2022.12.13 (Tue)
第372回 【新刊紹介】本名も住所も本籍も、まったく証明できない人間が、現代社会には、いる!

▲『ある行旅死亡人の物語』(武田惇志、伊藤亜衣/毎日新聞出版)
いろんな音楽解説を書いていると、作曲家の「没後」の哀れさに、胸を塞がれることがある。
モーツァルトがまともな葬儀もなく共同墓地に葬られたことは有名だ。結局、遺体がどこに埋葬されたのか、正確にはわかっていない。
ハイドンは、没後、頭蓋骨マニアに墓をあばかれ、頭部を切り取って盗まれた。もどされて全身が”合体”したのは、150年後のことだった。
パガニーニは、生前、あまりのヴァイオリン演奏の凄さに、「悪魔に魂を売った」といわれていた。そのため、没後は、教会が埋葬を拒否した。遺体は防腐処理され、36年間も棺のまま、各地をさ迷った。
人間には、没後も椿事がつきまとう。
しかし、いまの時代に、このような「没後」があろうとは。
2020年4月、兵庫県尼崎市内のアパートの一室で、75歳くらいの老女が遺体で発見された。死因はクモ膜下出血。
ところが、この老女、謎だらけだった。
住民登録がないので、本籍地も不明。よって「田中千津子」と名乗っていた氏名が、本名なのか、証明できない。よって死亡届も出せない。
そもそも、部屋の賃貸契約者は男性名だったが、その男性(夫?)がいた形跡はない。
右手の指はすべて欠損。以前に勤務していた工場での労災事故だったが、なぜか保険金を受けた形跡がない。
以前に歯の治療をしていたが、その歯医者は保険証のない患者対象の、”闇歯科医”だった。
室内には3400万円余の現金があった。
40年もおなじアパートに住んでいながら、近所づきあいは皆無だった。
……そのほか、書き出せば、疑問点だけで、この書評がすべて埋まってしまうだろう。
とにかく、21世紀のこの日本で、どこの誰だかまったく検証できない人間が、亡くなったのである。
こういう死亡者を、法律用語で「行旅(こうりょ)死亡人」と呼ぶ(あたしは、むかし、この言葉を聞いて以来、てっきり、行き倒れのイメージが強い「行路死亡人」だと思い込んでいた)。
本書は、ふとしたことから、この行旅死亡人に興味をもった共同通信の2人の記者が、警察も探偵も弁護士も追いきれなかった女性の素性を、ほんの少しだけ残された手がかりをもとに追跡していく、まるでミステリ小説のようなノンフィクションである。
すでにネット上で公開されて大ヒットした記事だが(あたしもネットで読んで、興奮が覚めやらなかった)、さらに加筆されて単行本化されたものだ。
取材調査の過程を紹介することが、そのまま、本書の最大の魅力を公開してしまうことになるので詳述は避ける。だが、ひとつだけいえば、まさに「ネット社会」ゆえに成立した取材だった。
あたしが駆け出しの週刊誌記者だった1980年代はじめは、誰でも他人の住民票を閲覧できた(本書の著者が生まれる前の話だ)。当時の事件取材は、そこからはじまった。住民票や戸籍附票を見れば、前の住所や引っ越し先、家族関係など、まず最低限の情報が得られる。役所によっては、事情を話せば戸籍を見せてくれるところもあった。
それほど当時は、プライバシーや個人情報の管理について、いいかげんだったわけだが、ある騒動をきっかけに、一切、それらがダメになった。
1984年に週刊文春が「疑惑の銃弾」としてスクープ報道した、”ロス疑惑”である。逮捕された三浦和義が、マスコミに対してプライバシー侵害・名誉棄損で、膨大な数の訴訟をおこしたのがきっかけだった。
その後、いまでは、マイナンバーカードのようなオフィシャルな自己証明がないと、場合によっては自分の住民票ですら、すぐには閲覧できなくなっている。
よって、いまの時代、行旅死亡人の身の上を、一般メディアの記者が取材することは、容易ではないのである。
それにかわって登場したのがインターネットだ。2人の記者は、この”文明の利器”を最大限に活用し、意外な事実に、徐々に迫っていく。
