2023.02.26 (Sun)
第384回 音楽本大賞、創設!(2)

▲「音楽本大賞』のロゴ(デザイン:重実生哉/クラファンHPより)
※クラファンHPリンク先は文末に。
前回につづいて、思いついた「音楽本」のお薦め本のつづきです。今回はノンフィクション系。
文字通り「思いついた」本ですので、いわゆる精選リストではありません。
【国内ノンフィクション】
◆小澤征爾『ボクの音楽武者修行』(新潮文庫) 1962年初出。昭和30年代、26歳のオザワがスクーターでヨーロッパ一人旅に出て、コンクールなどに挑戦した3年間の記録。後年の『深夜特急』などに先駆けた海外放浪エッセイの名作。
◆志鳥栄八郎『冬の旅 一音楽評論家のスモン闘病記』(徳間文庫ほか) 1976年初出。レコード・コンサートでおなじみだったベテラン音楽評論家が、薬害スモン病で次第に視力を失っていく。それでも音楽を愛し、レコードを聴きまくる前向きな生き方に背筋がのびる。あたしの座右の書。
◆西村雄一郎『黒澤明 音と映像』(立風書房) 1990年初刊(1998年、増補版刊)。黒澤映画における音楽の意味、特徴、つくられ方などを本人へのインタビューも交えて徹底検証。映画音楽研究に新たな道を切り開いた名著。
◆永竹由幸『新版 オペラと歌舞伎』(アルス選書) 1993年初出。あたしの“師匠”の代表作。「第2次世界大戦は“オペラと歌舞伎”を持つ国と待たざる国の争いだった」の冒頭一文で目からウロコが落ちすぎて呆気にとられる、驚愕の音楽文明論。
◆今谷和徳『ルネサンスの音楽家たち』 I・Ⅱ(東京書籍) 1993年刊。デュファイやジョスカンなど、名前だけは有名だが、どういう“人間”だったのかを教えてくれる本はなかった。本書のおかげで、一挙にバッハ以前が身近になった。
◆最相葉月『絶対音感』(新潮文庫) 1998年初出。「絶対音感」とは何なのか。先天的なものか後天的なものか。音楽家にとってほんとうに必要なのか。膨大な証言と資料で迫る”音楽科学ノンフィクション”の金字塔。
◆千住文子『千住家にストラディヴァリウスが来た日』(新潮文庫) 2005年初出。あたしの担当編集なので手前味噌になるが、超高額楽器(不動産より高い!)を“買う”とは、どういうことなのか、他人の家の内幕を見せてくれるようなスリルがある。スイスの富豪の所有物が、いかにして海をわたって千住家に来たか。
◆佐藤実『サイモン&ガーファンクル 全曲解説』(アルテスパブリッシング) 2009年刊。全294曲をコンパクトに、しかも的確に解説した画期的ガイド。S&Gコンビのみならず、ポール初期のソロ『ソング・ブック』などもちゃんとおさめている、本当の意味での永久保存版。
◆ひのまどか『戦火のシンフォニー レニングラード封鎖345日目の真実』 (新潮社) 2014年刊。これもあたしの担当編集なのだが、たいへんな労作。ナチスドイツによる封鎖で飢餓の状況下、ショスタコーヴィチの交響曲第7番《レニングラード》を演奏しようとする人々。自らロシア語を学んで現地取材、生存者に直接インタビューまでして描いた戦争音楽ノンフィクションの傑作。日本製鉄音楽賞特別賞受賞。
◆東京エンニオ・モリコーネ研究所編著『エンニオ・モリコーネ映画大全』(洋泉社) 2016年刊。熱狂的ファンが400作以上のモリコーネ全作品(映画以外も!)を徹底分析した、3段組、400頁超の、同業編集者として背筋が寒くなる本。版元解散のため、その後入手困難なのが惜しまれる。
◆かげはら史帆『ベートーヴェン捏造 名プロデューサーは嘘をつく』(春秋社) 2018年刊。難聴のベートーヴェン会話帳は、秘書のシンドラーによって改ざんされていた。《運命》はこのようにドアなんか叩かなかった! 原史料を駆使して暴かれる楽聖伝説の真実。
◆上原彩子『指先から、世界とつながる ~ピアノと私、これまでの歩み』 (ヤマハミュージックエンタテインメントホールディングス)2021年刊。第349回参照。
◆中村雅之『教養としての能楽史』(ちくま新書) 2022年刊。第376回参照。
◆中丸美繪『鍵盤の天皇 井口基成とその血族』(中央公論新社) 2022年刊。「井口一門にあらざれば、ピアニストにあらず」とまでいわれ、桐朋学園大学学長にまで上り詰めたピアノ界の天皇。その陰陽入り混じる怪人物ぶりを活写。600頁超の大作。
◆吉原真里『親愛なるレニー レナード・バーンスタインと戦後日本の物語』(アルテスパブリッシング) 2022年刊。第371回参照。
◆藤田彩歌『カーザ・ヴェルディ 世界一ユニークな音楽家のための高齢者施設』 (ヤマハミュージックエンタテインメントホールディングス) 2022年刊。第364回参照。
【海外ノンフィクション】
◆ハロルド・ショーンバーグ/野水瑞穂訳『ショーンバーグ音楽批評』(みすず書房) 1984年刊。音楽評論家として初めてピューリッツァー賞を受賞したNYタイムズのジャーナリスト。初期バーンスタイン批判で有名だったが、「私はMETプレミア初日、終演後のレセプションには出ない。すぐに社に戻って、翌朝刊のための批評を書く」には感動。
◆ティエリー・ジュフロタン/岡田朋子訳『100語でわかるクラシック音楽』 (文庫クセジュ) 2015年邦訳刊。フランス人向けの独特なシリーズなので万人向けではないが、「文庫クセジュ」は音楽本の宝庫。本書はユーモアたっぷりの解説で、「悪魔の辞典」すれすれの面白さ。
◆ジョン・カルショー/山崎浩太郎訳『ニーベルングの指環 リング・リザウンディング』(学研プラス) 2007年刊。DECCAの名プロデューサーによる、レコード史上初、《指環》全曲スタジオ録音の記録。彼の自伝的記録『レコードはまっすぐに』も面白い。
◆ケルスティン・デッカー/小山田豊訳『愛犬たちが見たリヒャルト・ワーグナー』(白水社) 2016年刊。超愛犬家としての視点でワーグナーの生涯をたどるユニークな評伝。《さまよえるオランダ人》など、犬がいなかったら生まれなかったみたいですよ。
◆マリア・ノリエガ・ラクウォル/藤村奈緒美訳『キッチンからカーネギー・ホールへ~エセル・スタークとモントリオール女性交響楽団』(ヤマハミュージックエンタテイメントホールディングス) 2022年刊。第370回参照。
◆ヴァンサン・ダンディ/佐藤浩訳『セザール・フランク』(アルファベータブックス) 2022年刊(昭和28年邦訳初出を復刻)。フランクの一番弟子による、評伝と作品研究。全編が「フランク先生」で統一され、尊敬と愛情に満ち溢れた筆致。それが嫌味でも盲従でもない、素直な師への思いが伝わってくる感動的な一書。
このほか、ジュニア向けのため、おとなの目にあまり触れていない可能性のある、ユニークな「音楽本」シリーズを最後にご紹介しておく。
