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2023.02.22 (Wed)

第382回 松本零士さんの閉じなかった「指環」

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▲松本さんがジャケットを描いた吹奏楽CD『IN 吹奏楽』(TVドラマ音楽集)
(松沼俊彦指揮、東京佼成ウインドオーケストラ/解説:富樫鉄火 )
※すでに廃盤ですが、アマゾン・ミュージックなどの配信DLあり。


松本零士さん(1938~2023)は、福岡の久留米で生まれた。父親が陸軍航空隊のテスト・パイロットだった関係で、戦時中は各地を転々としていたが、終戦時(小学校3年)に小倉(現在の北九州市)に移り、以後、高校を卒業して上京するまで、小倉で育った。
終戦直後、道端に、いまでいう粗大ゴミの山がよく積まれていた。戦死したひとの遺品だった。
あるとき、松本さんは、そのゴミの山のなかから、大量のSPレコードを拾ってくる。家で蓄音機にかけると、地の底からうめくようなオーケストラの音が響いてきた。ワーグナーの〈ジークフリートの葬送行進曲〉だった。超大作《ニーベルングの指環》四部作の最終曲《神々の黄昏》の音楽だ。
これがきっかけで、松本さんは、クラシック、特にワーグナーに魅せられるようになるのだった。

1990年ころのことだったと思う。
上記の体験談を、すでに何かで読んで知っていたあたしは、松本さんに、「《ニーベルングの指環》をSF漫画にしてみませんか」と提案してみた(すでに何回かお会いして、ワーグナー話などで意気投合していた)。
このとき、松本さんが視線を合わせて目がキラリと真剣に光ったのを、いまでも覚えている。松本さんはサービス精神満点の方なので、リップサービスも多い。どんな話でも、笑顔で、いかにも乗り気のように応じてくれる。だがそれらはほとんどが”サービス”で、そう簡単には実現するものではない。しかし、”本気”になったときは、視線を合わせて目がキラリと光るのだ。

さっそく、話は進んだ。
「宇宙を統一できる指環の所有権をめぐって、神々の一族と、人間たちが争奪戦を繰り広げる話にしましょう」
お互い、ワーグナー・マニア、特に《ニーベルングの指環》好きとあって、話はいつまでも終わらなかった。あんなに楽しかった打合せは、あとにも先にもない。
「人間側は、ハーロック、トチロー、エメラルダス、メーテルたちのオールスターでいきましょう。彼らの幼少時代も描いてみましょうか」

これは夢のような漫画になると思い、当時30歳代そこそこのあたしは、興奮しっぱなしだった。だが、あたしの勤務する出版社には、当時、漫画連載ができる媒体がなかった。
すると松本さんは、「描き下ろしでやりますよ」なんて平然と言う。当時、松本さんは、佼成出版社から250頁余の描き下ろし『平賀源内 明日から来た影』を出していたので、「もしかしたら、描き下ろしでいけるかも……」と期待したが、やはり無理だった。

そんなとき、同僚が、「知り合いの雑誌『中古車ファン』が、漫画連載を検討しているよ」と教えてくれ、相談にいったところ、トントン拍子で話が決まった。松本さんもクラシック・カー好きだったので、快諾していただけた。
こうして、同誌で『ニーベルングの指環:第1部/ラインの黄金』の連載をはじめてもらった。最初のほうで、トチローがクラシック・カーで宇宙空間を移動している場面があるが、それは、掲載誌の読者サービスであった。

単行本はB5判の大判で、1992年1月に刊行されると着実に売れて、これは社にとっても新規路線になりそうだと期待した。だが、第1部が終わった時点で『中古車ファン』は休刊になってしまった。
すると、同時に、インターネットなる不思議なものが登場した。あたしの会社でもウェブサイトを立ち上げることになったが、最初のうちは、いったい何を載せればいいのか、暗中模索していた。
そこで”松本リング”の続編を連載させてほしい旨を担当部署に相談したところ、即OKが出た。日本初の、「インターネットで読む連載漫画」のスタートだった。だが、当時のサイトには、課金システムも広告収入もまだ十分に確立していなかった。しかし、松本さんに原稿料をお支払いしないわけにはいかない。幸い会社側が「原稿料はサイトの宣伝料」と解釈してくれて、無料公開でいけることになった。