たとえば、室内に残されていた、珍しい苗字の印鑑。調べると全国に100人ほどしかいないらしい。これを「田中千津子」の旧姓ではないかとにらんだ記者は、ネット検索で、この苗字の家系を調査しているブログを発見する。さっそくメールで連絡をとると、先方も好意的に協力してくれる。その後、かなりの時間と手間を要したが、結局、これがきっかけで、「田中千津子」の素性は判明するのだ。
そのほか、「田中千津子」のかつての勤務先や同僚を、過去の新聞記事の検索から見つけたり、フェイスブックで確認したりと、ネット情報によって次々と突破口が開けるのである。その過程は、凡百のミステリもかなわないほどの迫力と展開だ。
最終的に、「田中千津子」が、どこの誰で、どんな人生をおくってきたか、おおむね判明する。しかし、なぜ、あのような謎の隠遁生活をおくっていたのかは、不明のままである。
一時は、北朝鮮の連絡員ではないかとの疑問も浮上したが、それも証明はできなかった。
その一方で、そんなに不思議な老人だったのか、との思いも浮かぶ。その年齢まで、安いアパートで地道に暮らしていれば、3400万円貯まることだって、あるだろう。指を事故で失ったせいで、なんとなく人付き合いを嫌い、それゆえ、隠れるような毎日だったようにも思える(このアパートに風呂はなかった。近所の銭湯には聞き込みに行かなかったのだろうか)。
女性の名前では部屋も借りにくいので、知人男性の名前を借りた可能性もある。
だとすれば、「田中千津子」は、普通の、地味で孤独な老人だったかもしれないのだ。
なのに、これほどまで、身の上がすぐにはわからない、いまが、そういう時代であることのほうに、不気味な闇を感じる。
そんなことを伝えてくれる、異色の取材記である。
【本稿は、書評サイト「本が好き!」への投稿を改訂・転載したものです】
◇『ある行旅死亡人の物語』(武田惇志、伊藤亜衣/毎日新聞出版)
◆『東京佼成ウインドオーケストラ60年史』(定価:本体2,800円+税)発売中。ドキュメント部分を執筆しました。全国大型書店、ネット書店などのほか、TKWOのウェブサイトや、バンドパワー・ショップなどでも購入できます。限定出版につき、部数が限られているので、早めの購入をお薦めします。
◆「富樫鉄火のグル新」は、吹奏楽ウェブマガジン「Band Power」生まれです。第132回以前のバックナンバーは、こちら。
◆毎週(木)21時・FMたちかわ/毎週(土)23時・FMカオン(厚木・海老名)/毎週(日)正午・調布FM/毎週(日)・FMはなび(秋田県大仙市)にて、「BPラジオ/吹奏楽の世界へようこそ」パーソナリティをやってます。パソコンやスマホで聴けます。 内容の詳細や聴き方は、上記「BandPower」で。
◆ミステリを中心とする面白本書評なら、西野智紀さんのブログを。 最近、書評サイト「HONZ」でもデビューしています。
2022.12.09 (Fri)
第371回 【新刊紹介】「手紙」が語る、巨匠と2人の日本人の、驚愕の交流!

▲『親愛なるレニー レナード・バーンスタインと戦後日本の物語』(吉原真里/アルテスパブリッシング)
驚くべきノンフィクションが出た。
あたしも、仕事柄、多くの音楽家の評伝を読んできた。特にバーンスタインは大好きだったので、日本で読めるものは、おおむね、目を通してきたつもりだ。そして、バーンスタインにかんしては、もう、出尽くしたように思ってきた。
しかし、まさか、いまになって、こんな素晴らしい評伝が出るとは、夢にも思わなかった。
この本に出会えて、ほんとうによかったと思うと同時に、こうやって紹介できることが、うれしくてたまらない。
本書は、ひとことでいってしまえば、レナード・バーンスタインの生涯を描いたノンフィクションである。指揮者、作曲家、ピアニスト、教育者として超人的な活躍をした、20世紀アメリカが生んだ天才だ。
だが、本書は「評伝」とはいうものの、そのアプローチ方法が、あまりにも特異である。
ワシントンのアメリカ議会図書館・舞台芸術部には、通称「バーンスタイン・コレクション」と呼ばれる、彼にかんする記録文書が保存されていた。遺族から寄贈されたようで、その数、1700箱、40万点以上!