上記でも紹介した、音楽作家、ひのまどか氏による「音楽家の伝記 はじめに読む1冊」シリーズ(ヤマハミュージックエンタテインメントホールディングス) で、現在、バッハからはじまって9冊が刊行されている(ほかに、萩谷由喜子著で「クララ・シューマン」もあり)。
これは、以前、リブリオ出版から刊行されていた「作曲家の物語」シリーズ(児童福祉文化賞を二度受賞)の改訂版なのだが、ジュニア向きと侮ることなかれ、すべて、ひの氏自身が現地取材して書かれた優れた伝記である(遺族がいる場合は、直接インタビューなども)。主要曲がQRコードですぐに聴けるようになっている点も便利だ。
なお、この改訂版では、旧版にはなかった「小泉文夫」が描き下ろしで加わっている。これは驚くべき企画で、民俗音楽研究家の稀有な存在に光をあてた、これまた労作である。ひの氏自身が小泉研究室の生徒だったこともあり、上述のダンディによるフランク本にもどこか通じる、師への敬愛にあふれた伝記である。こういうユニークなひとがいたことをいまに伝える、貴重な音楽本といえる。
というわけで、「音楽本」は、実に広範で数も多いことがおわかりいただけたと思う。
5月中旬に発表されるという第1回「音楽本大賞」が、どのように迎えられるか興味津々だが、ひとつだけ、”贅沢なる困惑”を。
規定によると、第1回にかぎり、実行委員が携わった本は大賞の対象としないらしい。しかし、実行委員の方々は、日本を代表する音楽本編集者であり(前回・今回で紹介した本のなかにも多くが並んでいる)、彼らが関与した本を外して、果たして公正な「音楽本大賞」が成立するのであろうか。音楽本は「広範で数も多い」のだから大丈夫といわれればそれまでなのだが、いささか、心配になるのであります。
※今回紹介した本も、すべて「音楽本大賞」にはまったく無関係です。また、絶版でも「古書」で入手容易だったり、「電子出版」などもあるので、検索でご確認ください。
◇日本音楽本大賞ウェブサイトは、こちら。クラウドファウンディング呼びかけ中です。
2023.02.24 (Fri)
第383回 音楽本大賞、創設!(1)

▲「音楽本大賞』のロゴ(デザイン:重実生哉/クラファンHPより)
※クラファンHPリンク先は文末に。
いまや出版界は「大賞」だらけである。
「本屋大賞」を嚆矢に、「新書大賞」「ノンフィクション本大賞」「日本翻訳大賞」「料理レシピ本大賞」「サッカー本大賞」「マンガ大賞」「手塚治虫文化賞~マンガ大賞」「ITエンジニア本大賞」「ビジネス書大賞」……さらには書店主催(紀伊国屋じんぶん大賞、キミ本大賞、啓文堂大賞、八重洲本大賞、未来屋小説大賞など)、地方別(宮崎本大賞、神奈川本大賞、広島本大賞、京都本大賞など)もある。
このまま増えていったら、書店の棚は、すべて「大賞別」に構成しなければならないのではと、妙な心配をしたくなる。
そこへまた、新たな大賞が加わった。「音楽本大賞」である。一瞬「またか」と思ったが、同時に「そういえば、なぜ、いままでなかったのだろう」とも感じた。
あたし自身が、編集・ライターとして音楽本にかかわってきながら、あまり考えたこともなかったが、これは、ぜひとも定着していただきたい大賞である。
実は、このニュースが流れた直後、仕事先で会った女性3人に、このことを話してみた。すると、ニュアンスこそちがうものの、誰もが「音楽本って、選ぶほど数が出てるんですか」との主旨の返事だった。
Aさんは嵐のファン。Bさんは中島みゆきのファン。Cさんは日本のシティ・ポップス好き。
(残念ながら、その場には、あたしの好きな吹奏楽やクラシックや映画音楽に感度のあるひとは、いなかった。もっとも、そんなひとは、どこへ行っても、まずいないのだが)
つまり、「音楽本」といっても、あまりにジャンルが広いわけで、そのなかのある特定の分野のファンにとっては、多くの「音楽本」が出ていることなど、視野に入っていないのである。
実は、音楽本は、数もジャンルも、実に膨大であり、ひとつの「世界」を形成しているといっても過言ではない。そういう意味では、この賞は(具体的にどういう部門があるのか不明だが)多くのジャンルの「音楽本」が出ていることを知ってもらう、いいチャンスのような気もする。
現に、どれだけあるか、たまたまあたしが読んできた中から、いま、なんとなく思い出したお薦め本の、ほんの一部をあげてみる。
(ただし、どれも今回の「音楽本大賞」にはまったく無関係です)
【国内小説】
◆内田百閒『サラサーテの盤』(ちくま文庫など) 1948年初出。「ひとの声」が録音されているらしきサラサーテのレコードをめぐる奇妙な物語。鈴木清順監督の映画『ツィゴイネルワイゼン』の原案。
◆宇神幸男『消えたオーケストラ』(講談社文庫) 1991年初出。ホールから突如、オーケストラ全員が消えた。重厚な音楽ミステリひと筋の著者による第二作。『ニーベルンクの城』も濃い。著者はエリック・ハイドシェックのカムバックを仕掛けたひと。
◆中沢けい『楽隊のうさぎ』(新潮文庫) 2000年初出。引っ込み思案な中学生が吹奏楽部に入って全国大会を目指す。その後山ほど出現した“吹奏楽小説”の最高傑作。中高の国語入試や模試でさかんに使われたことでも有名になった。
◆奥泉光『シューマンの指』(講談社文庫) 2010年初出。指を切断したはずなのに演奏している? 全編がシューマン愛に満ち溢れた、幻想ミステリ文学。
◆丸谷才一『持ち重りする薔薇の花』(新潮文庫) 2011年初出。どう読んでも東京クヮルテットがモデル(としか思えない)の弦楽四重奏団の、愛憎入り混じる30年間の物語。
◆恩田陸『蜜蜂と遠雷』(幻冬舎文庫) 2016年初出。浜松国際ピアノコンクールをモデルにした、ピアノ・コンペティション・ストーリー。直木賞・本屋大賞W受賞のベストセラー。
◆佐藤亜紀 『スウィングしなけりゃ意味がない』(角川文庫) 2017年初出。戦時中のドイツで、敵性音楽のアメリカ・スウィング・ジャズに熱狂する若者の青春ストーリー。
◆安壇美緒『ラブカは静かに弓を持つ』(集英社) 2022年初出。JASRAC(日本音楽著作権協会)とヤマハ音楽教室の著作権使用料請求攻防戦をモデルにした“潜入”ストーリー。大藪晴彦賞、未来屋小説大賞受賞。
【海外小説】
◆メーリケ/宮下健三ほか訳『旅の日のモーツァルト』(岩波文庫) 1856年原著初出。《ドン・ジョバンニ》初演のため、プラハへ向かうモーツァルト夫妻が途中で立ち寄った貴族宅での2日間を描く。どこか『アマデウス』に低通しながら、見事な芸術家小説になっている。みんなでサリエリやダ・ポンテをからかってアドリブでうたうシーンは傑作!