かくして今度はネット上で、”松本リング”第2部『ワルキューレ』、第3部『ジークフリート』とつづいた。原則として毎週更新で、1回が10頁(後半は隔週になった)。具体的な数字は忘れたが、毎週、すごいアクセス数だった。
原稿受け取りは、詳述は避けるが、毎回、壮絶にして凄まじい苦労だった。高精度スキャンのPDFでネット送信できる時代ではない。とにかく直接に大泉学園のお宅までうかがって「原画」現物をいただかないことには、形にならない。いま思い出しても、よくぞ、あのような日々を生き抜いてきたものだと、自分で自分を褒めてやりたくなる(そのほか、時間を間違えるとか、大遅刻とか、ダブルブッキングとかも日常だったが、そんな話はほかでもよく出ているので、省略する)。

だが、毎回、いただいた原画を袋から出して拝見するとき、苦労は一瞬で吹き飛んだ。とにかく言葉では説明できないほど、松本さんの原画は美しい。”零士メーター”と呼ばれる計器盤、漆黒ベタの大宇宙に散らばる点(ホワイト)の星々、見開き2頁にわたって眼前に迫ってくるアルカディア号……。
松本さんのペンは、乗りに乗っていた。ご本人が劇中に登場してトチローたちと酒を酌み交わす面白さ! 少女時代のメーテルとエメラルダスの可愛いこと! 宇宙空間でアルカディア号と銀河鉄道999がすれちがう興奮! 彼方を行く宇宙戦艦ヤマトに敬意を表するトチローたち!

また、パソコン画面でスクロールして閲覧することを配慮した構図にも、毎回、挑戦してくれた。美女の上半身が登場、下へスクロールすると、見事なプロポーションの下半身が登場する。彼方からやってくる宇宙船が次第に近づくコマわりで、下へスクロールすると、今度は向こうへ遠ざかっていくコマが。松本さんは”映像”を、平面の紙とパソコンのスクロール画面で実現させていたのだ。

これほどのサービス精神に満ちた”松本リング”だったが、第3部終了後、あまりにもお仕事が立て込んで、しばらく休載することになり、結局、そのままになってしまった。
お会いするたびに「最終部の《神々の黄昏》まで描かないことには、死んでも死にきれませんよ」とおっしゃって下さっていたのだが、残念でならない。

松本さんとは、ほかにもいろんな話をしたが、視線が合って目がキラリと光ったことが、もう一回あった。『宇宙戦艦ヤマト:プリクエル』の企画だった。あれこれ雑談しているうちに、「ヤマトがイスカンダルへ向けて旅立つまでの前日譚(プリクエル)を描いたら、面白いのではないか」と盛り上がった。
人類は、どうやって南方沖に眠る戦艦大和を引き上げたのか。そして、それをどのようにして宇宙戦艦に改造したのか。その間、ガミラスからの攻撃にどのように耐えていたのか。登場人物は、古代進たちの親の世代が中心になる……。
「ぜひやってみたいですね。もっと早くに思いつくべきでした」
このころ、ヤマトの著作権をめぐって、故西崎義展氏(1934~2010)と”論争”になってはいたが、まだ、正式な訴訟騒ぎにまでは至っていなかったと思う。

なお、この騒動については、松本さんから、何度も、長時間にわたってあれこれと聞いた。だがあたし自身、自信をもって外部に言えるほどの材料はもっていない。ただ、松本さんがかなり早くから、真剣な表情で(それこそ視線を合わせて)「西崎はクスリをやってるんです。たいへん危険です。これが事件になったら、ヤマトそのものが吹っ飛んでしまう。子供たち相手の作品をやってるんですから、クスリは絶対にいけません」と言っていたのが忘れられない。
最初のうちは半信半疑だったが、たしかに後年、彼は覚せい剤取締法違反で二度、逮捕されるのだ(ほかに銃砲刀剣類所持等取締法・火薬類取締法・関税法違反なども)。

松本さんが好きだったフレーズに「遠い時の輪が接するところで、また巡りあえる」がある。実は”松本リング”こそ、それがテーマで、「指環」(リング)をめぐる争いの果て、ラストが、第1作の冒頭につながって、時の輪(指環)が閉じる……そんな予定だった。
いまとなってはかなわないが、ぜひ天上で、完成させてください。楽しい、そしてすばらしい作品をありがとうございました。ゆっくりお休みください。
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