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2023.03.14 (Tue)

第388回 【新刊紹介】「ニュータイプ文化人」の誕生を告げる、革命的な一書!

ルーマニア引きこもり
▲『千葉からほとんど出ない引きこもりの俺が、一度も海外に行ったことがないままルーマニア語の小説家になった話』(済東鉄腸著、左右社) ※版元リンクは文末に。

「ルーマニア」の作曲家といえば、やはりジョルジュ・エネスク(1881~1955)だろう(以前は「エネスコ」と綴られていた)。《ルーマニア狂詩曲》第1・2番などで知られる。ヴァイオリニストとしても有名だった。メニューヒン、グリュミオーは彼の弟子である。
むかし音楽の教科書に載っていたワルツ《ドナウ河のさざなみ》を作曲したヨシフ・イヴァノヴィチ(1845~1902)もルーマニア人だ。彼は歩兵連隊の軍楽隊長だった。
大ピアニストのクララ・ハスキル、ディヌ・リパッティ、ラドゥ・ルプ……これみんな、ルーマニア出身である。

文学で最大の存在は、作家・思想家のエミール・シオラン(1911~1995)か。あたしごときには、よくわからないのだが。
日本では、不条理劇『授業』で知られるウジェーヌ・イヨネスコ(1909~1994)のほうが有名かもしれない。中村伸郎が、10年余にわたって毎週金曜日に渋谷のジァン・ジァンで演じ続けた。

あと、ルーマニアといえばドラキュラ伝説(ブラム・ストーカーの創作だが)、そして独裁者チャウシェスク(1918~1989)。あるいはカンヌ映画祭でルーマニア初のパルムドール(最高賞)に輝いた映画『4ヶ月、3週と2日』(クリスティアン・ムンジウ監督、2007)か。

……と、思いつくままランダムにあげたが、あたしの場合、ルーマニアといえばこれくらいで、あとは、せいぜいEUフィルムデーズや東京アニメアワードフェステバルで、「そういえばルーマニアの映画やアニメを観たこともあったなあ……」といった程度だ。

それだけに、こういうひとがいて、こういう本が出たことには、心底から、驚いた。
内容は、この長い書名『千葉からほとんど出ない引きこもりの俺が、一度も海外に行ったことがないままルーマニア語の小説家になった話』が、すべてを物語っている。
著者の済東鉄腸氏は、1992年生まれの若さ。「キネマ旬報」などに寄稿する映画ライターだったそうだ。
いまでも、日本未公開映画を専門に紹介するオンライン・マガジン「鉄腸野郎Z-SQUAD!!!!!」を運営している。カメルーン映画やパナマ映画など、どれも驚愕の内容なので、ぜひご一読していただきたい(リンクは文末に)。

「引きこもり」というと、よくドラマや映画で描かれる、部屋から一歩も出ずにカーテンを閉め切り、食事はドアの前に置かれている、そんな状態を想像しかねないが、彼の場合は、少々ちがう。

俺は、そう引きこもりだ。昔からどこまでも内向的な、考えすぎ人間で、大学を卒業した二〇一五年からは色々あってマジの引きこもりになって今ここに至ってる。現在進行中だ。もう少し正確に書くんなら、二〇一五年から二〇二〇年までは週一でバイトして、映画観る金くらいは一応稼いでいたんだ。だが二〇二〇年以降にコロナが蔓延してバイトが消し飛んでからは、居るのは家か図書館か、図書館横のショッピングモールかって感じ。さらに二〇二一年からはクローン病って腸の病気にもかかっちゃって、安静を余儀なくされている……。で今現在って流れだ。


で、部屋にこもってネットなどで映画ばかりを観るようになる。その感想をツイッターやブログに投稿して〈映画批評家の猿真似〉をするようになった。
ここで著者は、たいへん重要な真理をズバリ述べる。

