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2023.05.06 (Sat)

第398回 【新刊紹介】かつてバレエ伴奏は「ピアノ」ではなかった! 驚きのバレエ史発掘本、登場

バレエ伴奏者
▲永井玉藻『バレエ伴奏者の歴史 19世紀パリ・オペラ座と現代、舞台裏で働く人々』(音楽之友社刊)
※リンクは文末に。

19世紀後半に活躍したフランスの画家ドガは、パリ・オペラ座の踊り子(バレリーナ)を多く描いた。かつて、バレエ音楽名曲集のLPレコードといえば、ジャケットはドガが定番だったものである。

そんなドガの絵を見ていて、むかしから気になることがあった。
レッスン風景の片隅に、必ず黒服を着た男がいるのである。どうも振付師ではなさそうで、たいてい偉そうにふんぞり返っているか、ヴァイオリンを抱えているかのどちらかだった。

後年、解説本などで知ったのは、この男は少女のパトロン、もしくは少女たちを〈値踏み〉に来た金持ちだという。この当時、貧しい家の少女は、踊り子となって肉体の線を強調し、自分を買ってくれる男たちを探していたのだという。
では、ヴァイオリンを抱えた男は何者なのか。レッスン室の隅で、なぜヴァイオリンなど弾いているのか。これは、長いこと、よくわからなかった。
(上記、カバー絵参照)

このたび、その疑問に見事に応えてくれる本が出た。
永井玉藻『バレエ伴奏者の歴史 19世紀パリ・オペラ座と現代、舞台裏で働く人々』(音楽之友社刊)である。
著者・永井玉藻氏は、西洋音楽史の研究家。パリ第4大学博士課程修了後も、フランスで研究を重ね、主に19~20世紀のフランス音楽研究、バレエやオペラを専門としている方らしい。

本書では、上記の疑問に、早くも冒頭の「序」で、ズバリ答えてくれる。

(略)一方、このバレエ教師と同じくらい頻繁に、ドガの画面に登場する当時のオペラ座関係者たちがいる。それは、ヴァイオリンやヴィオラといった、弦楽器の演奏者である。(略)/実は彼らこそが19世紀末までのバレエの稽古の伴奏者たちなのである。この時期まで、稽古伴奏を行っていたのはピアニストではなく、ヴァイオリンやヴィオラといった弦楽器の演奏者たちだったのだ。


これこそ「目からウロコが落ちる」である。もしかしたら、バレエ愛好者にとっては周知の事実なのかもしれないが、あたしは驚いた。

では、なぜバレエの稽古が「弦楽器」で行われていたのだろうか。そして、いつ、いかなる理由で、現在のようなピアノ伴奏に代わったのだろうか。
本書は、その理由と過程を、主にパリ・オペラ座に残された史料を徹底蒐集、分析解読することで、まるでミステリを解き明かすように解説してくれる真の労作である。

実はバレエ指導者とは、ある時期まで「楽器演奏者」でもあった。その「楽器」が管楽器だと口が塞がって口頭で指導できない。鍵盤楽器だといちいち演奏を中断して生徒のそばまで行かなければならない。だが弦楽器なら、演奏しながら生徒のそばへ行って、口頭でも指導できる。
そのため、舞踏教師は弦楽器が演奏できなければダメで、逆に弦楽器奏者はダンスを踊ることができた。

(略)《コッペリア》』の振付師として知られるアルチュール・サン=レオン(1821-1870)は、パガニーニに師事したヴァイオリン奏者としても知られている。彼は、自身が振り付けたバレエ《悪魔のヴァイオリン》の初演(1849年)でも、主役の一人として踊るだけでなくヴァイオリン演奏もこなしている。


本書には、そのサン=レオンが、本番の舞台上で踊りながらヴァイオリンを弾いている図版が紹介されている。

当時のバレエ・レッスン曲集はヴァイオリン用に書かれていた。しかも演奏しながら指導するため、負担が減るよう、開放弦を生かした調性の曲が多かった。中には、《フィガロの結婚》のアリアのような、当時の「ヒット曲」もあった。これらも図版入りで紹介されている。

往時のパリ・オペラ座では、オーケストラの第2ヴァイオリン奏者かヴィオラ奏者が、バレエ伴奏者も副業で兼ねていた。その勤務・給与明細も図版入りだ。

パリ・オペラ座には弦楽器伴奏用の譜面(レペティトゥール譜)が残されていて、「2段譜」になっている。一瞬、ピアノ譜かと思うが、これはヴァイオリンとヴィオラの2挺伴奏譜だそうで、19世紀のオペラ座では、常に2人の弦楽器奏者が伴奏していたらしいのだ。これまた具体的な図版が示され、映像ドキュメンタリのようなわかりやすさである。

やがて「弦楽器伴奏」は、現在のような「ピアノ伴奏」に代わるのだが、その過程、およびパリ・オペラ座における「最後の弦楽器伴奏者」と「最初のピアノ伴奏者」を突き止める過程は圧巻のひとこと!
はるか東洋の果ての一研究者が、よくぞ異国でここまでの調査取材を敢行できたものだと、絶大な感動に襲われる。
これほど興奮しながら読んだ音楽史本は、ひさびさであった。
(この著者は、ほかの題材でも、明快に面白く書けるのではないか)

本書は、単なる音楽史発掘本では終わらない。
ピアノ伴奏者の歴史や変化が、現代のバレエ界にどのように伝わり、影響を与えているかもちゃんと検証している。そのため、現在のパリ・オペラ座や新国立劇場のピアニスト、そのほか、日仏のダンサーや教師、オーケストラ団員など、かなりの数の人たちへのインタビューも含まれている。これらも、すこぶる興趣にあふれた内容だ。
(おそらくバレエ・ファンや生徒ならおなじみ、ウィーン国立歌劇場バレエ団の専属ピアニスト、滝澤志野さんも登場する)

あたしが本書でもっとも納得できたのは、プロコフィエフのバレエ《シンデレラ》の、第1幕第7曲〈踊りのレッスン〉(第2組曲だと2曲目になる)についての著者の考察だった。
この曲は、ヴァイオリン2挺が舞台上バンダで演奏する。あたしは、この部分について、いままで深く考えたことはなかった。せいぜい、舞踊会に行けないシンデレラの思いを表現しているのだと思っていた。しかし、本書を読んで、まったく見方が変わった。

(略)この編成の意図するところは、曲に対する室内楽的な雰囲気の付与というよりも、バレエ伴奏で伝統的に用いられていた「弦楽器2挺」という編成の引用だろう。すなわち、《シンデレラ》におけるこのヴァイオリンの用いられ方は、弦楽器のバレエ伴奏者という職業が、プロコフィエフと同世代のロシアの人々にも、ありし日のバレエの稽古を特徴付ける要素として考えられていたことを示しているのである。


本書は、バレエ音楽ファン、バレエ愛好者はもちろん、いわゆる「芸術」関係の「指導職」にある人も必読の一書である。

◆永井玉藻『バレエ伴奏者の歴史 19世紀パリ・オペラ座と現代、舞台裏で働く人々』(音楽之友社刊)は、こちら(冒頭立ち読みあり。ドガの絵も確認できます)
※本稿は「本が好き!」にも投稿しています。

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