーザ吹奏楽作品集』Vol.1(非会員は冒頭30秒のみ聴取可能)
□《エル・キャピタン》(大井剛史指揮、PRO WiND 023)
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2022.09.02 (Fri)
第362回 50年目の《ゴルトベルク変奏曲》

▲中止となった昨年12月公演の、代替公演。
日本を代表する鍵盤奏者、小林道夫氏(89)は、毎年12月に、チェンバロで、バッハ《ゴルトベルク変奏曲》を演奏するコンサートを、1972年からつづけている。
昨年末が、記念すべき、50年連続/第50回となるはずだったが、体調を崩されて、直前に中止となってしまった。
その代替公演が、8月29日、東京・上野の東京文化会館小ホールで開催された。
残念ながら、ぴったり「50年連続」とはならなかったが、90歳になろうかというひとが、半世紀かけて、あのような複雑極まりない大曲を弾きつづけてきたわけで、まさに偉業としかいいようがない。
なぜ、もっとメディアが注目しないのか、不思議でならない。
(わたしは、せいぜい2000年代に入ってから2回ほど行ったことがあるにすぎない。よって今回が3回目)
2回のアリアと、全30曲におよぶ変奏は、ささやきかけるような、実に温かな響きだった。
会場では、昨年に配布されるはずだった解説プログラムが、あらためて配布された。
これが実に面白い内容で、50年間分のプログラムから、小林氏本人の解説や、寄稿エッセイなどを抜粋再録した、一種の”50周年記念誌”となっていた。
そこで驚いたのは、第1回=1972年のプログラムに寄せた、小林氏自身による解説である。
たとえば、こんな具合だ。
〈アリア:8’、繰返しのときに8”。鍵盤の指定はないが、声部が左手と右手にまたがって動くことがあり、主旋律を下鍵盤で、伴奏声部を上鍵盤でという風に割りふることができない。(略)〉
〈第十三変奏(二段):右手8’、左手8”L。本来一段でひいても何の不都合なく書かれていながら二段の指定があるので、旋律とバスの音色の対比が重要なのであろう。(略)〉
〈第三十変奏(一段):16 8’ 8” 4。繰返しは16’8”4。にぎやかなクォドリベトは、やはり大きな音がほしい。〉
何が書いてあるか、おわかりになるだろうか。
チェンバロ奏者にとっては、当たり前の記述なのだが、この数字は、どのストップ(レジスター)を使うかをあらわしている。
チェンバロは、ピアノとちがって、音の強弱や、音色や響きの変化をほとんど出せない(そもそも、いまのようなコンサートホールが登場する以前の、室内用の楽器なので)。
そこで、2段の鍵盤を使い、左右両端に付いているストップ(キーのようなもの)を操作することで、音量や音色を微妙に変えるのだが、どの部分でどのストップを使い、どんな音色にするつもりなのかを、小林氏自身が明かしているのである。

▲2段鍵盤チェンバロ。よく見ると、上段鍵盤の左右横に、ボタンのようなものが付いている。
これが「ストップ」(レジスター)。【出典:WikimediaCommons】
いま、《ゴルトベルク変奏曲》は、ピアノで演奏されることが多いが、本来は、2段鍵盤チェンバロのために書かれた曲だ。
上記にある(一段)(二段)とは、バッハが楽譜に書き込んだ指定で、「この曲は1段で弾け」「ここは2段で弾け」との指示である(どちらでもいい、あるいは指示なしの曲もある)。
そもそもこの曲は、原題からして、《2段の鍵盤をもつチェンバロのためのアリアとさまざまな変奏》という。
《ゴルトベルク変奏曲》とは、後世に第三者が勝手に呼んだ、通称題である(第315回参照)。
「2段鍵盤」のために書かれた曲を、「1段鍵盤」のピアノで弾いたら、当然ながら無理が生じる(上下鍵盤を同時に弾く部分で、両手が交差して同音が重なる。これはピアノでは演奏不可能だ)。
よって、現在のピアノ版は、すべて、一種の「編曲」演奏なのである。
ところが、1956年、グレン・グールドが、超個性的なピアノ演奏のレコードをリリースし、一大センセーションを巻き起こした。
その結果、一挙に、ピアノ曲の人気レパートリーとなったのだ。
(小林氏自身も、昭和20年代の終わり、学生時代に一部を弾いたがあまり印象に残らず、グールドを聴いて「意識するようになった」と書いている)
小林氏はピアノ奏者でもあるが、この演奏会では、1972年の第1回からずっと、原曲どおり、チェンバロで弾いてきた。
その第1回のプログラムに、とうていチェンバロを知っているひとでなければ理解できないような、しかも、演奏上の秘密を、あっけらかんと載せていた。
わたしも、コンサートやCDの解説を書いているが、いま、ここまで本格的な解説がまかり通るとは思えない。
だがわたしは、これを読んで、1970年代の日本人の知的教養レベルは、相当高かったような気がした。
この解説の冒頭で、小林氏は、
〈全曲を8フィート・ストップ2個の組合せでひきたいと思う位なのであるけれども、与えられた条件、つまり定員七百名ばかりのホールと、16、8、8、4という4つのストップを持ち、革の爪を持ったノイペルトのバッハ・モデルという楽器をつかうという条件を前提にした時に、この曲をどんな風に作っていくかという手のうちを、主に使うストップをならべあげていくことでお目にかけ、この長大な曲を御一緒に体験するひとつの手がかりにしたいと思う〉
と書いている。
この記述も決して親切な書き方ではないが、しかしとにかく、”チェンバロはなにかを操作することで音量や音色が変わる楽器らしい”ことがわかる。
そして、”今日は、曲ごとに、いちいち、その操作をおこなうらしい”こともわかる。
1972年12月23日、東京文化会館小ホールでこれを読んだ聴衆は、目と耳で、2段鍵盤をどうつかうのか、ストップの操作でどう音色が変化するのかを、懸命に追いかけただろう(奏者の手許が見えない席の聴衆は、残念に感じたはずだ)。
そして、この曲が、実は、とてつもない、宇宙の大伽藍であることを感じ取っただろう(だが、この日から50年もつづくとは、想像もしなかっただろう)。
小林道夫氏は、すばらしい演奏家であると同時に、見事な”解説者”でもあった。
□渡邊順生氏による《ゴルトベルク変奏曲》全曲演奏の映像
手許のアップが多く、2段鍵盤やストップの使用状況が、よくわかります。
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