◆アンソニー・パージェス/乾信一郎訳『時計じかけのオレンジ』完全版(ハヤカワepi文庫)1962年原著(削除版)初出。ベートーヴェン《第九》を愛する超暴力少年の抵抗。映画をしのぐすさまじい描写(映画は削除版が原作だったので、ラストが原作とは異なる)。著者は作曲家でもある。
◆バーバラ・ポール/中川法江訳『気ままなプリマドンナ』(扶桑社ミステリー文庫) 1986年邦訳初出、91年再刊。メトロポリタン歌劇場で起きたアンモニア混入事件に、実在の名歌手ジェラルディン・ファーラーが(一人称で!)挑む。愛人だったトスカニーニやカルーソーも登場。なぜ日本にはこういう洒落た音楽小説がないのか。
◆エシュノーズ/関口涼子訳『ラヴェル』(みすず書房) 2007年邦訳初出。栄光と悲劇が入り混じったラヴェル最期の10年を描く。関口さんはのちに日本翻訳大賞を受賞。
◆ティツィアーノ・スカルパ/中山エツコ訳『スターバト・マーテル』(河出書房新社) 2011年邦訳初出。教え子(養育院の孤児)の視点で、司祭でもあった師ヴィヴァルディを描く純文学小説。ストレーガ賞受賞作。
◆フレドゥン・キアンプール/酒寄進一訳『幽霊ピアニスト事件』 (創元推理文庫) 2011年旧題邦訳初出。ナチスドイツの時代に死んだピアニストが現代に蘇って、音大生たちと数々の謎に挑む。ありがちなコミカル小説かと思いきや、意外な感動が。熱心なファンがいたせいか、改題して復刊した(初出邦題『この世の涯てまで、よろしく』)。
◆ポール・アダム/青木悦子訳『ヴァイオリン職人の探求と推理』 (創元推理文庫) 2014年邦訳初出。ヴァイオリン職人の周囲で起きる怪事件。かなり本格的な音楽ミステリ小説で、特に弦楽四重奏好きにはたまらない設定。海外ではシリーズ2作で売れ止まったものの、日本のファンのために第3作目が書かれた。
◆フェデリーコ・マリア・サルデッリ/関口英子・栗原俊秀訳『失われた手稿譜~ヴィヴァルディをめぐる物語』(東京創元社) 2018年邦訳初刊。実話をもとにしたノンフィクション・ノヴェル。借金まみれで死んだヴィヴァルディの幻の手稿譜が20世紀になって出現するミステリ。
かように「音楽本」は芳醇な世界なのですが、あまりにきりがないので、今回は、これぎり。
次回は「ノンフィクション編」を。
※紹介した本は「絶版」でも「古書」で入手容易だったり、「電子出版」などもあるので、検索でご確認ください。
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2023.02.22 (Wed)
第382回 松本零士さんの閉じなかった「指環」

▲松本さんがジャケットを描いた吹奏楽CD『IN 吹奏楽』(TVドラマ音楽集)
(松沼俊彦指揮、東京佼成ウインドオーケストラ/解説:富樫鉄火 )
※すでに廃盤ですが、アマゾン・ミュージックなどの配信DLあり。
松本零士さん(1938~2023)は、福岡の久留米で生まれた。父親が陸軍航空隊のテスト・パイロットだった関係で、戦時中は各地を転々としていたが、終戦時(小学校3年)に小倉(現在の北九州市)に移り、以後、高校を卒業して上京するまで、小倉で育った。
終戦直後、道端に、いまでいう粗大ゴミの山がよく積まれていた。戦死したひとの遺品だった。
あるとき、松本さんは、そのゴミの山のなかから、大量のSPレコードを拾ってくる。家で蓄音機にかけると、地の底からうめくようなオーケストラの音が響いてきた。ワーグナーの〈ジークフリートの葬送行進曲〉だった。超大作《ニーベルングの指環》四部作の最終曲《神々の黄昏》の音楽だ。
これがきっかけで、松本さんは、クラシック、特にワーグナーに魅せられるようになるのだった。
1990年ころのことだったと思う。
上記の体験談を、すでに何かで読んで知っていたあたしは、松本さんに、「《ニーベルングの指環》をSF漫画にしてみませんか」と提案してみた(すでに何回かお会いして、ワーグナー話などで意気投合していた)。
このとき、松本さんが視線を合わせて目がキラリと真剣に光ったのを、いまでも覚えている。松本さんはサービス精神満点の方なので、リップサービスも多い。どんな話でも、笑顔で、いかにも乗り気のように応じてくれる。だがそれらはほとんどが”サービス”で、そう簡単には実現するものではない。しかし、”本気”になったときは、視線を合わせて目がキラリと光るのだ。
さっそく、話は進んだ。
「宇宙を統一できる指環の所有権をめぐって、神々の一族と、人間たちが争奪戦を繰り広げる話にしましょう」
お互い、ワーグナー・マニア、特に《ニーベルングの指環》好きとあって、話はいつまでも終わらなかった。あんなに楽しかった打合せは、あとにも先にもない。
「人間側は、ハーロック、トチロー、エメラルダス、メーテルたちのオールスターでいきましょう。彼らの幼少時代も描いてみましょうか」
これは夢のような漫画になると思い、当時30歳代そこそこのあたしは、興奮しっぱなしだった。だが、あたしの勤務する出版社には、当時、漫画連載ができる媒体がなかった。
すると松本さんは、「描き下ろしでやりますよ」なんて平然と言う。当時、松本さんは、佼成出版社から250頁余の描き下ろし『平賀源内 明日から来た影』を出していたので、「もしかしたら、描き下ろしでいけるかも……」と期待したが、やはり無理だった。
そんなとき、同僚が、「知り合いの雑誌『中古車ファン』が、漫画連載を検討しているよ」と教えてくれ、相談にいったところ、トントン拍子で話が決まった。松本さんもクラシック・カー好きだったので、快諾していただけた。
こうして、同誌で『ニーベルングの指環:第1部/ラインの黄金』の連載をはじめてもらった。最初のほうで、トチローがクラシック・カーで宇宙空間を移動している場面があるが、それは、掲載誌の読者サービスであった。
単行本はB5判の大判で、1992年1月に刊行されると着実に売れて、これは社にとっても新規路線になりそうだと期待した。だが、第1部が終わった時点で『中古車ファン』は休刊になってしまった。
すると、同時に、インターネットなる不思議なものが登場した。あたしの会社でもウェブサイトを立ち上げることになったが、最初のうちは、いったい何を載せればいいのか、暗中模索していた。
そこで”松本リング”の続編を連載させてほしい旨を担当部署に相談したところ、即OKが出た。日本初の、「インターネットで読む連載漫画」のスタートだった。だが、当時のサイトには、課金システムも広告収入もまだ十分に確立していなかった。しかし、松本さんに原稿料をお支払いしないわけにはいかない。幸い会社側が「原稿料はサイトの宣伝料」と解釈してくれて、無料公開でいけることになった。
かくして今度はネット上で、”松本リング”第2部『ワルキューレ』、第3部『ジークフリート』とつづいた。原則として毎週更新で、1回が10頁(後半は隔週になった)。具体的な数字は忘れたが、毎週、すごいアクセス数だった。
原稿受け取りは、詳述は避けるが、毎回、壮絶にして凄まじい苦労だった。高精度スキャンのPDFでネット送信できる時代ではない。とにかく直接に大泉学園のお宅までうかがって「原画」現物をいただかないことには、形にならない。いま思い出しても、よくぞ、あのような日々を生き抜いてきたものだと、自分で自分を褒めてやりたくなる(そのほか、時間を間違えるとか、大遅刻とか、ダブルブッキングとかも日常だったが、そんな話はほかでもよく出ているので、省略する)。
だが、毎回、いただいた原画を袋から出して拝見するとき、苦労は一瞬で吹き飛んだ。とにかく言葉では説明できないほど、松本さんの原画は美しい。”零士メーター”と呼ばれる計器盤、漆黒ベタの大宇宙に散らばる点(ホワイト)の星々、見開き2頁にわたって眼前に迫ってくるアルカディア号……。
松本さんのペンは、乗りに乗っていた。ご本人が劇中に登場してトチローたちと酒を酌み交わす面白さ! 少女時代のメーテルとエメラルダスの可愛いこと! 宇宙空間でアルカディア号と銀河鉄道999がすれちがう興奮! 彼方を行く宇宙戦艦ヤマトに敬意を表するトチローたち!