そのなかに、2人の日本人からおくられた、数百通の手紙があった。文面からして、一方的な手紙ではなく、あきらかに、バーンスタイン本人と「文通」していたことがわかる。
ひとりは、「Amano,Kazuko」(天野和子)、もうひとりは「Hashimoto,Kunihiko」(橋本邦彦)。
天野さんは、終戦直後、占領軍下のCIE図書館で、アメリカの音楽雑誌に掲載されていた若きバーンスタインのエッセイやレコードに触れ、ファンになった。
橋本さんは、1979年、バーンスタイン4度目の来日公演の際に知り合い、熱烈な恋に落ちる。以後、彼の日本側代理人としてサポートをしつづけた。
おそらく、バーンスタインのファンは、この2人の存在はすでにご存じだと思う。
橋本さんは、劇団四季にもいたことがある俳優で、現在はオーストラリア在住。プロデューサー、脚本家として活躍している。バーンスタインの《キャンディード》などが日本で上演される際、訳詞・ナレーションとして参加していたことでも有名だ。
天野さんについても、「バーンスタインと文通をつづけている日本人女性」として雑誌などでとりあげられたことがあった。
(実は本書は、2019年に、オックスフォード大学出版から英文で刊行されたものを、ハワイ大学教授の著者自ら、日本人読者向けに翻訳・再構成したものである。その際、「バーンスタインの最後の恋人は日本人男性だった」ことが明かされた本として、外電で話題になったことがある)
本書は、彼らの手紙と、バーンスタインにかんする記録文書をたんねんに読み込み、この3人の人生を同時進行で描いていく。
最初のうちは、単なる「文通」の再現かと思う。この手法で、400頁超の最後までたどりつけるのか、不安を覚える。音楽業界人でもない一般の日本人と、世界を股にかけてとびまわるマエストロの生涯が、実際に交錯するとは、とても思えないのだ。
だが、次第に3人の関係が、文通を超えたものになってゆく。その過程は、圧巻というほかない。
1961年、バーンスタイン&ニューヨーク・フィルは、初来日を果たす。もちろん、天野さんは、公演に行った。すでに度重なる文通で信頼を得ていた彼女は、楽屋へ入ることを許される。ところが、
〈コンサートには、夫の礼二だけでなく、四歳の息子と一歳の娘も連れていった。そんなに幼い子どもをクラシックのコンサートに連れていって大丈夫なのかと、たいていの人は心配するだろう。しかし、子どもたちを置いてコンサートに行くという発想は、天野にはなかった。自分がこよなく愛するバーンスタインとその音楽を子どもたちに体験させるため、演奏中じっと静かに座っていられるよう、日ごろからしっかりと躾けていたのである。そしてじっさい、生まれたときからバーンスタインのレコードを聴いて育っていたふたりの子どもたちは、静かに、熱心に、演奏に聴き入った〉
楽屋では、バーンスタインは「レニーおじさん」と呼ばれ、子どもたちとじゃれあった。
天野さんは、バーンスタインの帰国後、手紙にこう記す。
〈(略)私は一九四八年からずっとあなたの素敵な音楽を愛してきたということを、幸せに、そして誇りに思いました。こうして、夢にみていた音楽家に会うことができ、私の音楽的な勘と信念が正しかったということを確認できて、幸福感と満足感でいっぱいで、もうすぐ死んだとしても人生に悔いはない、という思いです。(略)空港で、あなたがヘレンといっしょに飛行機に乗っていってしまったとき、わたしはガックリして倒れそうな気持ちになりました(略)〉
ちなみに天野さんは1929(昭和4)年生まれで、商社勤務の父親の関係で子供時代をパリで過ごし、パリ国立高等音楽院でピアノを勉強していた。そのため、フランス語と英語は堪能だった(ナチス・ドイツのフランス侵攻がはじまったので、1941年に帰国する)。
本書の素晴らしいところは、たんなる「書簡集」に終わっていない点だ。バーンスタインの人生と、戦後のクラシック音楽界の変化、レコード産業の隆盛などが、文書資料をもとに、つぶさに描かれる。特に日本との交流は微に入り細に入っており、そのなかで、2人の日本人の人生もていねいに描かれる。
