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2023.01.27 (Fri)

第376回 【新刊紹介】 家康も「どうする」なんて言ってられなかった、漫画のような秀吉の「能狂い」ぶり!

能楽史
▲『教養としての能楽史』(中村雅之) ちくま新書

あたしは、能・狂言は、せいぜい年に1~2公演くらしか行かないので、とても見巧者とはいえない。
ただ、仕事柄、入門書やガイドブックの類には興味があるので、その種の本には、時折目を通してきた。
最近面白かったのは、第286回でご紹介した、『教養として学んでおきたい能・狂言』(葛西聖司著、マイナビ新書)だった。
この葛西本の特徴は、本文でも述べたが、「能の歴史」のような章が一切なく、いきなり具体的な演目解説に入る点だった。
これに対し、本書は、全編が「能の歴史」である。しかも、書名に、葛西本とおなじ「教養として」が付されている。著者は横浜能楽堂の芸術監督だが、コンパクトな新書とはいえ、一冊まるごとを「能の歴史」で費やして、面白いのだろうかと、半信半疑で手にとってみた。

案の定、第一章「能の成立と世阿弥」は、若干”お勉強”調で、少々、退屈した。以後もこの調子なら、読むのをやめようと思った。
ところが、第二章「太閤の能狂い」に入るや、曇り空が一瞬にして晴れわたったような、抜群の面白さを醸し出し始めた。このまま、漫画化できるのではないかとさえ、思った。

いうまでもなく、太閤とは、秀吉のことである。秀吉が、茶道はもちろん、能が好きだったのは有名だが、では、その”実力”のほどは、どうだったのか。本書は、見事にその”実態”を暴いて見せる。

秀吉は、天正20(1592)年4月、朝鮮出兵の拠点となる肥前名護屋城に、茶室のほか、能舞台をつくらせる。そこで突然、お抱え役者を指南役に、能の稽古をはじめるのだ。
その様子を、側近が記録に残していた。あるものは、〈御年も漸耳順にちかからん。願は止め給ひなば、目出事になん侍らんと云もあり。又笑を含でさみ侍るも過半せり〉(お年も60歳近いというのに、できればやめていただきたく、ロクなことにならないと言うものもいる。また、つい笑って軽視するものも多い)と記しているそうだ。

その年、大坂へもどった秀吉は、徳川家康や前田利家を引っ張り出し、一緒に能を演じて、後陽成天皇に見せようと言い出す。〈素人が大々的に天皇の前で能を演じる(略)ということは前代未聞、驚天動地のことだった〉と著者は書く。

しかしとにかく、同年10月、御所の紫宸殿前庭に能舞台が設置され、「前代未聞、驚天動地」の、素人による「禁中能」が数日にわたって開催された。
秀吉は〈弓八幡〉などを、利家は〈源氏供養〉〈江口〉などを、家康は〈野宮〉〈雲林院〉などを、細川忠興は〈遊行柳〉などを演じ(させられ)た。

彼らは、狂言も演じ(させられ)た。秀吉・家康・利家の3名共演による〈耳引〉(みみひき)が上演された。この〈耳引〉とは、

〈いまはなく、どのような曲であったかは定かではないが、曲名からすると互いに耳を引っ張り合ったと想像できる。癇癪持ちの秀吉相手であったから家康と利家は、さぞかし戦々恐々だったことだろう。(略)/秀吉が演じた曲を見ると、神にまつわる「脇能」が多く、その他も皇帝や天狗、勝ち戦さの武将の霊が登場する曲が並ぶ。(略)天皇の前で、みずからの超人的な姿を誇示しようとしたのだろう。〉

なんと、家康と利家が、能舞台のうえで、(おそらく)「やるまいぞ、やるまいぞ」と、耳を引っ張り合ったようなのだ。すでに家康も「どうする」などと逡巡していられる状況ではなかったのだ。

ところで、秀吉の能役者としての出来栄えは、どうだったのか。
これがまた、すさまじく面白い記録が紹介される。当時のある鑑賞記によると、秀吉の名前の横に「ソエ声」(添え声)との注記があるという。

〈これは、謡が出てこなくなったときに教える役で、師匠の暮松の役目だった。役者でも年をとれば謡が出てこなくなることは珍しくはない。そのときは、舞台に向かって左手奥に座っている「後見」が教える。(略)あらかじめ「添え声」を用意しておかなければならなかったということは、秀吉がきちっと覚えていなかったということになる。〉

要するに、秀吉は、プロンプター付きで演じていたのだ。
また、ある批評記には、秀吉の〈弓八幡〉について〈仰太閤御能神変奇特也〉と書かれているらしい。直訳すれば「太閤殿下の能は、人智もおよばぬ不思議な状態である」との意味で、要するにどう評していいのかわからない出来栄えだったようだ。
その後、秀吉は、自らの生涯を謡曲化、つまり能にさせ、これまた天皇の前で上演しようとする。これらは「太閤能」と呼ばれ、〈明智討〉〈柴田〉〈北条〉など、全部で10曲ほどが生まれたという。こうなると、ほとんど、自らを英雄ジークフリートに仕立てた、ワーグナーの超大作《ニーベルングの指環》といい勝負である。

かように本書は、「能の歴史」の”実態”を、資料をもとに、実に面白く描いていく。このあと、武家式楽として成立する過程、明治維新で能を襲った事態などが描かれる。
そして著者は、むすびで、こう記す。

〈(能の)演者は観客を意識せずに演じ、観客は、それをただ受け止めるだけ。けして演者のほうからは寄ってくることはないから、「不親切な芸能」とも言える。(略)しかし現在、能は、ふたたび厳しい状況に置かれている。市民社会のなかで構築された「素人弟子=観客=プチパトロン」という構造が、崩壊しようとしているからだ。(略)では、いったい、どうしたらよいのか。/もし、能が、歌舞伎のように興行で命脈を保とうとし、観客である不特定多数の大衆の志向に合わせる道を歩んだとしたら、本質的な魅力は失われ、自己崩壊することは必至だ。〉

では、どうあるべきなのか。この先は、本書をお読みいただきたい。おそらく、これが本質ではないかと思われる、決めのひとことが、述べられている。

※本稿は、書評サイト「本が好き!」への投稿を改稿したものです。

◇『教養としての能楽史』(中村 雅之/ちくま新書)HPは、こちら
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