また、パソコン画面でスクロールして閲覧することを配慮した構図にも、毎回、挑戦してくれた。美女の上半身が登場、下へスクロールすると、見事なプロポーションの下半身が登場する。彼方からやってくる宇宙船が次第に近づくコマわりで、下へスクロールすると、今度は向こうへ遠ざかっていくコマが。松本さんは”映像”を、平面の紙とパソコンのスクロール画面で実現させていたのだ。
これほどのサービス精神に満ちた”松本リング”だったが、第3部終了後、あまりにもお仕事が立て込んで、しばらく休載することになり、結局、そのままになってしまった。
お会いするたびに「最終部の《神々の黄昏》まで描かないことには、死んでも死にきれませんよ」とおっしゃって下さっていたのだが、残念でならない。
松本さんとは、ほかにもいろんな話をしたが、視線が合って目がキラリと光ったことが、もう一回あった。『宇宙戦艦ヤマト:プリクエル』の企画だった。あれこれ雑談しているうちに、「ヤマトがイスカンダルへ向けて旅立つまでの前日譚(プリクエル)を描いたら、面白いのではないか」と盛り上がった。
人類は、どうやって南方沖に眠る戦艦大和を引き上げたのか。そして、それをどのようにして宇宙戦艦に改造したのか。その間、ガミラスからの攻撃にどのように耐えていたのか。登場人物は、古代進たちの親の世代が中心になる……。
「ぜひやってみたいですね。もっと早くに思いつくべきでした」
このころ、ヤマトの著作権をめぐって、故西崎義展氏(1934~2010)と”論争”になってはいたが、まだ、正式な訴訟騒ぎにまでは至っていなかったと思う。
なお、この騒動については、松本さんから、何度も、長時間にわたってあれこれと聞いた。だがあたし自身、自信をもって外部に言えるほどの材料はもっていない。ただ、松本さんがかなり早くから、真剣な表情で(それこそ視線を合わせて)「西崎はクスリをやってるんです。たいへん危険です。これが事件になったら、ヤマトそのものが吹っ飛んでしまう。子供たち相手の作品をやってるんですから、クスリは絶対にいけません」と言っていたのが忘れられない。
最初のうちは半信半疑だったが、たしかに後年、彼は覚せい剤取締法違反で二度、逮捕されるのだ(ほかに銃砲刀剣類所持等取締法・火薬類取締法・関税法違反なども)。
松本さんが好きだったフレーズに「遠い時の輪が接するところで、また巡りあえる」がある。実は”松本リング”こそ、それがテーマで、「指環」(リング)をめぐる争いの果て、ラストが、第1作の冒頭につながって、時の輪(指環)が閉じる……そんな予定だった。
いまとなってはかなわないが、ぜひ天上で、完成させてください。楽しい、そしてすばらしい作品をありがとうございました。ゆっくりお休みください。
2023.02.16 (Thu)
第381回 バート・バカラックも「吹奏楽ポップスの父」だった!

▲(左)LP『ダイナミック・マーチ・イン・バカラック』
(右)先日亡くなったバート・バカラック(写真:Wikimedia Commons)
1972年2月、東芝音工(のちの「EMIミュージック・ジャパン」)から、1枚のLPがリリースされた。
『ダイナミック・マーチ・イン・バカラック』(指揮者記載なし、演奏:航空自衛隊航空音楽隊=当時の名称)。
この2月8日、94歳で亡くなった作編曲家・歌手、バート・バカラック(1928~2023)の曲を吹奏楽で演奏したもので、全12曲収録。編曲は、のちに「吹奏楽ポップスの父」と呼ばれる作編曲家の岩井直溥さん(1923~2014)である。
このLPこそが、日本で初めての本格的な「吹奏楽ポップス」だった。
よく、吹奏楽ポップスは『ニュー・サウンズ・イン・ブラス』(NSB)シリーズが最初のようにいわれるが、「NSB」第1集の発売は、同年7月である。『バカラック』のほうが半年近く先だった。
もちろん、このころ、日本の吹奏楽界には、秀逸なオリジナル曲が生まれていたが、まだ、マーチやクラシック編曲を中心に演奏しているスクール・バンドも多かった。学校の音楽室で、ポップスや歌謡曲、映画音楽を演奏することを歓迎しない空気も残っていた。
そこで岩井さんは、レコード会社やヤマハと組んで、「楽しい吹奏楽」の普及に取り組み始めた。
しかし、なぜ「ビートルズ」ではなく、「バート・バカラック」だったのだろう。
かつて、生前の岩井さんに聞き書き自伝の長時間インタビューをした際、おおむね、以下のような主旨のことを語っていた。
「当時、ビートルズは、もう解散していた。しかも、ビートルズの曲は旋律が意外と複雑で、管楽器でそろえて演奏するのはけっこうむずかしい。その点、バカラックは、アマチュア吹奏楽に向いていた。
1)メロディがきれいでシンプルで、誰でも口ずさめる。
2)リズムがはっきりしている。特にボサノヴァ系が多いので、たくさんのパーカッション奏者が活躍できる。マーチだと、スネア(小太鼓)とBD(大太鼓)とシンバルしか出番がない。
3)バカラックの曲はコード進行が凝っていて、分厚い”445アレンジ”のし甲斐があった」
“445アレンジ”とは、なにか。
このアルバムは、標準的な吹奏楽編成ではない。通常の吹奏楽は、Trp3、Trb3、Sax4(アルトⅠ・Ⅱ、テナー、バリトン)の“334”だが、ここでは、Trp4、Trb4、Sax5(アルトⅠ・Ⅱ、テナーⅠ・Ⅱ、バリトン)の“445”となっている。これはジャズ・ビッグ・バンド編成に準じたもので、当然ながら響きが分厚くなる。以後、岩井アレンジは、すべて“445”編成で書かれるのだ(「NSB」のようなスクール・バンド向けの出版譜は“334”だが、スコアは“445”で書いていたという)。
あたしは、学生時代、「バカラック・メドレー」のステージ・マーチング・ショーに出演したことがある。そのとき、バカラックの旋律は、「ちょっと変わっているな」と感じたのを覚えている。
通常、ポップスのメロディは、4小節や8小節、16小節など、きりのいい偶数小節の連続でできている。だがバカラックの場合は、すこし余るというか、余計な小節がくっついて、きれいな偶数小節ではないのだ。《サン・ホセへの道》や《雨にぬれても》のように、後半で曲想やテンポが変化する曲も多い。
しかし、むかしのマーチングは基本的に4小節単位でステップやフォーメーションがつくられていた。だからバカラックの曲を演奏しながら動くと、余りが生じて、ぎごちない動きになってしまうのだ(そのぎごちなさが独特のステップになって、見た目に面白いショーになったのだが)。