なかでも天野さんを襲う事態には、胸を塞がれる。第7章〈別れと再会〉の最後、ホテルオークラのロビーにおける、天野さんとバーンスタインの姿に、涙が出ない読者はいないだろう(あたしは、仕事先の食堂で読んでいたのだが、こらえるのがつらかった。誰もいなければ、号泣していた)。
もうひとりの文通相手・橋本さんも、海外で2人だけの時間を過ごすほどの恋人関係を超えて、バーンスタインの音楽ビジネスを支える重要なアシスタントとして、自分の人生を大きく変えながら成長していく。
やがて天野さんのもとへ、バーンスタインの事務所(アンバーソン)のスタッフから、こんな手紙が届く。
〈親愛なるカズコへ(略)アンバーソンは新しく日本代表を置くことになりました。代表は橋本邦彦という名前で、彼の名刺を同封しておきます。(略)年明けに日本に帰ったら電話するように言ってあります(略)〉
ついに天野さんと橋本さんは、1985年1月23日に、渋谷で、初めて会う。
いままで個別に文通していた日本の2人は、この日から協力体制を築き、日本におけるバーンスタインの重要な支えとなるのである。
以後の来日公演、広島平和コンサート、札幌のPMF(パシフィック・ミュージック・フェスティヴァル)などを、この2人が陰からバックアップしつづけた。
(あたしは、1985年9月、イスラエル・フィルとの来日公演で衝撃的な感動をおぼえたが、その裏での出来事を本書で知り、また新たな感動を得た)
しかし……読んでいて、時折、複雑な気持ちになる。たしかに本書は「手紙」や「記録文書」が中心だ。アメリカ公立機関のアーカイブ精神にも、頭が下がる。
だがこれらは「私信」である。
2人とも健在だし、特に橋本さんはいまでも現役で大活躍している。同性愛にかんして現在ほど寛容ではなかった時代の書簡を、このように公開していいのだろうか? バーンスタインだって、まだ死後30年余しかたっておらず、著作権があるはずだ。
「手紙」だけではわかりえない事実も、ずいぶん書かれている。
これにかんしては、最終章〈コーダ〉をお読みいただきたい。
本書が尋常ではない取材によって完成したノンフィクションであることを知り、また感動を覚えるにちがいない。
【本稿は、書評サイト「本が好き!」への投稿を転載したものです】
◇『親愛なるレニー レナード・バーンスタインと戦後日本の物語』(吉原真里/アルテスパブリッシング)
◆『東京佼成ウインドオーケストラ60年史』(定価:本体2,800円+税)発売中。ドキュメント部分を執筆しました。全国大型書店、ネット書店などのほか、TKWOのウェブサイトや、バンドパワー・ショップなどでも購入できます。限定出版につき、部数が限られているので、早めの購入をお薦めします。
◆「富樫鉄火のグル新」は、吹奏楽ウェブマガジン「Band Power」生まれです。第132回以前のバックナンバーは、こちら。
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2022.12.06 (Tue)
第370回 【新刊紹介】「まじめ」に生きることが、新しい時代を生む――朝ドラのごとく気持ちのいい音楽本!

▲『キッチンからカーネギー・ホールへ~エセル・スタークとモントリオール女性交響楽団~』
今年度(2022年度)前期のNHK朝ドラ『ちむどんどん』は、世評どおりのドラマだった。あまりのひどさに、最後は観るのをやめてしまった。
それに対し、現在放映中の後期作品『舞いあがれ!』は、とても気持ちのいい内容で、何度か涙ぐむ場面もあった。
このちがいは、何なのか。
ひとことでいうと、劇中人物が「まじめ」に生きているかどうか、だと思う。
前者は、誰もが生き方が場当たりで、「ふまじめ」だった。作者は面白くしたつもりだろうが、倉本聰のことばを借りれば「快感はあるが、感動はない」ドラマだった。
だが後者は、誰もが「まじめ」に生きている。小さな町工場を経営する家族、人力飛行機に奮闘する学生たち。