だが実際、真似事っていうのは重要だ。/批評にしろ創作にしろ、スポーツにしろ語学にしろ、そして生きることそれ自体にしろ、模倣というやつから全てが始まるからだ。


どうもこの著者は、単なる「引きこもり」ではないような予感をおぼえはじめる。
そんな〈猿真似〉をしているうち、日本の映画批評家に不満を覚えるようになる。

日本の映画批評家は、映画の語り方に関する美学が肥大するばかりで、語るものへの美学がないと感じたんだった。つまり日本で上映される、日本語字幕のついた作品しか論じないんだよ。それから金を払われなければ書かない、媒体に場を用意されなければ書かない。/(略)やつらは過去の映画史にしがみつくか、日本で公開される映画へ近視眼的に注目するばかりなんだ。今まさに築かれようとしている歴史を見ようとしない。俺にはそれがつまらなかった。


こうして、海外の最新日本未公開映画ばかりを観るようになり、あるルーマニア映画(邦訳なし)に出会い、衝撃を受けて、ルーマニア語に興味を持つようになり、独学をはじめるのだ。
いったい、日本語字幕もないこれらを観て、最初にどうやって理解したのか、それほど何でも配信で観られるのか、あまり詳しく書かれていないのだが、どうもこの著者は、尋常な才能の持ち主ではないらしいことが、次第にわかってくる。本書が“キワモノ本”でないことがはっきりするのは、このあたりからだ。

まず、この著者は、語学に対する感度が、凡百とは決定的にちがう。苦労した様子は書かれているが、もともと「才能」があったとしか、思えない。小説や映画の「物語」の理解力も、たいへん深い。
文章は一見荒っぽいが、実はとても繊細で、このひとの本質は、通俗を超えた「純文学」にあることもわかってくる。物言いはやたらと自信たっぷりだが、明らかに裏打ちがあるので、嫌味は感じない。

そして、室内で「引きこもり」ながら、ネットを通じて、ものすごい発信力、行動力を爆発させる。ツイッター、ブログ、フェイスブックなど、あらゆるSNSを駆使して、ルーマニアの映画監督や作家、書評家、オンライン・マガジンなどと“交流”をはじめるのだ。ルーマニアにはAmazonがないので、彼の国の本を取り寄せるにあたっては、輸入代行サイトを紹介してもらった。
そのうち、さる女性作家と知り合いになり、彼女が来日した際には六本木で会い、一緒に蕎麦を食べたりする。実にすごい「引きこもり」である。

ここから先は一瀉千里だ。
映画批評を大量に書いていると〈物語をどう書けばいいかが自然と分かってくる。ある時期から、俺は誰に言われるでもなく小説を書き始めていた〉! そして、それを自分でルーマニア語に翻訳してルーマニアの”友人”に送ってみると、みんな興味を持ってくれて、ついにネット文芸誌に掲載されるようになる。

ここからあとも、さまざまな出会いや展開があり、著者は、あっという間にルーマニア文壇でかなり知られる存在になるのだが、これ以上は、実際にお読みいただきたい。その進撃ぶりは、サイレント映画で全力疾走するキートンかダグラス・フェアバンクスのようだ。
著者の独特な文章は冴えまくり、映画はもちろん、ルーマニア文学の解説に至っては、あいた口が塞がらない(冒頭で「よくわからない」と書いたシオランなども、ちゃんと解説してくれる)。
巻末には、ルーマニアを知るための本や映画のリストが付いており、これまた見事なガイドになっている。

どこかでルーマニアについて学んだわけでもなく(大学では日本文学を学んだようだ)、現地に一度も行ったことがなく、何かの賞を受賞したわけでもない。室内に「引きこもり」ながら、ひたすらパソコンを利用して、これだけの知見とコネクションを獲得した。そして、千葉にいながらにして、ルーマニア文壇で“活躍”している。
本書は、まったく新しい、21世紀ならではの「ニュータイプ文化人」の誕生を告げる、革命的な一書である。
今後、この著者は「ルーマニア」枠を超えた、たいへんな書き手になるだろう。

◇『千葉からほとんど出ない引きこもりの俺が、一度も海外に行ったことがないままルーマニア語の小説家になった話』(済東鉄腸著、左右社)版元サイトは、こちら

◇著者が運営するオンライン・マガジン「鉄腸野郎Z-SQUAD!!!!!」は、こちら

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