実はバカラックは、ラヴェルのバレエ音楽《ダフニスとクロエ》に感動したことがきっかけで、音楽家を目指したと語っている。ミヨーやマルティヌーなどのクラシック作曲家に師事した時期もあった。彼の独特なメロディ構成には、クラシックの素地があったのかもしれない。
ところで、そのLP『ダイナミック・マーチ・イン・バカラック』の収録曲は、
①サン・ホセへの道、②雨にぬれても、③幸せはパリで、④アルフィー、⑤ディス・ガイ、⑥恋よ、さようなら、⑦マイケルへのメッセージ、⑧ボンド・ストリート、⑨汽車と船と飛行機、⑩ウォーク・オン・バイ、⑪何かいいことないか子猫チャン、⑫小さな願い
の12曲で、おそらくポップス・ファンならご存じの曲ばかりだろう。
ちなみに⑧は映画『007/カジノ・ロワイヤル』(1967)の劇中音楽。⑨は“ビートルズの弟分”としてデビューしたビリー・ジェイ・クレーマー&ザ・ダコタスの中ヒット曲だ。
このなかで、ちょっと目を引くのが、⑦の《マイケルへのメッセージ》だ。
これは、大女優にして歌手のマレーネ・ディートリヒ(1901~1992)が1962年に発表した名曲。以後、多くの歌手がカバーしており、ディオンヌ・ワーウィック版が有名だろう(男性が歌うときは曲名が《マーサへのメッセージ》になる)。

▲(左)名盤『マレーネ・ディートリヒ with バート・バカラック・オーケストラ』
(右)仲睦まじかったころ、30歳差のカップル(写真:Wikimedia Commons)
新聞の訃報欄ではまったく触れられていなかったが、実は、バカラックの音楽家としてのキャリアは、マレーネ・ディートリヒとの出会いによって開花した。ディートリヒが59歳のとき、29歳のバカラックと出会い、公私ともにパートナー関係となる。たいへんな年齢差カップルだが、たしか自伝で、ディートリヒと関係をもちながら、女優アンジー・ディキンソンと結婚し、泥沼状態になった挿話を読んだ記憶がある。
しかしとにかく、バカラックは、ディートリヒのバック・バンドの音楽監督、伴奏ピアニスト、アレンジャーをつとめ、作編曲家としての腕を磨くのである。
そんな時期に、名コンビとなったハル・デヴィッド(1921~2012)の作詞で生まれたのが《マイケルへのメッセージ》だった。とてもしゃれた曲で、こういう名曲を忘れずに、ちゃんと加えるところが、岩井さんのセンスのよさだと思う。
なお、『ダイナミック・マーチ・イン・バカラック』は、正確にいうと「ポップス」というよりは、タイトル通り、大半が「マーチ」調に編曲されている(ただし、後半になるにつれ、マーチ色は薄れ、明らかに「ポップス」となっている)。
「やっぱり、突然、全部を本格的なポップスにするのは、ちょっと気が引けた。まだ吹奏楽ポップスなんて、あまりなかった時期だったから。演奏も航空「自衛隊」だし。でも、このLPのおかげで、このあと、NSBを出せたのだから、その意味では、記念碑的なアルバムだと思う。のちのNSBにも、バカラックの曲をたくさん入れた。バカラックには感謝しなくては」(岩井さん)
バート・バカラックも「吹奏楽ポップスの父」だったのである。
◇『ダイナミック・マーチ・イン・バカラック』は、2009年にCD『岩井直溥初期作品集』として復刻されました。
すでに廃盤ですが、amazon musicなどの配信・DLで聴くことができます(あたしがライナー解説を書きました)。
2023.02.10 (Fri)
第380回 ある洋食店の閉店【補遺】

▲「イコブ」三崎町店、閉店直前、1月最後のランチ・メニュー。
(火曜日から休業となったので、このメニューはすべて実現しなかった)
前回、書ききれなかった余話を。
「イコブ」の前身は、のちの三崎町店マスターMさんと、天神町店マスターNさんの2人が、昭和40年代に、紀尾井町の文藝春秋そばで開業したレストランだった。
そこから「イコブ」に発展・新規開業し、三崎町店をはじめ、系列店を増やしていった。
なにぶん、40年以上通ってきたので、その間、お二人からは、いろんな話を聞いた。
なかでも忘れられないのは、「飲食店が成功する出店エリア」の条件だった。
お二人の話をまとめると——
(いうまでもなく、世の中の景気がよかったころの話です)
*****
飲食店は、もちろん味や値段も重要だが、まわりに「警察」「大学」「病院」「出版社」があることが大切。
「警察」があれば、出前弁当がよく出る。特に制服の警官は、あの格好で外食はできないから、揚げたてのフライや肉ものが多い洋食弁当が歓迎される。
また、警察署には、意外と地方から臨時で来ている若い警察官が多い。たぶん、大きな事件や警備の応援だと思う。彼らは、東京の飲食店はよくわからないから、所轄の先輩に教えられた店の出前弁当を単純に注文するしかない。
「病院」「大学」は、一年中、学会や研究会をやっている。これが「大学病院」だったら、なお確実。昼をまたいでいる場合は、出前弁当100個なんて注文はざらにあった。
夜は、地方から来た先生たちと懇親会をひらくことも多い。その席で、情報交換しながら、他大学や病院の先生をスカウトする密談が、よくおこなわれていた。学部長クラスだったら銀座とか赤坂へ行けるんだろうが、ふつうの先生たちは、そんな贅沢はできない。うちあたりがちょうどいい。
「大学」の場合は、入試になると、試験官の昼食用に大量の出前弁当の注文が入る。また、大学が近くにあると、学生バイト集めに苦労しない。
「出版社」の編集者は、とにかく夜遅くまで仕事をしている。打ち合わせや作家の接待も多い。景気がいいころは、みんな経費で落としてくれた。電話や出校待ちで机を離れられない編集者も多いから、出前弁当もよく出る。しかも、酒呑みや食い道楽が多い。文藝春秋のそばで開業していた時に、つくづく感じた。
会社の経費で飲食する際は、ほとんどが「ツケ」だった。それを月に一度まとめて会社に請求すると、むかしは「現金」で支払ってくれた。支払いがあった夜は、閉店後に寿司をとって「さあ、来月も頑張ろう」と従業員みんなで祝杯をあげた。
このように、「警察」「大学」「病院」「出版社」のうち、せめて3つくらいそろっていて、ちゃんとした味と適度な価格を維持できれば、飲食店はまずうまくいく。
*****
ところが、この4つが、すべてそろっているエリアがあった。
水道橋の、「イコブ」三崎町店である。
2023.02.09 (Thu)
第379回 ある洋食店の閉店

▲閉店した「イコブ」三崎町店
あたしが会社に入社したのは、1981(昭和56)年4月のことだった。入社してすぐ、先輩から「夕食に行くぞ」と誘われ、近所の洋食屋に連れていかれた。