結局、わたしたちは、「まじめ」に生きている人間の姿に、感動をおぼえるのである。
本書は、クラシック音楽界における女性の活躍が歓迎されない時代に、多くの困難をぶち破って女性だけの交響楽団を組織した「女性指揮者」エセル・スタークの、「まじめ」な生涯を描いた、まさに朝ドラのようなノンフィクションである。
1910年、モントリオールに生まれたユダヤ系カナダ人、エセル・スタークは、幼時からヴァイオリンに素晴らしい才能を示し、17歳でカーティス音楽院に入学する。だが、交響楽団は、男の世界であった。
この学校でエセルは、「専制君主」「暴君」と呼ばれていた指揮者、フリッツ・ライナーの指揮法の授業に興味をもつ(冷酷無比な挿話だけで1冊の本になりそうな、超個性派指揮者である)。
だが、ライナーは「男性のオーケストラを率いる女性リーダーに将来性などあるはずがない」と、受講させない。
ところがエセルは、平然と教室に入り込む。
〈ライナーは彼女の姿を目にしてたいそう驚き、なぜここにいるのかと問いただして退席を求めたが、エセルは動じなかった。男子学生に囲まれたまま、自分の椅子から動かなかった。(略)ライナーはエセルのしぶとさをおもしろがって聴講を認めたが、(略)どうせ実際に「女性指揮者」になるつもりなどないだろう、と考えたからにすぎない。(略)こうして、エセル・スタークはカーティス音楽院で指揮法の受講を認められたはじめての女性となった〉
このシーンなどは、もし映画化されたら、最初の山場となって、必ず予告編に使用されるだろう。あのフリッツ・ライナーに18歳の娘が立ち向かったのだ! なんとも痛快なエピソードである。
その後、エセルは、ニューヨークに出て、女性だけの小オーケストラに入団するが、ここは軽音楽をやるポップス楽団で、しかも、相変わらず「女性」を売り物にしていた。
女性だけで、クラシックを本格的に演奏するフル編成の交響楽団をつくりたい——やがて、エセルは、強力なマネージメント役の女性と知り合い、「モントリオール女性交響楽団」(MWSO)を結成する。
そのために、カナダ各地から入団希望者が集まってくるシーンは、前半の読みどころで、壮観である(映画『七人の侍』で、個性豊かな侍たちが一人ずつ集まってくる、あの感じに近い)。
当時、女性弦楽器奏者はいくらでもいたが、問題は、木管・金管・打楽器奏者だった。トロンボーンやティンパニを演奏できる女性は、皆無だった。
しかし好奇心旺盛な女性たちは、続々とそれらの楽器を志望し、指導を受けるようになる。
そのなかで、もっとも感動させられるのは、黒人でピアノが好きなヴァイオレット・ルイーズのエピソードだ。彼女は、クラリネットを担当した(それがいちばん安い楽器だからだった)。当時は、女性管楽器奏者というだけで眉をひそめられた時代で、しかもモントリオールには黒人差別が残っていた。ヴァイオレットもこどものころから白人に「黒んぼ!」と罵られる毎日だった。
だが、エセルは、人種も肌の色も気にしなかった。音楽を愛する気持ちさえあれば、どんな女性でも受け入れた。楽団員にも、誰一人、そんなことをあれこれ言うものはいなかった。
本書には、多くの写真図版が掲載されているが、ヴァイオレットがクラリネットを演奏しているアップ写真もある。ほかにも、ステージで全楽団員が演奏している写真をよく見ると、中央ひな壇の木管楽器セクションで、ひとりだけ、肌の黒い女性がクラリネットを演奏している。
彼女こそは、〈カナダの交響楽団で正規団員として演奏した最初のカナダ黒人〉だった(最終章で、取材時87歳で健在だったヴァイオレット本人が登場する)。
1940年7月、MWSOデビュー・コンサートが開催された。エセルが協力者と会って結成を決意してから、わずか半年後のことだった。会場には5,000人もが詰めかけ、2,000人が入れなかった
曲目に驚くなかれ。ベートーヴェン:《コリオラン》序曲、バッハ:弦楽組曲(管弦楽組曲第3番?)、モーツァルト:交響曲第31番《パリ》、サン=サーンス:組曲《動物の謝肉祭》全曲……!