それが、レストラン「IKOBU」(イコブ)天神町店だった(地下鉄東西線「神楽坂」駅のすぐそば)。安くてうまいだけあり、毎晩、「夜の社員食堂」と化していた。
会社で打ち合せ後、作家とここで食事をする編集者も多かった。
あたしが担当していた演出家の故・和田勉さんも大のお気に入りで、よく夕刻に来社されていたが、実は、そのあとの「イコブ」のほうが目的だったフシがある。焼酎のお湯割りと「カレー味の洋風揚げ餃子」が大好きで、「ガハハおじさん」だけあって、酔うにつれて大音声となり、さすがに店長に「もう少し、お声を低く…」と諭されたことがある(一緒に新幹線に乗ったときも、車掌に同じことをいわれた)。
また、あえて名前はあげないが、ある大ベストセラー作家が、「イコブのビーフカツがおいしかった」とエッセイに書いて、一時、女性客が押しかけたこともあった。

▲最大6支店あったころのマッチ
実は、初めてその店へ行ったとき、妙な「既視感」を感じたことを、いまでも覚えている。店内のつくりや、店名ロゴデザイン、料理の味(特にカツカレー)……前から知っているような気がした。
そこで、マッチの函を裏返してみると、いくつかの支店名が書かれていて、いちばん上に「三崎町店」とあるではないか!
実はあたしの通った大学は三崎町(水道橋)にあり、学生時代、「イコブ」三崎町店には、何度か行ったことがあった(ただし、学生には贅沢な店だったので、そう何度も行けたわけではない)。
「イコブ」天神町店は、そことおなじ系列の店だったのだ(正確には暖簾分けのような別経営)。
かくしてあたしは、学生時代からひきつづき、今度は「イコブ」天神町店で呑み、食べ、出前の弁当をとり、大晦日には「イコブ謹製洋食おせち」を受け取りに行く、そんな食生活が続いた。
だが残念ながら、天神町店は2011年夏に閉店してしまった。しかし、その間、三崎町店にもふたたび通い出していたので、結局、その後は三崎町店で、ほぼおなじ味の食事をいただきつづけることになった。
たまたまその三崎町店マスターのご自宅が、あたしの家のすぐそばだとわかると、娘も親近感をおぼえて一緒に行くようになり、なんだか家族食堂のような気になっていた。

▲名酒「田酒」と、トマトのカルパッチョ
マスターの親族に青森の方がおり、そのルートで、青森のいい日本酒が恒常的に入るとあって、あたしのような呑兵衛にもたまらない店だった。お燗はちゃんと「湯灌」で人肌につけてくれるし、いまではどこでも手に入る屋久島の焼酎「三岳」など、東京では珍しかったころから置いていた。
そのほか、サントリーの「角」ハイボールはもちろん、「白州」「山崎」などもあって、洋食屋なのか居酒屋なのかバーなのか、わからなくなることも、しばしばだった。
冬には、わがままをいって、メニューにない「洋風ねぎま鍋」をやってもらった。かつて天神町店で人気があった「カレー鍋」を再現してもらったこともある。あたしは、これまたメニューにない、「おつまみ風豚バラ肉の生姜焼き」をよくやってもらった。酒の最高のツマミだった。
おそらく、水道橋周辺に長くいる方だったら、このお店のランチ(特にスタミナサラダ定食)や、マスターが原付バイクで配達してくれる「洋食弁当」「イコブ弁当」を知らないひとは、いないだろう。
そんな「イコブ」三崎町店が、1月半ば、予告もなく突如閉店してしまった。
シェフのUさんが突然の病で急死されたのだった。小さな店なので、シェフはUさんひとりで、フロアと弁当配達をマスターとアルバイト数名でこなしていた。そのシェフが急死してしまったのだ。
Uさんは、あたしと同年の65歳。以前より腰を痛めたり、胃を病んだりしてはいたが、それにしても、いつも陽気で、まだまだ大丈夫だと思っていたのだが。
Uさんは、天神町店にもいたことがあるので、あたしは、彼の料理を40年以上にわたって、食べてきたことになる。しっかりした味つけなのに、決してしつこくなく、いかにも「昭和の洋食」だった。
だがマスターはいつも「デミグラスソースの焦がし方が足りないんだよね。もっと焦がして苦みを出せと言ってるのに」と文句を言っていた。
普通、デミグラスソースのレシピでは「焦がしすぎると苦みが強くなってまずくなる」と書かれている。なのに「もっと焦がせ」という。おそらくマスターは、むかしの「昭和の味」を求めていたのだろう。
だがUさんは、その中庸をうまく切り抜けて、おいしい料理をつくってくれていた。

▲(左)カツカレー(これは小ライス)、(右)スタミナサラダ定食(たっぷりの生野菜+豚バラ焼きで、女性に大人気だった)
外見に似合わず(失礼!)、Uさんはイージー・リスニングの巨匠、マントヴァーニ・オーケストラの大ファンだった。おそらく国内盤CDは、すべて持っていたのではないか。一度、「マントヴァーニ・ベスト10」を挙げてもらったことがあるが、あれなど、キチンとメモをとっておくべきだったと、音楽ライターとしては後悔しきりである。
都内の老舗洋食店では、近年、有楽町「レバンテ」が閉店している。松本清張『点と線』に登場したレストランである。
神保町では、餃子の老舗「スヰートポーヅ」や、映画・ドラマのロケで有名な居酒屋「酔の助」も閉店した。
神楽坂では、巨人・松井ファンで有名な居酒屋「もー吉」、終戦直後からつづく甘味処「紀の善」が閉店した。
飲食店だけではない。東急百貨店本店の閉店で「MARUZEN&ジュンク堂書店 渋谷店」も閉店し、3月には「八重洲ブックセンター本店」も閉店する。
日本最古の週刊誌「週刊朝日」は5月で休刊となる。
理由は、みなそれぞれだが、「昭和」がどんどん遠くなる。むかしを懐かしがってばかりいてもどうしようもないのだが、江戸・東京で代々暮らしてきた家の人間としては、正直いって、哀しくて、つらい。
あたしにとって、「イコブ」三崎町店は、その最後の砦だったのだが。
52年間、ありがとうございました。
Uさんのご冥福をお祈りします。
※「イコブ」は、現在、飯田橋店が、最後の一店として営業しています。
ここも、とてもおいしい人気店ですので、ぜひ行ってください。
(メニューやお味は三崎町店とおなじではありませんが、共通する「何か」は十分感じられます)。
◇オンライン講座「新潮社 本の学校」で、エッセイ教室の講師なんぞをやっております。
冒頭(第1回)約15分が無料視聴できますので、よろしかったら、ご笑覧ください。
2023.02.06 (Mon)
第378回 【新刊紹介】 愛らしく親しみやすく上品な、最高のホームズ解説本!

▲『シャーロック・ホームズ人物解剖図鑑』(えのころ工房/エクスナレッジ刊)
あたしは、書評投稿サイト「本が好き!」に参加している。
本コラムからの転載も多く、基本的に新刊のお薦め本を投稿するのだが、時折、思い出したように、旧著について書くこともある。
たとえば、昨年11月末には、2019年初刊で、ずっと座右にある本について書いた。
『シャーロック・ホームズ語辞典』(北原尚彦・著、えのころ工房・イラスト/誠文堂新光社)である。
文字通りホームズ物の解説書だが、2人組イラストレーター「えのころ工房」によるイラスト(というよりも「漫画」)が実に面白くて、うまくて、その書評の最後に、こう書いた——〈ぜひこの2人に、今度は「えのころ漫画版/シャーロック・ホームズの冒険」を描いてほしいと願っているのは、あたしだけではないと思う〉。
※できれば、上記書評を、先にお読みください。
ところが、なんと、そう書いていた時点で、すでに、その「えのころ漫画版」が、ほぼ出来上がっていたのである!(おそらく、校了間近だったはず)
文字通り「描いてほしいと願っているのは、あたしだけでは」なかったのだ!
こんなに早く、こんな夢のような本に出会えるとは、ホーメジアン(と呼べるほど本格的マニアではないが)冥利に尽きる、生きててよかったと言いたくなる。
本書は、ホームズ物のキャノン(正典)60編に登場する「すべて」の人物・動物・モノを、とにかく「すべて」イラスト化し、詳細な解説を付けたものだ。
今回は、最初の3作『緋色の研究』『四つの署名』『シャーロック・ホームズの冒険』(12編)が取り上げられている(巻末に続巻予告があり、全3巻になるようだ)。
構成は、各編ごと、こうなっている。
まず、物語の冒頭部分が、1~2頁で、忠実に(しかし、ユーモアたっぷりに)コマ漫画で描かれる。原則として、依頼人が221Bの室内に入ってくる直前までだ。よって『緋色の研究』は、ワトソンが第二次アフガン戦争で負傷するシーンから始まる。『赤毛組合』の場合は、ホームズが「燃えるような赤い髪」の紳士と室内で話している。
頁をめくると、簡単なストーリー紹介があり(文章が「ですます」調で、とてもわかりやすい)、人物関係図がイラストで紹介される。
そして、いよいよ、本書の白眉、「人物解剖」に移る。
栄えある短編第一作『ボヘミアの醜聞』の場合は、もちろん、ボヘミア国王と、アイリーン・アドラーだ(やはり、美しい!)。
だが、ここで描かれるのは、それだけではない。「すべて」の人物・動物がイラストで解説されるのだ。しつこいようだが、この「すべて」の度合いが、尋常ではない。
たとえば、『青いガーネット』で、鳥卸屋のブレッキンリッジに雇われている少年「ビル」もイラスト化されている。「ガチョウの仕入れ先が書かれた薄い小型の帳簿と背表紙が脂で汚れた大型台帳」を持ってくるだけの登場人物である。
『まだらの紐』で、ロイロット邸の庭で放し飼いにされている「チーター」と「ヒヒ」も描かれている。
さらにスゴイのは、作中人物の会話のなかに、しばしば、「実在人物」の名前が登場する、それまでもがイラスト化され、コンパクトに解説されているのだ。
たとえば『緋色の研究』で、ホームズが「今日の午後は、ノーマン・ネルーダを聴きにハレの演奏会へ行きたいんだ」と語る。「ノーマン・ネルーダ」とは、チェコのヴァイオリニスト(1838~1911)で、ちゃんと絵になっている。ハレ管弦楽団は、現存するオーケストラで、ジョン・バルビローリの首席指揮者時代に特に名を馳せた(現在は、マーク・エルダーが首席指揮者)。
この調子なので、いうまでもなく『赤毛組合』でセリフに登場するサラサーテ、フローベール、ジョルジュ・サンドもちゃんとイラストで解説される。
そして、ちょっとした解説コラムを経て、概要を時間軸にそって解説する「事件の流れ」表がある。『緋色の研究』の事件発生日を「1881年3月4日(水)」と著者が推理する解説文はたった数行だが、圧巻である。
さらに「アイテム」解説もある。『ボヘミアの醜聞』『マザリンの宝石』に登場する「ガソジーン」(炭酸水製造器)がどんな機械だったのかも、解説される。
締め括りは、「〔作品名〕を少しだけディープに楽しもう!」と題したイラスト・コラムだ。
『ボスコム谷の謎』で、ワトソン夫人が(かわいい!)「診察だったらアンストラザーさんが代わってくれるわよ」と気軽に言う。この「アンストラザー」とはどこのなにものなのか。実は、あたし自身も、むかしから気になっていた。ワトソンの助手なのか、近所の開業医なのか。本書でも、やはり、その点を突っ込んでいる(なぜかワトソン夫人には、この手のミス発言が多く、『唇のねじれた男』では夫=ジョン・H・ワトソンを「ジェイムズ」と呼んでいる)。
そのほか、『独身の貴族』でホームズが事件関係者を集めて開いた夕食のメニューや、「今回の捜査費用」なども、全部、イラストになっている。
——というわけで、ホーメジアンでもないひとにとっては、以上縷々述べたことの、いったいどこがそんなに面白いのか、奇異に感じているだろう。
とにかく、作者、コナン・ドイル先生の筆は、細部がいい加減なのである。だから、不一致や齟齬が山ほど発生している。それでいて、物語全体は興趣と情緒にあふれている。この「二律背反」こそがホームズ物の魅力であり、いつまでも愛される理由なのだ。
本書は、「イラスト」と「ユーモア」の2つを武器に、そういったホームズ物の魅力を最大限に表現している。過去、ホームズ解説本は無数に出たが、本書はホームズへの「愛」と「品格」が突出している。イラストは、たとえ凶悪犯であっても、醜さ一辺倒には描かれない。すべてのイラストは、愛らしく親しみやすく、上品に描かれている(編集・デザイン・DTP作業は、想像を絶する大変さだったと察する)。
『緋色の研究』を読んだことのある方は、まずP.40を開いていただきたい。我々は、こういう、成長後の「ルーシー・フェリア」に会いたかったはずなのだ。
そして、続巻に登場するはずの『美しき自転車乗り』の「ヴァイオレット・スミス」に早く会いたくて待ちきれないのも、これまた、あたしだけではないはずだ。
◇『シャーロック・ホームズ人物解剖図鑑』(えのころ工房/エクスナレッジ刊) 版元の公式サイト(『ボヘミアの醜聞』冒頭部分をご覧になれます)
◇著者「えのころ工房」の公式サイト
2023.02.02 (Thu)
第377回 【映画紹介】 ジョスカン・デ・プレが流れる「信長」映画!