指揮はもちろんエセル・スタークである。
本書は、書名(原題の直訳)も装幀も、品があって落ち着いているので、おそらく、カバーのエセルの写真を見て、優雅なお嬢様指揮者を想像するかもしれないが、それは大まちがいである。
本書のP160~161に、鬼の形相で指揮するエセルの写真が載っている。おそらく、これが真の姿だろうと思う。その表情は、どう見ても、プロのベテラン指揮者を思わせる凄まじさだ(この写真をカバーに使ったら、ちがった雰囲気の本になって面白かったかもしれない)。
本書後半の白眉は、ニューヨークのカーネギー・ホールにおけるコンサートだろう。
途中、挫折しかけるが、1947年10月、このクラシックの殿堂で、夜行列車でやってきた80人の女性が、ウェーバー:《オイリアンテ》序曲、現代作曲家の新作初演、リヒャルト・シュトラウス:《死と変容》、チャイコフスキー:交響曲第4番などを演奏したのだ。クラシック・ファンだったら、この曲構成には感嘆するはずだ。
翌日の新聞評は、どこも大絶賛だった。
やがて、MWSOは、次第に活動を縮小していく。
その過程は、残念でもあるが、読んでいて、決して寂しさはおぼえない。なぜなら、もう後年には、どこのオーケストラも、女性を雇用するようになったからだ。エセルの役割は、終わったのである。
しかも、MWSOの奏者たちは、各地のプロ・オーケストラに招かれて、見事に花を咲かせていた(ボストン交響楽団で初の女性首席フルート奏者は、MWSO出身だった!)。
MWSOの評価が高まったころ、あのフリッツ・ライナーが、エセルを、ピッツバーグ交響楽団のコンサート・マスター(ミストレス)に誘ってきた。もし実現していたら、アメリカ音楽史上初のコンミスが誕生していたのだが、彼女はMWSOのほうが大切だと、断っている。
ちなみに、エセル自身は、生涯、独身を通し、音楽活動に従事しながら、2012年に「101歳」で亡くなったという。
読んでいると、「まじめ」に生きることが、新しい時代をつくるのだと、よくわかる。これほど気持ちのいい音楽本は、ひさびさだった。
ただひとつ残念なのは、なにぶん、よその国の実話なので、この物語を日本で朝ドラにできないことである。
【本稿は、「本が好き!」に投稿した書評を転載したものです】
◇『キッチンからカーネギー・ホールへ~エセル・スタークとモントリオール女性交響楽団~』マリア・ノリエガ・ラクウォル/藤村 奈緒美訳(ヤマハミュージックエンタテイメントホールディングス)
◆『東京佼成ウインドオーケストラ60年史』(定価:本体2,800円+税)発売中。ドキュメント部分を執筆しました。全国大型書店、ネット書店などのほか、TKWOのウェブサイトや、バンドパワー・ショップなどでも購入できます。限定出版につき、部数が限られているので、早めの購入をお薦めします。
◆「富樫鉄火のグル新」は、吹奏楽ウェブマガジン「Band Power」生まれです。第132回以前のバックナンバーは、こちら。
◆毎週(木)21時・FMたちかわ/毎週(土)23時・FMカオン(厚木・海老名)/毎週(日)正午・調布FM/毎週(日)・FMはなび(秋田県大仙市)にて、「BPラジオ/吹奏楽の世界へようこそ」パーソナリティをやってます。パソコンやスマホで聴けます。 内容の詳細や聴き方は、上記「BandPower」で。
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2022.12.02 (Fri)
第369回 ユーミンの50年

▲大ヒットとなったCD『ユーミン万歳! 松任谷由実50周年記念ベストアルバム』
ユーミン(松任谷由実)が、デビュー50周年を迎えた。連日、メディアではたいへんな露出である。記念のベストCDは、一時品切れになるほどの売れ行きで、多くのチャートで1位を獲得した。文化功労者にも選出された。
新宿駅東口、GUCCI裏手の雑居ビル3階に、とんかつ屋「卯作」はある。
あたしは、店主と中学時代の同級生だったので、開店時から通っている。老舗とまではいえないが、開店して30年になるので、そろそろ長寿店といってもいい。
こういう食べ物は好みがあるので、うまいかどうかはひとそれぞれだが、30年もつづいているのだから、すくなくとも、多くのひとたちに愛されていることは、まちがいない。
店内は殺風景だが、なぜか有線放送で、ユーミンが流れている。USEN「A44」チャンネルである。開店から閉店まで、ユーミンの楽曲だけを流している。いつからこうなったのか、覚えていないが、とにかく「卯作」へ行くと、常にユーミンが流れているのである。
現在、USENにおける、日本人個人アーティストのチャンネルは、石原裕次郎、美空ひばり、サザンオールスターズ、EXILE TRIBE、そしてユーミンの5人(組)だけである。