▲映画 『レジェンド&バタフライ』
現在公開中の映画『レジェンド&バタフライ』のなかに、西洋のミサ(らしき不思議な野外儀式)の場面がある。その隅で、4人の修道士と思われる南蛮人が、ミサ曲を朗唱しており、信長が「悲しい謡(うたい)じゃのう」などとつぶやいている。
この音楽は、ジョスカン・デ・プレ作曲のミサ曲《デ・ベアタ・ヴィルジネ》(祝福された聖母/別名「聖母のミサ」)の〈キリエ〉である。
日本の時代劇映画に、ジョスカンがここまではっきり流れるのは、おそらく初めてではないか。
ジョスカン・デ・プレ(1450頃?~1521)は、ルネサンス期に活躍した、フランドル(現在のベルギー~フランス北西部)出身の教会音楽家。日本では、バッハを「音楽の父」と呼んでいるが、西洋では、ジョスカンのほうが、そう呼ばれている。「美術界のミケランジェロに匹敵する」(コジモ・バルトリ)とか、「ジョスカンはすべての音符を操る主人である」(マルティン・ルター)とまで称された、音楽史上の巨人である。
ほかに、ミサ曲では《アヴェ・マリス・ステラ》(めでたし、海の星よ)、《パンジェ・リングァ》(舌よ、讃えよ)、《ロム・アルメ》(武装したひと)などが有名だ。
彼の音楽は、その構成形式も内容も旋律も、あまりに美しく、見事だった。それまでのミサ曲は、各章の冒頭部を同一旋律で統一する「循環ミサ」が主流だった(宗派によって違いはあるが、通常のミサ曲は全5章構成)。ときには、その旋律を一般大衆の世俗曲から引用することもあった。

▲(左)ジョスカン・デ・プレ (右)ルネサンス期のミサ曲合唱風景(1枚の楽譜を囲んで歌う) 【出典:Wikimedia Commons】
ジョスカンは、これをさらに進めて、統一旋律を、各声部が少し遅れて歌い始め、複雑に絡み合いながら壮大な音楽になる「通模倣様式」を完成させた。複数の声部が、統一感のある旋律を、異なったタイミングで歌っているのに、美しく響き、ひとつの音楽になっている——これは、いまでいえばノーベル賞どころではない大発明だった。
この手法が、後年、ソナタ形式のヒントとなり、カノンになり、フーガに発展し、対位法となって完成し、ベルリオーズやフランクの「循環形式」になり、果ては、ワーグナーの「ライトモティーフ手法」にまでつながるのである。
果たして、信長の時代にジョスカンの曲が日本に入っていたのかは、はっきりしないようだが、少なくとも、1591年に、(前年に帰国していた)天正遣欧少年使節団が、豊臣秀吉の御前で、「ジョスカン・デ・プレの曲」を演奏したことは確からしい。ということは、すでに1582年に亡くなっていた信長が、生前にジョスカンの曲を聴く機会があっても、おかしくはないかもしれない(ちなみに、ジョスカンは、信長が生まれる20年ほど前に亡くなっている)。
もしそうなら、信長は具体的にジョスカンのどの曲を聴いたのか。この映画のように《聖母のミサ》を聴いたのか。
これもよくわかっていないらしいが、この「信長が聴いた西洋音楽」を想像再現するCDやコンサートは意外と多く、そこでよく演奏されるジョスカン曲が《はかりしれぬ悲しさ》である。もともとは4声の世俗曲で、日本では《千々の悲しみ》《皇帝の歌》などの別題でも知られている。というのも、上述の「秀吉が聴いた西洋音楽」が、この《千々の悲しみ》だとむかしからいわれており、だったら、信長も聴いたのでは、と想像されているようなのである。
ところで、映画で流れるミサ曲の吹き替えヴォーカルを聴いていて、あたしは、一瞬で、うたっている人たちがわかった。「ヴォーカル・アンサンブル カペラ」(VEC)のみなさんである。
実は、あたしは、VECの定期演奏会にずっと通っており、スーペリウス(高音部)の花井尚美さんの声の大ファンなのである。この世のものとは思えない、それこそ天上から降り注ぐような美しさで、すこし鼻にかかった甘い歌声は、まさに世界で唯一無二の声である。一度聴いたら、絶対に忘れられない。だから、映画を観て(聴いて)、すぐにわかった(実際、エンドロールにも名前が出ていた)。
VECは、ルネサンス宗教音楽を専門とするヴォーカル・グループで、ジョスカンのミサ曲全曲録音プロジェクトを進行させており、全9枚でそろそろ完結のはずだ。
彼らの演奏会は、音楽監督・花井哲郎さんの「ミサ曲は、教会のなかで、”典礼”として再現されなければならない」との考え方に基づいて開催される。だから会場は必ず「教会」であり(東京公演の場合は、多くが、目白台の東京カテドラル教会聖マリア大聖堂)、各章の前後に入祭唱や昇階唱などの「固有文」(いわば”お経”)が唱えられる。
もし機会があったら、ぜひ、「教会」で、VECの演奏会を経験していただきたい。
最初は慣れないかもしれないが、すぐに、ジョスカンの、そしてルネサンス期の作曲家たちの宝石のような輝きに、「もしかしたら重大な何かを聴き忘れていたのではないか」との思いを抱くはずだ。
なお、映画『レジェンド&バタフライ』本編や出演俳優については、特になにも言うことはない。
▢映画『レジェンド&バタフライ』公式サイト
▢VEC音楽監督・花井哲郎さんのブログ(映画撮影の裏話のほか、映画に流れたミサ曲が聴けます)
▢ヴォーカル・アンサンブル・カペラ(VEC) 公式サイト
▢本コラムの第206回でも、VECの話題に触れています。
*1月28日に開催された、東京佼成ウインドオーケストラ第160回定期演奏会のプログラム解説を書きました。ここでPDFが公開されているので、お時間あれば、ご笑覧ください。