ちなみに、海外は、ビートルズ、エリック・クラプトン、エルヴィス・プレスリー、カーペンターズ、ローリング・ストーンズ、マイケル・ジャクソンの6人(組)。
ほかに「個人」チャンネルが10局ある。バッハからラヴェルまで、クラシックの作曲家たちだ。
こんなにチャンネルがあるのに、なぜか「卯作」は、ユーミンなのである。
食事は、ヒレからロース、海老フライなど多々あるが、音楽はユーミンしか選べないのだ。美空ひばり《人生一路》を聴きながら日本酒「真澄」と角煮(中華テイストの独特な風味)を味わうとか、バッハ《マタイ受難曲》をバックに上ロースにむしゃぶりつくとか、そういうことは、「卯作」では、できないのだ。
ここでは、《真夏の夜の夢》にあわせて生ビールを流し込んだり、《青春のリグレット》を聴きながら熱燗(大関を、人肌に湯灌)とカキフライを楽しむとか、《最後の春休み》を口ずさみながら生姜焼きの甘辛いたれを愛でるとか、とにかくそういう過ごし方をするしかないのである。
だが、それが、なかなか味わい深いひとときを生むのである。
そもそも、いったい、なぜ、とんかつ屋が、ユーミンを流しているのだろうか。
店主によると「お客様の多くが、ユーミン世代だから」とのことだった。

ユーミンと「食」といえば、《CHINESE SOUP》、あるいは「山手のドルフィンのソーダ水」が出てくる《海を見ていた午後》などが浮かぶ。
あるいは、1974年リリース、彼女のセカンド・アルバム『ミスリム』(写真左)や、シングル《12月の雨》のジャケット(写真中)に写っているピアノを見て、詳しい方だったら、飯倉のイタリアン・レストラン「キャンティ」を思い出すかもしれない。
あのピアノは、「キャンティ」のオーナーだった、川添浩史・梶子夫妻宅のものであることは有名だ。ユーミンは、芸能人のたまり場だったこの店に、中学生時代から出入りし、ザ・フィンガーズの追っかけをしていた(慶應高校の、政財界の二世たちによって結成されたバンド)。
そして、この店の常連客との交友がきっかけで、1972年、多摩美術大学1年生のときに、かまやつひろしプロデュース《返事はいらない/空と海の輝きに向けて》(写真右)でデビューするのである(ただし、作曲家としては、すでに17歳のときに、加橋かつみ《愛は突然に…》でデビューしていた)。
いまはもう紛失してしまったが、あたしは、このデビュー・シングルをもっていた(B面のレーベルが《海と空の輝きに向けて》と誤植印刷されていることで知られていた)。
デビュー後しばらくして、TBSラジオの深夜番組「パック・イン・ミュージック」で、故・林美雄が、さかんにユーミンを紹介しており、興味を覚え、かなりあとになって買ったものだ。
そのときの印象は「ロボットみたいな声の女の子だなあ」といったものだった。ノン・ヴィブラートで、情緒とか感情とかを排し、それこそ金管楽器がシンプルにメロディだけを奏でるように歌う、いままでにないタイプの歌手だと思った。
曲も、失恋の曲なのだが、「別れたあなたに手紙をおくるけど、もう、この町にはいないから、返事なんかもらっても届かない、だから返事はいらない」(要旨)と強気に突き放す内容で、これまた新鮮だった。
このなかに、「むかし、あなたから借りた本のなかの、いちばん好きな言葉を、手紙の終わりに書いておいた」(要旨)との歌詞があった。「いったい、何の本なのだろう」と、中学校時代、おなじ吹奏楽部で、やはりユーミンが好きだったある友人に聞いたら、「〈殺してちょうだい〉じゃね~の」と、笑いながら答えたのを、いまでも、覚えている。
これは、当時、クラスで大流行していた、星新一『ボッコちゃん』のなかの決めセリフなのだが、なるほど、そんなセリフが別れの手紙に書いてあったら、相手は不気味な思いに襲われるだろうなあと、彼の慧眼に感心した記憶がある。
その友人とは、現在、講談社の取締役で、いまや日本のデジタル出版事業を牽引している、吉羽治氏である。
そして、おなじく同級で、いま、とんかつ屋「卯作」でユーミンを流しているのが、清水卯一郎氏である。
みんな、ユーミンが大好きだった。
あれからもう50年がたったのだ。

▲「卯作」ですが、肝心のとんかつ料理を撮り忘れました。
◆『東京佼成ウインドオーケストラ60年史』(定価:本体2,800円+税)発売中。ドキュメント部分を執筆しました。全国大型書店、ネット書店などのほか、TKWOのウェブサイトや、バンドパワー・ショップなどでも購入できます。限定出版につき、部数が限られているので、早めの購入をお薦めします。
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